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2006.07.29

書きたいことは山ほど

ネットをつなぐことができない今、(我が家のネット接続の問題)
まるでシンデレラのように10分間だけネット接続ができます。
時間がないのでROMはもちろん、頂いたコメントのお返事もできないのですが、
書きたいこと山ほどあります。
イチバン書きたいことはBSEです。
これはヒドイ。

次がレバノン。
ますます混迷を深めています。
10年前にも国連施設攻撃。(1996年4月)
この時もアメリカの圧力がかかり不問に付されました。
今度、この問題ゆっくり書きますね。
さらに書きたいのはWTO農業交渉。
と、言うことで今日はここまでしか書くことができません。
では、、、、

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広島ーFC東京戦

Jリーグ第16節。
広島とFC東京戦。
2−0で広島が勝ちました。
水曜日の甲府戦では残念な結果に終わりましたが、
今日は素晴らしかった!!!!
戸田が帰ってきたので守りがグーーーンと落ち着きました。
そして、佐藤寿人選手が自由自在にピッチを駆け、走り、蹴り、
二点ゴールを入れました!!!!
凄かった。
ウェズレイとの連携がいい。
また、青山選手や高柳クンもイキイキとプレイしていました。
中里選手も頑張りました。
カズも復帰して、駒野、服部も健在。
それにしても監督が代わってこのチーム。
本当に変わりました。
まず、走る。
何をするか選手がわかっている。
だから楽しそう。
楽しいから相手を信頼している、、、、
何よりも自分に自信がもてるようになった気がします。
こんなサンフレッチェ。
見ていて楽しさがこちらにも伝わってきます。
本当にいいチームになりました。
これからまだまだ、、、
いろいろ大変だとも思いますが、頑張ってください。
応援しています!!!

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2006.07.27

ネット環境に今いませんので、、、

しばらくネットに繋がりにくいので、ネットの夏休みだと思ってください。
頂いたコメントやトラックバックはまた後ほどお返事します。
あああ〜〜〜もうピッチの時間が来た、、、、
では、また今度ゆっくり書きますのでそれまで、皆さんお元気で!!!

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2006.07.26

裁かれる日本の福祉

書かなければと思っていた記事、その3は承諾殺人:認知症の母殺害の息子に温情判決 京都地裁と言う記事。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 認知症の母親(当時86歳)の介護で生活苦に陥り、相談の上で殺害したとして承諾殺人などの罪に問われた京都市伏見区の無職、片桐康晴被告(54)の判決が21日、京都地裁であった。東尾龍一裁判官は「結果は重大だが、経緯や献身的介護に感謝した母親の心情に思いをはせ、刑の執行を猶予する」などとして懲役2年6月、執行猶予3年(求刑懲役3年)を言い渡した。その一方で、「裁かれているのは日本の介護制度や行政。とりわけ生活保護の相談窓口の対応が問われている言っても過言ではない」と指摘した。
(上記ニュースより)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
家に帰りたがる母。
その母に向かい被告は言う。
「あかんねんで、もう生きられへんねんで」。
母は言う。
「そうか。あかんか。お前と一緒やで。」
今年2月1日のこと。

私はこの記事を涙なしには読むことが出来ませんでした。
今、タイプを打ちながらも涙が出てくるのです、、、
86才の母。
54才の息子。
この二人の胸のうちは如何ばかりであったろうか、、、

そして、この裁判で注目すべきは東尾龍一裁判官の異例の指摘。
「裁かれているのは日本の介護制度や行政。とりわけ生活保護の相談窓口の対応が問われている言っても過言ではない」。

そんな矢先の24日。
生活保護申請を二度却下された秋田市の男性(37)秋田市福祉事務所前の駐車場で自殺。
これに対して秋田生活と健康を守る会と「秋田生存権裁判を支える会」が25日、記者会見。
保護を適用していれば命が失われずにすんだとして、抗議声明を発表しました。
(1)福祉棟の目の前を選び、練炭と七輪を用意し車に目張りしていた
(2)駐車を注意されない日曜日しかないと友人に話していた
(3)同じ友人に「おれみたいな人間はいっぱいいる。おれの犠牲で福祉が良くなってほしい」と話していた、などから、覚悟の抗議自殺とのこと。
そして、
抗議声明は、同市福祉事務所の対応が男性の命を奪ったとして「犠牲者を生まない福祉行政への改善」を求めています。
また支える会は声明で、「老齢加算廃止など福祉切り捨ての路線の中に今回の事件がある」とし、市民の立場に立った保護行政を求めました。
生活保護の受給者は96年の88万7000人から、2005年の148万4000人に急増。
格差は確実に広がっています。
しかも多くの国民が貧困の方向へと移りつつあるのは先の記事に書いた通り。
にもかかわらず、政府は冷たい。
実に情け無用とばかりに切り捨てる。
『一二三号通知』にもとづく『適正化』行政。
1980年代来の国・厚労省による申請拒否と保護打ち切りをすすめ、さらに新たな『手引』をつくるなど締め付けが強化されている現実。調査と指導・指示による生活保護からの排除をいっそう強める内容です。
しかも同省は5月、戦後初めて「全国福祉事務所長会議」を開き、社会・援護局長はメ社会保障が最大の歳出になっている。社会保障の分野で改革の手がついていないのが生活保護だと切り下げに向けて檄を飛ばすという凄まじさです。
生活保護。
一体、誰が生活保護に追いやったのだろう???
そもそもの責任はどこにあるのだろうか???
そして、
この様な悲劇が再び起きないためにどうすればよいか???
いずれにしても政府が本腰で福祉にあたることを望むばかりです。
最後にもう一度、東尾龍一裁判官言葉の確認。
「裁かれているのは日本の介護制度や行政。とりわけ生活保護の相談窓口の対応が問われている言っても過言ではない」。
裁かれているのは「日本の福祉」です。

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2006.07.25

戦費

日に日に混迷を増すイスラエルとレバノン情勢。
この戦争の本当の狙い
などが書かれているサイトを見たりすると暗澹たる気持になります。
こんな中、アメリカの民間研究機関「世界政策研究所」はこのほど、米国の対イスラエル軍事支援についての報告書を公表しました。
それによると、ブッシュ政権下の2001年から05年までの5年間で、168億ドル(約2兆円)もの直接、間接の軍事支援をしていたことを明らかにしました。
また、
アメリカ民主党のジョン・マーサ下院議員が、イラク戦費の実態について紹介。
それによると、イラク戦費は月80億ドル(約9200億円)。
分かりやすくアメリカの日常生活費に試算すると、
列車や地下鉄、バスなどの公共輸送機関の改善はイラク戦費3週間分。
老齢者医療保険(メディケア)の2007会計年度予算での削減額は、戦費2.5週間分。
医療保険に加入していない子どもは全米で900万人いますが、戦費5日分あれば全員加入。教育予算の削減34億ドルも、わずか13日分です。

戦争はお金がかかる、、、、
のです。
アメリカもイラク戦争のために国民に負担を押しつけ、押しつけ痛みを強いてきました。
さらに今回明らかになったイスラエルへの支援。
5年間の支援の内訳は、
米政府が武器購入資金を融資する対外軍事資金供与が104億5149万ドル、
有償で武器を供与する対外有償軍事援助が47億7218万ドル、
直接商業売却が15億5100万ドル。

また世論の耳目を集めているのはイスラエルが購入する兵器システムの大半が米国製と言うこと。
イスラエルは現在、米国製のF16戦闘機226機、
F15戦闘機89機、
M60戦車711両、
M113装甲兵員輸送車6131台。

イスラエルが「米国の企業に直行し、米国の金で武器を買い、それをパレスチナの占領地やレバノンで使っている」とこの報告書の執筆者が指摘。
そしてこれは、「米国製の武器は自衛や国内の治安のためにだけ使うとした米国の武器輸出管理法に違反する」と言うことです。

誰でもが知っているアメリカとイスラエルの仲。
お互いが友好国であることは、モチロン良い事なのですが、
他の国に対して、その友好が脅威となるのはちょっと考えものではと思います、、、

いずれにしても無辜の民に犠牲がこれ以上でないように、
この紛争が早く解決することを願うばかりです。

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平和は生きること

平和はきれい事というタイトルでお玉さんからトラックバックを頂きました。
記事を拝見して私も随分考え込みました。

〜〜平和はきれい事・・うん、だからこそ尊い。〜〜

お玉さんはそう言う。
結論からいえば、私もお玉さんに賛成。

平和はきれい事と言う人たちに問いたい。
「きれい事」とは何か?
と。
口先だけの事。机上の理論と言うことを「きれい事」という言葉の中に押し込めたのだろうか?
ならば、それは違う。

私は言いたい。
きれいな平和を守るために、
日ごと汗をたらし、
走り回り、
声を絞り出し、
這いずるよう思いで生きている名もなき人々がいっぱいいることを、、、
ただひたすら「戦のない日」を手に入れるために。
ある時は署名をもち、
ある時は電話で友人に語り、
またある時はマイクを持つ。
休むことなくギリギリの平和を手放さないために頑張っている人々がいる。
彼らは決して平和はきれい事、、、なんて言わない。

以前、
「平和は眠りを許さない」
と言う記事を書いたことがあります。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「平和も、戦争挑発に対する実際的で聡明なたたかいとその克服なしには確保されないものであることを知らなければならない。
平和は眠りを許さない。
地球の全ての男女の運命がそれにかかわっている。最もまめな骨惜しみをしない人類的事業の一つである。」
宮本百合子「平和は眠りを許さない」より
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
そして百合子は続けて言う。
「平和」はジェスチャではない。
生きること、そのことである。」
と。

