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2007.02.23

竹の声 桃の花


社会的存在が意識を規定する
と言うタイトルの記事をかつさんからトラックバック頂いたので早速訪問。
内容については私がここで書くよりご本人のエントリーが素晴らしいので是非ご覧ください。
さて私はと言えば、最後の結びが印象に残りました。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
マルクスが使用している理論的概念は、つねに具体的な現実と照応している。それは、現実の一面だけを抜き取ってこねあげたようなものではない。また、概念それ自体を抽象的に実体化するようなことも、彼はけっしてやっていない。
マルクスが社会と歴史についての自分の理論を唯物論的と読んだのは、それが抽象的な理念などではなく、なによりも具体的で現実的な諸個人の生活に基づいているということであり、それ以上でもそれ以下でもない。そこが、頭の中だけにしか存在しない概念や他人の本から学んだことだけを組み合わせて、「体系」だの「一般理論」だのといった空疎な理論をでっちあげたがる、「マルクス主義者」を自称してきた不肖の弟子どもや、その他の者らとの本質的な違いだと思う。
(かつさんのブログより)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
かつさん。引用が不都合ならばお申し出ください。

私はこの部分を読んだとき、
「人間をね、ドンドン抽象していったら最後は骸骨になるんだよ。それでおしまいさ。抽象とはそう言うことだ」と言った言葉を思い出しました。以前、論理学の勉強をしていて、どなたかが書いていらっっしゃったのですが記憶が曖昧で詳しく書けないのですが、、、
まず骨格があって、そこに血が流れ、神経が行き渡り、筋肉が保護して、全ての臓器が速やかに動き、生命は維持されています。
そうした体の相互作用に加え、脳や心の働きもあります。
人間って、その全てなのです。
ところが「人間とは何か」という問いに極端に抽象し尽くして「いきつくところは骸骨」とするのは、甚だ問題の本質から外れているということを笑ったものです。
(尤も一休は人間を骸骨に譬えることにはばかることはありませんでしたが、これについてはいずれ時間があったとき書きます)
私はマルクスはいつも途中下車で読みきっていないので、かつさんのブログから教わることが多いのですが、
なるほど「マルクスはマルクス主義者じゃない」ということでしょうか。
机上の理論や教条主義に陥ることの鋭い批判だと感じました。

ふとマルクスと道元って実は似ているのではないかと思いました。
道元は正法眼蔵で次のように言う。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
見ずや、竹の声に道を悟り、桃の花に心を明らめし。竹、豈 利鈍有り、迷悟有らんや。花、何ぞ浅深有り、賢愚有らん。花は年々に開くれども、皆得悟するに非ず。竹は時々に響けども、聴く物ことごとく証道するにあらず。ただ、久参修持の功にこたへ、弁道勤労の縁を得て、悟道明心するなり。是れ、竹の声の独り利なるおのずかにあらず。また花の色のことに深きにあらず。竹の響き妙なりと云へども、自らの縁を待って声をなす。花の色美なりと云へども、独り開くるにあらず。春の時を得て光を見る。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
借り物の知識ではなく本当の知恵とは、こうした「カツン」と心に響くものだと改めて思ったものです。
今、季節は桃の花さく春。
さてさて、私にも悟ることができようか〜〜〜
いやいや、まだまだ。
それでヨシと。

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学力テストと個人情報

今年の4月から行われる全国一斉学力テストについて個人情報が特定企業に流れるのではと言う危惧がなされています。
なにしろ委託先のベネッセコーポレーションとNTTデータが採点・集計を行うという全国学力テスト。
学力テストには国語と算数・数学の学力調査のほかに
「児童・生徒質問」があります。
「一週間に何日学習塾に通っていますか」
「学習塾でどのような内容の勉強をしていますか」
などです。
しかもこれは学力テストと同時ゆえ子どもたちの方も不信も抱かずに校名、個人名を明記。
ベネッセは受験産業の進研模試と、NTTデータは旺文社と一緒になってテスト開発を行っているのですが、この情報は受験産業に漏れていくのは明らかです。
 
さすがに伊吹文部科学大臣も表向きは
「特定の営利企業が国民の税金を持って自分たちに有利なデータを独占的にとることはあってはならない」と言います。
が、「契約書の内容として、企業が営業活動に使うことになれば処罰される。そういうことはきちっとやっている」と言い、事実上の個人名の記入などを容認。

そもそもこの学力テスト自体に問題が山積のうえに、さらに個人情報流出の可能性もあるとしたら、
結局、企業を潤わせるために国がわざわざ情報集めに協力するようなものです。

学力テストの費用として、民間企業に計67億円(06年度に18億円、07年度に49億円)の税金が支払われるとのことですが、
これだけの税金を投入して果たして子どもたちのためになるのだろうか〜〜〜〜

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2007.02.21

医師不足

柳沢さん。
ポロポロと彼の本音を出していますね、、、
女性についで、次は労働者発言。
多分、柳沢さんの中では「当たり前」のことだから、何気なく話ちゃうんでしょうね、、、
言ってから、みんなに糾弾されて、
「あっ、そうなのかぁ〜〜〜
こう言うことは言ってはいけないんだ」と思うのでしょう。
つまり柳沢さんと庶民との温度差ということなのでしょうか。
ここまで「迂闊」発言が続くと悪気はないのだろうと思います。
悪気はないのだろうが、、、
サッカーの柳沢選手はQBK「急にボールが来たので」発言で伝説を残しましたが、国会の柳沢さんはJUK「女性産む機械」発言で汚名を残しました。
しかし彼は一国の大臣。
彼は言葉だけでなく法律を制定する立場にもあるわけです。
柳沢さん個人の発言の内容、うんぬんよりも、
私たちが問題にしているのは彼がやってきたこと、これからやろうとしていることです。
これについては、以前も記事にしましたが、再確認。
============
・生活保護支出の削減
・母子家庭への生活保護支援の一部廃止
・ホワイトカラー・エグゼンプション
・生活保護の老齢加算の廃止→これは訴訟になっている
=============

さてこんな柳沢さん。
日本の医師不足についても見解が甘いのではと考えます。
昨年11月の参院厚生労働委員会での答弁。
「ただちに医師が不足して国民の健康や寿命に影響している状況ではない」厚労省は一貫して“問題は、地域や診療科によって偏りがあることだ”と主張。
しかし実態は違います。
日本の現場の医師数は、人口10万人あたり200人です。経済協力開発機構(OECD)に加盟する先進国30国中、じつに27位(OECD平均の310人)平均にするには日本の医師は約12万人足りないのです。
都道府県別にみて人口10万人あたりの臨床医の数が多い東京都(264人)、徳島県(262人)。それでもOECD平均には届いていません。一番少ない埼玉県では129人です。
この背景には、福祉切り捨ての行革があります。
「一県一医科大学設置の推進」など、医学部の定員増をすすめてきた1970年代。
しかし1982年、医師数の抑制を閣議決定。
86年には、厚生省の「将来の医師需給に関する検討委員会」が「1995年を目途として医師の新規参入を最小限10%程度削減する必要がある」との見解を発表
93年。医学部の入学定員は86年と比べて7・7%減の7725人。
さらに“もっと減らせ”と、公立大学医学部をはじめ大学関係者に「最大限の努力」を要求。
97年には再度、閣議で医学部定員の削減を決定。
こうした政府のやり方の最大の理由は、「医師が増えると医療費が膨張する」というものです。医学部の数や定員は今、現在は減っているのですが、まだ医者は総数で4万人増えています。ここでも産科不足について以前書いたことがあります。お時間がありましたらご覧ください。
さらにさらに驚くべきことは、奈良では7割の市町村 分娩施設なしというもの。
信じられません。
田舎では子どもは産めないということか、、、
少子化対策と言っても、そのお寒い行政の実態を見ると、
この国は子どもたちの笑い声が満ち溢れる国にになるには時間がまだまだかかりそうです。
と、言うことで、
こんなアレコレの事実を見ると、
やはり柳沢さん。
アナタが厚生大臣であることの是非を問われても致し方ないと感じます。

