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2007.07.31

内田節に思うこと

内田樹さんの鼓腹撃壌のしあわせと言うエントリーを読んで私は考え込みました、、、
内田さんの相変わらずのアイロニー全開の文章は、額面どおりに読めば腹立たしいばかりの記事が目立ちます。
とは言え教えられる記事、なるほどと目から鱗記事も多いのも事実です。
私も何度となく啓蒙されています。

先日の格差社会って何だろうと言うタイトルの記事は物議を醸したようです。
この記事に関しては私自身の感想は「内田さんらしい」です。
この「らしい」というところに私の思いっ切りの感情が移入されています。
微笑ましくもあり、苦々しくもあるということです。
しかし彼は経済学者でも社会学者でもなくエッセイストと思えば「そんなものか」と言う感じです。

が、
が、
直近の「鼓腹撃壌のしあわせ」にはマイッタナ〜〜〜内田さん。
と思いました。
鼓腹撃壌のしあわせ、、、ねぇ???
ときに誰が堯???なの内田さん。
私は間違っても今の日本が鼓腹撃壌なんて思いません。

市井の民が「私たちが幸せに暮らせるのは政治がいいから」とか為政者が「そうか、これでよいのじゃ。人民たちが何の不安もなく鼓服をうち撃壌をして、自分たちの生活を楽しんでいてくれる。」
なんて思っているとは考えられませんねぇ、、、内田さん。
内田さん。
つい先日のこと北九州で餓死で亡くなった方がいられることをご存知ですか?
生活保護世帯の実態をご存知ですか?
勿論、
モチロン、
ご存知の内田さんとは思いますが、
そうした現実を見据えながらも、なお「鼓腹撃壌のしあわせ」なぁんて書く内田流の皮肉、あてこすり。
それを差し引いても私にはフツフツと怒りを覚えますね、、、
本当は内田さんは為政者の「無能・無知」を仰りたかったのは前の文章でわかりますが、
「日本社会が豊かである」という大前提はやはり「いただけない」。

尭舜から老荘思想へと論を発展していくと、
私には寧ろ老子24章を彷彿とさせる安倍さんですがねぇ。
「天地でさえ暴風を一日中続けさせることは出来ません。まして小さい人間ではなおさら続きません。大声を張り上げてしゃべりまくる不自然なことはやめたほうがよい。」

如何でしょうか???
内田さん。
見るべきことは、庶民の現実ではないでしょうか?
愚かな為政者を揶揄することではありません。

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2007.07.30

選挙とマスコミ

参議院選挙が行われ明けて今朝のテレビ番組は、
自民党の惨敗と民主党の大躍進に集約されました。
どの局も、昨日からの特番の話題は勿論、安倍さんの続投か否か、、、が主なものでした。
安倍自民が惨敗、続投宣言に党内猛反発と言うニュースがでていますが、実際、自民党内では「安倍では勝てない」論が巻き起こるのは必至。
お馴染み、みのさんや田原さんや古館さんがヨイショしても、もう内から崩れていくのは時間の問題です。
「安倍さんが悪いんじゃないんだよ。周りが悪いんだよ。
ホラ、松岡でしょ。ほら久間。それから、赤城。それから麻生に、それから塩崎に、そしておまけに小池に、あああ〜〜〜もう面倒くさい。安倍さん以外のみんなが悪いんだよ。」ってことなのか。
昨夜は大声で机を叩いていた田原節炸裂。
絶好調。
「安倍さんのやろうとしていることは正しいんだよ。方向は間違っていないんだよ、、、」とも言いながら慰めていた田原さん。

確かに、安倍さんの周りは悪いんだなぁ〜〜〜と田原さんその人を見てつくづく感じました。
ねぇ、田原さん。
どうして安倍さんに本当のことを伝えないの?
「アナタの内閣は支持率が下がり、下がり、もう底が見えているくらい下がっている。
国民はアナタの政策に不信と不満を持っている」って、どうして言わないの?
「国民との温度差がひらきにひらいているんだよ」って、何故言わないの?
安倍さんが頑固に言い張る「国民の支持」って一体、どこの国民かと今まで不思議に思っていたのですが田原さんを見て合点承知。
田原さん、本当にアナタは罪な人。

