あれから三年
あれから三年が経ったのですね。
福知山線脱線事故。
あの時、ひたすら驚き、テレビに見入り、悲しみ、そして日常に潜む危機に対する備えのない恐怖と戸惑いを感じた事を今も覚えています。
その思いを以下のように記しました。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
何と言っていいのか、、、
言葉もない。
亡くなった方の無念を思い、残された家族、知人の方に心からお悔やみ申し上げます。
朝、手を振って行ってらっしゃい、、、と送り出す。
いつもの光景。
一日の経験を重ねて帰って来る。
そんな当然と思っている日常が切り裂かれた、、、
突然。
なんの前触れもなく。
今まで生きていた証を確認する事もなく、もぎ取られていく命。
日常を残したまま、、、逝ってしまった人々。
なぜ?
どうして?
一人ひとりの命と思いを乗せて、いつものように走っている電車が、いきなり宙に舞い、ちぎれていく車体とともに、
遠く帰らぬ人になるなんて、、、
いったい誰が思うだろう。
だれが、そんなことを思いながら毎朝、家族を送り出しているだろう、、、
朝の途切れる事のない忙しさにかまけて、時には声を荒げ、あるいは せかして追い出す日常。
保証されていると思っているのに。
安全だと信じているのに、、、、
なぜ?
どうして?
どこへ この気持ちを持っていけばいいのか?
やりきれない。
亡くなった方、残された者。
それは他人事ではない。
いつ、どこで、だれに起きるのか、、、
改めて日常とは何か。
そこに潜む危険をえぐり出された気がする。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
二度とこのようなことが起きませんようにと言う祈りを込めて書きました。
そして、
事故から一年経った時、
未だ癒えない方々の思いと行政に対して、感じたままの思いを記事に挙げました。
そして、
そして、
もう三年の月日が流れたのですね。
癒やされない遺族や被害者の方々の心と体の痛み。
いかほどでしょう。
亡くなった方の遺族とJRとの補償の話し合いも、昨年末までで示談が成立したのはわずかに二割を超えた段階とききます。
確かに遺された方々にとって、交渉のテーブルに着くことさえためらうものではありますが、
それでも自己責任者はそれにのっからず、積極的に手をさしのべていただきたいものです。
また、当時から問題になっていた事故原因。
国土交通省の航空・鉄道事故調査委員会は昨年6月、スピードの出しすぎなど直接的な事故原因に加え、乗務員への懲罰的な「日勤教育」や無理なダイヤ編成、新型ATS(自動列車停止装置)の設置の遅れなどを事故の背景として指摘した最終報告書を発表しました。
やはり、という思いです。
利益優先で安全を二の次とするJR西日本の異常な経営体質が関係者の方を始め、多くのマスコミや機関から批判されたことを思い出します。
「安全」よりも利益優先が浮き彫りになりました。
この大事故は人災であったこと、しかも経営の側の責任が大きい事は明らかにも関わらず、
責任の所在はいまも判然としません。
そんななか、
昨年から今年にかけても、感電事故、除雪作業員の触車事故、塗装作業員の墜落事故などが発生。
昨日のアメリカ輸入肉といい、
マンション耐震偽装といい、
なんだか「信じていた安全」が次第にボロボロになっていく、そんな予感がします。
福田さんのポスター「暮らしに安心」がなぜか寒々しい。
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