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2007.04.26

集団的自衛権解釈

安倍首相、憲法解釈変更の意向示す 集団的自衛権と言うニュース。
「私の方針は随時述べている。所掌の部署において、私の方針にのっとって整理研究等をしているのは当然ではないか」と述べる安倍さん。
私の美しい国をつくるために私の方針にのっとって意のままになる憲法を作ろうと躍起になっている安倍さん。
私の、、、
私の、、、
私の、、、
このどこにも国民はいない。
あるのは大企業とアメリカとアナタとアナタに関わる権力か???

「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」。
安全保障の拡大解釈、しかもそれはアメリカのための。
そしてアメリカへの手土産であることは一目瞭然の懇談会。
この5月18日に初会合を開き、今秋をめどに報告書をまとめる予定。
安倍さんの意向を踏まえ、これまでの政府の憲法解釈を見直し、海外での武力行使を可能とする集団的自衛権の行使に道を開懇談会。
研究対象となるのは、
(1)米国など日本以外の国に向かう可能性のあるミサイルの迎撃
(2)国連平和維持活動(PKO)で自衛隊と共に行動する外国部隊が攻撃された際の応戦
(3)公海上の米軍などの艦船が攻撃された場合の海上自衛隊による反撃—の四類型。

頭がクラクラします。
しかもこれがみんな自衛と言う言葉と、安全という言葉と新しい時代という言葉で覆われて登場するのです。
自衛。
安全。
新しい時代。
来る時代がミサイルや軍隊によって守られなければ安全ではないということか???
憲法9条を手放せば、
安全は軍しか守ってくれないということか???

政府自らが、
平和憲法が如何に平和を破壊し、
国民を守りきれないことを明らかにしてくれるようです。

私たちはミサイルや軍によって守れるよりは憲法によって平和を守ってもらいたい。
来るべき新しい時代がどんな時代なのか、、、
子どもらに何を残せるのか、、、
今、
しっかり、ゆっくりと考える時期だと強くつよく思います。
集団自衛権なんて国民は望んでもいない事を平気で強行しようとする安倍さんに「ちょっとまった」と言い続ける必要を感じています。


 

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2007.04.24

あとから来るもののために

問題山積の学力テスト。
いよいよ今日行われます。
対象は小学校6年生と中学3年生。

2004年11月4日の経済財政諮問会議で当時の中山文部科学相が「競争意識の涵養」をあげて全国学力テストの実施をかかげたことは記憶に新しく私も当時、この発言を受けて記事にしました。
==========
「努力して自分を磨く」
「秀でることへの憧憬の念」
などを教育で教えないから社会に出てから激しい競争に耐えることが出来なくて、
出勤拒否や離職者が増えて来ているのだ。
もっと競争原理を教育の現場に導入するべきだ。
(中山さんの当時の発言より)
==========
一見、正しいのですが、明らかな間違いは「秀でることへの憧憬の念」と決めつけることです。
確かに子どもたちは「学ぶこと」「未知への限りない憧憬」はあります。
何故?
どうして?
どのようにすればいいか???
疑問は尽きません。
しかし、この疑問は「秀でることへの憧憬の念」や競争原理という大人の価値観とはまったく別のものです。
そもそも子どもは純粋に「学びたい」のです。
その学ぶ意欲や権利や場をもぎ取っていったのは他でもない文科省ではありませんか。
そして、今度は「学力低下」を錦の御旗に掲げ、
堂々と競争原理を学校現場に持ち込もうとしています。
しかも、こともあろうことか、その主体者が民間なのです、、、
民間に丸無げして、
教育を語る資格が文科省にあるのだろうか???

この結果を学校間格差や市町村、自治体の教育行政に反映させるとするならば、
競争がとんでもなく繰り広げられることは明らかです。
その競争は「いい意味」、つまり学ぶ意欲を伸ばすものではなく、
ひたすら点数にのみ拘る競争、薄っぺらい知識だけが子どもたちにつけられ、すぐにはがれていくというものであることは容易に予想できます。

いつでも、
子どもたちは犠牲を強いられてきました。
期待される人間像に始まり、ゆとり教育に至まで、、、
その間、子どもたちは競争に晒され、悩み、苦しんで来ました。
本来、学問が持つ学ぶ意欲はすり減らされ、
ひたすら勉強嫌いを量産してきた文科省はここへきて、
自らの失敗を子どもたちに押しつけてきました。

文部行政がこれ以上子どもたちに犠牲を強いることのないように、
ひたすら呼びかけます。
学力テストはやめよう〜〜〜と。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

