階級と階層
格差社会はますます広がり、社会的な問題になって久しくなります。
昨年はついに政府自民党も格差があることを認めつつ、しかし「やむをえないもの、一時的なもの」と解釈しました。
と言うことで、厳然とある格差について、アレコレと実証するよりも、「何故格差は進んだのか」と言う背景や原因を探ることに論点を移していくことが大切です。
従って以下5つの論点で考えていきたいと思います。
1、雇用格差
2、賃金・所得格差
3、消費格差
4、能力格差(広義)
5、人格的自由の格差
まず1、雇用格差 2、賃金・所得格差 3、消費格差は資本主義社会に生きる私たちにとって容易に想像がつくのではと考えます。
90年代後半から雇用格差は量と質で拡大していきました。
正規雇用と非正規雇用の分断と格差を広げ、さらに成果主義という名で能力主義的格差を広げました。
賃金・所得格差は労働貧民をうみ、さらに消費や貯蓄の両面にわたって格差は広がっていくという構図が構造的に出来上がります。
そしてこうした構造的格差は4、能力格差(広義)5、人格的自由の格差へと移行。
1から3の経済的格差は国民の精神や肉体にまで投影していくというものです。
健康格差と教育格差、さらに人格的自由格差へと深化していきます。
人格的自由とは積極的自由とも言います。なんらかの活動を行うときの能動的な行動の自由です。例えば、学ぶことにしろ遊ぶことにしろ経済的条件と当人の主体的条件(興味や必要性など)に左右されるからです。
つまり経済的格差は人権の格差にまで広がっていくということを見逃してはなりません。
以前「希望格差」という著書で有名になった山田昌弘さんは「新平等社会」と言う本でさらに迷い道に入り込んでいく現代の姿を著わしています。
さて、こうした格差の原因は何かと問われれば多くの方は「新自由主義では」と言われるのではと考えます。
答えは「まさにそのとおり」です。
福祉国家の枠組みを縮小・解体→市場原理の可能な限りの徹底。
と言う使命をおびて登場した新自由主義は階級的労使関係と階層的格差関係を拡大、深化させるのは当然の結果と言えば当然です。
なおここで言う階級と階層とは社会学の定義に従います。
階級:資本の有無。個人的移動は不可能。
階層:労働者相互の関係。個人的移動は可能。
つまり資本主義の原則のもとに階級としての資本家と労働者があります。
資本による賃労働の支配や搾取をより円滑に取り行う目的のため資本家(少数)は労働者(多数)をその内部にて分断・競争・差別を行わせる方を取ります。
それはまず労働市場において現れるのが一般的です。
労働市場は自由競争の場であるからです。
各々の僅かな差異をもとに労働者相互が分断していき、差別、格差やがてそれは階層へと発展していくのです。
階層は階級によって生み出されたものです。
つまり、格差を問題にするときは迷うことなく「新自由主義」と取り組むべきです。
ところが先に挙げたように「希望格差」社会などで見られるような労働者の階層の移動だけを問題視して個人のこころの持ちように問題を矮小化させては迷路に迷い込むばかりで出口が見えなくなるのです。
「勝ち組」「負け組」と言う言葉が流行しましたが、それとて所詮は労働者階級同士の言葉の投げ合い。
あるいは今、なぜか巷間で読まれている丸山真男。
言うところの「であること」と「すること」だったりするのだろうか???
いずれにしても、本来は手を取り合ってお互いに励まし合いながら分断されることなく、お互いを差別することなく人生を処していく中で階級との対立の処し方が見えてくるのではと考えます。
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コメント
大変勉強になりました。 目から鱗が落ちました。 現象に惑わされることなく、本質を掴むことの重要さを教えられました。
投稿: hamham | 2007.01.20 12:53
hamhamさん。
おはようございます。
コメント、トラックバックありがとうございます。
いつもブログ、拝見していますよ!
今年は選挙があり、忙しい年になりそうですね。
そのまんま東さんの当選が民意の即反映とは思いませんが、多くの方が今の政党に不満や不信を持っていることは確かなのでしょうね。
見えにくくなっているのでしょうか???
本質を見極める大切さを改めて思います。
これからもよろしくお願いいたします。
では、、、また。
投稿: せとともこ | 2007.01.23 10:40