« AFCユース選手権・準決勝 | トップページ | おむつと母親 »

2006.11.10

母親と保育所とおむつ

以前から、
と言っても、7月の末仮言命題そのものの真理性とその前件と後件の真理性と言うタイトルで数学屋の秀さんが「おむつ」について書かれた記事を読んでからズット、ずっと喉に骨がひっかかった思いでいました。
そこへ「母親は家庭で子育てを」下村官房副長官がまたアホを晒すと言う記事をdr.stoneflyさんが書いていらしたのを読んで、
これはチト書かねばと思った次第。
まず下村発言から。
次に秀さんの元ネタの内田樹さんの記事について書いていこうと思います。

下村発言
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「本当にいいのか見直すべき時期に来ている。(特にゼロ歳児保育に)税金投入するなら、(母親は)無理に働かなくても、家庭でしっかり子育てをやってもらえるようにシフトしていくことが望ましい」と述べた。政府が進めている待機児童解消策の見直しを求めたものと見られる。
また、下村氏は「家庭をバラバラにする政策ではなく、人間社会の原点である家庭を再び構築していくような政策が必要だ」と強調した。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
そもそもの発端の保育所問題についてはdr.stoneflyさんが追い続けていらっしゃるので、これに関してはお任せします。
下村発言で私が特に取り上げたいのは、憲法24条との絡みです。
青い鳥コンプレックスと言うタイトルで憲法24条見直しプロジェクトについて私が記事にしたのは2004年の7月。
この時議論の根底とされたのは以下のようなものでした。
〜〜〜〜〜〜
この分野における本プロジェクトチーム内の議論の根底にある考え方は、
近代憲法が立脚する「個人主義」が戦後のわが国においては正確に理解されず、
「利己主義」に変質させられた結果、
家族や共同体の破壊につながってしまったのではないか、ということへの懸念である。
権利が義務を伴い、自由が責任を伴うことは自明の理であり、
われわれとしては、家族・共同体における責務を明確にする方向で、
新憲法における規定ぶりを考えていくべきではないか。
同時に、科学技術の進歩、少子化・高齢化の進展等の新たな状況に対応した、
「新しい人権」についても、積極的に取り込んでいく必要があろう。
〜〜〜〜〜〜〜〜
これは有り体に言えば「女よ家に帰れ」と言うものです。
もっと詳しく知りたい方は自民党のホームページ(http://www.kenpoukaigi.gr.jp/seitoutou/20040610jiminkaikenPTronten2.htm)をご覧ください。

なおSTOP!憲法24条改悪キャンペーンと言うサイトに論点整理されています。
「同時に、人間の本質である社会性が個人の尊厳を支える「器」であることを踏まえ、家族や共同体が、「公共」の基本をなすものとして、新憲法において重要な位置を占めなければならない。」
と言う家族・家庭のあり方を憲法=国が介入していくという露骨なもので、これに関しては各方面から糾弾されまくりました。
さてさて、先の下村発言。
母親は家庭で子育てをしっかりやっていく必要を説いたのですが、
まさに「女よ家に帰れ」の発想です。
時代に逆行するものです。
これに関しては、流石の高市さんも下村発言には苦言を呈したそうです。


次に三砂さんの「おむつ研究」。
と、言うか内田樹さんの記事。
まず、三砂さんの研究というのは「母親にシグナル=排便が読めればおむつは要らない。」
と言うものだそうです。
それに対して内田さん。
〜〜おむつの要らない育てられ方をした子ども」は「世界の中に私が存在することのたしかさ」をきわめて早い段階で実感できることになる。
これがそれから後の子どもの人生にどれほどゆらぎない基礎を与えることになるであろう。
どれほどの「余裕」と、「お気楽さ」と、「笑顔」と、「好奇心」をもたらすことになるであろうか。〜〜
と言う。
果たしてそうだろうか???
母親は子どものシグナルを発見、認識するためにピリピリになることはないのだろうか?
一度や二度の発見失敗なら許されるかもしれないが、
度重なるシグナル発見失敗は母親に自己撞着と自信喪失、やがては子育て放棄へと拡大することはないのだろうか???
いつも子どもの顔、つまり排便シグナルを見逃さないでおこうと躍起になっている母親に育てられた子が、どれほどの「余裕」と、「お気楽さ」と、「笑顔」と、「好奇心」をもたらされるのだろう???
私は疑問です。
さらに内田さんは続ける。
〜〜〜〜〜〜
もし、クールかつリアルな立場から、社会的リソースを確実に継続的に獲得し続けたいとほんとうに願っている人がいたら、私は「おむつが要らない」こどもを育てるところから始めた方がいいとアドバイスするだろう。
自分の子どもが発信するシグナルさえ感知できないし、感知することに興味もないという人間が社会関係の中でブリリアントな成功を収め続けるという見通しに私は同意しない。
〜〜〜〜〜〜〜
そっそんな。
おむつシグナルを関知できないだけで「母親失格」は辛い。
確かに大らかな母親や優秀な母親は、この関門をラクラクに乗り越えることができるだろうが、
そうでない母親たちは今後の子育てをどの様に対応すればいいのか?
私は悩んでしまいました。
因みに秀さんは「シグナルというものが現実的に正確にキャッチできるものか」と言う点について興味を持たれています。
それに関しては私も学問として興味ありますが、
仮にシグナル発見が可能となれば、その間母親は子どもに拘束されると言うことになるのではないだろうか?昼となく夜となくである。
たとえ専業主婦であったとしても、
子どもに並々ならぬ愛情を持っている母親であっても子どもに掛かりきりと言うことは、実際問題として困難ではないだろうか?
初めの子ならそれでも可能かもしれないが上に子どもがいた場合はさらに困難は増すように思うのです。
シグナル発見を、いざ社会科学の分野にまで広げていこうと言うことは拙速・勇み足ではと考えます。