まぁ、そんな田原さんのアレコレはともかく、
今回のマスコミの選挙前、そして後の報道を見ながら、不安がよぎります。
「国民の代弁者はだれ」って。

民主党は勝ったというが、
果たして彼らが国民の生活防衛に体を張ってくれるだろうか?
憲法はどうだろうか???
秋の消費税はどうだろうか????
こんな不安がよぎります。
だって、そうでしょ。
選挙が終わった途端、マスコミは一切「年金」「政治資金」は問題にしません。
政局の行方、しかも「数」ばかり。
確かに責任政党や国会の議員数は大切だし、関心もあります。
誰が総理になるかも興味はあるし、私たちの生活と不可分です。
しかし、
私たちの「民意」はズバリ
安倍さんのダークな政治ではなくクリーンな政治を求めていることなのです。
自民党内部でさえ安倍さんに三行半を考えている今、
安倍さんがやろうがやるまいが、政治を司る議員は襟を正し、国民の生活を守ることを声高に訴えていくことがマスコミの使命と私は思います。
今回の結果は「国民の生活苦」なんだから、これからどんな風に国民の要求に応えるかを討論議論してくいくことが、今一番大切ではと思います。
マスコミの在りようを今更ながら考えてしまいました。

いずれにしても、
私たちは見ているのです!!!

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2007.07.29

床みどり

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岩倉の実相院。
秋は真っ赤に彩られたもみじが黒びかりの床に映し出され、もう一つの世界があるように紅葉が二重に映し出されます。
名付けて「床もみじ」。
そして新緑の頃から今は同じ紅葉が緑に黄に光に煌めく様が黒光りの鏡のような床に優しく映し出されます。
これは「床みどり」と呼ばれています。

夏の暑い一日。
夫と二人で涼を求めて、大原と岩倉へぶらりと出向いてみました。
「旅は道連れ、世は情け」。
人生同行の夫とこの頃はお寺巡りをすることが多くなりました。
いろんなお寺を見ながらいろんな事を学んだり出会ったり、となかなか奥が深く面白い「お寺めぐり」。
今日も素敵な方と偶然、隣り合わせで「床みどり」を見ながら、
ひょんなことで話が弾みとても楽しい一時を過すことができました。
人との出会いって、なんのはからいもなさそうで、実は必然なのかと思うくらいその方のお話は今の私に深く学ぶことばかりでした。

どんなときでも、
どこでも、
人は学ぶことができると改めて思った一時でした。

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アジアカップ三位決定戦

残念。
アジアカップ。
PK選のすえ韓国に負けました、、、
スゴい試合でした。
本当に、
韓国の選手の執念はスゴかった。

残念でした。

日本にとって色々学ぶ事の多い試合でした。
課題は残ります。
この試合の教訓をいかして新たなスタートをきってもらいたいものです。

最後にもう一回書かせて下さい。

ざんねん、、、
ザンネン。
残念。

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2007.07.28

棄権は危険

明日はいよいよ参議院選挙の投票日。
期日前投票でもうすまされている方も多いとは思いますが、
いよいよ明日が本番。
まだ決めていない方が三割というニュースを目にしました。
そんなアナタに私からささやかなアドバイス。

先の衆議院選挙で小泉さんが遊説したときのことを思い出してください。
彼は「郵政民営化か否か」を問う選挙だと拳をふりあげ絶叫。
解散までして郵政民営化に特化。
そして大多数の議員を得ました。
が、
が、
が、
その後の政治をみれば彼とブレーンの竹中さんの言われていたことが本当だったか疑わしくなりました。
過疎地の郵便事業の実態をみれば明らかです。
ひょっとして、「じゅんちゃんを信じた私が馬鹿だった」と思っているアナタ。
大丈夫です。
まだ間に合います。
明日の選挙、さらに次の選挙、次の選挙、、、
と、選挙はあります。
「私たち国民の生活の声」を代弁する議員を選ぶことに諦めてはなりません。

