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2006.07.24

河童忌

今日7月24日は河童忌。
芥川龍之介の命日です。
1927年のこと。

芥川龍之介かぁ、、、、

あなたは芥川の作品のどれがお好きですか?
私は迷うことなく、「杜子春」です。
とかく難解な芥川の作品にあって、「杜子春」だけは非常に分かりやすい。
テーマがはっきりしていて私にでも分かる。
と、いうことでお気に入りの杜子春なのです。
安野光雅さんは「こころのふち」というエッセィの中で
杜子春について以下のように書いています。
〜〜〜〜〜〜〜〜
===すべてがまだ峨眉山へ、行かない前と同じです」と読んで、ぽかーんと口を開けているわたしを捨て置いて、作者はさっさと行ってしまったような気がした。我にかえったこどもが「もうひとつ話をしてくれ、ひとつだけでいいから、、、」とせがむのは、話の世界から現実に戻りたくないからだと思う。、、、、、、、、、」

安野光雅「こころのふち」より
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
うーーーん。
言えてる。
私は肯いていました。
そうなんですよね。
読み初めから、自分は杜子春。
愚かで、貧しく、人を信じ、翻弄され、
そして気がついたら、何事もなかったように「もとのまま」。
洛陽門の春の夕暮れ。
それは心にズドンと落ちてくる何かと、
ヒタヒタと歩き去る仙人への追い求めることの出来ない喪失感に見舞われる思いがしたものです。
何故か哀しい、、、
この先はどうなるのか。
仙人の下へ行きたい、、、と願う私。
そんな読後感が好きです。

芥川って書き初めと終わり方が上手い。
実にうまい。
もう、これ以上の書き方はない、とうならせます。
勧善懲悪とか不条理とか、とかとか書いている作者は多い。
しかし、
芥川ほど無駄のない書き方をしている作者は数少ないと私はいつも思っています。
(中島敦「山月記」も無駄のない作品と私は思っています。大好きな作品です)
さて、そんな芥川の作風に少しでも近づこうと、
「宇治拾遺物語」なんて本気で読んだ私です。

そして、こんな芥川の俳句がまた可笑しい。
〜〜青蛙おのれもペンキぬりたてか 〜〜

壮絶なのは辞世の句。
自嘲
〜〜水洟や鼻の先だけ暮れ残る 〜〜   

 『澄江堂句集』所収。芥川は昭和二年七月二十四日の午後一時過ぎ伯母の枕元に来て、明日の朝下島さんに渡して下さいといって、この句を書いた短冊を渡したという。短冊には「自嘲」と前書がしてあったことから、芥川の文業の終末を象徴せしめる凄絶な辞世句となって了った。
蝸牛俳句文庫より)

また芥川の思想については、
松岡正剛さんが軽く纏めています。

いずれにしても人生を駆け抜けた芥川龍之介。
享年35才。
若き天才の今日は命日です。

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