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2006.08.29

ゲド戦記

話題のゲド戦記を観てきました。

駄作ではないが失敗作と言う夫。
力はあるがまだ経験不足の学生の論文のようなものかとも言ってました。

私はと言えば、いろいろ不満はあるが原作とは別の作品と言うところで納得の感がしました。
あらすじを書くとネタバレになるので、
ザッと感想だけ書きます。
原作そのものが哲学的なテーマがあちこちに鏤められているので、
誰を主人公に、
何を主体に切り取っていくかは作り手の力量に追うところが多い作品です。
そう言う意味では今回の映画は欲張り過ぎたのでしょうか???
ちょっと曖昧になったかな、、、

いずれにしても原作をもう一度読み直し、
じっくりと向き合って行きたいと思いました。


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2006.08.28

高山寺

昨日、夫と高山寺に行って来ました。
紅葉にはまだ早いのですが、実は世界遺産巡りにはまっています。
もう我が子は一緒に遊んでくれないので(?)これからは夫婦二人で休日を過すことが多くなります。
そうするとお互いに趣味とか違ったりして気持と意見がアッチコッチとぶつかります。
そこで、
一日はそれぞれが勝手に自分の時間をもち、
もう一日は二人で共通(殆どはサンフレッチェ広島です)の事をしようと決めました。

と、言うことで昨日は高山寺に出掛けました。

観光客も少なくてとても世界遺産とは思えないようなヒッソリと静かな境内を歩きながら、
寺の縁起などを見て歩きました。

鳥獣戯画のお寺とも言われ、またお茶を栽培した明恵上人の寺としても有名な高山寺。
明恵さんは月の歌人としても名が知られています。

〜〜あかあかや
あかあかあかや  あかあかや
あかあかあかや あかあかや月〜〜

なんとも可笑しみのある歌です。
月の明るさと、それに照らされる周りの山々、そして自分自身。
みんな赤子のように明るいと謳っているのでしょうか?

そう言えば次のような歌もあります。

〜〜隈もなく 澄める心の 輝けば 我が光とや 月思ふらむ〜〜
意味は、
隅々まで澄み切った私の心の明るい輝きを、月は自分の光と思うのではないか
と言うものです。
なんだか照れるような歌ですねぇ。


今度は赤々と紅葉に色づく高山寺にまた行ってみようと思ったものです。

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ファシズムはそよ風とともに

安心のファシズム−支配されたがる人びと−と言う本が二年前に出版されました。
著者は斎藤貴男さん。
斎藤さんは著者のメッセジーとして次のように語っています。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ファシズムはそよ風とともにやってくる、という警句があります。独裁者の強権政治だけでファシズムは成立しません。自由の放擲と隷従を積極的に求める民衆の心性あってこそ、それは命脈を保つのです。
私たちは今、まさにそのような空気のただ中にあるのではないでしょうか。多くの人々が、何者かに対する不安や怯えや恐怖や、その他諸々がないまぜになった精神状態が、より強大な権力と巨大テクノロジーと利便性に支配された安心を欲しているかのようです。
権力に無条件で服従しない人が現れると徹底的に叩かれるのはこのためです。たとえばイラクの人質事件で当事者や家族たちに浴びせられた集中砲火が、もしかしたら近い将来、この国の歴史の重大なターニング・ポイントだったと評価されてしまうような事態にならないとも限りません。
私たちはいま一度、現状を冷静に見つめ直してみる必要があると思います。不安に満ちた人間にとって、ファシズムはとりあえず居心地がよいのでしょう。しかし、その先に待ち受けているものは何なのか、ということを。
今のうちなら、まだ引き返せるかもしれません。そのための手がかりを、私はやむにやまれぬ危機感を以って、本書に書き込んでみたつもりです。一人でも多くの読者に手にとっていただけることを願ってやみません。
(上記サイトより)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
この本が世に出て二年。
状況はますます厳しい物になってきている感がしてなりません。

次期総理と目される安倍さん。
なんだかこの頃、とみにとみに凄くなってきます。
以前からタカ派とは言われていましたが、最近の安倍さん。タカを通り越してラプター(Fー22の愛称)のようになりました。
レーダーに捉えにくいというステルス性と、スーパークルーズを持ち合わせていると言われるFー22。
目の前に来るまで分からなくて、気がついたらいきなりアッパーカウントなんてごめんです。

ファシズムはそよ風とともにやってくる、、、なぁんて斎藤さんは書かれていましたが、
そよ風の後にやって来る物はなんだろう???

あべさぁ〜〜〜ん。
美しい国は今あるものをぶっ壊さないと出来ないのですか???
憲法や教基法を変えないと出来ない「美しい国」とはどんな国なのだろう???

 

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政党ビラ判決

マンションへの政党ビラまき、被告に無罪判決 東京地裁と言うニュースを見ました。
先頃の自民党加藤紘一さんの実家が右翼団体幹部に放火された疑い事件やら、暴力による言論に対しての封殺などがあって、
世の中が段々と殺伐とするのかと危惧しているさなかの今回の判決。
言論や思想、宗教など憲法で保障されている自由がどの様に解釈されるか興味をもって見守っていました。
私はこの事件は個人的には検察の遣りすぎと思っていたので妥当な判決と評価しています。

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2006.08.27

言葉を紡ぐ

「純真」

いかに見えるかよりも
いかにあるかを心配する

いかに見せるかよりも
いかに歩むかにこころする

眼前のボロをかくすよりも
あふれる真実で相手を包む
そういう女性をなつかしむ

安積得也

〜〜〜〜〜〜〜〜〜

言葉を紡ぐ。
本当に難しいことです。
しかも、それが「自分の言葉で書け」なんて言われたら困ってしまいます。
子どもたちと作文を作りながらも、子どもだけでなく私自身も自分の言葉で書け、なんて言われたら戸惑ってしまいます。
乾ききった布巾のように(本当は雑巾と書きたいがそれじゃあまりに自分が可哀想だから布巾に格上げ)絞っても何も出てこない私の頭から言葉なんて出てこない、、、

言葉を紡ぐためには縦糸と横糸があって、
縦糸は自分の感性とか経験とか今まで学んで来た学習だと思います。
そして横糸はいろんな方の考え方、意見、思想ではと思います。
私は横糸をジャンジャン使いながら言葉を生み出すことが好きです。
横糸に刺激されて縦糸が漸く織り始めることが私の場合多いのです。

何か問題が生じたとき、私はいつも本棚に飛んでいきます。
その都度取る本は違うのですが、、、
こんなとき菜根譚ならどう書いてあるだろう?
良寛ならどう言うだろう???
とかとか気持ちを押さえながら本棚を漁ります。
なぜなら私の心はまだ未整理で言葉を探しているが適当な言葉が出てこなくて、
ウ〜〜〜〜ン、う===んと唸っているのです.
が、
既に先人は輝くような言葉、浸みいるような言葉で言い表してくれているのです。
そんな言葉に出会ったら私はしばらく佇むばかり。
そうか、、、そういうことか。
と納得。
自分の未整理の頭と心がいとも簡単に文字になってソコにあるのです。
私は飛びつきますね。
一も二もなく。
「やった、これ、もらいぃ」と即引用させていただきます。
別に自分の文に「箔」をつけるためなんてケチな了見ではなくて、
先人へのリスペクトとして。
と、言うわけで
先人の言葉や歌を引用しまくっている私。
そもそもの発端は高校生の時、芭蕉の俳句「よくみれば なずな花咲く 垣根かな」を見たときです。
私は芭蕉の俳句の中でこの句が一番好きです。
何気ない日常の小さな発見、そしてその発見を喜ぶ作者、芭蕉。
なんとも言えない温かさと鋭さを感じてしばし呆然としたことがあります。
その後もいろんな詩や俳句に触発されたのですが、
上にあげた安積得也の「純真」を読んだときも忘れることが出来ません。
二十代半ばのこと。
自分を自分以上に見せようと躍起になっている私がそこにいて、
そうじゃない自分に苛立っているもう一人の若い私がいて、、、
そんな矢先に読んだこの詩はズド====ンと心に響いてきました。
ズド〜〜〜〜〜ン。

そうそう、石川啄木のあの短歌が好きなのです。
何回読んでも好き。
「不来方のお城の草に寝ころびて、空にすわれし十五の心」
空にすわれし十五の心、、、
啄木の人生への逸るような思いと、それを包み込む空の広大さがなんとも言えず、本当になんとも言えず私はうちふるえるだけなのです。
また以前も書きましたが芥川の文学と中島敦の山月記、好きなのです。
あの無駄のない書き方、そして最後に読者を置いてけぼりにして作者だけスタコラと去っていくあの勝手さがたまりません。

と、言うことで私なんかがとても表現できない言葉をズンズンと言い表してくれる先輩たちの言葉をお借りしながら私はヤットコサットコと文を書いています。
「自分の言葉」を書けるにはまだまだ修行が足りません。
今日も明日もその次も私は本棚を漁り続けると思うのです。
そして、子どもたちにも良い物に触れさせたいと強く思います。
歴史の試練に耐えることが出来るような文学や芸術を手触りで感じさせたいと、、、

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2006.08.26

サンフレッチェ広島

凄かったよ!!!
サンフレッチェ。
鹿島に2−0で勝ちました。

青山君。
頑張っていました。
ダバツも本領発揮していましたよ。
リ・ハンジェ、自信に溢れているように思いました。
勿論、コウジもカズも張りきっていたのはいうまでもありません。
全員が力を合せて、
勝ち取った勝利!!!

良かった。
よかった、、、

次は磐田。
頑張っていこう=====

サンフレッチェ、、、
ちゃちゃちゃ

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2006.08.25

ぎらりと光るダイヤのような日

ぎらりと光るダイヤのような日


短い生涯
とてもとても短い生涯
六十年か七十年の

お百姓はどれほど田植えをするのだろう
コックはパイをどれ位焼くのだろう
教師は同じことをどれ位しゃべるのだろう

子供たちは地球の住人になるために
文法や算数や魚の生態なんかを
しこたまつめこまれる

それから品種の改良や
りふじんな権力との闘いや
不正な裁判の攻撃や
泣きたいような雑用や
ばかな戦争の後始末をして
研究や精進や結婚などがあって

小さな赤ん坊が生まれたりすると
考えたりもっと違った自分になりたい
欲望などはもはや贅沢品になってしまう

世界に別れを告げる日に
ひとは一生をふりかえって
じぶんが本当に生きた日が
あまりにすくなかったことに驚くだろう

指折り数えるほどしかない
その日々の中の一つには
恋人との最初の一瞥の
するどい閃光などもまじっているだろう

本当に生きた日は人によって
たしかに違う
ぎらりと光るダイヤのような日は
銃殺の朝であったり
アトリエの夜であったり
果樹園のまひるであったり
未明のスクラムであったりするのだ

茨木のり子(見えない配達夫より)

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

「いまどきの夏休みの宿題」…えっウソ!! そんなバカな……と言う記事をdr.stoneflyさんからトラックバック頂きました。
早速、拝見。
記事の内容を見て考え込みました。
コメントを、とも思ったのですが、私自身の仕事とも関係があるので改めて稿をたてました。
なお、意見、感想に関してはdr.stoneflyさんの記事の展開にそっていきます。

・「詩の書き直し」「絵の書き直し」について。
私の意見は「とんでもないこと」です。
空が桜色になるなんて表現。すっごく美しい。
読んでいるだけで、満開の桜と桜に埋め尽くされた青い空のけぶったさが表現されていて、
なんと瑞々しい感性だろうと思います。
この担任は金子みすずさんの「みんなちがって みんないい」をどの様に教えるのかとても興味あります。
絵に関しても、あまりの凄さに笑ってしまいました。
思うに、この先生がたは「真面目」なのでしょうね。
子どもたちの感性を伸ばすとか、学ぶ喜びを教えるとか、そんな回りくどいことより、目に見える成果が大切と思っているのでしょう。
成果を贈ることで子どもたちに自信をつけさせることができるとも思っているのかもしれません(かなり好意的に解釈して)

・コンクール
そうですね。子どもたちより親の方が必死です。
コンクールではありませんが、各種の検定が今、大はやり。
算盤検定、漢字検定、作文検定、算数検定、、、
こうした検定に合格することで「箔」がつきます。
いつの間にか、子どもをおいて、保護者の方が子どもたちの検定に東奔西走という光景も珍しくありません。


・二極化への不安。
親たちが情報に流され、教師が成果主義に明け暮れる原因は、やはり「二極化」への不安と思われます。
日々流れる情報は保護者を塾に走らせるに十分なものです。
保護者は教師に不満を持ち、信用はしていません。
教師は教師で保護者のことを宇宙人と思い「相談」する話し相手とは思っていません。
本来、手を取るべき保護者と教師の分断がますます深くなってきているようです。

・解決
お互いが信頼するということが個々のケースでは一番の解決です。
決して不信感を持たないこと。
例えば先の「詩」の問題。
詩を通して自然界を正確に観察・描写することを意図していたのだな、、、とか考えるといいのではないでしょうか。
また一般的な問題としては教育基本法を初めとして教育全般への深い洞察を
もつことでしょうか。

いずれにしても、教育とはすぐに結論が出るものではありません。長い目でゆっくり見ていくことは
教師、保護者双方に大切なことだと改めて考えさせていただきました。
ぎらりと光るダイヤのような日は少なく、
日常は何気ないものです。それがまたいい、、、

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靖国の本質は何か

靖国問題と聞けばアナタは何を思い浮かべますか?
総理の公式参拝?
政教分離?
A級戦犯といわれる人たちの合祀問題?
あるいは外交問題?

