« バレンタインの日 | トップページ | 9条世界会議のお知らせ »

2008.02.15

地球型の星、存在する

地球型の星、存在する?=太陽系と似た惑星群発見と言うニュース。
ワクワクします。
2006年の1月、私は第二の地球を探してと言うタイトルで地球型惑星の存在を求めて研究しているチームを紹介しました。
あるいは2005年にはもしかして第2の地球がと言うタイトルで記事を書いています。
すばる望遠鏡、地球型惑星が生まれているかもしれない現場を撮像なんてニュースを見ると、もうドキドキです。

いずれも、まだ地球型の惑星の存在を確認というわけではありませんが、
やっぱり嬉しくなるニュースです。

こんなとき、いつも登場していただくのが谷川さん。
〜〜〜〜〜〜〜〜
人類は小さな球の上で
眠り起きそして働き
ときどき火星に仲間を欲しがったりする

火星人は小さな球の上で
何をしてるか 僕は知らない
(或はネリリし キルルし ハララしているか)
しかしときどき地球に仲間を欲しがったりする
それはまったくたしかなことだ

万有引力とは
ひき合う孤独の力である

宇宙はひずんでいる
それ故みんなはもとめ合う

宇宙はどんどん膨んでゆく
それ故みんなは不安である

二十億光年の孤独に
僕は思わずくしゃみをした

(二十億光年の孤独より)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

本当に、
ほんとうに宇宙のどこかに生物がいて、
その星の住人たちも、仲間を探しているとしたら、
なんて楽しんだろう。
孤独じゃないんだよね。
宇宙に仲間がいるとしたら、、、

そう言えば、2月の初め、東の空に月と木星と金星が並びました。
私は5日の朝見たのですが、なかなか素敵な絵になっていました。
次第に明るむ空と、三日月と木星と明の明星。そして遠くの山々のシルエット。
しばらく呆然と魅入っていました。
2月の空はいい。
空気が澄んでいるのと、少しではあるが自然が緩み始める頃だから。
ぎょしゃ座のカペラ、ふたご座のポルックス、こいぬ座のプロキオン、おおいぬ座のシリウス、オリオン座のリゲル、おうし座のアルデバラン、以上の6つの1等星が作る「冬のダイヤモンド」。
そしてダイヤモンドの中には赤い1等星ベテルギウス、さらには火星。
是非ぜひご覧ください。
探し方はまずオリオンからですよ♪


と、言うことで宇宙への思いは限りなく広がる2月の星空を見上げながら、
やっぱり思うことは一つ。
「みんな平和で仲良くできたらいいなぁ、、、」って、ね。
ねぇ、谷川さん。

|

« バレンタインの日 | トップページ | 9条世界会議のお知らせ »

コメント

 地球型の惑星はあるでしょうね。そりゃあもう「絶対」といってもいいくらいに。なにしろ宇宙には無限といってもいいくらいの恒星、つまり太陽があるわけでしょ。その太陽にはそれぞれ惑星があるわけです。つまり無限×α個の惑星がある。
 これだけたくさんの惑星があれば、生物の存在の確率がいかに低くでもゼロであるはずがない。っていうかゼロだったらおかしいですよね。
 僕も宇宙人はぜったいいると思います。

 ただ、問題は、僕たちと同じ精神構造かどうかってところでしょうか。
 僕たちはほ乳類として進化しているけれども、火星人はタコから進化したのかもしれない。はたまたムンミュパギュメギ星人はバクテリアのような身体構造をしているかもしれない。
 でもってそのムンミュパギュメギ星人にとっては、僕たちがごくふつうに使っている風邪薬が核爆弾に見えたりもするわけで。ムンミュ(書くのがしんどくなったので以下略)星人はきっと「核爆弾をのみ込む生物だとっ!? なんと奇っ怪な!!」と驚愕するかもしれませんね。
 彼らにもしも出会ったら、この思いの違いが戦争にならないことを祈りたいです。

 もしかしたら下手に出会ったりするよりも、谷川さんみたいにくしゃみしているくらいがちょうどいいのかもしれませんね。
(*`<´)・:∴ ヘーックシ!!

