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2008.02.29

江原さんが大学で講義?

江原啓之が旭川大学の客員教授になる件と言うタイトルでkikulogの菊池先生がエントリーを挙げていらっしゃいます。
エントリーの内容もさることながらコメント欄を読んでさらに考え込みました。
大学人として菊池さんが、学問の危機を感じられるのは尤もです。
またコメントの皆さんも、それぞれの立場での専門や経験を語られていて、大いに学ばされます。


さて、そもそもの記事は週刊朝日やJ-CASTニュースに載っています。

この記事によれば、
==============
江原さんが講義するのは、08年4月に新設される、旭川大学(北海道・旭川市)の保健福祉学部。同大によれば、江原さんは客員教授として、90分の講義を年間2~3回する予定。科目名は「生命倫理」もしくは「コミュニティ福祉への招待」になる予定で、具体的な講義内容などについてはまだ決まってないという。
==============
とのこと。
旭川大学の保健福祉学部という学部がこの4月に新設されるのですね、、、
保健福祉ということだから、そこでは看護士さんが現場・臨床での患者さんへの対応やケアを学ぶことは当然です。
そこでスピリチュアル・カウンセラーと言う新しい職業の肩書きをもつ江原さんが、食指を動かしご自分から名乗りを挙げられたというのがニュースの記事。
そして、大学側は、
「講義では「スピリチュアル・カウンセリング」について直接扱うのではなく、あくまで「看護婦や看護士の実態や対処の仕方」が主なテーマになるようで、「スピリチュアル」を扱った講義として広報することはない」と言っているそうです。

と、なると江原さんは何を話されるんだろうか?
学生さんを前にして。
あくまで「看護婦や看護士の実態や対処の仕方」が主なテーマと大学当局は言う。
一方、江原さんは、ご自分の経験から、看護士さんたちの終末医療での現場での厳しい状況のカウンセリングを通して、新しく看護士さんになる若い人たちに「こころの持ちよう」を伝えたいと申し出たと言うことは、江原さんはスピリチュアルの話以外、何が出来るというのか?
まさかテレビ出演の裏話や本の売れ方?
あるいは音楽の話をなさるわけではないでしょう。

大学側が対外的にどんな言い訳しようとも、
江原さんを招聘したということは、スピリチュアルの話を学生さんの前で話すということです。
そして、その目的は、
看護婦さんや看護士さんの実態や対処の仕方の一つ、
ということになります。

これは、はっきりいって重大な瑕疵を大学に残すものと考えられます。
真理を探求するという自らの目的を霊媒師に明け渡すということになります。
(江原さん、霊媒師でなくてスピリチュアル・カウンセラーだそうです)

大学は、学問をする場です。
それが医学であったり、工学であったり、法学、文学であったり、
あるいは宗教学であったり、
様々な分野ではありますが、
「科学」という言葉に収斂していく学びの場です。
もし、当該の大学(旭川大学)が本当に学生さんに、終末医療の現状と看護婦さんや看護士さんの実態や対処の仕方の一つを教えたいとするならば、
学問としての心理学や社会学という面で斬っていくことが誠実な態度だと考えます。
死を目前にした患者への医療以外の心優しさ。
家族への気配り。
そして自分自身の心の持ちよう。
それらは霊の問題ではありません。
生きている私たちの問題です。
社会の問題です。
終末医療の充実や環境整備を学ぶことだって、大事な勉強です。
江原さんは、「科学」の何を教えるのだろうか???

これから、
終末医療という最も人間が畏れ、戦き、
そして如何に威厳をもって貫くかという「人として試される」現場で働く方々。
その彼らが、患者さんや家族の方々に、
安易に「おおいなるもの」に頼らせようとする姿勢は、
物事の本質と向き合うエネルギーをそぐものです。
考えることや感じることや対峙することを、全て何者かに預けてしまうと言うことは、
一見はラクに思えますが、実際は問題の放棄です。
医療現場のスタッフがすべきことは、ただ一つ。
医療のプロであることです!!!
最後まで患者さんとともに戦うこと。
病と戦うことです。
医療現場でプロとして働くスタッフには、
患者は信頼をよせます。
自らの仕事に全力で向き合うことを教えることこそが、
旭川大学のなすべき授業ではと考えます。
生命倫理なら、霊に頼らなくてもいいではないですか?
コミュニティ福祉への招待なら、何も霊をご招待しなくても生きている人々とのコミュニティを図ったほうが、よほど生産的ではないでしょうか?学長さん。

と、言うことで江原さん。
あなたの霊は、どのようにこの問題を見通していますか?
私は霊は見えません。
見えない私は理性で考え、感じたいと願っています。
そんな私からすれば、この話、誠実ではないように思えます、、、
(あっ、いえね。
江原さんのなさっている仕事を理解して、なおかつ相談に行かれる方々は、それはそれでご自分で納得しているのだから宜しいのですが、
今回のように、学生さん相手に、講義することが誠実ではないと申しているのです。)

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2008.02.28

惑星X

またまたワクワクするニュースです。
太陽系に「惑星X」の可能性と言うニュース。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
太陽系の外縁に、地球とほぼ同じ大きさの「惑星X」が存在する可能性を、日本の研究グループが数値計算で明らかにした。約1000年かけて太陽の周りを公転しているという。太陽系の惑星は、06年に冥王星が準惑星に降格され、現在は8個だが、惑星Xが観測で見つかれば、冥王星に代わる第9惑星になる可能性が高い。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
おおお〜〜〜兄弟星が新たに登場か?
1000年という長====い年月をかけて太陽の周りを公転しているということですが、
それは凄い。
1000年かぁ。
気の遠くなるような時間をかけてゆっくりと回っている星ぼし。
ロマンチックです。

なお今回の提案されたモデルはとても興味深い。
太陽系外縁部の40億年にわたるシナリオが示されたと上記アストロアーツには書いてありますが、
読めば読むほどドキドキしてきます。
私たちが当たり前に思って住んでいる地球。
そして太陽系。
その生成の謎の一つが解かれるのだろうか???
========
太陽系形成初期には、当時の天王星・海王星軌道付近に「惑星X」が存在し、それが重力散乱で遠方に飛ばされ、海王星と6:1の共鳴軌道(海王星6周の時間で1周する軌道)に捕獲された。当時の海王星は、現在の位置よりも10天文単位ほど内側にあったが、マイグレーションと呼ばれる外向きの惑星移動で現在の位置、太陽から30天文単位まで大移動した。
========
なぁんてモデルが紹介。
なるほど、惑星Xは遠くに飛ばされて、そのため存在が今に至るまで知られなかったということなのでしょうか???

そして上記のサイトでは惑星Xの命名まで記事が書かれていますが、
確かに冥王星のこともあるし、この星がどんな名前になるか楽しみです!!!