私はここでも何回も書いているように、
靖国に祀られている戦歿者の「霊」に対しての考え方はそれぞれの立場の人がそれぞれ意見を持っていいのではと思います。
個人的には靖国と無縁の者ですから積極的に合祀問題には意見がありません。
まぁ、どうしてもと言うなら、
英霊となった霊に対しては、「どうぞ、祟らないで」と祭ることが神道の死生観に適っているのだろうかと思ったりします。
したがって分祀に関しては、
A級の霊以外にも仏教の人とかキリスト教信者の霊も一様に神道で祀られて困っている霊たちもいるかな、、、と思っています。
仏教では死んだら極楽に行けて、
キリスト教では天国に行くことができるのに、
靖国に入ったが為に黄泉に行くしかなくて戸惑っている霊がいてもおかしくはありません。
お国のため戦って死んで英霊となったけれど、
本当は死んでからは静かに極楽で過したい霊もいるのでは、、、とかとか思っているのです。
生きている私たちには、亡くなった霊のことは分からないのだから、
ご遺族の方々がご自分たちのお気持ちのまま、参拝するもよし、しなくても結構だと思います。
つまり、何を言いたいかというと、
「霊のことは分からない」と言うことです。
したがって分からない霊の問題を政治の駆け引きに使ってはいけない、と言うことを言いたいのです。
靖国問題は生きている私たち、未来の人たちの問題であって、
決して霊の問題ではありません。
その都度、その都度、
都合により英霊への感謝と鎮魂とか言われて呼び出されては霊の方も、いつまでたっても常世にはいけない。
分からないことをいつまでもグダグダと討論するのは時間の無駄です。
そしてさらに不明確な「心の問題」にすり替えてしまうことで、誰もが立ち入ることができない所に逃げてしまってはどうしようもありません。
(尤も、総理は子どもたちの心にズカズカと入り込むような教育基本法に対しては、どうも甘いようですが、)
いずれにしても、このようなやり方は靖国の本質が見えにくくなることを確認しておく必要があります。

靖国の本質は何かと問われれば、私はズバリ
遊就館ではと思います。

靖国神社が「物言う神社」になってきたのは遊就館と無関係とは思えません。
遊就館に代表される靖国史観については、
「是か非か」討論・議論を大いにするべきものではと考えます。
この問題に関しては「心」の入り込む余地はありません。
先の戦争がなんであったのか、、、
侵略か自衛か?
しっかりと勉強をして、ますます明らかにしていく必要を感じています。
考えていくことで、知ることで未来へ引き渡す物が何かが明らかになるのではと思います。
次代の人たちには、再び戦禍にまみえることのない「平和」を贈るために、今生きている私たちは責任を持って靖国と向き合うべきではと考えます。
今、立ち止まり
ゆっくりと、、、

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ディフェンス・ニューズの記事によると

アメリカの軍事専門紙ディフェンス・ニューズが日本の航空自衛隊がF22ラプター戦闘機に、高い関心を示していると報じたのは7月17日の記事でした。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
Japan Seeks F-22s Despite Tech-Transfer Hurdles
Japan has yet to launch its competition to replace its aging F-4E fighter jets, but Lockheed Martin’s stealthy F-22 has emerged as the frontrunner despite technology-transfer hurdles, say officials, analysts and sources.
(上記ニュースより)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

Fー22は愛称はその名もラプター
猛禽類です。
レーダーに捉えにくいというステルス性と、スーパークルーズを持ち合わせています。
ステルス性では通常の戦闘機の10分の1程度の距離まで近づいてようやく探知が可能であるともいわれています。スーパークルーズについては、アフターバーナーの使用なしで最大巡航速度マッハ1.58となっている。しかし、実際にはマッハ1.7まで到達したという発表もあるそうです。
もともとFA(戦闘攻撃機)として開発が始まり高い攻撃能力があります。
米ソ冷戦の終結で開発計画が縮小。しかし空軍がこの間、調達をすすめてきました。

日本政府内では、航空自衛隊に配備されているF-4EJ改に代わる次期戦闘機(F-X)を選定する作業が進行しており、その候補のひとつにF-22が含まれていたのですが、ここへ来てその可能性が大きくなりました。製造コストが既存の戦闘機に比べて非常に高い(1機あたり約1億2000万ドル)と言う点が課題だったのですが、このハードルもクリアして、Fー22に飛びつこうとしている動きが活発になった背景をもディフェンス・ニューズは8月14日付の記事で紹介しています。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
In the wake of North Korea’s July missile tests, Japan is accelerating its ballistic missile defense (BMD) plans and openly discussing what has long been a taboo subject in the pacifist country — that it may someday soon be forced to launch pre-emptive strikes to defend its territory.
“Radically speaking, to defend our country, it might be more suitable for us to strike enemy bases,” said Nobuki Kawamura, the director of planning and programming at the Japan Defense Agency’s policy bureau.
“But right now, in the current situation, we don’t have enough capability to attack enemy bases. We do have the air in-flight refueling tanker, but our F-15s are mainly for defense and they don’t have the capability to attack [North Korea].”
Kawamura cautioned that in the future, such wherewithal is possible.
“However, for the future, we should have such capabilities, not exactly prohibited by our Constitution but mainly due to policy selection. As of now, government policy is that we don’t have such capability and it is too early to discuss this option.”
Following Japan’s World War II defeat, under pressure from the United States and other powers, Tokyo adopted a rigid pacifist Constitution that banned the country’s right to wage war. The recent 61st anniversary of the dropping of two atomic bombs on Hiroshima on Aug. 6 and three days later on Nagasaki, however, does not appear to have affected Japan’s enthusiasm for BMD and possible pre-emptive strike options, which could see Japan launching air strikes against targets in North Korea.
(上記サイトより)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

防衛庁の河村延樹防衛局計画課長が「本来、わが国の防衛のためには、敵の基地を攻撃する方がふさわしいかもしれない」と表明したと報道。
河村氏は「空中給油機はないし、F15戦闘機はおもに防衛のためで、わが国には(北朝鮮を)攻撃する能力はない」
「将来わが国はそうした能力を持つべきだ。厳密には憲法で禁じられておらず、(持っていないのは)おもに政策上の選択によるものだ」
と先制攻撃能力を持つべきだとの考えを強調したと報じています。
さらに、
日本では長年「よりおおっぴらな軍事的役割」について口にすることは「タブー」であり、「政治的自殺行為」だったと指摘。
ところが「七月四日の北朝鮮のミサイル実験によってその議論が公のものになり、政府高官がますます、潜在的脅威に対して先制攻撃を行える兵力を構築する必要性について議論するようになった」として、麻生外相、額賀防衛庁長官、安倍官房長官が「敵基地攻撃能力」という名で先制攻撃につながる発言をしていることを紹介。
「日本国民の(安保上の脅威に対する)考え方が最初に変わり始めたのは、1998年に北朝鮮が長距離ロケットを日本の上空に発射した時だ」と指摘。
一方で国民の世論は「より強力な防衛力を支持しても、先制攻撃を支持するところまではまだ至っていない」とも紹介。


こんな矢先の安倍さんの憲法改正(?)発言と教育基本法見直し発言。
きな臭いですね、、、
実にきな臭く、危険です。

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2006.08.24

地蔵盆

京都では八月も20日が過ぎると各町内で地蔵盆が行われます。
22〜23日は六地蔵巡り
23〜24日は化野念仏寺千灯火供養などが有名です。
あるいは雲ケ畑や広河原では松上げが行われいよいよ季節は秋になります。

さて今日は夏の京の風物詩と京都人について「あの世とこの世」の考え方を書いて見たいと思います。
なお、この記事は入江敦彦さんの京都人だけが知っているを参考にしました。
入江さんは著書の中で次のように書いています。
「京都に散在するあの世の多さに気がついたのはいつごろだっただろう。それらはあまりにあたりまえに私たちの周囲に散在していたため忘れられた極楽であり、見過ごされていた地獄である。」と。
京都は歴史上、かずかずの為政者たちの思いが深く絡まっている所です。
当然、奸計や無実の罪で非業の死をとげた者。
名もない多くの民衆の思いがあちこちにそれこそ散在しています。
したがって為政者は、非業の死をとげた者達の霊を慰めなければならない。
どうぞ怨霊となって祟らないでください、と祈らなければならなかったのです。
鎮魂の儀式はやがて民衆にも広がっていきます。
誰がいつ始めたかも定かではないがお盆の最後の日の送り火。
それは京都の人にとっては、祖先の霊を思いながら霊を冥界に送ると言うような生易しいものではありません。
五山送り火。京の人は「地獄のかまが開いた」と言い表し霊を冥界に送る。
祟らないで、と祈りながら。
五山送り火のような壮大な装置を使ってまで霊を送り返す必要があると言うのです。
それだけでは足りなくて、精霊流しに除夜の鐘。
そして著者はさらに言う。
どうしてこうも京の霊は祟るのか?
それは仏教と神道の考え方の違いだとみています。
仏教は死ねば極楽に行けます。ところが神道には極楽という考え方はありません。
あるのは黄泉です。
なにしろイザナギさえ黄泉の国に落ちたのだから。
しかし、永遠に黄泉の国の住人かというとそうではなくてこの世の人間が祭りで慰めることにより、次第に個性がなくなり常世と呼ばれる混沌に還る、と言うのが神道的な「死生観」であり、それがえいえいと京都人に受け継がれているというのです。
平安末期、仏教の布衍とともに神道的な考え方は仏教的考えと混合していき、
それは民衆は地蔵信仰とともにあの世とこの世が地続きになっていったそうです。
京の人は霊に対して畏敬と親しみを持つことで、
長いながい戦乱をくぐり抜けてきたのでしょうか???

そんな歴史を背負ったお盆最後の行事が今、京の町のあちこちで取り行われています。
今でも8月末、町内の地蔵さま近くに集まり「地蔵盆」が催され、子供の無事成長を願います。
地蔵巡りは、六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上)に迷い苦しむ全ての人々を救済するように願って祀られた六体の地蔵菩薩を巡拝すること。
六ヶ所の地蔵寺を巡る六地蔵巡りでは、それぞれのお寺でいただく(買い求める)幡をお守りとして玄関先に吊るすことで、疫病退散、福徳招来などのご利益があるとされ、家運繁栄など祈願 し参拝します。
また、新しい精霊の初盆には水塔婆供養を3年間すれば 、その新しい仏様は六道の苦から免れるとされています。
京都の人々の知恵と願いです。

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パンドラの希望

「冥王星降格」に対抗案も 惑星定義の行方さらに混とんと言うことで、決着の行方が気になります。
前日のニュースでは冥王星を外して太陽系惑星を8個にするという事でしたが、
危惧されたとおりアメリカがここでもごり押ししようというのですかね???
いずれにしても、惑星の覚え方は変わるのでしょうね。
「スイ・キン・チ・カ・モク・ド・テン・カイ・メイ」が、「スイ・キン・チ・カ・モク・ド・テン・カイ」になるのか?
いっそうのこと嘉門さんの歌のように「スイ・キン・チ・カ・モク・ド・テン・コロリ」にした方が覚えやすい、、、なぁんて。
それにしても惑星やら天体の名前は神話からついたものが多く、
新しい発見が相次ぎ既に「売りきれ」状態。
科学の発達、技術の亢進で日々新しい発見があり、先を読むことが出来た男プロメテウスも人間がここまで来るとは思っていなかったのでしょうか???
参考人間のもつ技術(わざ)はすべてプロメテウスの贈物より。

さてそんなこんなでとかく楽しいギリシア神話。
もう一度読み直しています。
とくに今日は今まで気になっていた「パンドラの箱」について書きます。
パンドラの箱ほど良く知られ親しまれているギリシア神話のエピソードはないのですが、その誤解と言うことでも有名な話です。
普通私たちが良く知っているの話は次のようなものではないでしょうか?
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
プロメテウスが天界から火を盗んで人類に与えた事に怒ったゼウスは、人類に災いをもたらすために「女性」というものを作るよう神々に命令したという。
ヘパイストスは泥から彼女の形をつくり、パンドラは神々から様々な贈り物(=パンドラ)を与えられた。そして、神々は最後に彼女に決して開けてはいけないと言い含めて箱(壺とも言われる)を持たせ、さらに好奇心を与えてプロメテウスの元へ送り込んだ。
パンドラを見たエピメテウスは、兄であるプロメテウスの忠告にもかかわらず、彼女と結婚してしまう。そして、ある日パンドラはついに好奇心に負けて箱を開いてしまう。すると、そこから様々な災い(疫病、悲嘆、欠乏、犯罪などなど)が飛び出し、パンドラは慌ててその箱を閉めるが、既に一つを除いて全て飛び去った後であった。箱の中には希望だけが残った。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
つまり最後に希望だけが壷に残った、、、と言う話です。
しかし実際は「最後に残ったものは未来を全て分かってしまう災いであり、人類は希望だけは失わずにすんだと言われる。こうして、以後人類は様々な災厄に見舞われながらも希望だけは失わず(あるいは絶望することなく)生きていくことになった。」
と言うものです。
なぜこのような誤解が生まれ、さらにそこから派生してくる解釈の様々があるのか。
これについては、希望を考えると言うサイトの説明が面白く参考になります。
つまり、ギリシア神話そのものが大神ゼウスの礼賛物語であるということ、パンドラの箱はアンチロマンであり絶望物語であったこと。
しかし時代の変遷の中でギリシアの神々はその地位を人間たちに譲ってきたことにより、パンドラの希望もまた違った性格を帯びるようになったのでしょう。
人は歴史や古典に左右されながらも、古典や歴史もその時代の要請で変わっていくものです。
時代を作るのは「人」である。
と、言うことをパンドラの箱に隠した大神ゼウスの意図は、時代の人によって解き放たれていくのです。
希望は一人為政者のものではない。
私たち民衆のものである、、、
と、言うことを感じながらパンドラの隅に未だ隠れている「希望」に早くでておいでと声をかけたい。
そんなことを思いながら私は私で一人解釈をしています。
アナタならこの話、どの様な解釈をなさいますか?