平和はジェスチャではないのです。
きれい事?
とかとか悩む以前のことではないでしょうか? 
人が生きていく上での最低限の条件であらねばならないと私は考えます。
生きるそのことが平和と直結していることではと思います。

現実に戦争に巻こまれたら???
という仮定の上での論理の展開も見ます。
私は、その論理から憲法が崩れ去ろうとする動きに危惧を感じます。
憲法は理念です。
理念は現実にあわせてはなりません。
現実が理念を標榜すべきものではと考えます。
(これは卑近な例ながら、子どもの成績に言えます。
今の偏差値から考えて目標校は無理と言うことでランクを下げると、
不思議に今の成績は更に下がります。)

もし、今、平和が損なわれるような事があったら、
私は声を大にして反対しなければと思います。
また、そうならないため不断に平和を守るための努力をすることは論を待ちません。
とは言え、それは何もゴリゴリの生き方をしろ、というのではありません。
寧ろ、
しなやかに、しなやかにそして朗らかに生きることです。

と、言うことで、
平和は生きること、そのことである。
と、私は考えます。 

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2006.07.24

河童忌

今日7月24日は河童忌。
芥川龍之介の命日です。
1927年のこと。

芥川龍之介かぁ、、、、

あなたは芥川の作品のどれがお好きですか?
私は迷うことなく、「杜子春」です。
とかく難解な芥川の作品にあって、「杜子春」だけは非常に分かりやすい。
テーマがはっきりしていて私にでも分かる。
と、いうことでお気に入りの杜子春なのです。
安野光雅さんは「こころのふち」というエッセィの中で
杜子春について以下のように書いています。
〜〜〜〜〜〜〜〜
===すべてがまだ峨眉山へ、行かない前と同じです」と読んで、ぽかーんと口を開けているわたしを捨て置いて、作者はさっさと行ってしまったような気がした。我にかえったこどもが「もうひとつ話をしてくれ、ひとつだけでいいから、、、」とせがむのは、話の世界から現実に戻りたくないからだと思う。、、、、、、、、、」

安野光雅「こころのふち」より
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
うーーーん。
言えてる。
私は肯いていました。
そうなんですよね。
読み初めから、自分は杜子春。
愚かで、貧しく、人を信じ、翻弄され、
そして気がついたら、何事もなかったように「もとのまま」。
洛陽門の春の夕暮れ。
それは心にズドンと落ちてくる何かと、
ヒタヒタと歩き去る仙人への追い求めることの出来ない喪失感に見舞われる思いがしたものです。
何故か哀しい、、、
この先はどうなるのか。
仙人の下へ行きたい、、、と願う私。
そんな読後感が好きです。

芥川って書き初めと終わり方が上手い。
実にうまい。
もう、これ以上の書き方はない、とうならせます。
勧善懲悪とか不条理とか、とかとか書いている作者は多い。
しかし、
芥川ほど無駄のない書き方をしている作者は数少ないと私はいつも思っています。
(中島敦「山月記」も無駄のない作品と私は思っています。大好きな作品です)
さて、そんな芥川の作風に少しでも近づこうと、
「宇治拾遺物語」なんて本気で読んだ私です。

そして、こんな芥川の俳句がまた可笑しい。
〜〜青蛙おのれもペンキぬりたてか 〜〜

壮絶なのは辞世の句。
自嘲
〜〜水洟や鼻の先だけ暮れ残る 〜〜   

 『澄江堂句集』所収。芥川は昭和二年七月二十四日の午後一時過ぎ伯母の枕元に来て、明日の朝下島さんに渡して下さいといって、この句を書いた短冊を渡したという。短冊には「自嘲」と前書がしてあったことから、芥川の文業の終末を象徴せしめる凄絶な辞世句となって了った。
蝸牛俳句文庫より)

また芥川の思想については、
松岡正剛さんが軽く纏めています。

いずれにしても人生を駆け抜けた芥川龍之介。
享年35才。
若き天才の今日は命日です。

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概算要求基準

来年度予算の概算要求基準
辛いですね、、、本当に辛いですね。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
谷垣禎一財務相は18日、川崎二郎厚労相と財務省内で会談し、2007年度予算編成の大枠を示す概算要求基準(シーリング)について、社会保障関係費の高齢化に伴う自然増分を2200億円圧縮することで合意した。
(上記ニュースより)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

これを受けて、小泉さんは「財政健全化の成果を示す初年度となる重要な予算だ」とのこと。 
「財政健全化の成果を示す初年度」。
ねぇ?????
フッとため息が出ます。
ではそんな小泉さんのご自慢の5年間、見てみましょう。
 
・生活保護の受給世帯は75万から100万世帯に。
・保険証の代わりに「資格証明書」を発行された人が、昨年は32万人に。
・年金では、高い年金保険料を払えずに制度から除外されつつある人が1000万人に。

これは数字として上ったものですが、実際の庶民の生活は追いやられています。
貧困を感じている人が7割。
さらに財政赤字を理由に消費税の負担や、高齢者ターゲットの税制の仕組みは強化されそうです。
そして、あれほど「福祉のため」と言っていたにも関わらず、
あっさりと福祉は切り捨て。
にもかかわらず、
かかわらず、
「米国領土のグアム基地強化を含む「米軍再編」に3兆円」
これってナァ〜〜〜ニ。
本当になぁ=====に。
一体、この国はどうなっているのだろう????
おかしいぃいいいいい。
ヘンだ。
どんなに書いても書きたらない。
そして、私たちのこの悲鳴こそが小泉さんには「待ってました」なのです。
「歳出をどんどん切り詰めていけば、『やめてほしい』という声が出てくる。増税してもいいから必要な施策をやってくれ、という状況になるまで、歳出を徹底的にカットしなければならない」。
これってアリィ??????
小泉さん。
あなたはな・なんということを言うのか。
もう一度確認。
「歳出をどんどん切り詰めていけば、『やめてほしい』という声が出てくる。増税してもいいから必要な施策をやってくれ、という状況になるまで、歳出を徹底的にカットしなければならない」。

つまり国民を苦しめて苦しめて苦しめて、、、
国民の方から「モウダメ、、、消費税でもなんでもあげてくれぇええええええええ」と言うまで待とうと言うことかぁ。

小泉さんが国民をいびって、いびって、いびって声も出ないようにさせようとしているのは、この5年間の政策で明らかです。
まだ、声が出るうちに大きな声で言わなければ。
「小泉さん、、、、
もっと、もっと国民を大切にしてぇええええええええ」と。

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2006.07.23

貧困化する日本

書かなきゃと思いながら書く時間が無かったその2。
日本の貧困化。

経済協力開発機構(OECD)はこの20日、日本経済を分析した対日経済審査報告書を公表。
格差拡大が指摘されました。
報告書は、日本の所得格差が拡大し2000年にはOECD加盟国の中で相対的貧困率がアメリカに次いでなんと二番目に高くなったことを明らかにしています。
詳しく見ましょう。
今回の調査は、生産年齢人口(18歳から65歳以下)を対象に、
税金や社会保障の負担などを引いた後の自由に使える所得である「可処分所得」について分析したもの。同所得分布の中央値の半分以下の所得しかない人口の割合(相対的貧困率)を算出したものです。

結果は、日本は一位のアメリカの貧困率13・7%に迫る13・5%で、三位のアイルランド11・9%よりも際立って高い数値。
因みに、日本の1990年代半ばの数値は11・9%です。
さらに今回の調査で、頭が痛いのは、生活必需品のコストを基に算出した「絶対的貧困」の率(%)です。
日本で80年代半ばか2000年に5ポイント増加したと指摘し、OECD加盟国の中で唯一の国だということです。
絶対的貧困ですよ、、、
これが増えています。


こうした結果を踏まえ、
報告は、格差拡大の原因に、非正規労働の拡大による労働市場の二極化があると分析。
日本に対する勧告として、正規と非正規の労働市場の二極化を是正することが重要な鍵だと指摘、正規雇用増加への「包括的な取り組み」を求めました。

もう一度おさらい。
「日本の格差拡大の原因が、非正規雇用の拡大による労働市場の二極化にあること」。
さらにしつこくおさらい。
「日本の格差拡大の原因が、非正規雇用の拡大による労働市場の二極化にあること」。
また、雇用水準に比べ相対的貧困率の高さは驚くべきことだと指摘し、「税制改革」については、所得分配への影響を考慮すべきだとも同時に勧告しています。
実際、日本政府も、06年度版の「経済財政白書」で、経済格差が拡大していることを認めているのは周知の事実。
その要因として「リストラ」と非正規雇用の拡大など「雇用の多様化」があるとも分析しています。
しかし、
しかし、
結局分析しただけだった事も周知の事実。
格差拡大の最大の原因である雇用破壊をすすめた「構造改革」路線についての根本的な反省はありませんでした。
したがって今回のような不名誉な勧告がなされたのです。

小泉内閣の罪は大きいと私は思います。
抜本的な解決をせず、
それどころか労働法制の規制緩和をさらにすすめ、庶民大増税で格差を固定・拡大させようとしているのです。
信じられないことですが、、、実際に起こっている。