惑星X

それはそれで素敵な名前のような気もします。

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2008.02.26

子どもの詩

『子ども』

批判ばかりされた子どもは
非難することをおぼえる

殴られて大きくなった子どもは
力にたよることをおぼえる

笑いものにされた子どもは
ものを言わずにいることをおぼえる

皮肉にさらされた子どもは
鈍い良心のもちぬしとなる


しかし激励をうけた子どもは
自信をおぼえる

寛容にであった子どもは
忍耐をおぼえる

賞賛をうけた子どもは
評価することをおぼえる

フェアプレーを経験した子どもは
公正をおぼえる

友情を知る子どもは
親切をおぼえる

安心を経験した子どもは
信頼をおぼえる

可愛がられ抱きしめられた子どもは
世界中の愛情を感じることをおぼえる


ドロシー・ロー・ノルト

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
この詩は皇太子が45歳の誕生日に「あなた自身の社会 スウェーデンの中学教科書」(川上邦夫訳 新評論)から抜粋したものを紹介したことで、有名になりました。

スウェーデンではこの詩を使いながら、
子どもたちに尋ねるそうです。
「どんなとき、あなた方のお母さんやお父さんは不機嫌になりますか?」
「それはなぜだと思いますか?」
と。

一つの詩をめぐって、双方の立場を思いやる教育ということでしょうか?
ともすれば、親だけが、己の至らなさを責めることのないように。
お互いが、お互いなんだよ、、、
どちらにとっても、相手を思うことは同じ。
間違えたり、失敗することもある。
それはお互いなんだよ、、、
と、子ども自らが、そして勿論大人も、
納得する事が大切なんでしょうね。

今日は国立大学前期入学試験二日目。
受験生の皆さん、お疲れさまでした。
結果はともかく、
まずはゆっくりと頭と体と心をほぐしてください。
                     

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2008.02.24

イージス艦事件のその後?

最新鋭イージス艦「あたご」事件
もう一週間ちかく経ちます。
が、依然としてお二人の姿は見つからず安否が気づかわれます。
また、時間が経つとともに明らかになってくるのは杜撰な防衛省の体質です。

どうもわかるほどに政府・防衛省がうそをついていたのでは?ということです。
事故の原因として「清徳丸」の右舷の緑色の灯火が見えたようにいう説明が初めはなされました。
テレビでも模型を使って、説明。
どうして清徳丸がそのような動きをしたか不信が募り、コメンテーターや識者も首を傾げていました。
つまり、
海上衝突予防法は、船が交差する場合、右舷側に船を見る船が右転して衝突を避けることを義務付けています。船は船首に向かって左舷に紅色、右舷に緑色の灯火をつけて夜間するという取り決めがあります。
もし、航行紅色の灯火を見れば、それをみた側が右転しなければならなくなります。
そして防衛省の説明では、緑色を見たとくりかえします。
と、言うことは「清徳丸」の側は、「あたご」の左舷にとりつけられた紅色をみているはずだから、回避しなければならないのは「清徳丸」だということになります。
ところが、テレビでも何度も映し出されているように、
「清徳丸」の状況から「あたご」が「清徳丸」の左舷から衝突したのは明白です。
また同僚の船長からも「あたご」がみたのは危険を感じて左転した「金平丸」の緑色だと証言を得ています。
また、水上レーダーでは小型船が映らないことがあるとの報告もしています。
しかし、巡視船は今回のように海がおだやかな場合、手こぎの小さなボートでもレーダーで探知できると海上保安庁は説明しています。
漁船に気がついたという時間も二転三転しています。

この事故の徹底解明とともに、今後この様なことが起きないように抜本的な対応を求めます。
そもそも、首都圏の東京湾の入り口に、
横須賀港という軍港を置いたままでいいのかという問題を根本から見直す時期ではと考えます。
横須賀港は、米軍の空母の母港であることは知るところです。
今、この空母を原子力空母に置き換えようという動きが起こり、さらに横須賀港を本拠地にしている海上自衛隊のイージス艦や護衛艦というのは、まさに米空母を守ることを本業としていることを考えると、基地の町、基地の海と化していく首都圏の危険にまで思いは至ります。

この問題、これからも深く広く考察を重ねていく必要があります。
なおこの問題に関しては眠り猫が詳しく書かれていますので興味のある方は是非ご覧ください。

最後にもう一度。
一刻も早くお二人が見つかりますように!!!

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2008.02.23

富士山の日

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今日は2月23日と言うことで殆ど語呂合わせですが、
富士山の日だそうです。

富士山と言えば日本の象徴。
やはりあの天にも地にも広がる雄大で美しい姿には心が踊ります。

万葉の時代から詠い継がれて来た富士。
有名なのは、やはり赤人の「田子の浦ゆうち出でて見れば真白にぞ 不尽の高嶺に雪は降りける」。

私が好きなのは一茶のあの句。
〜〜かたつぶりそろそろ登れ富士の山〜〜
うん。
そろそろと自分のペースで登りたい、あの頂きへ。


それから富士と言えば木花咲耶姫の神話が好きです。
以前も書きましたが、
桜の姫です。
古代の神々は、
神とは言えとても人間くさく、悩み逡巡し、恨み、嫉妬し、
そんな呪詛の中で、
逞しくしなやかに生きていく人々の姿の哀しいまでの表現の一つと私は捉えています。
ロマンチックなお話として興味深い。

はかない女として、逞しい母としての木花咲耶姫。

そんな神話を思い出しながら、
富士にも桜が咲く春の間近を感じています。
とは言えまだまだ寒いのですが、、、

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2008.02.22

おおお〜〜〜久保が!!!

おおおおお===久保が。

jsgoalのニュースで久保を見ました。
元気そうで何よりです(^.^)

いよいよJリーグも間近。
今年は広島にとって試練、試練、試練。
ひたすら試練の年です。

J2になったけれど、久保がいるから、
寿人もいるしようちゃんも、兄弟もいる。
怪我人情報が気になります。
でも、でも、大丈夫!!!
怪我にもめげず頑張ると信じています。
楽しみにして開幕を待っていますよ。


そうそう、
日本代表と中国との試合、大変だったみたいですね。
こんな荒れた試合、審判の笛に対して疑問がわきます。
中東の笛ならぬアジアの笛、なんて言われて疑惑ムンムンの代名詞にならないためにも、
審判には断固とした態度で試合を制御してもらいたいものです。
この試合うんぬんということではなく、
アジアのレベルアップのために。

