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2008.04.28

サンフランシスコ講和記念日

今日はサンフランシスコ講和記念日。
1952年の4月28日締結。
事実上の独立国になったと言う事です。

形だけの独立国という感が強い私は、
過去の記事を読んでさらに納得。
53年目の沖縄
旧安保条約

日本とアメリカ。
そして基地。

そんな今日、山口2区に民主党の議員が誕生しました。
基地の町、岩国をかかえるこの選挙区。
今後の基地と平和と言う問題にどのような影響を与える事ができるか、、、
注目です。

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コメント

こんにちは、せとさん。

 この前の戦争に関する議論をするたびに、私は「ポツダム宣言を読んでから議論しよう」とか言ったりします。日本語訳も文語体なので読みにくい事は確かなのですが、ポツダム宣言の内容すら知ろうとしないで戦後処理を語る人が多すぎる気がするんですね。幸い口語訳のついたものを見つけたので紹介しておきます。
http://list.room.ne.jp/~lawtext/1945Potsdam.html

なんていうか、人類は常に争ってきたんです。でもって初期の小規模な人類間の争いは「後腐れの無い」片づきかたをしました。どういう片づき方かというと「皆殺し」です。何かの争いのネタ(例えば土地がどちらの持ち物かなどです)に対して、自分の主張と違う事を主張する者を「皆殺し」にしてしまえば、もはや争いのネタに対して勝者の主張と異なる主張を唱える者は存在せず、なんの後腐れもないのです。おそらく原始時代の争いはそうやって解決されて来たのだろうと思います。

 ただ、人類が増え、一つずつの群れが大きくなると、争いの最も「後腐れの無い」解決法である「皆殺し」という事は「やりにくく」なってくるわけです。様々な理由はあると思いますが、人間は或る程度の文化を持った「群れ」を完全に皆殺しにする事に耐えられない面が有るのだろうと思うんですね。次の段階で採用されたのが「群れとしての壊滅」です。すなわち、争いに敗れた村は「村でなくなる」という形です。これは、実のところ「後腐れのある解決」です。平家は源氏の中心となる男系を「皆殺し」することで「後腐れを断とう」としたけど、頼朝や義経を「殺しきれなかった」ために、やがて次の争いで敗れるわけですね。まあ、別に頼朝や義経がいなくても、平安貴族化した平家に対して振興の武家勢力は何かを中心にまとまって争いは起こる訳ですけどね。

 近代国家になると争いの解決法は、ますます「後腐れの多い」解決法に変わってきたと考えています。つまり、「群れとしての存在は許容し、単に争いの元となったことに対して了承させる」といった形です。

 なんだか、すごく刺激的な事を書いてしまったかも知れません。私は人類の歴史の中を旅してしまうのですよ、まるでサン・ジェルマン伯のようにね。相手を皆殺しにしなければならなかった時代も観相してしまうし、相手を完全に併合し同化出来るまで押さえ続けなくてはならなかった時代を観相し、その流れの末に現代を見なくてはならないのです。人類は少しずつ「後腐れの多い」戦争終結の方法を「後腐れ」を承知しながら採用してきているのです。その後腐れをどう扱うかはまだ人類は手に入れて居ないように見えます。

投稿: 技術開発者 | 2008.04.30 08:39

技術開発者 さん。
こんにちは。
メーデーは如何でしたか?
(きくちさんちのコメント、読みました(^.^)

そうですか、、、
後腐れですか。
なるほど。
凄く分かりました。
文化が、後腐れを助長しているんでしょうか???
「人が人である」ために神の御名をかついで、
戦争をしたちょっと前の先祖達。
もしも、未来の人たちが、
歴史を技術開発者 さんの視点でなぞるなら、
現代は、どうなるのかな?
後腐れ、やまほどの戦争をしでかし、しでかし、、、
なお、戦うことに意義を見いだす時代。
人類が、戦わない時代に到達するには、まだしばらく時を必要としているのでしょうか???

明日は憲法記念日。
考えてしまいます。
では、、、またね(^.^)

投稿: せとともこ | 2008.05.02 15:52

こんにちは、せとさん。

>メーデーは如何でしたか?