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2007.02.20

多喜二の守ったもの

言葉がだんだん優しくなくなっているように思えてなりません。
中川発言が物議を醸しています。
安倍さんの指導力低下、参議院選など自民党の中でのお家事情もさることながら、
やはり「閣僚、官僚のスタッフには首相に対して絶対的な忠誠、自己犠牲の精神が求められる。」という発言は、いずれ国民にまで及ぶものではないかと危惧するものです。
絶対的忠誠を誓い、自己犠牲の精神を求めていこうとしているのでしょうか?
愛国心という名のもとに、、、

今日2月20日は小林多喜二の命日です。
多喜二への思いは、何回も書いていますので、もしお時間がありましたら過去の記事もご覧ください。
さて、今日は小林多喜二を虐殺した特高のその後について。
多喜二虐殺時の主犯格は警視庁特高部長・安倍源基、その配下で、虐殺に直接手を下したのが毛利基特高課長、中川成夫、山県為三両警部らです。
この安倍源基は山口出身ですが現総理とは親戚関係にはないそうです。
安倍は戦後、A級戦犯容疑で拘置されますが、東条英機たちへの処刑が終わると、占領政策の転換で釈放され、その後、新日本協議会を結成、後に叙勲。
毛利は、終戦直後に埼玉県警察部長を退職。東久邇内閣から「功績顕著」として特別表彰。
中川は、高輪警察署長、築地署長と出世し、東京滝野川区長をつとめ、戦後46年に区長をやめた後、東映取締役興行部長となり『警視庁物語』シリーズなどを全国上映。一方、北区で妻に幼稚園を経営させ、これを背景に64年には東京北区教育委員長。
山県は43年に東京府会議員となり、戦後は丸の内署長時代に知りあったビフテキ店開業、74歳で死亡するまでその経営にあたる。

と、言うことで彼らは戦後も日本の政治・経済に裏から表から影響を与え続けたわけです。
まぁ、彼らもまた時代の子ではあったのだろうが、、、

多喜二が身をもって守ったものは、今、私たちに受け継がれ、これから未来にも引き渡せなければと思う気持で、いつも迎える2月20日のこの日。

私は本当は今年はサラッと多喜二を書こうと思ったのだが、
先日来の中川さんの安倍総理への絶対忠誠なんて時代がかった言葉を聞いたら、やっぱり拘らずにはおれない。
なんだか多喜二が書いてくれと言っているような、、、
安倍と言う名に中川と言う名の奇妙な一致が多喜二の強烈な意志を感じます。(全国の安倍さんや中川さんに何言う物ではありませんからどうぞ誤解なきよう)

多喜二が守ったもの。
それは誰でも普通に暮らせる日常そのものなのです。

〜〜冬が近くなると ぼくはそのなつかしい国のことを考えて深い感動に捉えられている
そこには運河と倉庫と税関と桟橋がある
そこでは人は重っ苦しい空の下を どれも背をまげて歩いている どの人をも知っている
赤い断層を処々に見せている階段のように山にせり上がっている街をぼくはどんなに愛しているか分からない〜〜

多喜二が守ったもの。
それは日本の風景とそこに生活する人々。
過去から「今」、そして未来に繋がる普段着のままの生活なのです。

多喜二が遺したもの。
それは勇気と信頼とさりげないあたりまえさです。

今日、小林多喜二74年目の命日。

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2007.02.19

京都気候変動防止宣言

今日は雨水です。二十四節気の1つ。
空から降るものが雪から雨に変わり、雪が溶け始めることからこの名があります。
昨年は
おひな様を飾る日
でもあると紹介しました。
春を待ちわびる思いを込めて、雨水の日におひな様を飾ります。
しかし、今年は暖冬で、立春もそうでしたが、雨水もなんとなくやって来た気がします。

と、言うことで今日はちょっとこのところの暖冬から地球温暖化について書きます。
先進国の二酸化炭素削減目標を義務づけた京都議定書発効二周年の2月16日、
「国境を超えた世界の地域のとりくみで地球温暖化を防止するとりくみを推進しよう」と、「気候変動に関する世界市長・首長協議会」(WMCCC)の第二回会合が京都で開催。
この会議は05年にカナダ・モントリオールで初めて開催されたもので、今回が二回目。
アジア、欧米、アフリカなど26国参加。
各専門家が温暖化について活発に議論・討論をおこないました。
京都議定書の第一約束期間(08年〜12年)が来年から始まるのですが二酸化炭素排出削減は基準年(1990年)より悪くなっている」と言う指摘もありました。
また、「世界の人口の50%が都市に集中し、総エネルギーの75%を消費し、いま(削減に)行動し、都市が変わらなければならない」との訴えもありました。
そして、17日には、共同宣言「京都気候変動防止宣言」をまとめました。
宣言は、京都議定書の次期枠組み交渉で、温室効果ガス排出量を2020年までに1990年レベルから30%削減し、2050年までに80%削減する目標を立てるよう強く求めています。世界の自治体トップが共同して、二酸化炭素の中長期の大幅排出削減を提起するのは初めてのこと。
さらに、
「政府にたいして(太陽光、風力など)再生可能エネルギーの促進、エネルギー効率の向上、省エネルギー技術開発」
「総合的都市交通システムの構築」などの政策で「化石燃料への依存体質から脱却を求める」と指摘。
18日、昨日は世界各地で影響が現実となっている温暖化対策の緊急性を世界に訴え、閉幕しました。
京都議定書以降の新たな枠組み作りで注目を浴びていた今回の会議。
新しい目標と各国、各地の取り組みが紹介されたり、活発に議論討論がなされました。
これから私たちが行うことは、この内容を受けて実行するにはどうしたらいいかという建設的な意見を交換することと、アメリカなどに積極的に働きかけていくことだと思いました。

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2007.02.18

米軍再編交付金

昨日のBSEに引き続き卑屈なアメリカすりより政策の一つに米軍再編に対しての「再編交付金」があります。
再編交付金 名護ゼロ/普天間移設と言うことで、ニュースによれば、米軍再編協力を交付金ゼロと言うことで脅し、煽っているようです。
基地があるため固定資産税がとれないといった財政的影響に配慮した処置として、現行の基地交付金、調整交付金があります。
しかし交付金は支出の客観的基準もなく、“協力”の度合いに応じて金額をつりあげるというものです。
つまり「言うことを聞く奴には飴を与える」式のものです。
札束をちらつかせて、思い通りにさせるやり方は稚拙で卑劣ですが、
財政逼迫の地方には、喉から手が出る欲しい歳費でもあります、、、
こうして住民の中でも基地についての是非がわかれ、戦うべき相手、守るべき物が見えにくくなっています。

一方、アメリカの海外基地の費用負担を日本がやることは、言うまでもないようです。
グアムは「太平洋の米前方展開の最重要拠点」とアメリカのローレス米国防副次官が自ら明らかにしています。
にもかかわらず、
かかわらず、
日本は多額の負担を行います。
外国の基地建設の費用(総額三兆円)をだすというのは主権国家ではありえないことであり、
アメリカの同盟国で、アメリカ領土での再編費用を負担する国は日本以外にありません。
恥ずかしいことです、、、
日本外務省も事例を「承知していない」と言わざるを得ない状況です。

今、国会では格差の問題、ワーキングプアの問題、母子家庭の問題、、、、
などなど枚挙を挙げればきりがない貧困の問題に焦点があたっている中で、
どうして米軍基地、しかも海外の基地にまで負担できる財政があるのだろうか?
いや、ない。

と、思うが実はあるのでしょう。
国民の財布から根こそぎひっぱっていこうという魂胆でしょう、、、
か???