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2008.02.21

想像力

色んな想像力と言うタイトルでTAKESANさんがエントリーを挙げていらっしゃいます。
本当にタイトルのように想像力って色々様々です。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「自分程度の想像力は他人も持っているだろう」、と考える「想像力」は、必要ですね。それは結局、自分を過大評価せず、自尊心の肥大化のストッパーの役割を果たす訳ですね。つまり、「謙虚」。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
TAKESANさんは上のように書かれていますが、
議論や討論が齟齬をきたした場合、
謙虚というストッパーを持ちながら、自分の主張と相手の言い分との噛み合いを探していくって大切ですね。
とくにネット上では相手の事がよく分からない上に文字だけのやり取りだから、
尚更、想像力って大切だと思うことしきりのこの頃です。

9. 観念的自己分裂と言う題でシカゴさんは自己を観察する想像力を三浦つとむさんの主張を中心に書かれています。
シカゴさんのエントリーを見ながら、
テーラワーダをちょっと思い出しました。
釈迦の教えの一つであるヴィパッサナー瞑想、
つまり自己観察を徹底的に行うことから啓けてくる悟りを説いています。

想像力。

判断力や推理力や観察力の総称といっても過言ではないほど、
守備範囲の広い言葉です。

その対象が文学であっても、科学であっても医療であっても、宗教であっても、
いずれにしても、
想像力を担保するものは、今更ながら教育だと考えます。

子どもたちが今、学校教育の中で曝露されているのは、
偏差値と競争、そして格差。

以前、小学生の子ども達に「水」についての作文を書かせたことがあります。
夏休みの課題作文です。
社会科の授業で体験学習のためダム見学をした経験を書きたいと本人は言います。
そして結論として「水を大切に」とそつなく纏めたいと言うのです。
が、途中が全然ないのです。
水から何を想像する?と私。
「さぁ????」と首をかしげる子ども。
水を触ったらどんな感じ?と私。
「冷たい」と一言。
次が続かない、、、
続かない、、、
出てこない、何も。

とにかく、
とにかく此方がそれこそ水を差し向けて、
ため息交じりの子どもとどうやら最後まで書いたのですが、、、
書き終えた後、あの子はレッスンバッグを持って、次の課題(つまり別の塾)へとイソイソと出掛けました。
成績はとてもよい子。
国語の問題を解く力は抜群。
ところが、感想文や作文は大の苦手。
想像することが得意ではありませんでした。
私はしばらく一人で考え込みました、、、
そしてその後、お母さんにお電話を差し上げたのです。
「もっと本を読みましょう」と。
お母さんは承知して下さり、その後の作文教室は読書教室に様変わりしました。


受験シーズンの今。
子どもたちにとって、大いに心痛める時季です。
目の前の偏差値ではなく、
将来の自分の姿を想像して、
進路を決めるそんな指導が、教育の現場で普段に行われたら嬉しい、、、
と、
私は願うわけです。

夢とか、希望とか、そんな美しい言葉が子どもたちから奪われることのないように祈りながら、
想像力について、ちょっと思いを馳せました。

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2008.02.20

多喜二と啄木

「冬が近くなると、ぼくはそのなつかし、い国のことを考えて、深い感動に捉えら、れている そこには、運河と倉庫と税関と、桟橋がある そこで、は人は重っ苦しい、空の下を どれも背、をまげて歩いている、ぼくは何処を歩いて、いようか どの人を、も知っている 赤い、断層を処々に見せて、いる階段のように山、にせり上がっている街、を ぼくはどんなに、愛しているか分からな、い」
2月20日は小林多喜二の命日です。
昨年は多喜二の守ったものと言うタイトルで安倍源基と中川成男について書きました。
そして最後に上の文でしめました。
今日は、まずこの 碑文から紹介しました。
これは治安維持法で獄中にいた昭和5年、劇作家村山知義の夫人である児童文学者村上壽子にあてた書簡の一節だそうです。

小林多喜二

私は2月20日になるといつも思い出します。
多喜二のことを。
そして小樽の旭展望台を。

さて、実は今日は石川啄木の誕生の日でもあります。
啄木も小樽の町とは浅からぬ縁があります。
小樽駅前には啄木の歌碑があります。
「子を負ひて 雪の吹き入る停車場に われ見送りし妻の眉かな」

ううう〜〜〜ん。
そのあまりに淋しく寒々しい情景が目に浮かびます。
妻の眉、、、
言葉すくなに目と目を合せ、愛情と信頼と過酷な運命を受け入れる覚悟が、
眉一文字に込められ、
なおかつ、離れたくない、、、という慟哭も感じられます。

この碑は二年ほど前にたてられたそうです。
どうりで私が小樽を訪れたときは見た記憶がありません。


多喜二と啄木。
小樽という運河と坂の町で、
時代は違いますが、過したことがあるのですね、、、

啄木は「ヴ・ナロード」(人民のなかへ)と叫び、
多喜二は大衆・民衆を信じて命を賭しました。

今日、2月20日は、こんな二人のそれぞれの生と死の日であります、、、

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2008.02.19

衝突?イージス艦

海上自衛隊のイージス護衛艦「あたご」が漁船に衝突した事故で官邸連絡が遅くなったことで、総理や防衛大臣が不快をしめしたそうです。
そうだよね、、、
そりゃそうです。

人命にかかわることなのです。
的確な指示と素早い対応が求められます。

それにしても、
イージス艦かぁ、、、
怖いな。
ニュースによれば、見張りを怠ったとか、
過去にも何回も漁船と衝突したとか、、、
いろいろあるみたいです。

ううううう〜〜〜ん。

これって、ゆっくりと考える必要あり。
今後の流れを見つつ、つつ、
それとは別の角度でいずれ斬っていきたいものです。
ちょいと調べてみよう、イージス艦のあれこれを。

いずれにしても、
行方不明の方の安否がきづかわれます。
ご無事でいらしてください。

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どうなるコソボ問題 

仏・独・英・伊、国家承認の考え示す コソボ独立と言うニュース。
一夜明けたセルビア共和国南部のコソボ自治州議会がセルビアからの一方的な独立宣言採択。
その後の各国の動きが注目されています。
当然セルビアは同日、これを承認しない態度を表明。
米欧主要国は独立承認の立場。
ロシアは不承認。
は中国は拙速な動きに憂慮を表明。

いろんな思惑が交錯しているようです。
と、言うことで国際情勢をもう一度おさらい。

そもそも1999年、
コソボの人口の9割を占めるアルバニア系住民と、セルビア系住民、当時はユーゴスラビア政府(現セルビア政府です)が武力衝突。
介入した北大西洋条約機構(NATO)軍がユーゴスラビア全域を空爆しコソボを占領。
そして、国連安保理はこの戦争終結にあたり、
決議一二四四を採択。
決議の内容は、
コソボへの国際部隊の派遣や国連の国際文民派遣団の暫定統治機構設置など。
この中で、国連暫定統治のもとで「実体ある自治権と自治政府の確立」と「ユーゴスラビア(現セルビア)の主権と領土保全」を確認。