そして、
そして、
そして、
この衆議院は、
国民の声を再び聞くことなくどんどん悪法を通してきました、、、
生活はドンドン苦しくなってきます。
ドンドン、ドンドン。音を出して財布がパンク。
もうガタピシです。
それなのに、
それなのに、
それなのに、
政治家はバンバン、バンバン、利権あさりと税金の私腹化。
もう、
もう、
もうバンソコウの一つや二つでは隠しきれない悪行の数々、、、、

ほんのちょっと前の過去を振り返っただけでも、
如何に国会が大切で、
議員が大切で、
私たちの声が届く政治を行うことが大切かわかります。

と、言うことでまだ決めていない方は、そんなアレコレを思いながら考えながら
是非投票場に足を運んで「思いの一票」を投じてください。
私たち庶民の声を反映してくれる候補者へ熱い思いを、、、

棄権は危険!!!

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2007.07.23

教育基本法と国

29日にせまった参議院選挙。
期日前投票の予想や新聞社・テレビ局の事前予想など、取り沙汰される時期です。
各政党も今を盛りにガンガン宣伝し、一人でも多くの有権者の心と票を掴むことに必死。
そんななかでも安倍さんの内閣は華やかにスキャンダルのオンパレード。
話題に事欠きません。
「わぁたしの内閣」に「美しい国」。
なかなか復古主義者としてコミック的に扱われ、政治が玩具化、消費財化されようとしている今日。
総理その人のパーソナリィティーと捉えることにより、本質が見落とされ見極めにくくなっていることを、ここで改めて確認しておく必要を感じます。
今日は教育基本法について考察を加えていきます。
政府は今までは体系化された教育方針を特定の文書に取りまとめてはいません。
しかし昨年末の基本法改正を現実路線にのせるためにこれからはドンドン新しい法律を作っていくものと思われます。
まず、公教育を新自由主義的市場原理、競争原理に親和する物にすること。
さらに来るべき軍事国家を支える物質的、精神的制度を教育に担わせること。
そしてもう一点はそもそも国が保障していた教育を地域や保護者に押し付けること。
この三点を重点的に目標とした法律が検討されています。
実際、今国会で提出された教育三法(学校教育法、教育職員免許法、地方教育行政)は教育再生会議主導で進められました。
しかし現実は文科省の肝煎りであったことは、提出法案の中身を見れば明らかです(長年の文科省の提言が掲載)
この三法は上に掲げた目的のために、さらに抑圧手段を制度化することも課題とした念入りの法案です。
学校法改正案では学校教育の目的に「規範意識」や「国を愛する態度」を盛り込み、価値観、徳目などを教え込もうというものです。
これは明らかに現憲法に違反しています。
また教師への圧力、教育委員会への無言の圧力をしっかりと示しています。
さらにさらに、4月24日に実施された全国学力テストに代表されるような学校評価制度。
などなど、、、など。

これらの法案や教育再生会議が話題に上るたびに総理の肖像とそのブラックユーモアが思い出され、
それを笑うことで解消してはなりません。
総理個人の思惑とは別の所で確実に布石が打たれていることを改めて、改めて見ていくことが大事です。
そのためにも、三年後におきるかもしれない憲法改悪、国民投票は決して通してはなりません。
憲法の問題は、もっともっともっと、、、、国民自身の問題としなければなりません。


今回の参議院選挙で当選した議員が、立ち会うかもしれない国民投票。
将来を見据えてよく考えて投票することが大切です。
棄権だけはしないように!!!

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2007.07.22

山本拓発言

松岡氏事務所費は「芸者の花代」とすっぱ抜いた山本拓さん。
後に発言を撤回したそうです。
「松岡さんとは昔から友だちで、若い頃一緒に遊んだ仲間。『政治とカネ』に絡んで参院選で自民党に逆風が吹いているので、会場の人を和ませるために冗談を言った。まともに取られたのは心外だ」と朝日新聞の取材に答えたとか、、、
はぁ???
まともに取られて心外か。
「たいした話ではない。赤坂の芸者に行く際に、花代は領収書がもらえないんですよ。それを事務所費で払っていたという話だった」などと発言したことが会場を和ませる冗談だそうです。
そして、それをまともに取る方がバカだということか、、、