小泉さん、何を考えているのだろう???
この国をどうしようとするのだろうか、、、
大体、小泉さんは「事の重大さ」がわかっているのだろうか???
貧困がますます拡大。
二極化、とは言え、ジリヒンで先輩たちの遺産を食いつぶしているこの国の未来は暗い。

では今、成すべきことは何か???
とりあえずは「構造改革」の転換を図ることではないか、それも急務に、と思う昨今です。

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広島VS千葉

昨日22日、広島ビッグアーチで行われた第14節千葉戦。
私は6時からのテレビ放送観戦のため、早々に夕飯の用意をして逸る思いでキックオフを待ちます。
なにしろ絵になるような(?)名古屋戦を生観戦したあとだから、、、
守りが少々心配。
戸田がいない。
吉広君もいない(吉広君の事、心配です。早く快くなってと祈っています)。
そんな少ないメンバーの中でなんとカズがでる。
これは応援しなければ、、、
さて、待ち待った6時。
キックオフ。
新監督、それも同門の戦い。
さらに双子が二組出場という話題満載のカード。
楽しみです。
双方、初めは緊張しつつも試合は流れ、
33分。左サイドを持ち上がった盛田のパスを受けた服部→左足シュート。
このボールが、まっすぐ鋭くファーサイドのネットに突き刺ささり先制。
ゴーーーール。
うわっ〜〜〜〜〜〜〜
やった!!!!
公太がやった!!!!
思わず跳びはねる私。
しかし喜びも束の間、37分。
DFラインの前で佐藤勇のリターンパス→ハースのシュート。
ゴーーール。
そのまま1−1で前半終了。
ハーフタイムは、前節の美しい名古屋戦が放送され、ウットリ。
やがて後半。
3分、6分と立て続けに千葉にゴールを奪われ、1−3と二点差。
が、
後半10分、高い位置でパスカットした盛田→佐藤寿→青山→ウェズレイ→ゴール。
2−3。
一気に盛り上がります。
しかし、千葉に4点目を入れられ、結果2−4で負けました。
残念。
と、いうことで広島は4連取はできませんでしたが、
若い選手が育ちつつある感がして、次に期待できます!!
中里。
入船。
柏木。
青山。
と若い力とベテランがバランスよく入り、走り込み良い試合をしたのではないでしょうか???
次節はバレーのいない甲府。
頑張りましょう!!!

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2006.07.22

言葉とイメージ

「言葉とイメージ」と書けば、マグリットのあのなんとも不思議な絵を思い出します。
が、今日は方向オンチの科学 と言う本から考えたことについて書きます。
実は私、方向オンチどころか左右も苦手。
東西南北なんて絶対わかりません。
辛うじて、かろうじて脊髄反射でいけるのは「押す、引く」ぐらい。
道に迷うなんてデフォです。
新しい所では絶対、道に迷う。
運転手は道に迷わない、なんて嘘です。
自分が運転していても迷うものは迷う。
大体、地図は読めない。
夫が運転している隣でお気楽にペチャクチャ喋っているだけの私に、
地図を見ろと夫は言う。
見ても分からない。
仕方がないので自分で赤信号の時、調べている夫の傍らで、ひたすら感心。
「こんな難しいものがよく分かる」と。
地図が読めない女なのかと思っていたのです。
が、
「方向オンチの科学」によれば、方向感覚それ自体には性差はないが、女性の方が「自分を方向オンチと思いたがる」という傾向があるそうです。
そしてこの本は第2章で「方向オンチとは何か」と解説しています。
いろいろ科学的実験なども試みて書いてあるのですが、
私が一番興味を持って読んだのは「右と左のない文化」です。
普通、私たちが空間認知をする場合、自己中心的な参照系から抽象的な参照系に移動すると思われがちですが、
実はツェルタル語やグウグ・イミディール語と言う言語を使っている人々には左右がないそうです。
例えばA・Bと言う二つのものの位置関係を表すとき、私たちなら「Aの右にBがある」と言います。
しかし、ツェルタル語やグウグ・イミディール語を使っている人々は東西南北で二つの位置関係を表します。
Aの南にBがある。と言うように。
これは面白い。
実に面白い。
左右の違いを言語に持っている人々は当然、反対向きになれば左右は逆転します。
しかし、左右の違いを文化・言語として持たない人々には、位置はいつでも同じ表現で語られます。
研究によれば、これらの人々は直接目に見えない方向指示が非常に正確にできるそうです。
この様な使用言語の違いは、場所の位置に対する人間の記憶、さらにはそこから構築される認知地図にも影響を与えるだろうと著者は述べています。

私たちは言葉からイメージを持ち、イメージを頭の中で構築して、次への段階へと進みます。
したがって、それは芸術でもあるわけです。
言葉から沸き上がるイメージが同じである場合、人は共感できますが、
そうでない場合は分かり合えません。
しかし、人は分かり合うために、共通の言葉を探し求めます。
勿論、お互いが理解できるためには言葉だけが手段ではありません。

ただ、私自身は、いつもスッキリしたイメージと優しい自分を持ちたいと希望しているので、
言葉もスッキリ、優しいものでありたいと願っているのですが、これがなかなかに難しい。
試練です、、、

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2006.07.21

レバノン攻撃 その2

イスラエルの歴史は血を抜きにしては語ることが出来ません。
その建国からの歴史を知ることは、多くの事を学び考えるきっかけになると思います。
が、今日は今、進行中のレバノンとの問題を中心に考えていきます。
そもそもはレバノンのイスラム教シーア派武装組織ヒズボラによる襲撃・兵士拉致への報復として始まったイスラエルのレバノン攻撃。
しかし根は深い。
イスラエルは自ら仕掛けた1967年の中東戦争でパレスチナ領土(ヨルダン川西岸とガザ地区)だけでなく、シリアのゴラン高原などを占領。
さらに、78年3月にレバノン南部に侵攻。
82年には首都ベイルートまで地上軍が侵攻してパレスチナ解放機構(PLO)を追い出し、その後も、レバノン南部を占領。
2000年5月に撤退。
しかし、シェバ農場(45平方キロ)には居座ったままで、レバノン側はその返還を要求。

一方82年ごろイランの支援でつくられたヒズボラは、レバノン南部が占領されている間、イスラエルの軍と領内への武力攻撃を継続。
2000年のイスラエル軍の撤退を「軍事的勝利」として誇示。それを背景に一定の国民の支持を集め、議会に進出し政府にも参加。
しかし、国連安保理決議一五五九で武装解除が求められています。
レバノンのハリリ元首相暗殺をめぐり、シリア軍のレバノンからの撤退とともに打ち出されたものです。が、ヒズボラはこれを拒否。
これまでヒズボラへの抑止力となっていたシリア軍の撤退でヒズボラの後ろ盾となっているイランの存在がいっそう大きくなっていると今は懸念されています。

こんな中、戦況はますます混迷、深刻な事態になっています。
国連やG8でもイスラエルの軍事行動を初め、一切の攻撃を停止することを求めていますが、アメリカはイスラエルのガザ攻撃を非難する国連安保理決議に拒否権を発動。
「皮肉だよな、やつらの攻撃をやめさせるためにシリアにはたらけかけなきゃならないなんて」とブレア。
「アサドに電話してなんとかしろとコフィ(アナンのこと)に言いたい」とブッシュ。
二人のオフレコだったはずの会話がマイクの電源が入っていて全世界の知るところになったのは、
ロシアでの主要国首脳会議中。
シリアはヒスボラに影響力を持つので、昨年レバノンから軍を撤退しました。
しかし、暴走したヒスボラを縛る役目はシリアにさせようと言うブッシュとブレアのヒソヒソ話でした。
レバノンの首相は「国際社会は傍観するのか」と訴えています。
いえいえ。
国際社会はイスラエル侵攻を反対、阻止したいと願っています。
その思いに立ちはだかっているのは、
実は、
アメリカなのかもしれません。

なお、イスラエル問題は、
パックス・ジャパニカーナなどのサイトが詳しいと思います。

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レバノン攻撃

書かなければ、書かなきゃと思いながら纏まった時間がとれず書けなかった事。
その一番目がイスラエル問題。
今日はじっくり書きます。
中東和平特集に時系列でこの紛争関連が載っていますので興味のある方はご覧ください。

まずは今日までの状況を追っていきます。
イスラム教シーア派民兵組織ヒズボラの攻撃を理由に12日から開始したレバノン侵攻。
ガザ地区への侵攻に続いて13日から14日にかけて、ベイルートの国際空港、発電所、近郊の住宅地、レバノン南部の民家や学校、レバノン空軍の基地などを標的に空爆を実施。
一方、レバノンのイスラム教シーア派武装組織ヒズボラもレバノン領内から、イスラエル北部の各都市をロケット砲で攻撃。
世界各国が憂慮する中、アメリカは国連安保理決議に拒否権発動で決議は否決されました。
内容は以下のとおり。
国連でイスラエルのパレスチナでの軍事行動の停止を求める決議案を討議。採決は10カ国が賛成。イギリス、ベルギー、ペルー、スロバキアの4カ国は棄権。
 