あとからくる者のために

苦労するのだ

我慢するのだ

田を耕し 用意しておくのだ


あとから来るもののために

しんみんよ

お前は 詩を書いておくのだ


あとから来る者のために

山を 川を 海を

きれいにしておくのだ


みな それぞれの力を

傾けるのだ


あとから あとから 続いてくる

あの可愛いい者たちのために

未来を受け継ぐ者たちのために


みな それぞれ 自分でできる

何かをしてゆくのだ


『あとから来るもののために』坂村真民より

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2007.04.23

そこのけ そこのけ悪法が通る

率直な感想を述べるなら、
なぜ、そんなに急ぐ重要法案の審議を。

答えは自ずと分かるのではあるが、、、
26日からの安倍さんの訪米に合わせているのでしょう。

改憲手続き法案。
NHK世論調査では法案の今国会での成立を求めているのは国民の8%しかありません。
しかし与党は大型連休に入るまで連日、特別委で審議し、採決の条件を整えるとのこと。
急ぐ理由の一つに参議院選挙もあります。
国会会期末は6月23日。
土日祝日を除き審議できるのは残り42日間です。
今国会は、参議院選挙を7月に控えているので会期延長が難しいと思われます。
そのため、国民への説得や納得よりは、
まずは法案が先に走るのでしょうか?

また、政府による教育統制を具体化する教育三法案はこの20日に衆院教育再生特別委員会で審議入り。週明けから一般質疑や参考人質疑が行われます。
ここでも与党は連日審議の構えで、5月中旬の衆院通過を狙っています。
その他、
イラクへの自衛隊派兵を二年延長する特措法改悪案や在日米軍再編促進法案などが続々と審議いり。

なんだかあまりの大急ぎにスカスカの中身の法案がいっぱい生まれてきそうです。
中身がスカスカとはいえ、国民はしっかり縛られるのだから、
キッチリと見ていくことが大切です。

どんなに悪政でも苛政でも、
声を上げていかなければ、、、

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2007.04.18

長崎市長凶弾に倒れる

「人間はいったい何をしているのか」
と、強烈な訴えをした長崎市長伊藤一長さんが凶弾に倒れ亡くなりました。
ご冥福をお祈りいたします。

それにしても、なんともやりきれないニュースです。
どのように述べたらいいのか、言葉はありません。
怒り、憤り、、、
そして
何故???
と言う疑問が湧いてきます、、、

いずれにしても、
徹底解明を願うばかり。
そう言えば、安倍さんは昨夜のコメントで「捜査当局の徹底解明」と述べていました。
たんたんと、、、
あの映像から伝わってくるものは「ひとごと」でした。
ねぇねぇ。
安倍さんと思わず言ってしまいました。
「あなたはこの国の総理でしょ?
選挙さなか、自党の市長候補が凶弾に倒れ言論が封殺されたというのに、
それはないだろう。
もっと怒らなければ、もっと悲しみ嘆き、そしてこんな暴力に負けない、と毅然と言って欲しかった、、、なぁ。
この人から「民主主義」という言葉さえもう出ないのか?
いくら嘘とわかり白々しくても、言うべきだよね。
と同時に今後、この様なことが起きないようにしっかりと暴力への対応を示して欲しい。


「人間はいったい何をしているのか」
伊藤さんの言葉を噛みしめながら、、、
もういちど、
ご冥福をお祈り申し上げます。

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2007.04.17

放送法改訂案

統一地方選挙後半戦の真っ最中。
連日、候補者の連呼を聞きながら苦笑。
おいおいおい、、、本当かよ、と思っちゃいますね。
国会での暴挙をここまで見せつけられて、
何を信じていいのでしょうか。有権者の皆様は。

何を信じると言えば、
放送法の改定案がこの6日、国会に提出されましたね。
きっかけは勿論、あれですよ。
納豆と聞けばナットク。
今年1月にわかった関西テレビ「発掘!あるある大事典II」のねつ造問題。
その発覚当初から、菅総務相は厳重処分をする意向を表明。
厳重処分。
自民党の政治家じゃない民間人は厳重に処分されます、、、よ。
そして新たな法整備の必要性を強調していました。
事実、関テレに対しては、3度にわたって報告書を提出させ、遂に3月30日、行政指導としては異例の総務相名による「警告」を出しました。
いいですか。
大臣名の警告、つまりレッドカードですよ。

これは、たとえ捏造と言う社会的問題とは言え、政府による放送へ介入です。
ここ近年、放送局に行政指導する例が頻発し、2005年には四件、2006年は五件出されていました。
介入したくてしかたなかった政府にとって、「あるある」問題は絶好の機会だったのです。
こんな「上手い」口実はない。
そして、先に書いた法案へと続くのです。
「(行政処分は)放送局がねつ造したと認めたものに限る」と説明。
しかし、口で言っただけで法案には明記されていません。
さらに、報道・情報、教養、娯楽の別なくすべての番組に適用するといいます。
「虚偽の説明」や「事実でない事項」を行政が判断。
いいですか。
行政が判断するのです。
識者とか学会とかそう言った「権威」ではなく行政の判断に委ねられるのです。
そして放送は行政に掌握されていくのです。
またNHKへの影響を強める狙いもありありと見えます。

私たちにとってメディアは情報を得るための大切な機関です。
そして情報は公平で中立であることが最も是とされてきました。
しかし、
今、政府によって政府の都合のいい情報だけが流される時代ががすぐそこに来ています。
人はそれを「大本営発表」というそんな時代が。
なによりも国民投票法案に向けての布石か???と考えます。
この動き注目と同時に反対の声をあげていきましょう!!!

