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2008.04.29

徳島戦

今日のサンフレッチェ広島は徳島に4−1で勝ちました。

今日の試合の私の印象に残った見所は、森崎カズのスーパーなプレーと、
佐藤寿人の最後の入れた4点目です。
カズが戻ってきて、中盤が落ち着き、
安心してみる事が出来ました。
解説者も思わず「うまい!」と唸る程、素敵でした。

また、佐藤くんの最後のゴール。
まぁ、入る時とはそんなものかと思うプレーでした、、、
ふむふむ。


と、言う事で、今日は広島らしいプレーを見る事ができました。

次は3日、山形戦、ホームです。
楽しみにしています。

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2008.04.28

サンフランシスコ講和記念日

今日はサンフランシスコ講和記念日。
1952年の4月28日締結。
事実上の独立国になったと言う事です。

形だけの独立国という感が強い私は、
過去の記事を読んでさらに納得。
53年目の沖縄
旧安保条約

日本とアメリカ。
そして基地。

そんな今日、山口2区に民主党の議員が誕生しました。
基地の町、岩国をかかえるこの選挙区。
今後の基地と平和と言う問題にどのような影響を与える事ができるか、、、
注目です。

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山口補選結果

衆院・山口2区補選は民主公認の平岡氏と言う事で注目の山口補選は、民主党が制しました。
福田政権発足後初の国政選挙。
民主党前職(比例中国ブロック)の平岡秀夫氏(54)が自民党公認=公明党推薦=の新人で元国土交通審議官の山本繁太郎氏(59)を一騎打ちの末に破っての当選。

結果を見て、
そうりゃ、そうだと思います。
75歳以上を差別する後期高齢者医療制度を強行。
ガソリン税の暫定税率復活や高速道路建設を続けるための道路特定財源の復活を主張する政府にノーの声を届ける絶好の機会だった、この補選。
平岡さんの当選の意義は大きい。

だがしかし、
与党は、選挙結果にかかわらず、ガソリン税の暫定税率を復活させる租税特別措置法改定案の再議決をこの30日に強行する方針。

福田内閣の支持率は今や20%を割った今、
自民党のよってたつ「国民の意思」とはなんなのだろうか???
ねぇ、福田さん>

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2008.04.26

熊本戦

今日のサンフレッチェ広島は、今シーズンJ2に昇格してきたロアッソ熊本。
ロアッソというのはイタリア語で「赤」と言う意味だそうです。
阿蘇にもかけた言葉ということで、情熱的な意味です。
チームのエンブレムも素敵。
なによりウエミとユタカがいる。
久しぶりにウエミを見る事が出来るというので、キックオフの前から楽しみにしていました。
ユタカも元気かな?
我が家のマグカップにはウエミやクボッチや兄弟やユタカが今でも健在。


さてさて、そんな熊本との試合。
結果は2−1で勝ちました。
前説の甲府戦では残念な思いをしたのですが、
今日は、「まぁ、勝ちました」という事で、
いちおう、勝ちました、、、

うううう===ん。
こんなんでいいんかね???
監督さん>
と、何回も思いながら見ていた私。
とくに前半。
あきまへぇ〜〜〜ん。
って感じ。
熊本の選手は切れ味がよくシャープでした。
とくに中山くん。
すごかったです。
オフサイドで、なんとかしのいだものの、
綺麗なかたちで攻めて来る相手に、広島はなすすべなく、、、、、
呆然。
こんなんでいいのですか????
監督さん>

後半は、持ち直して、
結局、PKと服部選手の「あたま」で2点をとりました。
しっかし、
しっかし、
しっかし、
だよ。
熊本にとられたオウンゴール。
ううううう====ん。
ううう〜〜〜ん。
唸るしかない。
言いたくないが、
でもいっちゃいます。
木寺選手。
頑張ってくれぇええええええ。
おねがいだから、
飛び出さないでください。
ゴールのまえにいてください。

と、願いながら、
ヤットコサットコの90分。
勝てば良い、と言うもんじゃないよなぁ〜〜〜〜
やっぱり、
もっと質の高い試合をして欲しいと思いながらブツブツ文句を言っていました。
次の試合を楽しみにして。


最後に、
上村選手と高橋選手。
頑張ってください。
応援しているよ!!!
おっと、
一番目はサンフレッチェだから、二番目にですが、
応援していますよ。

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2008.04.25

新学習指導要領 移行措置案

文部科学省は昨日24日、小中学校の新学習指導要領の一部を来年度から先行実施するための移行措置案を公表しました。
ちょっと重いのですが、興味のある方は文科省のホームページでご覧下さい。
文科省は1カ月間の意見募集をへて、5月末か6月上旬に移行措置を公示する方針です。

本来ならば、新指導要領は小学校は2011年度から、中学校は12年度から施行されるのですが、
今回の移行措置はそれ以前に特例として実施する内容を示すもの、つまり「前倒し」という事です。
中身をザッとさらってみると、
「総則」「道徳」などの項目を09年度(来年です)から直ちに適用するとしています。
この「総則」。
改正教育基本法の「目標」とした「愛国心」など国が定めた「徳目を「達成するよう教育を行う」と明記しています。
また、道徳教育の目的として「我が国と郷土を愛」する「日本人を育成」することを掲げ、
「道徳の時間を要として学校の教育活動全体を通じて行う」としています。
さらに各学校で「道徳教育推進教師」を配置します。


道徳。

ううう〜〜〜ん。

個人的は「道徳」は人として必要なものかも、とは思うのですが、
今回の文科省の「それ」は「人の上に国ありき」の感が強くて、
しかも半ば強制ということが非常に気になります。


また、
算数・数学と理科については教育内容の大部分を来年度から前倒しし、授業時間も増やします。
小学校低学年は体育の時間も増加。
と、言う事で小学三年は算数と理科の合計で年間45時間増になります。

このため、小学校では各学年とも現行より週1時間増。
中学校では選択教科などを減らして対応。

「ゆとり教育」導入のときもそうでしたが、
文科省が現場の声を聞かずに断行した場合、綻びはめにみえているんですよね。
なにしろ、今回も書類でのお達しですが、
事実上の教員増員などは配慮されていないのだから、現場の教師にすべて責任がかぶさってきます。

この問題も目が離せません。

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あれから三年

あれから三年が経ったのですね。
福知山線脱線事故
あの時、ひたすら驚き、テレビに見入り、悲しみ、そして日常に潜む危機に対する備えのない恐怖と戸惑いを感じた事を今も覚えています。
その思いを以下のように記しました。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
何と言っていいのか、、、
言葉もない。
亡くなった方の無念を思い、残された家族、知人の方に心からお悔やみ申し上げます。
朝、手を振って行ってらっしゃい、、、と送り出す。
いつもの光景。
一日の経験を重ねて帰って来る。
そんな当然と思っている日常が切り裂かれた、、、
突然。
なんの前触れもなく。
今まで生きていた証を確認する事もなく、もぎ取られていく命。
日常を残したまま、、、逝ってしまった人々。
なぜ?
どうして?
一人ひとりの命と思いを乗せて、いつものように走っている電車が、いきなり宙に舞い、ちぎれていく車体とともに、
遠く帰らぬ人になるなんて、、、
いったい誰が思うだろう。
だれが、そんなことを思いながら毎朝、家族を送り出しているだろう、、、
朝の途切れる事のない忙しさにかまけて、時には声を荒げ、あるいは せかして追い出す日常。
保証されていると思っているのに。
安全だと信じているのに、、、、
なぜ?
どうして?
どこへ この気持ちを持っていけばいいのか?
やりきれない。
亡くなった方、残された者。
それは他人事ではない。
いつ、どこで、だれに起きるのか、、、
改めて日常とは何か。
そこに潜む危険をえぐり出された気がする。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
二度とこのようなことが起きませんようにと言う祈りを込めて書きました。
そして、
事故から一年経った時、
未だ癒えない方々の思いと行政に対して、感じたままの思いを記事に挙げました。