さてさて。
内田さんの現実とは乖離した理想論の中で喘ぐ母や親たちと、
その非を唱える者を「フェミニストたち」と十把一からげに論じていくのは、果たして学者として正しい論理の構築なのか、私はさらに迷うのです。

おむつかえだけが子育てではない。

さらに竿頭を進めるなら、内田さんは結局「母親よ家に帰れ」と言う結論に行き着くのだろうかと思えば、その罪も深く大きいように思えてなりません。

|

« AFCユース選手権・準決勝 | トップページ | おむつと母親 »

コメント

TBありがとうございます。
それと、いつもほんとにお世話になってます(笑)。
おお、三砂さんといえば「鬼ババ化する〜」ですね。あの本は、途中で放棄しました。しかしこの人ホントに自然感知が好きですね〜。
で、内田さんの評価ですか、笑いました。
きっと内田さんは「おしめ変え」の一つもしたことがないのでしょう。夜中に何度もおこされて、ノイローゼ気味になったこともないと思います。
まあ、現実を経験したものにとっては論外ですね。話になりません。(ってここまで言っていいのかなぁ?)

投稿: dr.stonefly | 2006.11.10 17:47

なんじゃらホホホイのホイですねぇ〜。
排尿シグナルを見落とさないために四六時中見張られることになったら、子どもは伸び伸び遊べないじゃないかーーー!!!

それに、ほんじゃーアナタは排尿シグナルを関知できるのか?って思いますよね。「女なら本来はできるものだ」とか何とか本気で思っているのでしょうか。

こういうこと言う男に限って、妻の離婚のシグナルに気付かなくて、オタオタするんじゃねーの、と思います。ケッ!!

投稿: 水葉 | 2006.11.11 14:52

こんばんは。
 実は私(というか妻)、これやってみました。まず、産院で産むのをやめ、助産婦さんの自宅で出産、へその緒をかなり長いこと切らない、産湯を使わせない、出産直後から母親がピッタリ抱き続ける、というアフリカのある部族の超自然育児。それ自体害になりそうなことは含んでなさそうだったのでやったのです。
 やれば生まれた直後に子供が笑う!笑わないのは「文明化」された出産をする愚かな「文明人」の赤ちゃんだけ!だそうで・・・。
 もう20年ほど前のことです。もちろんおむつのことも書かれてました。
 結局子供は笑わなかったし、シグナルを母親が受け取ることなんてことは一切なし。うちに関する限りではすべてウソでした。
 もし、その部族に本当にできているのなら、それは普段から自然の息吹を感じながら暮らしているからであって、どういう出産、育児だとできるという小手先の話ではないような・・・。国土をぼろぼろにしておいて、母親だけの責任にしてもダメだろうなぁ。

投稿: luxemburg | 2006.11.12 23:54

dr.stonefly さん。
水葉さん。
luxemburgさん。
こんにちは。
コメントありがとうございました。
お返事遅くなり失礼しました。
このところの教基法問題でバタバタとしていて、落ち着いてコメントへのお返事書く時間がなかったのです。

教基法に、沖縄。
残念ですが、まだこれからです!!!
へこたれず頑張りましょう。
おむつのコメントへのお返事とは言い難い(?)ものになりましたが、、、これからもどうぞ宜しくお願いいたします。

投稿: せとともこ | 2006.11.21 13:49

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« AFCユース選手権・準決勝 | トップページ | おむつと母親 »