そんな中、ますます状況は混迷を深めます。
イスラエル軍は14日には、首都ベイルートの国際空港を数回にわたって空爆し、滑走路、燃料タンク、格納庫を破壊。
ベイルート南部にあるイスラム教シーア派民兵組織ヒズボラの指導者ハッサン・ナスララ師の自宅とヒズボラの本部、ヒズボラ系テレビ局アルマナルの放送施設、レバノン東部にあるパレスチナ武装グループの基地に対しても空爆を行いました。
15日現在では、
イスラエル軍はレバノン中部のベカー高原を空爆。
ヒズボラは、イスラエル北部の都市サファドとナハリヤ、ガリラヤ湖畔のティベリヤ、湖の周辺に対してロケット砲攻撃。
16日、イスラエル軍がレバノンの首都ベイルートをはじめ、レバノン南部のスール、ナバティヤ近郊、東部のバールベック、北部のバトロウンを空爆。
南部では、非人道兵器のクラスター(集束)爆弾も使用されたとのこと。
イスラム教シーア派民兵組織ヒズボラも、イスラエル北部の都市ハイファとアッコーを長距離ロケット砲で攻撃。
拡大する戦況の中、
ロシアのサンクトペテルブルクで開催中の主要国首脳会議(G8サミット)は16日、中東問題で文書を発表。
パレスチナの武装抵抗組織ハマスとレバノンの民兵組織ヒズボラに拉致したイスラエル兵の解放を要求、イスラエル政府に対して自制を呼びかけました。
内容は以下のとおり。
中東地域の「問題の根源的原因は包括的な中東和平が存在しないことにある」と指摘。その上で、当面している危機は、この地域を「不安定化する過激派勢力」の活動から生まれているとして、パレスチナ・ガザ地区のハマスとレバノンのヒズボラを名指しで非難。
暴力停止の四条件として、
(1)拉致されたイスラエル兵の解放
(2)イスラエル領土への砲撃の停止
(3)イスラエルの軍事行動の停止とガザ地区からの撤退
(4)パレスチナ自治評議会の閣僚と議員の釈放。

一方、国連のアナン事務総長は平和維持活動(PKO)を行う国際部隊のレバノン南部への派遣を検討。
18日、この問題で欧州連合(EU)のバローゾ欧州委員長とブリュッセルで会談。
アナン氏はG8各国にも協力を求めました。
これに先立ち17日。
イスラエルのオルメルト首相は国会で演説し、レバノンとガザでの停戦の条件として、
▽イスラム教シーア派民兵組織ヒズボラやパレスチナの武装グループが拉致したイスラエル軍兵士の解放
▽イスラエル領内へのロケット攻撃の停止
▽イスラエル・レバノン国境地帯からヒズボラを排除してレバノン軍を展開すること
▽ヒズボラの武装解除を提案。

しかし双方共ますます攻撃の拡大を続け、
これまでに、レバノン側は、280人の死亡と1000人以上の負傷、イスラエル側は兵士を含む25人の死亡、170人以上の負傷が伝えられています。
避難民もドンドン数を増しています。
こうした事態をうけ、国連児童基金(ユニセフ)と世界保健機関(WHO)は19日紛争による民間人の犠牲と健康上の新たな危険に「深刻な懸念」を表明。


次に続く。

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2006.07.20

広島VS名古屋

時間の合間を運針のようにぬって、ぬって、ぬって、
昨日、名古屋の瑞穂陸上競技場に行って来ました。

J1リーグ戦の第13節。名古屋グランパスとの戦いを観るためです。
いよいよJ再開。
わがサンフレッチェは15位からの発進。
新監督・ペトロヴィッチ監督の初采配やいかに、興味津々のところです。
天気を心配しつつも、それ以上に気になるサンフレッチェ。
事前の公式情報では練習試合で負けたりと、やや不安。
しかし新監督はオシムさんと一緒に仕事をしたこともあって「走るサッカー」を目指していると言うことで楽しいプレーが期待できます。
瑞穂のスタジアムは陸上競技上なので、練習する選手の姿を遠くに見ながら一人ひとり確認。
ああああ=====
J再開。
改めて喜びを噛みしめます。
遠くの建物にいよいよ夜の影がしのびより、時間は7時。
キックオフ。
そしていよいよ試合開始。
ワクワク・ドキドキ・ハラハラ。
始まった!!!!
どうなるか、、、
そんな高揚感が消えるまもなく、早々にリが後から名古屋の選手を倒してPK。
0−1.
あああああ〜〜〜〜
がっかり。
がっかり。
とがっかりする間もなく今度は
駒野→ウェズレイへ縦パス→佐藤寿がワンタッチでスルーパス→ウェズレイがGKとDFを翻弄して空いたゴール。
ウェズレイ大活躍!!!

1−1。
同点!!!
その後、佐藤寿がDFラインの裏で受け、ここに飛び込んだ川島に倒されPK。
2−1。
逆転!!!
前半はこのまま逃げきることができるかと思ったのですが、
ロスタイムで名古屋にゴールをゆるし
2−2の同点で折り返し。
後半はリ・ハンジェに交代した八田が機能的に働き、
広島は何回も見せ場を作ります。
そして、
後半11分。
左サイドからのCK(森崎浩)が起点になりました。
このボールはいったんはクリア→こぼれを拾った青山のスルーパス→八田が反転して強烈なシュート→GKが弾く→こぼれ球に反応した佐藤寿が、角度のないところからゴール。
3−2!!!!
ヒ・サ・ト!!!
寿人がやりました。
やりました。
結局、このまま逃げきり広島は勝ちました。

広島はDFがいない中で駒野を使ったりとかなり厳しい台所事情でしたが、よくやりました。
青山選手が良かった!!!
観ていて楽しい試合でした。
選手が走る。
走る。
走る。
その走りの中に選手自身の楽しいという感じが観ている私たちにも伝わるプレーの連続で、
時間はアッという間に過ぎました(これは嘘。
後半30分くらいからは時計ばかり見てドキドキ)。
小野さんから望月さん。
そして今度のペトロヴィッチ監督。
それぞれの監督の考え方と方針の違いに選手たちも迷いが見え、吹っ切れない試合もままあったかもしれませんが、昨日の試合は選手たちが何よりも楽しんでいる姿が印象的でした。
まだまだ先は長い。
これから一山、二山、三山と試練は待っています。
しかし、
持っている力を信じてプレーして下さい。
私に出来ることは応援しかありませんが、
一生懸命、応援します!!!

サンフレッチェ!!!
ちゃちゃちゃっちゃ。

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2006.07.18

文を書く

夏休み前の7月14日。国立教育政策研究所が『特定の課題に関する調査(国語,算数・数学)』を発表。
調査は全国の小学4〜6年生と中学1〜3年生を無作為に選んで計3万7千人を対象に昨年1〜2月実施。
興味のある方は上のサイトをご覧ください。
詳しく内容分析がされています。
今回浮き彫りになった課題で特に目をひくのは、
「文章を書くこと」が嫌いという子どもが高学年になるほどに多くなることです。

文章を書く。
しかも自分の考えを相手に伝えるような文を書くことは、確かに難しい。

話し言葉ならどれだけでも話すことが出来ても、
いざそれを文に書き起こすとなると、大人でもすぐには書けません。
自分の思いや考えや感情の行ったり、来たりの中で右往左往しながら自分の意見を纏めていく作業は大変です。

思いつくままに、音が発するままに書いていくことは気ままで楽しい。
伸びやかにストレートに文字が原稿用紙を埋めていく。

空は青いよ。
いや、雨の日は鉛色だよ。
えええ????
鉛筆で落書きしたみたいだね。

とかとか勝手に無責任に書き綴ることは子どもたちにとっても、ちっとも苦ではない。
だがしかし、
こんな気ままな勝手な文さえも今、子どもたちからは消えていっている気がします。
「表現力」というモノサシが学校教育に入り込んでから、
子どもたちの表現・感性は評価の対象になったから、子どもたちは縮こまってしまいました。
さらに、
国語能力という項目で、子どもたちの論理構築の力が試されるようになってからは、
子どもは本当に書けなくなりました。
書いたって、ちっとも面白くないから。

今回の調査結果のまとめで、
なお一段と国語学習で多様な機会に文章を書かせる「指導」を指摘していますが。
「指導」
ねぇ?????

子どもたちが書くことに、
指導なんていらない。
まずはとにかく書く、書く、書く。
その中で、
いずれ子ども自身が「よりよく書く」「明確に相手に伝える」ことに気がつき
学んでいくものと思います。
焦らず、じっくり、ゆっくりと子どもたちの感性につき合ってほしいと思ったものです。

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雨の祇園祭

昨日、京都では祇園祭最大のイベント山鉾巡行が雨の中取り行われました。
普通なら、私はあのしの突く雨の中を傘をさして見に行こうなんて絶対思わないのですが、
夫の仕事仲間のドイツ人とウクライナ人(今はアメリカ在住)のご夫婦と以前から、一緒に山鉾巡行を見る約束をしていたので、
朝早く起き、夫と四条河原町まで出掛けました。
「こんな雨、誰も見に来ないよね、、、」とかとか6人で言いながら地下鉄を降り、
地上に出たら、
もう、そこは黒山の人だかり、いえいえ傘だかり(そんな言葉あるかぁ)でした。
やっぱり人は出るんですね、、、山鉾巡行ともなれば。
祇園祭については、ガイドブックなどで詳しくその由来やら歴史が書かれています。
もともとは疫病に対しての虞から、疫病神を松の木で吸い取るという由来ゆえ、
雨のこの時期の巡行は「厄除け」には向いているそうですが、
それにしても昨日の雨は凄かった、、、
折角の「歩く美術館」山や鉾の絢爛豪華な粧いが、すべてビニール袋に覆われて残念。
それでも一緒に参観した海外の友人たちは、とても喜んでくれました。
いろんな事を聞いてくるのですが、
日本語でも答えることの難しいことをいっぱい聞かれました。
難しくなると夫にバトンタッチ。
「山伏とは何か?」なんて聞かれて、
ええええ?????
「ブッダの修行をしている人たち」と答えて、私は内心「ほんまかいな」汗タラタラ。
「鉾の上で扇子を持っているあの人は何をしているの???」
と質問されたときは、本当に降参。日本語でも言えない。
「知らない」と正直に言いました。

