土を喰らう日々
今日は水上勉の命日です。
記事を書こうと思いながら、どの本がいいかと思って本棚をみていました。
アレコレと手にとりながらふと「そうだ、土を喰ふ日々」にしようと思って、捜すのですが、
これがない。
土に喰らう〜〜がない。
あの素敵な表紙の挿絵に、本文の水上の優しいまなざし満載のあの本が見つからない。
家族にはいつも「音楽の出来ないノダメ」と言われている私。
そう、片付ける能力はのだめカンタービレなのです、、、(のだめちゃんは音楽は天才だけれど、、、)
まぁ、のだめはいいとして、
このところ農業問題であゆさんやLadybirdさんからコメントを頂き、
愚樵さんからも頂いていたので、これはいい。
と、思ったのですが、、、
おおおxxxx−−−い。
どこへいったんだい???
ドラえもんの道具があればすぐに見つかるのに、
なぁんて思いながら、結局今まで捜したのですがみつかりません。
ある時、どっていうことのないところにあるんでしょうが。
まぁ、そう言うわけで土に喰らうをやめて、では何を書こうか???
と、思ったのですが、
何を書こうかわからない。
実は本音で書けばいまだ「あの世界」は書ききれないくらい深いのです。
何回読んでもため息。
樋口一葉もそうなんです、、、
水上のやさしさを書こうと思ったのだが、、、
うううう????
やっぱりもう一回捜します。
と、言うことで、
今日は水上勉の命日。
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コメント
「土を喰ふ日々」ですか、いいですねぇ、このタイトルが出るだけでなぜか和んでしまいます。
「土を喰ふ日々」というとどうしても出てくるのが「畑と相談」という言葉です。今、ふと思ったのですが、この言葉は農業のあり方を示すものであると同時に「もてなしの心」、人とのお付き合いのあり方を示した言葉でもあるんですよね。
農業、つまり暮らしの基本と人付き合いが密接に関わりあっている関係。
私の言葉で言うと【private】領域ということになりますか。
農業、農家という言葉があります。これらはもう言葉からして【pubulic】です。流通を通じて販売するという前提がある。【private】自家消費ですべてを完結させるなら農家という言葉はいらない。農業は「野良仕事」でしょう。
今の世の中はどんどん【pubulic】領域が広がってしまっているんですね。そして【private】領域が痩せ細る。人々の心が荒廃してしまっているのも【private】領域の縮小が原因だと私は思っています。心が痩せ細ったことの自覚から都会を捨て、田舎で土をいじりだしたおかげでまた再び心が豊かになっていく。そうした土と人間との関係は間違いなくあると思うんです。
流通(商業)を基礎にした【pubulic】領域を全否定することは出来ないでしょう。でも蔓延りすぎると問題も多い。要は【pubulic】と【private】のバランス問題なんですね、きっと。
投稿: 愚樵 | 2007.09.09 05:05
うちに科学の常識で考えなさいと教えてくれた先生が、
土の味がわかる農家の人がいると言っていました。
ちゃんと土を守り続けてきた農地は味がちがうそうです。
投稿: あゆ | 2007.09.09 22:15
こんにちは。
水上文学はいいですね。
図書館のラベルが「ミナ」になってるのを見るたびに
「ミズ」なんですが…と、ご注進しているけれど、
どこも張り替えしたのを見ない。
「土を喰らふ日々」これは、舞台になってない(私の記憶では…。まあ、難しいわなー)けれど、
舞台用の脚本にするとき、必ず水上さん自身で書き直すんだとか。
投稿: goldberg2006 | 2007.09.23 22:36