« 2007年4月 | トップページ | 2007年6月 »

2007.05.30

突貫内閣

このところの世の中の動きについていけない、、、私です。

うううう〜〜〜ん。
考えが纏まる前に新しい事態が展開。

世の中の動きは確実に早まっている感がします。
「消えた年金」救済法案提出 “突貫”与党、難題山積と東京新聞は書いていますが、まさに突貫なんだな、、、
この内閣は。
小泉さんの時は「耐震強度偽装」で骨太どころか骨粗鬆症ではないかと揶揄された内閣でしたが、
安倍さんのそれは「突貫内閣」と言うことか、、、
いや、改憲への並々ならぬ決意を考えると「改憲特化内閣」なのかもしれないが。

さてさて、あんなこんなで、ボロがどんどん出てきて、少しづつ闇が明るみになろうとしている最中の松岡さんの件。
光のあたることを嫌った闇は、ますます深さを増して消えていったのか???
松岡さんという一人の人間に対しては、私はなにも知らないので言及できませんが、
内閣閣僚としての諸々に関しては、やはりその有り様を是とはできません。
今回のことは、テレビや新聞、ネットでいろいろ言われ、書かれています。
私も一連の報道やその後の新しい事実に注目しながら推移を見守っています。
ただ、個人的には人の死さえ政局になる、しようとしている感がする政治家のコメントを見ると、
如何にこの国の政治全般が国民には、薄くて浅い政策を過酷に押しつけているのかな、と思います。
松岡さんの今回の死は「けじめ」とは国民は思わないだろうし、
これで幕引きをはかることは許されません。

さてさてさて安倍さん。
安倍さんは就任以来、エネルギーと情熱を傾けつづけてきた「美しい国」の武装化ですが、
国民である、と言うか庶民である私たちにとって、最大の願いは「平凡」に暮らすことなのです。
最低限の権利を保障してくれる国を求めている庶民とはかけ離れたところで「政策」をボンボン、強行突破してきた安倍さんの内閣。
この脆弱な内閣が足元から崩れていくその予兆が、
松岡さんであり、
年金であり、
税金である気がしてなりません。

アメリカばかりに目をやり、
大企業ばかり手厚くしていく政策は、
そろそろ終末を向かえているのです。
安倍さん。
今からでも遅くありません。
もっと、もっともっと、「国民のくらし」を見てください。
暮らしの問題が出てきたら、ああーーーだ。こうだ。と先の見通しも無く、思いつきで突貫することは、もうやめてはいかがでしょうか。あべさん。

| | コメント (0) | トラックバック (4)

2007.05.22

ククーシュカ ラップランドの妖精 を観て

ククーシュカ ラップランドの妖精と言う映画、ご存知ですか?
実は私は知りませんでした。
先日、友人と観に行って来ました。

とても素敵な映画でした。
あらすじは公式サイトなどに出ていますので、ネタバレにならない程度にここにも書きます。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
第二次世界大戦末期、スカンジナビア最北の地、ラップランドではロシア軍、ドイツ軍、そしてドイツと同盟を結んでいたフィンランド軍が戦っていた。フィンランド軍の狙撃兵ヴェイッコは、非戦闘的な態度に怒った戦友らから罰としてドイツの軍服を着せられた上、鎖で大岩に繋がれたまま置き去りにされる。その頃、ロシア軍大尉イワンは軍法会議にかけられるため車で護送中、味方の戦闘機に誤爆されてしまう。命を落としかけた敵味方ふたりの兵士を救ったのは、その地でひとり暮らす女性アンニだった。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
と、言うことで言葉の通じない三人が繰り広げる奇妙な生活がラップランドの自然を背景に展開されます。
さて、この映画のテーマ、
私はズバリ「生き抜く」ことと見ました。
フィンランド軍の狙撃兵ヴェイッコは鎖に繋がれ置き去りにされるのですが、
彼は鎖を引き裂くためにあらゆる努力をします。
メガネのレンズ外して組み合わせる。そのなかに水を入れて凸レンズをつくる。
木を集めレンズで太陽光を集め火を燃やす。岩に打ち込まれた金杭の上で小枝を燃やす。水をかける。繰り返す。
何度も何度も繰り返す。
鎖で繋がれた彼の姿が大きく夕日に映る。
次の日、また同じことを繰り返す。
さらに今度はライフルの薬莢だろうか、それを集め、小さな爆発を試みる。
試みる、、、、
その目からは絶望は感じられない。
ひたすら杭を外すことのみに徹する姿からは「いきぬくこと」のメッセジー以外伝わらない。
そして、
遂にその思いは通じ杭は外れる。
生き抜くことへの第一関門を彼は通り抜けたのです。

ラップランドの女性、アンニの生き様は美しい。
自然に抱かれ、自然に逆らわず、
が、したたかに生きるアンニ。
自然人とは死にも生にも敬虔なのだと思わせる「確かさ」がありました。
死に行こうとする魂を呼ぶ寄せる術。
原始的で呪術なのだが力強い。
ラップランドの人々の魂の考え方がよく現れていました。


ロシアのイワン。
彼もまた戦争に翻弄され、人を疑うことが身に浸みていたそれまでの生活。
やがて大地に足をつけて、自分が「ここに生きる」ということを学んで行く姿からは、
人への信頼とは言葉ではない、宗教ではない、「心」なのだという当たり前のことが伝わってきます。

時々に映される背景のラップランド。
山と森と湖。
深い色をした自然の中にあって、
さらに深い人の情がとても嬉しい。
生きることの原点を問うこの映画からは、戦争がもたらす不幸と終わった喜びも伝わってきました。
もの悲しくも美しいラストシーンは、
未来への躍動でもありました。

淡々とした流れと押しつけがましくない展開に、
終わった後はミントのような清々しい気分に満たされました。
本当に素敵な映画でした。
まだ観ていない方は是非、ご覧になることをお勧めします。

| | コメント (1) | トラックバック (9)

2007.05.20

基地調査に自衛隊?

