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2008.05.31

核燃料サイクル施設 直下に活断層

青森県六ケ所村にある日本原燃の核燃料サイクル施設の直下に未知の活断層が存在する?と言うニュースが5月25日配信されました。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 青森県六ケ所村の日本原燃原子燃料サイクル施設の直下に、マグニチュード(M)8クラスの大地震を引き起こす地下活断層があるとの調査結果を、東洋大の渡辺満久教授(変動地形学)や広島工業大の中田高教授(地形学)らの研究グループがまとめた。最新活動時期は過去3万年以内で、06年改定の原発耐震指針の評価対象(12万〜13万年以内)になるとみられる。渡辺教授は「耐震性のチェックをやり直すべきだ」と指摘する。
(上記ニュースより)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
これは大変、と言うか。
きっちりと調べる必要があります。
と、言うことで、更に内容を見ていきましょう。
研究グループが、核燃料サイクル施設周辺の地形などを詳しく調べた結果、施設の東側の陸域で太平洋に向かって急激に傾斜しているところが長く続いているのを見つけたというのです。
こうした地形は、地下に逆断層が存在することを示すといいます。研究グループが日本原燃の地下探査データを解析したところ、地上で見つかった傾斜と平行に傾いた地層があることがわかり、地下に長さ約15キロメートルの逆断層が存在することを強く示唆していました。
地層に含まれる火山灰などのデータから、この逆断層は3万年以内に活動したことがある活断層とみられるといいます。
この断層が動いた場合はM8級の地震が起きるおそれがあると指摘。
日本原燃は昨年、核燃料サイクル施設の耐震性を、施設の近くを通る、長さ約六キロメートルの「出戸西方(でとせいほう)断層」が動いた場合を想定して検討していました。
日本原燃が昨年、原子力安全・保安院に提出した耐震安全性評価結果では、出戸西方断層の活動による地震の揺れを最大と想定し、安全評価のための基準地震動を450ガル(ガルは加速度の単位)としています。
この450ガルという想定だけでいいのか?
と言うと、かなり不安です。
実際、東京電力が中越沖地震の起きる前に柏崎刈羽原発で想定していた地震の揺れと同じです。
そこで東京電力は今月になって、中越沖地震を受けて検討した結果として、基準地震動を450ガルから2280ガルに引き上げると発表。

いつ起きても不思議でない地震。
どこにでも起こりうる可能性のある地震。
神戸を思いだし、
近くは四川を思い出します。

1995年の兵庫南部沖地震で「原発の安全神話」は根底から覆ったことは、記憶を繙けばすぐに思い出します。
2005年、宮城沖地震で女川原発の緊急停止。
2006年3月、北陸電力の志賀原発運転差し止め訴訟、、、
などなど思いだします。
原子力安全委員会も「耐震設計審査指針」を見直すなど、一定努力はしています。

が、いったん地震になれば大きな二次災害が予想される原子力ゆえ、安全に安全、
もう一度さらに、
安全に厳しいチェックが必要と思います。

今回のような結果が出てくれば更に慎重に念入りに調査をしてもらいたいと切に思います。

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2008.05.30

オスロ・プロセス

クラスター爆弾の禁止条約締結を目指す軍縮交渉についてのニュースが相次いで伝えられています。
アイルランド・ダブリンで開かれているクラスター爆弾禁止条約の年内締結を目指す「オスロ・プロセス」の国際会議の討論内容についての各国の対応が注目されています。

条約案は、会議最終日の30日に正式採択。
12月2日か3日にオスロで調印される予定です。
会議には111国の代表と18のオブザーバー国が参加。
米国、ロシア、中国、イスラエル、インド、パキスタンなど、クラスター爆弾の主要製造・使用国は参加していません。

この条約案は、
クラスター爆弾の使用、開発、製造、保有、移送とともに、
条約非加盟国がこうした行為を行うことを支援、奨励することも禁止すると規定。
保有しているクラスター爆弾は、条約発効から遅くとも年以内に破壊することを義務付けています。

また禁止対象の例外となるのは、
(1)子爆弾の数が10個未満
(2)子爆弾の重さが4キロ以上
(3)目標識別機能を有する
(4)不発になった場合自爆する機能を持つ
(5)自動的に起爆装置が働かなくなる電子構造を持つ
などの要件を満たしている一部の新型に限定。

これにより99%のクラスター爆弾が禁止となると非政府組織(NGO)の「クラスター爆弾連合」は述べています。


多くの無辜の命が犠牲になり、
戦禍の消えることのない一つの原因が、除去されようとしていることは、本当に喜ばしいことです。
条約が形骸化されることなく実効あることを願っています。

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2008.05.29

晶子と源氏物語

今日は白桃忌です。
ブログを書き始めてから、5月29日に晶子のことをいくつか挙げて書きました。
君  死にたまふことなかれ
やっぱり晶子と言えば

と、言うことで今日は源氏物語と晶子について、ちょっと書きます。
源氏物語1000年と言うので、今、京都は静かな源氏ブームを呼んでいます。

晶子と紫式部。
なんとも艶やかな取り合わせです。
与謝野晶子の歌で読む「源氏物語」と言うサイトをみると、
晶子のあの官能的な歌の数々に源氏の魂が宿っているのか???と思います。

桐壺は「紫のかがやく花と日の光思ひあはざることわりもなし」です。
香気立ちこめる品が伺えます。

帚木は「中川の皐月の水に人似たりかたればむせびよればわななく」

空蝉「うつせみのわがうすごろも風流男に馴れてぬるやとあぢきなきころ」
なるほど。

夕顔、若紫ときて、そして末摘花
「皮ごろも上に着たれば我妹子は聞くことのみな身に沁まぬらし」
泣けてくるんだよな、、、この人には。

ずっと、ずっと続いて、
早蕨「早蕨の歌を法師す君に似ずよき言葉をば知らぬめでたさ」
いいですね。
浮舟は「何よりも危ふきものとかねて見し小舟の中にみづからを置く」

そして最後
夢の浮橋
「明けくれに昔こひしきこころもて生くる世もはたゆめのうきはし」


私の好きな橋姫は「しめやかにこころの濡れぬ川霧の立ちまふ家はあはれなるかな」です。

男女の愛をきめ細かく描写しながらも、時代という軋轢の中で喘いでいた紫式部の息遣いが、
あるときは妖怪に、またあるときは化けものように大きく、強く感じられる源氏物語。

みじか夜の中で晶子は「われと歌をわれといのちを忌むに似たり恋の小車絃さらに巻け」と、ほとばしるような情感を謳っているのですが、
一方で、
「春の夜を化物こはき木幡伏見相ゆく人に宇治は弐里の路」とも詠んでいます。
うううう〜〜〜〜ん。

歌人の戦く思いと、
昔の佳人の溢れんばかりの才が、交錯して化け物のように宇治の旧街道を走ったのでしょうか???
想像するだに身の毛がよだちます。
「物語をつくる」「歌を詠む」。
二つの芸術は、地を這うように出来上がったのだと私は思います。

今日は白桃忌。
与謝野晶子の命日です。


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公務員制度改革法案の修正案

公務員制度改革法案の修正案、衆院で可決と言うニュース。
ふっ〜〜〜〜
いよいよ民間が乗りだしてくるんでしょうか???

