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2006.08.22

マスコミが作る感動

早実の斎藤投手。
今や国民的(?)ヒーロー。
昨日から今朝のワイドショーは、斎藤クンの話でもちきり。
本人はともかく、
いとこやら兄やら親戚総動員。
幼なじみも勿論、近所の人たちと、テレビ局は追っかけます。

うううう====んんん。

これっていいんですかね????

いや、よくない。

なんだかつい先頃同じようなことがあって、、、
そうそう亀田クンだ。
亀田三兄弟ですよ。
テレビで、これでもか、これでもかと「家族愛」がお茶の間に流れてきました。
が、
例のあの試合以来、マスコミの冷たさを亀田一家と共に(?)痛感していた私。
追っかけマスコミの方も、触手が動く事件もなければ感動物語もない。
そんな夏枯れ状態の矢先の感動甲子園。
泣かせますね。
延長のすえの再試合。
本格派ピッチャーとは違うがその端整な佇まいが、まさに「貴公子」。
いけるではないか。
イケル。
これでいこう。
それっ=====

と、ばかりにマスコミはサトウ、いえいえ斎藤君に蟻のようにたかります。
感動秘話。
ハンカチ貴公子。
それいけ、やれいけ。
ドンドン。


あああ〜〜〜
いやになります。

私たちって、マスコミに「感動」を作ってもらわなければ、もう感動を味わうことはできないのですかね???
本当にやめて欲しい。
第二、第三の亀田一家を作ってはいけない。
安い涙を誘って欲しくはない。

私は、本棚から山際淳司作「スローカーブを、もう一球」を取り出し、
もう一度読み直しています。
この本の感想を以前書きました。
以下に引用しておきます。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「スローカーブをもう一球」。
名もない高校が甲子園という晴れ舞台に出場。
そして、とくになんの技も無い地味な投手が、
「スローカーブ」を投げる、、、
と、いうそれだけの話です。
「なぜ、野球をやっているか???」
「惰性だよ。惰性。」と言い、
ラーメンのことや、ガールフレンドが何故、できないか悩んだりと、普通の高校の野球部の風景が描かれています。
とくに、「勝つこと」にこだわらない。
ノラリ、クラリとやっているうちに、勝ち進んでいく。
「かわしていれば、いつかチャンスは訪れる」
そんなチームが、全国に名乗りを上げていくという、
「地味な話」です。
しかし、
読ませるのです。
オモシロイ。
この本を読み終わった後は、
「なんて、野球ってオモシロいんだろう!!!」と、しばらくは余韻にひたります。
もちろん、山際さんの深い洞察と暖かい人間観察とがあるからでしょうが、、、
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
本当の感動とは何か、
改めて考えています。

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コメント

亀田くんにしろ斉藤くんにしろ、マスコミの扱いには構造として同じものを感じます。宮台氏的な言葉で言えば「祭り」というキーワードで語れるものではないかと思います。何かで盛り上がる「祭り」が出来れば、それが大変な視聴率を獲得するポピュラーなものになると言う構造でしょうか。

亀田くんの時は、それまでの強いヒーロー、ちょっと悪っぽい個性というものでの祭りに加え、ダーティーなヒーローという点で、また違う盛り上がり方が出来たのではないかと思います。祭りの対象になったという点では、亀田くんの商品価値はまだまだ高いものだと思います。

斉藤くんに関しては、誰もが安心して応援出来るベビーフェイス的な正統派ヒーローとして祭りの中心にいると思います。斉藤くんの登場で、亀田くんの商品価値がどうなっていくかというのは興味のあるところです。違う個性の祭りの中心としてまだ商品価値を保ち続けるのか、すでに飽きられているところがあるので、もはやインパクトを失ってしまっているのか、この次の試合がどうなるかで日本社会の傾向がかいま見えるかも知れません。

かつての日本社会なら、祭りの中心になった彼らは、その後の人生の中でその経験が一つの糧となって自分の支えとなったのではないかと思います。かつての素朴な日本社会ならそうなったでしょう。しかし、現在の何でも商品にしてしまうような日本社会では、彼らの今後が心配だと思います。

彼らがこれからどんな人生を歩もうと、それなりにそこで幸せをつかむことは出来ると思います。たとえ今後華やかな活躍がなくても、そこそこ実力を発揮出来るプレーヤーとしての幸せをつかむことも出来ると思います。

しかし、祭りの中心としての高い商品価値を期待されていると、本人の意志にかかわらず虚飾で飾り立てた祭りの御輿になっていく可能性があります。斉藤くんがここで燃え尽きてしまったとしても、彼がそれに満足していれば、彼の人生においてはそれも幸せだろうと思います。しかしこれだけ商品価値が高くなった彼をそのままにしてはおかないだろうなと思うと、期待に応えられなくなったときの落胆は深いものがあり、大きな不幸につながってしまうのではないかと感じます。

祭りは楽しいものかも知れませんが、その後に来る問題を考えると、素朴に祝っているだけではいられないのを感じます。日常性をまったく考えることがなくてもいいような、日常的な心配がないような祭りが欲しいものだと思います。僕は、甲子園の決勝には素朴に祭りとして熱狂は出来ませんでした。

投稿: | 2006.08.22 13:14

秀さん。
こんばんは。
コメントありがとうございます。
何回も読ませていただきました。
私も全く同じことを考えていたのです。
結局、本人が今後どの様に対応するかということと、周りの大人たちの事を思うと、
この国は若くして名をあげると大成しないのかと、、、
「まつり」と言う表現は面白いですね。
そうそう以前も書いた「おむつ」のこと。
本当は秀さんに対しての意見とというより内田さんの子育て論にたいしてちょっと疑問を持ったのですが、
書こう、書こうと思いながら今、夏休みで子どもたちの夏休み宿題に追われていてなかなか時間がとれません。
が、
いずれ書くつもりです。
その折はまたご意見お聞かせくださいね。
では、、、

投稿: せとともこ | 2006.08.23 23:14

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