そして、
そして、
もう三年の月日が流れたのですね。
癒やされない遺族や被害者の方々の心と体の痛み。
いかほどでしょう。
亡くなった方の遺族とJRとの補償の話し合いも、昨年末までで示談が成立したのはわずかに二割を超えた段階とききます。
確かに遺された方々にとって、交渉のテーブルに着くことさえためらうものではありますが、
それでも自己責任者はそれにのっからず、積極的に手をさしのべていただきたいものです。
 
また、当時から問題になっていた事故原因。
国土交通省の航空・鉄道事故調査委員会は昨年6月、スピードの出しすぎなど直接的な事故原因に加え、乗務員への懲罰的な「日勤教育」や無理なダイヤ編成、新型ATS(自動列車停止装置)の設置の遅れなどを事故の背景として指摘した最終報告書を発表しました。
やはり、という思いです。
利益優先で安全を二の次とするJR西日本の異常な経営体質が関係者の方を始め、多くのマスコミや機関から批判されたことを思い出します。
「安全」よりも利益優先が浮き彫りになりました。
この大事故は人災であったこと、しかも経営の側の責任が大きい事は明らかにも関わらず、
責任の所在はいまも判然としません。
そんななか、
昨年から今年にかけても、感電事故、除雪作業員の触車事故、塗装作業員の墜落事故などが発生。

昨日のアメリカ輸入肉といい、
マンション耐震偽装といい、
なんだか「信じていた安全」が次第にボロボロになっていく、そんな予感がします。
福田さんのポスター「暮らしに安心」がなぜか寒々しい。

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2008.04.24

寒の戻り日

今日は寒の戻りの特異日です。
4月6日もそうです。
特異日と言うのは、その日に「そのような気候」になることが統計的に多いという日なので、
同じ気候(雨とか晴れとか、台風とか)の特異日が一年に何度かあります。

そのせいか、私の住んでいるところでは、今日は心なしか肌寒い気がします。
花冷えという美しい言葉が当てはまる時期は、どちらかと言うと4月6日ごろ。
今は、季節の花は紫や緑。
それでも、肌に触れる風がひんやりと感じるならば、
大好きな佐保姫は、未だ、まだかと錯覚しそうです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
佐保姫

ねむれる春ようらわかき
かたちをかくすことなかれ
たれこめてのみけふの日を
なべてのひとのすぐすうち
さめての春のすがたこそ
まだ夢のまの風情なれ
 

ねむげの春よさめよ春
さかしきひとのみざるまに
若紫の朝霞
かすみの袖をみにまとへ
はつねうれしきうぐひすの
鳥のしらべをうたへかし
 
(若菜集 島崎藤村)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


季節は行きつ戻りつ、
戻りついきつ、、、、
そんな繰り返しの中で、
ゆっくりと慌てる事なく、やってくるのでしょうか?

人もまた同じなのではと思ったりします。
喜んだり、怒ったり、
失敗したり、成功したり、、、
そんな繰り返しの中で時は移ろうのでしょうか?
以前、法演について記事を書いた事があります。
その折、結びで書いたまとめが、
「繰り返す季節」を思いながら、なんとなく浮かびました。


法演の四戒より
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
1,福を受け尽くすべからず、
   すなわち必ず禍殃をいたす。
2,勢いを使い尽くすべからず、
   勢い尽くすときは、すなわち定めて欺侮に遭う。
3,語言は説き尽くすべからず、
   説き尽くせば、すなわち機密ならず。
4,規矩は行い尽くすべからず、
   行い尽くすときは、衆とどまりがたし。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
中国宋時代の高名な禅の僧、五祖法演の言葉で、
「法演の四戒」と、世には知られています。
4つの順番は、書物によって違うようですが、
意味は、
幸福を求めすぎること、
勢いがありすぎること、
言葉で説き尽くしすぎること、
行いが厳格すぎることを戒めているものです。
「過ぎたるは、なお及ばざるが如し」
という意味でしょうか。
自分の「幸福、損得」を求めすぎない。
自分の価値観を振り回しすぎない。
他人に対して、
「及ばないこと」ばかりに目をやり、
キリキリと相手を追い詰め、
析伏させようとしない。
自分への厳格さを通り越して、
他人にも忠誠を求めすぎない。
「つい、やりすぎになる態度」への戒めです。
含蓄溢れる言葉。
自分自身への自戒をこめて、
「人がひとを判断すること」の難しさを考えてしまいました。

(以前の記事より)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

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米国産牛肉に特定危険部位

うううう〜〜ん。
ナンなんだ、と言うか、やっぱりと言うか。
吉野家向け米国産牛肉に特定危険部位と言うニュース。
ふっ〜〜〜〜〜
このごろため息が多くなりました、実際。
やれやれ。
さて、詳細を見るなら、
農林水産、厚生労働両省は昨日23日、牛丼大手「吉野家」の冷凍倉庫内で、昨年8月に輸入した冷凍の米国産牛肉(ばら肉)700箱(約17トン)のうち一箱に、BSE(牛海綿状脳症)の原因物質が含まれるとされる危険部位の脊柱が見つかったと発表しました。
危険部位が混入していたのは牛肉「ショートロイン」(腰部の肉)です。
また、消費者が米国産牛肉を口にする流通段階で、危険部位が見つかったのも初めてです。
この冷凍牛肉は、大手商社の伊藤忠が米カリフォルニア州のナショナルビーフ社カリフォルニア工場から輸入して、吉野家に納入したものとのこと。
この工場は日本が輸入する牛肉の約2割を供給する最大の出荷元だそうです。
米農務省が発行する証明書がついていましたが、証明書には脊柱を含む「ショートロイン」の記載はなく、月齢も不明だったそうです。
あの時、何度もなんども米国の検査体制について疑問が浮かび上がりました。
月齢なんて分からない、とアメリカ側の主張。そして鵜呑みで受け入れた日本。
しかし、当時も見切りではあったのですが、、、
この輸入条件違反の脊柱の混入は2003年以来二度目。
また二年前の2006年に米産牛肉の輸入を再開して以来初めてです。
その背景として、
昨年の4月、安倍さんの訪米前に、輸入検査体制を大幅緩和し、米国産牛肉の全箱検査から抜き取り検査にする「日米合意」を結びました。
これについても消費団体から「まった!」のい声が上がりましたが、断行。
この結果、昨年8月の輸入時検査で危険部位混入が見逃され、今回の件に至ります。

水際で防ぐってのはどうなったんでしょう???
思い出しますね。
あのときの見切り発車を。
そして昨年の「日米合意」を。
「やっぱり、こうなると思ったよ」と声を出された方も多いかと考えます。
本当にあの折、抗議や疑問が噴出され、未解決のまま、輸入再開だったのです。
政府の責任が改めて問われます。
食の安全、安心よりもアメリカいいなりの我が国の政府。
胃袋はしっかりとアメリカに握られている。
お金もアメリカのためには湯水のように使う。
そして、
最後はアメリカのために「戦争」にまでかり出されるのだろうか???