渡辺喜美国家公務員制度改革担当大臣曰く、
目的を「行政に対する信頼を回復し、国家公務員が常に国民の立場に立って職務を遂行する」そうです。

もう一度、確認。
「行政に対する信頼を回復し、国家公務員が常に国民の立場に立って職務を遂行する」。

本当にそれは願ってもないことです。
嬉しい限です、、、

だがしかし中身を詳しく見るならば、
行政に企業が食い込んで来る実態が野放し、さらには促進するむきもありそうで懸念されます。
例えば癒着。
例えば「官民の人材交流」。
などなど、、、

今後の動向に注目です。

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2008.05.28

在原業平

「つひにゆく道とはかねて聞きしかど昨日けふとは思はざりしを」

今日は在原業平の命日とされている業平忌です。

業平と言えば、
学校では「伊勢物語」で学び、
百人一首では「ちはやぶる」で知られています。

眉目秀麗。
枕を共にした女性の数が3000人以上。
小野小町との恋愛も有名です。

魅力ある業平が詠んだ数々の歌。
なかでも
上の歌は、何回読んでも涙が出ます。
人はいずれ死ぬ。
そのことは百も承知。
だがしかし、
「そのとき」がまだだと思い日々を過しています。
それはそれでいい、、、
が、
「そのひ」が来たとき、たじろがず、おどろかず、
淡々と受け入れることができるだろうか、、、

ふと、重松清の「その日の前に」を思い出しました。

なにはともあれ、
日々を重ねながら人は生きていくのなら、
重ねるものが「かろやか」で「しなやか」で「あでやか」であろうとした、
そんな在原業平。
今日がその命日です。

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温室ガス削減 G8

温室ガス削減 G8、中期目標見送りと言うニュース。
課題は先送りの感が強まった中での閉幕でした。

日本は中期削減目標(2020年ごろまでをめどとした温室効果ガス削減目標のことを掲げなかったのですが、当然のごとく環境相会合で批判の矢面に立たされました。

上記ニュースにもあるように「日本政府が掲げる「セクター別アプローチ」については、国別総量目標づくりへの補助的な手法として位置付け、排出量取引など二酸化炭素(CO2)取引の削減効果を認め、有効活用を目指す。」と言うのも、
実は鉄鋼業界などが中心になって求めているのは周知の事実。
このアプローチは、産業別に削減可能量を積み上げ、国別目標とするやり方です。
大量に排出する業界には都合がいいと言う仕組みです。

 
鴨下環境大臣は、中長期での削減を見通した場合、「『自主行動計画』だけでは無理だ。排出量取引を含め強力な経済的手法が必要だ」と述べていますが、自ら産業界まかせの限界を認めています。

政府は6月にも、2050年までの長期削減目標を発表する方針です。
だがしかし、
地球温暖化の防止には今からが問題です。
たちまちの中期目標を速やかに設定し、それを達成する政策、措置を定め、実行することが先決ではないでしょうか???

「長い目で見る事」は勿論大事ですが、
その長い目の先にある将来を保障するのは「今」です。

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故郷に帰ること、なんといいますか?と言う記事

故郷に帰ること、なんといいますか?と言う面白い話題が載っていました。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
オリンピック代表○○選手 帰鹿」
ちょっと前に屋久島に行ったとき、テレビのローカルニュースでこんなテロップが流れた。「帰鹿」ってなに、と頭の中がしばらく「???」となったのだが、ニュースの中身はといえば、鹿児島出身の北京オリンピック代表選手がゴールデンウィークに里帰りした、という内容。「鹿児島に帰る」を略して「帰鹿」と書くらしい。
(上記ニュースより)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
記事は、まず冒頭で前振りが述べられていて、
その後、各県、各地の検証にあたります。
そして3つのパターンがあることを紹介。
「次の3つのパターンがあることが分かった。
1つ目は、鹿児島のように「帰」+「最初の一文字」と書くパターン。帰札(札幌)、帰仙(仙台)、帰福(福井)、帰宮(宮崎)など。
2つ目は、「帰」+「最後の一文字」というパターンで、帰沢(金沢)、帰阪(大阪)など。帰京(東京)もこのパターンだ。
そして3つ目は、「帰」+「昔の名前」というパターン。帰洛(京都)などである。いずれも会話では使わず、書き物で使う。読み方がはっきりしない場合もあるようだ。」

なるほど。
貴方の故郷は、どのパターンですか???

私は自分の実家へ帰るときは「おさとばぁちゃんち」(父は他界しているから)
夫の両親が待つ故郷へ帰るときは「おじぃちゃん・おばぁちゃんち」
と、子ども目線で呼んでいたのですが、
確かに土地と言う意味で故郷を捉えたら、
2つ目のパターンになりそうです。


それにしても、ふるさとかぁ、、、
いいですね。

「ふるさとは遠きにありて思ふもの/そして悲しくうたふもの」
であり、
「ふるさとの 山にむかいて言うことなし ふるさとの山はありがたきかな.」
でもあります。

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2008.05.27

言葉と辞書

書こう、書こうと思いつつバタバタしていて書きそびれたのですが、
先日の25日(つまり5月25日)は「広辞苑」の日でした。
wikipediaを読みながら、辞書にもその歴史、時代背景があるんだと改めて感心していました。
「言葉」は時代の鏡でもあります。

さてさて、それにしても辞書と言えば、私にとってはもう「アレ」しかありません。
「アレ」。
そう、
その名は「新解」さん
以前新解さんの謎と言うエントリーを挙げたことがあります。
4年前の私は以下のように「言葉」について書いていました。
=================
いつも、何気なく使っている言葉にしても、
実はお互いが、共通の認識なしに、しゃべっていることって
あります。
家族や、面と向かって話している人。
また、仲良しや、よく会う人たちなら、
時間という手段を介して、お互いの誤解を解くことも
できますが、
「文字のみ」「声のみ」の相手では、誤解をしたまんまってこともありそうです。
ネットでの、議論もそうです。
そもそも、お互いが共通の認識、理解のうえで、
その問題を話す(書く?)のなら、議論は建設的にすすみますが、
そうでない場合は、
まず、自分の立場(その問題に関して)を理解してもらうことに、
相当のエネルギーがいると思います。
「言葉」というものが持つ限界をしっかり見極めて、
その上で、
相手に敬意を表しつつ、
お互いの理解を深めるようなネット場の討論、議論をしているサイトやブログを見る機会にめぐまれると、とても勉強になります。
(以前の記事より)
==================

昨今、私の周囲のブログ界隈で、
言葉の解釈をめぐってアレコレの意見が飛び交ったのですが、
言葉って、ほんに難しい。

なるほど、新解さんの初版で編者の言葉を再現すれば、
真にその難解さが分かろうというものです。
ちょっとだけ抜粋して掲載します。
===========
新たなるものを目指して

 人も知るごとく、本書の前身は「小辞林」の語釈を口語文に書き替えることから出発した。今を去る三十二年前の事である。

中略

ローマは一日にして成らざるのたとえのごとく、一日にして成るは辞書ではない。
 思えば、辞書界の低迷は、編者の前近代的な体質と方法論の無自覚に在るのではないか。先行書数冊を机上にひろげ、適宜に取捨選択して一書を成すは、いわゆる パッチワーク の最たるもの、所詮 芋 辞書の域を出ない。その語の指す所のものを実際の用例について、よく知り、よく考え、本義を弁えた上に、広義・狭義にわたって語釈を施す以外に 王道 は無い。辞書は、 引き写し の結果ではなく、用例蒐集と思索の産物でなくてはならぬ。尊厳な人間が一個の人格として扱われるごとく、須らく、一冊の辞書には編者独特の持ち味が、なんらかの意味で滲み出なければならぬものと思う。かような主張のもとに本書は成った。今後の国語辞書すべて、本書の創めた形式、体裁と思索の結果を盲目的に踏襲することを、断じて拒否する。辞書発達のために、あらゆる模倣をお断りする。
 しかしながら、一面から言えば、思索の結果は主観に堕しやすい。今回吾人の施した語釈は、それなりに沈潜の結果成ったものではあるが、シャープならんと欲する余り、限定が大に過ぎるという批評を感受すべき面が或は皆無ではないかも知れない。公器である辞書の語釈として普遍妥当的なものに成長するためには、今後万人の実験を期待する。吾人は歓迎する ─そのような意味における読者・利用者の声を。それは辞書を育てる上には必要欠くべからざる要素であると思う。

昭和四十六年十月

==============
ふむふむ。

ローマは一日にしてならず。


単に言葉を字面どおりに解釈しても、それは「芋辞書」なのである。
「その語の指す所のものを実際の用例について、よく知り、よく考え、本義を弁えた上に、広義・狭義にわたって語釈を施す以外に 王道 は無い。」と編者は言う。
そして、最後に、
辞書を成長させるのは読者・利用者であるとも言う。
未だ発展の途、という事でしょうか。

そして、、、
言葉は発した者から離れ、成長して、また還ってくるものなのかもしれません。

言葉の専門家と言えども、
その解釈に対しては慎重であるし、
また言葉は世に連れ変遷するものであることを認めています。

ならば素人である私は於いておや、、、です。
「生きている」ものを扱うように丁寧に、そして敬意を払うべきものなのでしょうね。
ゆめゆめ疎かにはできません。

それにしても、「新解」さん。
あなたは面白すぎます!!!