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サンフレッチェvsガンバ

昨日万博で行われた第19節G大阪戦。
応援に行って来ました。
結果は2−3で残念ながら負けました。
残念。
うううう====んん。
残念。
後半の追い上げ、凄かったのですがねぇ。
結果は負けで残念至極ですが、内容は色々問題がありつつも
最後の攻めの姿勢で盛り上がりました。
まぁ、欲を言えば「もっと早くからゴールを決めろ」ですが、、、
柏木君の成長とリ・ハンジェの活躍が良かったです。
リーグは先は長い。
まだまだです。
次に繋がればと思います。


さてさて、試合内容はともかく、今日は万博記念競技場についてブータレようと思います。

なぁなんだ。
あのアウェー席は。
以前も芝生席で大概にしろというくらいの代物だったアウェー席。
改善するとか言っていたのですが、
昨日、スタジアムに入ったら確かに芝生ではありませんでした。
が、
が、
なんなんだ、階段ではないか。
コンクリートうちっぱなしの階段と手すりがあるだけ。
おいおい。
これはなんだ。
しっかも昨日はガンバは無料券を大枚子どもたちに配って招待したらしくてアウェーまでガンバのファンが押し寄せてきました。
したがって広島ファンはロープが張られた隅っこに「どうもどうも」なぁんて感じで追いやられて、
もう大変。
試合の流れが分からない、、、
ゴールが見にくいこと、見にくいこと。
さらにトイレが凄い。
キャンプ場のようなトイレ。
暗くて、、、
しかも普段は森(?)だから戸を開けるとイモリかヤモリがパッと逃げる。
別にイモリやヤモリに罪はないが、
もうちょっとトイレもなんとかしてくれ====
と、まぁここまでは万博競技場のデフォかと諦めていたのですが、
駐車場がまた大変。
いつもは電車で行くのですが、以前も書いたようにスタジアムの周りには食べ物屋さんがないので、
昨日はお弁当を作って、可成早く家をでました。
普通なら一番近い駐車場に入ることが出来るのですが、昨夜は観客が多くて、遠い駐車場になりました。
そこは凄く広くて、何台も駐車出来るのですが、出口が狭い。
行きはサミダレでも帰りは皆一緒になります。
何台もの車が一斉に出口に向かうのです。
狭い出口には整備の人がいません。
車同士が譲り合いながら、それでも頭を出した方が勝ちという押し合い圧し合い。
何列も車の列が出来、にっちもさっちもいかない。
おいおい今日中に出れるのか???
そんな、そんな試練と忍耐の末、やっと出ることが出来ました。
出口を出て、車が流れ出したところに整備の人がいてイケイケポーズで車にサインを出していても、
なんの役にもたたない。
「あんたね、、、、今更そんなこと言われなくても分かっているわよ。」
と、毒づきながら家に帰りました。
駐車場で過ごした時間の半分で。

これって、どこが悪い????
やはり、ガンバの管理かな?
少なくとも広島のビッグアーチは整備の人がいて順番に車が出るように交通整理しています。

と、まぁそんなわけで万博競技場。
良い思い出がないなぁ、、、
(試合に勝て!!!ば、こんなこともへっちゃら?なのかな???
ううう====んん。)
万博でパッと花を咲かせたいよう!!!
さて、
サンフレッチェ。
次は鹿島。
頑張れ!!!
前を見て行こう。

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2006.08.22

マスコミが作る感動

早実の斎藤投手。
今や国民的(?)ヒーロー。
昨日から今朝のワイドショーは、斎藤クンの話でもちきり。
本人はともかく、
いとこやら兄やら親戚総動員。
幼なじみも勿論、近所の人たちと、テレビ局は追っかけます。

うううう====んんん。

これっていいんですかね????

いや、よくない。

なんだかつい先頃同じようなことがあって、、、
そうそう亀田クンだ。
亀田三兄弟ですよ。
テレビで、これでもか、これでもかと「家族愛」がお茶の間に流れてきました。
が、
例のあの試合以来、マスコミの冷たさを亀田一家と共に(?)痛感していた私。
追っかけマスコミの方も、触手が動く事件もなければ感動物語もない。
そんな夏枯れ状態の矢先の感動甲子園。
泣かせますね。
延長のすえの再試合。
本格派ピッチャーとは違うがその端整な佇まいが、まさに「貴公子」。
いけるではないか。
イケル。
これでいこう。
それっ=====

と、ばかりにマスコミはサトウ、いえいえ斎藤君に蟻のようにたかります。
感動秘話。
ハンカチ貴公子。
それいけ、やれいけ。
ドンドン。


あああ〜〜〜
いやになります。

私たちって、マスコミに「感動」を作ってもらわなければ、もう感動を味わうことはできないのですかね???
本当にやめて欲しい。
第二、第三の亀田一家を作ってはいけない。
安い涙を誘って欲しくはない。

私は、本棚から山際淳司作「スローカーブを、もう一球」を取り出し、
もう一度読み直しています。
この本の感想を以前書きました。
以下に引用しておきます。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「スローカーブをもう一球」。
名もない高校が甲子園という晴れ舞台に出場。
そして、とくになんの技も無い地味な投手が、
「スローカーブ」を投げる、、、
と、いうそれだけの話です。
「なぜ、野球をやっているか???」
「惰性だよ。惰性。」と言い、
ラーメンのことや、ガールフレンドが何故、できないか悩んだりと、普通の高校の野球部の風景が描かれています。
とくに、「勝つこと」にこだわらない。
ノラリ、クラリとやっているうちに、勝ち進んでいく。
「かわしていれば、いつかチャンスは訪れる」
そんなチームが、全国に名乗りを上げていくという、
「地味な話」です。
しかし、
読ませるのです。
オモシロイ。
この本を読み終わった後は、
「なんて、野球ってオモシロいんだろう!!!」と、しばらくは余韻にひたります。
もちろん、山際さんの深い洞察と暖かい人間観察とがあるからでしょうが、、、
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
本当の感動とは何か、
改めて考えています。

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2006.08.21

映画が描くヒトラー

ナチス親衛隊所属の過去告白、ドイツのノーベル賞作家と言うニュース。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ドイツのノーベル文学賞の受賞作家、ギュンター・グラス氏(78)は11日、地元紙の会見に応じ、戦中にヒトラーを支える組織としても知られた、ナチス・ドイツの親衛隊(SS)の武装部隊の一員だった過去を自ら明かした。「この過去が重荷になっていた。明るみにする時が来た」などの心境を語っている。
(上記ニュースより)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

さぞかし重いだろうと、その心中をはかるに難くありません。
彼が世に生み出した作品の数々はナチス告発である背景はこうした事情によるものだったのでしょうか。
ナチスについての作品は、文学、映画と多いのですが、
ヨーロッパの人々においては、ヒトラーが行った罪と、その購うべき罰に対しての思いは、
歴史をひっさげて「今」に息づいているのでしょう。

ヒトラーの映画と言えば、先日、
ヒトラー最後の12日間真実のマレーネ・ディートリッヒと二本を立て続けに観ました。
「ヒトラー最後の12日間」の方はご覧になった方も多いと思いますが、
映画の語り手のトラウゲル・ユンゲが書いた『私はヒトラーの秘書だった』は、その原作の一つであるということは既に知るところです。
独裁者ヒトラーの人間としての部分を目の当たりに見てきたユンゲ。
そこには、一人の偏狭な独裁者が迷い堕ちていく様と、
その周りにいる者たちが、それぞれの思いを独裁者に重ねながら、ひた走りに走る狂気を止める事が出来なかった必然が克明に描かれています。
ゲッベルスは言う。
「ヒトラーを選んだのは国民なのだ。
国民が望んだのだ。」と。
そう。秘書ユンゲの告発は、「独裁者は一人にしてならず」と言う事なのでしょう。
ヒトラーは悪い。
しかし、彼の狂気を止める事が出来なかった周りも悪い。
さらに言えば、結局ヒトラーを認めた国民の非も同じ罪であると言う事を明らかにする必要性を感じたのではと思います。
ヒトラー一人に「悪」をおいかぶせることなく、潔く「悪」を受け入れることで、
次に続く人々が同じ過ちを再びすることがないようにという祈りが伝わってくるのです。
ゆえに彼女はヒトラーの秘書であった事を生涯にわたり恥て静かに暮らし、暮らしながらも自らの経歴を明らかにしました。
自分自身の罪の重さも同様であると判断したのでしょう。
そして、彼女の見た真実は、今に新しい。
独裁者は何も一人で生まれるものではないと。

一方、対局に生きたのはマレーネ・ディートリッヒ。
彼女はナチスを憎み、アメリカへと亡命。
そして戦場で戦う兵士たちを慰問することで、戦争終結を訴え平和を願い歌い続けます。
戦場での彼女の歌声は敵も味方も区別する事なく兵士たちの心の深いところに滲みわたります。
「ドイツの人々は決して戦争を望んでいない」とマレーネは語る。
誰にも真似する事の出来ない激しくも気高いマレーネの生き方は死んでなお人々の心に揺さぶりかけ語りかけてきます。

ヒトラー。
その人を巡るあまりに多くの光(?)と影。

今を生きる私たちが次代に何を伝えるべきか、
真剣に考える時の到来を感じています。

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早実 おめでとう

第88回全国高校野球選手権大会。
早実が優勝しました。
おめでとうございます!!!

9回の表は、手に汗握る展開でした。
4−3と一点差にまで追い詰められ前日の展開が彷彿とされる中、
最後は背番号一田中君とのエー対決。
手に汗どころか汗も止まるくらい緊張の連続。
渾身の一球、一球。
投げてもファール、ファール、、、とファールは続き、
まるで漫画の「タッチ」ではないか。
もう目は離せません。
白球に込められた青春が、大きな大きなアーチを甲子園の空に描かれ、
そして、
栄冠は早実に輝きました。
おめでとうございます。

また駒大苫小牧の選手の皆さん。
久しぶりに本格派の野球を見ることができました。
本当に素敵な試合をありがとうございました。

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2006.08.20

四日間の奇蹟

昨日、WOWOWで放送された「四日間の奇蹟」のビデオで撮っていたものを、やっと見ることができました。
感想。
ジ===ンときました。
あらすじを書くと、まだご覧になっていない方にはネタバレになるので、
なかなか書き進めないので公式からあらすじを抜粋。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
測の事故で夢を断たれたピアニスト・如月(きさらぎ)敬輔。
心に固い殻を持ちながら音楽に天賦の才を持つ少女・千織。
2つの孤独な魂は、ある日、家族を失いながらも島の療養センターで
明るく働く1人の女性・岩村真理子に出会い、響き合う——。
突然の落雷が真理子と少女を見舞った、その時。
咄嗟に少女をかばった真理子に、何が起きたのか?
コーラル・グリーンの海辺に立つ小さな礼拝堂が、
彼ら3人に舞い降りたひそやかな〈奇蹟〉を見つめていた。

人は誰もが「今」を生きることしかできない。
けれど、そうと知りつつ過去にとらわれてしまうのも、また人。
失った日々に、かつて手にしていた何かに……心砕くのはもうやめて。
小さな島での4日間が教えてくれた。
「今」の自分を愛する、愛し方を。
大切な人を支える、柔らかで強い愛を。
壊れてしまった心の欠片(かけら)を繋げるのは、ただ真っすぐな“想い”だけ。
それは、人を信じるところから生まれくる——。
(公式サイトより)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