そんな感じがします。

まずは一つひとつ丁寧に解決していく為に、
今回の問題、大きく声をあげていきたいものです。

以下に過去記事を掲載しておきます。

米産牛肉の輸入条件違反
食の安全
BSE問題

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2008.04.23

学テと夜スペから考えたが

昨日22日全国学力テストが終了。
文部科学省は小学六年生と中学三年生の約232万人を対象にした全国一斉学力テスト(学力・学習状況調査)を行いました。
国語、算数(数学)のテストと、生活習慣や学習環境についてのアンケート調査が昨年同様、実施されました。
今年は、公立では愛知県犬山市の14校が不参加。私立の参加は昨年より約8ポイント少ない53%。
いろいろ物議を醸している全国学力テストですが、
文科省は「実態を把握して指導の改善を図るのが狙い」としています。
しかし、昨年のテストでは、成績の悪い学校の校長が教育委員会に呼び出され、教師が始末書を書かされたという例やテスト対策として直前に類似の問題を繰り返しやらせた学校や教育委員会もあったことが報告されています。
また、採点や集計は企業に委託されており、受験産業にデータが流れることへの批判は今年も出ています。

さてさて、この結果がどのように出るか???
とても関心のあるところですが、
いずれにしても教育に受験産業がノシノシと顔を現してきているようです。
「夜スペ」でおなじみの東京杉並区の和田中学。
ううううう〜〜〜〜ん。
この実態を知れば知るほど、
「教育は金なり」と思ってしまいます。
以前、江原さんの旭川大学講師について、記事を書いた時、「真理を探求するという自らの目的を霊媒師に明け渡すということになります。」と表現しましたが、
今度は「教育の現場を受験産業に明け渡すのか?」と問いたいですね、、、

校長は「伸びようとする子をのばすのだ」と夜スペの意義を語っています。
そして「ふきこぼれ」と言う新しい言葉さえ出てきました。
これは落ちこぼれと言われた言葉の対極にあるようなもの言葉です。
「能力はあるが、自分の能力に見合った環境が現場にない場合は、その環境、例えば塾などで研鑽するという意味でしょうか、、、

落ちこぼれにふきこぼれ、、、
かぁ。
いずれも教育の現場では「みてやんねぇよぉ」という事か。
ふっ〜〜〜〜〜
ため息が吹きこぼれます。

課外授業、夜間授業とはいえ、学校の教室で受験産業が大手をふって授業すると言うのは、
現場の教師たちにとって、どんな影響を与えるのかしらん。
と、一人ザワザワと胸だつ思いで考えたりしています、、、

文科省は和田中学が成功した場合はこの経験をもとに、さらに全国に塾との連携を押し進める方向でいくそうです。

学テと言い、夜スペといい、
子どもたちが子どもらしい興味で勉強する環境がだんだんと狭くなり学校が息苦しいものになっていくように感じます、、、

なんとかならないか?
フッ〜〜〜

TAKESANさんの記事ととむ丸さんの記事が子育てで悩めるあなたにはよく効くかも、、、
お二人の記事を拝見しながら、延長にある教育の現場が抱える問題をさらに考え込みました。

なお以前の記事を掲載しておきますのでお時間のあるおりでもご覧下さい。
全国学力テスト実施前にあたり
全国学力テスト その1
全国学力テスト その2
全国学力テスト その3
全国学力テスト その4

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2008.04.22

ジャック・デロシュの日記

ジャック・デロシュの日記と言う本、
日本では余り知られていません。

〜〜〜〜祖父母の隠された過去を偶然知ったエマは、悩みながらも真実を探ろうとするが…。古くて新しいホロコーストの問題に、「拒食症の女の子」という現代的なテーマを組み合わせ、14もの海外文学賞を受賞した衝撃の物語。〜〜〜〜
と言うのがAmazonの商品説明です。
確かに、衝撃的な内容に、
この本を児童書として推薦していいのかどうか悩んだ読書サークルもあったりしました。
まぁ、重いです。


以前「ナゲキバト」を紹介したことがありますが「ジャック・デロシュの日記」も、同様に突き詰めれば「生きる」と言うことなのだと思います。
背景は先の戦争と現代。
交錯する時代に、それぞれが抱える「生きる」と言うことの意味。
刻限状態に人はどうするか?
そして、
生と死が眼前にないとき、人は何を拠り所にするのか???

考えます。

もう一つ先に、今日出た山口の判決についてチョット書きましたが、
なんだか、交錯します。

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判決

重い判決が出ました。
光母子殺害の判決が今日言い渡されました。
当時18歳の少年は今は27歳。
9年の歳月が流れました、、、
彼らの中で、この9年という年月はどの様に流れたか、
私はわかりません。
時間は、傷を癒してくれるはずがない、
時は罪を贖ってはくれない、、、
と、言うことでしょうか。
私も過去にこの事件についてエントリーを挙げました。
また時計じかけのオレンジ 再考と言う記事を2006年の7月に書き、その中でもこの事件について語りました。
結びとして、以下のように書きました。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
監督のメッセジーは何か
犯罪者が人権を保障されるとき、私たちも、その社会で人権が守られる。
キューブリックは、この映画で時代に問題を投げかけ、
そして問うた。
答えを出すのはその時々の「我々」です。
今、私たちは問いを投げかけられています。
主人公のような人格さえ認める社会と、
犯罪者は徹底的に洗脳・精神的な去勢する社会といずれが健全な社会かと。

この様に、たたみかけていると私は思いました。

あなたは、どう思われますか?

私は、社会が守るべき者は「すべからく」人権ではと考えます。
犯罪者になんの人権ぞと思う社会は、
一般人の人権にも冷たいと思います。

法律は罪は裁くが人は裁けない。
ならば、社会そのものが、子どもからお年寄りまで人権を守り、敬意を表する、そんな時代を作ることに努力していけたらと、、、と願いながら。
(過去の記事より)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


今日、
原告本村さんの最後の言葉が、ますます重くのしかかります。
=================
本村 決して喜ばしいことではないと思っています。厳粛な気持ちでこの裁判所の判決を受け止めています。遺族としては当然、応報感情を満たされたわけですから、報われる思いはありますが、社会にとってみれば、私の妻と娘、そして被告人の3人の命が奪われる結果となったわけです。これは社会にとって不利益なことです。

 私はこの事件にあってからいろいろ考えておりますけれど、やはり刑法っていうものは社会秩序を維持するための目的を達するための手段だと思っています。死刑という大変重い判断が下されましたが、これで終わるのではなくて、私たち遺族もこの重い判決を受けて真っ当に生きていかなければいけないと思いますし、社会のみなさまにも、どうすれば犯罪の被害者も加害者も生まない社会を作るのか、どうすればこういう死刑という残虐な、残酷な判決を下さない社会ができるのかを考える契機にならなければ、私の妻と娘も、そして被告人も犬死だと思っています。死刑の存廃等の問題が騒がれるようになるかもしれませんけど、刑罰はどうすれば私たちが安全な環境を作れるかということを考える契機にならなくてはいけないと思いますので、そういった方に社会が向いていくことを望みます。

(上記ニュースより)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「刑罰はどうすれば私たちが安全な環境を作れるかということを考える契機にならなくてはいけない」。
本当に。
本当に、、、
安全な環境を作るために私たちはどうすればいいのか???
それは決して刑罰に頼ることだけではないのだろうと、今は漠然と思います。

それにしても、この判決。
いずれの場合であっても辛かった。

今、やはり辛い。

間違いないなく私に出来ることは、
亡くなった方のご冥福を祈ることと、遺る方々が今後、幸せに(本当にはやく)なっていただくことを願う事。
もう一つは、
死刑の是非をも含め、安全な社会を作るために如何にあるか、何ができるかをこれからさらに考えていくこと。
この二つです。

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2008.04.21

甲府戦

昨日は負けてしまいました。
サンフレッチェ広島。

あああ〜〜〜残念。
甲府に1−2で負けた試合。
思い起こせば、腹立たしいが、まぁ、そうも言っていられないので、
イヤぁ、、、だけれど、思い出して、ちょっと書きます。

広島は甲府にひょっとしたら苦手意識があるのでは?
と、思ってドキドキしながらキックオフをまちました。
その心配を払拭するように立ち上がりはサンフレッチェ、とても動きがよくて「いいじゃないですか」。
そして4分、李のクロスをファーサイドで佐藤寿へ、
さらに戻したボールに服部が走り込んでシュート。
ボールは流線を描いてゴールに吸い込まれました。
やった!!!!
やった!!!

