笑う大学を観て
WOWOWでこの連休中に三谷さんの笑いの大学スペシャルがありました。
ご覧になった方も多いと思います。
私もビデオに撮って、
先日、映画版の方を見ました(舞台版はまだ観ていません)。
「笑いの大学」
あらすじは、
===戦時体制が強まり、庶民の娯楽すらも制限され始めた時代。腹の底から笑ったことがないという厳格な検閲官は、目を通す芝居の台本のことごとくに容赦ない上演不許可の判を押し続けていた。 ある時、そんな彼のもとに新作台本が持ち込まれる。台本を読み終えた検閲官は、神妙な面持ちの作家を前に、「このままでは上演不許可だ」と言い渡した。だが初日の迫った公演を中止するわけにいかない作家は、何度でも書き直すと食い下がる。そのときから、台本から一切の笑いを排除しようとする検閲官となんとしてでも笑いを忍ばせようとする作家の静かな戦いが始まった…。(WOWOWの公式サイトより)===
まず検閲官の役をした役所広司さん、脚本家の役を演じた稲垣吾郎さんの素晴らしい演技にいつのまにか私も映画の中の登場人物になっていました。
舞台になる警視庁のとある一部屋は、私がまだ幼かった時、町にあった公民館と同じような(つまりその時代、どこにでもあった建物)高い窓にクリーム色と茶色の二色で塗り分けられた壁。
懐かしいです。
さて、テーマは言論統制、しかもそれは民衆のエネルギーである「笑い」についてです。
内容を余り書くとネタバレになるので、
ここまでにしておきますが、
それにしても、ラストシーンはジィ===ンときました。
如何に戦争が文化を摘み取っていくものか、と思いました。
さて、タイトルの「笑いの大学」から容易に連想できる本として飯沢匡の「武器としての笑い」があります。
私も早速、本棚から取り出して読み直しました。
まぁ、この本、タイトルから想像するほど面白い内容のものではありません。
飯沢さんは、本を書くより舞台がいい。
そう言えば笑いの大学の脚本家の三谷さんもWOWOWで今回のスペシャルについて語っていたのですが、
それを見ながら私は「三谷さんって、こんなに素敵な脚本を書くのに、話すことはなにやら普通」と思いました。
そこでハタと思ったのです。
「それでいいのだ」と。
三谷さんも飯沢さんも脚本家なのです。
舞台をみれば十分、彼らの伝えたいことが伝わるのです。
さらに、それを本人に説明なんてさせる必要はないのです。
音楽家は音楽で。
画家は絵で。
作家は小説で。
自分を表現すればいいのです。
そこから何かを感じるのは、
その人、それぞれなのだから、、、
自分を表現する手段は、一体なにか?
そんなことを自問自答したものです。
舞台版、笑う大学を観たら、また感想を改めて書きます。
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