なかなか山本さんの冗談のセンスとは「いけてます」。
まぁどうせならこの冗談、是非国会の場でやっていただきたい。
そして、
疑惑の方々に「冗談だよ。そんなもの。赤坂の芸者に消えたなんて、、、
実はね○○(多分、相当にコワイところか???)に消えたのが本当だよ」って証言していただきたい。

山本さんが事務所費を軽口のように叩いた背景は、
なんだかもっともっと暗く深いものではとないかと思うのです。
大きな悪を隠すためには小さな悪はポロポロ漏れても大したことはない、というのが本音なのでしょう。
まぁ、いずれにしてもこの問題、塩崎さんもお仲間になり今や安倍さんの「わぁたし内閣」のデフォとなったようです。
私たち庶民の感覚とかけ離れたこの内閣。
そろそろ幕引きを願うばかりです。

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2007.07.21

憲法に於ける安全と安心

世の中、いろんなことがあって、アレも書こうコレも思っていたのですが、慌ただしくしていて、これらの鮮度が落ち、落ちてしまえばパトスが湧かない、したがってなかなかパソコンに向かえない、ということで今日にいたりました。
本当は一番書きたいことは、いう間でもなく「参議院選挙」です。
皆さん、棄権なんか絶対してはなりません!
棄権は危険。
先に何がまっているかを考えたら絶対、絶対、ぜったい棄権はしないでください。
(どこかの候補者は、誰とは言いませんが、、、ここ三年間
選挙に行っていないし、今回も投票権が無いそうですが、、、)

さてさて、そんな中で今日は少々気合いを入れて今回の参議院選挙の争点の一つについて見てみます。
ズバリ。
憲法です。
憲法9条を変えるか、守るかと言う争点がこのところ曖昧になって来ているようなので、もう一度見ていきます。
今日は、安全と安心について。
「安心」と言う文言は憲法にはありません。
「安全」は一か所、前文第二段にでてきます。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

今、私たちの周りには安全や安心と言う言葉が溢れかえっています。
卑近な例では言えば「食の安全・安心」、あるいは「住の安全・安心」、、、、と。
同列にとらまえられている安全と安心ですがこの両者の意味は明らかに違います。安全は客観的であり安心は主観的です。
私たちの生活の保障をしてくれるようなこれらの耳触りの良い言葉を憲法と警察法というフィルターを通して今日は見ていきます。
そもそも近代憲法の成り立ちは、権力が暴走したかつての封建社会の総括と反省から「国家権力を規制する」ために生み出されたものです。近代国家は夜警国家と言われたように国家の役割は防衛と治安でした。しかし20世紀意向の現代国家は社会保障や教育、労働など国家の役割を大きく拡張しました。
こうした背景の中生まれた日本国憲法は近代憲法と現代憲法の両方の性格をもっています。
そして平和や治安については誇るべき9条によりあえて安全や安心はことさら憲法に文言としては書いていません。
そして治安については警察に委ねるという形で安全を保障しています。
では警察は治安について今まではどの様な対策を行ってきたのでしょうか?
1996年から2002年までは検挙率が戦後最悪の記録を更新し続けました。しかし2003年からはかなり改善されて来ました。
が、警察当局は新しい概念を導入、つまり「体感治安」という客観的概念を使うことで、より国民を監視する方向へと進んでいったのです。具体的には監視カメラやコミュニティポリシング(警察が地域社会に入りこみ住民と協力しながら警察活動を行うこと)や迷惑犯罪も重大犯罪も同列に取り締まる「ゼロトレランス」などがそれです。
これらは一見、なんの問題もなさそうですが、実は大ありなのです。
何が問題か、と問われれば答えは「警察は安全・安心」を守ることを謳っているからです。そもそも警察法
第2条には以下のように警察の責務を規定します。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