我が家に雄叫びがはしります。

やった。
が、
それもつかのま。
7分にジョジマールに、
25分、FKのボールをゴール前で秋本に合わせられ逆転。
1−2。
広島は立て直しをはかろうと、頑張ったのですが、
甲府の鉄の守りに、せめる事は出来ず、
終わってみれば1−2。

うううう〜〜〜ん。
何が悪かったのかね?
と、挙げればいろいろあるのですが、、、

それは、さておき、どうしてベンチに久保がいなかったのか?
これが残念でなりません。

広島の選手も、前説のセレッソ戦での勝利の運を、
ここで、断ち切らないために、今一度精進。精進。
まだ運はある。
その運を呼び込む実力は言うまでもありません。
(精神的に弱いのがちょっと問題かな?)
あと、一つは戦術の見直しなどもあるのかと考えますが、
これは首脳陣が考えている物と思うので、
私はこれからも、ひたすらサンフレッチェの応援。
スタジアムにいかれたみなさん。おつかれさまでした。

めげるな!広島。
頑張れ!!!
広島。

さ〜〜〜んふれっちぇ。
ちゃちゃ、、、ちゃちゃ。

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2008.04.18

自衛隊イラク派兵差し止め訴訟判決

画期的な判決が出ました。
イラク空自違憲の判断 政府の理屈の矛盾突くと言うニュース。
愛知県などの住民ら1122人が自衛隊のイラク派兵は違憲だとして差し止めを求めた「自衛隊イラク派兵差止訴訟」(原告・池住義憲氏ほか)の控訴審判決が昨日17日、名古屋高裁でありました。

すごい!!!
これに関してはお玉さん津久井さんが詳しく書かれています。
それにしても、凄い!!!
私は強いられたくない。加害者としての立場をと言うサイトにこの控訴について訴訟の会が裁判日程、その他を掲載されています。
是非ご覧ください。


 「イラク特措法が合憲であったとしても、活動地域を非戦闘地域に限定した同法に違反し、憲法9条に違反する活動を含んでいる」

うううう〜〜〜ん。
もう一度。
「イラク特措法が合憲であったとしても、活動地域を非戦闘地域に限定した同法に違反し、憲法9条に違反する活動を含んでいる」

9条違反の違憲性が明確に述べられています。

そこで、憲法9条を確認!
第一項 「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」
そうです。
そうです。
非戦闘地域という言葉を聞くと、山本一太さんや小泉さんを思い出すのですが、(「自衛隊は非戦闘地域しかいきません。
自衛隊が行っているということはサマワは非戦闘地域です。」)
今、問題になっているバグダッドは非戦闘地域と言う強弁は裁判には通じないようです。

さらに詳しく判決を見るならば、
米兵などを輸送する「航空自衛隊の空輸活動は憲法違反」
「平和的生存権は、憲法上の法的権利」
とのこと。
また、
「現在のイラクでは、国際的な武力紛争が行われている」と明言。
これが重要なキーです。
さらにさらに、
現在行われている航空自衛隊の武装兵員空輸活動は、「他国による武力行使と一体化した行動」と指摘。
「武力行使を禁止したイラク特措法二条二項、活動地域を非戦闘地域に限定した同条三項に違反し、かつ憲法九条一項に違反する活動を含んでいることが認められる」とのこと。
そして、憲法へと進みます。
憲法前文の平和的生存権は
「憲法上の法的な権利と認められるべきだ」として、「九条に違反する戦争の遂行等への加担・協力を強制されるような場合には、裁判所に救済を求めることができる」と明言。

本当に画期的な裁判です。

過去に、自衛隊イラク派兵差し止め訴訟は、
札幌、仙台、宇都宮、東京、甲府、静岡、名古屋、京都、大阪、岡山、熊本の各地裁で提訴。
原告は計5700人。
最初の判決は2005年月の東京地裁で、憲法判断に踏み込まないまま、違憲確認の訴えを却下。
と言うことで今回の判決が如何に画期的かと今更ながら思います。
派兵差し止めと慰謝料請求の訴えは棄却ということもありましたが、
憲法9条がドーーンと光る素晴らしい判決だったということを記載しておきます。

 憲法第九条第一項 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

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2008.04.17

私学の行方その3

先日、wdさんから立命館大学の新設学部の定員問題についてコメントを頂きました。
また内田樹の研究室でも大学はビジネスなのか?と言うエントリーで内田さんは私立大学の経営について言及。
さらにコメント欄で皆さんが詳細に分析。
読めば読むほど、大学当局がビジネスに走り(まぁ、これは仕方ないとは言え)
本来の学問が横に置かれていく状況がすすみつつあるようで、ため息。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「大学経営」にはむろんビジネスマインドが必要である。
大学がつぶれたら教育はできないからである。
けれども、教育活動を続けるために経営の工夫をすることと、より大きな収益を上げるために教育活動に工夫を凝らすことはまるで別のことである。
そのことに気づかない人々に教育を語って欲しくない。
(内田樹)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
私としては珍しく(?)内田さんに同意。
そう言えば以前、話題にした江原さん。旭川大学の講師を辞退なさったそうです。
これだって、旭川大学にしたら江原さんは「人寄せパンダ」で、突き詰めれば私大経営になるんでしょう。

私立大学の経営困難は、即、学生の授業料に反映されるわけです。
これは受益者負担という考えが根強いからです。
一例を挙げるなら、
医師養成の学部(医学部)は私立大学では6年間で平均3000万円から4000万円の学費が必要とされています。将来医師になるということで利益に対する負担を求める、つまり経営・経済の論理が働いているからです。
人命をあずかるという最も公的な仕事が、利益で支配されるとき、
そこには経済の格差がドーンとたちはだかり、然るべき能力が発掘されないまま終わる可能性もあります。
残念なことです。
大学の自治、学問・思想の自由、そして教育・研究の機会均等をもとめ、
さらに私学の学生・保護者の経費負担減をはかるために1974年に私立学校振興助成法が成立。
国庫助成運動や2006年問題留保撤回運動など課題は満載です。
が、私学の教育・研究の充実を目指す事は、なによりも社会への貢献、利益の還元であると私は考えます。
今、日本は各先端技術で世界のトップの座を明け渡しつつあります。
またOECD学力テストでも不満な結果に終わりました。
少しづつ、日本の公教育、高等教育が崩れていく予感がします。
今なら間に合う。
今なら、まだ次代の子等に伝えることが出来ると思います。
日本がずっと誇ってきた「教育の灯」を。
さらにこの問題、検討を重ねていきたいと思います。