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火星探査機・フェニックス

降下中の米火星探査機、別の探査機がパシャリと言うニュース。
ほぉお〜〜〜
これは凄い
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 【パサデナ(米カリフォルニア州)=勝田敏彦】米航空宇宙局(NASA)は26日、探査機フェニックスが火星に軟着陸する直前、パラシュートで降下している姿をとらえた画像を公表した。火星の上空310キロを周回中の米探査機マーズ・リコネサンス・オービター(MRO)の高解像度カメラで撮影した。
(上記ニュースより)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
探査機フェニックスかぁ、、、
どんな情報を持って来るか楽しみです。
火星探査機と言えば、やっぱり思い出すのはスピリットです。

夜空に赤く光る火星。
その色から,ギリシア神話の戦いの神「マルス(またはアレス)」の名で呼ばれてきました。
因みにさそり座の赤い星はアンタレス(アンチ・アレスです)
また、
中国や日本では古くは、螢惑(けいこく)と呼んでいました。
中国の諺に「螢惑心を犯す」とか「螢惑心に入る」という言葉があります。
「心)」というのは、中国の星座28宿のうちの「心宿」の事で、つまりさそり座のことです。
このちかくに火星が来ると、天下大乱のしるしと恐れられたそうです。

火星とさそり座、、かぁ。
ふむふむ。

そんな昔の人の夜空への思いを込めて、
今、フェニックスは科学の力で、古代のロマンへと挑戦しているのでしょうか???


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マルクスがブームらしい

甦るマルクスと言うタイトルで内田さんがエントリーを挙げていらっしゃいます。
まずは「マルクスが「プチ・ブーム」らしい。」と言う書き出しでつかみを得ます。
読んでいる私は「ふむふむ」。
そうかぁ、、、
ブームなのか。

とむ丸さんも小林多喜二やマルクスを求める時代と言うエントリーをあげていらっしゃいます。
とむ丸さんらしい優しい切り口でマルクスからさらに新自由主義へと私たちを誘ってくれます。

と、言うことで私も早速、本棚の「資本論」を取り出します。
手にとって、
横からみたり、裏を見たり、
見たり、、、
と、しつつ結局本文へはなかなか進むことが出来そうにありません。
昔、読んだ時の棒線なんかを眺めながら、
「へぇ〜〜〜こんなこと書いてあったんだ」と安直に納得。

内田さんが上のエントリーの締めで、ズバリ、マルクスの魅力を語ってくれています。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
マルクスは私たちの思考に「キックを入れる」。
多くの読者たちはおそらくそのような効果を期待してこれまでマルクスを読んできたはずである。
私はそれでよいと思う。
マルクスを読んで「マルクスは何が言いたいのか?」というふうに訓詁学的な問いを立てるのは、あまり効率のよい頭の使い方ではない。
それよりはむしろ、「マルクスを読んでいるうちに、急に・・・がしたくなった」というふうに話が横滑りをし始めることの方がずっと楽しいことだと思う。
「知性とは何か」について、私の知る最高の定義は(繰り返しご紹介した)グレゴリー・ベイトソンのそれである。
ベイトソンによれば、知性とは何か?という問いに、知性はこう回答した。
That reminds me of a story.
「そういえば、こんな話を思い出した」
マルクスを読んでいるうちに、私たちはいろいろな話を思い出す。
それを読んだことがきっかけになって、私たちが「生まれてはじめて思い出した話」を思い出すような書物は繰り返し読まれるに値する。
マルクスはそのような稀有のテクストの書き手である。
(内田樹の研究室より)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

うわっ〜〜〜〜
それ、それ。
凄くよく分かる。
そうなんだよね。
マルクスを読みながら、と言うか眺めながら私は何故か「チボー家」を思い出していたのです、、、

何というか、別にマルクスにキッチリとからめ取られることなく、
マルクスを子守歌のように慣れ親しむ、
きばらなくていい、、、
そんな読み方でいいんだよ。
と、書いてくれた内田さんに、何故か凄く器の大きさを今日は感じました。
(ほっ〜〜〜私にしては珍しいことだ)と、
自分で突っ込みつつ。

いずれにしても、
そんな感じで肩肘張らずに、もう一度読んでみようか、、、なぁ。

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2008.05.26

草津戦

昨日のサンフレッチェ広島と草津の試合は1−0で広島が勝ちました。
槙野君、おみごと!!!
と、まずは槙野君の健闘を称えて。

それにしても、惜しいシュートがいくつもありました。
と、言うか相手のキーパー、神でしたね。
素晴らしかった。

前節の横浜戦。
書こうと思いつつ忙しくて書く事が出来なかったのですが、
あのときはガチガチに固められて、
ゴールをこじ開けるのは大変でした。
さらに、その合間にカウンターでキッチリと攻めて来る、なんとも統制のとれた試合運びをするチームだったと思い出しています。
揚げ句に久保が登場(ほんのちょっとだったが、、、)して、とても嬉しく思いました。

さて、昨日も草津は守りをバッチリにして来るか?と試合前は思ったのですが、
さにあらず、
果敢に攻撃を仕掛けてくるし、
キーパーは神。
凄く素敵なチームでした。
久々にアンパンマンも見る事が出来て、嬉しかった!!!

結果は先ほども書いたように槙野君の一点が決勝点になり勝つ事ができました。
が、
喜んでばかりもいられません。
これから、ドンドン相手は広島攻めしてくることは必至。
しっかりと勝ちに結びつける為に、
それぞれの役目をきっちりとこなしてほしいと願っています。

次節も楽しみにして。

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2008.05.25

食の輸入、検査お粗末

食の輸入、検査お粗末 業者任せ・抜き取り不足と言うニュース。
これはちょっと、、、ねぇ。
この「食の安全、見直し」が叫ばれているときに。

さて内容を見ましょう。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
輸入した肉や食品の安全を確認するため、農林水産省と厚生労働省が実施している検査が不適切な形で行われていたことが総務省の行政評価で明らかになった。防疫官ではなく輸入業者が抽出した検体を使って検査しているため公正さが疑われる例や、予定された数の抜き取り検査をしていないため信頼性に欠ける例がみつかった。
(上記ニュースより)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

輸入食品、農産物などの検査について、総務省が勧告を行うのは初めてです。

総務省が2006年末から今年の5月まで実施した調査では、
厚労省の検疫所(24か所)のモニタリング(抜き取り)検査で、検査サンプルの数量や検査の実施件数が規定を下回っていたり、サンプルの数量が記録されていなかったりする事例がありました。
さらに検査サンプル数量が2年連続で規定の半分以下というケースも。

また全国30か所の農水省動物検疫所のうち調査した25所中22所で、検査を受ける側の輸入業者らが防疫官の立ち会いなしでサンプルを用意することが常態化していました。
これに対して、総務省は「サンプルが本当に無作為で選ばれたものとは確認できない」と指摘。