それぞれの人が、それぞれの経験に照らし合わせ、
「過去」と「現在」と「未来」に向き合ったのではないかと思う映画でした。
いつの間にか、演じている方も観ている方も一体化してしまいます。
過去、それが取り返しのつかない残酷な物であればあるほど、
人はどうにかしてその呪縛から逃れたいと思いながら、
過去に絡めとられていく自分。
しかし、
過去を乗り越える事は出来るんだよ。
未来へ力強く踏み出す事は出来るんだよと、
静かにゆっくりと映画は伝えてくれます。
「人をも、自分をも信じる事」で。

いつのまにか、観ている方も己の「奇蹟」を感じてしまいます。
とても素敵な映画でした。

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政治家へのテロ

政治家へのテロ憂える声 加藤氏の実家全焼事件
この事件、気になります。
自民党元幹事長の加藤紘一衆院議員の山形県鶴岡市の実家と事
務所が放火され全焼した事件の犯人とみられる男は、東京の右翼団体幹部だったことが明らかになりました。
未だ全容は解明されていませんが、
加藤氏の言動をとらえた政治テロと見る見解が大方です。
テロとは何も、自爆などセンセショーナルなものばかりではありません。
国語大辞典(新装版)小学館 1988)によれば、以下の通りです。
===
一定の政治目的のために、
暗殺や暴行、粛清などの直接的な恐怖手段に訴える主義。
暴力主義。また、その行為。
===
この定義に従えば、やはり今回の事件は「テロ」と言えます。
政界の中でも、この動きに対しての危惧を述べる意見が与党からも出ています。
そもそも民主主義とは自由な言論があってこそ保証されるものです。
力による言論の封殺が行われる事の無いように、
今後、しっかりとこの事件について捜査をしていくことを希望しています。

 

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2006.08.18

惑星の新定義

教科書は?占星術は? 惑星の新定義に反響続々と言うニュース。

教科書はともかく占星術の業界まで大慌てとは、なんだか笑ってしまいます。
占いじゃ、分からなかったんですかね???
(数子さんは、どう占われるかな?今回の事態。)

いずれにしても太陽系の惑星、一気に3個増かと言う発表があって以来、IAU総会ではケンケンガクガクの討論がなされている模様。
このニュースに関しては太陽系の外へ広がる影響と言うことでAstroArtsのサイトが詳しく書いていますので、興味のある方は是非ご覧ください。

さてさて惑星の定義が変わり、はたまた惑星の名前も変わり、、、
と、なると「スイ・キン・チ・カ・モク、、、」と覚えた暗記方もいずれ「古典」になるのでしょうか???
ギリシア・ローマ神話から名を取っている欧米は数の増減と暗記方は関係ないのか、、、
とかとか一人で他愛のないことを思っています。

今、夏の星座が旬です。
やや東よりの天頂付近にはこと座のベガが輝き、その東のはくちょう座のデネブ、わし座のアルタイルつまり「夏の大三角」が出来上がっています。
一晩中輝く「夏の大三角」。
見応えがあります。
南にはさそり座のアンタレスが、なんだかすまなそうに輝いています。
それもそのはず、その西にひときわ明るく輝く木星の姿があるからです。
もっと西へ行くと春の忘れ物(?)と思うようなうしかいのアルクトゥールスも発見できて、得した気分。
暗いところへでかければ、空を縦断する天の川も見えるのでしょうか、都会では無理でしょう。
木星以外の惑星では、水星、金星、土星が明け方の空に見えます。
月も交えた接近ショーを見ることが出来たり。
そんな時は朝から幸せです。
特に8月27日の金星と土星の接近は、100倍の望遠鏡の視野でも両者が入るほどの近さになるそうです。
見逃せません。

人間たちのドタバタには関係なく、
夜空に輝く星達は悠久の自然に抱かれながら今夜も煌めくのでしょう。

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2006.08.17

寿人 お見事!!! 

アジアカップ予選のイエメン戦が昨日、行われました。
結果は2−0でオシムジャパン初勝利です。
尤もオシムさんは、内容にかなりご立腹。
まぁ、、、無理ないなぁ。
しかし、
広島ファンの私は、
佐藤寿、意地の追加弾に大感激です。
お見事。
魅せました。ヒサト。
凄い!!!
これからも頑張れ!

駒野は怪我で途中交代。
少々心配です。

さてさて、先日に引き続き、我が家は相変わらず通訳に注目。
「今日は通訳誰だろう?」
「練習では違う通訳だったらしい。」
「ウワッ===千田さんクビ????」
とかとか、試合前から盛り上がっていました。
そして試合が始まるや否や通訳は誰だ????
と、ベンチが映るたびにドキドキ。
オシムと大熊さんが大きく映り、通訳はその間で見えない。
コレコレ、オシム。
もうちょっと後ろへ。
なぁんて勝手なコトを言いながら、見ているとやがて通訳が映りました。
おおおお。
千田さん。
やった。
よかったね。
(クビでなくて)
ガンバレ!!!
チダゼン。
代表の通訳ってこのところ個性的な方が続いています。
地味ですが、力のある千田さん。ピッタリだと思います。

と、言う事で楽しみが増えたオシムジャパン。
応援しています。

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2006.08.16

父母の祈り

父母の祈り

神よ、わが子が自分の道を歩めるように、

わたしが歩みたいと望んだ道を子どもに強いることがないように、

わたしにできなかったことを子どもに強いて、苦しめることがないように、

神よ、わたしを守ってください。

わが子が歩み行く遥かかなたを見据えて、今のわが子の過ちを見守らせてください。

ゆっくりと成長するわが子の姿を、優しい心で見つめることができますように。

些細ないたずらに微笑みかける時と、悪しき行いを毅然とたしなめる時、

その二つの時を見分ける英知を与えてください。

わが子の怒り狂うことばや、押し黙る孤独な姿に、

悩み苦しむ子どもの叫びを聴き取ることができますように。

そして、深い淵を越え、子どもに歩み寄り、理解しあう事ができるよう、

わたしに力を与えてください。

神よ、できないことに目を留めていらだち、怒りの声を上げるのではなく、

わが子が上手にできたことに目を向けて

喜びのことばで褒めることができるよう、

私を導き、ちからをあたえてください。

私が心からわが子を大切にすることによって、

子どもも、心から人を大切にすることができますように。

わが子が力強く自分の道を歩めるように、わたしは子どもを送り出したい。

神よ、どうかわたしに、その勇気を与えてください。


(マリオン・B・ダーフィーの『祈り』から )

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
私の大好きな詩です。

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大文字送り火

今日は京都では五山送り火
起源は定説が未だ確立してはいませんが、
いずれにしても夏の風物詩となり、京都の人々にとって大切な行事です。
先祖の御霊が無事帰られることを祈り、
そして生きている私たちの平和を願って、今年も京都の夜空に大文字が焦がれます。

さて、歴史の深い大文字ですが実は京都新聞の記事によると1943年から3年間、京都の夏の夜空から大文字が消えたそうです。
時はまさに太平洋戦争。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
毎夏、亡き人の霊を冥府へと送る弔いの炎が、1943(昭和18)年から3年間、京の夏の夜空から消えた。
 太平洋戦争末期、火を守っていた若者たちは戦地に赴いて人手が足りず、空襲に備え「灯火管制」が厳しくなったためだ。代わってその年、朝の大文字山に現れたのが「白い大文字」だった。
 地元国民学校の児童と一般市民あわせて800人が、白いシャツに身を包んで早朝の火床まで登り、午前7時から全員で戦意高揚と鎮魂の願いを込めて、人文字で「大」を描き、ラジオ体操を奉納したのだという。当時の京都新聞の見出しは「英霊を送る」…。すべてが戦争へと束ねられていく時代だった。
 翌年も続けられたが、終戦をはさんで1946(昭和21)年には「送り火」が復活した。
 その後「白い大文字」が1度だけ姿を現したことがある。1994(平成6)年、映画 「浮島丸」のワンシーンとして再現された。
 撮影には半世紀前に「白い大文字」を体験した女性たちも参加。「平和への祈りとともに、今日まで元気でいられたことに感謝します」(同年9月24日付夕刊)。
 今も世界で戦乱が絶えない。送り火に平和の願いを託す人も多いかも知れない。
(上記サイトより)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

この様な記事を目にすると益々平和の大切さを思わずにはおれません。

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2006.08.15

それぞれの終戦記念日

小泉首相、靖国神社に昇殿して参拝と言うことで、小泉さん、公約の通り(?)8月15日に靖国参拝の夢(?)を実現されました。

さてさて、この先どうなることか、今後の動きに注目です。
私も個人的にいろいろ調べていずれ纏まったものが書けたらと思っています。

それはそうと、今日の昼のテレビで東條由布子さんを久しぶりに拝見いたしました。
昨年の7月東條由布子さんと言うタイトルで彼女にについて書いてから一年チョット。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
さて、由布子さん。
「大きな濁流の中で、東條は一人では、それを止める事はできなかった」と言われました。
私もそれはきっと正しい歴史の見解だと思うのです。
歴史は一人で動くものではない。
時代のエネルギーに翻弄されていく一人の人間東條を語るには、それはそうだと思うのです。
由布子さんがいみじくも言われたように「大きな濁流」だったのです。
自衛であれ、侵略であれ、「戦争そのものは濁流である」ことは由布子さんも認めていらっしゃいます。
あの時代は、
みんなが一直線に(もちろん反対の人も大勢いました)戦争へと突入しました。
東條英機一人の力で何する事も出来なかったと思います。
あるいは他の何人も。
過去の清算をキッチリなさりたい由布子さんのお気持ちもわかるのですが、
由布子さんが言われたように「東条英機個人」だけの責任でないことは、私たちは十分知っています。

ただ、
ただ、
私が思うのは、それだからこそ、
そうだからこそ、
由布子さんが語るべきことは、
「今、時代が再びアジアと剣呑な関係になりつつある。
あの濁流は、二度と起こしてはならない。
再び、東條由布子を作ってはいけない。
再び、戦争被害者を作ってはいけない。」
では、ないでしょうか?????
二度とあの間違いをしてはならないと言うことを声高に訴えることこそが、
先の戦争で亡くなった方たち(おじいさまも含めて)への
最高の慰霊ではないでしょうか?
おじいさまも戦争は本意でなかったとおっしゃっているのだから、
これからは平和のためにご活躍ください。
(もし、御著書でその様にかかれていたらゴメンナサイ。
私は読んでいないから)

由布子さん。
貴女には、これからは未来を見ていただきたい。
辛かった過去の呪縛から逃れ、
平和な未来を見て頂きたい。
素敵なあなただから

(昨年の記事)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
なんだかあの頃に比べて随分印象が険しくなった気がします。
以前は張り詰めた雰囲気と、毅然と構えた隠しようもない品格があった由布子さん。
しかし、今日の貴女はただただ険しいだけでした。
あの頃の品格を伺うことが出来なくて残念。
この一年間、貴女はどの様な生活をなさったのだろうかと、
決して貴女にとって豊かなものでなかったのではと他人事ながら気になります。
今日のお顔を拝見しながら貴女もまた戦争被害者であると実感を致しました。

戦没者追悼式が今日、日本武道館などで行われましたが、
61年経った今もなお、戦争は終わっていない。
と、改めて思いました。
そして、
戦争は誰をも幸せにしない。
と、言うことも。
改めて

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2006.08.14

教育における市場化

第13回出生動向基本調査の結婚と出産に関する全国調査・夫婦調査の結果概要が国立社会保障・人口問題研究所からこの6月に出ました。詳しくは上記サイトをご覧ください。
さて、当然のことながら出生児数の低下が注目されます。
前回の2002年には2.23でしたが、今回は2,09と大幅に低下。
人口を維持できる合計特殊出生率は2.08であることを考えると、益々事態は深刻です。
その理由は「子育てにお金がかかる」で65.9%.
次が「高齢で生むのがいや」。
「心理的、肉体的負担に耐えられない」。と続きます。

また同じ6月。
政府は新しい少子化対策についてを決定。
それによれば、子育て負担軽減に関しては児童手当て制度に乳幼児加算、就学前教育に対する保護者負担軽減、奨学金充実などが盛り込まれましたが現実からは遠いと言うのが実感でもあります。
例えば、ここでは就学前教育について若干調べました。
働く女性の数が増えたことで今では保育所にかよう子どもの数が以前よりも多くなっています。
そこで需要に応じて増えたきたものに認可外保育施設があります。
グレース・インターナショナル・ラーニング・センターのようなすべて英語による保育を実施する施設などがドンドン出来つつあります。保育所と言う児童福祉施設と程遠い保育所の急増が意味することは、
やはり親の所得格差が教育に、しかも就学前から現れて来ているという現実です。
幼保一元化 「認定こども園」法案提出へと言う法案が文科省から提出されました。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
幼稚園でも保育所でもない第三の施設を新たに設けるというより、

①就学前児童への総合的な幼児教育・保育
②地域における子育て支援
の提供施設として、都道府県による認定制度を設ける方向で検討される。親の就労の有無にかかわらず、就学前の児童すべてを対象としている。
 現在、全国35か所でモデル事業を行なっており、