多くのブログでこの間取り上げられている話題の一つが「沖縄新基地調査に自衛隊」というもの。
信じられないニュースが次々とブロガーから報告されます。
一方、当然のことながらテレビや新聞では詳細は伝わってきません。

ううう〜〜ん。
基地反対に座り込む住民に自衛隊かぁ。
それはたんに威嚇か?
と言えば必ずしもそうとは言いきれないと答えたのは久間さん。
18日、衆院安全保障委員会でのこと。
今回の防衛省がキャンプ・シュワブ沿岸部への米海兵隊新基地建設のための調査に、海上自衛隊の掃海母艦「ぶんご」を送りこんだことについて、
防衛省の山崎信之郎運用企画局長は、派遣目的を以下のように語ります。
「防衛施設庁が行う調査にあたっての機材の設置」。
また法的根拠として、国家行政組織法にもとづく「官庁間協力」と。
調査に何故自衛隊????
と軽く疑問を持ちながらもさらに極めつけはやっぱり久間さんの答え。

基地建設に反対する住民の非暴力のたたかいに対し、警備活動に乗り出す可能性があるのかと問われ、
「考えてはいない」と一端はいいつつも、
言いつつも、
さらに、
「できないことはない」と言いました。
つまり、
つまり、
自衛隊は住民に警備活動と言う名目で威嚇を行うこともあり、
と言うことです。
そしてこの発言は何よりも威嚇です。

「あのねぇ〜〜〜言うこと聞かないと本気で怒っちゃうよ。
そしたら、後ろにいる自衛隊が動出すよ、、、」と言うのです。
おいおい、自衛隊は調査目的で機材を運ぶだけなのでしょ???
それを理由に自衛隊を配備して、あげくの果てに、
住民に警備活動もありうる、、、はなによねぇ。久間さん。

今回の沖縄問題。
ひとり沖縄のことではありません。
この国の政治の手法では、と思います。

マスコミの報道しない先でこんなことを行おうとしている政府のやり方、
許してはなりません。
もっともっと多くの方に知らせる必要を感じます。
日本国中で注目していかなければ、、、

| | コメント (0) | トラックバック (9)

2007.05.19

ハットトリック

海外出張で観戦できない夫に変わり、久しぶりにサッカーの話題です。
Jリーグ第12節。
広島はアゥエイで千葉との戦い。
前節は、うううう====んと悔しい思いをした広島ゆえ、
今日は気合いが入ります。
私も気合いだ、
気合いだ、
気合いだ、、、、でテレビ観戦。

前半は、
アレヨアレヨ、、、のうちにウェズレィがハットトリックをきめて三点をいれました。
やった!!!!
すごい!!!!
サァ===ンフレッチェ
とテレビ前で騒ぐところなれど、本当に騒いだのは最後の三点目。
まず最初は千葉の選手のハンドでPK。
次のゴールは、まさかのゴールで、キツネにつままれたようにスルスルとボールが入りました、、、
うゎっ〜〜〜入るときって入るんだねぇ。
と感慨。
三点目は、さすがウェズレィ。
エレガントにきめました。
と、言うことで前半は広島のリードで終わり、
後半。
攻めたり、守ったり、、、
守ったり、攻めたり、
と繰り返しているうちに、
なんとなくDFの甘さが見えてきたその瞬間、やられました。水野に。
イケメン水野に。
う====ん。
代表で見ているときは文句無く応援しているイケメン水野。
しっかし、敵としては、悔しいぃい。
3−1で、これから千葉の反撃開始かと思った矢先の羽生のケガ。
テレビで痙攣している羽生選手が映り、とても心配です。
大丈夫だろうか、、、
ゆっくり休んでキッチリと回復なさいますように。
そして天気も、そんな羽生選手の後退後、雷がなり雨がザンザン降り、
テレビ画面も白くなるほどでした。
選手もボールの行方が分からないのでは、と思うくらいの雨。
バケツをひっくり返すって、こんな雨なのか、、、

選手もサポーター、ファンの皆さんも、体がヒエヒエになるのでは、と心配しながら見ていたくらいです。
やがて時間はきて、
終わってみれば3−1で広島の勝利。
よかった〜〜〜〜
と、思いながらも後半は見ている私もスタジアムの皆さん同様に嬉しさと雨あたりにあったような感じ。
今日、観戦なさった皆さん。
また両チームの選手の皆さん。
本当におつかれさまでした。


ウエズレィ選手。おめでとうございます。素敵でした。
また千葉の羽生選手、早く回復なさいますように。

さてさて、広島。
これからもドド〜〜〜〜ンと行こう。
♪サンフレッチェ、、ちゃちゃちゃちゃ

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2007.05.18

今 すべきこと あゆさんへのお答えに代えて

今 すべきことと言うエントリーを先日書いたところ、あゆさんと言う方から実に鋭いコメントを頂きました。
ありがとうございます。
すぐにお返事をと思いながら慌ただしい毎日でパソコンの前に座ることが出来なくて遅くなりゴメンナサイね。
今、改めてお返事に代えてエントリーを書かせていただきます。

まず「規範性」とは何か?
Wikipediaによれば、
「規範(きはん)とは、社会全体の利益のために社会構成員の行動を統制する一定の体系をいう。なお法律は、国家における規範に基づいて制定される。」
とあります。
また同じWikipediaによれば「時間の経過とともに、その本来の機能が忘れ去られて、社会的行為の調整としての機能を果たすこともしばしばである。」
とも書いてあります。
つまり規範というのは、その時代、時代の要請によって変化していくものなのです。
さて、先のエントリーに戻るならば、
改憲論者の主張の一つに「規範性の回復」という議論があります。
この規範制は「憲法の条文と現実との一致をもって確保・保障される憲法そのものの効力・実効性」を指しているわけです。
どんな条文や法律も必ず解釈があるわけです。
現実を条文に一致させて解釈、実行していくわけです。
が、
改正論者の主張は、
「条文を現実に一致させよう」「規範を回復させよう」というものです。
その例として一番、分かりやすいのは憲法9条です。
「陸・海・空その他の戦力を保持しない」という憲法で規定してあるにもかかわらず、戦後、自衛隊が法律で設置されました。
また日本に駐留する米軍は日米安保条約によります。
近年ではイラク特措法が憲法を大きく超えて成立しました。
形式では憲法より下位の法律の規範が憲法9条の規範を奪うという「ひずみ」「ねじれ」が生じています。
憲法学者もこれに対して「解釈憲法」と揶揄(?)気味に語ります。
その点を改正論者は逆用して論を展開。
「憲法の条文、そのもを現実に一致させよう」というのです。
憲法から逸脱した現実を作りながら、
その現実に憲法を合せようというわけです。
そして今日の憲法改正へと論を進めて来たのです。
しかし、先ほども見たように現実はコロコロと変わり、
規範もコロコロと変わる可能性があるのです。
憲法は理念であることを考えるならば、
「憲法と現実の一致」を追求す事は、限りなく憲法は変えられていくということを意味します。
現憲法の下、達成されている規範を尊重し、その上にあるべき現実を構築していくことが健全な法治国家ではと私は思います。