特に私が凄いと感心したのはウクライナ人の奥さん。
彼女は夫の会議中に片っ端から京都のお寺見物。
私より、見ている。
そして彼女が言うことには「哲学の道が一番好き。
あの道を歩きながら人生を考えて、想像していたら凄く楽しい」。
うわっ〜〜〜〜思わず私は「貴女は哲学者ですね」と言っていました。
「イエス、イエス」と嬉しそうに答えて更に私に教えてくれました。禅寺の石の並び方を。
うう〜〜〜〜んんん。マケタ。
仕方がないので私は日本の歌を教えて、彼女からはアメリカの歌(アメリカに長い)を教えてもらいました。
一方ドイツ人のご夫婦は、歌舞伎に興味をお持ちでした。
着物とか書道が凄く楽しいと話してくれました。

先の記事でも日本の文化について改めて考えたことを書きましたが、
昨日はウクライナの彼女と話をしていて、私は「祖国」について考えました。
ウクライナは地理上の位置から、その歴史は絶えず侵略と征服のそれであることは他の国と同様です。
昨日、彼女と歩きながら、彼女が日本に求める「心」のようなものを知ったとき、
ふと思っただけで確かめたわけではありません、、、(今度会う機会があったらウクライナのことなどお聞きしよう)
しかし、私にとっては、彼女との出会いは刺激でした。
実際、自分が如何に日本文化について何も知らないかと思い知ったわけです。
彼女が、あんなに褒めてくれて、感動してくれた日本と言う国の文化・伝統をもう一度学ぶのもいいかなぁと思いました。
瑞穂の国と昔の人が讃えた日本。
この国が今、どこへ進もうとしているのかも含めて勉強をしようかと思った、
雨の祇園祭でした。

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2006.07.16

ジダンの罪 その2

ジダン問題。
いろんな所に飛び火。
“頭突き効果”ジダン映画客入り好調。ちゃっかりしています。
シラク大統領、ジダン擁護「許容できぬが理解できる。?????少々政治的かも。
また、『ジダン暴走』の背景などを考察することで社会問題にまで発展しそうです。
次第に、ジダンの暴力行為は「許容はできないが」「理解はできる」という形をとり、
やがて美化され、
ジダンは家族の尊厳を守るため、自らの栄光をもフイにした英雄になるのだろうか?????

うわっ〜〜〜〜〜〜
や・め・て・く・れ〜〜〜〜〜〜

私は声を大にして言いたい。
「ジダンは、カッとなって後先も考えず頭突きしただけだ」と。
ジダンには山ほど前科がある、、、
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
1998年フランスW杯でサウジアラビアの選手を両足で踏みつけ(2試合出場停止)。
ユベントス時代の2000年チャンピオンズリーグではハンブルガーSVの選手へ頭突き(5試合出場停止)。
レアル・マドリード時代の2004年リーガ・エスパニョーラではムルシアの選手に対して頭突き。
2005年のリーガではビジャレアルの選手に対して突然平手打ち。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
さて、その後のインタビューで、その理由をアレコレと言っていますが、
巷で言われているような「人種差別」発言には自ら言及していません。
「母と姉に対して耐え難い事を言われた」と言っていますが、、、

人種差別の論理を導いてきたのは「周り」ではないのでしょうか?
周りの憶測とジダンの環境がそうさせたのではと思うと、
こんなに「差別」「差別」と声高に叫ぶ意見に逆差別を感じてしまう私です。

ところでジダンってそんなに不遇を託っていたっけ?????
その出生でハンディーを背負って、背負って、背負って、
投げかけられた一言、二言が機関銃のように武器になるほど、
彼の人生はルサンチマンの固まりになっていたっけ?
と言うことはついぞ知らない私だが、、、

私は言いたい。
今、ジダンを認めようとしている方々に。
「ジダンだけが耐えているのではない。」と。

今回の事件で私は改めて本棚からピクシーの事を書いた二冊の本を取り出しました。
悪者見参—ユーゴスラビアサッカー戦記
誇り—ドラガン・ストイコビッチの軌跡です。
ドラガン・ストイコビッチ。
ユーゴスラビア代表。
あの戦禍の中、ドラガン・ストイコビッチ。
セルビア人として生まれ、たえず民族紛争という政治を抱えサッカーをしつづけたピクシーその人のことを思い出しました。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
旧ユーゴスラビア連邦出身の選手には、民族紛争や連邦分裂等の複雑な事情に対して、スポーツ選手という立場を政治的主義の主張に利用する者もいたが、ストイコビッチは「スポーツと政治は無関係」という立場を貫き通した。1999年のNATO空爆に対しては、ユニフォームのアンダーシャツに書いた「NATO Stop Strikes」(NATOは空爆を中止せよ)のメッセージを見せるパフォーマンスを行うこともしたが、彼は「これは人道的な観点によるメッセージであり、政治的な意味は持たない」とした。

なお、彼をこの行動に駆り立てたのは、92年にイタリアへレンタル移籍されている最中に、チームメイトから「悪魔のセルビア人」「ドラガン・ミロシェビッチ」呼ばわりされたことも一因だった。90年から始まる一連のユーゴスラビア紛争では、独立の気概を持つ諸国が、セルビアに一方的に弾圧されているという決めつけの報道がなされており、ユーゴスラビア対岸のイタリアでさえそう受け止められていた。
(Wikipediaより抜粋)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
彼が周り中から投げかけられた罵詈雑言は、ジダンの比ではない。

再び二冊の本を閉じたとき、
私は改めてジダンの暴力に対して、なんの正当性も感じない自分を見ています。
この問題、もう私の中では解決と言うことでここまで。

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2006.07.15

日本文化

昨日、京都御所に行って来ました。
海外の友人のつき合いで、一緒に参観しました。
私は御所は初めての参観なのですが、
同行したドイツ人のお一人は、何回も御所をご覧になっているとかで、
私より詳しい。
夫が今、国際会議中。
私も夫の手伝いをしていました。
(私は、殆ど日本人とばかり交流だったのですが、、、)
世界の国々からみえた研究者と、その同伴者のためのツアーとかがあって、
私も随行。
二条城、金閣寺、竜安寺などを参観。
二条城は廊下のキュキュが楽しく、また狩野派の絵も圧巻。
金閣も、あのキンキンがうけていましたが、
竜安寺は、難しかったかも???
禅の教えは、日本人でも難しいから。
少なくとも私は石庭の域には到達していません。

また日本文化教室では、
着物着付けとか書道、生け花、茶道、折り紙など大好評。
着物って、私たちも着る機会が少なくなりました。
改めて見直しました。


夜のバンケットでも芸子さん、舞妓さんが大人気。
こんな機会でもなければ触れることの出来ない日本芸能に触れることができました。
♪月はおぼろに東山〜〜〜〜
です。
和太鼓も大好評。
迫力がありました。

普段、何気なく思っている日本の文化。
一応、私もお茶やお花や習ったことはあったのですが、
ひたすらキライでした。
今から思えば、もっとあの頃真面目にやっていれば良かった。
海外の方とこの一週間たらずをご一緒して、
改めて「日本のよさ」を思いました。
伝統の一つ、ひとつや、
その思いの一つひとつに心を寄せ、
先人の遺したものの偉大さを感じました。
そして未来の子どもたちに伝統・文化を丁寧に伝えていきたいと思いました。

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ジダンの罪

遅くなりましたが(実はこのところネット環境にいなかったのです)ジダン問題について。

ズバリ
誰が何を言おうとも、
いえいえ本人が何を言おうと、
悪いのは
ジダンの行為
です。
断罪されるのはいかなる理由があるにせよ、その解決(?)を暴力という手段に訴えたジダンその人の思慮の浅さです。
巷間で言われているようなことがあったか無かったかは、
真相は薮の中です。
これから以後は、当事者を含めいろんな方が何を言おうと全て「後知恵」.
到底真実へと導く事はないように思います。


さて私。
その後のジダンに少々怒っています。
いえね。何がって、相手の選手に謝らないどころか、
本来は自分自身の問題(つまり熱しやすい、暴力をふるうとかとか、、、)を社会問題にすり替えたことに怒っていますね、、、
本当にイタリアDFマルコ・マテラッツィが耐え難い差別発言をしたとするならば、
そして、そのような発言を許すことが出来ず、糾弾すべきだと考えたのなら、
ジダンは別の機会に別の形でやるべきでした。
彼があの時取った行動は「ただの暴力」です。
カッとなって頭突きをしただけです.
あの事件のほんのちょっと前、両チームの選手のエキサイトなプレーが何度もありました。
中断も何回かあり、
そんな中、再開直後の「頭突き」でした。
見ていた私も「あっちゃ、、、そりゃレッド」と納得。
あこまでやるか、、、とは思ったものの、
ジダンは熱いから「らしい」とも思ってあの時はそこまでだったのですが、、、
それがいつのまにか決勝の試合内容は影を潜めました。
いろんな選手の華麗なプレーとか、
ドイツのカーンの頑張りとか,
ベテランや若手の素晴らしいプレーがいっぱい繰り広がられたW杯。
しかし、この事件でサッカーそのものの醍醐味が吹き飛んだことに
怒っています。
サッカーのサポータ・ファンなら、スタジアムでの相手チーム(自分のチームの選手にも)への罵りあいなんて、
日常じゃないですか。別に本気で言ってるわけじゃないって、みんな分かっています。
ましてや選手はなおさらです。
自分のチームのサポーターの野次に晒され、
相手チームの挑発に耐え、
プロとしてプレーしているのです。
なにもジダンだけが特別ではない。
ジダンを許せば、
いずれサッカーのピッチはホマロケファレだらけになります。
あっちでも、こっちでも頭突き???