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2008.04.16

私学の行方その2

昨日に引き続き深刻な私学情勢について、
今回は「2006年問題」を中心にみていきます。
1966年に国連総会で採択された国際人権A規約の十三条二項(C)では
「高等教育は…無償教育の漸進的な導入により、能力に応じ、すべての者に対して均等に機会が与えられるものとすること」と定めています。
日本政府も同規約を1979年に批准。
しかし同項は留保されたままです(批准はしたが留保や実効されていない条約って結構ありますねぇ)。
こうした国は日本、マダガスカル、ルワンダの三国だけです。
先進国・欧米諸国では、学費は無償か安価で、奨学金も返還義務のない「給付制」が主流です。ドイツでは、基本的に無償で、学生登録料が約2万円。フランスでも、大学はほぼすべて国立で、無償になっている。学籍登録料1.4万円。フランスの「第3千年期の大学計画」「学生福祉計画」には、さらに給与奨学金を増額する、学籍登録料の免除、学生寮の増設など学生の利益を考えた計画を決めているそうです。「授業料」のある国であっても、イギリスでは学生の43%が免除、14%が減額措置をうけています。入学金は無い。授業料は「後払い制」といって卒業後に年間所得が315万円以上になれば支払う、返済額は所得によるというユニークな制度だそうです。アメリカでは、私立大はたしかに高いのですが、学生の 73%が通う州立大は授業料50万円、入学金は無し。しかも7割以上の学生が奨学金をうけ、学生のいる家庭には12万〜18万円の減税措置がされているそうです。
しかし、日本は高等教育機関の私費負担割合が56・9%と、OECD加盟二十六カ国中三番目の高さです。各国平均21・8%より極めて高く、高等教育をうける権利保障という面で後進国となっています。
経済大国・先進国でありながら批准後22年経ってもいまだ留保と言うことで、ついに2001年の国連社会権規約委員会で問題となり、同委員会は、日本政府に対し、「高等教育の漸進的な無償化」条項の留保の撤回を検討することを勧告。
2006年6月末までに勧告にもとづいてどういう措置をとったのか、NGOや市民とどのような協議をしたのか、報告を要請しています。
これがいわゆる「2006年問題」です。
注目された2006年はとうに過ぎ、政府は無回答のママです。
また、
国連・児童の権利委員会からも1998年と2004年に勧告がありました。
日本では競争教育で子どもの発達が妨げられているということに加え、「高等教育への進学に貧困家庭の子どもが不利に」なっている、平等にアクセスできるようにしなさい、という勧告です。
親の負担は先進国でも群を抜いている日本です。
その背景には、昨日も書いたように国の私学助成が減少の一途をたどっていることもあります。
この問題はさらに続けて検討していきます。

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2008.04.15

私学の行方

少子高齢化が叫ばれ久しくなりました。
各方面でこの言葉の煽りを受けているわけですが、一番影響を受けている場は、やはり教育の現場です。
昨日14日、新設学部で定員オーバー、転部認める 立命館大と言うニュースを読みながら私立大学の経営について考え込みました。
今日現在、私立大学は学校数76.2%、学生数73.7%教員数55.3%です。
これに私立短期大学を含めると圧倒的多数の学生・教員が私立大学に依存しています。
しかるに私立大学の経営状態は年々悪化の一途をたどっています。
山口県萩国際大学が民事再生法適用になったのはまだ記憶に新しい出来事です。
酒田短期大学の解散なども思い出します。
私立大学は収入の大半は入学生の学校納付金と志願者の受験料です。私学助成金は経常経費の12.2%くらいです。
私学にとっては学生数が多いことは即経営に結びつきます。今回の立命館の問題も、大学当局にしてみれば少しでも多くの学生に入学してもらいたかったのでしょう。
この問題、ひとり立命館大学の問題ではありません。
私学が、あるいは公立・国立大学が次第に経営という名の元に学問が切り捨てられる状況が進みつつあるようです。
日本の高等教育政策史の検討を試みるならば、
三つの時期が特徴的です。
一つは明治以来の軍事国家による帝国大学中心の複線型高等教育体系。
もう一つは日本国憲法に保障されている国民の教育権が保障された時期。
そして三つ目は1980年代以降の中教審・臨教審答申以降の教育です。
とくに私立大学は臨教審答申の「21世紀にむけて教育を考える」に沿って大学像が制限・規制された感があります。
そして予算についても「特色ある大学」「個性ある大学」に支援がつく仕組みが出来上がります。
これは結果、大学自身の自治を奪い、
開かれた大学、学問の自由を阻む役割を担いました。

危機に瀕する私立大学の姿は、
やがて公共教育全体へと移行する姿でもあります。
教育を守り学問の自由を保障するために、
国は私学の経営にもっと補助することを願ってやみません。

この問題、さらに今後も検討していきます。

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今日から天引き

天引き年金、通帳見て高齢者怒りと言うニュース。
う====む。
そうだろうな。
想像に難くありません。
取るものだけはバッチリとる。
しかもとれるところから。

保障するところはちっとも保障しない。
しかも一番必要とされるところを、、、


本当に「かわいそうな国民」。
かわいそうになりませんか?福田さん>
かわいそうなくらい苦労していると自らを称する総理。
何故、かわいそうかと考えるなら、背後に国民の支持がないからです。
そりゃ、こんな身ぐるみはぐような政策をしていたら、
国民の支持はあおげません。
支持がなければ同胞からも、野党からも愛想尽かし。

にっちもさっちもいかない現政権です。

福田総理に今、できることは一つ。
国民の目線にたって、
やさしい政治、思いやりのある政治を断行することしかありません。
決してお年寄りから医療費を巻きあげるような政治をしてはなりません!!!

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2008.04.14

OWNゴールを超えて

久しぶりにスカッとする試合を観ました。
昨日ビッグアーチで行われたC大阪戦。
4-1でセレッソに快勝。
ストヤンが戻ってきて、DFも落ち着きを取り戻したのか、
前半のセレッソの猛攻に耐えに耐えました。
その後、広島は22分。
こぼれ球を拾った森崎浩がドリブル→高萩がダイレクトでこのボールをゴールにめがけて叩き込み、
先制点!!!
おおおお〜〜〜〜〜
今日はやるぞ。
と予感。
が、前半終了ちかくに槙野がOWNゴールで1−1になりました。
うううう、、、ん。
どうなるか広島。
岐阜戦が頭によぎります。
責任を感じたのか槙野がその後、八面六臂、あちこちに顔を出します。
槙野の必死さがテレビからも伝わります。
OWNゴールした選手って、皆同じ思いなのでしょうね。

そんな中で後半に突入。
キャプテンの佐藤は、責任あるプレーを攻撃に、守りにとみせます。
いつでも佐藤がいます。
ボールのそばに。
その佐藤のそばに広島の選手がみないます。
そして、後半早々。
高萩が相手ボールをカット→服部がクロス→佐藤寿が頭で決めてゴール!!!
2−1。
その後、森脇君。佐藤選手の2点目と入り、
4−1で広島は勝ちました。

携帯サイトの情報によると、
槙野選手のOWNゴールの後、選手自らが、声を掛け合い、はげましあって、
落ちかけた流れを変えたそうです。
選手たちは昨年、十分に気持の大切さを学びました。
どんなに技術があっても、能力が高くても、
全員の気持が一つになり勝利にむかわなければ、女神は微笑まないことを身をもって、
キリキリの思いで体験しました。
今年、J2で戦うことになり、
選手たちにとって一番の「壁」は己の気持であることを認識している筈です。
彼らは難局に出会い、如何にそれを乗り越えるかを全員ひとつになって、
ことにあたったのです。
そして、昨日の勝利があったのです!!!
この勝利の意味するところは実に大きい。
大きい。

本当によかった。

今後もいろんなことにあうと思います。
だがしかし、
一つひとつの試合に全力で向かって下さい。

応援しています!!!

なお、雨の中、スタジアムに行かれたサポーター、ファンの皆さん。
お疲れさまでした。
テレビで観ている私にも歓声は伝わりましたよ!!!

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2008.04.11

かわいそうなのは誰でしょう?