 

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アミテージ報告

米元国務副長官ら 安保で一層の役割をと強要してきました。
上のニュースをご覧ください。
露骨です。
アメリカの属国になる日も近いということかぁ〜〜〜
内容の主な物は以下のとおり。

・安保問題で政策決定の迅速化を求める
・日本の憲法問題の議論はわれわれ(アメリカ)を勇気づけると歓迎。
・改憲論は地域的・世界的規模の安全保障問題での日本の利害を反映していると指摘。
・海外派兵恒久化の議論を歓迎・
・アメリカは短期間で兵力を海外に展開できる同盟国を求めていると強調。
・日米同盟について、兵器の共同開発など軍事安保協力の促進とともに、「核の傘」の維持を主張。
・日本が軍事費を国内総生産(GDP)比でさらに拡大することで国連安全保障理事会の常任理事国となり、軍事的貢献も行う—ことを強調。
・北朝鮮の核問題に関し、将来の朝鮮半島統一を視野にいれながら対処していくこと。

2000年の第一次報告以降、日本は軍事国への道をひた走りに走りました。
自衛隊法改正の中味を見ると言う以前の記事をご覧ください。
集団的自衛権の行使、自衛隊海外派兵の拡大、在日米軍再編などを提言した内容どうりに忠実に行う日本という国はアメリカにとって、いかにも与しやすいのでしょうね。

「第二次報告」はさらにむきだしの国内干渉です。
憲法改悪や自衛隊海外派兵恒久法などの「議論」を絶賛し、これをいっそう促進させようとしていることです。
しかし、見落としていけないことは、彼らは何も日本の安全を願って提言しているわけではありません。
あくまでアメリカ国内の企業、それも軍事産業のためにだけです。
ハワイの米太平洋軍司令部への自衛隊員常駐、東京の自衛隊統合幕僚監部への米軍人常駐などで日本を軍事同盟で縛り付けて身動きできないものに仕立てていきます。
そして「武器輸出三原則の撤廃」「宇宙の軍事利用」「航空自衛隊次期戦闘機の導入」など、日米軍需企業の要求を強く反映。
これこそアメリカの圧力と言わずしてなんと言おう。
そもそも現存の日本国憲法は、日本人のために、日本人が考えたものです!!!
とっころが、
今、
アメリカは日本に改憲を迫る、、、
結局、日本の国民のためなんかではないのですよね。
日本国民はしょせん機械???

 
改憲、
改憲、
改憲、、、、
美しい国、、、
と繰り返す総理の後ろには何があるのか、
まるでBSEで侵されたスカスカの脳のように透けて見えます。

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2007.02.17

成長力底上げ戦略構想チームのお仕事

安倍内閣はどうしてこうもバタバタ内閣の印象が強いのでしょうか?
早々の閣僚問題やお粗末発言の続出。
加えて自らの権力誇示のためか補佐官制度を敷くも、これがまたチグハグ。
自民党の中からも不協和音が相次いで聞こえる中、
またまた混迷の一つがこれ、発言内閣府に設置された「成長力底上げ戦略構想チーム」(主査・塩崎恭久官房長官)です。
このチームは、「成長戦略」ばかりが目立つ安倍政権が、「格差問題」などに取り組む姿勢をアピールするために急きょ設置されたものです。
ニュースに寄れば、安倍さんは塩崎さんに、
「成長力を強化し、国民一人一人が働くことや暮らしの向上に希望をもてるよう精力的に検討してほしい」と指示したとのこと。
そのチームが2月1日と8日に会合を開催。
(1)フリーター、母子家庭などの「職業能力形成」をどうするか
(2)生活保護世帯などの「就労支援」をどうするか
などの課題を列挙。
論点整理の文書をまとめました。
16日の経済財政諮問会議に報告を出しました。
構想について安倍さんは15日夜、記者団に対し「格差、格差というだけではなくて、具体的な処方箋をお示しをすることができた」と語ったとニュースには載っていました。
確かに格差は棚上げになったようです。 
8日の第二回会合の議論では、ワーキングプアについては「時間もなかったので、とくに話題になっていない」(内閣府)状態です。論点整理の文書からは「格差」も「ワーキングプア」の文字はすっぽり消えました。
塩崎さん自身も「(ワーキングプアの)定義にエネルギーを費やす暇があったら、政策の中身をやろう」とトーンダウンしたそうです。
おいおい、
そもそもこのチームの目的は格差問題、ワーキングプア問題に正面から切り込み、
問題の本質をえぐり、解決を示すものだったはずなのに、
安倍さん、自ら格差、格差と言うなと言い、
具体的な提案が出た、と言うが、この具体的提案にしたところで、
新聞も言うように経済界の協力をどこまで得られるかも含め不透明な点も多いとなれば、このチームってなんのためにあるんだろうと考えてしまいます。
こんな机上の空論に税金を使うより、
もっともっと国民のたちまちの為になることに使って欲しいと思います。

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アメリカ肉がまた違反

「政府の責任は重大」米国産牛肉で野党が批判と言うニュース。
またもや、輸入したアメリカ産牛肉の中に輸入条件に違反する可能性がある牛肉が見つかったそうです。
つまり米政府の発行する衛生証明書のない部分が混じっていたとのこと。
アメリカ大手タイソン社のレキシントン工場から出荷された肉で「生後20ヶ月以下」の証明ができないまま日本に発送したというもの。
詳細な事実がわかるまで輸入手続きは保留。

そもそも輸入開始前から言われてきたにも関わらず、強行に再開した政府の責任は大きいと考えます。
基準を満たせば問題ないとし、
アメリカの言いなりになんでも受け入れる日本政府。
完全に、
アホにされていますね。
バカにされているのでしょう、、、
アメリカに。

安倍さん。
安倍さんの大好きな美しい国は、
アメリカの言いなりになる伝統を未来の子等に伝えていくことなのですか?
日本の田園を壊し、
ものづくりを手放し、
国土はアメリカの基地と化し、
国民はアメリカのために戦い、
アメリカの配給で生きていく、、、

そんな未来が見えて、どうにもしょうがない。

安倍さん。
あなたの美しい国ってなんなのか、
牛の肉からも見えくるスカスカの中身に、
私は強く抗議します!
約束を守らないアメリカに毅然とした態度で対応をしていただきたいと願うものです。

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2007.02.16

そのきさらぎの望月のころ

〜〜〜願はくは花の下にて春死なむ、そのきさらぎの望月のころ〜〜

今日2月16日は西行の命日です。
西行と言えば桜。
神の木と言われ故からか桜と言えば何故か鬼。
そして、あの西行にまつわる伝説を思い出します。
鬼の法を真似て反魂の術を用い人を作るという『撰集抄』に記された逸話。

「西行於高野奥造人事」(西行高野の奥に於いて人を造る事)