投稿: ろぷ | 2008.02.16 11:00

ろぷさん。
コメントありがとうございます。
私も絶対、異星人はいると思います(^.^)
いてほしい。

そしてできれば平和的、友好的なお付き合いがしたいです。

ところで
(*`<´)・:∴ ヘーックシ!!
は、花粉症の私にはなかなか辛い(^^;
ろぷさんもダースベーダーだったよね(^^;
お互い、この春、元気でのりきりましょうね!!!
じゃ〜〜〜また。

投稿: せとともこ | 2008.02.16 13:25

こんにちは、せとさん。

 ニセ科学批判をしていると時に「創造論と進化論」なんて争いに巻き込まれたりもします。いわゆる「インテリジェント・デザイン論争」なんて話です。なんていうか、私は創造主はいてもかまわない論者なんです。ただ、いちいち進化に手を出したりする様なケチくさい創造主ではなくて、「宇宙が生まれる様に自然法則を定め、生命が生まれる様に自然法則を定め、生命が進化するように自然法則を定め、生命の進化の過程で知性が生まれる様に自然法則を定めて、後は法則のままに放っておく」様な創造主です。もし宇宙を作った創造主というのがいるなら、時間というものもまた超越していると思うので、それを「まだるっこしい」なんて思いはしないでしょうからね(笑)。

 なんていうか、私は「必然のある偶然」という考え方をするんですね。せとさんが商店街の福引きでガラガラと抽選器を回して特賞のハワイ旅行を当てたとするでしょ。せとさんや商店街の人がなんらイカサマをしなくてもせとさんにハワイ旅行が当たる事はあるのだけど、たった一つだけ、どうしてもこれが満たされないと当たらないという条件があります。それは、特賞を示すのが金色の球だった時に、その金色の球が抽選器の中に入っていないとせとさんが当てる事はできないんですね。つまり、抽選器の中に特賞の球が入るという事で、「誰かに偶然当たる」という必然が生ずる訳です。

 宇宙が自然法則の偶然によりでき、生命が自然法則の偶然によりどこかの星で条件を満たして発生し、生命進化の偶然性により進化して、知性が発生するという偶然性にしても、その大元の自然法則にそのようになる「当たりの球」が入っていないと起きない訳です。自然法則の中にそのような「当たりの球」を組み込んだ創造主を考えても、なんら自然科学とは矛盾しない訳です。こういうのは「理神論的な創造主論」と言うらしいです。

投稿: 技術開発者 | 2008.02.18 10:43

技術開発者 さん。
こんにちは。
コメントありがとうございました。

はい、私も創造論は何回も挑戦しましたが、
やはりエントリーに挙げるまでには至っていません。

マーティン・ガードナーの「インチキ科学の解読法」にもID論は掲載されていますが、あの辺りからやんわりがいいかな???と思ったり。
宗教や心の問題にも立ち入る分野なので、生半可な気持では書けなくて、つい二の足を踏んでいます。
先日、「脳の遺伝子」について紹介していた雑誌を読んでいたのですが、そこら辺から進化にいこうかな???
と悩んでいます。


それはそれとして「必然と偶然」。
本当に分かりやすい例でお示しいただきありがとうございました。
例とは言え、特賞でハワイ旅行をあてることができてハッピー(^.^)
技術開発者 さんの新婚時代に思いをはせています(^.^)

ところで偶然と必然ですが、
私は学生の頃は遺伝子をさわっていました。
精子と卵が出会い、受精する様は、まさに偶然であり必然でした!その後の発生の段階は全て神の意思かと思うほど素晴らしいドラマを展開。
生命の神秘というか、自然の驚異というか、感動、かんどうでした。
「いちいち進化に手を出したりする様なケチくさい創造主ではなくて、「宇宙が生まれる様に自然法則を定め、生命が生まれる様に自然法則を定め、生命が進化するように自然法則を定め、生命の進化の過程で知性が生まれる様に自然法則を定めて、後は法則のままに放っておく」様な創造主です。」
本当に仰るとおりです。
〜〜「理神論的な創造主論」〜〜
そうですかぁ。
また教えていただきました。
ありがとうございます。
いうも、いつも深い洞察と温かい配慮あるコメントを頂きとてもハッピーです(^.^)
またいろいろお教えくださいね。
では、、、また。

投稿: せとともこ | 2008.02.18 17:47

せとさん、技術開発者さん、こんにちは。

偶然と必然の関係について。かなり前にマルクスの博士論文(哲学)だったか何かで目にしたもので、ちょっと正確な記述は忘れましたが「必然は偶然から生まれる」といったような言説を読んだことがあります。その意味について私なりに理解したことをちょっと書いてみます。

たとえば酸素と水素とが反応すると水になるという科学的真理で考えると、これの必然性――因果関係といってもいいですが――はやはり偶然性から生じるのですね。試験管の中に酸素分子1つと水素分子2つとがあったとして外部から適切なエネルギーを供給したとしてもけっして水分子は生じない。それはこれら3つの分子が同じ場所で出会う確率はほとんど0だからです。しかし、試験管の中に酸素1cm3と水素2cm3を入れて外部からエネルギーを与えれば必ず水(水蒸気)が生じます。これは試験管の中に存在する分子の数がものすごく多いのでその中で3つの分子が出会う確率が限りなく1に近いからなのですね。つまりこの場合、必然は偶然から生じているわけです。