そう言う視点から見たとき、
今回の国民投票法案は現憲法もさることながら、
ひょっとして(個人的には反対なのですが、、、、)新たに制定されるかもしれない憲法に対しても足場の脆いものになるのではと考えます。

いずれにしても憲法とは、
国民に支えられるものなのです。
現憲法は実際、私たちを統治している枠組みとして機能しています。
その枠組みを変えようとするならば、
変えようと主張する側は積極的にそして大いに努力してその主張を展開すべきです。国民の多くが納得してその「新憲法」を支え立憲国家を維持するためには、大多数の国民の合意が必要です。
と、言うことでこれからの3年間、あらゆる角度から、
大いにおおいに、大いに憲法を語っていきたいと思います。

| | コメント (2) | トラックバック (7)

2007.05.15

今 すべきこと

昨日5月14日の国民投票法成立に関して各紙論陣を張っています。
東京新聞は「この国の“かたち”を決める憲法に、国民全体が真剣に向き合うべき時代に入った。」としていますが、正にそう言う時代に入ったのでしょう。
国民全体が真剣に向き合う時代に、、、

と言うことで私は今日は現実解釈と「規範性」について真剣に向き合い、書き連ねていきたいと思います。

規範性を考えるに先立ち、フランスの国民投票の手続きについて簡単にさらっていきます。
フランスでは憲法条文に基づく場合でも、あるいは一定の政策についてでも「個別的に国民の意思を問う」という目的で国民投票が行われています。
その手続きとしては二つあります。
89条と11条です。
憲法改正手続きとしての89条は大統領又は国会議員が発議→両議院の審議後表決→国民投票。
重要法案の国民投票は11条に手続きが出ています。
しかし、1962年当時の大統領、ド・ゴールは11条に基づいて直接国民投票に付託、大統領公選制を実現しました。
その後、違憲審査付託になったのですが「国民の直接の表現」ということで審査されませんでした。
同じくド・ゴールは1969年にも11条を使って元老院と地方圏制度改革を国民投票に付託。これは否決され、自分の政策への「ノン」と言うことで結果退陣していきます。
さて、フランスでは手続きやキャンペーン、広告は予め法律として定められていません。
その都度具体的に行われています。つまり個別的に国民の意思を問うという目的でその都度、都度、国民投票を行うということです。

一方、日本ではどうか、、、
どうでしょうか。
この間、改正を主張する立場からは、「憲法改正の主たる目的は規範性の回復」と言う言葉がよく出てきました。
つまり現実と「憲法の条文に施される解釈」との一致をみようとするのが改憲を是とする立場の主張です。
この議論の争点が9条を中心にして展開したことは言うまでもありません。
「陸・海・空その他の戦力を保持しない」という憲法よりも、
自衛隊設置に始まりイラク特措法まで下位の法律の規範が現実を支配しているという「ひずみ」「ねじれ」を逆用して、
今日の憲法改正へと論を進めて来たことを見ておく必要があります。
憲法をねじ伏せながら現実を作り、
その現実に憲法を合せようという些か野蛮なやり方にスマートさのカケラもみえません。
即ち「現実の条文解釈への一致」から「条文の現実への一致」とすり替えてきたのです。 
現実と言う言葉で解釈してきたのですが、
ここで「誰の現実か」はということは不問に付されています、、、

さてさて、
現実に条文が新しい規範の下、作り替えられたとしても、
仮にですよ、、、
仮に、新しい憲法が新しい条文を携え出来たとしても、
日々刻々と変化する現実に「新しい規範」もやがて葬りさらなけらばならない必要が生じてきます。
際限なく規範は現実解釈に歩み寄り、変更を余儀なくされていくのです。
つまり憲法は理念もなければ方向も無い。
ただ為政者のためにだけある「法律」となりはてるのです。

憲法の理念から大きく逸脱していくことを、しっかり、
しっかり、
しっかり、
見ていく必要があります!!!

今回の国民投票法案は諸々の付帯事項がつき、いまだ生まれ出づるものとはなりませんが、
私たちが本当にするべきことは、
「憲法とは何か」というそもそもに改めて立ち返ることではと考えます!!!
憲法と何か???
誰のための憲法か???
と。

| | コメント (1) | トラックバック (7)

2007.05.13

母の日雑感

今日は母の日。
私も夫の母や実家の母に電話。
夫の方は健康維持のため山歩きをしているのか通じません。
また後からかけようと思っています。
実家の方は元気な声が返ってきました。
いつまでも母たちには元気でいて欲しいという願いを込めながら書いているわけです。

さてさて、そんな折、今日は珍しくテレビを朝から見ていたら、
なんと伊吹さんと山谷さんが出ていました、、、
山谷さん、なにやら教育再生会議のことについて云々と言われていましたが、
教育再生会議:政府・与党の参院選懸念で「親学」先送りと言うニュースを見ても納得するように、
山谷さんをはじめ会議の模様が見えてきました。
委員の思いつきが、いつのまにか提案になったりと、なかなか迷走しているようです。
そりゃそうだよね、、、
提案を見れば。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「批判に耐える内容ではなかったというよりも、たたき台を議論していただいたところだ」。山谷えり子首相補佐官は11日の会見で、先送りをこう釈明した。
(上記ニュースより)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
いいえ。
批判に耐える内容ではなかったのです。山谷さん。
内容が無いよう。
だったのですよ、山谷さん。
============
◇「親学」提言のポイント
(1)子守歌を聞かせ、母乳で育児
(2)授乳中はテレビをつけない。5歳から子どもにテレビ、ビデオを長時間見せない
(3)早寝早起き朝ごはんの励行
(4)PTAに父親も参加。子どもと対話し教科書にも目を通す
(5)インターネットや携帯電話で有害サイトへの接続を制限する「フィルタリング」の実施
(6)企業は授乳休憩で母親を守る
(7)親子でテレビではなく演劇などの芸術を鑑賞
(8)乳幼児健診などに合わせて自治体が「親学」講座を実施
(9)遊び場確保に道路を一時開放
(10)幼児段階であいさつなど基本の徳目、思春期前までに社会性を持つ徳目を習得させる
(11)思春期からは自尊心が低下しないよう努める
==============