伝説の中身は孤独に耐えかねた西行の話。
西行が高野山で修業していた折、同じ聖仲間と月を愛でたことがあった。
「同じく浮世をいとふ花月の情をわきまへむ友恋しく覚えしかば」ということで、鬼に習って人の骨を取り集め、人を造り上げた昔のことを思い出すというものです。
人ひとりいない荒れ野に鬼が出てきて、白骨化した死体を集めて再び人間に復元するという話を知り、西行もその術を知る。
あるとき、友を亡くしたあまりの淋しさに自分も白骨を集めて復元してみる、、、
そして出来上がったものの、それは声も聞き取りにくく顔色も悪い。
どうもつくっては見たものの心が入っていないようである。そこで高野山に置き去りにしてしまう。
そして西行は、徳大寺殿を訪れ、なんとかしてくれと懇願しようとするがあいにくの留守。
そこで次に伏見中納言を訪ねる。
西行は言う。
「広野に出て、人も見ぬ所にて、死人の骨をとり集めて、頭より足手の骨をたがへでつゞけ置きて、砒霜と云薬を骨に塗り、いちごとはこべとの葉を揉みあはせて後、藤もしは糸なんどにて骨をかゝげて、水にてたび/\洗ひ侍りて頭とて髪の生ゆべき所にはさいかいの葉とむくげの葉を灰に焼きてつけ侍り。土のうへに畳をしきて、かの骨を伏せて、おもく風もすかぬやうにしたゝめて、27日置いて後、その所に行きて、沈と香とを焚きて、反魂の秘術を行ひ侍り」

聞いた伏見中納言は西行に反魂の術を教えるが、それを聞いているうちに西行は、自分の愚かさに気がつく。
また恥じ入りながら、決意する。
自分は「花鳥の友」を求めるかわりに「花鳥の情」を求める鬼になろうと、、、

(せと要約ゆえ詳しくは撰集抄をごらんください)

この話はなんとも怪しげで儚くて、そして甘美でさえあります。
高野山で孤独と闘いながら咆哮する西行。
友を得んとするなら自らが鬼と化す。
荒れ野をさまよう西行の鬼気さまる姿が想像されます。
西行を照らす月は青かっただろうか、白く光っていたのだろうか?
さらに、みずからが作った物への畏れと戦き。
自らに対する撞着。
そして西行は歌人としてまさに鬼神になる。

なんだか出来すぎたこの話。
実はすごく好きです。

〜〜春風の花を散らすと見る夢は さめても胸のさわぐなりけり〜〜

西行は花が好きで月を愛していました。
花の中でも桜がとりわけ好きで、桜の歌が230首、次の松が34首、さらに梅が25首だそうです。
花が咲く頃、西行は浮かれる。
〜〜おぼつかな春は心の花にのみいずれの年にか浮かれ初めけん〜〜
毎年咲く花であると知りながら、浮だつ心はいつも初めてのようであり、
花を待ち望む我が心を押さえながら待っている様子がなんだか可憐でさえあります。

そして西行の散るものへの哀惜を謳っている歌が心に染み入ります。
〜〜風に散る花の行方は知らねども 惜しむ心は身にとまりけり〜〜
〜〜散る花を惜しむ心やとどまりて 又来む春の誰になるべき〜〜


願い通り、きさらぎの望月
西行は死にました。
大往生、見事な死に様だったと後に伝わりました。
享年73歳。

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2007.02.15

孤独な子どもたち

こんなニュースは心が痛く、悲しい。
日本の子供、最も孤独 先進国と比較
ニュースによれば
「孤独を感じる」と答えた日本の割合は29・8%で、2位のアイスランド(10・3%)以下、フランスや英国などに比べ飛び抜けて高かったとのこと。
孤独かぁ、、、
なんだか胸に迫ります。

大人が引き裂かれ、
子どもが孤独に追いやられ、
希薄な人間関係の中で、
日々喘いでいる大人や子どもの姿が目に浮かびます、、、
とりわけ、子どもが孤独を感じるのは辛い。

所得格差は教育格差につながり、
ますます人の間を引き裂いていく現状の隙間に放り投げられている子どもたちの実態をもっともっと知って欲しい、と私は教育再生会議のみなさんや文科省のみなさんに訴えます。

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改憲手続き法案 強行?

自民党の二階俊博国対委員長の11日のテレビ番組での発言が気になります。
改憲手続き法案について「議論に長い時間をかけすぎた。五月三日の憲法記念日までに成立させることが大事だ」と言う内容。
さらに民主党の賛成が得られない場合は与党単独採決もあり得るとの姿勢を示したことです。

そして昨日、14日。
自民、公明両党の幹事長、国対委員長らが都内で会談。
改憲手続き法案について、民主党が衆院憲法調査特別委員会での審議に応じない場合は、与党単独採決で臨む方針を確認。
また、自公両党は五月三日の憲法記念日までに同法案の成立を図ることで一致。
つまり二階さんの発言をあらためて自民党・公明党は確認したということです。

先の臨時国会で、自公民が「修正」協議をすすめ大筋合意していましたが、
民主党は夏の参院選をにらみ、「十分な議論を与野党で詰めることが大事。議論に時間がかかるのではないか」との態度を見せていました。
そこで、しびれを切らした与党幹事長らが単独採決の方針を確認。
民主党をけん制するのが狙いです。

改憲手続きについてはその問題点を昨年の6月に記事にしていますので、興味のある方はご覧ください。
いずれにしても憲法を目的で変える目的での手続き整備に違いない、このような法案の強行採決を認めるわけにはいきません。

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2007.02.13

2月11日という日

遅くなりましたが2月11日は「建国記念日」でした。
各地で、賛成・反対の立場の人が集会を開いたようです。
私自身は、日本のことは愛していますが、
しかし、
建国記念日の謂れを考えると、この日をそうした記念日にすることは反対です。
つまり、2月11日は、日本書紀による神武天皇即位の日・紀元前660年1月1日を新暦(グレゴリオ暦)に換算したらこの日になるということです。
神武天皇かぁ〜〜〜
いえね。
ここでも何回も書いているように、個人的には神話は好きなのです。
好きなのですが、
国民の祝日と言う政令で決めるものに対して、堂々と神話が登場することはイヤですね。
神話はお話として読むには楽しいが、事実として後世に伝えられるものではありません。
また、2月11日は「万歳三唱の日」でもあります。
この日を、万歳三唱の日としたのは、1889年、大日本帝国憲法発布の祝典で初めて万歳三唱が行われたことを記念して制定されたというのです。
そもそも「万歳」とは「万年」や「長寿」という意味の漢語だそうです。
中国では乾杯する際に唱える言葉として使われています。
今では何気なく使っているこの「万歳」。
実は明治政府がつくりだしたものだったのです。
西欧諸国では平民が国王や君主を迎えるときに君主を称える言葉や国歌を歌う習慣があり、日本でもそれを定着させようとした結果ということです。

万歳三唱に関しては、そもそもの起源が君主・天皇礼賛の言葉であったとしても、
今はそうした意味でなく、会合などで参加者の長寿や繁栄を祈念する言葉として使われているのは、私たち自身が主人公であり主体者である証ではと思います。

いずれにしても2月11日は歴史と真剣に向き合う日です。
なお、今日2月13日は続日本紀の制定の日です。
日本書紀より正確であろうとは言われながらも、続日本記もまた時の勢力・権力の下で、
記述が削除されたり再現されたことは言うまでもありません。
歴史、、、
とは何か?
誰のための、誰による歴史か。
そしてその結果、何が起きたか、、、
しっかりと検証していく必要性を感じます。
なぜなら、未来のために。

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2007.02.09

家族の法制に関する世論調査

あなたが、家族の役割として最も大切だと思うものは何ですか。次の中から1つだけお答えください。
(ア)子どもをもうけ,育てるという出産・養育面
(イ)親の世話をするという介護面
(ウ)心のやすらぎを得るという情緒面
(エ)日常生活の上で必要なことをするという家事面
その他(          )
わからない