法則について。法則が自然界に存在しているというよりもむしろ自然界に必然的に起こる現象についてそれが法則性をもっているということを人間が認識・発見した結果が法則だと私は考えています。つまり自然界は法則にしたがって変化をしているわけではなく、たまたまの偶然がもたらす必然ないし因果関係を人間がとらえたものが法則と呼ばれているのだということです。そして人間の認識もまた自然界の一部として偶然の結果生じる必然という法則性をもっているために、人間が自然界を理解する方法――つまり論理――も法則として認識されるという風に私は理解しています。

ちなみに三浦つとむはこのように人間の精神を含む自然界全般に亘る法則性のことを弁証法とよんでいます。

投稿: シカゴ | 2008.02.19 13:17

たびたび失礼します。

最後のところ、ちょっと舌足らずだったので記述を修正します。

>そして人間の認識もまた自然界の一部として偶然の結果生じる必然という法則性をもっているために、人間が自然界を理解する方法――つまり論理――も法則として認識されるという風に私は理解しています。

→そして人間の認識もまた自然界の一部として偶然の結果生じる必然という法則性をもっているために、人間が自然界を理解する過程も法則性――つまり論理性――を持っており、それゆえ人間はその法則性を論理法則として認識するという風に私は考えています。


>ちなみに三浦つとむはこのように人間の精神を含む自然界全般に亘る法則性のことを弁証法とよんでいます。

→ちなみに三浦つとむはこのように人間の精神を含む自然界全般に亘る法則性を人間が真理として認識したもの――法則――のことを弁証法とよんでいます。

先日書いた「科学とは何か」という記事に即していうなら、科学――科学的真理――は人間の行動及び認識の持つ法則性(論理性)――科学的実践――の結果として人間の認識にもたらされるもの――法則――の体系だといえるのではないかと思います。

投稿: シカゴ | 2008.02.19 14:54

シカゴさん。
こんにちは。
コメントありがとうございました。

お返事遅くなってごめんなさい。
実はずっとずっと「偶然と必然」について考えていたのです。
揚げ句、モノーの同名の本を本棚から引っ張り出して、もう一度パラパラと読んでみたり、、、

さて、
水素と酸素の譬え、
これって、受精もそうだなと思いながら読んでいました。
精子と卵って1対1対応なのですが、
じゃ精子が一つだけの環境では受精しません。
何億も精子がいる環境の中で優れた、つまり生存に適する精子が選ばれます。
ある程度の精子の濃度って必要なのですね、、、
種の保存のメカニズムとして淘汰する目的の一つなのでしょうか???

「法則について。法則が自然界に存在しているというよりもむしろ自然界に必然的に起こる現象についてそれが法則性をもっているということを人間が認識・発見した結果が法則だと私は考えています。つまり自然界は法則にしたがって変化をしているわけではなく、たまたまの偶然がもたらす必然ないし因果関係を人間がとらえたものが法則と呼ばれているのだということです。」

はい。
シカゴさんの仰ることよくわかります。
物理もそうです。
観察と実験の繰り返しの中で、ある法則が作られ、
その法則に従って他の事実を確認していく、、、
その過程で初めの定義や法則が検証され、また変ることも大いにあり得るという柔軟な姿勢が「科学する」実践だと私も思います、、、

と、いうことで、
またモノーの本の感想なんか書いてみようかと思いました。
その折はご意見やアドバイスを頂けると嬉しく思います。
では、、、またね(^.^)

投稿: せとともこ | 2008.02.20 14:36

こんにちは、シカゴさん、せとさん。あくまで老婆心で書いています。実のところ、お二方が「悪しき相対主義」落ちこむとも思っては居ないのですが、かなり接近した部分の議論になっているものですからね。

なんていうか、「自然界に必然的に起こる現象についてそれが法則性をもっている」という部分は、人間とは無関係に法則性を持っているという部分を忘れないで欲しいのですよ。その部分を常に確認しながら、「人間が認識・発見した結果が法則」の部分の思考を深めてしまうと、「法則は人間が作ったものでるから、人間の考えによって変わり得る」みたいな「悪しき相対主義」への扉を開いてしまうからね。