この決議に関して、
国連安保理ではこの後、コソボの最終的地位についての決議はありません。
と、言うことは、
今のところ、国際法上はこの決議がコソボの国際的地位を示しているということです。
もう一度確認。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
国連暫定統治のもとで「実体ある自治権と自治政府の確立」と「ユーゴスラビア(現セルビア)の主権と領土保全」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜

ところが、
この決議に対して、
コソボ側が主張するのは、
「国連特使案を基にしたコソボ独立を承認する国は百国を超えるだろう」という欧米を中心とした国際的潮流なのです。
07年2月にアハティサーリ案で、
「民族戦争の後でもとにはもどれない」
「終わりのない交渉に終止符を打つべきだ」との欧米の意向を受けたものが発表されました。
同案ではコソボの独立を認めると同時に、
セルビア系などの少数民族の権利を保障。
国連コソボ暫定統治機構(UNMIK)に代わって欧州連合(EU)代表が国際文民代表(ICR)となってしばらく、コソボの政治的な最終決定権をもつというものです。

ううう〜〜〜ん。
双方に言い分が会って、
それぞれの思惑と背景が微妙に絡まり、厄介です。
国際社会も相手の出方を見ながらカードを切っているようです。
いずれにしても、この問題は民族の問題を抱えている多くの国にとっても関心の的です。
今後の成り行きに注目していきましょう。

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2008.02.18

コソボ問題

「独立承認、全世界に要請」 コソボ大統領が会見ということで今日はコソボが国家になったことが一番のニュースです。
この地域に詳しくない私は、頭がこんがらがるのですが、、、
wikipediaこのサイトを参考にもう一度歴史の勉強をしています。(実は何回読んでもやっぱり難しい、、、歴史的背景が自分の中で咀嚼されていません、、、
もっと知らなければ、、、と思うことしきり)
さて、
このコソボ自治州は人口200万人中アルバニア系住民が実に9割を占めています。
10年前の1998年のユーゴスラビア時代から独立運動が過激化し武装闘争に転化。
翌年にはアルバニア系住民とセルビア系住民、当時のユーゴスラビア政府(現セルビア政府)が武力衝突し、介入したNATO軍がコソボやユーゴスラビア全域を空爆しコソボを占領。
その後、セルビアの領土には形式とどまりましたが国連の統治下になっています。
そして2005年に国連統治下で始まったコソボの最終地位交渉では、コソボ側が独立を主張。
セルビア側はユーゴ・コソボ戦争終結時の国連決議一二四四でセルビアの「領土保全」を保証していることを根拠にし、高度な自治権付与を提案、決裂、今に至っています。

さて、
ゆっくりと今回のニュースを追ってみるならば、
セルビア共和国南部のコソボ自治州が昨日17日、独立を宣言。
今まではこの地域はセルビアが領土保全を主張して自治州だったのですね。
そこで、かねてより独立を望んでいたコソボ自治州議会が17日午後3時(日本時間では17日の午後11時)からの本会議で独立宣言を採択。
同日午後6時からの式典で独立を宣言し、「国旗」が披露。
今月中に憲法、法規などが順次、決定される予定だそうです。

しかしセルビアはそうやすやすと認めません。
昨日17日午後4時、つまり一時間後コシュトニツァ首相が演説し、独立宣言は国際法に基づき無効であると訴えました。
セルビアは対抗措置としてコソボに対する電力供給停止などの経済制裁措置やコソボのセルビア系住民地域へのてこ入れを決める可能性があり、コソボ・セルビア系住民地域やセルビア本国での大規模な反対デモも予定されるとのことで何やら心配です。

また、コソボ独立をめぐる国際的な動きでは欧州連合は前日の16日、警察官や裁判官、税関など2000人の要員を派遣することを決定。
今日18日には外相会議で独立承認問題を協議。
ロシアはコソボ自治州独立宣言が「安保理決議なしの一方的なもので国際法に違反する」とのセルビアの主張を全面的に支持。
国連安保理ではあくまで反対するものと考えられます。
EUの中でもスペイン、ギリシャ、キプロス、ルーマニア、スロバキアは独立承認に反対か消極的。

今後の動きに注目です。

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2008.02.17

芸術の春

今日は夫とつくばに行って、
つくば美術館の筑波大学の卒業制作展を見て、
そのあと乃木坂の国立新美術館の第11回文化庁メディア芸術祭を見ました。
と言うことで「芸術の春」を満喫。


つくばの方は学生さんの卒業発表いうことで新鮮でした。
色使いのきれいな絵本や、
子供用のイスや、
未来都市。
などなど学生さんの思いが伝わる暖かな展示でした。

一方、メディア文化祭の方は、いっぱい、いっぱいの人で、まず人にもみくちゃにされました。
小島秀夫も優秀賞を獲得とかで見たかったのですが、全然みることはできませんでした。スネークのようにしのびよることはできませんでした。
マンガでは吉田秋生さんや一条ゆかりさんが受賞。
チラッとみただけで、もうクタクタ。
本当はもっとじっくり見たかったのだが、、、
来年も見ようと、夫と言いながら、
帰りは夫にとって懐かしい乃木坂を案内してもらいました。
物性研が国立新美術館。防衛庁がすっかり様変わり。
あれがこうで、これがあれで、、、と夫の説明を聞きながらもクタクタ、
はやく帰ってビーーールが飲みたいよう〜〜〜〜
の私。
今、やっと人心地つきました。


と、言うことでやっぱり芸術よりも○○です。

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2008.02.16

9条世界会議のお知らせ

9条世界会議@2008.5 幕張メッセ

9条世界会議がいよいよ今年の5月、東京で行われます。
当サイトから抜粋した記事を紹介します。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
なぜ「9条世界会議」なのですか?
   
戦争の放棄と軍隊の不保持をうたった日本の憲法9条は、アジア・太平洋戦争の惨害と反省の上に立って、世界に対する「不戦の誓い」として生まれました。そして60年以上にわたって、日本とアジアの人々の信頼関係の礎となってきました。
いま世界では、暴力と戦争の連鎖が続いています。イラク情勢は泥沼化し、中東は大きな危機を抱えています。また、朝鮮半島の核問題で、東アジアは新たな軍拡競争にさしかかっています。そんな中、日本の9条は、平和をめざし活動する世界の多くの市民に勇気を与える存在です。日本国内で「改憲論」が高まる今だからこそ、世界の共有財産としての9条の価値を、世界の人々と共に見つめ直したいと思います。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

と、言うことで日本が世界に果たす役割の大きさを感じながら、
この大会の成功を心から願います。
大会成功にむけていろんなグッズがあります。
是非ご協力お願いいたします。
私は友人から絵はがきセットとTシャツを贈っていただき感激しています!!!
贈り物にもいいのではないでしょうか???