いろんなところで物議を醸し、突っ込み所満載の提言。
確かに、提言の中身は「そうだといい」と思うところもあるのです。
特に企業に対して。
しかし、母乳や父親参観や子守歌や演劇はチョイトやりすぎ。
思春期までに社会の徳目を修得させるというが、
なんとなく松岡さんとかの顔を思い出します。
習得してこなかった政治家は一体どうすんだ===
あっ、そうか。
彼らを見て思いついたのか。
なんて会議の皆さんのレベルに合せてしまいそう。

いずれにしても、言われているように政府や国が介入することではない、ということでしょうか。
あまりに身近な中身に思わず会議のメンバーは井戸端会議をするように決めたのか、と思っていたのですが、
今朝の報道番組で、やっぱり思いつきだったのか、、、と納得。

こんな程度の会議にバンバン税金が注がれるのか〜〜〜

6月から住民税がド========ンと引き上げられ、
消費税も後に続いている、、、
あああ〜〜〜
ため息です。
週明けの国会も何やらきな臭い。
一体、この国はどうなるのだろう???
戦中、戦後を生き抜いてきた母達への感謝を思いつつも、
未来の子等には平和をと思えば、
やっぱり、このおかしな世の中を訴え続けていかなければと思いました。

今日は母の日。

| | コメント (1) | トラックバック (1)

2007.05.12

改憲法案 通していいのか

あまりの事態にしばし呆然。

改憲がいよいよ俎の上に乗ったということか???

どうして改憲する必要があるのか?
今の憲法じゃダメなのか?
改憲後、何が待っているのか???

明らかにされない状態で、憲法だけがドンドン変わっていくのだろうか?
戦後、私たちが守ってきた、信じていた平和が踏みにじられていく時代がすぐそこにきているのだろうか???


今、生きている私たちの責任を感じます。
だ・か・ら・こ・そ
未来の子どもたち、どこの国の子どもたちも、平和を贈りたいと願うことは贅沢なのだろうか、、、

いや、まだ出来ることは、いっぱいある、
いっぱいある、
いっぱいある。
とにかく伝えること、訴えること、語ること、です。

「平和は眠りを許さない」
私たちは守らなければならないのです。
平和と未来を!!!

| | コメント (2) | トラックバック (5)

2007.05.09

笑う大学を観て

WOWOWでこの連休中に三谷さんの笑いの大学スペシャルがありました。
ご覧になった方も多いと思います。
私もビデオに撮って、
先日、映画版の方を見ました(舞台版はまだ観ていません)。

「笑いの大学」

あらすじは、
===戦時体制が強まり、庶民の娯楽すらも制限され始めた時代。腹の底から笑ったことがないという厳格な検閲官は、目を通す芝居の台本のことごとくに容赦ない上演不許可の判を押し続けていた。 ある時、そんな彼のもとに新作台本が持ち込まれる。台本を読み終えた検閲官は、神妙な面持ちの作家を前に、「このままでは上演不許可だ」と言い渡した。だが初日の迫った公演を中止するわけにいかない作家は、何度でも書き直すと食い下がる。そのときから、台本から一切の笑いを排除しようとする検閲官となんとしてでも笑いを忍ばせようとする作家の静かな戦いが始まった…。(WOWOWの公式サイトより)===


まず検閲官の役をした役所広司さん、脚本家の役を演じた稲垣吾郎さんの素晴らしい演技にいつのまにか私も映画の中の登場人物になっていました。
舞台になる警視庁のとある一部屋は、私がまだ幼かった時、町にあった公民館と同じような(つまりその時代、どこにでもあった建物)高い窓にクリーム色と茶色の二色で塗り分けられた壁。
懐かしいです。
さて、テーマは言論統制、しかもそれは民衆のエネルギーである「笑い」についてです。
内容を余り書くとネタバレになるので、
ここまでにしておきますが、
それにしても、ラストシーンはジィ===ンときました。
如何に戦争が文化を摘み取っていくものか、と思いました。


さて、タイトルの「笑いの大学」から容易に連想できる本として飯沢匡の「武器としての笑い」があります。
私も早速、本棚から取り出して読み直しました。
まぁ、この本、タイトルから想像するほど面白い内容のものではありません。
飯沢さんは、本を書くより舞台がいい。
そう言えば笑いの大学の脚本家の三谷さんもWOWOWで今回のスペシャルについて語っていたのですが、
それを見ながら私は「三谷さんって、こんなに素敵な脚本を書くのに、話すことはなにやら普通」と思いました。
そこでハタと思ったのです。
「それでいいのだ」と。
三谷さんも飯沢さんも脚本家なのです。
舞台をみれば十分、彼らの伝えたいことが伝わるのです。
さらに、それを本人に説明なんてさせる必要はないのです。

音楽家は音楽で。
画家は絵で。
作家は小説で。
自分を表現すればいいのです。
そこから何かを感じるのは、
その人、それぞれなのだから、、、

自分を表現する手段は、一体なにか?
そんなことを自問自答したものです。

舞台版、笑う大学を観たら、また感想を改めて書きます。

| | コメント (0) | トラックバック (6)