①幼保連携型(幼稚園と保育所が連携し一体的な運営を行なっているもの)
②幼稚園型(幼稚園が機能を拡充させているもの)
③保育所型(保育所が機能を拡充させているもの)
④地方裁量型(幼稚園・保育所のいずれの認可もないが、地域の教育・保育施設としての機能を果たすもの)
(上記法案より)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
この法案だけを見てもよく分からないのですが、
現実に何がどの様に変わるかと綿密に分析するならば、
・保育料がバラバラになる
・選考が市町村単位から施設単位になる
・保育料の滞納が退所に繋がる
・私立保育所が市町村から切り離される
・公的保障の外で保育される子どもが増える
などの問題が明らかになりました。
つまり、スイミングや英会話などのオプションをつける子、そうでない子との保育の中身が違ってくる。
それに対応できない子は置いてけぼりを食うという仕組みが出来上がるわけです。

その焦点は、以下の5つであることをおさらいします。
・保育料
・入所に当たり利用者が直接保育所に申し込む
・設置運営主体の規制緩和
・市場化により株式システムが導入される懸念
・新しい「法律改正」への足がかり
などです。

次に小学校、中学校、高等学校の変化も見ていましょう。
小学校が変わる、というのでは典型として京都の同志社大付属小学校と立命館大付属小学校が今年4月、鳴り物入りで開設しました。
テレビでも何回も特集が組まれていました。
英語を重視、広々とした教室にめぐまれた施設。何よりも凄いのは給食がホテル直営であることなど、話題に欠きませんでした。
年間授業料同志社87万円。
立命館100万円。
また構造改革特区では民間企業が中学を設置できます。
岡山県の朝日塾中学が第1号。
またトヨタが設置した海陽学園。
いずれも授業料は高額です。

教育、保育の現場にも市場原理が入り込み、保護者は子どもたちの教育、保護の主体者から消費者へと変貌を遂げるわけです。
こんな政府の法案をまのあたりにして、
若い人たちが安心して子育てできる未来を設計することは困難だと言っても言いすぎではありません。
子育ては勿論お金だけであ張りません。地域との関わりや家族との関係も不可分ではあります。
が、
一般的な問題として、やはり教育の現場に「構造改革」が入り込むことは良質な教育の提供とは程遠いということをしっかり確認する必要があります。
教育における市場化は先に見た通り保育の現場で露骨に繰り広げられていることが分かります。

次代の子どもたちのために教育の現場で、市場化の原理が蔓延しないように、
しっかりと少子化対策と連動して見ていく必要があります。

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イエメン戦代表

日本代表に巻ら22人 サッカー・イエメン戦と言うことで発表された22人。
話題は何といっても双子の佐藤兄弟でしょう。
(広島ファンとしては森崎双子もいつの日か代表のユニフォームを着てピッチに立ってもらいたい)
16日のイエメン戦が楽しみです。
やはり「あうんの呼吸」なのだろうか、、、

それにしても連日伝えられる情報。
厳しい練習で体と頭を使うオシムサッカーの洗礼を受けた選手たちの喜び(?)の声が届いてきます。
どんなチームが仕上がるのか???
楽しみです。


頑張れ!!!
日本ちゃちゃちゃ

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2006.08.11

今日的なセクハラ問題

以前セクハラ問題と言うタイトルで北米トヨタ自動車の事について書きました。
結局和解と言うニュースがつい先日出ました。

しかし、その後も後を絶たないセクハラ問題。
1999年、男女雇用機会均等法の改正で、セクシャル・ハラスメントが法律による規制の対象になりました。
それにより被害者の認知が高まり、今まで潜在化していたものが表面化してきました。以来被害相談の数は増える一方にあります。
そこで今日は今日的な事情を踏まえながら問題の深刻さと解決への道を探っていきたいと思います。

1国際的な動向。
アメリカは1970年代に入り、性差別について裁判で争われた場合、被害者の勝訴が蓄積されるという事態が続きました。
それをうけ、80年、連邦において雇用機会均等委員会のガイドラインにより、
対価型セクハラ (職場や学校などにおける立場・同調圧力・階級の上下関係を利用し、下位にある者に対する性的な言動や行為を行う(強要する)こと。)と環境型セクハラ(職場や学校などで、ヌードカレンダー、水着ポスターなど、人によっては不快感を起こすものの掲示、性的な冗談、容姿、身体などについての会話が多い状態。)の双方が性差別に当たると決定。
日系企業のMMMA(米国三菱自動車製造)問題は日本のマスコミでも取りあげられました。

ヨーロッパではフランスやドイツも職場環境におけるセクシャル・ハラスメント被害保護の法律を制定しています。

2日本の動向。
日本では16年前に初めてセクハラ訴訟の判決が出されました。
(静岡地裁沼津支部1990/12/20判決)
その後1999年、男女雇用機会均等法などが改正されましたが、一向に減少する方向にはありません。
今から4年前にスタートした厚労省の相談コーナーに寄せられる相談は、
H15年度2943件。
H16年度は3818件。

セクハラの数字については「労働相談」などで検索ください。
またセクハラ裁判についても100件以上の報告があります。

3最新事情。
セクハラ問題が今や雇用の現場に限らず、キャンパス、スポーツ界、ボランティア団体、労働組合、また介護の現場にと裾野が広くなっています。
先日の特養ホームの職員による「性的嫌がらせ」事件。
個人的には許せません。
徹底的に調査、今後その様な事がないようにしていただきたいものです。

また女性の側だけが被害者と言うわけでなく男性も被害者である場合も増えて来ていることも見逃せません。
男性が被害を訴える場合はその多くは「加害者にされたことに納得ができない」と言うものです。
・お互い合意だと思った
と言うのが理由で一番多いようです。
あるいは軽い気持で女性に交際相手のことを聞いたらセクハラ扱いされた、、、とか以前では気にもならなかったことがセクハラになり、男性の側も当惑、混乱しているようです。
さらには男性から男性へのからかいや、女性上司からの嫌がらせなども少数ではありますが、数字として現れてきました。
普通はこれらはパワーハラスメントと言う言葉で括られているそうです。

4解決の道筋は。
今まではセクハラと言えば片面規定でありました。
それは長い間の男性中心社会の遺物でもあったわけです。
しかし、今日、女性が社会に進出する中でセクハラとて男女平等になりつつあることを見る必要があります。
性による差別が男性から女性への一方的なものでなく、
女性から男性への嫌がらせ、
あるいは同性同士の嫌がらせもあることを見れば、
解決の糸口は「性差別禁止法」と言うことで全てのケースにわたり性差別全般を禁止するような方向に社会が進むことではないかと思います。
なお、今回のこの記事は特別の事例についての考察というよりは法律や相談の数字を分析することで一般化しようと試みました。
この問題、まだまだ考えていきたいと思っています。

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ペルセウス座流星群

ペルセウス座流星群のピークが、もうそこにやって来ています。
8月13日の午前2時です。
毎年のことながら、やはりペルセウス座流星群と言う名を聞けばワクワクします。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
残念ながら、8月9日が満月なので、極大予想時刻には大きな月が南の空にあってあまり条件がよいとはいえません。しかし、ペルセウス座流星群は明るい流星が多いので、月明かりの中でも十分見つけることができるはずです。また、出現期間は7月下旬から8月20日にかけての長い期間なので、ピークの12〜13日以外の日も、条件がよいときを狙って観測してみるのもいいかもしれません。

放射点は北東の空にあります。ただし、流星は放射点の近くだけで見えるわけではありません。放射点から離れる向きに流れるだけで、全天のどこからでもまんべんなく流れます。また、放射点から遠い流星ほど長く見えます。ただし、月がでている方向だけは避けた方がよいでしょう。
(上記サイトより)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

月明かりの中の流れ星。
ロマンチックです。
3回願い事を言うと叶えられると言い伝えられています。
アナタは何を願いますか???

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2006.08.10

接続できました

やった!!!
ようやくネットの接続が可能になりました。
と、言うことでこれからは頂いたコメントやトラックバック先も訪問出来ると思います。
またお友達ブログへもちょくちょく足を運ぶことが出来ます。
4分9円のネット生活よ〜〜〜〜さようなら。
これからも宜しくお願いいたします。

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靖国参拝

三笠宮さまが日中戦争「謝罪」、江主席外遊録に記述と言うニュースを見つけました。
引揚者の眼から見た中国の「反日」〜小泉首相の靖国神社参拝が嫌われるわけと言うニュースの中でも三笠宮さまが見た「戦争」が描かれています。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
昭和の日本軍は捕虜を国際条約で保護するということを知らなかったようです。昭和天皇の弟である三笠宮が「THIS IS 読売」(1994年8月号※1)の南京大虐殺に関してのインタビューで、ある青年将校から聞いた話しとして、「新兵教育には生きている捕虜を目標にして銃剣術の練習をするのが良い。それで根性ができる」という話を聞き、ショックを受けたと告白しています。インタビューの中、三笠宮は、捕虜に毒ガスを放射している実写映画も見たと答えています。
(上記ニュースより)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

小泉さんが靖国に8月15日に行くかどうかが注目されている今、上のニュースはかなり大きな意味を表しています。
国民の過半数も「この時期に靖国を参拝することの意義」を疑問視している中での強行突破は、将来に大きな禍根を残すかもしれません。
と、言うのも今まではアジアの国々だけが靖国に反対していたと思っていまいしたが、
この頃はアメリカを初めとして、世界各国が注目しているのです。

では、ちょっと見ましょう。

2005年
10・17 小泉首相が靖国神社に5度目の参拝を強行。中国、韓国の両駐日大使が強く抗議。米国務省報道官が「(中韓の)懸念の根拠を理解している」
米紙ロサンゼルス・タイムズが首相参拝を報道。靖国神社には「日本の軍国主義を美化する博物館がある」
10・18 米紙ニューヨーク・タイムズが社説「無意味な挑発」を掲載
10・19 仏紙ルモンドが首相参拝は「靖国神社付属博物館(遊就館)」の史観を「承認するもの」と批判
10・20 米下院のハイド外交委員長が加藤駐米大使に首相の靖国参拝に「遺憾に思う」との書簡
10・21 米紙クリスチャン・サイエンス・モニターが遊就館の長文ルポを掲載
11・18 APEC(アジア太平洋経済協力会議)の際の日韓首脳会談で、韓国の盧大統領は首相参拝を「韓国に対する挑戦でもある」と反発
12月  外務省の栗山尚一元駐米大使が雑誌で靖国神社の歴史観を示し首相参拝を「控えるべきである」と提言

2006年
2・6 シンガポールのゴー・チョクトン前首相が首相の靖国参拝をやめるよう提言
2・10 仏紙ルモンドが靖国神社ルポを掲載
3・1 韓国の盧大統領が「戦後の国際秩序にかかわる問題」として参拝中止を要求
3・14 温家宝・中国首相が「この問題が解決しなければ、中日関係の順調な発展は難しい」と発言
5・9 経済同友会が「日中関係への提言」で首相に参拝の再考を求める
6・24 ジアラ元米国防総省日本部長が「歴史の愚かな書き換えは、米国に対する直接的な挑戦」という論評を「朝日」に寄稿
6・25 ニューヨーク・タイムズ紙が「アジアにおける日本の、そして米国の利益を傷つけている」と靖国参拝批判
7・20 「日経」が昭和天皇がA級戦犯合祀(ごうし)に不快感を示していたという側近のメモをスクープ
またブッシュさんも小泉さんには「中国との関係」改善を求めるため「靖国問題」は気にしているという旨を伝えています。


実際、日本外交の行き詰まりを実感として感じている今、
小泉さんには「心の問題」と言うことで強行参拝するのではなく、
アジアだけでなく世界の状況もよく見極めて頂きたいと思うのです。
小泉さんが靖国に「心」から参拝なさりたいのなら総理をおやめになったとき、
気軽にいつでも行かれたいいのではないでしょうか???
大体「公約を守る」なんて小泉さん。
「公約を守らないことは大したことではない」と言ったのはどなたでしたっけ???

