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2006.12.27

まとめ書き その3

まとめ書きその3は石原さん。
画家と言われている四男とそのの友人である都参与と公費での飲食を繰り返していた問題が新に浮上。
いやはや、、、
いやはや、、、
何をどの様に言えばピタリとこの家族を罵ることができるのか、言葉を探しています。
そんじょそこらの罵詈雑言では、この家族にはなまやさしい。
その厚いつらの顔にはそよ風くらいにしか受け取れないだろう、、、
と、言うことで空しいから罵りはやめて、
ひたすら今、分かっている事実のみ書きます(今後もドンドン増える可能性あり)。

「交際費」という名目で老舗料亭での飲み食いが、約237万円。
一回の最高額はなんと41万6000円、平均額は21万5000円。
都の元参与との交際だそうです、、、
この参与は元運輸官僚で航空振興財団会長の棚橋泰氏です。
詳しくはしんぶん赤旗に書いてありますのでお時間がありましたらご覧ください。
いやぁ、、、
凄いですよ。
一回の料理の代金が庶民の一ヶ月の給料よりも多い。
年収200万円以下の人が急増している中で、石原一家は交際費に200万円を税金で使っている。
それを恥ずかしいとも罪とも感じない。
むしろ糾弾する方を恨むのだろうな、、、石原さんは。
「貧乏人は黙れ!」と。

いずれにしても次の都知事選。
東京都民の良識が問われます!
しっかり注目です。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
一九九九年十月に都参与(航空政策担当)に就任し、都から月額三十三万九千円の報酬を受けています。参与の役割は「都政の課題について専門的な立場から知事に助言を行う」(都知事本局政策課)ことです。

 日本共産党東京都議団が情報公開請求で入手した都の文書によると、同参与を対象とした接遇は二〇〇〇年六月から〇三年五月までの計十一回、行われました。いずれも相手方に「棚橋参与様ほか」か、「棚橋泰様ほか」と書かれています。

 〇三年五月二十九日には、芥川賞・直木賞の選考会場としても知られる東京・築地の料亭「新喜楽」を利用しました。参加者は同参与や石原知事ら八人で、料理単価は四万三千円。翌月、料亭からの請求に応じ、三十四万円を知事交際費から振り込んでいます。接遇の目的は「都政懇談」でした。

 このほかの接遇でも▽二万五千円の料理を十二食、室料込みで計四十一万六千円(〇〇年六月)▽「料理等」で三十七万一千円(人数など記述なし、〇一年八月)▽うな重(二千五百二十円)四食、おろしそば(七百三十円)二食で計一万一千円(〇〇年六月)——などを支出しています。

 都知事本局秘書課は取材に対し「参与は知事をサポートするために出席した。本来、相手方とすべき人は『ほか』に含まれている。参与が相手方であるかのように書いたのは不適切だった」と釈明しています。
(上記ニュースより)

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まとめ書き その2

大掃除やら仕事やらの合間をぬっての「まとめ書き その2」は軍事費について。


来年度の予算、方々のブログで話題になりました。
なかでも気になるのは、社会保障費の大幅な抑制にもかかわらず軍事費は、わずか前年度比0・26%減の4兆8016億円。
来年はいよいよ防衛庁から防衛省へ昇格。
(これに関しては私の個人的感想は、民主党ってナァ〜〜〜ニィって感じで少々怒り!)

海外派兵態勢づくりがいよいよ現実のものとなります。
約1826億円を計上した「弾道ミサイル防衛」。
しかし防衛とは名ばかりで実質は「弾道ミサイル楯」です。
日本を在日米軍基地と米国本土を守る盾になるのです。
アメリカが反撃を心配しないで世界で先制攻撃戦争をおこなえるようにするためのアメリカのための戦略防衛ということかぁ、、、
当然、米軍基地再編経費は別格かと思うほどふんだんに予算がもられています。

税金がドンドン米軍と自衛隊のために使われていく、、、
武器が一つ増える毎に、国民である私たちの生活はますます苦しくなっていくということです。
勿論、国を守ることは大切ですが、
その前に国民を守っていただきたい、、、
生活苦という敵から。

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まとめ書き その1

おはようございます。
久しぶりの更新。
本当は書きたいことが山ほどあったのですが、
なんだかんだと忙しくしていました、、、
と、言うことで「まとめがき」。

まず25日の死刑執行。
いやぁ、、、何というか。
ブログ仲間のお玉さんやハムニダさんちでは早速、エントリーをあげていらっしゃいました。
死刑反対に関しては村野瀬玲奈さんを中心に死刑廃止についてのリレーエントリーと、フランスのロベール・バダンテール法務大臣による死刑廃止時の演説と言う内容で多くのブロガーのみなさんがリレーエントリーを書いていらっしゃいます。
秀逸な企画です。
バダンテールの高邁な精神と熱意が伝わります。
是非ご覧ください。
格調高いロベール・バダンテールの演説の内容を新たに読み返した時、
死刑が如何に野蛮で安寧を欠く裁きであるか思い至りました。
死刑廃止を願い、実行することは、
その裁きとは直接関係ない第三者にとっても「平和」の証であるということでしょうか、、、
以前、刑事立法と言うタイトルで私も「死刑制度」を考察したことがあります。
ブログでいつも啓発されている数学屋の秀さんは、国家権力の暴走に対する「恐れ」の感覚と言うタイトルで権力への虞を書いていらっしゃいます。
こちらも是非一読なさってください。
私は先の記事で以下のように最後を締めました。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「自由・独立・平等の理性人として本来あるべき権力の担い手となり、
市民生活を自らの手で守ることこそが近代民主主義が標榜してやまない「国家と市民との関係」だと思います。
刑罰は重くなるほど一方に権力が集中するという事実に対して、
私たちは必要性と危険性、双方を視野に入れて考える事の大切さを改めて思いました。」
(上記記事より)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

つまりは死刑制度というのは重罪人・死刑囚だけの問題ではありません。
罪は悪い。
裁かなければならない。
しかし、
死刑が果たして正当な方法か???

神ならぬ人が法の力でなしえることは何か???
もっともっと考える必要を感じます。
いずれにしても今回の死刑執行は、あまりに急です。
再審請求の死刑囚もいたとか、、、
しかも国会閉会中にバサバサと行うやり方は、
議論以前の問題のような気がしてなりません。

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2006.12.22

教育荒廃の真犯人はだれ?

ブログ仲間のお玉さんから日教組の何がいけないのだろう? と言うトラックバックを頂きました。
早速訪問。
お玉さんらしい「けれんみのない」実に良いエントリーでした。
「日教組の何がいけないのだろう? 」と素直な疑問。
それに対して私自身は明確に答えを出すことは甚だ難しいと思いました。
コメントしようと思ったのですが、
チョット長くなりそうなので此方でエントリーを挙げますね、お玉さん。

さて、私の場合、言われているような「日教祖が教育を壊した」感は実感としてはありません。
と、言うか私が義務教育を受けた時代は組合の先生方が華々しく活躍なさっていた時代なのかもしれませんが、小学校時代の記憶に「組合の先生」なんて言葉は一つもないのです。
子どもであった私はともかく親の口からも「組合の先生はストとデモばかりしていて困ったものだ」と言う言葉がないと言うことは、あの時代の教師が世間でとかく言われているようなデモ・ストばかりしていたのではないのでは、と思うのですが。
尤も私は田舎育ちだからなのか???