まあ、最近らしいメーデーでしたね。昔のメーデーを知っている者にとっては、「コレっぽちの人しか集まらなくなったのか」と寂しいメーデーです。「昔はな~、デモの先頭がもう解散地点に達しているのにまだ後ろは会場から出ていないなんてことも有ったんだぞ」なんて古株同士で話しながらとりあえず出てきました(笑)。

>文化が、後腐れを助長しているんでしょうか???

なんていうかな、「完全に納得出来る紛争解決」なんて無いんですよ、紛争相手を皆殺しにするような解決以外はね。全然、ピントのズレたたとえ話で申し訳ないけど、例えばせとさんが自動車を運転していて「もらい事故」とかしたとするでしょ。でもって保険屋さんから「2:8ということで2割はせとさんの負担で解決させてください」なんて言われるとやはり不満だと思うのね、「あんなに急に横道から突っかけられたらどうやっても避けられないよ」なんてね。でもね、相手には相手の言い分ってのやはりあるかも知れないよね。「確かに飛び出した自分が悪いんだけど、相手のせとさんがもう少し前に集中して運転していて、急ブレーキが早ければ、車の壊れ方はもっと少なかったかも」なんてね。

 でね、こういう「どのみち不満の残る解決」において人類が作り上げた文化が「公正」ということなんです。ここでいう「公正」というのは、「立場が逆でも解決が同じ」という意味だと思ってください。せとさんは横道から突っかけたりしないだろうけど、もしも、何か他に気を取られたりして突っかけ事故をやったときも、同じように相手の人に「2割はあなたの負担で」なんて話が行くわけですね。そういう「立場が逆になっても同じ解決」という公正さこそが「不満はあるけどそれなりに片を付ける」という文化となっていくわけです。

 上で鎌倉幕府の話なんてしたけどね。関東の原野に進出して開拓した者たちの間にはいろんな紛争が発生したのね。自分が馬の放牧をしていた土地を他の人が麦畑に開墾して「自分の畑だ」とかね(笑)。でもって「元はうちの牧草地だから」とその麦畑を奪って「自分の畑だ」とか(笑)。そういう紛争の裁定を持ち込まれた平安王朝は公正に裁定出来なかったのね、だから武士による政権奪取が起こるわけですよ。鎌倉幕府が非常に早く作り上げたのが、評定所という土地争いの裁判所だったりするんですね(笑)。

 なんていうかな、人同士の「不満が残る紛争解決」をそれなりにやるためには小さなコミニティ(集落とか村)が「逆でも同じ」という公正さを持たなくてはならないから始まるわけです。でもって集落とか村同士の「不満が残る紛争解決」をそれなりにやるためにはもっと大きな単位(郡のようなもの)のコミニティが「逆でも同じ」という公正さを持たないとならなくなり、郡単位の紛争には国単位の公正さが必要になるのね。こうやって行政単位というのは大きく成らざるを得ない訳です。

 私に言わせると行政権力というのは「その力の及ぶ範囲の中を『逆であっても同じ解決』という公正さを保つためのものだと考えています。そのために、行政権力は小単位の行政を集合して拡大せざるを得ないものだろうと思っています。

>歴史を技術開発者 さんの視点でなぞるなら、
>現代は、どうなるのかな?

単純に「まだ途中」としか見えていません。

投稿: 技術開発者 | 2008.05.09 08:57

技術開発者さん。
おはようございます。
連休は如何でしたか?
天気に恵まれ、本当によかったですね。
メーデーは今ではお祭りを通り越して、
形だけになったのでしょうかねぇ。

さて、今回も頂いたコメント。
本当に分かりやすく激しく納得(^.^)
自動車事故の例。
まさに体験しました。
接触事故だったのですが、私は絶対、向こうが悪くて10だと思いましたが2−8になりました(^^;
この話、この頃あちこちで見る水伝にも相通じると思うのですが如何でしょうか?
一方的に相手だけが悪いって事はあり得ない。
自分だって誤謬の渦に巻き込まれることはある。
その視点に立ち公平に与したいと思っているのですが、
なかなか思うようにはいかない歯がゆさもあります。

また、いろいろご教示下さいね。
本当に楽しみにしています(^.^)

投稿: せとともこ | 2008.05.11 09:55

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