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オシムジャパン発進

オシムジャパン白星発進
昨日は朝からワクワク。
新生オシムジャパンがどんなサッカーを見せてくれるかと。
個人的には広島からは駒野と寿人がどんな活躍をするか、ハラハラ。
そして待ちに待った7時過ぎ。
キックオフ。
相手のトリニダードトバゴは遠征の疲れがあったのかもしれません。
動きがニブイ。
一方、日本代表。
やるではないですか。
走る。
走る。
走る。
おおお〜〜〜〜
監督が変わるとこんなに変わるんだ!!!
と、感心しているその揚げ句、
サントスがパンパンと二点をゲット!!!
おおおお。
やる。
サントスの本来の持ち味が十分に活かせて、本人もイキイキと楽しくやっているのがわかりました。
ダレダァ?サントスを守りにつかせたのは?(いえ通訳でした)
そして、そして私的には「何といっても良かったのはコ・マ・ノ」

駒野、絶妙アシスト 国際親善試合
と中国新聞でも褒めています。
ヨシヨシ。
寿人も途中からの出場でしたが、彼の持ち味を十分活かせたと思います。
それにしても監督が変わると、こんなにも違うのかと改めて思いました。
オシムさんにしては、この試合は満足の行くものでなかったことは、
途中退席でも伺えます。
「トイレ」なんて言いながら退席するなんて、もうこれだけで全てを語っています。
次に何が飛び出すか、予想の出来ないことをする監督で、面白いですね。
オシムサッカーを学ぶことは、選手にとっては大変だろうけれど、刺激になり勉強になり力になるでしょう。

もうひとつ個人的にビックリしたことは通訳
千田善さんだったのですね。
初め、テレビのアナウンサーが通訳の名前を紹介していましたが、聞きそびれました。試合の内容の方が気になるから、別に気にもしていませんでした。
ところがオシムが映る度に当然通訳が映る。
それでも別に何も思わなかったのですが、
ある時、監督・コーチー・通訳が全部立って話をしている姿をみて、突然
「アッ、千田さん???」
まさか。
まさか。
あの千田さんが。
でも、千田さん、言葉は話せるしサッカーもやっていたし、、、
とかとか思い出したら急に試合よりは通訳ばかり気になりました。
(試合がダレテきたのですが、、、)
そして、調べたら千田さんでした。
以前、私はユーゴのことをブログで書いたことがありますが、
ユーゴと言えば千田さんが日本での第一人者だと私は思っています。
と言う事でユーゴを調べるときはいつも千田さんのサイトへ行っていたのです。
そうか!
チダゼン。頑張れ!!!
オシムは通訳には「き・び・し・ぃ・ぞ」
と、言うことで私にとっては別の楽しみも出来たオシムジャパンです。
次は16日。
ニッポン。ちゃちゃちゃ

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2006.08.09

レバノン問題

イスラエル軍、難民キャンプへも砲撃と言うニュース。
なっなんなんだぁ、、、
この無法ぶりは。

イスラエル軍は8日もレバノン攻撃を続け、7日夜から8日未明にかけて80カ所を空爆。
南部の地上部隊もビントジュベイルなどでイスラム教シーア派民兵組織ヒズボラと戦闘をまじえ、ヒズボラ兵15人、イスラエル兵3人が死亡。
さらに対レバノン国境から約20キロ北方のリタニ川より南部の地域に空からリーフレットを配布し、同地域のすべての車両を空爆の標的とすると警告。
一方、ヒズボラ側も日、アッコー、キリヤットシェモナー、ダンなどイスラエル北部諸都市をロケット砲で攻撃。
終結の見通しは杳として見えません。

先日はロンドンで10万人の大規模なデモなどが起こり停戦を願う動きは世界各地で高まっています。
また、米国の言語学者ノーム・チョムスキー氏や英国の映画監督のケン・ローチ氏など著名な知識人・文化人7人が3日付の英紙ガーディアンに共同で寄稿し、イスラエルによるレバノン攻撃を「戦争犯罪」と批判し、責任を追及していく姿勢を明らかにしています。

さらに注目すべきは、イスラエル国内では、ようやくここにきて戦争の見通しにたいする疑問の声も生まれてきていることです。
イスラエル紙イディオト・アハロノト7月18日付は、
「オルメルト首相とペレツ国防相は事態に混乱している」「(ヒズボラの指導者)ナスララが仕掛けたわなにわれわれは引きずりこまれている」と複数の政治家の発言を紹介。
イスラエル紙ハーレツ8月3日付は
「もっとも失敗した戦争」と題する論評で、今回の攻撃が「適切な判断もなしに、誤った評価のもとに性急に開始された」と指摘。
社説では、オルメルト首相が攻撃で“成果”を収めたと述べたことに対し、「戦争の主な目的は、イスラエルへのロケット砲攻撃をやめさせることだったが、達成されていない。首相は軍事的失敗の真実を語るべきだ」と主張。


国際社会の現在の動きとしては、7日にレバノンの首都ベイルートで開かれたアラブ緊急外相会議が注目されます。
各国代表は米仏の国連安保理決議案の修正を求め、レバノン提案の7項の停戦案を支持し、国連安保理に代表を派遣することを決定。
レバノンのシニオラ首相は、イスラエル軍の自国領内からの撤退を要求していないことを理由に安保理決議案を拒否する姿勢を改めて強調。

混迷を深めている各国の動きの中で、やはり気になるのはアメリカ。
ブッシュ大統領は7日。レバノン問題についての安保理決議案を受けて「恒久平和の基礎」とし、早期採択を促しました。
ロシアは決議案を受け入れない模様。
大国の思惑の中で、今日も多くの人々が犠牲になっているというのでしょうか????
許せない。
早く、
はやく、
紛争が平和的に解決するように、、、願っています。
この問題、これからもしっかり追っていきます。

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長崎の日

今日8月9日は長崎市でアメリカによる原爆投下から61年目を迎え平和式典をはじめ、原水爆禁止二〇〇六年世界大会・長崎など、核兵器廃絶と平和を願う諸行事が終日おこなわれます。

15万人もの市民を殺傷し、今も多くの被爆者が障害に苦しみ続けています。
この日、新たに長崎原爆死没者として納められる被爆者は2831人。累計で14万144人となります。現在、同市在住の被爆者健康手帳保持者は48200人(六月末現在)、平均年齢は74歳です。

先日の大阪地裁と広島地裁での原爆症認定集団訴訟の勝利判決は被爆者を大きく励ましたことは言うまでもありません。
「長崎でも必ず」と34人の原告(一、二陣合計)=うち6人が死亡=を先頭にたたかいが続いています。
まだまだ闘いは続きます。

今日も11時2分、61年前のあの日の事を思い、長崎には平和の鐘が鳴り響きました。
鐘の音を聞きながら今、ここに居ることの責任を感じました。
再び、戦禍にまみえることのないように祈りを込めて、、、
ーーーーーーー
こよなく晴れた 青空を
悲しと思う せつなさよ
うねりの波の 人の世に
はかなく生きる 野の花よ
なぐさめ はげまし 長崎の
ああ 長崎の鐘が鳴る

召されて妻は 天国へ
別れてひとり 旅立ちぬ
かたみに残る ロザリオの
鎖に白き わが涙
なぐさめ はげまし 長崎の
ああ 長崎の鐘が鳴る

こころの罪を うちあけて
更け行く夜の 月すみぬ
貧しき家の 柱にも
気高く白き マリア様
なぐさめ はげまし 長崎の
ああ 長崎の鐘が鳴る

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2006.08.08

亀田父vsやくさん

昨日スポーツに求めるものと言うタイトルでジダンの頭突き問題から私なりに百尺竿頭を一歩進めて考えたのですが、
今日は更に話題の「あの人」達について書きます。
そう、亀田父 vs やくみつるです。
ご覧になった方々はいろんな感想をお持ちと思います。
私はと言えば、
お二人には悪いが何回見ても「おもしろい」。
見ればみるほどオモシロイ。
こんな書き方したら誤解されることを承知しながらも「面白い見せ物」としか言い様がないなぁ〜〜〜〜
何回もこの映像を見た以上、もうちょっとマシなこと書かなきゃと思いつつも、思いに任せて出てきた言葉が「おもしろい」だったのです。
では何が面白い?
と聞かれたら答えは「どっちもどっちで結局、軍配はテレ朝にありぃいいいい」って事です。
このバトル、一番得したのはテレ朝です。
次に格好良かったのはガッツさん。
当事者のお二人は「どっちもどっち」かなぁ?
何故なら亀田父とやくさん。
「かみ合っていない」からどんなに話しても平行線。
やくさんは、「挑発を敢えてするために」ここへ来たと言い、
亀父は「あれがスタイル」だと言う。
と、言うことでボクシングから外れたところで熱くなるお二人に、
ガッツさんが冷静に軌道修正を試みるというのが20分の番組討論(?)の内容でした。

「ボクシングについて」と言うテーマでここでは更に考えていきたいので、やくさんにはご退場をお願いして亀父さんだけ残っていただきましょう。
やくさん。コスプレ(?)お疲れさまでした。
さて、
問題の核心にいる亀父のボクシングと言うスポーツについて、時々話される考え方には私は疑問を持ち共感は出来ませんでした。
「勝てばいいんだ。勝たなきゃ次がない。」と言うのはあの世界では、ある意味本当なのかもしれませんが、「なんのために勝つのか」
と言う事が伝わってこなかったのは、非常に残念でした。
「ボクシングが好きなんだ」と言う言葉を最後まで聞くことが出来ませんでした。
(少なくともあの番組内では)
興毅君があこまで登り詰めたのは、単にパフォーマンスや「やらせ」だけではないことは誰でも知っています。
ひたすら練習をして強くなり、強くなって更に練習するひたむきな姿の中に「美」を見つけロマンを求め多くの人は声援を送っていたのです。
が、
昨日の父の発言からは些かも「ボクシングに対する愛」が語られませんでした。
亀田父はボクシングをお金儲けの手段としか思っていないのでしょうか?
また我が子に対しても、金儲けのボクシングをしてくれる道具だとしか思っていないのではと感じられました。
少なくとも子どもたちを一個の人格として認めていません。
「教育的」配慮に欠け、力で育て上げることが正しいと思っています。
世界チャンピオンになった興毅君にはお金だけでなく名誉と品性と人格が必要とされることを弁えていません。
子どもたちが憧れ、
亀田みたいになりたい、、、努力すれば亀田になれる、、、と夢を抱き、ボクシングの世界に入ろうとする者達のことは一切頓着していません。
我が子だけが強ければいい。
しかもボクシングそのものを愛しているわけではないから、アッサリと「負ければ引退させる」なんて言う。
オイオイ、オトウチャン。
子どもはあなたのオモチャじゃないんだよ〜〜〜〜〜
そしてアナタは「何も分かっていない。」
つまり、どうして私たちがバッシングをし、抗議をしたかの本質を見誤っています。
アナタは私たちを見ていないからです。
アナタの視線の向こうにあるのは、我が子でもなければ、ファンでもない。

そんな感想を浮かべながら先の討論の次第を見たのですが、
結論として言えることは、
亀田史郎さんは、「世の中を甘く見ている」。
と、言うことです。
この父が今のままではいずれ自滅は近い。
世間は甘くない。
私たちがスポーツに求めているのは華やかさではなく「ひたむきな強さ」なのだから。
お父さんがどんなに何を言おうと「人気商売」品に子どもたちをさせたのはご自身なのだから、
大衆の支持を得ないような発言をしたその時から廃れていくしかないのです。
もう一度書きます。
世間は甘くない。
だから、頂点に立ったその時、
人は「謙虚」にならなければならないのです。

亀田史郎さんが、ボクシングに対して敬意と愛を払い、
応援している私たちへの感謝の念を抱き、
そしてひたすら自らの人生に謙虚になることが無い限り、、、
この父の浮かぶ瀬はないのではと思います。
ただ、息子たちはその限りではありません。
興毅君には、本物を目指して欲しいと心から願いながら、、、私は、この記事を書いています。

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2006.08.07

スポーツに求めるもの

世の中は慌ただしく目まぐるしく回っています。
W杯決勝で世界中が注目の中でのジダンの頭突き。
私もジダンの罪というタイトルで二回ほどこの問題について考え、記事にしました。
その後、欽チャンの野球やら北朝鮮女子サッカー、そして亀田選手のボクシングやらでジダンは遠くなっていました。
が、
昨日、村野瀬玲奈さんからジダン問題についてコメントを頂き、改めてこの問題を含め「スポーツとは何か」と考えてしまいました。
本来ならコメントでお返しするのが筋と思いますが、我が家のパソコン事情が今、時間内での接続と言う厳しいものなので新しい記事にしてお返事と言うか私の考えとさせていただきます。
まず、私はこの問題を考えるにあたり「プロスポーツに何を求めるか」と言うことを考えました。
それはズバリ「極限に挑戦する者の美」を魅せてくれるものの一つの表現方法ではと考えます。
本来、スポーツとは選手の優れた技と鍛えた術と並々ならぬ精神力を観るために私たち観客がチケットを買い求め、自分の日常からかけ離れ、時間を作り観戦するものだと思うのです。
勝敗は後からついてくるもの、、、という実に崇高なモノだったはずなのですが、
が、
いつの間にかその目的は、オリンピックに任せることになり、プロはひたすら勝ちに拘るようになりました。
そしてオリンピックまでもが国を背負い、勝敗、メダルに意義を求めるようになり、
行う者も観る者も本来の姿から遠ざかっていきつつあり、
いきつつありながらも、
それでも頭のスミッコでは「それっておかしい」と覚醒しています。
何故なら「極限に挑戦する者の美」からはずれているものを観ることは、はなはだ居心地が悪いからです。スッキリしないからです。