特集ワイド:この国はどこへ行こうとしているのか 多田富雄さんと言う記事を読んで、胸が詰まりました。
免疫学者で名だたる多田さんが脳梗塞で倒れ、半身不随になったのは7年前。
生還するも車いす生活。
当然、医療とは切り離す事のできない生活がはじます。
そして小泉内閣、つづいて、つづいて今回の福田内閣と、医療はドンドン国民から遠ざかり、
税金だけが膨らんでくるような暮らしが余儀なくされてきました。
「後期高齢者」、改めて長寿医療制度だそうです。
笑っちゃいます。
長寿だそうです、後期高齢者じゃ受けないと言う事で。
以前のサービス残業なんて言葉を思い出しますが、言葉を変えても中身は酷薄であることは言うまでもありません。
保険証6万人未着・後期高齢者医療、厚労相「準備遅れ」とモタモタしていますが、
国民から天引き、取り上げていく仕組みだけはしっかりとしています。
「鳴かないように毛をむしられる」羊の私たち国民。

本当に、この国はどこへいくのか?
誰もが思います。
総理はご自分の事を「かわいそう」呼ばわりされましたが、
もう、そんなかわいそうと自分を見つめる余裕もない国民。
総理は国民がかわいそうとは思われないのでしょうか?
ねぇ????
かわいそうなのは誰でしょうか???

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表現、言論の自由と稲田議員

一年前に「国会議員は選良」と言ったあの人が、またまた話題の中心人物です。
そう、その話題とは映画「靖国 YASUKUNI」です。
中心人物は稲田朋美さん。
この問題に関しては、お玉さんをはじめとして、発端からそうそうに多くのブログで取り上げられています。(今は有村さんが話題をかさっらていますが、、、)
私も当初から関心を持って、いろいろ拝見しながら学ばせていただいています。
とくにお玉さんは時系列で、時々の話題や課題を展開して下さいます。
エントリーもさることながらコメントもいろんな立場の方から寄せられていて、考えさせられます。
さて、この映画。
本来なら明日12日劇場公開だったそうですが、
延期になり5月に「とある劇場」(名前は未定)で公開されるそうです。
昨日は昨日でリ・イン監督、田原総一朗らが抗議「靖国 YASUKUNI」緊急記者会見などがあったようです。
これに先立ち稲田さんもご自分のホームページで「お知らせ」として、映画「靖国」の助成金問題について書かれています。
稲田さんは稲田さんの立場、つまり政治信条として今回の映画「靖国」の助成金問題について税金投入はおかしい、、、と考え、それを問題にした、との事だそうです。
上のお知らせの冒頭は以下のように始まります。
「表現の自由、言論の自由が保障されているわが国で、どのような政治的、宗教的宣伝意図のある映画を制作し公開しようと自由である。日本は政治的圧力により映画の上映を禁止し、書物を発禁にするような非民主主義国家ではない。」
本当にそうです!!!
そうです。
そうです、稲田さん。
もう一度、おさらい。
「日本は政治的圧力により映画の上映を禁止し、書物を発禁にするような非民主主義国家ではない。」
日本はそんな国ではありません。
また、そんな国にしてはなりません。

途中、稲田さんはお知らせの中で、映画「靖国」に対するご自分の評価を縷々述べられます。
これは、稲田さん個人のものですから、私はここでは検証と言及はしません。
が、
最後に稲田さんは次のように締められています。
「私は弁護士出身の政治家として、民主政の根幹である表現の自由を誰よりも大切に考えている。
中略
表現や言論は自由であり、最大限尊重されなくてはならないのは当然だが、そのことを理由に税金の使われ方の妥当性を検証する政治家の言論の自由を封殺しようとすることは背理である。」
と。

ここへきて、私は稲田さんが「表現の自由」「言論の自由」を乱打することへの違和感がモクモク、ワクワクと湧いてくるのです。
およそ似つかわしくない言葉。
「言論や表現の自由」。
いえね。
他の人がそのように言われるのなら、軽く笑えるのですが、
稲田さんが言われたら、私は凍り付きます。

一年前、私は貴女の夫婦別姓論議
夫婦別姓論議 その2と二回にわたり貴女の論理について書きました。
ここでは私は貴女から言論や表現の自由という考えを一切よみとることはできませんでした。
むしろ表現や言論の統制、国家への吸収という考えしか浮かびだせなかったのです。
そんな貴女が今、言う。
「政治家の表現の自由を規制していいのか」と。
もちろん、いけません。
いいはずがありません。
だがしかし、
同様に国民にも言論や表現の自由はあります。
夫婦別姓。
これは表現の自由ではないのでしょうか???
稲田さん>


さて、
今回の問題に立ち返るならば、
稲田さんはお知らせでも言われているように、あくまで税金の問題として、
映画「靖国」を上映する方向に積極的に行動なさればいいのではと考えます。
されば、皆、「あっっ、稲田さんは純粋に税金だけを問題にしていたのだな、、、」と思います。
税金の使途については、国民としても、おおいに国民のために税金を使っていただきたいと願っていますから、
映画云々だけでなく、道路特定財源やら、消費税やら、医療費やら、やらやら国民の声を聞いてください。
ぜひ、選良としてご活躍ください。
ところで、もう一度確認。
選良とは?
優れて優秀な人々、国会議員のことです。
しつこく、もう一度。
優れて優秀な人々、国会議員のこと。


いずれにしても、
稲田さんのお知らせの冒頭はありがたい。
「表現の自由、言論の自由が保障されているわが国で、どのような政治的、宗教的宣伝意図のある映画を制作し公開しようと自由である。日本は政治的圧力により映画の上映を禁止し、書物を発禁にするような非民主主義国家ではない。」
含蓄のある言葉です!!!

さてさて、
表現や言論の自由とは何か???
本当に考えさせられる今回の問題。
今後の成り行きに注目です。

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2008.04.10

女性の日

今日は女性の日です。
戦後初の総選挙が1946年の4月10日に行われ、初めて婦人参政権が行使されました。
このとき89人の女性が立候補し39人が当選したそうです。
参政権と一口に言っても、その権利を獲得するまでに長い道のりが必要とされました。

日本で普通選挙が実現したのは、1925年(大正14)です。
しかし、参政権が付与されたのは男性のみ。
平塚らいてうの青鞜社結成を機に、
平塚と市川房枝、奥むめおらによる新婦人協会(1919(大正8)年)の誕生。
ガントレット恒子、久布白落実らによる日本婦人参政権協会などが婦人参政権運動を展開。
そして、
婦人参政同盟(1923年・大正12)、婦人参政権獲得期成同盟会(1924年・大正13、後に婦選獲得同盟と改称)が結成、さらに運動は進みます。
が、事態は容易には進まず、、、
1931年には婦人参政権を条件付で認める法案が衆議院を通過するが、貴族院の猛反対で廃案に追い込まれたりと一進一退。
その後、太平洋戦争へ突入。
そして、ようやく日の目を見たのは、
第二次世界大戦後の1945年10月10日幣原内閣で婦人参政権に関する閣議決定がなされた時です。
その前後にも市川さんをはじめとして多くの先輩たちの努力により、
1946年(昭和21)4月10日の戦後初の衆議院選挙の結果、日本初の女性議員39名が誕生する運びになったのです!!!。
今日4月10日はそんな日です。
そしてこの日を「婦人の日」としましたが、1998年から「女性週間」と名称が変更されました。

婦人も参政権を要求すと力の限り訴えた与謝野晶子。
晶子が好きで、友人と何回も読書会をしました。
晶子の人生はあまりに華やかで激しくて真摯で、私は触れるたびにクラクラするのです。
が、
女性の権利を考える時、いつも思いだすのです。
晶子が求めてやまなかったもの。
山が動くこと。
なのでしょねぇ、、、