いきなりですが、上の質問は内閣府が昨年12月に行った家族の法制に関する世論調査の第一問目です。
集計の結果は以下のとおり。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 家族の役割として最も大切だと思うものは何かを聞いたところ,「子どもをもうけ,育てるという出産・養育面」と答えた者の割合が29.2%,「親の世話をするという介護面」と答えた者の割合が7.8%,「心のやすらぎを得るという情緒面」と答えた者の割合が44.4%,「日常生活の上で必要なことをするという家事面」と答えた者の割合が15.8%となっている。
 平成8年6月の調査と比較して見ると,「子どもをもうけ,育てるという出産・養育面」(22.2%→29.2%)と答えた者の割合が上昇し,「心のやすらぎを得るという情緒面」(49.0%→44.4%)と答えた者の割合が低下している。
 都市規模別に見ると,「心のやすらぎを得るという情緒面」と答えた者の割合は大都市で高くなっている。
 性別に見ると,「日常生活の上で必要なことをするという家事面」と答えた者の割合は女性で高くなっている。
 年齢別に見ると,「子どもをもうけ,育てるという出産・養育面」と答えた者の割合は30歳代,40歳代で,「心のやすらぎを得るという情緒面」と答えた者の割合は20歳代,30歳代で,「日常生活の上で必要なことをするという家事面」と答えた者の割合は60歳代,70歳以上で,それぞれ高くなっている。
 また,性・年齢別に見ると,「子どもをもうけ,育てるという出産・養育面」と答えた者の割合は男性の30歳代,40歳代と女性の40歳代で,「心のやすらぎを得るという情緒面」と答えた者の割合は男性の20歳代と女性の20歳代から40歳代で,「日常生活の上で必要なことをするという家事面」と答えた者の割合は女性の50歳代から70歳以上で,それぞれ高くなっている。
(上記サイトより)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
アナタにとって家族の意義とはなんでしょうか?
私は上の質問の選択肢を見ながら考え込んでしまいました。

出産・子育て?
家事?
情緒?
介護?
うううう===ん。
困った。
全てであるような、それ以外にもあるような、、、
この選択肢から一つを選べと言われたら悩んでしまいます。
そして何よりも気になるのは、上記の結果から何を導くのかと言うことです。
この設問の意図がとてもとても気になります、、、

さて、本調査はさらに夫婦別姓の問題などにも設問がなされ、その結果が発表されていますので興味のある方は内閣府のホームページをご覧ください。

いずれにしても女性には暖かくない発言が続く現内閣。
どんな風にこの調査を使うか今後の成り行きに注目です。

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2007.02.08

女子差別撤廃条約

ウォルマート相手に原告150万人 史上最大の集団訴訟と言うニュースが出ました。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
米小売り最大手ウォルマートの女性従業員が、給与や昇進面で男性に比べて差別的な待遇を受けたとして、同社に損害賠償を求めている訴訟で、サンフランシスコの米連邦高裁は6日、04年のカリフォルニア州連邦地裁の決定を支持し、集団訴訟として扱う判断を下した。
(上記ニュースより)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
実態についてはこのサイトが詳しく書いてありますので興味のある方はご覧ください。

いずれにしてもウォルマートは巨額の賠償に応じなければならない模様。
今後の動きに注目です。
日本でも多くの企業を相手に女性の差別撤廃裁判が行われ和解・勝訴を勝ち取っています。

さて日本では今、柳沢さんの女性産む機械発言で物議を醸していますが、
職場での女性差別ついて今日は考察をしてみます。
女子差別撤廃条約
(女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約)
と言うのが
あって、日本でも1985年に批准しています。
条約の具体的な内容は以下の通りです。
=============
第二条
 締約国は、女子に対するあらゆる形態の差別を非難し、女子に対する差別を撤廃する政策をすべての適当な手段により、かつ、遅滞なく追求することに合意し、及びこのため次のことを約束する。
(a)男女の平等の原則が自国の憲法その他の適当な法令に組み入れられていない場合にはこれを定め、かつ、男女の平等の原則の実際的な実現を法律その他の適当な手段により確保すること。
(b)女子に対するすべての差別を禁止する適当な立法その他の措置(適当な場合には制裁を含む。)をとること。
(c)女子の権利の法的な保護を男子との平等を基礎として確立し、かつ、権限のある自国の裁判所その他の公の機関を通じて差別となるいかなる行為からも女子を効果的に保護することを確保すること。
(d女子に対する差別となるいかなる行為又は慣行も差し控え、かつ、公の当局及び機関がこの義務に従つて行動することを確保すること。
(e)個人、団体又は企業による女子に対する差別を撤廃するためのすべての適当な措置をとること。
(f)女子に対する差別となる既存の法律、規則、慣習及び慣行を修正し又は廃止するためのすべての適当な措置(立法を含む。)をとること。
(g)女子に対する差別となる自国のすべての刑罰規定を廃止すること。
(上記サイトより)
==============

条約締結国は、
「女性差別をなくすために、どんな措置をとり、どんな進歩があったか」を年ごとに国連の女性差別撤廃委員会に報告書を提出する義務を負います。そして同委員会は報告をもとに審査し勧告を出します。
2003年7月に日本は第4回、5回の勧告を受けています。
男女共同参画などのサイトを参照。)
男女の賃金格差や、パート・派遣労働に女性が多く低賃金なこと、
家庭生活と職業の両立が困難なこと。
そして
「男女の事実上の機会均等の実現」
「両立を可能にする施策」の強化が必要と勧告。

また12年前の勧告で、大企業のコース別雇用管理つまり「間接差別」が取り上げられていたにも関わらず政府は無視してたのですが、これも国内法に取り入れるようにと勧告されなおしました。

また注目すべきもののひとつに「夫婦別姓」もあります。
日本の夫婦同一姓や婚外子差別について、女性差別撤廃委員会は、」じつに1988年から指摘。
先の勧告は「差別的な法規定」の「廃止」を求めています。
しかし先日もエントリーで挙げたように未だ遅れている現状です。

差別裁判は差別されている側の粘り強い運動とそれを支援する人々との長い闘争の歴史です。
男女差別以外にいまだ数多くある差別の実態を探ること、一つひとつ丁寧に解きほぐしていく作業は大変なことですが、
こうした作業の中で「歴史の真実」が見えてくるような気がします。
これから、また勉強していきたいと思っています、、、
 

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2007.02.06

怒るときと許すとき

怒るときと許すとき

 女がひとり
 頬杖をついて
 慣れない煙草をぷかぷかふかし
 油断すればぽたぽた垂れる涙を
 水道栓のように きっちり締め
 男を許すべきか 怒るべきかについて
 思いをめぐらせている
 庭のばらも焼林檎も整理箪笥も灰皿も
 今朝はみんなばらばらで糸のきれた頸飾りのようだ

 噴火して 裁いたあとというものは
 山姥のようにそくそくと寂しいので
 今度もまたたぶん許してしまうことになるだろう
 じぶんの傷あとにはまやかしの薬を
 ふんだんに塗って
 これは断じて経済の問題なんかじゃない

 女たちは長く長く許してきた
 あまりに長く許してきたので
 どこの国の女たちも鉛の兵隊しか
 生めなくなったのではないか?
 このあたりでひとつ
 男の鼻っぱしらをボイーンと殴り
 アマゾンの焚火でも囲むべきではないか?
 女のひとのやさしさは
 長く世界の潤滑油であったけれど
 それがなにを生んできたというのだろう

 女がひとり
 頬杖をついて
 慣れない煙草をぷかぷかふかし
 ちっぽけな自分の巣と
 蜂の巣をつついたような世界の間を
 行ったり来たりしながら
 怒るときと許すときのタイミングが
 うまく計れないことについて
 まったく途方にくれていた
 それを教えてくれるのは
 物わかりのいい伯母様でも
 深遠な本でも
 黴の生えた歴史でもない
 たったひとつわかっているのは
 自分でそれを発見しなければならない
 ということだった

