重い判決が出ました。
光母子殺害の判決が今日言い渡されました。
当時18歳の少年は今は27歳。
9年の歳月が流れました、、、
彼らの中で、この9年という年月はどの様に流れたか、
私はわかりません。
時間は、傷を癒してくれるはずがない、
時は罪を贖ってはくれない、、、
と、言うことでしょうか。
私も過去にこの事件についてエントリーを挙げました。
また時計じかけのオレンジ 再考と言う記事を2006年の7月に書き、その中でもこの事件について語りました。
結びとして、以下のように書きました。
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監督のメッセジーは何か
犯罪者が人権を保障されるとき、私たちも、その社会で人権が守られる。
キューブリックは、この映画で時代に問題を投げかけ、
そして問うた。
答えを出すのはその時々の「我々」です。
今、私たちは問いを投げかけられています。
主人公のような人格さえ認める社会と、
犯罪者は徹底的に洗脳・精神的な去勢する社会といずれが健全な社会かと。
この様に、たたみかけていると私は思いました。
あなたは、どう思われますか?
私は、社会が守るべき者は「すべからく」人権ではと考えます。
犯罪者になんの人権ぞと思う社会は、
一般人の人権にも冷たいと思います。
法律は罪は裁くが人は裁けない。
ならば、社会そのものが、子どもからお年寄りまで人権を守り、敬意を表する、そんな時代を作ることに努力していけたらと、、、と願いながら。
(過去の記事より)
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今日、
原告本村さんの最後の言葉が、ますます重くのしかかります。
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本村 決して喜ばしいことではないと思っています。厳粛な気持ちでこの裁判所の判決を受け止めています。遺族としては当然、応報感情を満たされたわけですから、報われる思いはありますが、社会にとってみれば、私の妻と娘、そして被告人の3人の命が奪われる結果となったわけです。これは社会にとって不利益なことです。
私はこの事件にあってからいろいろ考えておりますけれど、やはり刑法っていうものは社会秩序を維持するための目的を達するための手段だと思っています。死刑という大変重い判断が下されましたが、これで終わるのではなくて、私たち遺族もこの重い判決を受けて真っ当に生きていかなければいけないと思いますし、社会のみなさまにも、どうすれば犯罪の被害者も加害者も生まない社会を作るのか、どうすればこういう死刑という残虐な、残酷な判決を下さない社会ができるのかを考える契機にならなければ、私の妻と娘も、そして被告人も犬死だと思っています。死刑の存廃等の問題が騒がれるようになるかもしれませんけど、刑罰はどうすれば私たちが安全な環境を作れるかということを考える契機にならなくてはいけないと思いますので、そういった方に社会が向いていくことを望みます。
(上記ニュースより)
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「刑罰はどうすれば私たちが安全な環境を作れるかということを考える契機にならなくてはいけない」。
本当に。
本当に、、、
安全な環境を作るために私たちはどうすればいいのか???
それは決して刑罰に頼ることだけではないのだろうと、今は漠然と思います。
それにしても、この判決。
いずれの場合であっても辛かった。
今、やはり辛い。
間違いないなく私に出来ることは、
亡くなった方のご冥福を祈ることと、遺る方々が今後、幸せに(本当にはやく)なっていただくことを願う事。
もう一つは、
死刑の是非をも含め、安全な社会を作るために如何にあるか、何ができるかをこれからさらに考えていくこと。
この二つです。