2007.05.06

米兵問題

ブッシュ大統領、イラク撤退期限法案に拒否権というニュース。
アメリカのイラク政策破綻とその後の混迷が浮き彫りになりました。
今、アメリカでは「反戦」兵士の抵抗、新兵リクルート阻止運動、そして帰還兵や米兵家族が反戦を訴える動きが噴出しています。
その運動の特徴として注目すべきことは「被害者」としての米兵と「加害者」として米兵をも問題にし始めたことにあります」。
1992年10月時点で現役米兵は179万人。
2006年12月では137万人強。
つまり減少しています。
しかしアメリカの政策はより軍事大国を目指している以上兵士は絶対不可欠です。
そこで予備兵や州兵への依存となるのです。
さらにアメリカ軍事当局は新兵のリクルートを高校、中学にまで引き下げています。
2002年の「落ちこぼれ防止法」という法律は、一見、子どもたちの学力向上を目指すように見えますが、
第9528条には「中等教育機関は軍に対して生徒の指名・住所・電話番号を開示」するという事が書いてあるのです。
軍に対して子どもたちの個人情報開示と言うとんでもない事が書かれている法律が通りました。
実際、連邦政府や軍は子どもたちに近づきます。
「入隊すれば大学の学費が得られる」
「軍の医療保険が家族まで適用される」
「除隊後は退役軍人として厚遇が処せられる」などなどと言って。
しかし現実には35%くらいの子どもしか学費を受け取っていません(最初の一年間は月給700ドルから100ドルの前金を払うというシステムのためです)。
また軍隊が高校で「青年予備官訓練隊」というプログラムを推進したりしています。
こうして新兵獲得は焦眉の課題なのです。
さて、こうした中、イラクに実際兵士として赴いた兵士の中で徐々に反戦運動の輪が広がりつつあります。
理由の主なものは「良心的拒否」です。このため外国への逃亡や無許可離隊が相次ぎ、ついに今年の1月には、こうした兵士への「救済アピール」が出ました。
また先に書いたように新兵リクルートに対しての批判も見逃せません。
強引な兵士リクルート、また貧困層を狙い撃ちするようなやり方は当然、批判の対象になるものだからです。
さらに帰還兵やその家族への処遇も世論の批判を浴びるものです。
アメリカの混迷を見ることは、
ひとりアメリカの問題ではありません。
米兵という具体的な存在は戦争の被害、加害を明らかにしていく上では重要です。
戦争とは何も生み出さないということを改めて知る思いで、アメリカの混迷から日本の進む道をしっかりと見極めていきたいものです。

| | コメント (0) | トラックバック (2)

私たちは現日本政府の体制変革(レジームチェンジ)に反対します

体制変革と称して実はひたすら戦争する国へと突き進む現日本政府の体制変革に反対する共同声明が立ち上がりました!!!
全面的に賛同する立場に立つ私は、
この共同声明をもっと、もっと多くの方に知っていただきたいと願い、
ここに転載いたします。
まだご存じのない方は是非是非ご覧ください。
なお、賛同署名はhttp://kokumintouhyou.blog98.fc2.com/blog-entry-28.htmlのページでお願いいたします。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
『私たちは現日本政府の体制変革(レジームチェンジ)に反対します』
「私たちは現日本政府による全面的憲法改定に反対します」


現在、日本の政府与党は「戦後レジームからの脱却」というスローガンのもとで憲法改定をめざしています。その最大のねらいは、日本国憲法によっていましめられている国家権力をそのたがから外すことです。


この「レジームチェンジ(体制変革)」の意図は、政権政党である自民党の改憲草案(2005年10月28日発表)に目立たないように盛り込まれています。


第一に、そこには、「公益」による基本的人権と市民的自由の留保、平和主義の縮小あるいは実質的停止、政教分離原則の緩和あるいは実質的廃止などが示されています。これは、「国民主権」・「平和主義」・「基本的人権の尊重」という三大原則をかかげる日本国憲法の根幹に反民主主義的な改変を加えるものです。


第二に、硬性憲法である現憲法の改定に関して定められた条文「第九十六条」が、主権者である国民の意思を正当かつ公平にはかる手続きなしで、国政の側からの憲法改定の発議と採決のみによって憲法の改定ができるよう変えられています。この条文の改定が行われれば、日本国憲法は硬性憲法の性格を実質的に失い、主権者である国民の意思と無関係に、政権側の都合でいつでもどのようにでも憲法を、その根幹すら変えることができるようになります。


この二つの点から、「戦後レジームからの脱却」をかかげるこの改憲は、単なる条文の部分的修正にとどまらず、憲法そのものの全面的改定、すなわち、日本の政体の非民主的変更を宣言するものだと考えることができます。今回、現政府与党の思惑通りの改憲がなされれば、日本国憲法はその民主主義の理念と立憲的性質を弱められ、まったく違うものに変えられてしまうでしょう。


実際に、現在の日本の政府与党の多数を占める自民党の政治行動には、民主主義的観点から、多くの危険な具体的兆候がうかがえます。特に1990年代以降、自民党は国権の発動を容易にし、基本的人権に制約を加え、軍事を優先するという国家主義的な政策を段階的に推しすすめています。現政府与党幹部、特に自民党執行部は「戦後レジームからの脱却」をかかげ、自らの改憲草案(2005年10月28日発表)に沿って、国の最高法規である現行憲法をないがしろにし、「第九十九条」に定められた国務大臣、国会議員、裁判官などの公務員の憲法尊重・擁護義務などあってなきもののごとく振る舞っています。この自民党の議員たちによる、「時代に合わない」という現行憲法への抽象的で一方的な非難、人権はエゴイズムを肥大させて社会の秩序と規範に悪影響を及ぼすものだとして執拗に繰り返される言説、自らに都合のいいようになされる強引な憲法解釈。そして、憲法の原理を逸脱し、憲法違反さえ疑われる、すでに実施された、あるいは立案・計画されている数々の政策。これらを日々目の当たりにして、私たちは十分にリアリティのある危惧を抱いています。


つまり、現政府与党のもくろむ改憲とは、「主権者である国民が国家に命令する」立憲主義を否定し、「国家が一方的に国民に命令する」ことを可能にするための全面的改憲であると言うことができます。