と、いうことで今日はお知らせまで。
まだ近況など報告します。

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2008.02.15

地球型の星、存在する

地球型の星、存在する?=太陽系と似た惑星群発見と言うニュース。
ワクワクします。
2006年の1月、私は第二の地球を探してと言うタイトルで地球型惑星の存在を求めて研究しているチームを紹介しました。
あるいは2005年にはもしかして第2の地球がと言うタイトルで記事を書いています。
すばる望遠鏡、地球型惑星が生まれているかもしれない現場を撮像なんてニュースを見ると、もうドキドキです。

いずれも、まだ地球型の惑星の存在を確認というわけではありませんが、
やっぱり嬉しくなるニュースです。

こんなとき、いつも登場していただくのが谷川さん。
〜〜〜〜〜〜〜〜
人類は小さな球の上で
眠り起きそして働き
ときどき火星に仲間を欲しがったりする

火星人は小さな球の上で
何をしてるか 僕は知らない
(或はネリリし キルルし ハララしているか)
しかしときどき地球に仲間を欲しがったりする
それはまったくたしかなことだ

万有引力とは
ひき合う孤独の力である

宇宙はひずんでいる
それ故みんなはもとめ合う

宇宙はどんどん膨んでゆく
それ故みんなは不安である

二十億光年の孤独に
僕は思わずくしゃみをした

(二十億光年の孤独より)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

本当に、
ほんとうに宇宙のどこかに生物がいて、
その星の住人たちも、仲間を探しているとしたら、
なんて楽しんだろう。
孤独じゃないんだよね。
宇宙に仲間がいるとしたら、、、

そう言えば、2月の初め、東の空に月と木星と金星が並びました。
私は5日の朝見たのですが、なかなか素敵な絵になっていました。
次第に明るむ空と、三日月と木星と明の明星。そして遠くの山々のシルエット。
しばらく呆然と魅入っていました。
2月の空はいい。
空気が澄んでいるのと、少しではあるが自然が緩み始める頃だから。
ぎょしゃ座のカペラ、ふたご座のポルックス、こいぬ座のプロキオン、おおいぬ座のシリウス、オリオン座のリゲル、おうし座のアルデバラン、以上の6つの1等星が作る「冬のダイヤモンド」。
そしてダイヤモンドの中には赤い1等星ベテルギウス、さらには火星。
是非ぜひご覧ください。
探し方はまずオリオンからですよ♪


と、言うことで宇宙への思いは限りなく広がる2月の星空を見上げながら、
やっぱり思うことは一つ。
「みんな平和で仲良くできたらいいなぁ、、、」って、ね。
ねぇ、谷川さん。

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2008.02.14

バレンタインの日

今日はやっぱりバレンタインの話題であちこち盛り上がっているようです。
バレンタインで検索。
初めはやはりWikipedia
蘊蓄がいっぱい。
へぇ〜〜〜
そうだったのか。
と、読み込みました。
「日本でのバレンタインデーとチョコレートとの歴史は、神戸モロゾフ洋菓子店が1936年2月12日に、国内英字雑誌に「バレンタインチョコレート」の広告を出し、1958年2月に伊勢丹新宿本店でメリーチョコレートカムパニーが「バレンタインセール」というキャンペーンを行った。ただどちらにしても、あまり売れなかったようである。新宿伊勢丹でのセールでは、1年目は3日間で50円の板チョコが3枚、20円のカードを含め170円しか売れなかった。」
だったそうです。
当時は板チョコは50円だったのですね。
チョコレートと言えば、私はパラソルチョコレートというチョコレートが好きでした。
かわいい包装でくるまったパラソルと、食べた後の柄が透明で好きでした。

それにしても、最初に買った人はエライ!!!

と、言うことで今日はバレンタイン。
そう言えば煮干しの日でもあるそうです。
2(に)1(ぼう)4(し)。
笑っちゃいます。
なかなかどちら様も商魂たくましい。
いい味がでるといいですね!!!

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2008.02.12

人はこうして美味の食を手に入れた

毎月12日はパンの日で豆腐の日だそうです。
豆腐は語呂合わせとしてもパンは何故?と思います。
実は1842(天保13)年、伊豆韮山代官の江川太郎左衛門英龍が軍用携帯食糧として乾パンを作ったそうです。これが日本で初めて焼かれたパンと言われ、毎月12日がパンの日となったそうです。

今日は本棚の本をゴソゴソと動かしていたら、
こんな本を見つけました。
人はこうして美味の食を手に入れた
副題が「飽くなき食欲が生んだ「発明・発見」の文化史」となっていて小泉武夫さんという方の本です。
随分前に読んで、本棚の片隅にソウッと置かれていた本。
ふと手に取ってパラパラと読み直しました。

「旨いものが食べたい」と言う人間のあくなき欲求が産み出す知恵と執念の賜物、美食が書かれています。
美食と言っても値段がはる高級なものではなく、
目に見えない微生物の力による「発酵」という方法で美味を手に入れた過程が紹介されています。
最初にふぐの卵巣の糠づけの紹介。これは石川県でしか製造が許されていないそうです。
その後、こんなもの食べられるの?と言うようないろんな珍味が書かれています。
長い年月をかけて先人たちが挑戦してきた「旨いものさがし」。
そこには美味ととともに自然の摂理に適った栄養が満載。
食の文化は営々と築かれてきました。

だがしかし、
今はどうでしょう???
コンビニママとコンビニキッチン、電子レンジ。
食べ物文化は細やかで繊細な味を失い、企画の味になり、
そして栄養さえも手放していくような光景があります。
好むと好まざるとに関わらず時間に追い立てられる生活という背景があるのも確かです。

また、餃子問題やBSEなど輸入に頼る問題もあります。
添加物も見逃せません。

生きる原点である「食」がやすやすと侵されていくことは、
あってはならない!
と、改めて思いました。

個人で出来る事は勿論、
行政でしか出来ないこともいっぱいあります。
いずれにしても、食を守ることの大切さを痛感している昨今です。

さて、今日はパンと豆腐の日。
湯豆腐にしようかな♪

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2008.02.11

大阪と岩国

大阪は橋下さんが勝ち、
昨日、岩国では福田さんが勝ちました、、、

この先、どうなるんだろう???
この国は。

橋下さん。
陸自の中部方面隊を表敬訪問と言うニュースのかたわら、
マニフェストの子育て支援は大阪府の私学助成削減を検討、、、
枚挙に暇がないくらい出てくる出てくる子育てしましぇん案が。
この先、さらに住民にのしかかってくるであろう諸々の負担。
大阪の人々が痛みを感じる頃、
次の国政選挙が待っています。
大阪の痛みは日本の痛みです。
橋下さんの苛政をしっかりと見極める必要を感じます。

福田さん。
この人は公約そのものが米軍再編推進派。
岩国を夕張にするな、、、と選挙中に連呼。
岩国を軍事基地にする選択を市民に強要する政策をこれからジャンジャン出していくるのでしょうか???