第2条 警察は、個人の生命、身体及び財産の保護に任じ、犯罪の予防、鎮圧及び捜査、被疑者の逮捕、交通の取締その他公共の安全と秩序の維持に当ることをもつてその責務とする。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
安全とは客観的な事実です。安心とは主観であり人それぞれ違います。
しかし警察が治安という名目で「安全・安心」を謳うことは、
活動としては安全が第一義であり人々の安心までは立ち入らないが、一方で安心を掲げ民事介入を積極的に果たしていくということです。
それは自民党改憲案にも見ることができます。
現憲法では安全という文言は憲法が規定するものというよりは保障する物としてとらまえていたため控えめであったのですが、自民党案は堂々とでてきました。しかも「国」「国民」「国際社会」の「安全」ということです。現実には社会福祉や教育は切り詰められるだけ切り詰められ、軍事と国民を監視する治安だけが「安全・安心」のスローガンのもと拡大していくということです。
「安全や安心な町作り」は大切です。
必要です。
国が最大の努力をして国民に保障すべきものです。
しかし、これらの安全安心が逆手にとられ、国民相互が監視しあい、権力がズカズカと私たちの生活に入ってくることがないように、しっかりと見ていく必要があります。
こうした意味からも現日本国憲法を守ることは、私たちの自由と権利を守ることであると改めて認識しました。

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2007.07.10

何の喜びか憂いに非ざらんや

子生まれて母危うし、金強積んで盗窺う、何の喜びか憂いに非ざらんや。
この言葉は菜根譚に書かれている一つです。
意味は、人が生まれるとき母親は生死をかけている、つまり命の尊さを教えると共に、
喜びの影にそれを支える物の存在を忘れてはいけないことや禍福はあざなえる縄であるとも伝えています。
またお金や財産はあればあるほどその憂いも深いと言うことで、喜びや憂いとは「紙一重」であることを諭し無明の愚を説いています。

さてさて、今朝の赤城さんの釈明会見を見ながら私個人は悲しくなりました。
いえね、老いた両親が痛々しい(とくにお母さんが、、、)と思いました。
この母もこの子を産むとき命をかけたのであろうと思い、
その子が成人した暁にはまるで「金強積んで盗窺う」ごとく欲にまみれたその性のゆえ遂には上手くもない嘘までつかされる、、、
そんな老いた両親の心の叫びと、
親に嘘までつかせる子の罪の深さを思わずにはいられませんでした。
まさに「何の喜びか憂いに非ざらんや」です。
こうまでして子を守る親に喜びはあるのだろうか?
いや、憂いしかない、と思ったのです。

この子もこの親もあんな嘘が世間で通用すると思うくらい朴訥なのか、あるいは国民をなめているのか???
本当のところはわからない。
だがしかし、
私はこの子とこの親に言いたい。
不明の税金が一億円ということを。
一億円かぁ、、、
半端じゃない。

生活保護世帯、母子家庭、失業、高齢者、障害者、、、、
年収200万円以下の方が7.5%と言われる今、
政治家、しかも閣僚が税金を不透明に使用(私用?)して、それが明らかになろうとすれば嘘で嘘で嘘で固めるというそんな情けない人生を歩むために、この母はこの子を教育してきたのかと。

いずれにしても、
いずれにしても、
あんなチャチな言い訳で納得するほどすでに国民はうぶではない。
つまり「騙されない」ということです。

「その身正しければ、令せずして行わる。
その身正しからざれば、令すといえども従わず」

論語の言葉です。
政治をするには、上に立つ人の品行が第一。その行状が正しくて衆人の模範になるようならば、
命令せずとも行われるが、不正をはたらきながらいくら命令しても、人民は服従しない。
と言う意味。
この母は子に品行方正を教えなかったのか???
母はどの様にあの子を育てたのか?

いえね。
普通は政治家と両親は切り離して考えるのですが、
今回の赤城さんの件は二重の意味で悲しいから、つい親子セットで見てしまいました。
二重の意味?
それは親に嘘をつかせてまで罪を逃れようとする子の罪と、
そんな子を何とか守りたいという親の淺はかながら「親なればこそ」という悲しい罪。

しかし、
こんな親子を飲み込んでしまう巨悪がもっと横たわっているのだろうか???
この親は自らの罪とは言え世間に償う代償の大きさに何故気がつかない。
目先しか見えないか???今は。
だが、
この親が目覚めて真実を語ることが、
我が子を守る一番の道であることに気がついてくれる日が来るか?
そんな日が来ることを願いながら今朝の釈明会見を見ていました。