茨木のり子・・・詩集「見えない配達夫」より
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
今朝、茨木さんの「見えない配達夫」と「対話」をつらつらと見ていたら、
載っていた詩の一つが「怒るときと許すとき」。

「女たちは長く長く許してきた
 あまりに長く許してきたので
 どこの国の女たちも鉛の兵隊しか
 生めなくなったのではないか?
 このあたりでひとつ
 男の鼻っぱしらをボイーンと殴り
 アマゾンの焚火でも囲むべきではないか?
 女のひとのやさしさは
 長く世界の潤滑油であったけれど
 それがなにを生んできたというのだろう」
と、茨木さんは言うが、
長く長く許してきたのは、女たちだけか?
国民全体が、
痛みに耐え、政府の甘い言葉に騙され、
許しにゆるしてきたのではないだろうか???
そして、いつの間にか
「鉛の兵隊」しか産めなくなるのだろうか?女たちは。
そして、いつの間にか
「鉛の兵隊」として男たちは戦場に刈り出されるのだろうか???


茨木さんは最後に結ぶ。
「怒るときと許すときのタイミングが
 うまく計れないことについて
 まったく途方にくれていた
 それを教えてくれるのは
 物わかりのいい伯母様でも
 深遠な本でも
 黴の生えた歴史でもない
 たったひとつわかっているのは
 自分でそれを発見しなければならない
 ということだった」
と。
自分で発見しなければならないのか、、、
怒るときと許すときとは何か、いつかを。

もし、そうならば「今」は怒るときだと強烈に思う。

そんなことを思いながら詩を読みました。

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競争社会

今日を象徴する言葉として「格差社会」があります。
格差社会を支えているのは新自由主義による競争社会であることは言うまでもありません。
新自由主義と規制緩和について今までも何回か考察してきましたが、もう一度おさらいということで1970年前半のスタグフレーション、ケインズ経済の衰退以降の流れを時系列で追ってみます。
ミルトン・フリードマンを中心としたシカゴ学派のマネタリズムは、
ケインズ経済学の有効需要論を批判。
通貨の供給管理を重視する金融政策を経済の中心に据えることで、
政府は経済成長のために財政を使うことは無い、いわゆる「小さい政府」を提唱。
経済成長は市場での自由な競争の合理的結果としてもたらされるとする考えです。
これを支えたのが新自由主義と呼ばれるもので、現実には政府は企業に対して様々な規制を緩和・撤廃、同時に社会福祉などを見直し労働者の権利を縮小していく政策をとっていきます。
最初に実行したのはイギリスのサッチャー首相(1978年就任)。
続いてアメリカのレーガン大統領、日本の中曽根総理、ドイツのコール首相などがこの政策を展開していきます。
では日本では具体的にどの様に展開されたを見ます。
国鉄、電電公社、専売公社の民営化がなされました。
また90年代には金融市場での緩和、撤廃が相次いで行われグローバリゼーションは浸透していきます。
アメリカの対日要求もこの時期は強まります。
アメリカ流の市場原理を日本も適用するように要請。
96年、橋本政権の日本版ビッグバンは日本の金融の再編を促進。
しかし同時にこの時期は80年代後半からのバブル崩壊やそれに続く銀行の不良債権などが相次ぎました。
そしてついに7つの住宅金融専門会社の破綻。
山一証券、北海道拓殖銀行、日本長期信用銀行、日本債券信用銀行の破綻と続きます。
この収拾をはかるため政府は公的資金(60兆円)を導入。
こうして金融機関の破綻処理に政府の全面介入が行われることで、
新たに市場経済に政府が介入していくという新自由主義の形がより整っていきます。
2001年4月に発足した小泉政権ははっきりと「小さな政府」と打ち出し、
構造改革を謳い、国民への痛みを押しつけることに逡巡はありませんでした。
経済諮問会議が政策の中枢。
国際競争を目指し多国籍企業を中核として据える。
この二つを目的に小泉総理と竹中金融大臣は、あらゆる社会経済の分野に競争を導入。
郵政民営化がその代表とされるところです。
そして労働市場の規制緩和にもドンドン着手。
大規模なリストラが行われ、2002年度には完全失業率は5.4%。
低賃金の非正規雇用の拡大。
こうした政策の進む中で「勝ち組・負け組」と言う言葉が当たり前のように使われて来るようになりました。
しかし、出来上がった経済は、
国民大衆生活の不安定化です。
競争社会に晒されている中で、労働の担い手である国民がストレスを抱え、健康を蝕まれ、若者は先が見えなく、労働意欲も失われ、結婚するカップルは減り、子どもの出産も少なくなるという結果が次第に明らかになってきました。
しかし、しかし、
現政府が行おうとしていることは、こうした行き詰まりの経済の打開策を国民の負担増ということで図ろうとしていることです。
大企業には法人税は減、国民には各種保障はとっぱらい、さらに消費税負担までさせようとしています。

では、私たちは何をどの様にすればよいか。
まず手始めとして行うことは「競争社会」について再考することではないかと思います。
今、学校の教育現場で競争原理がバンバン入ってこようとしています。
学力格差に加え、学校間格差が大手を振るって学校に入ってきたとき、
子どもたちは、現場の教師は、
如何に立ち向かうことができるでしょうか。
唯々諾々と上からのお達しに従い、競争原理、成績至上主義を受け入れたときは教育の死ということです。
私たちは、まず競争原理から子どもたちを守り、労働者を守らなければなりません。
因みにここで言う競争原理とは新自由主義に組み込まれた競争原理です。
人が学ぶことや働くことで意欲となるプラスの競争意識ではありません。

いずれにしても新自由主義は知らずしらず生活に浸透していることを実感します。

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2007.02.04

その後の柳沢発言

参院の補正予算審議も欠席を確認 民主、社民、国民新党と言うニュース。
国会は春の嵐が吹いています。
柳沢さんの「女性・産む機械」発言が発端です。
発言後の与野党の動きを見ていると、選挙対策として利用しようという魂胆がミエミエ。
国民不在を感じることばかりです。
私たちは「機械発言」の何に怒っているのか?
ズバリ、
女性を機械と見なしたことに怒っているのです。
そこで「女性は産む機械か」と言う命題をたててみましょう。
この場合、機械というのはメタファーです。
言い換えると「女性は産む機械のようなもの」とか「女性は機械のようにドンドン産める」とかいろいろ想定はできるのですがその様な作業をするとメタファーの喚起する属性に限りなく拘っていくことになります。
従ってメタファーを含む命題は、その言葉以上には考察を深めないことが大切です。
つまり命題は「女性は産む機械である」というそれ以上でも以下でもないのです。この命題からなんら特殊性を抽出することは出来ません。従ってこの発言は論理的にも誤りです。
では女性と機械の類似性について考えてみましょう。
女性と機械の類似性はこの場合発言にもあるように「産む」と言うことです。
しかし柳沢さんは明らかな間違いをしています。
産むと言うことを仮に物を産出することというなら産出する能力は人間に備わったものです。
そもそも人が発達してきたその大きな理由は二足歩行と手を使い道具をうみだしたことです。
物をうみだす能力や技術は機械ではできません。
と、言うことで、
女性は産む機械ではありません!

