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2006.07.01

文月です

今日から7月。
文月(ふづきです。
たなばたに託して書(ふみ)をひらくから文月とも、
あるいは穂含(ほふくみ)月から転じたとも言われています。
英語では、July。
5番目の月を意味するラテン語クウィンティリウスにジュリアスシーザが生まれました。ジュリアスシーザの誕生月に当たるこの月の名をシーザの名にちなんでラテン名ユリウスと改めたそうです。(現在では、IuliusはJuliusに置き換えれています。)

と、言うことで今日はシーザについて。

「賽は投げられた」
「ブルータス、お前もか」
とかとか名言を残している(?)とされるガイウス・ユリウス・カエサル
その生涯は劇的の一言に尽きます。
小学校の時、図書館で世界の偉人伝とか言う本を片っ端から読んでいた私は、シーザ、その人を知ったのも、その偉人伝からです。
幼いなりに、暗殺のシーンは泣けました。
その後、中学に入って世界史を習うと、早々にカエサルと言う名で登場。親近感を覚えたものです。
歴史の表舞台に登場する英雄たちは、当然「時代の子」であり、時の必然で生まれたものです。
カエサルもその例外でなく、そしてその末路も然り。
カエサルの生きた共和制最末期のローマ。
すでに一部の有力者により元老院の指導体制は崩壊しており、カエサルはいわばその死水を取ったに過ぎないともいわれているし、事実そうであったと思います。
カエサルでなくても誰かがいずれ、そうしていたのでしょう。
しかし、カエサルその人であったと言うことも事実。
自らの選んだ道で、自らの最期も必然であったとも思います。

やがて風化され、彼方に消えていく一人の人間であったとは言え、
その成したことは今に学ぶことが多い。
ローマ人の物語〈4〉— ユリウス・カエサル-ルビコン以前で塩野さんの言葉、ちょっと今に通じます。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
虚栄心とは他者から良く思われたいという心情であり、野心とは、何かをやり遂げたい意志であると思っている。他者から良く思われたい人には権力は不可欠ではないが、何かをやり遂げたいと思う人には、権力は、ないしはそれをやるに必要な力は不可欠である。
ところが、虚栄心はあっても野心のない人を、人々は、無欲の人、と見る。またそれゆえに、危険でない人物、と見る。かつがれるのは、常にこの種の「危険でない人」である。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

さて、カエサルは、政治的な目標を達成するという野心が虚栄心に勝っていた。
一方ポンペイウスの方は、社会・民衆から承認されたいという虚栄心が野心を上回っていたという。
本当のところはわからない。
それにしても、
話題の「ポスト小泉」の方々を思いだしながら、
政治の表舞台に担がれるのはダ・レ?と思って改めて考えたりしています。

いずれにしても、
もう一度、塩野さん。
読んでみようかなぁ、、、

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