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2007.07.06

政治は国会から市中へ

国会閉幕、参院選へと言うことでいよいよ舞台は国会から市中へと移ります。
安倍さんが心の底ではジリジリとしている改憲よりも私たち庶民が今回の選挙で選ぶ基準はズバリ生活。
年金問題です。
衣食住全てに亘る「偽装」問題、さらには介護・医療です。
また久間発言、さらには米特使発言など問題が噴出。
ネットでは既にお馴染みの「北朝鮮からの援護ミサイル」くらいでは安倍さんの方に風は吹かないくらい厳しい選挙が予想されます。
そのうえ、「消費税争点に」なんて自らが発言してくれるなら、なんと見通しがいいことかぁ、、、
いえね、前回の参議院選挙は2004年7月を思い出しているのです。
小泉さんはしぶとかったと言うか「したたか」でしたね。
3年前の7月6日の私の記事はレトリックな表現と言うタイトルで小泉さんの詭弁について些か辟易しながら書きました。
あの選挙は投票率が低く荘子 混沌よりと言うエントリーを思わず書いたほど「混迷」選挙でした。
二大政党の幕開け、、、とマスコミの鳴り物入りに踊らせ、
自民か民主か、、、とい二者択一がネットでも相当に議論された頃です。
結果、今にいたっているのですが、さてさてどんなものでしょう???
私個人は数多くの選択の中から自分の代弁者を選んでいけたらと願っています。

いずれにしても、
いずれにしても選挙にはいきましょう!!!
それが私たち有権者に与えられている「たった一つのスマートな意思表示」なのだから。
ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの「たったひとつの冴えたやりかた」にもじってたったひとつの スマートな抵抗と言う記事を今読み返しながら、あれから三年のうちに闇がドンドンと顕在化していると戦くばかりです。
ここで私は以下の文で最後を締めています。
その思いは今さらにさらに強烈になっています。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
私は、私たちの頭も
どこかの誰か、
あるいは、何かに乗っ取られていくのではないか、、、
と、危惧する昨今です。
気がついたら、
取り返しがつかないような事態にならないために。

今、
何ができるか。

そう、
私たちにできる
たったひとつのスマートな抵抗は、
「選挙」
です。
まちがっても
まちがっても、
みんなが
「選挙にいかない」
事だけはないように、
願わずにはいられません。
そして、
本当に、ほんとうに
みんなが納得できるように、
選ばれた政治家が
国を動かしてくれることを、
心より祈ります。
(たったひとつの スマートな抵抗より)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

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2007.07.04

水には流しません

久間さんのとんでもない辞任記者会見の模様は、朝からワイドショーでひっきりなしに流れていました。
国民への謝罪や自分自身の見解についての反省は一切無し。
あるのは「党に迷惑をかけた」だけでした。

日本には古来より不浄の物、穢れの物を水に流すことで、そのヨゴレを洗い清めるという風習があります。
あと3日後にやってくる七夕の行事もそんな風習の一つです。
つまり「水に流す」と言うことです。
また「禊」と言う言葉も出てきました。
政治家がよく使う「禊選挙」とか今では薄汚れたイメージがついていますが、本来は極めて清らかなものです。
さて、久間さんのこの件、自民党は早くも「水に流し」「幕引き」をしたい模様です。
「久間のことも年金のこともそのうち忘れる」と党関係者は有権者の意識を分析しているようです。
それは甘い。
そんな分析をした党幹部(テレビ報道からの情報ですが)がいるとしたら、明らかに有権者の意識を読み違えています。
そりゃ分析士は2〜3週間もガマンすれば国民が年金を忘れるだろうと思うくらいご自分は年金から甘い汁を吸ったのでしょうが、庶民はそうはいかない。
年金は日々の暮らしなのです。
2〜3週間もすれば忘れられるようなものではない。
むしろ日が経つにつれ、自民党政治による矛盾と不満がたかるものと思います。

久間事件で少々、薄れかけた自公政権の最後のあがき「強行採決」の数々が、自らの生活にドサリとのしかかって来るとき、私たちは再びこの政権の無能と不能を思うわけです。
決して忘れなんかしない。
9/11選挙がもたらした「数」が何をなしたか、
私たちは選挙の度に思い出すことでしょう。
鶴の一声と言う記事を書いたのは2005年9月15日でした。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
とある国のお話。
司会者「総理、ツルの一声をどうぞ」
総理「私は嘘をつきません」
司会者「あっ、視聴者のみなさん。間違えました!サギの一声でしたぁ」
(鶴の一声より)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

