戦争と女性
戦争は人の人生を狂わせ、
戦争は人から尊厳を奪う。
しかし、
そんな戦争に翻弄されながらも人の尊厳を失わなかった人々の生き様は心の深いところに染み渡ります。
ヒトラー~最期の12日間。
真実のマレーネ・ディートリッヒ。
白バラの祈り-ゾフィー・ショル、最期の日々。
同時代を生きた女性たち。
ナチスの支配するドイツにあって戦争という体験を日常として強要されていた時代。
ある者は諦めひたすら時の過ぎるのを待つ。
またある者は理想のために命を賭して向き合う。
そんな人生が横たわり流れていったことを映画は伝えます。
ヒトラーの女性秘書トラウデル・ユンゲの手記をもとにヒトラーの狂気とそれを支えた周囲の真実を描いたヒトラー~最期の12日間。
誰もが実は自由と正義を信じて、
誰もが初めは善意からの出発であったはずの第三帝国。
しかし、いつのまにか軌道はずれ、ずれ、ずれ、、、
やがて自己修復する能力しを失い滅んでいく様を客観的に描写。
心ではみんなが「どこか狂っている」と思っているが流されていってしまう現実が、如何に罪深いか。
そして自らもその一員であったことの十字架を背負ってユンゲは戦後を生き抜いたのです。
多分、ゾフィー・ショルという女子学生の人生があったことを反芻しながら、、、
一方マレーネ・ディートリッヒの人生も戦争に翻弄され、戦争と共にありながら、
しかし彼女はどんなときでもマレーネ・ディートリッヒその人でありたかった、、、のではと映画は伝えます。
人が人らしく生きていくことはどの様なことか、
雄々しく立ち向かうマレーネ・ディートリッヒは今もどこかで私たちを見つめているのかもしれません。
そして、
そして、
やはり胸打ち涙なしでは考えられないゾフィー・ショル。
彼女は「自由」を求め、
ナチスに果敢に立ち向かっていきました。
いずれ人民が開放される日が来ることを信じて彼女は処刑台に上りました、、、
「自由」と言う言葉が重い。
今、私たちはここにある自由が空気のように感じることができるのは、
自由を求めて闘った多くの先人たちのおかげと改めて思います。
映画は、ゾフィー・ショルがどうして命を賭して闘うようになったかは描いていないので、
彼女の真実の感動の生き様を描ききってはいません。
しかし、
たんたんと進むストーリーから光のようにかがやいてくる自由が感じ取れます。
戦争に翻弄されながら、
精一杯生ききった普通の人々、しかし気高い人々の話は、
今、生きることの責任を強烈に訴えかけるように思います。
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コメント
最近のニュースではアメリカの大統領候補として、ヒラリー・クリントンの名前が挙がっています。また、議会の議長にも女性がなり、フランスでも大統領候補として女性が取りざたされています。
もしも、女性の大統領が誕生したら、戦争はなくなるのでしょうか?これは大いに興味の有るところです。
男性は元々狩りをして戦ってきたのですから、戦争好きとは言いませんが本能として持っているようです。
投稿: hitoriyogari | 2007.01.23 15:01
うーん、そう願いたいところではありますが、
サッチャーさんも女性でしたからね。
危機的な状況に陥ったりした場合、男性の指導者以上の「勇気」や「果断さ」を見せることを要求されたりして、なかなかそう簡単にはいかないような気もします。
「それはそれ」「これはこれ」みたいに、とりあえずは分けておいたほうが無難かなとも思いますね。
投稿: かつ | 2007.01.24 15:19
hitoriyogari さん。
かつさん。
こんばんは。
コメントありがとうございます。
内容がお二人共通の気がいたしますのでお二人にさせていただきます。
女性・男性の性差と性格に相関関係があるか否かは私はわかりません。
それよりも、人としての世界観とか人生観だろうとは思います。
サッチャーさんもヒラリーさんも「誰のため」の政治を目指していたか・いるかということでしょうか。
いずれにしても戦争というギリギリの中で人がいかに気高くいられるか、、、
私自身への課題でもあります。
投稿: せとともこ | 2007.01.29 19:03