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2007.04.15

諸行無常

〜〜散ればこそいとど桜はめでたけれ 憂き世になにか久しかるべき〜〜 
 
伊勢物語第八十二段、在原業平「世の中に絶えて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし」の返歌とされています。業平の歌はあまりに有名で意味は学校で習っていることと思います。
詠み人知らずの「散ればこそ、、、」の意味は、
「桜は惜しまれつつ散るからこそ素晴らしいのだ。この世に永遠に続くものなんてないのだから」というものです。

さてさて安倍さんもメールマガジンで桜と言えばこれかと想像したとおり本居宣長を引用されていました。
思わず苦笑。
苦笑ついでに、桜を見る会では芭蕉を披露なさったとか、、、
===さまざまのこと思い出す桜かな===

ううう〜〜〜〜ん。
似合わない。
この俳句に託した芭蕉の思いを感じるならば、
こんな俳句がこんな場所で出てくるか、、、と思うのですが、
まぁ、安倍さんも様々のことを思い出しているのでしょうか、、、ねぇ。
咲いた花なら散るのは覚悟、ということでも考えているのだろうか???

いずれにしても、
安倍さんのお好きな「美しい国」には似つかわしくないこの頃の国会模様。
美学に反するような強行採決、強行突破。
力が目立ちますねぇ。

散る桜、残る桜も散る桜。
安倍さん。
ご自分を権力の頂点に立っていると以前、国会答弁なさいましたが、
そんなもの、風の前の塵ですよ。
安倍さん。
諸行無常のこの世にあって、大切なことは「人を裏切らない」ことです。
これだけです。

あなたは桜を見て何を思い出されたか。
私はそんなアナタから、
やっぱり平家物語を連想するしかありませんでした。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
盛者必衰の理をあらはす。 おごれる人も久しからず、 唯春の夜の夢のごとし。


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2007.04.13

国民投票法案、衆院通過

国民投票法案、衆院通過 自、公の賛成多数で可決と言うニュース。

どのように書いていいのか、、、
今は呆然としています。

無理が通れば道理は引っ込む。

問題山積。
しかも公聴会での質問に法案提出者さえオロオロになって答えられないくらいボロボロの中身。
そんな法案が通り、
やがて憲法が変えられるというのか、、、
さかしらな小細工が厭わしい。


いずれにしても、
こんなときこそ。
こんなときだから、
草の根九条をさらにさらに、広く深く浸透させていかなければ。


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2007.04.11

どうなる国民投票法案 

おいおい、これってアリかよ〜〜
国民投票法案 与党、13日の衆院通過目指す
13日ってことはあさって?
えええ〜〜〜
そんなぁ、、、と絶句しています。

自民、公明両党が、改憲手続き法案を明日12日の衆院憲法特別委員会で採決。
、法案の審議とはかかわりなく憲法についての一般的な調査をした調査会の審議時間まで加え、衆院がさも長13日にも衆院を通過させようとしています。
自民党が言うには、
法案を審議している憲法特別委と同委設置前の衆院憲法調査会の審議時間を足すと500時間以上だと言う事。
「十分審議は尽くした。採決の環境は整った」と二階俊博国対委員長と述べています。
えええ???
500時間。
おいおい、そりゃないだろう。
今回、採決するという与党の修正案は先月3月27日に国会に提出されたもの。
委員会での質疑はまだ1回だけです。
いいですか。
二階さん。
あなたのお名前のように二回もしていないのですよ。
1回です。
しかもこの5日に開いた中央公聴会では、議題にもなっていません。
審議はまったく尽くされていません。

そして月曜日9日のNHK調査でも、改憲手続き法案を「今の国会で成立させるべきだ」という意見は一割にも満たないという結果が出ています。
その理由は、
法案への賛否とは無関係に、まずは慎重な審議を求め、拙速な採決に反対すると言うものです。

そもそも法案の詳細は「知らない」という人が大多数です。
法案の中身も「問題あり」ですが、
それ以前の今回の法案。
あまりに乱暴で中身はスカスカです。
こんな法案を唯々諾々と通過させてはなりません。
絶対、反対。
なんども書いてきましたが、
絶対に認めるわけにはいかない今回のやり方。
大きく声をあげていく必要を感じています!!!

村野瀬さんがどのように反対の声を国会に届けるか、どこに伝えるかを記事にしていますので、ご覧下さい!!!
 