舛添厚生大臣も23の閣議後記者会見で、総務省から改善勧告されたことを受け、「チェック体制を強化する」と述べ、検疫所の食品衛生監視員を増員する意向を明らかにしました。
若林農水大臣も同日、勧告内容を「真摯に受け止め、対応していく」と述べました。

上のニュースの最後に、
その他の問題点も列記されています。
==============
■その他の食品・農畜産物の検査の問題点

・動物検疫で、申請の60%をめどに実施するとされている肉や臓器の抜き打ち検査が50%未満の港が3年間で8港

・動物検疫所のすべてで、検体の抽出数量の記録なし

・輸入植物を廃棄する際、3日間の期間のうち2日目の防疫官立ち会いを省略していた植物防疫所が2カ所

・33植物防疫所のうち、21カ所で検体抽出数量の記録なし

==============

うううう〜〜〜ん。
かなり厳しいですね。これは。
ちょっと言い訳が立たない。

なんというか、この杜撰な体質は改めて欲しいと思いながら、
なんとなく思い浮かぶのは小泉さん。
やっぱり、小泉さんの後って、
役人や業者の腐敗が今まで以上になったんだろうなぁ、、、と思います。
例の「規制緩和」やら「新自由主義経済」やらやら。
人間としての根幹に関わる「衣食住」が脅かされてきていますね、、、じんわりと。それと気がつかないうちに。


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2008.05.24

社会教育関連三法

「遊びをせんとや生まれけむ 
 戯れせんとや生れけん」

『梁塵秘抄』の有名な歌です。
解釈は色々あるのですが、一般的には
子どものどこまでも純真な愛らしさを歌ったもの、そして
子どもたちの未来に明かりを垣間見たいと願った歌と言われています。

さて、
こんな子どもたちの本性としての「遊び」やあるいは学ぶ意欲それ自体が脅かされるような法案が審議されています。
「社会教育関連三法(社会教育法、博物館法、図書館法)改正」案がそれです。


社会教育とは、自由に自発的におこなう国民相互の自己教育で、学校教育以上に、自由・自主性が認められています。
これは、戦前の社会教育の反省をふまえ確立した原則です。

この社会教育法の「改正」案は、
公民館などでの「学習の成果を活用」して、「学校地域支援本部」に協力させようとする条文をあらたに加えています。
学校地域支援本部といえば、思い出すのは、先日も書いた夜スペで有名な東京・杉並区の和田中学校に進学塾による教室を導入した主体として有名になったものです。
そして公民館についても「学校支援」行政に組み込もうとしています。
これは公民館の自由・自主性をおおきく損なう危険があります。
現在、公民館の運営に必要な公民館主事は、一館当たり0.97人しか配置されていません。

博物館では、独立採算制の圧力がここでも高まり、
「博物館が入場者数ばかりに目を向けた『経営』重視の『遊興の場』に堕する危険」を学術会議が出すまで深刻な事態です。

図書館は予算を大幅に削られ、都道府県立図書館の資料費は三分の二です。
図書館のない自治体は3割近く、一館しかない市町村は6割以上です。
私の居住地域でも図書館の民営化問題が浮上しています。

ゆとり、ゆとり、、、と叫ばれ、学校にゆとりが登場して、
その揚げ句、あれは間違いだったか、、、と囁かれ、

次に、
学校に愛国心をと声高に主張する声が通り教育基本法が変えられ、
堂々と教室に道徳がやってくる、、、

子どもたちの行き場は、
ドンドン、どんどん減っていき、
減っていき、、、

遂に公民館や図書館や博物館も「愛国心」で塗り替えられていくと言うのだろうか???

この法案、知られていませんが、
かなり重大な法案です。
なにしろ「未来」がかかっているのだから。
次代を担う子どもたちのために、
遊びやスポーツや趣味を幅広く保障する国の制度保障を訴えるものです。
なお、津久井進さんのブログに詳しく書かれていますので、ぜひご覧下さい。

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2008.05.23

ミウラ折り

ミウラ折りってご存知ですか?
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ミウラ折り(みうらおり)とは1970年に三浦公亮(東大名誉教授・宇宙科学研究所(現宇宙航空研究開発機構)が地図の畳み方として考案した折り畳み方である。人工衛星のパネルの展開方法を研究する過程で生み出された。またスタッドレスタイヤの切れ目(ミウラ折りサイプ)としても使われている。なおミウラ折り(miura-ori)の名は英国折紙協会(British Origami Society)で名付けられたもので、この曲面は二重波型可展曲面という。2006年に新日本様式100選の1つに選ばれた。
(wikipedia.より)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

昨晩、最近の若者はビールを飲まない、と言うテレビでの特集が話題になりました。
それについては、またエントリーを挙げたいのだが(挙げたい話題ばかりで追いつかない)
そして、焼酎の話になりました。
それから、
夫が「キリンチューハイ氷結」もミウラ折りだと言った事から物性への話と話題が広がりました。
また地図の折り方にも利用されています。

それにしても知れば知るほど面白いですね、、、この性質。
〜〜〜〜「潰れて強度が増した形」を活かしてつくられたものです。この缶は、開けた途端に収縮が起こり、ダイヤモンド型のパターンがはっきりして、同時に強度も上がります。〜〜〜〜
と、考案者の三浦さんは言います。
なるほど。
確かに開けた途端に強度が増さないと、缶としての役目は果たさないから、、、
話を聞きながら、
家中を見回して、「家具もミウラ折りだといいなぁ、、、持ち運びが便利なように洋服も」とかとかボッーと考えていました。
それにしても楽しい!ミウラ折り。
それこそ可能性はドンドンと広がります。

さて、このミウラ折り、宇宙でも活躍。
電波天文衛星「はるか」の展開パラボラアンテナや、最近では「きく8号」のアンテナなどについても使われているそうです。

ふむふむ。
ミウラ折りを考えながら、ふと、
先日、国会を通過した宇宙基本法へと思いが続きます。
軍事の臭いがプンプンするこの法案。
宇宙開発の技術は、軍事産業とは別の物であってほしいと、
つくづく思います。


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共謀罪反対のための院内集会

共謀罪に反対する集会
日本弁護士連合会主催で21日に開かれました。
市民や法律家、国会議員など50人が参加。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
第169回通常国会においても衆議院法務委員会に付託されている、いわゆる「共謀罪」新設法案(「犯罪の国際化及び組織化並びに情報処理の高度化に対処するための刑法等の一部を改正する法律案」)について、今注目されているアメリカの共謀罪の内容とその運用状況も踏まえて日本弁護士連合会の主張や問題点等を御理解いただくため、院内集会を開催いたします。

是非とも御参加ください。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
上のような趣旨で開かれたものです。

共謀罪。
また、ノコノコと国会の場に登場してくる気配があります。
要注意です。


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デラックストイレ 写真

先日、記事で「デラックストイレ」について書きました。
写真ができましたのでアップいたします。

まるでホテルのロビーのような雰囲気の待ち合い(?)をぐるりと囲んで重厚な扉の向こうが個室です。
またガラスの中には美術品が展示されています。

なお、比較(?)として夫が男子トイレも撮ってくれたので、
同時アップ。

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2008.05.21

消費税率が10%台に?

