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2006.07.06

時計じかけのオレンジ 再考

「時計じかけのオレンジ」が今、そこにと言うタイトルで、スタンリー・キューブリックの映画について感想のようなものを書いたのは2004年の6月末日。
そこで私は次のように書いています。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
2004年の今。
この映画を、思い出すと、
「まぁ、なんと、現代によく似ていることか。」と驚いています。
若者たちの、未来への不安や不満。
国家による、統制、規制。
その危なっかしいバランスが、
新しい危機を生み出している現代。
「昼か夜か」
「善か悪か」
「全体か個か」
「金持ちか貧乏人か」
「賢いか否か」
「、、、」
二つの対極にある価値観の中で、
揺れに揺れています。
この秤のメモリが、
いずれの側に傾いても、
それは、「破滅」の一歩のような気がします。
そして、
どちらに動いても、
「国家」という権力がさらに強くなり、
私たちを、さらに統制、規制、強制していくような気がします。
それに、立ち向かう手段が、
映画「時計じかけのオレンジ」の主人公のように
なるしかない、、、
そんな時代に突入しようとしているのでしょうか???

なんだか、
この頃のいろんな世の中の動きを見ていて、
考えてしまいました、、、
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

そして2年後の2006年、この文を読むとさらに事態は深刻。
連日のように凶悪な犯罪が報道され、
裁判の判決がニュースになる。
山口の母子殺人事件しかり。
広島の女児殺害事件しかり。
或いは、
あるいは、、、と。
テレビの報道や解説の識者の意見を聞くたびに、
このごろ「時計じかけ」が頭をよぎるのです。
いえね。
犯罪者に対してでなく、一般の私たちが、あの「洗脳」の社会に組み込まれていくのではないか、、、、
そんな恐怖がムクムクと湧きます。
犯罪の本質を見極めることなく、
重い刑罰が行き着く先は何か。
考えさせられます。
犯罪者への更生と言う名のいわば精神的去勢。
悪を封じこめた時、その犯罪者の人格は破壊される。
それはいっていの安寧を得た、と思う。
しかし、それは錯覚であった。
破壊された人格はより巨大に化け物と化す。
そして映画は終わると言うなんともやりきれないテーマなのです。

監督のメッセジーは何か
犯罪者が人権を保障されるとき、私たちも、その社会で人権が守られる。
キューブリックは、この映画で時代に問題を投げかけ、
そして問うた。
答えを出すのはその時々の「我々」です。
今、私たちは問いを投げかけられています。
主人公のような人格さえ認める社会と、
犯罪者は徹底的に洗脳・精神的な去勢する社会といずれが健全な社会かと。

この様に、たたみかけていると私は思いました。

あなたは、どう思われますか?

私は、社会が守るべき者は「すべからく」人権ではと考えます。
犯罪者になんの人権ぞと思う社会は、
一般人の人権にも冷たいと思います。

法律は罪は裁くが人は裁けない。
ならば、社会そのものが、子どもからお年寄りまで人権を守り、敬意を表する、そんな時代を作ることに努力していけたらと、、、と願いながら。

また、少々、牽強付会かと認めながらも、
道徳の強制が何をもたらすかをも語っているのではと考えています。

なお「時計じかけのオレンジ」から人間性を考えるのサイトが詳しく分析しています。

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 光市母子殺人事件に関連して、こんなやつ改善不能、これがいただいたコメントなどに多かった。実際再犯だって多いではないか、だから永久に社会から隔絶すべき、しかし、こんなやつを税金で養うなんて嫌だ、殺せ、と。 これを読んでいて思ったことがある。 「格差社会」が進行しているといわれて久しい。ジニ係数は上がっているが、標準的な世帯(という言い方は好きではないけど、夫婦プラス子供の世帯)だけを取り出すと意外に格差が広がっていないというデータもあるらしい。つまり、結婚して子供を作るということだけで十分「勝ち... [続きを読む]

受信: 2006.07.06 18:30

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