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遅くなりましたが、、、

「世の中は 何か常なる 飛鳥川 昨日の淵ぞ 今日は瀬になる」

古今集巻18雑下933の詠み人知らずのこの歌、意味は「人の世には常に変わらないものなどあるだろうか。明日という名の飛鳥川も、昨日までは深い淵だったところが今日は浅瀬になっ ている。世の中ははかないものだ」というところでしょうか。

この日曜日4月8日、お釈迦様の誕生日と言う事で「花祭り」でもあり桜を愛でる為に多くの方が花の名所へと足を運ばれたのではと思います。
そして遅くなりましたが、
統一地方選挙の前半戦の投票日でもありました。
注目の東京都知事選。
結果は石原さんの三期目続投という有権者の判断が下されたようです。
選挙前から「反石原」の声が高く上がり、
候補者も市民運動から、政党からと多くの支援や応援があり、かつてなく盛り上がり全国の注目も浴びました。
私も今後の動きを見る一つの指針として注目していました。
個人的にはとても残念な結果に終わりました。

石原さんが4年間、また都の政策のトップに立つということです。
いろいろ問題のあった8年間という石原都政。
しかし、今度の選挙で石原アレルギーも無視出来ないものであった事は石原さんご自身が一番身にしみているものと思います。
これからの4年間、言われたような都の私物化を廃止して、
都民のためにこそ働いていただきたいものです。

一回の選挙なんて流れる川のひとつの泡のようなものです。

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2007.04.06

沖縄の窓から

教科書検定:沖縄での集団自決、「日本軍の強制」修正と言うニュース。今話題になっています。私もこのニュースが出たときから随分考え、またあちこちと情報を調べました。
以前、教科書検定についてはその歴史実態について記事にしました。私個人は今の検定のやり方には大いに疑問を持っています。検定教科書と言えばすぐ「歴史」を思いますが、理科も実は問題山積です。
今回の件も、まだ裁判中の事柄に対して文科省の一方的な判断にはちょっと首をかしげます。
妥当でない表現とするなら、もっと別の著し方でもよかったのではと率直に思います。
まぁ、それはそれとして、今回の集団自決についてこの問題を探る一つのアプローチとして「今、沖縄が直面している現状」に焦点をあてて今日は記事にします。
第二次大戦末期の沖縄戦後、米軍の直接支配におかれた沖縄はサンフランシスコ平和条約締結そして発効によって日本本土が「独立」した後も引き続きアメリカの施政下におかれました。
そして長い苦難の末、1972年、沖縄の人々の悲願のもと、沖縄は復帰しました。
しかし、沖縄は日米安保体制の矛盾、つまり米軍基地を集中して抱えることになります。
国土が0.6%の沖縄に在日米軍の基地や施設がなんと75%も集中。
当然、復帰後の沖縄に米軍や軍事優先の問題が出てきます。
在日米軍の地位と訓練など様々な活動を保障する日米地位協定、そしてこれに関する特別法や特例法。
これらの法律はすべて沖縄県民よりも米軍、軍事優先で一貫しています。こうした中、米軍の犯罪は枚挙にいとまがありません。
日米地位協定は「運用改善」によってこうした犯罪に対処しようとしていますが、追いつかないくらい「問題」アリが実態です。抜本的解決をはからず対処療法ではさらに問題が深まる事を改めて考えさせられたのは2004年8月13日の沖縄国際大学構内の米軍ヘリコプター墜落事故です。
これに関しては私も当時、すぐに記事にしました。
当時、総理だった小泉さんの「夏休み」を思い出します、、、
地域の住民の安全確保よりも最優先したのが米軍の機密保持でした。日米地位協定第17条6項によれば「犯罪についてはその証拠を提出」しなければならないという「相互援助規定」があるのですが、アメリカはこれに違反。我が国の権利が制約されるその理由とされるのは日米合同委員会合意議事録第17条10項、また刑事特別法により米軍の財産についての規定です。
つくづく沖縄の方々のご苦労を思います。
が、
これは日本中がアメリカに強いられているのです。
ちょっと軍事路線一直線の歩みを見ましょう。
1995年「日米安保の再定義」。
1999年「周辺事態法」。
2003年「武力攻撃事態法」。
またその合間にイラク問題にからませて、
2001年「テロ対策特措法」。
2003年「イラク特措法」。
そして防衛省誕生。
自衛隊は海外で米軍と共に軍隊として活動する事さえ可能になっています。
こんな中、「在日米軍再編」問題で沖縄の基地負担は軽減されるどころか新たな問題が浮上。
普天間基地は移転されると言うが実は新しい基地の建設につながり、沖縄が「要塞化」されると言う構想も明らかになりました。
(普天間基地、那覇港湾施設、牧港補給地区などの機能を集約)
環境を破壊し住民の生命を危険にさらす事は当然、住民の反対にあいます。そこで新たな特措法を作る事になりそうな現状。
ここでも何回も書いてきたように、
独立国(たぶん)で他国の基地がこんなにあるのは日本だけです。
しかもその基地の為に莫大な税金を使っていることは何回も書きました。
アメリカは今や堂々と日本をアメリカの世界戦略の前線基地と位置づけています(再編実施のための日米ロードマップより)。
沖縄を手始めに「全土基地方式」が進んでいると言っても過言ではありません。
1994年、米軍の「対日支援要求」。
成田などの空港使用や松山などの港使用、施設、通信使用など日本のあらゆる機関が米軍支援のために国民より優先される事態が現実のものになるかもしれません。
あの日米安保条約でさえ第6条「極東条約」があったのに今やそれさえ議論の対象にもならないくらい日米間の
軍事関係は進んでいます。
極めつけの先には「憲法9条を変える事」に行き着くのは当然と言えば当然です。
私はつい先日あるブログで「憲法9条に関しても、これを守りさえすれば世界平和が実現すると考えるのは左翼の勘違いではないかと感じている。これは世界平和に貢献したというよりも、日本がアメリカの戦争に巻き込まれることを阻止するのに役立ったという内政的な面を評価したほうがいいのではないかと思う。改めてどこかで考えてみたいと思う。」と言う記事を見ました。
ブログマスターの意図はどこにあるのか分かりませんが、
憲法9条がアメリカの戦争に巻き込まれる事を阻止したのは確かです。
だからこそ、憲法9条は今なお守らなければならないのです!!!
これは最低限のルールなのです。
憲法9条さえあれば世界平和に貢献しているなんておめでたい事は誰も思っていません。
憲法9条が脅かされたら世界平和は崩れていくという危機感はあります。
そして平和を望むもの、憲法を守ろうとする者に簡単な「サヨク」だのと言うレッテル貼りには非常な違和感を感じます。