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
そぞろごと
山の動く日来(きた)る。
かく云えども人われを信ぜじ。
山は姑(しばら)く眠りしのみ。
その昔に於て
山は皆火に燃えて動きしものを。
されど、そは信ぜずともよし。
人よ、ああ、唯これを信ぜよ。
すべて眠りし女(おなご)今ぞ目覚めて動くなる。
一人称(いちにんしょう)にてのみ物書かばや。
われは女(おなご)ぞ。
一人称にてのみ物書かばや。
われは、われは。
額(ひたい)にも肩にも
わが髪ぞほつるる
しおたれて湯瀧(ゆだき)に打たるるこころもち、
ほとつくため息は火の如く且つ狂おし。
かかること知らぬ男。
われを褒め、やがてまた譏(そし)るらん。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

一人称で物をかくこと。
参政権をえること。
そして、男性同様に社会に貢献していく権利や社会から与えられる諸々の評価を得る事、、、、
などなど、歌人は力をこめて、言葉にしました。
今、よみかえすに、
すぐれて新しい。


私たちは先輩たちの熱い思いと、努力を次代の子らに受け渡す必要があります。
まだまだ、働く女性の権利は確立していない。
さらに生む性である母性についても十分な環境にはありません。
女性が女性として、
男性が男性として、
そして人間が人間として品位が保障されるそんな社会を目指したいと新たに思う今日4月10日。
「女性の日」。


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2008.04.08

自灯明

今日はお釈迦様の誕生日と言う事で、
花祭り。
過去の記事を見たら、灌仏会
花祭りと言うエントリーを挙げていました。
淡いピンクの花と霞につつまれ、なんと時間がゆったりと流れるような春八日の今日。
釈迦と言えば私が思い出すのはやはり「自灯明 法灯明」です。
この言葉、釈迦入滅の最後の言葉と言う事で、誕生日の今日には似つかわしくないのですが、
そこはお釈迦様に勘弁していただいて、
「自灯明 法灯明」についてつらつらと今日は書きます。

意味は字の如くです。
「ただみずからを灯明とし、みずからを依処として、他人を依処とせず、法を灯明とし、法を依処として、他を依処とすること」。

読めば読むほど心にしみ入る言葉です。
〜〜〜ただみずからを灯明とし、みずからを依処として、他人を依処とせず〜〜〜〜
ううう===ん。
何か大きな壁にぶつかるとオロオロになって、自分の判断に自信がなくなり、
人に相談したり、人の言う事に無条件に従う。
そんな人間の当たり前の弱さを釈迦は弟子たちに戒め、
自分を信じろ、自分の思いや理性や感性を信じろと励ましたのです。
そして、
それが些か思い込みにならないように理法とともにありなさい、と教える事も忘れませんでした。

私は今、この言葉の持つ意味が大きい時代になっていると思います。
いろんな意味で、価値観が揺れ動き、
何を判断の基準にすればいいのか見えにくくなり、
ともすればしゃがみ込んでしまいそうな時代。
簡単で手軽で甘い言葉がすぐそこにあったら、迷わず身を投げ入れてしまいそうな時代。
自分で考えるより、誰かに考えてもらって、インスタントコーヒーのようにお手軽においしいところだけ頂こう、、、
とかとか。
そんな時代でも、やっぱり最後は自分。
自分の頭で考えて、自分の心で感じて、自分の足で立つ。
拠り所は自分です。
最後はそれしかない!
自分なんだよ。
決して霊や占いや、そんな何かではなくて、自分の人生を支配するのは自分だということを釈迦は教えているのでしょうね。

生きて行くという事は、そう単純ではなく、正しいかそうでないか、
今は分からない保留のことって山ほどあります。
だから、自分の思いや感性だけにしがみつく事は、これはこれで危険であることは言うまでもありません。
釈迦はそこで法灯明を教えています。
理に適うということを、理に従うという事を大切にしなさいと。
今なら、「科学」という言葉に収斂される学問のあれこれでしょうか。
そこには偽物のはいる余地はありません。
偽物????
そうですね。
人が人であるという前提を失わせるものが偽物だと私は思います。
水にありがとう、、、もそうです。
血液型性格判断もそうです。
水や血液や、霊に判断を仰ぐという考えは、
人間から考える事を失わせるものと私は思います。

人は人であるために、
己の判断を自分以外の物に譲り渡してはならない。
と、釈迦は言われたのではないでしょうか?


ともあれ、
今日は花祭り。

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2008.04.07

何というのかイイトコなしって感想

ううううう〜〜〜ん。
昨日の試合は厳しい。
サンフレッチェ広島ー岐阜戦は1−1の同点。
うううう〜〜〜ん。
いいところなし、って言うのが正直な感想です。
色んなサイトやブログをみても、手厳しい。
そりゃそうだよな〜〜〜〜
サポーター、お怒りです。
ファンはガッカリです。

と、言うことで今回のエントリーは
愚痴直球です。
では、はじめぇ↓

何というのか迫力がないというか気合いがないと言うか、
やる気がないというのか、
そんな試合でした。
前節の水戸戦も同点だったのですが、あの試合は2人少ないうえ、追いついたという劇的な流れで、
気分上々で終わったのですが、
今節の岐阜戦は負けた気分。

ペトロヴィッチ監督(広島)記者会見コメント [ J's GOAL ]の監督のコメントを読んで、さらに?????です。
なんだかな〜〜〜〜
そりゃ、誰だってストヤンがいないから試合運びが苦しくなることは分かっていたし、実際、試合後の感想も「やっぱりストヤン」だったんだけれど、、、
監督が言うのは、なんだかなぁ。

と、苦々しい思いをしながらも、
一試合、ひとしあいの勝ち負けにウオッ〜〜〜〜うおっって叫びながらも、
今節も広島とともに進もうと思っている私。

最後に岐阜のみなさんへ、
岐阜の選手の皆さんって実に気合いの入った最後まで緊張のきれない試合運びだった思いました。
教えていただくこと大のこの試合でした。
これからもお互いに頑張りましょうね!

と、言うことで広島。
次は頼むよ!!!
応援しているからね〜〜〜〜

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2008.04.05

桜の春

やっぱり桜は美しい。
満開の桜を見れば心がワクワクと踊ります。
先日も哲学の道沿いのあの関雪桜の並木を見ながらため息をついていました。
以前は桜よりも梅の方が好きだったのですが、このごろは桜の潔さも捨てがたいものがあるなと思っています。
二年前は桜満開と言うエントリーで岡本かの子と桜について書きました。
また、桜と言えばやはり西行
そう、西行が好きだから桜がすきなのかもしれない、、、

桜は、華やかであるがゆえに儚くて、
儚いがために、いつまでもその残像が人の心に残るのでしょうか?