しかし、そんな言葉尻を捉えて、
アレコレと糾弾することが怒りの本質ではありません。
怒りの大元は「見えない経済政策」に対してなのです。
この問題に関してはトラックバックをいただいた津久井弁護士の記事が実に分かりやすく紹介していますので是非ご覧ください。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 柳沢伯夫氏が,厚生労働大臣として不適任であるということは,「女性は産む機械」発言よりも,むしろ,その後の釈明会見における発言から考えた方が分かりやすいのではないか。

 柳沢氏は,釈明会見で,次のように弁明した。
「私、日ごろ、経済問題を考えてる人間ですので、ついつい経済との類似性ということで説明しようと思った」
(津久井弁護士のブログより引用)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
釈明会見での発言ゆえ「うっかり」口がすべったというものではありません。
つまりこれこそが本音であり政策の支柱・根幹となる考え方なのです。
日頃経済の事ばかり考えているので、つい女性を機械に譬えたがこれは経済との類似性だと言う。
ではそんな柳沢さんがしてきたことは何か?
これまた津久井さんが詳細に分析して下さっているので引用。
(津久井さん、ご迷惑ならご連絡ください)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 柳沢厚生労働大臣の就任後は,
   ・生活保護支出の削減
   ・母子家庭への生活保護支援の一部廃止
   ・ホワイトカラー・エグゼンプション
   ・生活保護の老齢加算の廃止→これは訴訟になっている
など,社会保障を劣悪化させる政策が次々に打ち出されている。
これまでの既定路線を継承している側面があるかも知れないが,
  「(人間ではなく)経済の観点から福祉を斬る」
という意味で,現政権には,これほど格好の人材はいなかったのかも知れない。
(津久井弁護士のブログより引用)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
なるほど、、、女性を機械と譬えるわけがよくわかります。
機械なら古くなれば「ハイ、さようなら」。
機械なら使われなくなれば次の新しい機械に替えればいい。
機械だからちょいとだけ油をそそげばいい。
機械だから何も考えず「うめよ・ふやせ」と与えられたことだけすればいい、、、
と、言うことか。
彼が発言した以上に彼が行った政策が「ものを言っている」と言うことです。
私たちは最初「女性機械発言」から連想される不快感に対して柳沢さんに抗議しました。
しかし時間の経過や与野党の駆け引きに利用されていく様をみているうちに発言の責任はすり減り、事実彼は大臣を辞めない、総理はかばい続けるという構図が出来上がってきました。
その理由も目に見えて明らかになってきたということでしょうか。

では国民である私たちは何をすべきか。
それは諦めずに抗議の声を挙げていくことではないでしょうか。
ブログ仲間の薫さん
喜八さんのエントリーを読むとどこにどの様に抗議を訴えればいいか書いてあります。
是非ご覧ください。
決して諦めないことが「言霊の国」の国民にふさわしい。

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2007.02.03

追儺式

北野天満宮の追儺式から今、帰ってきました。
今日は節分。
立春の前日で、この日行われる「追儺」(「鬼やらい」とも言う)の儀式は、向う一年の災厄を祓い病いを除く祈りをこめた重要な年中行事であります。
この「鬼やらい」に於て追われた鬼が逃げこむ場所は「乾の隅」西北の隅であり、ここは昔から悪鬼の住む魔所とされ、現代でも常に不浄を避け、手厚くお祀りをせねばならない大切な場所とされているそうです。
天暦元年(947)京都の「乾の隅」の守りとして、皇城鎮護の願いをこめて建立され、以来災難除・厄除の社として、朝廷をはじめ都に住む人々の篤い信仰を集めて来たという由緒ある北野天満宮。
京都ではこの北野天満宮さらに吉田神社(昨日既に追儺式があって夫は見てきました)さらに壬生寺・八坂神社・の四社寺を「四方詣り(しほうまいり)」として参詣し無病息災、招福を願う習慣が生き続けています。

午後1時の神楽殿で茂山千五郎社中により摂社福部社(ふくべしゃ)の御祭神である福の神が深泥が池の鬼を払う「北野追儺狂言(きたのついなきょうげん)」が行われ、さらに上七軒歌舞会による日本舞踊が奉納され次いで豆まきが行われると言うことで、それに合せて夫と私はお昼前に家を出ました。
電車・バスと乗りついで、天満宮前に着いた頃は、既に多くの見物客で賑わっていました。
三珍鳥居で有名な伴氏社や初雪の日に御祭神がこの松に降りてこられ歌を詠まれるという言い伝えがある影向松などをつらつらと見ながら神楽殿まえに着いた頃は10分前。
もう後ろの方でしか見ることが出来ません。
瞬く間に私の後ろにもいっぱい人が並び、雰囲気は盛り上がってきました、、、
そして一時。
狂言の始まり。
狂言と言えば子どもが小さい頃、子ども劇場で見た附子が面白くて、また見たいと思っていまし。機会がなかなかなかったのですが、今日は縁があって間近で見ることができてとても幸せ。
内容については、あまりに多くの人がいて、実は分からなかったのです。(こんなの見たというのか?)
しかし雰囲気は伝わってきました。
次の上七軒の舞妓・芸子さんの踊りは可愛く艶やかで素敵でした。
今日は天気がよくて青空が広がり風もあたたか。
天神様と言えば梅の花。
ふっくらと咲き始めの梅の花とそよ吹く風に覆われてしばし時の経つのを忘れていました。
そしていよいよ豆まき。
ウワッ〜〜〜〜〜
何をかくそう。
こう言うの大好きなのです!!!

よっしゃ。

って感じで気合いが入ります。
尤もみんなそうだけれど。
「鬼はそと 福はうち」の掛け声と共に、
茂山社中の人と舞子さんたちが豆を撒きます。
押せやおせおせで大騒動。
あっちからもこっちからも「投げて〜〜〜」という声に押されていつの間にか一番前にまで出ていた私。
初めは取れなくてバタバタしていたのですが、、、
が、、、
が、、、
撒き終わる頃には両手にいっぱい袋を抱えていました。
なぜでしょう???
はっはっは。

夫は後ろにいたので一つも取ることは出来ませんでした。
私の手にした豆の数を見て呆れるやら感心するやら。
はっはっは。

それから本殿でお参りをして学業成就のお守りもかって、
豊富な彫刻の中に日月星があることから三光門の名がある中門を通り帰途につきました。
おっと、忘れてはいけない帰りに二人で小さいけれど味のあるお店を見つけて飲んで帰りました。
楽しかった〜〜〜〜


今晩は恵方巻にイワシにおそばを食べて豆を撒いて、
節分の行事を全部する予定。

明日から春がくる。
良い事があるようにワクワクしながら待ちます。
そうそう、もう一つソッと書くことは、
結構恥ずかしながら、
京都検定3級、合格しました!!!