さて、長じて自分自身が親になり子どもの学校や先生方、PTAの方々とつき合うようになった頃は、
組合の組織率は2〜3割。
組合の先生方が言われているような、如何に「ていたらくで教育を破壊したか」なぁんて、これまた実感していないのです。
ゆえに、
私もお玉さんと同じく「ねぇねぇ〜〜〜日教組ってそんなに悪いの?」と疑問に思うクチです。

実際、内部では組合・政党の押し付けなどはあったのかもしれませんが、
しかし「教育そのものを荒廃させたのは日教組」だろうか?
私は否と思います。
「国は教育に介入すべきではない。」と言うのが私の一貫した願いです。
したがって組合の先生方が教育への不当介入に対して声を挙げたことが、顰蹙をかうようなことなのだろうか?
私は個人的には、
公教育を破壊した真犯人は中央教育審議会ではないかと思います。
これに関しては日本の公教育
ゆとり教育 その1・その2などかなり拘って書きましたので、お時間がおありでしたらご覧ください。
私が教育の荒廃を実感したのは、自分自身の子どもの時よりも、
我が子の義務教育時代の方です。
そして、この時期は日教組や全教など組合の組織率が低い時代であることは言うまでもありません。

さて、この問題を論理的に考えるとき、
「では組合がなければ、教育は荒廃しないのか」と言う対偶の視点からも考察を深めることが肝要かと考えます。
1980年以降の教育の流れを見ると、中教審の台頭に揺れ動く教育現場と言う感は否めません。
中教審関係でも過去に記事を書きましたが、いずれも新自由主義との絡みが多かったのです。
いろいろ調べる中で、教育組合の存在がなければ公教育はもっと荒廃していただろう、と言うのが私の実感です。
以前大学法人化のその後と言うエントリーを挙げたことがあります。
「今日の大学の現状」について考えることは、
教育の荒廃の真犯人捜しに一つのヒントをあたえてくれそうです。
独立法人化された国立大学と国立試験研究機関は独立行政法人通則法に起因する共通の状況にがんじがらめにされています。
その共通の状況とは、以下のとおり。
・中期目標。
・理事長を頂点にするトップダウン方式。
・教員や研究者の任期制。
・研究費の競争性。
・成果主義。
・行政や管理業務が研究や教育より上位。
などなど。
こうして大学間格差は広がり、
大学人は学生の教育や研究よりも「いきのこり」に奔走される日々を迎えることになりました。
独法化導入の前には多くの大学人が反対の声明をあげ、こうした事態を危惧しました。
しかし、政府は反対を押しきり強行。
新自由主義の考え方が今や大学を闊歩しています。
真の改革とは何か?
常に知的で倫理的・道義的であらねばならない大学の現場でなされた改革はむき出しの資本主義にもとづくものでした。すでに西欧や北欧では破綻しているにも関わらず、未だアメリカにこびを売り、信奉する新自由主義。
二年が過ぎて、矛盾続出の国立大学の現状を見ると、
教育の荒廃の真犯人は「組合の教師」ではなさそうです。

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冬至

今日は冬至です。
一年で一番夜の長い日です。
カボチャを食べたり、ゆず湯に入ったり、
或いは私の住んでいるところでは、「ん」の二つ付いている食べ物を頂いたりします。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
カボチャの別称、ナンキンにニンジン、レンコン、ギンナン、キンカン、カンテン。それにうどんの古い呼び名の「ウンドン」だ。語呂合わせで「運」にあやかったとも言われている。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
だそうです。

昨年も冬至の日に書いたのですが、この日は昔から「一陽来復」と言い、
この日を境に太陽の力が増してくる日でもあります。
陰があれば陽もある、そのバランスで自然は運行しているという東洋の思想です。


さて、今年の漢字は「命」でした。
いろんなことがあったこの一年。
来年はいい年でありますように、、、

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2006.12.20

第165臨時国会が閉幕

昨日12月19日。
第165臨時国会が閉幕。

この臨時国会、二つの大きな悪法が成立しました。
教育基本法と、海外活動を自衛隊の「本来任務」とし防衛庁を「省」に格上げする法案。

いよいよ改憲への道は開かれるというのでしょうか???

そもそもの始めは「911」の郵政選挙であったわけですが、
それはそれとして、今回の教基法成立までの各政党の動きを見ていると、
民主党の動きが実に残念でなりません。
所詮は自民党の補完政党かと思ったりして。。。
この政党が国民・庶民から真に信頼され政局を任されるためには、
何をなすべきか、
民主党の幹部は真剣に向き合うことが大切だと考えます。

いずれにしても、
国民である私たちは来年も再来年もずっとずっと、
今回の「数の横暴」を忘れることなく国政選挙には棄権しないことが、
為政者への一番の抗議です。

今年の国会は、
耐震強度にあけ、ライブドアでもめ、最後は教基法と防衛省格上げ。
庶民にはひたすら辛い国会でした。
来年はもっとよい年でありますように。

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2006.12.16

あの素晴らしい教育基本法をもう一度

“人は生れながら自由で,しかもいたるところで鎖に縛られている”
と初めに書いてJJルソーは「社会契約論」を著わしました。
その中に次の一節があります。

人民の自由は、国家の健全に比例する。

さて、改正教育基本法が参院可決・成立と言うニュースが飛び込んで来たのは昨日12月15日。
言葉もないまま、私もアレヤコレヤと忙しくしていて、怒りをブログにと思い、漸くパソコンの前に着いたのですが、
ふと思い出したのはルソーの「エミール」。

教育に関わろうとしたとき、
また自分が子育ての中で迷い込んだとき、
何度も開いた「エミール」。

子どもを、あるがままに受け入れ、育てることの大切さを滔々と書き綴るルソーの世界に埋没していったものです。
あのルソーの言葉が甦ります。


「自然を見よ、自然が教える道を辿れ、自然は絶えず子供を鍛える」。
と。
そして、
「教育は、自然の本性に合わせなければならない。
国政に合わせるものは、個性に逆らうものである」。
ともルソーは教える。

教育の目的は機械を造ることではなく、人間を創ることである。
と述べ、自然から学び、自然に帰ろうと呼びかけた教育者は、同時に政治思想家でもありました。
「人間不平等起源論」「社会契約論」と著わすなかで、彼は声高に主張します。

主権は人民にあり、政府は権力を委任された機関に過ぎない。

と。
そうです!
主権は私たちにあるのです。
決して政府でも国家でもありません!!!
勿論、教育も。
「教育とは自然の性、すなわち天性に従う事でなければならない。
国家あるいは社会のためを目標とし、国民や公民になす教育は、人の本性を傷つけるものである」。

昨日12月15日。
私たちは、失意と落胆に打ちのめされました。
しかし、
しかし、
「教育」を守ろう、国家の介入は子どもたちの自然の性を壊すものであるという認識のもと、
かつてなく多くの人たちが声を挙げました。
何日も。
何回も、、、

この波は止まることを知らず、続きます。
改悪法案が実施されることのないまま消え去る日まで、、、
あの素晴らしい教育基本法が戻ってくるまで、、、

もう一度、エミールの言葉を噛みしめて。
〜〜教育は、自然の本性に合わせなければならない。
国政に合わせるものは、個性に逆らうものである。〜〜

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2006.12.15

この世は天国?