あの時のサギは今やタカにバトンタッチをしました。
サギがタカになろうと、九官鳥であろうと、
私たちは、
決して騙されはしない。
この国の行方を自分たちの手で見極め、私たちが主人公である政治を願ってやみません。
アメリカでも財界でも官僚でもない、私たち庶民のためにこの国の政治を司ってもらいたいと、切実に願っているのです。
庶民から取り上げた年金をそれこそ「湯水のように」使ってしまう今の政治。
水濁れば則ち尾を掉うの魚無しという言葉があります。
水が濁ると泳ぎ回る魚はいないように政治が正しくないと、自由で楽しい生活を送っていられないというたとえですが、今の内閣は濁りに濁り、もうドロドロです。
少々の水を流したくらいでは「美しく」なりません。
自浄能力のない政治はもはや無用です。
私たちに出来ることは、今は選挙でキッチリと「反対」の声を政権与党に伝えることです。
7月29日。
忘れずに選挙に行きましょう!!!

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2007.07.03

QBKの安倍さん

人身御供???
安倍さんの内閣はなにやら不穏だねぇ、、、
久間さんの引責辞任は身から出た錆とは言え、、、
辞任の理由は「安倍さんに迷惑をかけないため、選挙のため」だそうな。
そんな理由で国民が納得すると思っているのだろうか?
あまいねぇ〜〜〜

さて安倍さん。
アナタはそれでいいのだろうか?
アナタ自身の責任とか謝罪はないのだろうか???
そもそもこの久間発言は安倍内閣の本質その物だと私は思うのです。
存在のあまりに軽い人の命、、、という感覚が。
アナタは沖縄では「塗炭の苦しみを味わった」沖縄の方々という内容で「慰霊の日」に挨拶をなさったが、
その実、行っていることは辺野古であり、米軍であり、教科書検定です。
そして今回の久間発言は突然湧いて出たことでつい本音が出ました。
「アメリカの代弁者」という本質です。

急にボールが来たのでビックリしたと発言して話題になった柳沢選手のQBK発言。
さしあたり安倍さんにとって今回の「しょうがない発言」は
「急に暴言吐くな久間」ぐらいだったのでしょうねぇ、、、
それとも
「久間 ボケツ掘るな この○○」???
それとも
「急にボクに聞かれても、、、困っちゃう」だったのか、、、
確かに脊髄反射のようにいつものパターンでしたね。

さてさて
アナタにとって、大切なことはなんなのでしょうか?
今なお被爆で苦しんでいる方々でもなければ、
米軍の蹂躙にされるがままの沖縄の人々でもない。
ただただ「わたしの内閣」と「わたしの○○」だけしか頭には無い。
いえいえ、私の内閣すらない。
ご自分の指名した閣僚の次々の不手際に対して、庇うのは単にご自分が可愛いからで、決してお大尽で庇っているのではないことは、その後の推移をみれば一目瞭然です。

私たちは決して知らないわけではない。
見ていないわけではない。
そして諦めているわけではない。
人を軽じる者はいずれその罪に溺れていくことを、
遠き祖先は私たちに伝授してきました。
安倍さん。
アナタが大好き(?)な美しい国、大和の国にはそこら中に神々が宿っているのです。
八百の神々が。
私たちは、神々のこの国の自然とともに「人を大切」にすることを学んで来ました。
人身御供のように、ついに久間さんを斬ったアナタだが、
斬るべきは人ではなく、彼の「国民軽視の考え」だったのです。
そして、それはアナタ自身のものでもあるのだが、、、

アナタが取るべき道はただ一つ。
「国民とともにあること」。
私たち国民の願いは、安心で平和な日常なのです。
それだけです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
天下を取ろうとしてなすことがあるならば、吾は得るものはないのを見るだけだ。天下は神器である。強いてなすことはできない。なすものは敗れ、強行するものは失う。それは物事は先行するものがあれば随うものがある。緩んだものがあれば急なものがある。強いものがあれば弱いものもある。上があれば下もある。一方に片寄った行いは物事の実態に合わない。これにより、聖人は甚だしいこと、奢り、軽視を去る。
(老子29章)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

