沸点と温度計
PSJ渋谷研究所Xの亀さんが、またまた楽しいエントリーを挙げていらっしゃいます。
「水の沸点は100度じゃない」というタイトルです。
とても興味深い内容です。
さて、この問題は亀さんの記事とコメント欄の皆さんの楽しい討論で解決されていますので、
私は今日は温度計について、板倉聖宣さんの「科学的とはどういうことか」を参考にちょっと書きます。
仮説実験授業で有名な板倉さんは、水の沸点に対しても、実験に先立ち、子どもたちに予想させることを推奨しています。
「水は100度で沸騰するということは決まっているらしい。
そして温度計の目盛りを決める時は温度計全体が100度の水蒸気にあたるような装置がある。
が、学校にはそんな装置はないので沸騰する水に温度計をいれるだけにする。
この場合温度計の目盛りはどこをさすか?
1、ぴったり100度
2、2〜3度違う
3、5度以上違う」
このような予想をたてることで、誤差を教え、実験結果が違っても動揺しない。
むしろ誤差があることを含めて科学への興味に繋がるというのです。
さらに板倉さんは、続けて子どもたちに以下のことを予想させるそうです。
「水は100度で沸騰するがアルコールや灯油は何度で沸騰するか?」と。
皆さんは、どの様に思われますか?
アルコール。
これは分かりやすい。
では灯油はどうでしょう???
アルコールと同じだと思いがちですが、実は灯油の沸点は200度以上。
そして私たちがアルコール温度計と思っていた液体はアルコールではなく灯油だそうです。
灯油だからこそ100度以上でも測定できるのです。
また誤差に関してはアルコールと同じということです。
以前は水銀を使っていたので殆ど誤差がなく水は100度で沸騰したそうです。
と、いうことで、
理科実験の「結果」にもいろんな側面があるものだと今更ながら思いました。
いずれにしても、どんなことでも疑いなら確かめ、確かめながら疑い、、、という態度を養うことは大切です。
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コメント
コメント&トラックバックありがとうございます。
仮説授業って、そういうことだったんですねー。どこから考えはじめるかで、いろんな授業がありそうですね。
棒温度計、なにが入っているのか、この記事を書くまで知りませんでした。体温計のような水銀ではないとは思っていましたが。で、アルコールだと知ったら、次に100度以上まで測れるヤツや200度以上まで測れるやつは、それぞれまた違うんだとか、JISでは±2度の誤差まで許容だけど、実際に売っているのは±1度程度だいうことも知り、もうもう、いろいろ目からウロコ状態です(^^)
これからもよろしくお願いします。
投稿: 亀@渋研X | 2008.02.10 20:37
瀬戸さん、こんにちは。
ものごとは理屈通りにはいかない、とはよく言われることですが、それは何故なのか。板倉さんの仮説実験授業はそういうことを子どもたちに考えさせる機会を与えられるように考えられていますね。
板倉さんの授業例には大人の私にとっても常識の鱗を目から剥がしてくれるようなものがいっぱいあります。そこらの土や砂の中に砂鉄がたくさん含まれているのは何故なのか。それは鉄の化合物を含む岩石が壊れて砂になったもの(鉱物)が土や砂の中に含まれているからだ、というのは分かります。
しかし、実際に磁鉄鉱を含む岩石が身の回りにもたくさんあって中には磁石にくっつく石がかなりある、ということを知ったのは板倉さんの著書を読んでからです。さっそく子どもたちと一緒に磁石をもって家の近くを探しました。磁石にくっつく小石が身の回りにもけっこうありました。びっくりしました。
投稿: シカゴ | 2008.02.11 06:38
亀さん。
シカゴさん。
こんにちは。
コメントありがとうございます。
此方は先日の雪からうってかわり、春の陽気です。
こんな日は嬉しいのですが、いよいよ来る花粉が、、、
こ・わ・い。
亀さん。
そうですよね。
私もいつも身の回りのことって、知っている積もりで実はなんと半可通かと思うことばかり。
ハンカチ王子ならぬ「半可通おばさん」です(^^;
困ったものだ、、、
いつも新鮮な思いと発見していく喜びってのは大人になってこそ発揮するものでは、と思うこの頃です。
もう、、、知恵熱ばかり出している私。
これからも宜しくお願いいたします。
シカゴさん。
先日、算法少女という本を読みながらシカゴさんのこと思い出していました(^.^)
私はシカゴさんのように言葉について蘊蓄深くないので、いつもシカゴさんのブログも拝見するたびに、
その誠実さに感動しています。
算法少女というひたむきな主人公の女の子の物語を読みながら、算数を子どもたちに伝えるひたむきなシカゴさんを思いだしました。
また、エントリーに挙げますね(^.^)
では、、、またね!