あの有名な放送禁止歌が甦る。
そう、
♪自衛隊に入ろう
のあの歌が。

【作詞】高田 渡
【作曲】M・レイノルズ
【MIDIデータ作成協力】Iwakichsky

1.みなさん方の中に
  自衛隊に入りたい方はいませんか
  ひとはたあげたい人はいませんか
  自衛隊じゃ人材もとめています
  ※自衛隊に入ろう 入ろう 入ろう
   自衛隊に入ればこの世は天国
   男の中の男はみんな
   自衛隊に入って花と散る

2.略
3、略

4.日本の平和を守るためにゃ
  鉄砲やロケットがいりますよ
  アメリカさんにも手伝ってもらい
  悪いソ連や中国をやっつけましょう
  ※(くりかえし)

5.自衛隊じゃ人材求めています
  年齢 学歴 問いません
  祖国のためならどこまでも
  素直な人を求めます
  ※(くりかえし)

  いつまでもつづけよう
  どんなに海が汚れても
  永遠(とわ)に栄えあれこのきずな
  日米安全保障条約


「防衛省」法案、参院委で可決 年明けに昇格へと言うニュース。
来年1月から防衛庁は防衛省になります。
格上げです。
名前が変わるだけ、、、ではないのですよ。
この法案の最も重要な懸案は、
自衛隊の海外勤務。
です。

永久に日米安保条約を守るために、
若者よ、日本にいてもワーキングプアだぜ、
天国目指して(文字通り)自衛隊に入ろう〜〜〜
そして、
自衛隊の諸君よ!
海外に行って、
花と散ってくれ!!!

と、言うことか???

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2006.12.14

反対の声をあげるとき

教育基本法改正案、参院特別委で可決
いよいよ明日、本会議に提出される模様。
が、
まだ成立したわけではない!!!

今、
何をなすべきか!

反対の声をあげることです。

詳しくは追って。

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2006.12.13

基本法より自民党を美しく

学力調査ひずみ イングランドでと言う特集が asahi.comに掲載されたのは一ヶ月前の11月13日。
記事の中身は、安倍さんが教育改革のお手本と謳っている英国はイングランドの学校現場の実態についてです。
子どもたち自身がもつ「学ぶ意欲」と指導者からの「伸ばそうとする力」との実態が長所と短所、バランス良く織り交ぜて報告されていますのでお時間がありましたら、上記の記事をご覧ください。

さて、
安倍さん。
首相「美しい国造りは教育が基本」・衆院特別委でと言うことで、口を開けば「美しい国」と「教育の見直し」。
しかし、その見直される教育の中身が、国民である私には、よく伝わってこない。
なぜなら、
なぜなら、
安倍さんはこの委員会で、こともあろうか次のように主張したのです。
「戦後、とかく損得を基準にする風潮がはびこっている中で、すべての基本である教育の原則、理念を示す基本法を21世紀の日本にふさわしいものに変えていく必要がある。私が目指す美しい国造りにおいては、何と言っても教育がすべての基本」。
私は何回も読み直しました。
それこそ誤読しないように。
誤解しないように。
ひたすら国語として読みました。
いいですか。
「戦後、とかく損得を基準にする風潮がはびこっている中で」
とまず現状認識を述べ、
次に、
「すべての基本である教育の原則、理念を示す基本法を21世紀の日本にふさわしいものに変えていく必要がある。」
と来ます。
つまり、損得を基準にする風潮は教育基本法が悪い。
と言うことですが、
基本法のどこが悪いのかについては、述べていません。
どこが悪いのですか????
あべさっぁ〜〜あああん。

さらに「21世紀の日本にふさわしいもの」とあるが、
これは損得を基準にする風潮ではない社会にしていこうとするものです。
では、損得とは何か???
まさか、安倍さん。
国民だけにソンソンソンを強いて、大企業や大銀行、また一部の甘い汁を吸っていると噂される人たちはトクトクトクしているわけではない、なぁんて考えていませんよね。
大企業や大銀行こそ是非是非、大なたをふるっていただきたいものです。

次に出ました。
おはこが。
「私が目指す美しい国造りにおいては、何と言っても教育がすべての基本」。
ううう〜〜〜ん。
ここへくると、もうお手上げ。
私が目指す美しい国、なんて言われても、
既に出された本をなんど読んでも、曖昧でよく分からない「美しい国」
安倍さんが目指すことはご自由ですが、
国民である私たちは、サッパリわからない。
どんな国が美しいのか???

さらにその国作りのために、教育が何より大切という。
ええええ????
安倍さん。
その前にすることはいっぱいあるでしょう。
本当に日本の景気は回復しているのか?
貧困化がすすみ、ワーキングプアが広がり、
格差がドンドコ大きくなり、
綻びはじめている日本。
政治が乱れ、
官僚がわるさをし、
利権に漁る者が跋扈する美しくないこの国を立て直すことの原因は、
政治の貧困です。
決して教育の荒廃が責任ではありません。
安倍さん。
だいたい、
だいたい、
そんなに美しいものがお好きなら、まず自民党から美しい党にしてください。
損得で動くことのない党に。

安倍さん。
いずれにしても、今、教育基本法を無理矢理に変えることは、
未来に禍根を残すことではと危惧します。

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2006.12.12

教基法改悪反対のワケ

なぜ教育基本法改悪に反対するか、
学力問題、ゆとり教育、科学教育、学力テスト、そして
公教育の歴史、
新自由主義等について書いた以前の記事を掲載しておきます。
私たちは「愛国心反対」とだけ唱えて教基法反対を訴えているのではないです。
教育基本法は、
国の骨幹をなすものです。
その標榜するもの、
中身、
方向性を詳らかに考察した上で、
教基法改悪反対を訴えているのです!!!
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
新自由主義と教育基本法
新自由主義と教育基本法 その2
新自由主義と教育基本法 その3

科学教育と教育基本法
科学教育と教育基本法 その2
科学教育と教育基本法 その3

教育基本法誕生59年

中教審答申
日本の公教育
ゆとり教育 その1
ゆとり教育 その2
教育基本法
学力低下問題
教育環境の低下
総合学習見直しを検討
関心、意欲、態度ってナ〜〜ニ?
関心 意欲を算数で測る?
全国学力テスト その1からその4まで

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教育基本法改悪の時間割り

保坂展人のどこどこ日記は社民党の議員、保坂さんが国会の動きを詳らかに報告して下さるブログです。
その保坂さんのブログからこのところ目を放すことができません。
と、いうのも国会の動きが怪しいからです。
国会会期末があと3日後の15日に迫るなか。
自民、公明両党は焦っています。
早々に教基法改悪を企んでいるからです。
(今までは私も気持としては改悪だったのですが、表記では改正としていましたが、
この間、教基法についてさらにさらに勉強をした身とすれば、自信を持って「改悪」と言えますね、自民党・公明党の案を。)
さて本題。
明日13日の参院教育基本法特別委員会で締めくくり総括質疑と採決をする日程を野党側に提示したとのこと。
さらに自民、公明両党の衆参国対委員長は、今国会の会期延長の是非を14日ごろに最終判断する方針を確認。
時間割りが出来たということです。
 