昨日のニュースを見ていてびっくり。
そう「消費税率値上げ」の話題。
ええええ〜〜〜
そっそんなぁ。

と、腹立たしい思いと不安でニュースを見ると、
政府の言っていることは、こういう事です。
「基礎年金財源に全額税方式を導入した場合の試算。」

つまり、財源として消費税しか想定していません。
さらに、驚く事には「消費税を財源とする全額税方式に移行することで、企業の保険料負担が廃止され、企業負担が軽減されること」を明示。

この全額消費税方式になると、労働者と企業が折半で負担している保険料が廃止されます。
すると企業の負担が大幅に軽減。そして、サラリーマンも保険料は廃止されるのです。
が、ぬか喜び。
消費税増税によって、今まで企業が負担していた分も背負うことになるのです。

消費税はドンドンとります。
しかし法人税は上げません。
と、言うのがこの案です。


うううう〜〜〜ん。
これは、庶民にはなかなか、と言うか、
すっごく辛いです。
絶対に承知するわけにはいかない。
これから、もっともっと声を上げなければと考えます。

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2008.05.20

国立大学の学費を私学並?

なぁなんと〜〜〜
国立大学の学費を私学並にしようって???

えええ〜〜〜
これはひどい。


財務省は昨日19日、財政制度等審議会(財務相の諮問機関)の財政構造改革部会で、「国立大学法人運営交付金の配分の一例」として、
国立大学の授業料を私学並みにすれば約2700億円の増収効果があるとした試算を示しました。
中身を見ると、
「設置基準を超える教員費の削減」で約2500億円の支出減が見込まれることとあわせて、08年度予算で1兆1813億円となっている国立大学運営交付金を約6700億円まで圧縮できるというものです。
同審議会は、2009年度予算編成に関する意見書(建議)を6月3
日に取りまとめ、財務相に提出する予定です。

うわっ〜〜〜〜
ますます大学は「金」がものをいう時代になるのでしょうか?
お金がなければ大学にはいけない。
こんな時代になれば、
それは学問の根底そのものが揺るがされます。
学問は、
すべからく受ける権利があるし、
また学問の恩恵は全ての人々に還元されるものであるから、
だから、
学問の場はひろく開かれていなければならい、
決して、お金の有る無しで、学問の門戸が開かれるものであってはならない。
と、私は思います。

これからの子どもたちに、
広く深い学問の場を提供することは政治の責任ではないかと考えます。
この問題、今後も注目していきます。

 

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デラックストイレ

昨日、夫と二人で小さな旅(?)をしました。
朝早くに出て、ラッシュにひっかからないように、とにかく名古屋を抜けようと、
前の晩(つまり日曜日)から予定を立てていました。
と、言うことで、
スケジュール通り、渋滞にひっかからないで名古屋を抜けたのですが、
途中刈谷ハイウェイオアシスに立ち寄りました。

デラックストイレ。
ご存知でしたか?
実は私は昨日、行くまで知らなかったのです。
(後でネットで調べたら有名だったのですね)
「デラックストイレかぁ、、、ふう〜〜〜ん。
じゃ行って見るか」
と、軽い気持ちで入ってみました。
みました、、、

ところが、
入るなり、
ビックリ。
ええええ===
これがトイレ???
うわっ〜〜〜〜
凄い。
ビックリしている私が普通だと納得するように、
後から来る人、来る人、みんなが同じように歓声を上げていました。

とにかくホテルのようなのです。
まんなかにソファがあって、
まわりにいろんな宝石などの展示があって、
そして、個室は重厚な木の扉でまるで部屋に入るように空間が遮られています。
洗面も、すごく面白い作りになっていて、
水の流れがガラスに写り、斜面を伝わっていきます。

自分の語彙不足が恨めしい。
この感動をストレートに表現したい。
が、
出てくる言葉は「すごい」だけ。

「いや、、、もっとここにいたい」
と、思うものの、外で待っている夫のことを思えば、
現実に返り、
仕方なく、出たのです。


夫に尋ねたら男子はそうでもなく普通の綺麗なトイレだったとか。
うわっ。
得した気分。

それにしても、本当にデラックストイレでした。
また、行って見たいな、、、

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2008.05.18

ことばの日

朝 FMを聞いていたら、今日5月18日は「ことばの日」だという話していました。
5月18日で、「こ・と・ば」。
語呂合わせです。

言葉かぁ〜〜〜〜

言葉ねぇ〜〜〜〜

あまりに大きなテーマなので、どこをどのように斬っていけばいいのか見当もつきませんが、
この頃、私がROMしているブログ界隈で「言葉、ことば・コトバ」がバンバンと行き交っています。

ううう〜〜〜ん。

言葉ね。

以前、智恵子抄の「あどけない話」を参考にちょっと今日的国会を描いたことがあります。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
本当の言葉
 
私は国会には言葉が無いと思ふ、
ほんとの言葉が聞きたいと思ふ。
私はがっかりしながら国会中継を見る。
ビザンチィン様式の建物の中に在るのは、
言っても言い尽くせない
むかしから伝えられ続けている嘘とごまかし。
どんよりけむにまく答弁のぼかしは、
うすら笑いしながらの口と心のしめりだ。
私は遠くを見ながら思ふ。
山に畑に町にそして海に
毎日出て働いている人々の言葉こそが
私はほんとの言葉だと思ふ。

私のなんのことはない戯言ではあるが、、、

(以前の記事より)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
この時は2005年の10月。
時の総理は小泉さん。
言葉がやけに軽くなった気がしたときです。
それから2年半。
今や言葉だけが軽いのではない、
存在のあまりに軽い総理が、
数だけを頼みに悪法をドンドン押しつけてきます。
あの折は「なんのことはない戯言」だったのだが、
今や、
「山に畑に町にそして海に
毎日出て働いている人々の言葉こそが
私はほんとの言葉だと思ふ。」
と述べた、そんな人々の本当の言葉さえ失われつつあるのでは、と思います。


恒例のサラリーマン川柳のベスト10が先日発表されました。
今年の一位は、
「「空気読め!!」 それより部下の 気持ち読め!!」
でした。
ふむふむ。

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2008.05.17

鳥栖戦

今日17日の相手はサガン鳥栖。
結果は1−0で広島が勝ちました。
よかった!!!

それにしても今日は寿人が凄かった。それから高萩が頑張った。
ストヤンは相変わらず攻守に活躍。
そして、
そして木寺。
この頃の木寺。
凄いねぇええええ。
なんか、木寺を見ていると人はいつでも、いつだって成長するんだと、
感慨に耽るのです。
本当に凄い。
あっ、これ、掛け値なく木寺への讃歌ですから。

と、言うことで広島、勝ったのですが、
鳥栖も素晴らしいチームだと感心しました。
以前、佐賀まで応援にいったのですが、
あの時に比べて、本当に鳥栖って強くなったと思います。
素晴らしいチームでした。

さて次節は横浜。
気をぬかず、一試合いっしあい、丁寧に心を込めてプレーして下さいね。
勿論、
私も気合いをいれて応援しています。

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2008.05.16

ナルニア国物語り カスピアン王子の角笛

ナルニア国物語りの第二章、カスピアン王子の角笛が、もうすぐ劇場公開。
アメリカでは明日からでしょうか、、、


ワクワクしながら公式サイトを見ています。
楽しみです。

大好きなナルニア
さてさて、どんな風に映画になるのか、、、
ライオンと魔女は原作に忠実に描かれていました。
今度は、原作風味とは少し違うというウワサが流れていますが、どうなんでしょう?
それにしても、
カスピアン王子、ハンサムですね。
いよいよ登場のリーピチープ。
私の中では十二国紀の楽駿とかぶるキャラです。

どうなるか、、、
今から待っています。

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2008.05.15

沖縄復帰の日

今日5月15日は沖縄復帰の日です。1972年5月15日のことです。
昨年沖縄の窓からと言うエントリーを挙げたのですが、この時は日米地位協定と教科書問題について書きました。

この一年。
沖縄ではとても悲しく、そして許しがたい事件が相次ぎました。
美しい海に囲まれ、
ひたむきに生きようとしている人々は、
戦争と不可分な基地というものを抱えて毎日を過しています、、、