投稿: せとともこ | 2008.02.11 13:08
こんにちは、せとさん。
私は計量体系の末端に関わる技術者なんですよね。だから材料の分析法のJIS規格を作ったり、分析用の標準物質の値付けをしたりします。でもって、一応、計量体系という事もある程度知っているわけです。
フランスが苦労して1メートルという長さを定め、10cm角の立方体の水の重さから1kgの原器を作った物語なんてのは、一般人に話すと、結構聞いて貰える壮大な物語だったりするんですね。
壮大な物語でありながら、「皆さん、スーパーでお肉買われるときに、秤にお肉を載っけていって300gとか買われますよね。あの秤って確かなんですかね?」なんて話題を有って、計量法の話とか計量士が半年に一回校正していると言った話、そして計量士のもっている分銅は、そのキログラム原器にどこかで結びついているなんて話をすると、とても身近なものだと思って貰える訳です。
そういう話をもっと一般人が知ってくれると良いななんて思ったりします。
投稿: 技術開発者 | 2008.02.12 08:41
技術開発者 さん。
こんにちは。
コメントありがとうございました。
そうですかぁ。
技術開発者 さんって本当に面白いと言うか素敵です!!!
その奥の深さに私はワクワクしっぱなし(^.^)
〜〜フランスが苦労して1メートルという長さを定め、10cm角の立方体の水の重さから1kgの原器を作った物語なんてのは、一般人に話すと、結構聞いて貰える壮大な物語だったりするんですね。〜〜
あああ、、、面白そう。
私も直にお聞きしたい。
そうですよね、、、
普段、何気なく使っている単位や秤。
疑問ももたずに限りない信頼を寄せているわけですが、
それに至るまでの努力っていっぱい、いっぱいあるんですね。
是非お聞かせください。
楽しみです(^.^)
そして、仰るように多くの方に聞いて頂きたいですね。
私も周りの人に伝えますね(^.^)
投稿: せとともこ | 2008.02.12 13:34
こんにちは、せとさん。
>あああ、、、面白そう。
>私も直にお聞きしたい。
>是非お聞かせください。
話した言葉はその場で消えるから、私なんかは講談というか落語というか、けっこう脚色して(本質は変えない様にですが)話してしまうわけです。「時は18世紀の事でございまして、皆さんご存じのベルサイユのバラのアンドレやオスカルが活躍し、ルイ16世やらマリーアントワネットが断頭台の露と消えたフランス革命のその後の話でございます。フランスは市民の文化が花開きまして、その中で出てきたのが、『どこの国でも、これから先のどの時代でも通用する長さと重さの単位を作ろう』という機運でございました。長さや重さと申しますのは、それぞの場所でまた時代において微妙に変わってまいります。例えば、皆さん一里なんていうとだいたい4Kmと覚えておられますが、中国の漢の時代はだいたい400mくらいでごさいまして、それを知らずに古文書などを読みますと一日で何百キロも走る馬なんかがいる訳です。」なんてね(笑)。
とはいえ、書くと残ってしまいますので、実のところ「嘘が多い」のですよ。フランス革命の後で機運が高まったのは事実ですが、その背景にはフランスの商人が新大陸も含めていろんな所との取引が活発になるわけで、単位系の換算にげんなりしてきたという様な背景もあるわけですね(笑)。そんなのを一々嘘に成らないようにチェックしながら書くととても講談調では書けない訳です。
エッセンスだけなら、wikipediaの「メートル法」とか「キログラム」なんて読めば済むんですけど、なんていうか「どこの国でも、これから先のどの時代でも通用する長さと重さの単位を作ろう」なんて考えた、その時代のフランスの心意気は伝わらない訳です。
メートル法
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AB%E6%B3%95
キログラム
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%A0
日本のキログラム原器はつくばの産総研の第三事業所(旧計量研)にあるわけです。私も原器そのものは見せて貰ったことはなくて、それと重さを合わせたレプリカしか見ていません。メートル原器の方は既に役割が終わっているので見せて貰ったことがあります(ケース越しですけどね:笑)。
投稿: 技術開発者 | 2008.02.12 16:20
技術開発者さん。
こんにちは。
もう笑ってしまいました(^.^)
ああ〜〜あ。
直でお話が聞きたい、、よぉ。