うう〜〜〜〜んん。
公聴会でも相次いで反対や消極論の多かった教基法。
未だ国民の間では、「何故変えるの?」
「変えたらどうなるの?」
と疑問に思っている人が大半の中での改悪を急ぐ背景は何か?
なんなのでしょうか、、、安倍さん。
美しい国作りのため???
いやぁ、それじゃ私たちは納得しません。
安倍さんの掲げる「美くしい国」は
私には子どもたちを「鬱苦死育に」するのではと思えてなりません。

現実に山積されている問題のどれもが何一つ解決もされなければ、その方向性さえ見えない。
それどころか更に新しい問題を作り出さんのかと疑うような方策が次々と出てくる安倍政権とそのお仲間たち。
まずは足元の問題を解決することが急務でなかろうか?
全ての矛盾の責任を現教基法に被せて、
あれもこれもまとめて改悪しようと画策なさっていますが、
私は納得しませんね。
変える理由のどこにも正当性を見いだせません。
今、
やるべきことは、
きめ細やかな教育です。
学校間格差や地域格差を拡大することではなく、
現場の教師と子どもたち、保護者という当事者が「学ぶ」ことを真剣に向き合うことができるような体制作りではないでしょうか?
そのためには教師の数を増やすとか、
授業以外でも補習という形で子どもたちの学力を補うことができるような時間の確保とか、
いろんな具体案が出てくると思うのです。

まちがっても教育は国がいじるものではありません。
主人公は、
子どもたちです。
もう一度書きます。

教育に国家の介入はいりません!!!
主人公は子どもたちです。

私たちに今できることは「声」をあげることです。
ネット署名や電話かけなど、
小さなことでも、
それはやがて大きな流れ、うねりを作ります。
是非、電子署名のご協力お願いいたします。

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2006.12.11

緊急アピール

政府法案の今国会における採決を阻止し、法案の徹底審議を実現するためにのサイトより、電子署名のお願いが緊急訴えで掲載されています。
私も致しました。

では内容を転載。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
アピール】公述人・参考人として教育基本法案の徹底審議を求めます

 私たちは、衆議院及び参議院の教育基本法に関する特別委員会において、参考人、地方及び中央公聴会での公述人として意見を述べた者です。私たちはそれぞれ自分の研究している専門的な立場などから、政府の教育基本法案について様々な危惧や問題点を指摘しました。

 それらは、例えば次のような問題です。

1.政府法案は、「教育基本法(…)の全部を改定する」としていますが、なぜいま教育基本法の全面改定が必要なのか、ということが何も明らかにされていません。さらに、GHQによる押しつけなどという教育基本法制定史についての誤った認識が払拭されていません。

2.政府法案のように改定したら教育がどうなるのか、こんにち教育や学校が直面している「いじめ」をはじめとした諸問題が政府案によって解決されるのか、また、それらは現行教育基本法ではなぜ解決できないと考えているのか、などが何も明らかにされていません。

3.政府法案17条の教育振興基本計画には学力テストが盛り込まれることが予定されておりますが、これにともない、自治体の判断による各学校ごとのテスト成績の公表やテスト成績に基づく生徒一人当りの予算配分の制度なども導入されようとしています。これらの政策が、学校選択の「自由化」や「学校評価」「教員評価」とあいまって、教育をますます競争主義的なものとし、子どもの成長発達に今以上の歪みをあたえることは明白です。

4.現行の教育基本法は、教育の基本的な理念・原則・枠組と政治・行政の責務を規定したものです。その特徴は、憲法第99条「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」という規定と同様、近代立憲主義の原則に立ち、国家権力・行政権力を拘束する規範(権力拘束規範)になっているという点にあります。それに対して、政府法案は、子ども・家庭(保護者)・大学などに命令する規範(国民命令規範)が目立つものとなっています。政府には、このような重大な変更を行う正当な理由を明示する責務がありますし、立法府には、その是非を十分に審議検討する責務があります。

5.教育基本法のような理念法、教育の根本法規に「教育の目標」を規定すれば、その達成度の評価を通じて、教育の自律性・自主性や個人の内心の自由が侵害される危険があります。しかも、「目標」には「愛国心」をはじめ20を超える徳目が盛り込まれていますが、これは、国家が特定の「道徳規範」を強制することになります。

6.政府法案は現行法10条1項の「教育は不当な支配に服することなく」という規定を残していますが、政府法案の「不当な支配」とは何を指すのか、誰の何に対する支配のことなのかが明確ではありません。現行法第10条1項の「(教育)は国民全体に対し直接責任を負って行われる」の文言を削除し、「(教育は)この法律及び他の法律の定めるところによって行われる」という規定に変えた政府法案は、国会で多数で決めれば政府がどんなことでもできるようにしています。これは、国家・政府による教育への介入を無制限に許すことにつながります。

7.政府法案は憲法に違反するのではないかと危惧される内容を多々含んでいます。憲法との関係、子どもの権利条約との関係について、各条文の検証が必要です。特に、政府は、法案16条1項の根拠として、76年の最高裁学テ判決を援用していますが、その援用が最高裁学テ判決の理解としては誤っているばかりか、最高裁学テ判決に照らしても違憲と判断されうる内容となっています。

8.政府法案第13条の「学校、家庭及び地域住民その他の関係者は、教育におけるそれぞれの役割と責任を自覚する」というのは、具体的には何を意味するのか不明です。

 以上に例示したことはほんの一部に過ぎません。私たちが述べた審議すべき重要な課題について、衆議院の特別委員会ではほとんど審議されませんでした。中央公聴会の場合は、私たちが述べたことは、一度も審議する時間もないままに与党のみによって法案採決が行われました。

 教育基本法は教育に置ける根本法であり、憲法に準ずる大切な法律です。それを廃止して新法を制定しようとするならば、国民の意見を十分に聴き、それを国会審議に反映させるべきです。私たちが述べた意見は国民の意見の重要な構成要素だと確信しています。それについて、ほとんど議論がなされないままに法案が採決されるのは重大な問題であり、将来に禍根を残すことになります。

 最近の世論調査でも、政府法案について、「今国会成立にこだわるべきではない」が55%で、「今国会での成立が必要」というのは19%に過ぎません。自民党支持者でさえ「今国会成立にこだわるべきではない」が53%で、「今国会での成立が必要」は25%です(日本経済新聞11月28日)。また、教育基本法「改正」で教育はよくなると思うかという質問に対して、「よくなる」と答えた人は4%、「悪くなる」が28%、「変わらない」が46%です(朝日新聞11月25日be)。国民の多数は今国会での成立を望んでいませんし、十分な時間をかけた徹底的な議論をこそ求めているといえます。

 与党の中には、「何時間やったのでもう議論は十分」という意見があると伝えられています。しかし、このような大切な法律の制定では、何時間ということよりも、何をどのように議論したかということこそが問われなければなりません。参議院においても私たちが指摘した法案の内容そのものについての議論はきわめて不十分だといわざるをえません。

 以上のようなことから、私たちは十分な議論のないままの拙速な採決に反対します。私たちは現行教育基本法と政府法案の関係、法案の各条文、条文と条文との関係などについて、十分な時間をかけた徹底審議を要求するものです。

2006年12月6日

市川 昭午(国立大学財務・経営センター名誉教授、参考人)

岩本 一郎(北星学園大学教授、公述人)

大田 直子(首都大学東京教授、公述人)

尾木 直樹(評論家・法政大学教授、参考人)

粕谷 たか子(静岡県高等学校障害児学校教職員組合執行委員長、公述人)