今日4月5日は三好達治の命日。
三好と言えば、四行詩が面白い。
が、なかなか乙女チックな詩も残しています。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
甃のうへ


あはれ花びらながれ
をみなごに花びらながれ
をみなごしめやかに語らひあゆみ
うららかの跫音(あしおと)空にながれ
をりふしに瞳をあげて
翳りなきみ寺の春をすぎゆくなり
み寺の甍みどりにうるほひ
廂々(ひさしひさし)に

風鐸(ふうたく)のすがたしづかなれば
ひとりなる
わが身の影をあゆまする甃(いし)のうへ

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
私が初めてこの詩を読んだ時、
かわいい乙女のイラストが載っていて、まるでジュリエットのようでした。
本当は、三好が詠んだ乙女は和服のはずなのに、、、
それは、ともかく乙女にハラハラと降る花は桜なのでしょうね。
この詩は、詠めば詠むほど、物悲しくて、次第に音が消えていくようなそんな感覚がします。
風鐸さえ音をひそめ、石の上に映る影に、時間の流れさえ遠慮しているようです。

春とは、こんな季節なのでしょうか???
桜は実に春に似つかわしい。

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2008.04.04

卒業文集に瑕疵アリ

<卒業文集>「官邸に放火しそうな生徒」ランク付け 山梨 と言うニュース。
うううう〜〜〜ん。
ニュースにもあるように担任は何をしていたのか?
と首を傾げます。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
学校側は「冗談のつもりだったが、配慮が足らなかった」として、名前が掲載された生徒に謝罪したが、文集は回収しなかった。
(上記ニュースより)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

そりゃ。そうでしょう。
「冗談のつもりだった」って。
本気でした。なんて回答された日にゃ、どうすればいい???と一人突っ込む私。

あのね。
問題は「冗談のつもり」と言えば許されるかってことで、
そりゃ許されないよね。
尤も、子どもたちは軽い冗談で、いつもの「のり」だったのかもしれないが、、、
やはり指導する側は、子どもたちに注意喚起する必要はあったと思います。
官邸に放火するなんて、犯罪です。
こんな設定を無条件に文集に載せる事を許してはいけません。
学校の猛省を期待します。


いずれにしても、子どもたちが傷つく事なく、伸びやかに巣だっていってもらいたいものです。

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フジテレビからBPOへの回答

「FNS27時間テレビ「ハッピー筋斗雲」について」というニュース。
霊能者タレントの江原さんがBPO(放送倫理・番組向上機構)の放送倫理検証委員会から「倫理に反する」と指摘を受けていた問題のまとめという観点の記事です。
江原さんが一般市民を“ドッキリカメラ”的手法で霊視するというもので、物議をかもした事は有名です。
尤も私はこの手の番組は見ていないのですが、、、
友人は好きでしたねぇ。
電話で話しているとよく言うんですよ「江原さんが○○と言っていたとか」。
あらあら。
でした。
さて話は戻り、
これに関して、フジテレビが報告書を提出。
一般人の出演者に対する細心の配慮が必要だったと総括。
そして、
「番組制作ハンドブック」に、「『サプライズ』という演出手法を一般人に用いる際は、十分な裏付けを取る」などの項目を追加。
番組プロデューサーへのアンケートや勉強会も実施とのこと。

 
しかし、
事の本質は、
「一般人出演者」や「ドッキリカメラ的手法」への配慮に関してだったのだろうか?
もしそうなら、
一般人でなければ許されていたのか?
と言う事になります。
そうじゃないでしょう>フジテレビさん。

私たちが本当に危機を持ったのは、
「江原さん垂れ流し」についてです。
(私は江原さんに敵対する者ではありませんが、
江原さんがなさった事は社会悪だと私は思います)

この報告の中でも、
清水英夫さんは「残された問題」として以下のように書かれています。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
本件報告書は、いわゆる「サプライズ」という演出法、特に一般人を起用する際の留意点が中心となっているが、さきのアンケート回答にもあったように、一番の問題点は、スピリチュアル・カウンセリングと称する非科学的、荒唐無稽な霊視を番組の中核に置いたことである。日本民間放送連盟が定めた「放送基準」は、その第54において、「占い、運勢判断およびこれに類するものは、断定したり、無理に信じさせたりするような取り扱いはしない」としている。たしかに、本件番組は、「断定したり」「無理に信じ込ませ」るような取り扱いにはなっていないが、全体として霊視を肯定的に扱っているとの批判は免れがたいようだ。これは、バラエティ番組だから許される、大目に見られるというレベルの問題ではないことを付言しておくとともに、「放送基準」が骨抜きされないよう望みたい。

(上記サイトより)
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そうなんですよね。
一番の問題点は、
「非科学的、荒唐無稽な霊視を番組の中核に置いたこと」なんですよね。
作り物としては面白いかもしれないし、
現実に霊がいるともいないとも言えないことを逆手に取って、好き放題「嘘」や「でたらめ」を流した罪は大きいと考えます。

こうした考えが流布されると、
責任を「霊」に転嫁するとか、
科学的な思考をストップさせるとか、とか。
言ってみれば、「思考の退行」を促す役割を担うことにもなります。

日本民間放送連盟が定めた「放送基準」には、「占い・運勢判断およびこれに類するものは、断定したり、無理に信じさせたりするような取り扱いはしない」とあります。
無理に信じこませないのは当たり前の事です。
だがしかし、
毎週、このような番組が無防備な視聴者に垂れ流される「罪」は広く大きいということを、
フジテレビはしっかりと反省していく必要を感じます。

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2008.04.01

後期高齢者医療制度

今日から4月。
卯月です。
意味や語源は以前の記事で、さらに季語についても亀鳴く春として過去に書きました。
また年度が変わるため、次々と悪政ラッシュも今日からということで、
年金制度が今日から変わりますを2005年の4月1日に、
新制度スタートを2006年に書いています。
いずれも辛い苦しみを庶民に押しつける政治の始まりの年度始めの記事ばかり。
うづきではなくうずきだね、、、

そして今年の極めつけはコレ。
「後期高齢者医療制度」。
そもそもこのネーミングからして腹立たしい。
後期高齢者????
なんやね?
それ???
って感じ。
失礼しちゃうわ。

で、その後期高齢者とは75歳以上の方だそうです。
後期ねぇ。

で、その高齢者を強制加入させる後期高齢者医療制度が今日から始まります。
対象者は約1300万人。
この制度は、二年前の2006年に自民、公明両党が強行した法律で導入が決まったもの。
中身は75歳以上は、全員が健康保険や国保(国民健康保険)などから追い出され、別枠の制度に囲い込まれます。
また65〜7歳で一定の障害がある人も新制度の対象です。
この新制度では、保険料は原則、年金から天引きされます。
天引きです。
とりっぱぐれなし、と言う事でしょうが、
冷たい発想ですね。
さらに、これに便乗して、65〜74歳の国保料(税)も、年金からの天引きが始まります。

年金額が月1万5000円より少ない人は、天引きではなく保険料を直接払い。
一年以上保険料を払えず「悪質滞納者」とみなされると、保険証を取り上げられます。
そして、そのかわりに「資格証明書」が発行され、窓口での10割負担を強いられます。
言葉もありません。

さらにさらに冷たいこの国の政府はこの4月から七十五歳以上だけを区別した診療報酬(医療の値段)を導入。
75歳以上の人を
(1)治療が長引き複数の病気にかかっている
(2)認知症が多い
(3)いずれ死を迎える―と定義。

また新しい健康診査制度では、対象年齢を40〜74歳に限定。
つまり75歳以上は「努力義務」として、法律の上では対象からはずしました。
国保や健保などで、加入者が死亡したときに支払われる「葬祭費」が、75歳以上になると減らされる問題も浮上。
信じられません。
こんな制度。
もちろん、みんな承知はしていないので、実施を目前にして、厚労省や自治体の担当窓口には、問い合わせや苦情が殺到していました。
また制度に反対する 署名は党派の違いを超えて広がり、中止・撤回などを求める意見書や決議をあげた地方議会は530以上に達しています。

調べれば調べるほど、言葉もありません。
一体、誰がこんな法律を通したのか?
あっ。
自民党と公明党でした。
ううううう〜〜〜ん。
この方達はご自分がいずれ「後期高齢者」と呼ばれる日がくることをご存知ないのか?
あるいはご自分のご家族にご高齢の方はいらっしゃらないのか?

いずれにしても、
お年寄りに優しくない政治は、若者にも女性にも子どもたちにも優しくないものです。
一刻も早くこんな法律は撤回して、
お年寄りが安心して医療を受ける事ができるあたたかい国であってほしいと心から願い、
また声を大にして呼びかけます。


過去記事です。お時間がございましたらご覧下さい。
医療制度改革の意味すること その2

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