今回、ジダンが行ったことへの同情や許しをテレビのワイドショーで見たり聞いたりします。
「あのジダンが」と言う意見を言われる方はジダンを過大評価しています。
「ジダンも普通の人だった、、、」と許す方もジダンを過大評価しています。
私はこのような考え方をもっと突き進めると、
これは小さな暴力から、大きな暴力を認める考えを切り開くのでは、と憂いたりします。
暴力はいけない、と誰もが認める。
しかし、こんな理由だったら、
この人だったら、
ゆるす。
と、言う考えが知らずしらず私たちの身の回りに溢れてきたら、、、
それは、とても由々しきことではと私は思います。
いずれにしても、
私たちがジダンに求めるものは、
相手選手への謝罪ではないでしょうか???

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2006.07.07

七夕

今日は七夕。
以前の記事かささぎの渡せる橋というタイトルでその由来と昔の人の歌に託した思いを書きました。
また
7月7日と言うタイトルで昨年は廬溝橋事件が勃発した日でもあると書きました。
そこで今年は、
短冊の由来というサイトを参考に、短冊の「色」について。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
短冊が5色なのは中国の五行説の影響で、万物は木・火・土・金・水の5つの要素から成るとする五行思想に基づいて、木・火・土・金・水にそれぞれ対応する色の「青・赤・黄・白・黒」の5色を短冊にあてはめたのである。
(上記サイトより)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
と、言うことで五色の短冊は五行説に由来していたのです。
因みに、黒は墨と同じ色なので紫に変えました。
万物の移り変わる様を表す五行説になぞらえ、
「願い事」を人は書く。
そこには、
願っても願っても叶わぬものへの、倦く事なき思いが感じられます。
雨を含んだ風は重い。
とても笹の葉サラサラとはいかない。
この時期、夜は雲に覆われることもある。
見えない雲の彼方で、
織り姫とひこ星が一年に一度の逢瀬を楽しんでいることを想像しながら、
昔の人は、
叶わぬ、叶うを越えて願い事を星に託しました。

そんな七夕。
あなたは何を願うのでしょうか?????

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2006.07.06

時計じかけのオレンジ 再考

「時計じかけのオレンジ」が今、そこにと言うタイトルで、スタンリー・キューブリックの映画について感想のようなものを書いたのは2004年の6月末日。
そこで私は次のように書いています。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
2004年の今。
この映画を、思い出すと、
「まぁ、なんと、現代によく似ていることか。」と驚いています。
若者たちの、未来への不安や不満。
国家による、統制、規制。
その危なっかしいバランスが、
新しい危機を生み出している現代。
「昼か夜か」
「善か悪か」
「全体か個か」
「金持ちか貧乏人か」
「賢いか否か」
「、、、」
二つの対極にある価値観の中で、
揺れに揺れています。
この秤のメモリが、
いずれの側に傾いても、
それは、「破滅」の一歩のような気がします。
そして、
どちらに動いても、
「国家」という権力がさらに強くなり、
私たちを、さらに統制、規制、強制していくような気がします。
それに、立ち向かう手段が、
映画「時計じかけのオレンジ」の主人公のように
なるしかない、、、
そんな時代に突入しようとしているのでしょうか???

なんだか、
この頃のいろんな世の中の動きを見ていて、
考えてしまいました、、、
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

そして2年後の2006年、この文を読むとさらに事態は深刻。
連日のように凶悪な犯罪が報道され、
裁判の判決がニュースになる。
山口の母子殺人事件しかり。
広島の女児殺害事件しかり。
或いは、
あるいは、、、と。
テレビの報道や解説の識者の意見を聞くたびに、
このごろ「時計じかけ」が頭をよぎるのです。
いえね。
犯罪者に対してでなく、一般の私たちが、あの「洗脳」の社会に組み込まれていくのではないか、、、、
そんな恐怖がムクムクと湧きます。
犯罪の本質を見極めることなく、
重い刑罰が行き着く先は何か。
考えさせられます。
犯罪者への更生と言う名のいわば精神的去勢。
悪を封じこめた時、その犯罪者の人格は破壊される。
それはいっていの安寧を得た、と思う。
しかし、それは錯覚であった。
破壊された人格はより巨大に化け物と化す。
そして映画は終わると言うなんともやりきれないテーマなのです。

監督のメッセジーは何か
犯罪者が人権を保障されるとき、私たちも、その社会で人権が守られる。
キューブリックは、この映画で時代に問題を投げかけ、
そして問うた。
答えを出すのはその時々の「我々」です。
今、私たちは問いを投げかけられています。
主人公のような人格さえ認める社会と、
犯罪者は徹底的に洗脳・精神的な去勢する社会といずれが健全な社会かと。

この様に、たたみかけていると私は思いました。

あなたは、どう思われますか?

私は、社会が守るべき者は「すべからく」人権ではと考えます。
犯罪者になんの人権ぞと思う社会は、
一般人の人権にも冷たいと思います。

法律は罪は裁くが人は裁けない。
ならば、社会そのものが、子どもからお年寄りまで人権を守り、敬意を表する、そんな時代を作ることに努力していけたらと、、、と願いながら。

また、少々、牽強付会かと認めながらも、
道徳の強制が何をもたらすかをも語っているのではと考えています。

なお「時計じかけのオレンジ」から人間性を考えるのサイトが詳しく分析しています。

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2006.07.05

飛翔体?

ううううう====んんん
わからない。
北朝鮮が6回ミサイル発射 「テポドン2」の可能性と言うニュースが今朝、飛び込んで来ました。
W杯を見ている最中のこと。
えええ????
ナァ〜〜〜ニ。これ。
とか思っているうちに、ドンドン発射回数が増え、
今では公式は6発(韓国は10発と報道)。
うううう〜〜〜〜んんん
本当に分からない国です。

私も今朝は朝のニュースからワイドショーまで見ていました。
評論家、識者も結局は、アメリカへの意思表示か?
と、いうところで落つきつつあります。
では、私たちは何をするか?
と、問われたら、、、
やはり日本政府には北朝鮮に対して厳重な注意・抗議と、
六カ国協議への参加を促すことを強く求めるのが、今、一番ではと思います。
また国際社会への対応としては安保理だと考えます。
いずれにしても、
迂闊に挑発には乗らないように、
この問題、しっかりと見ていく必要を感じます。
これからも、縷々書き加えていきます。

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2006.07.04

人生は旅か?

昨日、ヒデが“人生とは旅であり、旅とは人生である”であると書いて引退宣言したことは、前の記事にも書きました。
ヒデの引退についての残念な思いは、もう書いたので、
ちょっと「人生は旅か?」について。

人生。
確かに旅に譬えられる事が多いです。(道に譬えている方も多いようですが、、、)


〜〜人生は己を探す旅である。(藤本義一)〜〜
まさに今のナカタの心境か。

あるいは奥の細道か。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。
舟の上に生涯をうかべ馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして 、旅を栖とす。
古人も多く旅に死せるあり。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
芭蕉の「旅」と「人生」は、なんだか切実なものを感じます。
それは、
謀反の疑いをかけられた有馬皇子(658年刑死)が詠んだ歌と相通じるような気がします。
「家にあれば笥に盛る飯を 草枕旅にしあれば椎の葉に盛る」。
意味は、家にいたら立派な食卓で食べることができる食事も、旅では、そこらの草の葉に盛って食べるというものです。
落ちていく者の悲しみと誇りと矜恃が伺えます。
なお、ここから
旅を指して「草枕」と言う言葉が出てきました。


あるいは山頭火。
〜〜分け入っても 分け入っても青い山〜〜〜〜
旅は終わらない。
そう、♪ヘッドライト テール タイト 旅は終わらない、、、なのか。
この山頭火の歌は、優しさと、彼のトッポサが出ていて、私は好きです。
山頭火はいい。
「まっすぐな道でさみしい」と謳った山頭火。
♪日暮れの山道、くらい道を思ってしまう。
迷ったときに、優しく手を差し伸べてくれる気がします。

あるいは啄木。
〜〜旅に出たき夫の心 叱り泣く妻子の心 朝の食卓〜〜

らしい。
なんとも啄木らしい。
彼の身内に滾る流浪の思いは、彼の真実を求めてやまないソコからきているのだろうと私は勝手に思っています。
ところで私は啄木の中では、一番、次の歌が好きです。
〜〜不来方のお城の草に寝ころびて 空に吸われし 十五の心〜〜
ううう====ん。
何回詠んでも好き。
何回見てもいい。

さて、次は万智さん。
〜〜旅人の荷物のなかに
   「心」という軽くて重いものを見ており〜〜
万智さん。西行がお好きなのかな???