喜多 明人(早稲田大学教授、公述人)

高橋 哲哉(東京大学教授、公述人)

土屋 基規(神戸大学名誉教授、公述人)

出口 治男(弁護士・日弁連教育基本法改正対策協議会議長、公述人)

中嶋 哲彦(名古屋大学教授、参考人))

中森 孜郎(宮城教育大学名誉教授、公述人)

成嶋 隆(新潟大学教授、参考人)

西原 博史(早稲田大学教授、公述人)*

広田 照幸(日本大学教授、公述人)*

福田誠治(都留文科大学教授、公述人)
藤田 英典(国際基督教大学教授、参考人)*

堀尾 輝久(東京大学名誉教授、参考人)

世取山 洋介(新潟大学助教授、参考人)

 *は呼びかけ人

    (2006年12月9日現在)

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

まだまだ間に合います。
諦めないで、声を出していきましょう。
国会前は連日反対の声が上がっていると聞きます。
そりゃそうです。
教育が変質されようとしているのだから。
声を出さないではおられません。
是非、
ぜひ
電子署名にご協力ください。

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神戸J1復帰

アツ ファンの前で“生涯神戸宣言”と言うことで9日入れ替え戦でJ1復帰を決めた神戸の三浦淳宏選手が現役の間は神戸に在籍を明言。
それにしても良かったですね!!!
おめでとうございます。

私も土曜日は入れ替え戦、観ました。
どちらのチームにも勝って欲しい、負けて欲しくないという思いで観ていましたが勝負の世界。
結局神戸がアウェー方式で福岡に勝利。
一年でのJ1復帰を果たしました。
昨年、サンフレッチェとの試合を観に神戸ウイングスタジアムに行った折、
「残留祈願」の折り鶴をあちこちかけてあったことを覚えています。
残念ながら昨年は降格。
ワールドカップのことなどもあり、アツの去就が取り沙汰されましたが、
アツは神戸に残りました。
そして、
そして、
今年、見事に一年での復帰。
本当におめでとうございます。

アツやらカズさんやらゴンさん。
本当に頭が下がります。
来年はお手柔らかに。

それにしても、
それにしても、
広島ファンで関西在住の身としては、
来年のリーグ戦。
関東勢、ちとズルイぞぉおおおおお
(オールスター、どこでラインを引く?)

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法人税と消費税

消費税増の必要性を明記の方針 自民税調が大綱にと言うニュース。
うわっ===
これってアリィ???
「8日の幹部会では「財政の危機的な状況を国民に正直に伝えるべきだ」との認識で一致した」と記事にはあるが、私は納得しない。
昨今の議員センセのアレコレを見ていて、
この頃の大企業の活発な動きを知れば、
どうして、財政の危機的状況に国民がスンナリと首を縦に振ることができようか。

法人税が引き下がろうとしている。
「仮に実効税率を現行の約40%から30%に引き下げた場合、その減税規模はトヨタ自動車一社だけで約一千億円に達する、また上位五十社で減税額は、合計約一兆円に達することが判明したと」あつかましいゾ大企業と言うタイトルで赤旗が記事にしています。

なんだかぁなぁ、、、
読めば読むほど、
これって本当に庶民をバカにしているなって感じます。
国民はトコトンなめられている。

何が消費税だぁ。

どこが財政赤字だ。

そもそもこんな赤字にしたのは誰だぁ。

とかとか怒ることばかりの昨今。
安倍さん。
本当にこの国を潰すつもりなのかな???

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京都検定挑戦

久しぶりの更新。
ココログのメンテナンスと言うことで先週半ばは書くことが出来ませんでした。
本当は教基法やら特定財源やら書きたいと思ったのですが、
が、
実は書くことが出来なかった一番の理由は
京都検定。
今年で三年目の京都検定。
年々多くの受験者が受け、京都だけでなく全国から腕試しに受けに来られるそうです。

私も今年、初めて3級を受けてみました。
衰えいく我が記憶への刺激と、お寺巡りにはちょっとは知識がある方がいいか、という軽い気持。
申し込みはしたもののチットモ勉強をしない私に家族は呆れ顔。
だって、覚えられないんだもん。

そして、当日をむかえ、いよいよ試験会場へ。
指導員が試験に先立ち諸注意。次に配布の解答用紙に指示に従い姓名や年齢・受験番号などを記入。
次に問題集配布。
ドキドキ。
今まで覚えたことがみんなマッシロケになってグチャグチャ。
うわっ〜〜〜〜〜どうしよう。
やがて時計は10時15分。開始。
一枚目をソロソロと開くと、
第一問。平安京の南北の通り。
あっ、これだ。
次、右京と左京の呼び方、
あああ、、、洛陽城だ。
少しずつ落ち着きが出てきた途端第三問。
六勝寺のあった場所は???
あああ、、、テキストのアソコに書いてあったよ。
え〜〜〜〜と。え=====と。
なんだっけ????
いや、いかん、いかん。ここで時間を取られてはいけない。まだ三問目。
とにかく全部目を通さなければ。
と、言うことで、
分からない問題、あやふやな問題をそこに残しながら、とにもかくにも全問いきわたりました。
ふっ〜〜〜〜
疲れたぁ。
いや、あやふやな問題がいっぱいあるんだ〜〜〜〜
と、いうことで曖昧な箇所へひきかえすも、思い出せない。
「あつ、あこに書いてあったよなぁ、、、」
「ここ、もう一度見直さなきゃと思っていたのに〜〜〜〜」
とかとか悔しい思いをしながら、もう仕方がないので自信のありそうなところの数を数え出したり、あとは天に任せたり。
そうこうしているうちに90分が過ぎ、終了。
終わったぁ、、、
とにもかくにも終わった。
ふっ〜〜〜〜
後は結果を待つのみ。
ドキドキ。
終わった途端に、「あっ、わかった」なんて悔しい問題も含めて、とにかく私の今年の検定は終わりました。

思い返すに、先週一週間は我ながらすごく勉強しました。
ご飯を食べては京都検定。
朝御飯は茶漬け、昼は具なしラーメン。夜はあるもの。
と言う家族には耐えられない粗食をひたすら強いて。
掃除しては京都検定。
洗濯干しては京都検定。
ひたすら京都検定。
子どもに「かあさんのこと京都検定のオニって呼んで」と言うくらい勉強。
しっかし、これが覚えられない。
この歳になって新しいことを覚えるのは大変。
とくに神社仏閣が大変。
どれもこれも国宝やら重要文化財。
平安、鎌倉、室町、戦国、そして江戸とあらゆる歴史の真ん中にいた京都。
栄華を誇り、廃れそして再建、という逞しい歴史の表、裏舞台になった京都。
そのどれもが重要で大切。
ウワッ〜〜〜
ドヒャッ。
どれから手をつけていいかわからん。
さっぱりワカラン。
本当にサッパリでした。
もう、仕方がないのでひたすらひたすら問題集を解き、
自分で暗記ノートを作り、下手な絵を書いて庭園の名前を覚え、、、
覚えても覚えても忘れ。
忘れても忘れてもやり直して、
とにかく、とにかく一週間は検定のオニと化しました。
もっとはようからせぇ。
と思いながら、これが出来ない。
それでも、それでもギリギリまで諦めず、テキストを離さなかったおかげで、
当日の朝、家族とテキストを見直していた箇所が何カ所か出題。
さらに行きの電車で見ていたところがいくつか出ました。
やった!!!
思わずニンマリ。
当日分の勉強で何カ所か稼いだのです。
いやぁ、最後まで諦めてはいけません。