もちろん、ただ一度の改憲だけで民主主義や立憲主義を犠牲にした「レジームチェンジ(体制変革)」が完遂するわけではなく、また、平和と自由を愛する日本人とその構成する日本社会とが、危険な全体主義へとその行動様式を今すぐに変えることはないかもしれません。しかし、今回の改憲の意図により、日本という国家が、反民主主義的、反立憲主義的な方向に歩をすすめることを止める法体系上の枠組みが無力化されることは避けられません。また、日本が第二次世界大戦中の全体主義・軍国主義体制の中で経験したとおり、体制変革が中長期的に日本人の政治的意識・行動を非民主的な方向に変えてゆくことも否定できません。すでに、現状においても、ジャーナリズムの少なからぬ部分が自民党のめざす民主主義的、立憲主義的とはいえない改憲を意図的に、あるいは誘導的で恣意的な政府公報の主張に沿う形で支持しています。この状況の中でひとたびそのような「レジームチェンジ(体制変革)」を許してしまえば、今後の日本と国際社会の未来に大きな禍根を残すであろうことは、第二次世界大戦中の従軍慰安婦をめぐる昨今の日本の政権政党の責任逃れの態度や人道的視点の欠如を見ても容易に想像できます。


もうひとつ、日米関係のあり方も私たちに少なからぬ危惧を抱かせます。日本では、半世紀にわたる東西冷戦時から、グローバリズムの波が世界を席巻する現在にいたるまで、その折々にアメリカの軍事戦略を支援・補完するために、その要請によって数多くの規約がつくられてきました。日米安全保障条約の締結、戦時での行動指針の定められた新ガイドライン、アーミテージレポート、年次改革要望書、在日米軍の再編成のための膨大な予算支出、そして集団的自衛権の範囲を広げる憲法解釈変更の試み。時を経るにつれて、それらの規約は、国の最高法規であり、上位法であるはずの憲法の条文を実質的に無効化させ、国民の側にあるはずの主権を国家へとシフトさせてきています。そして、今回の改憲は、これまでで最も露骨な形でその最終目的を達しようとしています。


今まさに、日本国民は、同盟国アメリカと政治・外交的に一体をなす現政権の「利益」に完全に屈従する危機に直面しています。それは同時に、日本という国が本来の主権を失い、アメリカの軍事戦略上の実質的な属領となることを意味しています。そうなれば、現自衛隊はアメリカの支配下の兵団として、その軍事戦略にいやおうなく追従させられることになるでしょう。
残念なのは、日本で、その全面的な憲法改定、あるいは新憲法制定の目的が、大部分の国民に十分に理解されないまますすめられていることです。その理由は、その意図を理解すれば大多数の国民が反対するからにほかなりません。私たちは、一国至上主義を貫く米国の軍事戦略に奉仕するために、国外へ日本の軍事力を展開すること、戦争によって日本と、そして世界の人々の血を流すことを許しません。


戦後の歴史をふりかえると、第二次世界大戦の戦前戦中の支配勢力にルーツを持ち、日本で戦後、ほぼすべての時期を与党として過ごした自民党は、第二次世界大戦敗戦直後に作られた民主的な現日本国憲法を否定する「自主憲法」の制定を長期的目標としてかかげてきました。今、第二次世界大戦時の「大東亜共栄圏」という他国への侵略、占領施策の責任者の一人であった岸信介の孫であり、岸信介の遺志を継ぐ安倍晋三によって、その危険な策謀が実行されようとしています。安倍晋三は2006年9月の総理大臣就任直後に、前回2005年8月の衆議院総選挙では公約として明示されていなかった「戦後レジームからの脱却」をスローガンとしてかかげ、その具体的な方策を憲法改定という形で早期におこなうことを公言しており、絶対多数の議席を持つ自民党全体でそのアクションを強くすすめています。これは国民主権、立憲主義をとる民主主義国においては、自国の基本的価値を自ら否定する暴挙といえます。


今や、「経済大国」として国際社会に大きな影響力を持つ日本によるみずからの民主主義の明示的で意図的な縮小あるいは否定は、世界平和にとって大きな脅威となることでしょう。1930年代に世界を悲劇に導いたファシズムの横暴を21世紀の日本で繰り返してはならない。これが、過去のあやまちによる戦争の惨禍を深く反省し、現日本政府の推しすすめる国家主義的政策とその非民主性に疑問を持ち、将来の日本国の脅威とその国権による専横とを危ぶむ私たちの願いです。それは、真の民主主義の力を信じる私たちひとりひとりの願いなのです。

「私たちは現政府与党が成立をめざす、『憲法改定手続法案(国民投票法案)』に次の理由で反対します」


憲法の目的は主権者である国民が国家権力を規制することであり、その憲法改定手続は、国民主権と基本的人権の尊重という民主主義の基本理念にのっとった公平で公正で明快な内容であるべきです。そのため、第一に、憲法を改定する手続きである国民投票は民意を正確に反映する投票制度であること、第二に、国民の的確な意思決定のためにできるだけ多様な政治的意見に接することができること、第三に、広く深く国民的論議がなされるために自由で公正な国民投票運動が保証されることが必要です。現政府与党の法案は、次のような点で先の「公平で公正で明快な国民投票の要件」を満たす内容とは考えられません。

1. 本国民投票法案には最低投票率の規定が設けられておらず、有権者の二割程度の賛成票だけでも条文の改定が可能なこと。(憲法の基本原則、民主的・立憲的根幹が簡単に変更されてしまう内容であること。)

2. 国民投票において、投票運動での自由な言論活動に罰則とともに設けられている制限があり、罰則の適用が恣意的になされる危険性を排除できないこと。(その罰則・制限が、現憲法を擁護する立場の者にとってのみ不利にはたらくと考えられること。)

3. 国民が改憲案についての賛否を判断するための広報の公平性が保証されないこと。(国民投票広報協議会に参加できる人員、及び公費で賄われる広報が国会の議席数に応じて割り振られるため、多数の議席を占める政党が一方的に有利になること。また、制限なしの有料広告は財力のある側だけに一方的に有利になること。)

4. 憲法改定についての国会の発議から国民投票までの期間が短いこと。(国民が的確に意思決定できるかどうか疑問があること。)

5. 国民投票における、賛否を問うための投票方式があいまいになっていること。(抱き合わせによる恣意的な誘導を避けるため、個別の条文ごとに賛否の意思表示ができる投票方式にするべきだが、その点があいまいであること。)

「私たちは現日本政府の体制変革(レジームチェンジ)に反対し、現行憲法の民主主義原理の発展と具体化を求めます」


私たちは、現日本政府がめざす体制変革(レジームチェンジ)によって、日本が与党や行政指揮者の意向によって何の留保もなく戦争のできる国にされてしまうことに反対します。