なんていうか、私は分析屋ですから、良く「真値」と「測定値」という事を考えるんですね。例えば、目の前に1グラムの炭化物があると、その中にはある決まった量の炭素があると考える訳です。この「決まった炭素の量」を真値と考えます。それは、実は我々には知ることのできない量です。その炭化物100mgを燃やして出てくる二酸化炭素の重さを測るなんて事もやるんですね(乾式燃焼重量法と言います)。厳密にやると、29.85mgなんていう風に出るんですが、どうやってもこの4桁目の部分では1になったり9になったりという揺らぎがでます。こういう繰り返し変動以外にもいろんな変動要因を足し合わせていって、29.85±0.30なんて不確かさのついた値をつけます。これが「測定値」です。この不確かさというのは、「この範囲内に99%の確率で真値があると私は確信している(2σで出していますからね)」という値です。我々はこうやって「神のみぞ知る真値」をある範囲内に閉じこめて理解しようとする訳です。これが標準物質に値を付けるという作業なんですね。

なんていうか「真値」があり、それをできるだけ狭い範囲で「この中にある」と使用とする態度というのを理解して欲しいわけです。

投稿: 技術開発者 | 2008.02.20 17:04

技術開発者さん、こんにちは。

うれしいですね。ネット上で技術開発者さんのような方にお会いできるのは稀なことなので実は意を強くしております。実験科学や工学に関わったりものづくりにたずさわっている人間――現実のものや人間と直接関わる仕事をしている人間にとっては当たり前の考え方が世の中では受け入れられていないことを常日頃から私はいつも残念に思っています。世には悪しき相対主義がはびこっています。

私は無神論者にして唯物論者を自認しています。人間の精神も自然の一部であり、人間の精神や肉体の外部にあるさまざまな事物が自然の一部として人間の精神とは相対的に独立して存在していることを私は認めています。そういう意味で技術開発者さんのおっしゃるように自然は「人間とは無関係に法則性を持っている」と私は認識しています。まあ「無関係」というと人間が自然の一部であることを否定していると勘違いなさる方がいますので「相対的に独立して」というあたりが無難な言い方かなとは思っていますが……。

技術開発者さんはご存じではないでしょうが、私は勝手に三浦つとむを私の師と思っております。そして三浦はこれまた勝手に自らをディーツゲンの弟子であると言っておりました。というわけでこれまた勝手に私は自分はディーツゲンの孫弟子であるとも思っています。ディーツゲンの主著『人間の頭脳活動の本質』(岩波文庫・絶版)は私にものごとをどうとらえるかということを教えてくれる書であり、今も常に座右に置いて読み返しております。

ディーツゲン『人間の頭脳活動の本質』
http://okrchicagob.web.fc2.com/DME/Dietzgen.html

そういうわけで技術開発者さんが「神のみぞ知る真値」という表現で指しておられる客観的な量について私はその存在を露ほども疑ったことはありません。

最後に、ディーツゲンやエンゲルスのいう「真理と誤謬の相対性」というのは真理や誤謬は人間の認識であり、客観的に存在する自然界の法則性を概念的に把握する人間の認識にはつねに限界があるという意味です。それゆえ真理はつねに限界をもつすなわち真理はつねにある限定的な前提条件のもとで成立するということを忘れてはならないということの戒めを「相対性」ということばで表したものです。しかし、その前提条件つまり限界を承知している限りでその真理は絶対的な真理なのだともいえるわけです。

必然は偶然から生まれるのですが、しかし偶然もまた必然の結果であるとも私は考えています。

投稿: シカゴ | 2008.02.21 02:30

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/15797/40132841

この記事へのトラックバック一覧です: 地球型の星、存在する:

» 【政治】「電子投票、詰めの激論」 永田町インサイド(日経新聞2月14日夕刊7ページ) [散策]
とても良い記事だと思いました。中村哲治議員の思った疑問、心配がはっきり書かれています。そして、これは、多くのブログで書かれていたものでした。 日経記事は、「時間の短縮 地方で実証」や「継続審議となった今回の法案には財政支援が盛り込まれている」と推進寄りとも読めますが、「投票という政治制度の根幹にかかわる行動を左右するだけに、その信頼性や安全性などを巡る議論は各国で活発だ。韓国でも政党間の意見対立で今年導入される予定が不透明になっている。試行錯誤は続いている。」と、表題とは違って、各国とも...... [続きを読む]

受信: 2008.02.16 10:17

» アカイン [そいつは帽子だ!]
池に落ちた犬がいた。 家のそばの空き地をふらふらしているのを拾ってきた。わたしが家に連れてきたその日に、わたしたちの昼飯の残りと夕食用のご飯をたらふく食べ、そうして、ぱんぱんに膨らんだ腹のまま水を飲もうとしたのだろう、池に落ちてしまった。そこで大騒ぎをし..... [続きを読む]

受信: 2008.02.20 02:37

« バレンタインの日 | トップページ | 9条世界会議のお知らせ »