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2007.03.21

硬性憲法の意味

国民投票法案、公聴会追加で与野党合意と言うニュース。
いよいよ俎の上に乗ってきたのでしょうか?憲法改正が。
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衆院憲法調査特別委員会は20日の理事懇談会で、憲法改正手続きを定める国民投票法案の審議について、2カ所での地方公聴会開催と中央公聴会の追加で合意した。
(上記ニュースより)
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国民投票法案の意図がむき出しの改憲法案であることは、この間ブログでも何回も書いてきました。
改憲のために作られる法案の中身には、国民は不在です。
なぜなら国民の大多数は現日本国憲法になんの不都合も矛盾も感じてはいないからです。
「戦争放棄」いいじゃないですか、、、
「主権在民」そりゃそうです。
「基本的人権の尊重」当然です。
一体、どこが問題があるのか?
憲法を変える必要があるのか?
国民は納得していません。
どうしても国民の承諾を得ることができない改憲に対して、ついにしびれを切らして出てきたのがこの「国民投票法案」です。
改憲のハードルが低くなりました。
ヒョイと変えることができる法案です。
改憲勢力にとってはシメシメです。
国民の多くはこの中身を知らされることなく、さらにはその先に待っているものは闇の中です。
私たち国民に討議・熟慮の時間を奪い、国民をたんに客体と位置づけるこの法案は絶対に通してはいけません。
そもそも日本国憲法96条1項。
「この憲法の改正は、各議院の総議員の3分の2以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。」
とあります。ここで言う「国民投票」が2005年10月6日自民党早川議員が言うような「最高裁の国民審査と同様の信任投票」では決してありません。
憲法、あるいは立憲主義に対しての明らかな勘違いです。
国民が憲法で権力を拘束。
国民の権利保障をはかるという原則を近代市民革命を経て私たちの先輩は大原則を確立しました。
「憲法は社会契約を具体化する根本契約であり国民に不可侵の自然権を保障するものである。
憲法によってつくられた権力である立法権は憲法に拘束される。憲法の改正は国民のみに許される」
と言うことです。
その基本的視点として憲法改正は通常の立法以上に厳格に手続きが行われ、また改正権者は主権者である国民であることは言うまでもありません。
これがいわゆる硬性憲法といわれる所以です。
憲法学の長谷部東大教授は「日常的な政治過程を支える社会の基本原理を日常的な政治過程の手の届かない所に隔離することが憲法の重要な役割である」と述べています。
つまり枠組みのあり方そのものを問う憲法改正の国民投票が最高裁の信任投票と同じであってはいけないのです。
一人ひとりが主権者として存在を認められていた日本国憲法が、
今、国民にささえられることなく改正されようとしています。
この動き、決して、
決して、
決して、
黙って見過ごしてはなりません。 

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コメント

 仰る通りです。
 しかしながら憲法9条は人類普遍のものとして換える必要は有りませんが、例えば「道州制」などは国民に問うてみる価値が有るのではないか。また、明らかに憲法違反である自衛隊、それを海外へ派遣する特措法等々、国民に直接聞いてみたいものがあるように思います。
 結局のところ、憲法改正を綱領とする自民党に、政権を委ねてしまっている国民が多いと言うことでしょう。小泉劇場なんぞはその最たるものではないでしょうか?

投稿: hitoriyogari | 2007.03.21 15:59

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