私たちは、日本が非民主主義的あるいは立憲主義を否定する国に変えられてしまうことをなんとしても食い止めたいと願っています。


私たちは、日本が国民主権、平和主義、基本的人権の尊重という現行憲法の原理を発展させ、具体化させることを求めています。


私たちは、日本の平和と民主主義の恩恵を世界中の人々と共有することを望んでいます。


私たちは、それが自由と平和を愛し民主主義の擁護・拡大を望む世界の諸国民の願いでもあると信じます。


日本の政府与党である自民党が、「体制変革(レジームチェンジ)」の意思を公言して憲法改定手続法をスタートさせようとしている今、残された時間は多くありません。


私たちは、私たちのこの意思が歴史の審判に耐えうるものであることを祈念しながら、このメッセージを世界中に送ります。そしてこのアクションが、国際社会全体を次のステージへと導く「平和への道」を切り開くことを願っています。心ある世界市民が、私たちの日本と、そして全世界の平和と民主主義を勝ちえるためのこのプロジェクトに、それぞれの国で、その地域社会で、その生活の場で連帯してくださることを心からお願いいたします。



2007年5月3日

| | コメント (3) | トラックバック (2)

2007.05.04

三室戸の喜撰山

483587885_9ee99833d9


〜〜わが庵は都の辰巳しかぞすむ世を宇治山と人はいふなり(古今集983。)〜〜
また百人一首の8番目の歌。
作者は喜撰法師。
六歌仙の一人ではあるが、
現在に伝わる歌は上の歌ともう一つしかないとwikipediaの喜撰法師には書かれています。
生没不詳、伝不詳。
さらに調べれば、喜撰法師が雲にのって仙人になったという言い伝えまであります。
謎の人物。
喜撰法師。
==『無名抄』によれば、宇治市の御室戸の奥に喜撰の住みかの跡があり、歌人必見であるという。今も喜撰洞という小さな洞窟が山腹に残る。==
wikipediaには書いてあります。
歌人ではないが見てみたい、、、
喜撰の住んでいたと今に伝わる三室戸の奥の山。

夫に以前から連れていってくれ、連れていってくれと頼み込んでいたのですが、
漸く今日実現。

まず、図書館に行って「宇治」のいろいろが載っている本を探すも無い。
仕方がないので手持ちの資料を片手に、まずは花の寺「三室戸寺」に向かいました。
この寺には四季おりおりに出向いている私たちですが、
今日は連休とあっていつになく大勢の観光客でいっぱいでした。
二万株のツツジにサツキ。そして千株のシャクナゲが五千坪の大庭園に咲き乱れていました。
遠くの山の緑を借景に、
赤や白やピンクの花が鮮やかに飛び込んで来ました。
「きれい、、、」
ため息がでます。
写真が趣味の夫はカメラから目を離しません。
行き交う人々とやっとこさっとこキューキューいいながら歩いていたら、
偶然、夫の知り合いにもあい、
「こんにちは」。
とても嬉しく思いました。
そんな幸せな思いを抱いて三室戸寺を後にして、
私たちは喜撰山へと向かいます。
地図を見ながら、
みながら、
「このあたり」
「いや、行きすぎた」
とかとか言って、行ったり戻ったり。
漸く三辻に道標を見つけました。
左、喜撰山。

483552682_806e79bb13_m

おおお、、、これだ。
正面には喜撰山か、なだらかな山が緑に包まれて優しく見えています。
ここをまっすぐにいけばいいのか。
それにしても、こんなに控えめに六歌仙の祠があるのか、なんの看板もなければ案内もない。
あるのは、誰もみないような道標の石が道の脇に立っているだけ。
本を見ながら悩んでいる私たちの傍を、地元の方が通り過ぎていったので思いきって聞きました。
「すみません。喜撰法師の祠はこの辺りですか?」
「あああ、、、あの山の中腹にありますが、地元の人以外は気がつかないくらいコソッとありますよ。」
と教えて下さいました。
そうか、、、
地元の人じゃないと気がつかないくらいコソッとあるのか〜〜〜
うううう〜〜〜ん。
どうしよう。
夫と相談して、やめよと言うことになりました。
まぁ、喜撰さんの近くまで来た。
喜撰さんが住んでいたという喜撰山を見た。
うん。
それでよし、としよう。
それにしても喜撰さん。
確かに鹿しか住んでいないようなウジヤマに住んでいたのですね〜〜〜
長閑ないいところでしたが、
平安時代にあって、ここで住むのは大変だったろうな。
仙人になったと伝えられても「そうかもしれない」と妙に納得させられる喜撰山。

私は歌人じゃないけれど、
ようやく念願の喜撰法師のお膝元に行くことが出来て、とてもハッピーな一日でした。

〜〜木の間より見ゆるは谷の蛍かもいさりに海人の海へ行くかも(玉葉集400。また孫姫式)〜〜
喜撰法師

| | コメント (2) | トラックバック (2)

2007.05.03

憲法施行60年

首相、改憲の議論「強く期待」・施行60年で異例の談話発表と言うニュース。
本当に異例です。

今日は憲法60周年。
記念すべき日です。
空も青空。
〜〜われらとはに 戦わざらむ かく誓い 干戈は捨てつ 人類のため〜〜 土岐善麿
60年前、日本国民は誓いをたてました。
もう戦わないと。
とはに戦わないと、、、

1947年、敗戦の翌々年。
先の戦争を反省し、未来に向かってもうふたたび惨禍が起こることのないように英知を傾けて出来上がった憲法。
前文に「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにする」と高らかに謳います。
主権在民、
恒久平和、
基本的人権の保障、
議会制民主主義、
地方自治。
私たち日本人のよってたつ理念として守られて来ました。

その憲法を今、変えようとする動きがあります。
安倍さんは、
「二十一世紀の時代の大きな変化についていけなくなっている」と憲法を非難。
彼の言う二十一世紀の時代の大きな変化とは一体何か?
環境問題。
いいですね。
是非是非京都議定書について考えて欲しい。
実行していただきたい。
公共の精神。
いいですね。税金を私物化している大先生方に是非是非教えていただきたい。
「税金はみんなのものだよ」と、分かるようルビをふって。
国に対する愛情。
いいですね。
再び戦禍にまみえることがないように、美しい自然を守っていきたい。
そしてそれを守る責任感も育てることは大切です。
安倍さん。
仰るとおり。
おっしゃるとおり、、、