大阪と岩国。
この選挙の結果がこの国の方向を決める、、、
いや、そうではありません。
決してそうではありません。
この国の行く先を決めるのは私たちです!!!
日本が戦争する国にならないように。
決して子どもたちに再び戦禍の苦しみを経験させることのないように。

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2008.02.10

雪の金閣寺

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今日は朝早くに起きて雪の金閣寺に行って来ました。

昨日は雪がドンドン、ドンドンと降り、
アッと言う間に窓の外は雪景色。
普段見慣れている木々が雪化粧で艶やかな様を眺め、
夫と「明日、晴れたら金閣に行こう。」と話していました。
カメラが趣味の夫は、秋はカメラを肩に担ぎ、方々のお寺に写真を撮りにいくのですが、
念願は雪の金閣寺だったのです。
京都に雪が降る、
しかも休日に。
こんな天からの配慮としか思えない恵みを逃す手はありません。
朝一番に金閣目指して出発。
途中、道路の雪は消えていて、もうダメかと思ったのですが、
金閣についたら、もういっぱいの人だかり。
あんなに早く出たのに、駐車場もヤットヤットで入ることができました。
それから歩いて、
いよいよ金閣寺へ。

雪の残る木々と山ほどの人たちの合間から見えました。
見えました。
鹿苑寺が。
背景の山の雪を遠くに、鏡湖池を手前に鹿苑寺は私たちの前にざん然と輝いていました。
おおお〜〜〜
これぞ、金閣寺!!!

何度もなんども立ち止まり、
写真を撮り、
鳳凰を仰ぎ、
池を覗き、
木々から漏れてくる太陽を感じ、
秋でも春でも夏でもない、
冬の金閣を心ゆくまで堪能しました、、、

沢山の観光客に混ざり、もみくちゃにされながら、
ザックザックとみぞれの雪を踏みしめ帰りました。
美しく楽しい一日でした。

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沸点と温度計

PSJ渋谷研究所Xの亀さんが、またまた楽しいエントリーを挙げていらっしゃいます。
「水の沸点は100度じゃない」というタイトルです。
とても興味深い内容です。
さて、この問題は亀さんの記事とコメント欄の皆さんの楽しい討論で解決されていますので、
私は今日は温度計について、板倉聖宣さんの「科学的とはどういうことか」を参考にちょっと書きます。
仮説実験授業で有名な板倉さんは、水の沸点に対しても、実験に先立ち、子どもたちに予想させることを推奨しています。
「水は100度で沸騰するということは決まっているらしい。
そして温度計の目盛りを決める時は温度計全体が100度の水蒸気にあたるような装置がある。
が、学校にはそんな装置はないので沸騰する水に温度計をいれるだけにする。
この場合温度計の目盛りはどこをさすか?
1、ぴったり100度
2、2〜3度違う
3、5度以上違う」

このような予想をたてることで、誤差を教え、実験結果が違っても動揺しない。
むしろ誤差があることを含めて科学への興味に繋がるというのです。

さらに板倉さんは、続けて子どもたちに以下のことを予想させるそうです。
「水は100度で沸騰するがアルコールや灯油は何度で沸騰するか?」と。
皆さんは、どの様に思われますか?
アルコール。
これは分かりやすい。
では灯油はどうでしょう???
アルコールと同じだと思いがちですが、実は灯油の沸点は200度以上。

そして私たちがアルコール温度計と思っていた液体はアルコールではなく灯油だそうです。
灯油だからこそ100度以上でも測定できるのです。
また誤差に関してはアルコールと同じということです。
以前は水銀を使っていたので殆ど誤差がなく水は100度で沸騰したそうです。

と、いうことで、
理科実験の「結果」にもいろんな側面があるものだと今更ながら思いました。
いずれにしても、どんなことでも疑いなら確かめ、確かめながら疑い、、、という態度を養うことは大切です。


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2008.02.09

岩国出直し選挙

いよいよ明日10日です。
注目の岩国出直し市長選
米軍艦載機の移転問題が最大の争点です。
 
明日の天気は晴れそうです。
岩国の皆さん、棄権することなく是非投票なさってください。

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2008.02.08

食のリスク管理

餃子問題で改めて「食の安全」に注目が行き出した今、
改めて2003年制定の「食品安全基本法」について考えてみます。

2001年狂牛病第1号発見から、翌々年の2003年5月に食品安全基本法が制定されたわけです。
その目的を以下のように定めています。
「(目的)第一条 この法律は、科学技術の発展、国際化の進展その他の国民の食生活を取り巻く環境の変化に適確に対応することの緊要性にかんがみ、食品の安全性の確保に関し、基本理念を定め、並びに国、地方公共団体及び食品関連事業者の責務並びに消費者の役割を明らかにするとともに、施策の策定に係る基本的な方針を定めることにより、食品の安全性の確保に関する施策を総合的に推進することを目的とする。」
そして科学的知見に基づきリスク評価を行う機関として内閣府に食品安全委員会が設置。
ここにリスク管理とリスク評価が分かれました。
これはなかなか良いことのように思われますが、必ずしも現実はそうではありません。
では、これから簡単に食品安全行政について見ていきますが、
まず科学と政治についてリスク分析という点に絞ると、3つのモデルが考えられています。
「テクノクラティック・モデル」リスクに関する政策は専門家による科学的な考慮だけで決定される。
「決断主義モデル」政策にはさらに技術的・社会的・政治的な考慮もされる。が、科学的作業は分けて考えられる。
「透明モデル」科学的なリスク評価も社会的・政治的な考慮を受ける。
の3つのモデルです。
では具体的にどの様な要素によって社会的考慮がなされるか?
と言うと、
「スコープ」(範囲)
「ベンチマーク」(基準)
が主です。
また政治性と言う意味では「有害性と無害性」があります。
この時、いつも省みなければならない一つに「科学が中立」であるか?
と言うことです。
例えば日本の米国産牛肉問題ではリスク評価の前段階とリスク管理の政策決定が不透明だったわけですが、これはそもそもリスク評価方針として評価前提が殆どないにも関わらず、米国側が輸出条件を守るという仮定(この仮定自体も別の選択肢の可能性はあったにも関わらず)で、リスク管理者は輸入再開を決定しました。
しかも「科学的に価値中立」という立場をもってして決定したことは今なお記憶に新しいところです。食品の安全という最も大切なことが「価値中立な科学」というイメージによって覆い隠されることは、責任の所在が曖昧になることであり、同じことが繰り返されることでもあります。
科学は絶対ではない、間違える可能性も含んでいる。
だからこそ、決定のための科学的・政治的根拠を明らかにすることこそが「リスク管理」ではないでしょうか?
そのためには安全委員会などだけでなく消費者も食品の安全に積極的に関わるような仕組み・機関を作って、その声が決定に届くようにしていきたいものです。

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2008.02.07

今年もサラリーマン川柳

今年も来ました、この時期が。
サラリーマン川柳優秀100句発表

秀逸な100句を読みながら、笑い転げていました。
どの一句も「言い得て妙」。
唸ったり、笑ったり、そうかと肯いたり。

貴方はどの作品がお好きでしょうか???
私は、あの一句です!