とはいえ、結果はどうなることか、、、
ドキドキ。

もう少し余裕ができたら問題について詳しく書きます。

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2006.12.04

仮言命題の限界

ある事象が生じたことを説明する場合、演繹モデルでは、
1,あるいくつかの事象、または状態がある
2,あるいくつかの法則、推論規則がある
3,それらを組み合わせて論理的帰結とする道筋を発見する
この典型的な例として幾何学の定理の証明があります。
この推論規則が先験的に与えられた絶対不変のとき、決定論規則とよばれ演繹論的説明は成立します。
しかし、推論規則が経験則であり確率的なものである場合は帰納的推論になります。
多くの事実の中に共通の性質が認められ、知る限りにおいて例外はない。
この性質を、それらの事実において一般的な概念、あるいは真理と帰結する推論を帰納と言います。
帰納的推論から帰結される真理は、あくまで、この観測に当たって事実に矛盾しないということです。つまり「ある結果が生じることは、ある程度において通常期待できる」と言う枠を超えるものではありません。
一例でも反例があれば成立はしません。
これは物理学や化学などの法則で主に見ることができます。
帰納的な天才の直感に頼る物が多かったのです。
次ぎに哲学的に深く考察した人はヒュームが初めと言われています。
Aが起きたときBも引き続き起きる、すなわち「接近」という概念で捉えました。
原因は結果よりも先に起き、これを「継起」と言い、接近と継起で因果関係があることを説明しました。
ここでしっかりと見ておくべきことは、原因が必然的に結果を引き起こすという関係は存在しないということです。
あくまで人間の経験からくる因果関係です。
さらに科学はヒュームからK・ポパーの反証理論へと移ります。

こうした帰納的推論に、より確かさを与えるのは実験・観察であることは言うまでもありません。
ある条件を整え、推論に基づき実験を行う。
そこから出た結果を推論に照らし、次の段階へと進む。
このようなステップを踏みながら科学は発展しました。
今、真理と考えられている事も、後世には誤りである事が判明する可能性は全てに言えます。
さらに学問の方法として分割と言う考え方があります。
代表としては分類学や法律などがあります。
ある課題に対して、それを構成要素に分割。
その部分世界での物事の説明を繰り返し、分割をより細かくすることで単純化。
そして最後に全体に還元していく方法で、「分割と征服」の方法とも呼ばれています。
ここでは分割がどの様な観点でなされているか、他のカテゴリーに入ることはないか等々、綿密な検証が必要とされます。


こうした中で、いつでも私たちが確認していかなければならないことは「推論の不完全性」についてです。
A→B(AならばBである)と言う推論規則は先験的に与えられているものではありません。
実験や仮定から得られる確率であることを認識して、より詳細に条件を決め、
より綿密に実験をすることが肝要です。
そうした折には厳しく条件が設定される中で成立していく規則も当然出てきます。
A→B(AならばBである)と言う推論規則を現実の世界に当てはめることが出来ると考えるためには、
Bの現象が前件のAに何らかの対応をすると認めることが出来る場合です。
後件が現実にあわないときは前件の当てはめに誤りがあります。
あるいは前件に対応するとして事実ではないと無視していくことが、これまでの科学の歴史でした。
どうしても無視したくない場合はさらに前件・後件の考慮と実験を積み重ねます。
さて、こうして推論に信頼を持たせる努力をしていくのですが、
その大前提として「推論の場の前提」があります。
幾何学のように推論の場が容易に一致する場合は(それでも条件は厳しいとは思いますが)一般的に推論を取り入れて議論をするときは条件に対しては厳しくしなくてはなりません。
議論している物がお互いに明確であること、これをデフォールトの場と言いますが、この場を確認しながら論理を構築していく必要があります。
このためには言葉の定義を明確にすることが最大条件です。
こうして、
こうして積み重ねの上に推論は時と人の試練を受けて、やがて法則へとなっていくのです。


さてさて、先日来のおむつ論争
これでオシマイにしたいのだが、、、

「子どものシグナルが読める」→「(二歳まで)おむつをする必要はない」は仮言命題と秀さんは言う。
私は変項を同じにする必要があると考える。
「子どものシグナルが読める」→「(二歳まで)おむつをさせる必要はない」ではないかと提案。
すると秀さんは、これは述語論理であると言う。
さらに述語論理では、
「F(a)ならばG(a)
という仮言命題しか、論理学では扱えないということになってしまう。」とも言う。
(私は個人的にはそうだと思います。それが形式論理の限界だから)
さらにさらに秀さんは、論理上の例として誰でも知っている「風が吹けば桶屋が儲かる」という諺で仮言命題の連鎖を説明する。
しかし、そのおかしさをご自身も認識しているにも関わらず捨象を持ち出す。
(何を捨て、何を残すかの厳密な検証なしに、論理を展開していく危険を秀さんは抜きにして)

私は、この説明を拝見しながら「仮言命題の限界」がまさにここにあると感じました。
秀さん曰くの捨象を認め、認め、認め、、、て最後に残った物を真理とするのだろか???
結局、仮言命題は推論の域を出ないのではないでしょうか?
推論を事実に置き換え、さらにそこから展開して論理を構築していく危うさを感じてはいないのだろうか???
なお秀さんは前件が正しければ後件も正しいのが論理学であると言う。
そうだろうか???
私の知るところでは仮言命題の検証は、
前件・後件が真なら結論も真。
前件・後件が偽なら結論は偽。
前件が偽でも後件が真なら結論は真。
前件が真でも後件が偽なら結論は偽。
つまり後件に左右されるものと思っていました。
でないと、前件がとんでもないものであっても真になるからです。

最後に秀さんの内田さんへの思いは認めるとしても、今回のおむつ批判への私たちへの回答としては些か不適切ではと考えます。
witigさんや私は内田さんに対してなんの思いもありません。
ただ内容についてのみ疑問を呈したのです。
ところが秀さんは、ご自分が内田さんを信頼していると言うその一点で、
「内田さんが、その様な誤りを犯すはずはない」といい、さらに内田さんの書いていない部分まで補っていらっしゃいます(推測で)。
ご自分が信頼している、と書かれると、その前では私たちは立ちすくむしか方法がありません。
そして、私たちに対して誤読では、文脈を理解していないのでは、と言われる。
これは「真理」を求めようとする秀さんの態度としては不穏当です。
秀さんはことし8月、ご自分の記事で以下のように書かれている。
〜〜〜〜〜〜〜〜
仲正さんの批判が、批判として論理的な正当性を持っていると感じるのは、抽象的な部分に関しては深い吟味を語っていると感じるし、具体的に語る部分は、事実を元にして事実の中に不当性を見つけているからだと感じる。真っ当な批判というのはこのような構造を持っていなければならないのではないかと思う。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
これこそが、まさに数学屋の秀さんです!!!
真っ当な批判とは何か?????
秀さんはよく知っていらっしゃるのに、、、