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2007.02.02

相対主義的な理科教育

いつもトラックバックを頂く遠方からの手紙のかつさん。
マルクスの事やエンゲルス、また武谷三男のことや教えられ考えることばかりのブログで訪問することが楽しみです。
トラックバックいただいた論理と感性と言うエントリーを拝見して
以前書いた科学的とは何かと言う記事を思い出しました。
天動説を信じる子どもたち について学校の現場での理科教育のあり方について議論たけなわの時でした。そこで私も自分の意見をちょっと書いたみたのです。
おりしも今、テレビ健康番組の捏造ややらせで科学や実験に焦点があたっている時でもあります。
そこで今日は「相対主義と理科教育」について見ていきたいと思います。
天動説を信じる子どもが4割というニュースが出たときも、一部では「天動説でいいんじゃない」という声がありました。
宇宙飛行士の毛利衛さんも「天動説いいではないか。わたしも子どもの頃はそう思っていた」と発言しました。
言わんとすることは「教科書の全てを信じるな、疑え」と言うことです。
さらに「自分のいまの感覚を信じろ」と言うことにまで論理は進みました。
自分が回っているというより太陽や星が回っていると言う感覚のどこが間違っているのか、と言うことです。
一見正しく誰でもが容易に納得する考えなのです。
が、
実はここに大きな落とし穴があるのです。落とし穴の名前は「相対主義」と言います。
学校教育、とりわけ理科教育が偏向していったのは1998年改定「小学校学習指導要領」の「解説理科編」を見ると明らかです。(初等中等教育に関する提言を参照して下さい。)
「自然の特性は人間と無関係に自然の中に存在するのではなく、人間がそれを見通して発想し、観察、実験などによって検討し承認したものであり、自然の特性は人間の創造の産物である。」と言うのです。
そしてこの指導は2002年度から教育の現場に取り入れられました。
「科学の理論や法則は科学者という人間が創造した物」であると言う相対主義的な科学観に立脚した理科教育は、絶対的な真理や知識をを教えることを放棄。子どもの生活体験や経験、概念を重視する方向へと進みました。
「自然の規則性や法則性はア・プリオリに自然の中に埋め込まれているのではなく、人間が働きかけることにより創り出していくものである」と強調するのは「改訂小学校学習指導要領の展開理科編」を作成した日置光久さん。
これは自然科学を自分の都合のいいように解釈していくものです。
ある予想(仮説)をたて、それに基づき実験・観察してその結果から仮説が正しいか否かを判断していく方法は普通、科学では取り入れられているやり方です。
結果が違えば仮説をもう一度考察しなおし、
また新たに実験・観察をしていく、、、
そうした過程の中で自然の規則や仕組みが解明されて来ます。
しかし、今、学校教育の中での理科教育は、
「観察・実験の結果が違ってもいいんだよ。
自分が最初に立てた仮説こそが正しい」とするものです。
つまり結論は先にあるのです。
この結論に結びつく物だけが正しく、そうでない物は捨て去られていくという論理の展開はまさにニセ科学への道に繋がるものだと思います。
もちろん科学は全てを網羅することはできません。
ある条件で正であっても別の条件では成り立たないことはよくあります。
白か黒か二者択一という単純なものではありません。
しかし、先にあげた相対的理科教育ではあらゆる物事を単純にラベル貼りしてそれ以上考察を深める作業は捨て去られます。
これは論理学で本質を導くためと称して捨象・抽象を安易に行う場合に似ています。
では、今私たちが出来ることは何か?
それは身近な現場での「相対主義的な構成主義理科教育」の存在に気づき、警鐘を鳴らしていくことです。


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2007.02.01

そんな時代がくるのか

そんな時代が来るのだろうか?
「雪崩のとき」と言う 石垣りんさんの詩を読んでジワリと怖くなりました。
それはやんわり、
じわり
とやってくるのか?
まずは遠くから。

「人は
その時が来たのだ、という

雪崩のおこるのは
雪崩の季節がきたため と。」

雪崩が起きたのはそんな季節になったからだよ。
と、人は納得するのか。

武装を捨て、いろいろ不自由はあっても良いものであった。
ほんのちょっとしてささやかなことに幸せを感じ、人生なんかも考えたそんな平和なひととき。
が、
石垣りんさんは綴る。

「それも過ぎてみれば束の間で
まだととのえた焚木もきれぬまに
人はざわめき出し
その時が来た、という
季節にはさからえないのだ、と。

雪はとうに降りやんでしまつた、
降り積つた雪の下には
もうちいさく 野心や、 いつわりや
欲望の芽がかくされていて
"すべてがそうなつてきたのだから
仕方がない"というひとつの言葉が
遠い嶺のあたりでころげ出すと
もう他の雪をさそつて
しかたがない、しかたがない
しかたがない
と、落ちてくる。

ああ あの雪崩、
あの言葉の
だんだん勢いづき
次第に拡がつてくるのが
それが近づいてくるのが

私にはきこえる
私にはきこえる。」
と。

次第に近づいてくるあの言葉。
しかたがない。
しかたがない。
何がしかたないのか?
流れだから、
しかたがない。
季節だからしかたがないのか???

石垣さんは問う。
そして声を大にして訴える、、、
あの平和なひとときを奪っていくものは、
しかたがないくらい大きなものなのかと、、、

雪崩がどこかで起こり、
次第に近づいてくる音が私にも聞こえ出してきました。
そんな時代がくるのだろうか???

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
雪崩のとき


人は
その時が来たのだ、という

雪崩のおこるのは
雪崩の季節がきたため と。

武装を捨てた頃の
あの永世の誓いや心の平静
世界の国々の権力や争いをそとにした
つつましい民族の冬ごもりは
色々な不自由があつても
また良いものであつた。

平和
永遠の平和
平和一色の銀世界
そうだ、平和という言葉が
この狭くなつた日本の国土に
粉雪のように舞い
どつさり降り積つていた。

私は破れた靴下を繕い
編物などしながら時々手を休め
外を眺めたものだ
そして ほつ、 とする
ここにはもう爆弾の炸裂も火の色もない
世界に覇を競う国に住むより
このほうが私の生きかたに合つている
と考えたりした。

それも過ぎてみれば束の間で
まだととのえた焚木もきれぬまに
人はざわめき出し
その時が来た、という
季節にはさからえないのだ、と。

雪はとうに降りやんでしまつた、
降り積つた雪の下には
もうちいさく 野心や、 いつわりや
欲望の芽がかくされていて
"すべてがそうなつてきたのだから
仕方がない"というひとつの言葉が
遠い嶺のあたりでころげ出すと
もう他の雪をさそつて
しかたがない、しかたがない
しかたがない
と、落ちてくる。

ああ あの雪崩、
あの言葉の
だんだん勢いづき
次第に拡がつてくるのが
それが近づいてくるのが

私にはきこえる
私にはきこえる。 

『私の前にある鍋とお釜と燃える火と―石垣りん詩集 より』
 
 

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二月の星

今日から二月。
暖冬の今年は私にとっては、いつものように春を待ちわびるという感じで如月を迎えることはありませんでした。気がついたら「あらっ、もう二月。早いわねぇ〜〜〜
それにしても暖かい。「このまま春になるの。」という感じ。
私にとって季節を感じるひとつに星があります。
夕方、洗濯物を取りにベランダに出ると日没の西の空に、それはそれは美しく輝いている金星にウットリ。
まだ高度は高くないので、ちょっと見下ろす形でしばしベランダに佇んでいました。
いつもの冬なら寒くて窓ごしに漸く見える金星なのに、昨日はゆっくりと見ることが出来ました。
夜も更けるといよいよ月も皓々と輝きだします。

寒空に冴え冴え光る月の窓 ともこ

東には冬の星座オリオンが瞬き星達の饗宴を楽しむことが出来ます。
ベテルギウス、シリウスとこいぬ座の1等星プロキオンを結んで「冬の大三角」の仕上がり。さらにリゲル、シリウス、プロキオンにふたご座のポルックス、ぎょしゃ座のカペラ、おうし座のアルデバランを加えれば1等星だけの「冬の大六角形」。
冬は本当に星が美しい。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
夜ふけの空

人と、草木のねむるとき、
空はほんとにいそがしい。

星のひかりはひとつずつ、
きれいなゆめを背(せな)に負い、
みんなのお床(とこ)へとどけよと、
ちらちらお空をとび交うし、
つゆひめさまは明けぬまに、
町の露台(ろだい)のお花にも、
お山のおくの下葉にも、
のこらずつゆをくばろうと、
銀のお馬車をいそがせる。

花と、子どものねむるとき、
空はほんとにいそがしい。
(金子みすず)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜

やはり風は冷たく、やがてやってくる春をウキウキと待ちながら、、、
今日から二月。
如月です。

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