沖縄の復帰。

それは本当のところ、まだまだではないか、と思うのです。
真の意味で、沖縄が帰ってくるのはいったい、いつの日か。

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宇宙基本法 反対ネット署名

この13日に衆議院本会議で可決された宇宙基本法案に対して反対の科学者たちによるネット署名が立ち上がりましたので紹介しておきます。

我が国による宇宙の軍事利用を解禁する「宇宙基本法案」
に反対するアピールのためのオンライン署名

是非ご協力お願いいたします。

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2008.05.14

戸坂潤の道徳と倫理

「古代に於ける倫理思想がそうだったように、近代に於ける倫理思想の自覚も亦、一般思想の激しい動揺、即ち社会機構の著しい変革によって促された。」
これは戸坂潤の「道徳の観念」の第二章にある言葉です。
先のエントリーでも挙げたように、戸坂は「道徳は社会秩序の分泌物のようなもので、従ってその反映である道徳意識乃至倫理観念は、社会秩序の上部構造的な表現に他ならない。」
と述べ、道徳が「初めにありき」ではない、と主張。
道徳とて社会の産物であることを縷々述べています。
故に「社会秩序が比較的安定を得ている場合には、その道徳乃至道徳意識は、自分の内に何等の抵抗も矛盾も感じないので、倫理思想は殊更自覚される縁もなければその必要もない。」と説く。
そして、この倫理が問題として自覚され、倫理学などが発生するのは、一般に社会変動と夫に基く思想的動揺とに照応してのことであり、歴史を学ぶことで近代ブルジョア倫理学の発生もその例外では無いという。

確かに、このところとみに注目されて来ている「道徳」。しかも愛国心をお供に堂々と学校教育に入り込もうとしている「道徳」。

「一体道徳なるものが、一般に一つの領域だ(その限界は機械的に与えるべからざるものでその内容も固定不変なものではないとして)と云って片づけられ得るかどうかなのだ。と云うのは、道徳は社会関係・政治関係・法律体系・其の他其の他と並列する一領域であると考えられるにも拘らず、他方之等一切の諸領域の一つ一つに接着していることをも見落すことが出来ないのである。そういう関係があればこそ、社会そのものが道徳的本質に還元されたり、政治や法律が単なる道徳に帰着されたりするということも初めて可能だったわけで、社会主義が倫理学に包括されて了うという誤りも、決して理由なしには発生しなかったのである。でもしそうだとすると、道徳はもはや単なる一領域であるに止まらず、恐らく一領域であるにも拘らず他領域をも蔽うか又は之に付随するかする処の、或るものだと云わねばならぬ。」
と、戸坂は逸脱していく「道徳観」に危惧を表明していきます。
そして、その隙間に滑りこむ「倫理」。
そこで冒頭の「倫理」について戸坂の考察は進む。
「 その意味に於て倫理学は、その煩瑣な分析にも拘らず、要するに常識的な道徳観念の多少理論的な釈明に過ぎないのであって、決して道徳現象の科学的説明を企て得るものではない。道徳なるものはすでに常識によって与えられている、倫理学は単に之を明快にして秩序立てさえしたならばよい、というのが、道徳に関する倫理学的観念の役割なのだ。だから、倫理学的道徳観念は、根本に於ては、常識的な道徳観念を批判克服しようとするものではあり得ない。まして新しい道徳観念の創造、そして又新しい道徳の創造、などについては殆んど全く無力なのだ。之は寧ろ初めから当然だと云わねばならぬ。なぜと云うに、今日の通俗常識はつまりはブルジョア社会に於て支配的な常識でしかないので、このブルジョア的の観念にぞくする常識的道徳観念が、同じくブルジョア社会の観念に立脚する所謂倫理学によって、批判され克服されるというようなことは根本的には、到底あり得ないことだからだ。」
と述べながら、だがしかし倫理学が宗教に結びついていく過程を
アウグスティヌスの神に基く神聖倫理について分析していくことで、道徳と倫理、そして「神」について言及。
「つまり世俗のカエサルの帝国に於ける常識的な階級道徳そのものと、少しも実質を異にするものではない。倫理学に於ける神学的観念論はここに始まる。」
として考察を重ねます。
「アウグスティヌスによって道徳の観念は宗教倫理的なものとなった。ここに含まれる特有な道徳問題は、単に善(或いは悪)や幸福(乃至浄福)の問題ではなくて、恩寵であり永生であり、そしてもっと大事なのは、之に直接関係のある悪(根本悪)と自由意志との問題なのである。之はギリシア倫理学では殆んど全く存在しなかったものであると共に、之なくしては近代ブルジョア倫理学を考えることの出来ないような、根本問題なのだ。こうした根本問題がアウグスティヌス(広くキリスト教倫理学)から発生したのである。」

ここで、愚樵さんやnaokoさんの関心へと結びついていきます。
またいつもコメントを下さる技術開発者さんの守備範囲でもあります。
カントに話を戻せば、
こうしてカントの倫理学は、認識理論や芸術理論から殆んど全く独立な領域として現われ、その結果、倫理学は「社会・国家・政治・法律からさえ、独立した一つの封鎖領域なのである。」と戸坂は言う。
そのもたらすことは、二つの結果を必然にする。と断言。
それは「一つは倫理学の形式化であり、一つは倫理学の固有問題の設定である。」
そして、この形式化こそが、倫理学は極めて貧弱なものとなるように見えそうで、この弱さこそが、実は却って之によって、倫理学という特殊領域が、いつでもどこにでも口を容れることが出来るような特権を獲得するのである、と言う。
「場所・歴史的時代・社会階級などとは全く無関係に、この倫理理論は通用出来るわけだし、又如何なる社会現象の根柢としても、この形式的な倫理学は、形式的であるが故に必ず想定されて構わぬものとなる。社会が倫理的に見られるためには、即ち、社会が観念論的に特徴づけられるためには、倫理学は形式主義を取らねばならぬわけであり、そのためその形式にとらわれることも必然であった、ということです。
また、以下の様に述べる。
「極めて最近では、倫理学を人間学乃至「人間の学」と見做すことも行なわれるが(例えば和辻哲郎博士)、こうした人間学は要するに社会を倫理に解消する代りに、之を人間に解消するためのもので、明らかにこの点で従来のブルジョア観念論倫理学の代用物としての機能を有つ、夫が改めて今時、倫理学と見立てられるのは尤もだと云わねばなるまい。——倫理思想を歴史的に導いて来なければならぬと云って、東洋倫理や日本倫理学を説く者が、今日の国粋反動復古時代に多かりそうなことは、誰しも思い付くことだ。西晋一郎博士によれば、「東洋倫理」は科学や学問ではなくて教えであり教学であるという。この教学主義の体系が今日の日本に於ける典型的な半封建的ファシズム・イデオロギーの帰着点であり、特色ある観念論組織の尤なるものであることは論外としても、この種の歴史的(?)な倫理学が、実は何等の歴史学的認識に立つものでもないことは、一目瞭然たるものであろう。」
戸坂の時代と今は色々な意味で違う。
のだが、
読めば読むほどすぐれて新しいと感嘆することばかりの私です。

さて戸坂は言う。
「——道徳は倫理学によって、全く卑俗な矮小な憐むべき無力なガラクタとなる。」と。

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道路財源法案通過

福田内閣・自公両党は昨日13日、ガソリン税などを今後十年にわたって道路につぎ込む道路財源法案を衆院で再議決しました。
ついこの前のガソリン税を倍加する「暫定税率」の再議決に続く数の暴挙です。

圧倒的多数の国民は、この法案の成立を望んでいませんでした。
先週末のJNN調査によると、道路財源法案の再議決を「支持する」と答えた人は21%で、「支持しない」人が実に74%。
これに先立って福田内閣は、道路特定財源を「二〇〇九年度から一般財源化する」とした「基本方針」を閣議決定しました。
これは自民党内の“造反”を抑えるための“証文”とされています。
ところがその実態は、公明党の冬柴鉄三国交相や自民党道路族らの要求通りに、際限のない高速道路建設を推進する証文となっています。
この基本方針が「着実に整備する」と明記した「必要と判断される道路」とは何かと問われれば、
参院で答弁したように10年で59兆円の道路中期計画の道路です。
しかも基本方針は、まだ閣議決定に至っていない中期計画を5年に短縮した上で「策定する」、つまり閣議決定するとのべています。

閣議決定かぁ〜〜〜

つまり国民不在。
尤も、国会で審議しても不在感が漂っているのですが、
それでも国会審議ならば国民の目は光りますが、閣議決定ではもう手が届かない。
何をどのように決められるのか???
知らないうちに道路だけがバンバン出来るということでしょうか?