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門番マルコ

人気ブログのお玉さんが、先日「学校教育の中での道徳教育の実態」と「モラルジレンマ」に至るまで、内容の濃い充実した記事をシリーズであげていらっしゃいました。
全ての記事が興味深かったのですが、
今日は共謀罪と自民党復党問題にからませて、門番マルコの寓話について一言。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
主人公のマルコは王様のお城を守る門番である。マルコが番をする門には、「戦いに行くときにしか決して開けてはならない」という決まりがある。この決まりは、昔この門を開けて敵に攻め込まれたことから、王様が決めた決まりである。ある時、狩りに出かけた王様は、ひどい熱がでて急いで城へ帰らなければならず、近道であるマルコの門へ向かった。門番として、家来として、マルコは門を開けるべきか、開けるべきでないか?
(お玉さんのブログより)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

私もこの話を読みながら考え込んで、いざコメントと思ったのですが、
人気ブログゆえ「アレヨアレヨ」という間に嵐のようにコメントがついて機会を逸しました。
実は、お玉さんに触発されて「ニセ科学」について書こうと思っていたのですが、
その前に件のマルコについて書きます。

私なら門は開けません。(王様と認知できない場合)
なぜなら王様が規則をつくったのだから。
王様は規則を作る前に、こうした不測の事態も考慮して然るべきでした。
つまり自ら作った規則にからめ取られたということでしょうか???

さてさて、
今、共謀罪をなんとか通過させようとしている議員のセンセイ方に
王様の姿が妙に当て嵌まる気がしてならない私です。
国民を縛る法律はいずれ自分にも降り掛かるのではないだろうか?
王様のように。
いつまでも、その立場が国家に保障されているわけではないのだから。
自らも、法に縛られる時期がくることを認識しているのだろうか?センセイ方は。

また、今日、復党が承認されると言う11人のセンセイ方は、
自分で決めたものでも、なんのその、壊してでも土下座してでも股くぐりしてでも門に入る王様だなぁ、、、
と、考えた次第。
いずれにしても、
気の毒なのは門番マルコであることは間違いない。
「どうして門を開けなかった、、、」と責められるマルコ。
気の毒に、、、
マルコはまさに国民である私たちの姿かぁ〜〜〜〜

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12・5国会前集会

津久井進さんの記事から転載。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
全国の皆さんへ

 「教育基本法の改悪をとめよう!全国連絡会」呼びかけ人の大内裕和です。
 参議院での成立を阻止できるかどうか、最大のヤマ場を迎えました。

 <緊急の呼びかけ>を書きました。一人でも多くの方に、そして一つでも多くの労働組合、市民団体に連絡をどうぞよろしくお願いいたします。私たちの力を合わせましょう。

<緊急の呼びかけ>
 教育基本法の改悪をとめよう!12・5国会前集会に
1万人の結集を!
                      2006/11/29
                      大内裕和

 11月16日(木)の衆議院本会議において、野党が欠席する
なか、与党(自民党・公明党)は教育基本法「改正」法案の単独
採決を強行し、11月22日(水)から参議院特別委員会での審議
が始まりました。11月24日(金)の参議院特別委員会において、
伊吹文部科学大臣は教育行政に関して「教育は、法律の定める
ところにより行うべきもの」と規定した政府の教育基本法「改正」法案
について、「国会で決めた法律は、国民の意思だ。これと違うことを
特定のイズム(思想)や特定の思想的背景を持ってやることを禁止
しているのがこの条項だ」と述べました。議会で多数派を形成する
特定の政治勢力が教育内容を支配し、それに逆らうことを禁じる
という教育基本法改悪の狙いがはっきりと示されました。また巨額の
税金を使った「やらせ」タウンミーティングの実態が明らかになりつつ
あります。政府の教育基本法「改正」法案提出の前提であった
主権者の合意形成はなされておらず、法案提出の根拠そのものが
崩壊しています。それにも関わらず参議院での審議が進められ、
臨時国会での成立が狙われています。

 こんな暴挙が許されていいのでしょうか。「教育の憲法」である
教育基本法が、与党の「多数の力」によって根本から改悪されよう
としています。今こそ、教育基本法改悪反対をあらためて強く訴える
必要があります。

 「教育基本法の改悪をとめよう!全国連絡会」
(http://www.kyokiren.net/)は、参議院審議のヤマ場である12月
3日(日)から10日(日)まで、「子どもたちは見ている!! 全国
ツツウラウラ同時行動」を呼びかけました。この期間の12月5日
(火)に「教育基本法の改悪をとめよう!12・5国会前集会」(18時
から19時、場所:衆議院第二議員会館前)を行います。9月26日
(火)の臨時国会初日から毎週火曜日に行われてきた国会前集会
は、この秋の教育基本法改悪反対運動において大きな役割を果
たしてきました。全国から毎回約300人〜500人が集まり、改悪
反対の声を直接国会に届けてきたのです。12・5集会は10回目
の国会前集会であり、参議院での法案成立を阻止できるかどうか
の重要な時期に行われます。私は全国の皆さんに「教育基本法
の改悪をとめよう!12・5国会前集会に1万人の結集を!」呼びか
けます。

 全国連絡会主催の「教育基本法の改悪をとめよう!11・12全国
集会」には8000名の人々が集まり、11月24日の福岡での集会に
は7000人、11月25日の北海道での集会には1万人を超える参加者
があるなど、改悪反対運動はこれまでで最大の盛り上がりを示して
います。これら全国の力を国会へ直接届けることが、今ほど求めら
れている時はありません。

 「教育基本法の改悪をとめよう!全国連絡会」は、教育基本法
改悪反対の一点でつながっている市民のネットワークです。呼びかけ
人の小森陽一さん、高橋哲哉さん、三宅晶子さん、そして私の4人
はこの約3年半、教育基本法改悪阻止を訴えて全国をまわってき
ました。教育基本法の改悪に並々ならぬ思いで反対されている人々
が、全国各地にいらっしゃることを私はよく知っています。この3年半の
闘い、さらに戦後、教育の自由と平等のために闘ってきた多くの人々
の思いを無駄にしないためにも、ここで改悪阻止のために立ち上がる
ことがどうしても必要です。

 教育基本法の改悪に反対するすべての労働者・市民の皆さん!
「教育基本法の改悪をとめよう!12・5国会前集会」への参加を
ぜひともよろしくお願いします。

転載終わり。

また今日は公聴会が神戸、新潟、長野、徳島でも行われるそうです。
お近くにお住まいの方で行くことが可能な方は是非ぜひ行かれてください。
公聴会なるものがどのようなものか、しっかりと見て・聞いて来てください。

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著作権改定法案

あまり表になりませんでしたが、気になる法案について、ちょっと書きます。

著作権法改定案がそれです。
内容の詳細は試される。(ココログ mix)と言うブログに書いてありますので、興味のある方はご覧ください。
管理人のみうらさんは著作権問題について、他の記事も書かれています。

さてさてこの改定案の中身。
今年改定された特許法や意匠法など知的財産権にそろえ、著作権侵害の罰則を10年の懲役に引き上げる。
地上波デジタル放送を補完するIPマルチキャスト放送が同時再送信をおこなう場合、実演家らの許諾を報酬請求権にする。
などのものです。

