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2007.03.24

ふと思ったこと

このところ、とみに思い出す禅話があります。
南嶽懐譲と馬祖道一の有名な鏡の話です。
〜〜〜〜〜〜〜〜
南嶽懐譲のような偉い人になろうと思って馬祖道一は坐禅をしていました。
そんなある日、南嶽懐譲が、
「おまえさん、坐禅ばかりして一体どうするつもりだ。坐禅して何になるんだ」と馬祖道一に聞きます。
答えて曰く「私は坐禅をして仏になろうと思っています」。
それを聞いた南嶽懐譲はそれ以上何もいわないで、1枚の瓦を持ってきて、それを一生懸命磨き出し、いつまでたってもやめません。
ついに馬祖が「和尚さん、それは瓦じやないですか。瓦をいくら磨いたって鏡にはなりませんよ」と言います。
南嶽懐譲は「いや、私はこの瓦を鏡にするんだ」といって磨くのをやめません。
そういわれると、不思議にそうかなと思えてくるのです。
そして最後に南嶽懐譲が馬祖に
「本当に何をしたらいいのかといえば、ちょうど人間が牛車に乗っているようなものである。車が動かなくなったとき、車をたたくのか、牛をたたくのか、どっちだ」と聞いたのです。
それに対して馬祖は何も言いませんでした。
〜〜〜〜〜〜〜〜
この後、馬祖が何を悟り、何を得たかは後に伝わってはいません。

一般にこの話の教訓は、
「坐禅だけをしていても仏にならない」と言うことから、
凡夫は「モノ」を修得するということは形だけに拘るが、覚者は左様なことはしない、、、
と、言うことです。
悟りの真髄とは頭で「ああ〜〜〜だ、こうだ」とゴテゴテこね回すことではなく、
ましてや権威を無批判に受け入れることではありません。

未だ、迷いの私にはわかろう筈もありません。
が、
この話、この頃、頭の中を去来するのです。

自分が学んできたと思っていることにしがみつくことなく、
謙虚に柔軟にたおやかにあらゆることを考えていきたいと思います。
よくよく気を付けていきたいものです。

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コメント

瀬戸先生、おひさしぶりです。

>自分が学んできたと思っていることにしがみつくことなく、謙虚に柔軟にたおやかに

お気持ちは理解できます。でもね、先生。「謙虚に柔軟に」考えられないのは、たいして深くは何も学んでこなかった(インテリぶってる)ことを表しているんじゃないですか。
ですから、そういう人には、先生のやさしさすら読み取れない、となるでしょう。

投稿: わど | 2007.03.26 12:49

わどさん。
おはようございます。
先に経済の方もコメント頂き、ありがとうございます。
これに関してはhitoriyogari さんの方がよくご存じです。
私は専門ではなく、いろんな所から調べて、
情報として書いているので、そりゃもう、生きている知恵としてはhitoriyogari さんです。
辛口の方にもコメントして下さると、丁寧にお教えいただけると思いますよ!


なお、「例の人」。
ますますの混迷ぶり。
本当にどうしたのでしょうか?
かつさんの所にもかいたのですが、残念でなりません。
が、
この頃の迷走を見ると「学問」への冒涜です。
論理と言う学問に対して失礼極まりないと少々怒っています!
はやく気がついて頂きたい、、、と願うばかりです。
では、、、またね。

投稿: せとともこ | 2007.03.27 11:03

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受信: 2007.03.26 20:22

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