と、いうことで今沖縄が抱える問題を探っていく事は、じつは日本全体が向き合わなけばならない問題であることを述べました。
この問題、今後も拘っていきたいものです。

以前の沖縄関係、軍事関係の記事を掲載しておきます。
お時間がおありでしたら、またご覧ください。
日本の海は、空は、 誰のもの?
笑う者は誰か
守るべきものは誰か?
53年目の沖縄
軍事費予算

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2007.04.05

全国学力テスト実施前にあたり

問題山積の全国一斉学力テスト。
情報を民間企業に流出する事にプライバシーの侵害として識者や保護者、教師から相次ぐ不安の声をうけ、遂に文科省は都道府県教育委員会に対し、「例外」として子どもに氏名を記入させずに番号方式で実施してもよいとする連絡文書を出しました。
これは文科省が3月29日付で都道府県教育委員会に出した「事務連絡」です。当該市町村の個人情報保護審議会などから氏名を書かせることについて支障があるとの指摘があるなど「特別の事情がある場合」は、氏名の代わりに個人番号を記入させる「例外措置」が可能だとしています。
しかし、番号方式でおこなう場合は今月6日までに都道府県教委を通じて文科省に連絡するよう求め、連絡がない場合は例外措置はとれないとしています。3月29日付けの文書で4月の6日までに返答せよと言う事ですが、これは時間的にかなり厳しい。春休み中であること、学年末、学年初めの諸課題や人事異動などなど学校にとって多忙な時期です。こんな時期に一週間で返答せよと言うのは大変です。
4月24日実施される全国一斉学力テスト。
算数(数学)、国語です。そして問題の生活習慣などの質問調査の時間。
昨年行われた予備調査でこの質問事項が問題になりました。
「ふだん、1日あたりどのくらいの時間、テレビやビデオ・DVDを見ますか。」
「学校の時間以外に、普段1日あたりどのくらいの時間、勉強をしますか。」
「あなたの家には本が何冊くらいありますか。」
「1週間に何日、学習塾に通っていますか。」
「携帯電話で通話やメールをどのくらいしていますか。」
あなたは、家の人と次のことを一緒にしますか。((1)野球場やサッカー場などに行ってスポーツ観戦をする(2)美術館や劇場などに行って芸術鑑賞をする(3)旅行に行く)」

また学校に対しては以下の質問。
「児童は学校生活を楽しんでいる。」
「児童は礼儀正しい。」
「生活保護世帯の児童の割合はどれくらいですか。」
「昨年度、定期的な家庭訪問をどのくらい行いましたか。」
「学校運営に校長のリーダーシップが発揮できていると思いますか。」
などです。

しかもさらに顰蹙なのは、小学六年生はベネッセ、中学三年生はNTTデータと民間に委託する事です。
テストの回収、採点、集計などを行うわけです。
委託料は49億円(07年度)です。税金ですよ。
受験産業に子どもたちの情報を丸投げする文科省って一体なぁ〜〜〜に?
有名な伊吹文明文科相は、
「契約の内容として、営業とか利益活動に使わないことははっきりしている」と述べています。
ベネッセも「無断で個人情報を使用することは、契約上ありえない」と話しています。
しかし民間企業が個人情報を不正に使わないようチェックする体制は明らかではありません。
そもそも、子どもたちの学力がつくよりは、競争が優先される学力テストと言う事で、導入の目的自体も疑問されている中での強引な実施。そしてその結果の分析や次への方針が民間に牛耳られていくとしたら、このテストは早々に廃止することが望ましいと考えます。

