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2007.04.02

科学者の社会的責任とは

科学者の社会的責任が大きく問題になったのは、原子力が兵器として使われた事に対する自らの責任の念からです。
歴史を振り返るなら、
1948年、2月。世界科学者連盟が発表した「科学憲章」の「科学者の責任」がまず初めです。
「科学が善用されるか悪用されるかによってもたらされる結果は特に重要である。
科学と言う職業は特殊な責任が伴う。科学者は公衆が近づきがたい知識を持っているか、またはそれを容易く持つ事ができるので、かかる知識が善用されることを確保するために全力を尽くさなければならない。この責任は科学者が個人的にまたは集団的に負っているものである。」
と憲章で執筆したにはジョンバーナルです。
その後、1949年国際学術連合会議も「科学者憲章」を発表。
日本では1949年、日本学術会議が決意表明で科学者の責任を言及。1980年には「科学者憲章」を発表。

科学がその研究の結果が社会にどのような影響を与えるか、何をもたらすかは科学者自らがいずれの時代でも考えている事ではあります。
社会経済諸問題が複雑に絡みあった現代では、
直接の研究が本人の意図とは関係ないところでその成果が利用される場合も含めて結果責任を問われる場合もあります。
「科学者は科学的知識の無視または濫用が社会に有害な結果をもたらす場面を指摘する責任を持っている」と科学憲章では詠っています。
しかし科学者や研究者の責任や倫理が低下しているのではと疑うような出来事がこの頃多くあるのではと思います。
論文ねつ造や事故隠し、また偽科学の放置(これに関しては後日書きたいと思うのですが時間がない、、、)。
その原因の多くは企業間の競争激化と研究者相互の業績競争激化。
また企業と科学者との齟齬、つまり科学者は情報開示を求め企業は利益追求というお互いの要求の違い。
科学の発達とその成果の利用が拡大するにつれて社会的責任が希薄になること。
さらに、さらに大きな問題は国立大学の法人化。(これに関しては何度も書きました)

などなどが考えられます。
社会科学、自然科学を問わず、科学者がまず考える第一歩は、
科学とは共同の営みであり、具体的な人間集団である社会的存在である事の自覚ではないかと考えます。

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