ううう〜〜〜ん。
知的財産権かぁ====
確かに有形・無形に影響を与える知的財産は、保護される必要があります。
が、
が、
10年の罰則というのは如何にも重いように感じます。
無形であるゆえ、著作権侵害にあたるかどうか、曖昧で不明瞭。
良質の物は人に影響を与えるから、つい同じような傾向で自作を創作することもなきにしもあらず、、、
とかとか、著作権に関しては、作者の権利を侵害するつもりがない場合もままあるだろうと思います。
いきなりの罰則10年は拙速ではと感じます。
もっと国民に「著作権とは何か?どのようにしたら罪になるか、、、」などなどを明らかにして、
納得、承認を得る手続きがあってもよかったのでは?
と思います。

 
さらにIPマルチキャスト放送にかかわって実演家らの権利が報酬請求権に変わるそうです。
つまり権利の引き下げ。
この10月に、日本芸能実演家団体協議会や日本レコード協会がインターネットなどで利用するさいの権利処理事業を開始。
こうした自主的な努力が実を結びつつある中、
国は実演家の権利をもっと守り、支援する方向に動かなければ文化は生まれてこないと考えます。

いずれにしても改定案は多岐にわたり網羅されているので、
しっかりと理解することが必要です。

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Jリーグ最終節

浦和レッズの初優勝で今年のJりーグも土曜日で全て終了。
レッズのみなさん。
サポーター・ファンのみなさん。
おめでとうございます!!!
雨の中、、、広島ー浦和戦と言うタイトルで第3節の試合についての感想を書いた折、浦和サポの方からコメントを頂いたりして嬉しく思っていました。
今年は天皇杯に始まり、
ジンクスの「天皇杯ののろい」もものともせずの堂々の優勝。
改めておめでとうございます。

しっかし、天皇杯はうち(サンフレッチェ)も負けてはいないからね〜〜〜〜
と、言うことで、
我がサンフレッチェは清水に0−3で敗れ、
結果は10位になりました。

また降格は京都とセレッソ大阪、という関西組。
昇格は横浜FCと柏。(レイソルのみなさん、よかったですね!!!)
それにしても横浜FCには頭が下がります。
本当に、本当におめでとうございます。
高木さぁん。よかったね!!!
オムさんもご活躍、素敵でしたよ。
そして何といってもカズにつきるよなぁ〜〜〜〜
うううう=====んん。
言葉はありません。
ひたすら「美しい」とだけ。

入れ替え戦が福岡と神戸になりました。
私は土曜日はセレッソの試合を観ていたのですが、
福岡とのシーソーがドキドキ。
と、思ってのですが、なんだかセレッソ、呆気なかったな???
あのチームが本来持っている粘りが見られなくて少々残念。
柏も一年で上がってきたので、
来年は両チームとも上がってきてくださいね。
そうそう、そう言えばヴェルディ、おおお〜〜〜〜いどうしたんだぁ〜〜〜い。
チョット気になります。
早く戻ってきてください。

さてさて
ことしもいろいろあったなぁ〜〜〜〜
と感慨にふけりながら、今書いています。
が、
ここで終わったわけではない。
次の天皇杯。
さらには来季。
まだまだ頑張るぞ!!!応援を。

やっぱりサンフレッチェ。ちゃちゃちゃ。
でしめくくろう〜〜〜〜

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2006.12.02

またまた「おむつ」について

またまた「おむつ」についてです。

先日来内田さんのTake good care of my babyの内容について、数学屋の秀さんとアレコレのやり取りをしました。
その後秀さんは文脈からの文意の理解、あるいは文脈の勘違いによる誤読誤読をしたくなる心理と仮言命題の理解とエントリーを挙げていらっしゃいます。
witigさんからの排便シグナルが読めて対処方法があればおむつは要らないかと言う内容のトラックバックに答える形になっています。
witigさんは、私のエントリーに対しても2児の父 と言うHNでコメントを頂いたのではと推測します(もし間違っていたらwitigさん、2児の父 さんゴメンナサイ)。

さて私はこの間、お二人のエントリーを拝見しながら、改めてwitigさんや私と秀さんとの「対象」にした物の違いが明らかになりました。
(これはお二人とも、そのエントリー内で書かれていることですが)
そこで私は、秀さんの考え方、つまり「内田さんが仮言命題に従って論理を進めていった」と言うことについて形式論理の立場から検討することにしました。

ではズバリ。
本題から。
「子どものシグナルが読める」→「(二歳まで)おむつをする必要はない」は仮言命題と秀さんは言う。
果たしてそうだろうか???
仮言命題の最大の条件は「変項」を同じくすることです。
ところが上に上げた「前件」は「子どものシグナルが読める」です。
つまりシグナルを読むのは世話をしている人です(母親、父親など)。
「後件」は、「(二歳まで)おむつをする必要はない」と言うことでおむつを必要としないのは子どもの方です。
つまり「前件」「後件」の「変項」が同じではないので、
この二つは即仮言命題の形はとっていません。
どうしても仮言命題の形をこの二者にさせるならば、後件は「(二歳まで)おむつをさせる必要はない」になります。

次に、前件肯定式と後件否定式の検証を加えてみます。
「子どものシグナルが読める」→「(二歳まで)おむつをさせる必要はない」前件肯定式
「(二歳まで)おむつをさせる必要がある」→「子どものシグナルが読めない」後件否定式
となります。
後件否定式が偽であることは体験・経験的に明らかです。
(これについては三砂さん曰くの従来の育児書に抵触しますが、ここでは問題を明確にするために改めて触れません)
即ちこの仮言命題は妥当として承認することはできません。

正しい仮言命題の立て方は、以下のとおりです。
「子どものシグナルが読める」→「子どもが近いうちに排便すると予想できる」。
これならば、
「子どもが近いうちに排便すると予想できない」→「子どものシグナルを読めない」
と成り立ち、これは適用と承認されます。
witigさんが書かれているように、子どものシグナルが読めても、場所や時間により排便させることができない場合があることも包含しています。
つまり、子どものシグナルを理解する、しないとおむつの必要は別のものである、と言うことです。
と、言うことで、
形式論理の社会で考えるならば、三砂さんの研究は「おむつ」とは直接的な関係はないのです。

以上が秀さんの主張なさる論理学の問題についての私の考えです。


こうして形式論理でも矛盾を抱えた命題から、
さらにコミュニケーションへと拡大していった内田さんへの批判は、に書いたとおりです。
なお、私は内田さんの全ての考えに批判する者ではありません。
が、当該のエントリーに関しては、疑問を抱きました。
従って一番目の記事をトラックバックしたのですが、残念ながら届きませんでした。
コメントもIDを持っていないので出来ません。
本当は、ご本人にお聞きすることが一番早道と思いながら、
この「おむつ」問題を書いていました。

さて、
次に科学的考察とは何かについて書いていきたいと思うのですが、
今、教基法やら共謀罪やら憲法やらで忙しくしているので、折がありましたら書きます。

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2006.12.01

師走です

今日から師走。
早いものでことしも後一月。
歳をとると時間の経つのが早く感じれると言いますが、
私なんか今じゃ「時間は新幹線」だな、、、なぁんて感慨。
あれもしなくちゃ、これもまだだ、、、と嘆いている時間はたんまりあるのに。

〜〜何に此の師走の市に行く烏 芭蕉〜〜
一体何を急いでこの慌ただしい時期に人の一杯の町に出ていくんだい。ゆっくりしようや、、、という思いが伝わります。
同じく芭蕉。
〜〜人に家を買わせて我は年忘れ〜〜 

面白い人ですね。芭蕉は。
それとも長閑な時代だったのか???

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