なお以前の記事ですが学力テストについて書きましたのでお時間がございましたらご覧下さい。
全国学力テスト その1
全国学力テスト その2
全国学力テスト その3
全国学力テスト その4

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2007.04.03

科学としての論理

このところ科学それは社会科学でも自然科学でも同様ですが、
学問としての科学の社会での立ち位置について拘ってきました。
科学と政治.
生命倫理と人権.
科学者の社会的責任とは.
たぶんこれからも続きます、、、
きっかけは捨身成仁さんからいただいたトラックバックの論理についての考察からです。
ブログマスターのbuyobuyoさんは論理界の虎眼流と自称なさっているだけあって、エントリーの記事は時々の事柄を端的に鋭く分析していらっしゃるのでとても勉強になりまた刺激になります。
本来はいただいたトラックバックへコメントをと思ったのですが、私はhatenaのidをもっていないのでこちらで記事にしようと思い、このテーマについて随分考え込みました。
論理とは何か、、、についてです。
生憎、哲学をも視野にいれた論理の世界について学校で学んで来なかったので論理の世界は遠いのです。
だからこそ、
身の回りにおこる事や、これまでに起こった事、これから起ころうとしている事に大して整然と考える為には論理は必要だと思い、独学で自分勝手に勉強しています。
そんな折、
[推論の正しさこそ論理が保障するべきものです。結論の問題は、それこそ現実や事実と照らし合わせて、論理とは異なるフェーズで検証されるべきものです。]
なぁんて論理界の虎眼流、buyobuyoさんから指摘されると私はさらに自分の考察を深めなけらばと思うのです。
結論の問題が現実や事実と照らして、それとは違うフェーズで検証するものであるなら、論理を扱う者はその適用に注意すべきです。
有限集合に対しては強力な力を発揮する論理も無限集合を扱う場合はこの限りではないとするなら論理の俎上に乗せる前に厳密にその集合の定義をなすべきだと改めて考えました。
論理が怪しい結論を出した場合、それは論理そのものの限界ではなく当該の集団の定義がもつ矛盾ということでしょうか?
集団の定義に矛盾がないとは、つまり内包的定義とその否定形の両方が集合の中の要素として、その振る舞いを規定できるということなのでしょうか?
なるほど、
そのように考えるなら論理学が学問として十分に意義あるものと思います。
さらに論理学は科学として様相論理を深め、
また自らの誤謬に対して検証を加える誤謬論に対しても分類をしています。
誤謬の多くは詭弁と言う言葉に言い換えられます。
正論の中にちょっぴり嘘や事実でないことを入れて、
自らの意見に収集していく方法です。
その特徴は以下の15とされています。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
1:事実に対して仮定を持ち出す
2:ごくまれな反例をとりあげる
3:自分に有利な将来像を予想する
4:主観で決め付ける
5:資料を示さず自論が支持されていると思わせる
6:一見関係ありそうで関係ない話を始める
7:陰謀であると力説する
8:知能障害を起こす
9:自分の見解を述べずに人格批判をする
10:ありえない解決策を図る
11:レッテル貼りをする
12:決着した話を経緯を無視して蒸し返す
13:勝利宣言をする
14:細かい部分のミスを指摘し相手を無知と認識させる
15:新しい概念が全て正しいのだとミスリードする
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ううう===ん。
なかなか手厳しい。
グサリ。
ドヒャッ。
です。
示唆に富んだ詭弁見極め法。
自分自身の戒めも含め勉強になります。
いずれにしても、
論理が科学に成る為に、
論理を扱うとは何か、と考える事ができました。
先に書いた記事のように。
科学が政治の圧力にひれ伏す寸前の今、論理学のきわめて正常で健全な働きについて今後も考えていきたいものです。
その折は、またおつきあいください。