と、言うことで人は人生を旅になぞらえ、
旅に人生を見ながら生きていくようです。
ともに、よりよく生きたいと言う思いを込めて。

そして、最後は「草枕」のさわりで締めましょう。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
山路(やまみち)を登りながら、こう考えた。
智(ち)に働けば角(かど)が立つ。情(じょう)に棹(さお)させば流される。意地を通(とお)せば窮屈(きゅうくつ)だ。とかくに人の世は住みにくい。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

さて、私。
いまだ人生は語らず。
です。

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ヒデ 引退。

“人生とは旅であり、旅とは人生である”2006.07.03とホームページに書いてナカタは引退表明。
昨日のことです。
ビックリでもあり「やっぱり」という思いもあります。
残念です。
とても。
そして淋しい。
あの美しい立ち姿がもう見ることができないなんて、、、

理由とか、今後は中田さんが熟考の末のことだから私には本当のところは分かりません。
ただ、サッカーのファンとしては残念です。

では、中田ヒデさんとは別の所で、ヒデさんの引退宣言“人生とは旅であり、旅とは人生である”
を見てみましょう。

最初にヒデさんは、サッカーとの出会いを語っています。
中田少年の「ひたすらゲームを楽しむ」姿は何事をするにも一生懸命になる今のナカタの原点なのでしょね。

そして、次にホームページでは、サッカーがヒデさんの人生にあらゆるものを与えたと言う。

本当にそうだろうか????
こんな言葉、語るにはまだ若いと私は思う。

そして遂に引退を決意し始める頃を語り、
何も特別の理由や出来事がないが、自分探しに出掛けたいと言う。

「自分探し」

うわっ〜〜〜〜
ヒデ。
そりゃないよ。
それって絶対無い。
あまりに哀しい。
本当は理由があるんでしょ。
特別な出来事も理由もなくサッカーを卒業するってのは、
今、現役でやっている選手にとても失礼。
熱い思いでどこでも応援に出掛けるサポータ・ファンに失礼だと私は思います。
そんな「自分探し」の旅にでるなんて理由で、
サッカーをやめて欲しくはない。
もっと、泥臭い理由でやめて欲しい。
「みんな俺の言うこと聞かない」とか
「体力の限界」とか
「もっと良い仕事を見つけた」とかとか。
自分探しの旅にでるなんて格好良すぎてイヤだ。
いえね。
普通は、個人の領域に属する「心」の問題ですから、
誰も、止めることはできないわけです。
何人もその決意をとやかくは言えない。
しかし、
自分探しの旅というのは少々、ヒデには似合わない。
これを読んで私は気恥ずかしいと思ったのです。

そして、
ファンやサポーターへの感謝とサッカーの思いを残して、
ヒデは去りました。

何回、読んでも納得できない私。
私はヒデじゃないから彼の苦悩の本当のところは分からない。
彼の思いの真実は探り当てることはできないのだろう。
が、
が、
“人生とは旅であり、旅とは人生である”
からは何も読み取れない。

今は分からないことでも時間が解決していくこともあるから、
「今はわからない」でいいかぁ。

いずれにしても、
ナカタは好きだった!!!
ありがとう。
ヒデ。
華麗なあなたの立ち居振る舞いが、とても好きでした。

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2006.07.03

作家の力量

芥川賞・直木賞の候補作決定と言うことで、また楽しみが出来ました。
残念ながら私は候補の作品はまだ読んでいないのですが、、、

さて、このニュースを見ながら、いつも思っていることを今日は書きます。
実は私、
難解な文章・テーマが苦手なのです。

以前も書きましたが、村上春樹の「海辺のカフカ」。
ついていけなかった、、、
いえね。面白いはおもしろいのです。
ところが、読み進むうちに「迷子」になるんです。
冗長というのかなぁ。
しかし、世間は「海辺のカフカ」は凄い。
と、言う。
すると私は悩むのです。
あああーーーー読みきれていない私の力不足かぁ、、、とかね。
そして、もう一度読む。
途中までは、面白い。
しかし、
最後まで私のテンションは続かない。
ねじまき鳥もダメだった。
そこで、私は、「村上春樹って、どうもあわない」と思う。

とっころがギッチョンチョンなのです。
先日、村上の「鏡」という掌編小説を読みました。
これが面白かった。
非常に。
と、いうか怖かった。
この怖さは、栗本薫の「さらしな日記」の怖さに相通じます。
日常に潜む、何気ない怖さ。
ゾクッときます。
誰でもが感じる不可解な日常のある部分を、
ゆっくり、ザックリと切り取り、
読み手は、作者以上に自分の想像に揺れる。
読み終わった後はひたすら「怖い」。
別におどろおどろしいモノは何一つ出ていないのに、、、
これぞ、まさしく筆力か、力量か
と唸ります。

私は、「鏡」を読んで、何を今更と思いながらも
「村上春樹って文章、上手い」と不遜にも評を下していました。

ピカソってデッサンの腕は一流であったと言われています。
一流の基礎の上に、あの抽象があるのです。
(私なんかが書いたら、ただの下手です)
村上春樹も、手堅い掌編小説の上に、あの難解な長編があるんだ、、、と納得。

と、言うことで
〜〜何事も一流と言われる人は、基礎がしっかりしている〜〜
と言う、まるで月曜日の「朝の会」の校長先生のような話で、この話はおしまい。

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2006.07.02

実感。住民税

実感。
住民税があがった!
苦しぃいいいい〜〜〜〜

介護保険料
あがったね。いつの間にか、、

2004年度の税制「改正」で老年者控除の廃止、公的年金等控除の縮小。
2005年度の税制「改正」で所得税・住民税の定率減税の半減、高齢者の住民税非課税措置の撤廃。

ああ====思い起こせば、そんなことあったっけ。
そんなこと言っていたなぁ。
でもまだ先か、なぁんて思っていたアナタ。
来ました。
来ました。
この6月に。

この頃、友人と会うたびに、住民税の値上げのことばかり。
本当に生活が苦しくなったと実感。
私だけではない。とも実感。
おいおい、
これって詐欺???
と、私は小泉さんを初めとして政府与党に聞きたい。

そこで、もう一度おさらい。
公明党。
基礎年金の国庫負担引き上げの財源案として、2003年9月の「年金100年安心プラン」を掲げ、
衆院選のマニフェストに、なんと年金課税の強化や定率減税の見直しを掲げました。
「高額所得の方々から少し税金をいただこうという案だ」(神崎武法代表、03年10月10日)
翌年四年度の「与党税制改正大綱」にちゃっかり書き込んだのです。

===高額所得の方々から少し税金をいただこうという案だ===
おいおい、誰が高額所得者なんだ?
どこが少しの税金なんだな???

自民、公明両党は、定率減税を全廃することを「与党税制改正大綱」で合意し、先の通常国会で強行したことは記憶に新しい。
私は何回もここで「反対」を訴えていました。
定率減税は、嬉しい。
確定申告の時、この制度の有り難みをいつも感じて書き込んでいた私には、全廃されることは絶対、反対だったのだが、、、

昨年の衆院選のさい、「サラリーマン増税」は行わないと公約した自公両党。
忘れません。
絶対、言いました。
しかし、その後サラリーマン増税はしないが、、、と詭弁を言って数々の増税法案を通しました。

実感。
住民税があがった。
生活が苦しくなる。
このままじゃ「民のかまどから煙は立たなくなるよ」、、、
こいずみさぁ〜〜〜ん。

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郵便局再編計画

日本郵政公社は先月28日、郵便物の収集・配達、貯金や保険の集金を行う集配郵便局のうち1048局で集配業務を廃止することなどを盛り込んだ郵便局再編計画を発表しました。内訳は以下のとおり。
集配業務を廃止する郵便局は、北海道160局、新潟県55局、広島県46局、長野県45局など地方の過疎地に集中(大阪で3局(集配局の3・9%)、東京5局(4・7%))。
郵政民営化論争の当初からの懸案事項であり、
まぁ予想通りと言うか、想定の範囲内ではあったのですが、やはりこうして再編計画を見ると改めて、
私たちはとんでもない法案を通貨させたのではと思います。

さて、この再編計画は、2007年10月からの分社・民営化に向けて、同公社が職員の配置見直しとコスト削減を図るためとして検討してきたもの。
窓口だけでなく郵便物の集配、貯金・保険の集金など外務も担う4696局ある集配郵便局(全国2万5000の郵便局のうち)は、分けられることになります。
郵便物の集配、仕分け、窓口業務を行う「統括センター」(1088局)、
集配、窓口業務を行う「配達センター」(2560局)、
窓口業務だけの無集配局(1048局)。
そして無集配局となる局の郵便物の集配や集金は、近隣の統括センターや配達センターが行うことになります。
集配業務がなくなると具体的には次のようなことが心配されます。
配達の遅れる地域が出ること。
土日などの時間外窓口が原則廃止になること。

この計画が実施されれば住民サービスの低下は明白です。
集配廃止で収入源が窓口手数料だけになると、採算が悪化して更に郵便局の存続自体が危うくなります。

では、ここでもう一度民営化前の竹中さんと総理に登場していただきましょう。
「特に過疎地の郵便局はきっちりと間違いなく維持される」(2005年7月21日)
「過疎地についてはもちろん現状を維持する」(2005年8月5日
竹中郵政民営化担当相 
小泉さんは一貫して、
「万が一にも国民の利便に支障が生じないようにする」と繰り返すだけ。
 
しかし、
それはウソでした。
過疎地の郵便局、潰そうとしています。
国民の生活に支障をきたそうとしています。

郵便局は、郵便の集配もモチロン、
大災害が起きたときに救援・復興の地域拠点として大きな役割を果たしてきた事も知るところです。
阪神大震災で集配局は発生直後には救援物資の配達や安否の確認、復興期には被災者の転居先追跡、仮設住宅の訪問で住民を支えたことは広く知られています。
実際、あの時は私たちも信頼のおける郵便局に救援物資を送りました。
また住民の環境を一番良く知っているのは郵便屋さんです。
きめ細かなサービスが、一つ消え、二つ消え、、、
ガサガサとした郵便事業だけが残るのだろうか?