それにしても毎年の事ながら、
夫の悲哀が、なぜか滑稽に描かれ、
それがまたもの哀しい。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
定年の 延長決まり 妻元気

「今帰る」 妻から返信 「まだいいよ」

なぜ怒る 早く帰って 来ただけで

千の風 聞いてる妻は ハリケーン

「鬼は外」 鬼が豆まき オレは外

妻の後 三歩下がって カート押す

円満は 見ざる言わざる 逆らわず


(上記サイトより一部抜粋)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

とかとか
そうか、「いずこも同じか」と安心。

「サラ川を見れば皆同じ ねぇあなた」
と、心で夫に呟く私です。

まぁ、微笑ましくもあり、
切実でもあり、
それぞれの思いを込めたサラリーマン川柳。
今年はどんな10句が選ばれるか、今から楽しみです!

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タイ戦

岡田ジャパン、初戦タイに4—1 W杯アジア3次予選と言うことで、まずはおめでとうございます。
これからが本番です。
気は抜けません。

昨日の試合は前半はイライラしました。
うううう〜〜〜〜ん。
って唸るようなシーンが続きましたが、
後半、大久保選手の素晴らしいゴール、というか、よく入れたなぁというゴールで、
流れが変ったように思います。
「急にボールがきたので決めました」と言うところかな?大久保選手。
こっそりと名をつけて「QBK」ゴールとしよう♪

いずれにしても、今回の試合から学ぶべきことは学び、
評価するところは評価して、
次へのステップとなるものと期待しています。
楽しみが増えました、、、

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2008.02.06

壺中の天はどうなるか?

壺中の天と言う言葉があります。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
《後漢の費長房が、市中に薬を売る老人が売り終わると壺の中に入るのを見て一緒に入れてもらったところ、りっぱな建物があり、美酒・佳肴(かこう)が並んでいたので、ともに飲んで出てきたという、「後漢書」方術伝の故事から》俗世間を離れた別世界。また、酒を飲んで俗世間を忘れる楽しみ。仙境。壺中の天。
Yahoo辞書よりママ
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
つまり、俗世間を離れた別世界ということから、自分だけの楽しみというか、
趣味の世界を持つことが、
さらなる俗世間との関わりを深めると言うことでしょうか?

皆さんの壺中の天はなんでしょうか???
ネットは案外「壺中の天」かもしれませんね。
机一つ、パソコンの前に座れば、世界至る所旅ができ、
過去にも遊びに行くことが出来る。
パソコンの中では、いろんな方に出会い、
蒙を啓くことができる、、、
確かに、これは「壺中の天」になるかもしれません。

さて、さて、
私は「お酒」か、、、なぁんて。
まぁ、嗜む程度に(本当ですよ)。
ところが、このささやかな楽しみも、いつのまにか嗜むこともできないくらい
ドンドン値上がりしていますね。
もう壺なんてとんでもない。
「一輪挿しくらいの天」「おちょこくらいの・」ですよ〜〜〜

こんな庶民のささやかな楽しみくらい守って欲しいものです。福田さん>

今日は補正予算案、参院で否決 衆院優越で6日中に成立と言うニュースを目にしました。
中身はいろいろありつつも、
やっぱり気になるのはこれ。
米軍再編経費に171億円。
原油価格高騰対策費570億円のうち22%が自衛隊の訓練などの燃料購入費。
一方、私たち庶民は、
二月からドンドン、ドンドン値上げしていく物価。
しょうゆ、みそ、牛乳、ガソリン。
背景にあるのは、大豆、小麦などの穀物や原油の高騰です。
四月からは電気、ガス料金も値上げ。
また最悪は後期高齢者医療。
ううううう〜〜〜〜ん。
私は壺よりもアラジンの魔法のランプが欲しい〜〜〜〜
「ご主人様、お呼びですか???」
と、希望を叶えてくれるランプ。
それともドラえもんがいいかぁ、、、

とかとか庶民はこのような詮ない夢しか見ることができない国が出来上がろうとしています。
これは困った!

やっぱり、大きな声で訴えていくしかない。
「福田さん!!!
もっと庶民の生活を守ってください」と。
俗世間を忘れることなんてできませ〜〜〜ん。

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2008.02.05

可哀想な阿修羅

こんな話を思い出しました。
阿修羅について、、、

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
阿修羅は正義を司る神といわれ、帝釈天は力を司る神といわれる。
阿修羅の一族は、帝釈天が主である忉利天(とうりてん、三十三天ともいう)に住んでいた。また阿修羅にはシャチー(仏教では「舎脂」)という娘がおり、いずれ帝釈天に嫁がせたいと思っていた。しかし、その帝釈天は舎脂を力ずくで奪った(誘拐して凌辱したともいわれる)。それを怒った阿修羅が帝釈天に戦いを挑むことになった。帝釈天は配下の四天王などや三十三天の軍勢も遣わせて応戦した。戦いは常に帝釈天側が優勢であったが、ある時、阿修羅の軍が優勢となり、帝釈天が後退していたところへ蟻の行列にさしかかり、蟻を踏み殺してしまわないようにという帝釈天の慈悲心から軍を止めた。それを見た阿修羅は驚いて、帝釈天の計略があるかもしれないという疑念を抱き、撤退したという。
一説では、この話が天部で広まって阿修羅が追われることになったといわれる。また一説では、阿修羅は正義ではあるが、舎脂が帝釈天の正式な夫人となっていたのに、戦いを挑むうちに赦す心を失ってしまった。つまり、たとえ正義であっても、それに固執し続けると善心を見失い妄執の悪となる。このことから仏教では天界を追われ人間界と餓鬼界の間に修羅界が加えられたともいわれる。
阿修羅を意訳すると「非天」というが、これは阿修羅の果報が優れて天部の神にも似ているが天には非ざるという意義から名づけられた。
wikipediaよりママ
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

私はこの話を思い出す度に、
可哀想な阿修羅とソッとつぶやきます。
阿修羅、その人の愚かさと、帝釈天の大らかさがイッタリキタリ。
二つにタイプを分けることはできないが、
どちらかと言えば阿修羅に近い私。