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2007.07.02

しょうがない発言

しょうがない発言について私もこの間、テレビやネットを見ながら、皆さんのご意見や自分の考えを纏めてみたりしていました。
私はつい先頃まで広島に住んでいました。
ブログを書き始めてから8月6日にはその時々の思い出を書いてきました。
薄れていく記憶2004年8月6日。
夾竹桃のうた2005年8月6日。
61回目の記念日2006年8月6日。
過去のこれらの記事を読み返しながら被爆地ヒロシマに思いを寄せています、、、
今回の久間さんの「しょうがない発言」と私がヒロシマで見たり聞いたこととのギャップを改めて感じています。
以前の記事ですが原点と言うタイトルで、アメリカのスミソニアン博物館の職員の話が「如何に被爆地日本」を理解していないかという苛立ちと「核兵器廃絶」の思いを書いたことがあります。
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広島のあらゆる所に、被爆の、被爆なさった方々の思いや叫びが残っています。
私が平和を望むその原点はヒロシマにあります。
広島に初めて引っ越したとき、ビックリしたのはやはり生々しい被爆体験を聞いたからです。
すぐ隣に住んでいるおじさん、
子どもをつれて遊びに行った公園で知り合ったおばぁちゃん。
そして、私自身の書くことへの原動力になっている作家のSさん。
胎内被爆で今や体中がボロボロ。長い療養所暮らしでままならぬ手を使いながらも戦争告発の小説を書き続けています。
そのSさんが私にとっては原点であるような気がします。
実は、この文、左手でポロンポロンとタイプしています。
仕事柄、電話相談やらパソコンで腱鞘炎なのです。
だから、「もうブログを書くことやめよう、、、」と何度も思います。
しかし、そのたびに思い出すのがSさんの壮絶な生への執着と、平和への血の滲むような思いが頭をよぎるのです。
そうだ、、、
やっぱり、少しでも書いていこうと。
Sさんには遠く及ばなくても、書いていこうと。
藤原帰一さんの本ではありませんが「正しい戦争はない」と、私は今でも思っています。
(以前の記事より)
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戦争は終わっていない、、、のです。
何年経とうと癒えることのない大きなおおきな傷を抱えて「普段」を暮らしている方がまだ沢山いらっしゃいます。
被爆国である日本人の私たちの責任は、
「伝えていくこと、そして再び戦禍にまみえる国、人々がないために力をそそぐ」ことなのです。
これしかないのです。
これだけなのです。
核兵器を如何なる国にも、
如何なる場合も使用しないことを国として世界に発進していくことが、
今、ここに生きている私たちの責任なのです!!!

さて久間さん。
アナタは世間が何を怒っているか、本当のところはわかってはいないのではないでしょうか?
アナタの発言の何が問題で、どこが謝罪しなければいけないことなのか本当のところは理解していないのではないでしょうか?
昨日の朝の報道番組、私も観ました。
ニコニコ笑いながら同じことを何度でも繰り返すその姿を見ながら、
「本当にこの方はわかっていない」と感じました。
その後、後付けでいろいろ謝罪(?)なさっているようですが、
その発言内容も「誤解を与えて悪かった」というもの。
オイオイ、、、
それって誤解した私たちがアナタの発言の趣旨を理解しいていないということ???
それは違う。
キッパリと言います。
私たちが怒っているのは、アナタの発言内容についてです。
原爆をしょうがないと認めるその発言は、
犠牲になられた方への冒涜、今を生きる私たちをバカにしている発言、未来に対して無責任なものであることを、アナタは理解できるでしょうか???

やれ選挙だ、
やれ野党の攻撃だ、、、とかとか、そういうレベルではないのです。
この時期であろうと無かろうと、アナタの発言は決して看過してならない。
いずれにしても、
いずれにしても、
この発言は人格そのものを疑わざるをえない重大なものであることを久間さんにはお伝えしたいと思います。
古い失言に新しい失言を重ねていく久間さん。
アナタが本当にわかる日はくるのだろうか、、、
(これを庇った安倍さんの第一声についてはまた機会があれば書きます)

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