そもそもこれは公約違反ではないだろうか???
官から民へと謳い、
民間で出来ることは民間に。
でも大丈夫。サービスは低下しません。
あすなろ村の郵便屋さんは紙芝居で言った。
郵便局はコンビニになるんだよ。
なんでも、ニコニコ笑ってやります。届けます。
と。

嘘でした。
ゴメンナサイ。

と、紙芝居は終わるのでしょうか???

おいおい。
小泉さん。
竹中さん。
そりゃ無いよね。

ちゃんとご自分の公約、守ってください。
==「特に過疎地の郵便局はきっちりと間違いなく維持される」==
==「万が一にも国民の利便に支障が生じないようにする」==
私たちは、忘れてはいません。
あの時の総理と竹中さんの迫力(?)ある言葉と輝しい(?)未来を。

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W杯 4強出揃いました

準々決勝・ブラジル—フランスはフランスが1−0で勝ちました。
その前に行われたポルトガルが準決勝進出も番狂わせ(?)でした。
結果、ドイツ、イタリア、ポルトガル、フランスとヨーロッパが残りました。
さて、どうなることやら楽しみです。

イタリアの試合は生放送で観ていないのでなんとも言えませんが、
あとの三試合は、なんとか途中つなぎつなぎ(つまり寝ていたということ)観戦しました。
ドイツ、、、、しぶといの一言。
ホームとは言え、強い。
日本代表との親善試合が嘘みたい。
(嘘だったのだ!!!)
ポルトガル、、、?????
あの力は、試合を重ねる毎に強くなる。
次はデコが戻る。
楽しみです。
イングランドは一人少ない状況で、頑張っていたのですがねぇ。PKで敗れました。
言いたくないが、多分多くのイングランドファンは戦犯は、ルーニーと思うだろうな???
フランス、、、華麗なサッカーでした。
ジダンの頑張っている姿が嬉しい。

と、言うことで、いよいよ準決勝。
どこが優勝するか???
ブラジルが消え、
イングランドが消えた。
どこが勝ち進むか。
うううう????
たまりませんね。この成り行き。
目が離せません。

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2006.07.01

ドイツーアルゼンチン戦

PK決めた独選手が「挑発」 アルゼンチン戦直後に乱闘と言うニュース。
事の真相は分かりませんが、残念なことです。

私もライブでこの試合、観ていたのですが、
眠くて、結局真剣に観たのは、延長戦からです。
個人的にはアルゼンチンのサッカーの方が面白いと思ったのですが、
ドイツはそこはそれ「ゲルマン魂」とやらで、PKにまで持ち込みました。
ここまでくれば、GKの力が歴然と現れ、結局ドイツの勝ち。
今まで、PK戦にもつれ込んだ試合をいっぱい観てきましたが、
今朝のPKほどドキドキ、ハラハラ・ワクワクしないPKも珍しい。
普通は、
選手が蹴るごとにドキドキ。
感情移入は、あっちのチーム、こっちのチームへと忙しい。
しっかし、今日はなんともアッサリと決まりました。
アルゼンチン。
残念。
魅せるサッカーをしてくれたチームがまた一つ消え、
いよいよ、頂点への道を求めて熱戦が繰りひろげられます。
眠れない夜は続く、、、

そう言えば、
その後テレビでウィンブルドンやっていましたね。
杉山さん、スッゴイ。
ヒンギスを破りましたね。
おめでとうございます!!!
我が家では、解説をしていた伊達公子さんが、なんと美しくなったのかと言うことで盛り上がっていました、、、

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誰のための日米同盟?

今日7月1日は自衛隊52才の誕生日。
二年前の記事で書いた以上に自衛隊の今後が懸念されます。
テレビでも、このところ小泉さんの訪米が話題です。
小泉さんがアメリカ肉食べようと(食べました。)
プレスリーの真似(?)をしようと、私はどうでもいいのですが、、、
やはり気になるのは、「21世紀の地球規模での協力のための日米同盟を宣言」した共同文書「新世紀の日米同盟」の発表です。

この5月に最終合意した在日米軍再編について「歴史的な成果」と強調した揚げ句、共同文書では、合意の「完全かつ迅速な実施」を謳っています。
在日米軍の再編と実現していく責任を強調。
イラクでは「(日本はイラクやインド洋に)空輸力と海軍支援を提供し続ける」と述べました。
北朝鮮の問題では、拉致問題やミサイル発射問題などで「さまざまな圧力」をかけていくことで一致。イランの核開発問題では「断固たる態度で臨んでいく」ことで一致。

北朝鮮への圧力をどの様にかけるかという具体案については示されませんので、
私もこの問題については、なにも言えませんが、横田めぐみさんを初めとして、拉致被害家族の方々の気持を思うと、本当に一刻も早い解決を願うばかりです。
果たして経済制裁が功を奏すだろうかとは、思うのですが、、、
また、あのよく分からない「北朝鮮人権法案」も未だにしっくりとしませんねぇ。
イランの核開発。
これも断固と臨むことはいいと思うのですが、国連主導で臨むことがベストであり、またそれ以外の選択は誤りだと思います。
と、言うことでいよいよ我が国に関してですが、
これは、もう「やめて、、、、」と小泉さんに言いたい。
小泉さん。
勿論、アメリカとも仲良くすることは大切ですが、
アジアとの外交をもっと、もっと重視して、大切にすることが今、一番に成すべきことではと思います。
今のままでは、私たち日本人は「アメリカに組み込まれていく」。
日米同盟だけが世界ではありません!!!

小泉さん。
国民に痛みを押しつけ、
押しつけ、
押しつけ、、、、、
ついには、負担だけでなくアメリカの肉に食料。
アメリカ軍の基地に思いやり予算。
どこか間違っていませんか???
アメリカを養う体力のある日本国民は、いずれいなくなります。
誰の為の日米同盟???

私は、私たち日本人のために税金を使う事を望みます。

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文月です

今日から7月。
文月(ふづきです。
たなばたに託して書(ふみ)をひらくから文月とも、
あるいは穂含(ほふくみ)月から転じたとも言われています。
英語では、July。
5番目の月を意味するラテン語クウィンティリウスにジュリアスシーザが生まれました。ジュリアスシーザの誕生月に当たるこの月の名をシーザの名にちなんでラテン名ユリウスと改めたそうです。(現在では、IuliusはJuliusに置き換えれています。)

と、言うことで今日はシーザについて。

「賽は投げられた」
「ブルータス、お前もか」
とかとか名言を残している(?)とされるガイウス・ユリウス・カエサル
その生涯は劇的の一言に尽きます。
小学校の時、図書館で世界の偉人伝とか言う本を片っ端から読んでいた私は、シーザ、その人を知ったのも、その偉人伝からです。
幼いなりに、暗殺のシーンは泣けました。
その後、中学に入って世界史を習うと、早々にカエサルと言う名で登場。親近感を覚えたものです。
歴史の表舞台に登場する英雄たちは、当然「時代の子」であり、時の必然で生まれたものです。
カエサルもその例外でなく、そしてその末路も然り。
カエサルの生きた共和制最末期のローマ。
すでに一部の有力者により元老院の指導体制は崩壊しており、カエサルはいわばその死水を取ったに過ぎないともいわれているし、事実そうであったと思います。
カエサルでなくても誰かがいずれ、そうしていたのでしょう。
しかし、カエサルその人であったと言うことも事実。
自らの選んだ道で、自らの最期も必然であったとも思います。

やがて風化され、彼方に消えていく一人の人間であったとは言え、
その成したことは今に学ぶことが多い。
ローマ人の物語〈4〉— ユリウス・カエサル-ルビコン以前で塩野さんの言葉、ちょっと今に通じます。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
虚栄心とは他者から良く思われたいという心情であり、野心とは、何かをやり遂げたい意志であると思っている。他者から良く思われたい人には権力は不可欠ではないが、何かをやり遂げたいと思う人には、権力は、ないしはそれをやるに必要な力は不可欠である。
ところが、虚栄心はあっても野心のない人を、人々は、無欲の人、と見る。またそれゆえに、危険でない人物、と見る。かつがれるのは、常にこの種の「危険でない人」である。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

さて、カエサルは、政治的な目標を達成するという野心が虚栄心に勝っていた。
一方ポンペイウスの方は、社会・民衆から承認されたいという虚栄心が野心を上回っていたという。
本当のところはわからない。
それにしても、
話題の「ポスト小泉」の方々を思いだしながら、
政治の表舞台に担がれるのはダ・レ?と思って改めて考えたりしています。

いずれにしても、
もう一度、塩野さん。
読んでみようかなぁ、、、

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