さてジダン問題に話題を戻すなら、
私はジダンの頭突きには断罪してしかるべきと思っています。
また彼自身も自らの行為については反省もし、FIFAの処分を受け入れているので、私の中では今まで通り「なんにしても熱い男ジダン」の評価のままです。
一方の当事者に対しても「けんか両成敗」の処分で私は良いと思います。
そりゃマテラッティが良いなんてことは絶対ありません。
五分と五つとは言わないが4−6か3−7で責任は二人にあります。
究極の美から対極にある卑劣な行為をしたのだから当然です。
ただ、どんな理由があれ「手」を出した方はマケです。
そして衆人環視の中で堂々と頭突きしたジダンに世間は糾弾の矢を浴びせることはしませんでした。何故なら彼は移民の子であり、移民の星であり、英雄だったから。
確かにピッチを離れた生活の後先ではそんな状況もあるのかもしれませんが、
ピッチの上では絶対、彼を移民の子だと思って差別するような選手は現実にはいないと私は思うのですが。
ジダンはジダンなのだから、、、
そんなスーパーな彼を人種問題で侮蔑するような発言があのイタリア戦であったとは考えられません。
ジダンが怒ったのは単に相手の挑発に乗ったからです。
それはジダンでなくてもお互いの選手同士でやっていることで、みんながみんな頭突きはしません。
だから私は挑発に乗ったジダンは悪いと思うのです。
ピッチ上で毅然としていればよかったのです。ジダンは。
しかし、その後、ジダン本人も含め、世論として盛り上がった「人種差別」。
確かにスポーツの場でもままある人種差別。
品性に欠ける野次、罵声が後を絶ちません。
しかし、本当にサッカーを、あるいはスポーツを愛している人には無関係です。
本物の技と術の前では「淘汰」されるのです。
とかく勝ち負けに関わると熱くなるのは人間の本性かもしれませんが、
本来のスポーツ以外での乱闘(?)はいずれ壊滅していくものと私は思います。

そのためにも問われているのは私たち観戦の側の姿勢でもあります。
「勝てば何をやってもいい」と言う土壌を厳しくチェックする「確かな目」を養うことだと考えます。
そう言う意味で、ジダンの投げかけた事、亀田選手のその後の世論の動きが実は私たち自身の姿であったと思うのです。
「差別」していたのはマテラッティではなく私たちなのではないか?
亀田選手の周りの大人の思惑とは別の所で、「強さ」と「正々堂々」を亀田選手に求めたのも私たちの居心地の良さを求めたからではと思うのです。

極限に挑戦することの美しさを、感動を求めるには私たち自身の有り様も含めて今後もスポーツと何かを考えていきたいものだと思いました。
さて、村野瀬さんからは、セクハラに関しても示唆に富むコメントを頂きましたが、
これは私の中ではレイヤーが違うので、いずれ別の記事にしていきたいと思います。
と、言うことで、通過点の一つとしての記事を書きました。

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61回目の記念日

うすれていく記憶と言うタイトルで2年前、原爆忌について書きました。
実際、日常の中でヒロシマは遠くなって来ています。
その理由の一つに被爆なさった方々のご高齢による「うすれゆくあの日」があります。
またあの日を記憶から消え去りたいと思っていらっしゃる方もあります。
しかし、そんな方々も時の試練をうけ、重い口を再び開き、あの日の証人として立ち上がり、自分に続く多くの人々を失った悲しみと戦争責任への告発を行いました。
全国あちこちでも国を相手の原爆認定訴訟が起こりました。
先日、被爆地である広島で原爆症認定集団訴訟で、原告四十一人全員勝利の判決を手にすることができました。
多くの人々に力と勇気と連帯の喜びを伝えることができた画期的な判決。
しかし、被爆者と国、消えぬ溝の記事にもあるように、被爆認定問題で国と被爆者の方々の今後にま川崎二郎厚生労働相「厳しい判決を受けた」として、大阪、広島両地裁の敗北を「二度の司法判決が国の考え方とかけ離れていたものと認識している」とのべました。控訴するかどうかは明言しませんでした。
広島市内での記者会見や日本被団協など被爆者七団体との会談で発言。
川崎大臣は「厳しい判決を受けた。まさに判決の内容を検討しているところ。大阪地裁判決との比較論など、精密な検討を慎重に行いたい」。
現在の認定基準を「国際的にも認められた評価システム。認定はこの基準を使うのが基本だ」と旧来の考えに固執。
これに対し、被爆者七団体と厚労相との懇談の席上、金子一士被団協理事長は「被爆者はあと何年生きられるか分からない。控訴は人道にも反する行為だ」と控訴断念を求めました。
国は控訴をすべきではないと私は思います。
ここまでやってくるのに61年がかかりました。
被爆者の方々にとって61年は気が遠くなるくらい長い年月だったと思います。
闇に閉ざされ、出口の見えない暗黒の中でようやく見えてきた1筋の光り。
その光りに縋り、光を求め、手繰り寄せるように丁寧に生きていこうとする人々。
そんな人々から無情にも光りを奪い、また時間と言う暗闇に突き落とすようなことは国はすべきではありません。
控訴断念を願いながら、
最後に原水爆禁止二〇〇六年世界大会・広島の閉会総会(六日)で採択された特別決議「政府に被爆者政策の抜本的転換を要求するムム原爆症認定集団訴訟広島地裁勝利判決をうけて」の原文ままを掲載します。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
六十一年目の原爆投下の日を前に、被爆地広島でたたかわれてきた原爆症認定集団訴訟で、原告四十一人全員勝利の判決を手にすることができた。病気や傷害が原爆のせいであることを認めてほしいという申請が却下され、苦難をかかえながら裁判に立ちあがった被爆者の、「国の認定却下は不当」という訴えが認められた。広島をはじめ全国の原告のみなさんとともに、この勝利の喜びを力に、被爆者政策の抜本的転換を要求する国民的な運動をまきおこそう。
 大阪地裁での九人の原告全員勝利につぐ今回の判決は、国の認定却下の不当性を重ねて明らかにした。判決は、残留放射線の影響を考慮していない現在の認定基準は、「一応の単なる判断の目安」にすぎないとし、その機械的な適用を厳しくいましめた。
 認定裁判で九回も敗北を重ねた政府は、今度こそ非を認めるべきである。判決を受け入れ控訴しないこと、大阪地裁判決についても控訴をとり下げることを強く要求する。そして、これまでの判決がくりかえし指摘したように、被爆状況や健康状態などを全面的・総合的に判断するよう原爆症認定行政の抜本的見直しをすみやかに行うべきである。
 いまなお原爆投下を正当化するアメリカの戦争と核兵器使用政策を容認し、それに協力する日本政府の姿勢こそ、原爆被害を直視しない根本的な要因である。原水爆禁止世界大会は、「ふたたび被爆者をつくるな」の願いを原点に、核戦争阻止、核兵器廃絶、そして原爆被害への国家補償を求め、世論と運動を広げてきた。この願いの実現にむけ、被爆者とともに、さらに大きく前進しよう。
 二〇〇六年八月六日
 原水爆禁止二〇〇六年世界大会ム広島
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

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輸入再開の米国産牛肉

輸入再開の米国産牛肉、成田空港に到着
この国がアメリカの属国とか手下とか、国民よりアメリカとかとか色々言われる証の一つが今日、また示されました。
米飼料企業 反芻動物蛋白質入り牛用飼料をリコール 米国産牛肉輸入再開は再考せよと言う報告に寄れば、入ってくるのは牛肉だけではなく、舌や小腸などの内臓も当然入ってくる。
この舌には扁桃(SRMの一つ)が付着している恐れがある。
小腸は、感染していれば、それ自体危険な部位。
しかも、感染初期ほど危険度は高い(OIE、腸全体をBSE特定危険部位に 問われるわが国の対応,04.6.21)。食肉処理の初期段階で取り除かれた大量の小腸を、どのようにして後に肉質で20ヵ月以下と判定された牛の小腸と同定するのかもまったく分かっていないから、20ヵ月以上の牛の小腸が入ってくる可能性は否定できない。そして20ヵ月以下の感染牛の小腸だったとしても、却って危険度は高いとのこと。
目で「これは危険」とは誰も分かりません。
危険だと分かったときは時既に遅し、と言うのが食の危険性なのです。
安全、安全、安全、、、、、と口で入っても誰も保障しない安全にどうして私たち消費者は首を縦に振ることができようか(いや、できない)。
アメリカはさらに日本に圧力をかけ、30ヶ月までにしろと言っています。
この問題、決してアメリカのいいなりになってはいけません。
私たちの不断のゆるぎない声が大切な時。
大きく食の安全を守れ!!!と声を出すときです。

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2006.08.04

日本代表

オシム・ジャパン初戦の代表メンバーが発表されました。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
GK】
★川口能活(磐田)   30 92  0
☆山岸範宏(浦和)   28  0  0

【DF】
★三都主アレサンドロ(浦和)29 75  5
★坪井慶介(浦和)     26 35  0
☆田中マルクス闘莉王(浦和)25  0  0
★駒野友一(広島)     25  9  0

【MF】
☆田中隼磨(横浜)     24  0  0
 今野 泰幸(FC東京)  23  3  0
☆小林 大悟(大宮)    23  0  0
 長谷部 誠(浦和)    22  3  0

【FW】
☆我那覇和樹(川崎)    25  0  0
 佐藤 寿人(広島)    24  6  2
 田中 達也(浦和)    23  2  1
★はW杯ドイツ大会のメンバー、☆は初代表。出場と得点は国際Aマッチ
(上記ニュースより)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
広島からは駒野選手と佐藤選手が選ばれています。
頑張って!!!
今回の選出はガンバとジェフとからは選出がなかったので、巻やツネさんはいません。
新しく我那覇選手が選ばれたのは納得。
浦和からは6人も選ばれています。DFなんか浦和3人組と駒野。
お手柔らかにぃいいいい。
と、言うことで楽しみなトリニダード・トバゴ戦とアジアカップ予選のイエメン戦(16日、新潟スタジアム)。
選ばれた皆さん。
夏の一番暑いとき、大変とは思いますが頑張ってください。
応援しています!!!

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気になるニュース

気になるニュースはやはり安倍氏の靖国参拝
ううううう〜〜〜〜〜んんん。
どうなるのか今後の各方面の動きが気になります。
多くの方が最も危惧されていることは次期総裁候補であると言う事とアジア諸国の反応でしょう。

私個人の意見としては、ここでも何回も書いているように参拝云々とか合祀問題についてはいろんな方の立場があるから、その立場の方の発言でなんとも言い様がないのですが、、、
遊就館の展示が些か神社と言う本来の性質からして些か不穏当ではと思うのです。
いずれにしてもこれからの動向に目が離せません。

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原爆症認定

41人全員を原爆症と認定
良かったです。
本当によかった。
〜〜被爆者健康手帳を持つ人は全国に25万9556人いる一方、原爆症の認定者は0・8%余りの2280人にしか達していない。〜〜
まだまだ十分とは言えないものの現実に被爆で苦しんでいる多くの方への励ましになったと思います。
これからも続くであろう闘い。
ご高齢を鞭打っての叫びと思えば、その声を大切に掬い、さらに伝えていく必要と実生活の保障を求める闘いの成果を伝えていく責任も感じています。
何はともあれ、本当に良かった。
そしてこれから未来にわたり、人々が戦争という犯罪により、この様な被害に遭うことがないようにと願ってこの記事を書いています

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2006.08.03

イスラエル問題

混迷のイスラエルーレバノン情勢。
イスラエル軍の攻撃は止まることを知りません。
レバノン南部での48時間の「空爆停止」期間が切れたことを受け、大規模な作戦を展開。イスラエルはすでに一日夜、期限を待たずに東部や南部スールを空爆
地上部隊は2日、約6000人規模の兵力でレバノン南部を攻撃。ついにブライダなどを制圧。
南部のカナでは、イスラエル軍の爆撃で犠牲になった民間人52人の合同葬儀が2日に予定されていましたが、再び空爆されたため葬儀が延期。
レバノン政府の救援機関HRCは、イスラエルによる攻撃開始以降、レバノン人828人が死亡、3200人が負傷したと公表。イスラエル側は54人の死亡。
国連も停戦に向けて努力してるものの、アメリカ・イギリスとその他の国の意見が違い足並みが揃いません。
「イラク戦争の再来か」と一部では懸念されています。
そんな中、アメリカでも、キッシンジャー元国務長官ら米共和党元政府高官が相次いで、ブッシュ政権の中東政策に対して批判の声を上げ、方針転換を呼びかけています。
国家安全保障担当大統領補佐官を務めたスコウクロフト氏は、ワシントン・ポスト紙7月30日付への寄稿で、ライス国務長官を批判。それによると、ライス長官が「単なる停戦ではなく問題の根源に対処する必要がある」と述べているのは正しいが、「問題の源泉」はイスラム教シーア派民兵組織ヒズボラではなく、1948年のイスラエル建国に伴い発生したパレスチナ問題が解決されていないことにまで遡ると指摘。 問題の根の深さを述べました。
キッシンジャー氏はワシントン・ポスト31日付で、レバノン問題解決のためにも、米政権がイランとの直接交渉に踏み切るべきだと提起。
またブッシュ政権で国務副長官を務め日本にもお馴染みのアーミテージ氏は27日のNPR放送のインタビューで、「空爆でヒズボラは根絶できない。空爆はヒズボラに力を与えるだけだ」とイスラエルの軍事行動を批判。米国は、ヒズボラに影響力をもつシリアと交渉すべきだと提案。
いずれもイスラエルとレバノンと言う当事者に任せるのではなく、
国際社会を中心に紛争の本質に迫ることの重要を強調しています。
いずれにしても、
いずれにしても、
罪のない人々が災禍にあっているこの現実を一刻も早く解決して欲しいものです。