講談で、手振り身振りでお話を聞くことができたらと、想像しています(^.^)
それにしてもフランスだったのですか。
あの活力ある時代の商人の知恵だったのですね。
またまた新しいことに出くわして嬉しく思っています。
これからも、いろんなことお教え下さいね。
では、、、またね♪
投稿: せとともこ | 2008.02.12 18:50
瀬戸さん、こんにちは。
誠実ですか。こそばゆいですね(うれしいですけど)。
たしかに自分(の信条)に対しては忠実であろうと努力はしています。でも、他者の思いに対してはどうだろうか。いつも他人(ひと)の期待を裏切っているような気もします。その度に申し訳けないと反省はするのですが……。
私の自己認識の一つは「天の邪鬼」です。子どもの頃から父や母にに「お前はああいえばこういう」といわれていました。心の中で私は「お父ちゃんだって……」と反論しておりました。
人間は相反するものを心の中にともにもっているのでしょう。だから他者から規定されると「いやそうじゃない」という心の声が湧いてくる。でも、それがあるから人間は変わることができるのでしょうね。
で、もう一つの自己認識が「凝り性」です。「凝り性」の残骸が部屋の中にあふれています(口に出してはいいませんが自分では「集中力がある」といって自分を誉めることにしています)。でも理科とことばについてはずっと凝りつづけるのでしょうね。
ああ、それと「教えたがり」っていう自己認識もありますね。「凝り性」で「教えたがり」――これは他者にとってははた迷惑そのものですね(反省しないといけません。直りはしないでしょうが)。
投稿: シカゴ | 2008.02.13 20:27
技術開発者さん、はじめまして。
メートル法のお話。子どもたちに単位を教えるときにフランス革命の話をします。地球儀をもちだしてバルセロナからダンケルクまで10年近くかかって測ったんだよ、なんて話すと一生懸命聞いています。それとエラトステネス(ギリシャ・エジプト)の話や中国の『周髀算経』(周)や『九章算術』(漢)の話もけっこう面白がって聞いてくれます。
「千里の馬」については、周や魏・西晋では一里≒77メートルの短里が用いられていたという研究もあります。これだと一日に千里(77km)を走る名馬ということになりますから、何の不思議もない現実的な表現です。これを一里≒4km とした秦の長里で解釈すると技術開発者さんがご指摘のような「一日で何百キロも走る馬なんかがいる」という非現実的な話になってしまうわけですね。「一瀉千里」なんていうのも短里で解釈すればそれほどおかしくはない。「白髪三千丈」は詩の一句で大袈裟というより表現上の技巧や比喩表現と考えるべきでしょうが……。
なお、周・魏・西晋の短里については私の敬愛する古田武彦の学説を紹介している『新古代学の扉』↓にいろいろと書いてあります。
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/jfuruta.html
投稿: シカゴ | 2008.02.13 21:13
こんにちは、シカゴさん。
単位系というのは、もともとその国や地域で共通していればそれほど困らないものなんだけど、違う単位系に慣れた人間が、その地域に飛び込むと、とんでもなく不便なんです。もう20年以上も前に新婚旅行でハワイに行って、かみさんの買い物に付き合うたびに私は「歩く円ドル換算器」と化して、お土産店の人が「何ドル」という度に「何円くらいだよ」と換算していたりしましたけどね。
若い時に技術調査団として米国に行って、NBS(あのころはまだNISTではなくて国家標準局だったんですね)で、「我々の開発目標は1200度でこの強度を維持出来る事である」なんてプレゼンしたら「その1200度はセンチグレードか?」と聞きかえされて、「なんでそんな当たり前の事を聞くのだ」と思わず思ってしまったりする訳ですが、向こうの技術者は日常を華氏で過ごしているのだから仕方ない(笑)。単位の換算だけでなく、インチ-フィート間が12進数であったり、ポンド-オンス間が16進数であったりするのは、慣れていないとしょっちゅう間違えたりするんですよね(笑)。私の使っている装置は米国製で、ガス圧をPSI(ポンド/スクエアインチ)で指定しているけど、付けている調圧器は日本製なので、何かある度に電卓を叩いたりしています。
そういう苦労をしていると、「世界中で共通して使える単位系」という事を考えようとした人々の「心意気」というのがとても尊く見えたりするんですよ(笑)。
投稿: 技術開発者 | 2008.02.15 08:39