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科学と政治

温暖化ガス削減「米中印も参加を」 鉄鋼連盟が提言と言うニュース。
こんなニュースを目にすると科学と政治について思いが及びます。
昨年の1月29日ニューヨーク・タイムズはブッシュ政権が米国航空宇宙局 NASA の著名な気候科学者ジェームズ・ハンセン博士に地球温暖化問題について話さないよう、圧力がかけられていると報じたことやNatureの2006年2月23日号では「政治的干渉と闘う米国の科学者たち」と言う記事も出ました。
実際、アメリカではブッシュ政権と科学者の間で小さからぬ亀裂が生じています。
昨年2月の米国科学振興協会の年次総会で会長のディビット・バルティモアが公の場で政府の干渉を非難、さらに事実上の検閲と闘うように科学者に呼びかけました。
引き金になったのは先に述べたジェームズ・ハンセン博士の温室効果ガスについて政府の政策を批判する可能性があると言う事でNASAが圧力をかけたことです。その後NASAの報道官は辞任してこの問題の幕引きをはかりました。
バルティモア会長は気候学者として有名なハンセン博士の問題が一人ハンセンの事だけでなく科学者全般、あるいは科学そのものへの政治介入であるとして「行政優位理論」を批判したのです。
このハンセン博士と地球温暖化問題に関してはネットでも多く取り上げらていますので興味のある方はご覧下さい。
エネルギ政策に関してはアメリカ、とくにブッシュ政権が果たす役割は大です。
企業の利益のみを優先させる政策を今後も続けるとしたら数知れない環境難民が出ると予想されます。
一方日本では科学者と政治との関係は如何でしょうか?
アメリカの米国科学振興協会にあたるものとしては日本では日本学術会議があります。
科学の門番として科学者を守り、科学を守っていくことが最大にして最高の使命なのですが、、、
残念ながら今の学術会議は研究者の権利や地位の確保、また倫理的行動規範とはなっていません(これに関しては別の記事で詳細に書くつもりです)。
ここしばらく政治家の目を覆うような、あるいは耳を疑うような発言が相次いでいます。
その根底にあるのは、
基礎教育、科学教育の立ち後れがあります。
社会科学、自然科学全般にわたり政治が介入する事で真理探究よりも利益追求に学問が脅かされる事は、
いずれ私たち人類に返ってくる者ではと思います。
温暖化しかり、生命の倫理しかり、
歴史の認識しかり、、、
今、私たちがなすべき事は持続可能な地球を次代に引き渡すことです。
科学が政治から独立する事を願ってやみません。

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生命倫理と人権

ユネスコが総会で「生命倫理と人権に関する世界宣言」を採択したのは今から1年半前の2005年10月。
中身に関しては「生命倫理と人権に関する世界宣言」と検索をかけるとpdfで出てきますのでご覧下さい。
1997年「ヒトゲノムと人権に関する世界宣言」、続いて2001年「文化多様性に関する世界宣言」、2003年には「ヒト遺伝情報に関する世界宣言」と採択してきたユネスコがさらに倫理にまで踏み入った採択をした背景は国連のクローン作成禁止に関して治療目的のES細胞作成に関して合意を得る事ができず、その後も議論が収束していないことにあります。
さて生命倫理。
難しい問題です。
一般には米国のビーチャムとチルドレスが提唱した4原則が知られています。
つまり自律尊重、無危害、善行、正義です。
基盤には個人の意思決定の尊重があることは言うまでもありません。
この原則のうち今回の宣言で最初に持ってきたのは「人間の尊厳および人権」次に「利益および害悪」「自律および個人の責任」と言う順番で続きます。
また第12条では「文化の多様性および多元主義の尊重」が謳われています。
環境倫理や「生物多様性」また教育についても触れられています。
この宣言が国連総会で採択されるように今後、努力していく必要があります。
と、同時に国内法を整備する時、罰則の強化だけが優先される事のないように、慎重かつ細密に討論、議論を重ねていく事が大切ではと考えます。

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2007.04.02

科学者の社会的責任とは

科学者の社会的責任が大きく問題になったのは、原子力が兵器として使われた事に対する自らの責任の念からです。
歴史を振り返るなら、
1948年、2月。世界科学者連盟が発表した「科学憲章」の「科学者の責任」がまず初めです。
「科学が善用されるか悪用されるかによってもたらされる結果は特に重要である。
科学と言う職業は特殊な責任が伴う。科学者は公衆が近づきがたい知識を持っているか、またはそれを容易く持つ事ができるので、かかる知識が善用されることを確保するために全力を尽くさなければならない。この責任は科学者が個人的にまたは集団的に負っているものである。」
と憲章で執筆したにはジョンバーナルです。
その後、1949年国際学術連合会議も「科学者憲章」を発表。
日本では1949年、日本学術会議が決意表明で科学者の責任を言及。1980年には「科学者憲章」を発表。

科学がその研究の結果が社会にどのような影響を与えるか、何をもたらすかは科学者自らがいずれの時代でも考えている事ではあります。
社会経済諸問題が複雑に絡みあった現代では、
直接の研究が本人の意図とは関係ないところでその成果が利用される場合も含めて結果責任を問われる場合もあります。
「科学者は科学的知識の無視または濫用が社会に有害な結果をもたらす場面を指摘する責任を持っている」と科学憲章では詠っています。
しかし科学者や研究者の責任や倫理が低下しているのではと疑うような出来事がこの頃多くあるのではと思います。
論文ねつ造や事故隠し、また偽科学の放置(これに関しては後日書きたいと思うのですが時間がない、、、)。
その原因の多くは企業間の競争激化と研究者相互の業績競争激化。
また企業と科学者との齟齬、つまり科学者は情報開示を求め企業は利益追求というお互いの要求の違い。
科学の発達とその成果の利用が拡大するにつれて社会的責任が希薄になること。
さらに、さらに大きな問題は国立大学の法人化。(これに関しては何度も書きました)