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人を育てるということ

昨日の夜は我が家はサッカーA3チャンピオンカップを観ていました。
市原、最初は調子が出なかったようですが、
時間を追う毎に「いいサッカー」を見せてくれて、面白い試合でした。
来週に迫ったオシムジャパンがますます楽しみになります。
と、いうことだったのですが、
が、
今朝、起きてテレビをつけたらスポーツは、あの人のニュースばかり。
そう横浜アリーナで行われたWBA世界ライトフライ級タイトルマッチ「亀田興毅×ファン・ランダエタ」の試合。
なんだか凄かったようですねぇ〜〜〜〜
私は直接、試合を観ていなかったのですが、
朝のワイドショーはしっかり「はしご」しました。
TBS。やっぱり番組進行、難しかっただろうな。
スタッフの苦労が滲み出ていました。
テレ朝以下、他局はしっかり「批判」していました。
確かに、あの内容ではスンナリと喜ぶことはできないし、納得もいかないなぁと思いました。
TBS以外の番組のコメンテーターは、
「マスコミが作った英雄」とか「お涙頂戴家族愛」とか「これからが本当の戦い」とかとか述べ、興毅君本人よりも周りの大人の罪を断じていました。
ついでに「あの態度、なんとかせえぃ」と言うことも忘れずに付け足していましたが、、、
マスコミが煽ったのか、それに乗った視聴者が作ったのか、確かに亀田三兄弟はハングリーなボクシングには似合わない派手さがあります。
しかし彼らは練習熱心で好青年であるということを伝え聞くと、
いずれ彼ら自身が、彼らを取り巻いている環境(主には父)から必ずや自立する日がやってくると思います。
周りが敷いた「幸せ路線」を突っ走っている今は、何が本物で何が出来合いか分からないとは思いますが、彼らとていつまでも「亀田三兄弟」ではないと思います。
多分、父親を始めとして周りは「人を育てる」と言う事が本当はどう言うことかわかっていないのでしょう。
こんなことって山ほどあるのですが、私は最近の漫画もその一つと思って見ていたのです。
漫画がドンドン面白くなくなっています。
おおお、、、久しぶりに面白いと思ったマンガも、いつの間にか色褪せて「もういいや、、、」と思う頃、あっさりと連載打ちきりなんてよくあります。
おいおい。
いったいなんなんだ〜〜〜
漫画家って消耗品じゃないんだぞ。
と、大手出版社のやり方に腹をたてている私。
「若手を育てる」と言う意識に欠けています。
毎週店頭に並ぶ漫画を見て、
作者の愛情が回を追う毎にすり減ってくるのがよく分かります。
ダンダン憎しみさえ感じたりして、、、
まるで使い捨て商品のようにこき使われているのだろうと、想像できる私です。
亀田三兄弟にしても、漫画家のタマゴにしても、芸術、スポーツ全て、或いは学生にしても、若者を育てると言う事をもっと丁寧にゆっくりと愛情をかけることの大切さを思った一時でした。

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どちらが悪い?

今、私のネット生活は5〜6年前の状況。
つまりネット接続4分9円。
と、言うのも今回、いろいろ考えてNTTからヤフーBBに変えることにしたのです。
最初、ヤフーの方は「遅くても一週間で接続できる」と言うことだったのですが、
が、
が、
今日がその一週間目。
NTTを切った後、どうやらNTTとヤフーがもめているらしい。
詳しい内容は分からないのですが、ヤフーの担当者は恐縮しながら、「いつ接続するのか皆目見当がつかないが、来週の月曜日にどうなるかわかる」との事。
オイオイ。すぐに接続出来ると言ったのはウソだったのかぁああああああ。
NTTが意地悪しているのか?
ヤフーがウソついたのか?
どっちが悪いのだろうか???
どっちも悪いのか。
いずれにしてもお客である我が家の都合なんか考えもせず、ひたすら自分たちの利益を追うことだけハヤ・メ・テェくれぇ。
そう言えば、NTT絡みで言うならば、
システム開発最大手のNTTグループ企業「NTTデータ」が取引先の中小企業に実際の取引を水増しして支払い、課税対象となる自社の利益を操作していた疑いがあることがわかったというニュースをつい最近見ました。
なんでもNTTデータは1995年から99年までの5年間、NTTの電報システムの開発にからみ、派遣していたSEの稼働(勤務)時間を、実際の稼働とは違う虚偽の数字で報告するよう取引先に要求。そしてNTTデータは、その数字に基づき、取引実績よりも水増しした金額をソフト開発会社に支払っていたとのこと。
これは、独占禁止法19条が禁止する「不公正な取引方法」に違反する疑いが強いと言うことで今後さらに追求されるものと思われます。
まぁいずれにしても早く接続してと願いながら、
ケチな私は画面の上に表示される時間を見ながら、
あちこちのウインドウをとにかく開いて保存。
保存して開くと言う昔のネット環境でパソコンに向き合っています。
でも慌てて情報を取ってくるので、いざ書こうと思うと、もうちょっと情報が欲しい、事実を知りたいと思うのですが、ケチだから再接続はギリギリまでしません。
と、言うことでいつになったらブログ仲間のところへ遊びに行けるか分かりませんが、
勝手に気ままにそして細々と書いていきますので宜しくお願いいたします。
ところで、
もう一度、
悪いのはNTTかヤフーか???

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2006.08.01

つれづれなるまま


「人ほどはかなきものなし、神仏にむかひ、富貴をねかふ。
ねかふ心をやむれば富貴なることをしらず。」
これは江戸前期の臨済宗の僧で至道無難禅師の法語の中にある言葉です。
先日からテレビ・マスコミで取り上げられている「摂理」と言う名の宗教団体。
実に怪しげです。
被害も続々と出ているようです。
その実態も全容とまではいかないものの少しずつ伝えられてきました。
被害にあった人たちの中には未だマインドコントロールの解けていない人もいます。
また、呪縛から逃れた人たちは、それはそれで深く大きな心の傷を負っているものと思うと首謀者の犯した罪の深さを思います。
こうした宗教絡みの事件は後を絶ちません。
部外者から見ると「何故、そんなことに騙されたのだろう、、、」と思うのですが当事者にとっては、その時その選択が善であり全だったのでしょう。
悪いのは騙した方です。
騙すための手練手管を使って、言わば「プロ」なのだから、、、
これは一連の詐欺事件にも当てはまることだと思います。
無防備な私たちの安心につけいってくるその手口は日に日に巧妙かつ悪質になっています。
では、こんな犯罪から身を守るためにはどうすればよいのか???
と、問われれば本当にどうすればよいのでしょう。
「人を見たら泥棒と思え」という世の中は淋しい。
でも身は守らなければならない。
と、言うことで警戒の勧めと言うことで書いてみます。
警戒。
と、言ってもそれは他人を警戒することではなくて、自分自身を警戒することです。つまり「人は誰でも騙される資質を持っている」と言うことを肝に銘じておくことです。
「自分だけは、、、、」
なんてことは絶対ありません。
むしろ「自分だから」と思って自分に警戒をして下さい。
ただし人に対しては大らかであったほうが断然いい。
そして宗教に関しては特にどんな神様でも願えば幸せになるなんて神様は信じないことです。
だって願わなければ幸せにしてくれないなんて、神様としての器は小さい。
願っても、そうでなくても「ありのまま」を受け入れてくれる神様はお金も性も超越していることをもう一度確認。
いずれにしても、今後この様な被害が起きないようにと願うばかりです。
本当はもっと書きたいのですが、今、ネット接続は電話線からなので4分9円という状況で書いていますのでここまで。
この状況は引き続き、コメントへのお返事は当分出来ないのですが、ゴメンナサイ。

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今日から八月

今日から八月。
いつ明けるとも分からなかった梅雨も漸く明け、夏になりました。セミの声が似合う季節です。
八月。
旧暦の八月の異名は葉月。
新暦の九月上旬から十月上旬の初秋にあたるため、この語源は、葉の落ちる月「葉落ち月」が転じて「葉月」になったとする説が有力です。
また、稲の穂が張る月「穂張り月」「張り月」から転じたとか、
北方から初めて雁が来る月なので、「初来月」「初月」から「葉月」になったとする説などもありますが、どれも確かではないようです。
あなたは上のご縁由来のいずれがお好きですか?
私は雁が来る月と言う説が好きです。
さて、そんな風流な昔の呼称とは似ても似つかぬものが八月にはド〜〜〜ンとやって来ます。
そう、ガソリンの値上げ。
運送費が上がるということはそれにつれ色んなものが上がると思われます(給料以外というところが辛い、、、)
さらに加え医療費の値上げなどが順次やってきます。
すでに書きましたが、
医療制度改正により患者負担増がこの10月から実施されます。
(1)70歳以上の「現役並み所得者」の窓口負担の2割から3割への引き上げ
(2)70歳以上の療養病床入院患者の食費、居住費の自己負担増
(3)高額療養費の自己負担限度額の引き上げ
などです。
ズバリ、高齢者イジメです。
既に6月に実施された、
住民税の老年者控除の廃止、
公的年金等控除の縮小、
非課税措置の廃止、
定率減税の半減などなどで、高齢者に大幅な増税がのしかかりました。
更に、さらにそれに連動して国民健康保険や介護保険料も負担増は言うに及びません。
そして2割負担の「現役並み所得者」(課税所得が145万円)の範囲が、今月から大幅に広がります。
控除の廃止・縮小で、対象となる年収基準が夫婦二人世帯でも単身世帯でも約100万円も引き下げ。
年収が夫婦二人世帯で約520万円以上、単身世帯で約383万円以上あると、「現役並み所得者」とされます。
新たに「現役並み所得者」とされた高齢者は、医療費の患者負担が今月には1割から2割へ、10月には2割から3割へとなっていく仕組みです。
高齢者の方に現役並み所得という言葉で、医療費の負担増を強いていくやり方は本当に冷たい。
そもそも年金はご自分たちがお若い頃から掛けてきたものです。
貰える権利は当然あります。
その年金を当て込んで、ドンドン控除を減らし、揚げ句には現役並みという言葉で医療費まで負担増とは、、、
この国はトコトン、トコトン、国民から搾り取りまくる積もりなのでしょう。
先日、友人と話をしていたら、
友人の義母が今、老人ホームに入っているそうです。
90才近いおばぁちゃんで食も細いから今までは食費が一日350円。
ところが、今度おじいちゃんの年金が課税されることになり、その途端、おばぁちゃんの食費が1500円になったそうです。
彼女は「これっておかしい、、、、」とひとしきりぼやいていました。
とにかく一つ何かが上がると連動してバンバン色んなモノが上がっていきます。
二年後の2008年4月には75歳以上のすべての高齢者から保険料を徴収する「高齢者医療制度」が導入。
滞納者から保険証をとりあげる措置を盛り込んでいます。
制度導入と同時に「現役並み所得者」を除く70〜74歳の高齢者の患者負担も1割から2割に引き上げ。
何よりも辛いのは高齢者の医療費の自己負担が高くなることです。
お年寄りは現役と同じようなペースで医者にかかることはありません。一生懸命働いてきた体の隅々にギシギシと不調が出てくるのは当然です。
現役並みにバリバリという老人がいたらその方が不自然です。
お年寄りには病気をしても、お医者さんに安心してかかり、ゆっくりとお体を治し、大切に日々を過して頂けるように計らうことが 政府の役目だと思います。
また、そんな政府であればこそ私たち国民も安心して税金やら年金やら保険を掛けることができます。
今のお年寄りを大切にしないということは将来、私たちも大切にはされないことです。
日本の医療費は、発達した資本主義国のなかで経済の規模に比べて低い水準にあるのに、患者の窓口負担は突出して重いのが特徴です。
その上、政府は「混合診療」拡大の10月実施にむけた作業も進めています。
命の沙汰も金次第。
医療の格差が広がっていく将来の日本。
ここまで来れば政府には期待出来ないということか?
もしそうならせめて、私たちのなけなしの生活費からドンドンふんだくるようなやり方はやめていただきたい。
〜〜〜〜〜〜〜〜
日出でて作(な)し、
日入ていこう
井をうがちて飲み
田を耕して食らう
帝力、なにか我にあらんや
(撃壌歌より)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
日が昇れば起き上がり、沈めば帰る。水が欲しければ井戸を掘り、食べるものが欲しければ田を耕す。それだけのことである。
政治の力はなんの関わりもない。
おおらかな古代中国大陸の農民の生活を謳ったものです。
現代の私たちには、ここまでおおらかな生活は出来ませんが、
自然と共にあるささやかな庶民の生活を見守るような静かな政府だったらなぁ、、、と贅沢な願いを思っています。

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