そう言えば、この法案に先立ち地方の財政難を訴えていた政府ですが、
昨日の冬柴さんのコメントでは「地方に万全というわけではありませんのであしからず」(瀬戸意訳)という感じでしたね。

そもそも地方赤字の大もとは政府が押し付けてきた巨額の公共事業です。
そして地方交付税の大幅削減です。

さらに、さらに今後、出てくるのは消費税です。
冬柴さんは、税制改革がなされない場合は、一般財源化もやらないと「読むのが正確」だと解説していましたが、道路財源を突破口に消費税増税をもくろむと同時に、消費税増税ができなければ一般財源化も棚上げするという論理を国民に押しつけてくるでしょう。

国民からとれるだけとる。
これが福田さんの方針です。
間違いなく。

私たちは、
もっと、もっと声をあげなければならないのです。
鳴かずに毛がむしとられる羊のようであってはならない。
と、つくづく思いながら怒りの声を上げていく時です。

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2008.05.13

友人のブログ紹介

life---生まれてきて良かったと感じられる社会にと言うブログは、いつもコメントを下さるネット友人のayuさんのブログです。
副題が、
--苦悩の狭間-- ☆  一人一人を大切にして見捨てない社会に。みんなが自分らしく生きれますように♪
なんてついています。

私も訪問するたびに
目からウロコを一枚、二枚と落としています。
昨日は医療の現状を書いた記事を紹介していただきました。

21世紀の文明国・日本にあって、
その貧困な医療行政を詳しく説明した記事は、思わず唸りました。
私も、参考にさせていただき、また医療に、それこそメスをいれたいものです。

ayuさん、これからもいろいろ書いてくださいね。
私にとっても励みになります。

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四川大地震

四川大地震、心配です。
いまだ生き埋めで救助をまっていらっしゃる方も大勢。
一刻も早い対応が求められています。


それにしても先日のサイクロンといい、
なんだか災害が多いですね、、、

言葉にならない思いです。

いずれにしても一刻も早く救助がおこなわれることを願っています。

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2008.05.12

福岡戦

昨日11日、サンフレッチェ広島は3−0で福岡に勝ちました。
まずはよかった!
ホッ。

昨日、特筆すべきは森脇選手とGK木寺さん。
森脇君は前節の仙台戦で悔しい思いをしたので、
昨日は守りに攻めに積極的にプレーに絡みました。
結果、1ゴールを挙げ、勝利に貢献。
また、木寺さん。
昨日は神でした。
文字通り、守護神。
なんども、なんどもスーパーセーブ。
すばらしいぃいいいいい。
凄いじゃないか、木寺!!!
我が家では、惜しみない木寺拍手をなんどもなんどもしました。

さて、試合そのものは、
前半は広島が果敢に攻め、攻め、攻め、、、
ことごとく賢こい(?)バーに跳ねられ、
「おおおっしぃいいいい」と叫ぶ場面続出。
が、30分辺りで森崎弟君がゴールをこじ開け、先制。
やった!!!!

家族中で雄叫びをあげました。


そうこするうちに、前半終了。
後半は福岡がバンバンと攻めてきます。
きゃ〜〜〜〜
ぎゃ〜〜〜〜
うわっ〜〜〜〜〜
と、叫びながらも木寺のスーパーなセーブに思わずため息。
「おおおおおおお、、、、木寺。
やるではないかぁ」

そして、後半、森脇君と森崎弟君がゴールを決めて3−0で終了。

本当に良かった。

森脇君の前節の悔しい思いをバネに、今回は積極的にプレーする姿は美しいものがありました。
また、木寺選手も、次第に風格が出てきて落ち着いたプレーに安心を覚えました。

いいときも悪いときもあります。
が、
長い期間、一つ、ひとつを丁寧にプレーしていってください。
これからも応援しています。

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2008.05.10

母べえを観て

母べえを観てきました。

夫と二人で雨の中、行ってきました。
この映画は、夫と一緒に観て本当によかった。
何気ない日常の幸せ。
当たり前のように受け止めている大切な者を確認することができる、
上質の映画でした。


さて映画は、
時代と人々。
がテーマなのでしょうか?

背景である戦争への告発と平和の尊さ。
それを守る為に命を賭した人、その家族の愛。
それは夫婦の愛であり親子の愛であり、親戚の愛であり、隣人の愛であり、淡い憧れにも似た愛であり、、、
様々な人々の「思い」が愛と言う形で淡々とセピア色に流れていきます。

戦争と言う暴力に屈する事なく誇り高く命を閉じた人。
好むと好まざるとに関わらず徴兵され、戦地に赴き、命を散らす人々。
そして残された人々。
その残された人々こそが生き抜き、生き抜き、生きていく、、、
いろんな物を抱え、心に封じ込め。
戦争は終わってなんかいない。

時代は流れて、時は移り、、、

母べえは今際の際に言う。
「あっちに行っても父べえにはあいたくない。
生きてあいたかった」
と。

一年、二年、三年、、、そして十年、何十年。
母べえは夫、それも生きている夫を待っていたのでしょう。
心に生きている夫を描き、生き抜いてきた一人の女性の生き様,その最期が語る物は、
愛する者を失う悲しみ。
以外のなにものでもありません。

そんな悲しさ、切なさが全編に漂っていました。
悲しく、辛く、やっぱり救いはなかった、、、

救いはなかった。

それでいいのだと思います。

人は生きていく者です。
立ち、歩む者です。
そして、
愛する者を誰よりも大切に丁寧に生きていく者です。
だからこそ、
理不尽な形で愛する者を奪われることは救いがない。

救いがないからこそ、
これからこんな事が再び起きる事のないように、
人は生きていかなければならないのだと思いました。
かけがえのない人が、
理不尽にも、もぎとられるような残酷な日が誰にとっても起きる事のないよう祈りながら。

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2008.05.09

戸坂潤の道徳論を読む

愚樵さんが科学は陰謀説から生まれたなんて挑発的なタイトル(ご本人曰く)でエントリーを挙げられました。
あまりの面白さに何回も読み込んでしまったのですが、
やっぱり書こう「道徳」について、まずは。
(この忙しいときに、こんなワクワクするエントリーを挙げるな、と愚樵さんに毒づきながら、、、ブツブツ)

「キリスト教世界観から【神】が抜け落ちたことには、近代科学を生むと同時にもうひとつの副作用があった。それが科学と道徳の分離である。

【現象】が【神】と関連付けられているときには、【現象】の解釈には道徳性が付随した。【神】は世界を創造したものであると同時に道徳の根源であるのだから、これは当然のことである。しかし近代科学で【神】が抜け落ちると、【現象】の解釈への道徳性もまた抜け落ちた。道徳性が抜け落ちた解釈、論理実証主義の特徴はここにあるといってもよいかもしれない。
(愚樵さんのエントリーから)」

科学と道徳かぁ???
この二つの言葉が並ぶと私が思い出すのは、やはり戸坂潤。
「科学的認識のうえでの論理の欠乏は、道徳的意識のうえでの節操の欠乏に対応する」

と、言うことで愚樵さんのテーマからはずれることになるのですが、本棚から引っ張り出してきた戸坂。
ここからは戸坂潤の道徳論をみていきます。殆どが戸坂の文の引用ですので、
お時間がある方は直接本をご覧ください。格調高いです。
また、すごく長いので、まずは感想だけちょっと先に書いておきます。

カエサルのものはカエサルに、神のものは神に。
そして道徳は生活意識というそのものに還されなければならないのだと、改めて思いました。
それは決して、
階級支配の道具であってはいけない、、、

戸坂が伝えたかったこと、伝えようと願ったことは何か?