随分前の話。
家族と話をしていて、「どんな人になりたいか、、、」という話題になりました。
それぞれがそれぞれの願いとか思いを述べて、
私の番になりました。
「いい人になりたい。」と一言。
みんな
「あっ、そう〜〜〜〜」。
「うん、私、いい人になりたいの」と続ける私に家族は「まぁ、頑張って!!!」と揶揄(多分)
「うううう〜〜〜ん。まじめにきけぇええええ」と私。
「おいおい、いい人じゃなかったの?」と逆襲されます。

一事が万事なんだよね。私って。
「良い嫁」でいようと夫の両親の前では張りきるんだが、すぐにボロが出て、
張りきらない方がよっぽど自然体でいい。
「良い隣人」になろうと頑張るんだけれど、すぐにメッキがはがれる私。
えええ???
良い妻?
良い母???
あっ、それはそれで、はっはっは。

と、いうわけで、
「正義」とは言わないが「かくあるべし」と自分で自分ルールを作って、
息苦しくしているような気がします。

「ばっかじゃないの」と笑い飛ばして、
笑い飛ばして、
手から放とう、、、というのが夢。
可哀想な阿修羅、
でも愛すべき阿修羅を思いだしながら。

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2008.02.04

今日から春

今日は立春。
暦の上では春。

二月は一番寒い時期ですが、それでも春と聞けば、
早春賦ではないが、やはり心がウキウキとして騒ぎます。
心なしか太陽にも力を感じます。

春。

今朝は玄関の掃除をしたら、あちこちに豆がありました。
「あらあら、、、鬼さん、こんなところにいたの」と言いながら豆をひらって、
なんだか、追い払われた鬼のその後に思いが至りました。
全然、鬼とは関係ないのですが、
貧乏神と福の神なんて話を思い出しました。

死にとうない、、、で有名な仙崖和尚の逸話。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
豪商の新築祝いに招かれ、祝いに何かと請われ、
「ぐるりと 家を取り巻く 貧乏神」と揮毫。
主人は青ざめガックリ。
そこで仙崖はすかさず
「七福人は 外に出られず」と書きたした所。みんなニコニコと笑い、納得したということ
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「ぐるりと 家を取り巻く 貧乏神
七福人は 外に出られず」
と言うことですが、仙崖さんの本音はどこにあるのかと、いつも悩む私です。
人の業の深さを笑っているのかな???仙崖さんと。
まぁ、人間って勝手なもので、
貧乏はイヤで福は無条件にOK。
とにかく、とにかく幸せになりたいと願う者でしょうね。

神社に行ってもほんのちょっとお賽銭で一杯、いっぱいお願いする私。
これじゃ神様も大変だよなぁ、、、と一人で笑っています。

そう言えば、
「楽しみハ 花の下より 鼻の下」
なんて微笑ましい歌を残しているのも仙崖さん。

と、いうことで
今日から春。

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2008.02.03

雨の節分

今日は節分。
あいにく此方は雨。

豆まきの行事があちこちにあるのですが、
この天気ではどうしようか、、、、と思案中。

「鬼は外、福はうち」大好きなんですがね、、、

二年前の節分の記事では、
鬼、心の鬼について書いています。
私の場合は執着だとあの時の私は書いています。
今の私も変んないな、、、
執着か、、、
ううううう====ん。
難しい、手放すことが。
いつもね、「放てば満てり」と思いながら、
これが放てない。
グィッとしっかり手に握ったまま、
さらに新しいものを掴もうと必死。
あらあら、、、
手からポロポロ。
結局、何も残らないんだけれど、、、ねぇ。

「腹立たば 鏡を出して 顔を見よ 鬼の姿がただで見られる」
と、昔の人は言いました。
うんうん、鬼ならすぐ出せますよ、、、

それにしても鬼って、鬼のくせになんでイワシの匂いに弱いんだ?????
と、言いながらイワシはトマトと煮てスパゲティーで頂きました。
恵方巻き、食べました。バッチリ。
それにおそばたべて、
豆巻きもして、、、
と、ちゃんと行事はやりました。

と、言うことで今日は節分。
明日からは「春」です。

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2008.02.01

進路を決めるのは塾?

私立中、塾にセールス 中堅校が志願者増狙うなんてニュースは頭が痛くなります。
うううう〜〜〜〜ん。
なんともはやはや。
塾の指導者も学校側も、この在り方が正常とは思っていないのだろうが、、、
だがしかし生き残りをかけて、こうするしかないのだろうが。
そして結局、一番可哀想なのは子どもたちなのでしょうね。

今の子どもたちは  塾について
今の子どもたちは  塾について その2というエントリーを挙げて塾の歴史を考察したことがあります。
3年半前の記事です。
つらつら読むと、三年間でさらに事態は厳しくなっていると感じました。
公教育はますます「学力」という格差に輪切りにされていくのでしょうか???

学ぶとは何か?
学力とは何か???
改めて考え込んでしまいます。
先に紹介させていただいた2004年の記事前後に、ゆとり教育も含め、ザザザと書きましたので、
お時間がありましたらご覧ください。

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2月です

今日から二月。
如月です。
きさらぎ、、、音がとても美しいですね。
春をまつ気持と、まだ降る雪を愛でる気持とが相半ば。
そんな昔の人の思いが伝わってきます。

また、今日2月1日はテレビ放送記念日だそうです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
1953(昭和28)年2月1日午後2時、東京・内幸町の東京放送会館から「JOAK-TV、こちらはNHK東京テレビジョンであります」の第一声が放送された。当時の受信契約数は866台、受信料は月200円だった。
ちなみに当時の市販されていたテレビの値段は17万5000円。公務員の初任給が約5400円という時代。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

「JOAK-TV、こちらはNHK東京テレビジョンであります」。
ううう〜〜〜ん。
聞こえてきそうです。
と、言うことで、なんとなくテレビの歴史などをネットで見ていたら、
懐かしさでいっぱいになりました。

「あああ〜〜〜覚えているよ私」
「そう言えばあの時」とかとか。
歳がわかろうってものですね。

夕日町三丁目が好き。
クレヨンしんちゃんの「大人帝国の逆襲」が好き。
新横浜ラーメン博物館が好き。
と、言うことで古きよき昭和のことを思い出したりしていますが、
まぁ、思いではいつも美しいということで、
あの時代にはあの時代の苦悩もあったわけだから、、、
「ながらへば またこの頃や しのばれむ, 憂しと見し世ぞ 今は恋しき」と百人一首にもあるから、

いずれにしても、
思い出も未来も「今」。
ということです。


それはそれとして、
「今」私たちが直面している課題は「マスメディアの在り方」ではと考えます。
放送法についてという記事を昨年の11月に書きました。
放送が権力に屈することなく、
豊かで正確な情報を私たちに届けてくれることを願ってやみません。

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