などなどが考えられます。
社会科学、自然科学を問わず、科学者がまず考える第一歩は、
科学とは共同の営みであり、具体的な人間集団である社会的存在である事の自覚ではないかと考えます。

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2007.04.01

昨日のサンフレッチェ

悪夢なら醒めてくれ。
エプリールフールの前座だと言ってくれ。

あああ====

昨日ビッグアーチで行われたJリーグ第4節横浜FM戦。
結果は1−3で負けました。
ガック。

ウェズレイのJリーグ通算100ゴールで湧いたのもつかの間。
すぐに追いつかれ、更に悪夢は後半に続き、終わってみれば1−3。
あああ〜〜〜

昨日は夕方6時のキックオフと言う事で、
サンドウィッチを作って、ビールを用意して(本当は4時からのガンバ戦から飲んでいたのだが、、、)準備万端でお家スタジアム(?)入りして待っていました。
今日は勝つぞ〜〜〜〜
おおお=====
もう酔っぱらっているよ。

そしてキックオフ。
始まりました。
立ち上がり横浜FMのペース。
しかし、9分にカウンターからウェズレイのパス→柏木がサイドチェンジ→服部が頭で落とす→ウェズレイが押し込む。
ゴ====ル。
うわっ====

やった!!!
ウェズレイの通算100ゴールの記念弾。
やった!!!

だったのですが、、、
が、、、
ああ、もう書きたくないんだが、
直後、大島に頭で決められ、あっという間に同点。
速報していた夫もしばし呆然。
書く事を忘れていました。

おいおい、
何をボッとしていたんだ、と言うくらい油断の一撃でした。
その後、寿人くんの惜しい、おしい、おしい、、、
シュートやウェズレイのアチャと思うくらい残念なシュートもあったのですが、
ゴールにはなりませんでした。

と言う事で横浜に負けて暫定順位12位。
まぁ、シーズンは長い。
最初に飛ばさないで、ゆっくり、じっくり確実に行きましょう!
いずれにしても選手の皆さん。
自信を持ってプレーしてください。
私は応援しています。いつだって。
そうそう、
こまちゃん。おめでとう!!!
それからウェズレイさん。おめでとう!!!


次は4日のカップ戦と土曜日の名古屋戦。
続きます。
私は予定では名古屋観戦できるかな。
楽しみです。

では最後にいつものように
サンフレッチェ。ちゃちゃっ、、、ちゃちゃ

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亀鳴く春

春になると亀が鳴くんですよね。
亀の鳴き声ってお聞きになったことありますか?
ある人は地鳴りのようなズズズ〜〜〜と響く低い音と言ったり、
またある人はお経の木魚を叩くように聞こえるとか、、、
本当に亀は春になると鳴くんですよね。
前に書きましたが「亀鳴く」は春の季語です。
藤原為家の
「川越のをちの田中の夕闇に何ぞと聞けば亀のなくなり」が起源とされる春の季語です。
夕闇の中、耳を澄ますとなにか聞こえてくる、それが亀の鳴き声だということです。
と、言う事で亀は春鳴くのです。

なぁんて断定的に書きましたが、
今日はエイプリールフールと言う事で、
「亀が春鳴く」とか「亀の鳴き声」なぁんて上に書いた話、本当かどうか分かりません。
先ほどの藤原為家の歌は「新撰六帖」と言う13世紀半ばの類題歌集にあります。
亀には発声器官がなく、実際は鳴かないらしいのですが、、、
ただ春の季語である事は間違いありません。
この「亀鳴く」を使いこなす事が出来れば、俳句は一人前とか。
と、言う事でいろいろ俳句をあたってみました。
なかなか秀逸な句が沢山あり、詠まれた方の感性に脱帽。

〜〜亀鳴くや母を愛する齢(よわい)にて 岸田稚魚〜〜

そんな年齢になったとしみじみと伝わる優しい句です。

俳句バトルロイヤルと言う掲示板を覗いたりすると楽しい句が一杯です。

さて巨匠の句と言えば虚子でしょうか。
〜〜〜亀鳴くや皆愚なる村のもの  高浜虚子〜〜〜

ううう===ん。
皆愚かなる村のもの。
うううう===む。
これは、かなり厳しいですね。
虚子の意図はわからないが、今の私の心境は換骨奪胎するなら、
〜〜〜亀鳴くや皆愚(ぐ)なるのか議員さん〜〜〜

来週は統一地方選挙第一弾。
ここのところ、おいおいと眉を顰めるセンセ方が多いような気がします。
しっかりと候補者を見極めて投票に行きましょう!

今日から4月。

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