して安倍さん。
こんな内容から一体どうして憲法を変える必要があるのですか???
わからない???
わからない???
「自衛軍」を公然と持ち、
「集団的自衛権」を行使してアメリカと一緒に「海外で戦争のできる国」にするために九条を変えようなんて、よもや思ってはいらっしゃいませんよね???
安倍さん。

==卯の花のともにし鳴けば霍公鳥いやめづらしも名告り鳴くなへ  大伴家持==
卯の花とホトトギスが時を盛りとして万葉の昔から謳えつがれる初夏の候。
今日5月3日 憲法記念日。
美しい国に「平和」は実に似つかわしい。

| | コメント (2) | トラックバック (13)

2007.05.02

一年後の2プラス2

一年ぶりです。
在日米軍再編合意と言うニュースを書いて。
さらに事態は深刻に進んでいるようです。
日米安保協議委員会(2プラス2)の共同文書。
〜〜〜〜〜〜〜〜
麻生外相、久間防衛相とライス米国務長官、ゲーツ国防長官は1日午後(日本時間2日未明)、日米安保協議委員会(2プラス2)後に国務省で共同記者会見を行い、海兵隊普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設などの在日米軍再編を昨年5月の日米合意に基づき着実に進める立場を明確にした。北朝鮮の核問題では、寧辺の核施設停止などの「初期段階の措置」が直ちに履行されるべきだと訴えた。2プラス2の協議では、中国の軍事力の透明性向上を求める考えで一致した。
(上記ニュースより)
〜〜〜〜〜〜〜

共同文書は冒頭、北朝鮮の核実験を非難。
米国の核能力のいっそうの展開を意味する「拡大抑止」の重要性に言及。
米国の核・非核の打撃力が「日本の防衛に対する米国のコミットメントを裏付ける」ことを再確認。
「秘密を保護するためのメカニズムの強化」に言及。
という流れです。
そして、具体的な措置として、
「軍事情報包括保護協定」(GSOMIA)と言われる協定。
装備や軍事作戦の情報を共有するため、「情報保全のための共通の基礎を確立する」ものということ。
言い換えれば、
これが締結される、
アメリカが提供した軍事秘密情報の流出防止のため、アメリカと同程度(死刑を含む)の、刑事罰を含む厳しい措置が想定され、それは政府関係者だけでなく戦争政策を追及する国会議員や国民が罰則の対象になりかねないという非常に怖いものです。
〜〜秘密を保護するためのメカニズムの強化〜〜
と、言う言葉の下に、
軍事機密は秘密裏になんでもあり。
それを暴露、追求することは死刑をも含めて刑事罰、ということです。
アメリカは安倍さんが集団的自衛権に関する個別事例を研究する有識者会議を設置したことについて、国防長官は、「世界での日本の在り方を考えようとしており、努力をたたえる」と評価したとニュースでは伝えます。
確かに世界での日本の在り方が示されました。
アメリカと一体になって戦争する国へと突き進むことを。
アメリカとの間で高度な軍事情報の共有。
集団的自衛権の行使や海外での共同作戦が実質的に可能。

プログラムはどんどん進んでいきます、、、
2プラス2=?
と言う記事を書いた頃がさらに懐かしくなるとは、、、

「永らえばまたこの頃や偲ばれん 憂しとみし世ぞ 今は恋しき」なぁんてことはゴメンです。

| | コメント (0) | トラックバック (3)

2007.05.01

今日から五月

今日から五月。
皐月です。
あいにくの雨の空を見ながらふと口ずさんだのは、
♪見渡せば青柳 
花桜こきまぜて
都には道の瀬に
春の錦あり
さおひめの織りなして 
降る雨に染めにける

この歌、今では「むすんでひらいて」として子どもたちに歌われています。
私もこの明治時代の歌詞を知ったのは学生時代。
歌の絵本と言う本、芥川也寸志(編)・安野光雅(絵)
の絵本を見た時です。
「へぇ〜〜〜むすんでひらいてってこんなに素敵な歌詞だったのか」
と、感激。
さらにその作曲がルソーだと知りまたまた感激。
学生時代と言えば、よく分からないのだけれどとにかく読もうと言うことでカントやヒュームや、いろいろ読んで(結局、なんにも分からなかったのですが、、、)
そしてルソーも「エミール」を友人と読み合わせたりしていました。
そのルソーが作った曲、しかもこんなに優雅な歌詞で、と感動していたのです。
ところが、この歌、戦時中は軍歌としての運命を辿ります。
クローズアップむすんでひらいてというサイトに詳しく書かれていますので興味のある方は是非ご覧ください。

〜追撃進撃行進曲
見渡せば 寄せて来(きた)る
敵の大軍 面白や
スハヤ戦闘(たたかい) 始まるぞ
イデヤ人々 攻め崩せ
弾丸込めて 撃ち倒せ
敵の大軍 撃ち崩せ


ううう===ん。
敵の大軍 撃ち崩せ、、、ですか。
 
さおひめが敵の大軍に変わりましたか。
悲しいことです。

美しい、そう安倍さんのお好きな美しい国、日本とは、
折々の季節の折々の神達が自然と共に織り育くむ情感ではないのだろうか???
敵の大軍を撃て、落とせ、崩せ、、、という歌から、
如何なる美しさも感じることはできない。

今、
私たちの国の総理は、
時代を逆戻りさせようとしている気がしてならない。
きな臭く、埃が舞い、いつもビクビクしながら空を見上げなければならないそんな時代に
なろうとしている気がしてならない。

子どもたちに、
いつまでも「むすんでひらいて」の歌詞を歌わせてあげたい。
間違っても追撃進撃行進曲なんかは歌わせてはならない。


そぼふる雨の五月。
窓に流れるしずくを見ながら、そんなことを思いました。

| | コメント (0) | トラックバック (2)

« 2007年4月 | トップページ | 2007年6月 »