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

第一章 道徳に関する通俗常識的観念
「道徳の問題を持ち出す際、いつも邪魔になるものは、道徳に関する世間の通俗常識である。」と戸坂はまず初めに世間の通常常識が道徳の問題を考える際、ある障害になると述べる。
そして、
「道徳の理論的な観念はいつも道徳の常識的観念を縁とすることによって、その検討が始められねばならず、そして終局に於て、常識的道徳観念からの絶縁としてではなくて却ってそれの深化又は変貌として、道徳に関する理論的概念を取り出さねばならぬ。だがそのためにも、道徳に就いての常識的な観念が、殆んど迷信に近いまでに頑なで有害なものだということを知らねばならぬ。」と纏める。
その後、常識の分野について言及。
そして、以下のように述べる。
「道徳なるものは、だから生活の一切の領域に、或る仕方に於て着き得るのだ。どういう権利でどういう仕方で着くかは、後に見ようと思うが、とに角その意味に於て、道徳とは生活意識そのものを意味するのだと、仮に云っておくこととしよう。念のため断わっておくが、道徳は確かに一応、常識がそう想定している通り、生活の一領域のことなのだ。にも拘らず、それに尽きることなく、根本的には生活意識そのものを意味するという含蓄を有つものだ、と云うのである。

次に戸坂は道徳の人間性に言及。
「 常識による道徳の考え方の第二の特色は、道徳を善価値だと考えて片づけることだ。という意味は、道徳とは道徳的なことであり善であることだ、というのである。」
そして、戸坂は徳目、修身などおよそ人が道徳と聞いたとき連想する数々の項目について述べる。
この徳目主義から道徳の普遍性を要請する観念が芽生えること。そしてその意味を次のように分析する。
「だから道徳の不変性という観念は、単なる不変性の観念ではなくて、神聖な絶対者、批判すべからざる不可侵物、という観念なのである。事物の不変性は価値評価の世界では事物の神聖味となって現われる。道徳はそれ自身価値ではなく、却って道徳的価値対立(普通之を善悪と呼んでいる)を強調によって成り立たせる或る領域か或いは領域以上のものであることを述べたが、にも拘らず之は道徳が要するに価値的なものであることを云い表わしているのであった。この価値の世界に横たわる処の道徳の不変性を主張するということが、その神聖な絶対性を主張するということになるのは、当然なことだ。」
「常識によって想定される道徳の不変性とは、常識の立場にとっては、凡そ道徳なるものは神聖にして侵すべからざるもので、断じて批判の対象になってはならぬ、という想定なのである。常識にとっては道徳そのものを批評批判することは、云わば第一に言葉の上でさえ矛盾したことなのだ。吾々は不道徳をこそ批判すべきであって、道徳そのものを批判することは、原則的に不可能だと考え得べきだろう。と云うのは批評批判する場合の尺度そのものが、他ならぬこの道徳なのであるから、布地で物指を測ることが無意味なように、道徳を批判することは意味がないのだ、とも考えられる。」
しかし、戸坂は道徳は不変ではないし、あろうはずがないことをその後、引き続いて書く。
「科学は、理論は、事物の探究を生命としている。之は科学自身の批判を通して行なわれる。この点常識にぞくする。処が道徳に関しては常識はそうは考えない。道徳は事物の探究ではない、寧ろ事物を(勝手に常識的に)決める武器だ。道徳自身を批判した処で、道徳なるものが探究でない限り、何の役にも立たぬ。そして道徳そのものを探究すること、之は道徳自身の仕事ではなくて、道徳学とか倫理学とかいう専門的学問の仕事だ、と常識は考えているのである。——だが以上は、道徳を絶対神聖物と考える常識から云って、完全に首尾一貫した観念の展開に他ならない。」
「世間では道徳意識を良心とか法への服従とか習俗の尊重とか考えるが、之は人間の社会生活意識の夫々の内容でなくて何であるか。——俗間の所謂常識による道徳の観念が所謂常識なる観念と相蔽うということをすでに見た。真の道徳と真の常識とも亦、その内容が略々同一のものだと云うのである。」


その後、道徳と現実・社会生活への検討をして、第二章 道徳に関する倫理学的観念へと続きます。
ここは殆ど歴史ですので割愛。
第三章 道徳に関する社会科学的観念
戸坂は道徳は原始の形は日常生活の中での欲望の形態であるとまず言う。
しかし、道徳が社会の中で如何に進化・発展の形をとげるかを以下のように説明する。
「この原始的な道徳観念は実はやがて、現代人が道徳に就いてもつ最も原始的な観念でもあったのである。処でここに注意しておかなくてはならぬ点は、この道徳がこの際(夫が原始宗教の形をとる場合でもよい)、他ならぬ社会的[#「社会的」に傍点]強制だったという点である。道徳はここでは全く社会的[#「社会的」に傍点]なものと考えられているのである。処が道徳に就いての観念がもう少し進歩すると(そしてこの進歩は実に社会そのものの進歩の結果に相応するものだが)、道徳は単なる社会的強制ではなくて、更に強制される自分の主観自身がその強制を是認する、という点にまで到着する。この時初めて、道徳に就いて本当の価値感が成り立つのである。そしてこうして道徳の観念が構成される際の一つの方向は、道徳を主観の道徳感情・道徳意識に伴う価値感そのものだと考えることに存するようになる。こうして良心とか善性とかいう主観的な道徳観念が発生する。所謂「倫理学」は、こうした主観的な道徳観念を建前とする段階の常識に応ずる処の、道徳理論だったのだ。」
そして道徳がイデオロギーとなる道筋を分析していく。
「さて道徳を社会の自然史の立場から科学的に説明しようとすると、之は一つのイデオロギー[#「イデオロギー」に傍点]に他ならぬものとなる。社会に於ける生産関係をその物質的基底として、その上に築かれた文化的・精神的・意識的・上部構築が一般にこの場合のイデオロギーという言葉の意味だが(尤もイデオロギーとは社会の現実の推移から取り残されたやがて亡びねばならぬ意識形態をも意味するが、道徳に就いてのこの意味でのイデオロギー性質も後になって意義を見出すだろう)、社会のこの上部構築としてのイデオロギーの一つが道徳現象だということになるのである。政治・法律・科学・芸術・宗教・それから社会意識、こうした文化乃至意識が夫々イデオロギー形態であるが、道徳はこの諸形態と並ぶ処の一イデオロギーだというのである。」
「道徳は併し権威[#「権威」に傍点]を有っていると云うだろう。処がその権威は実は単に権力[#「権力」に傍点]が神秘化されたものに過ぎぬ。道徳の権威とは、権力としての社会規範に過ぎぬ。而もその権力自身が生産関係から生じることは又、見易い道理だ。」

最後に第四章 道徳に関する文学的観念へと読者は導かれます。
ここでは主に文学作品を検討しつつモラルについて考察。
そして格調高く最後は以下のように締められます。
「だから道徳とは、丁度科学的真理がそうであるように、常に探究される処のものなのだ。その点から見れば、道徳は与えられた道徳律や善悪のことや一定の限定された領域などのことではない。特に、科学が決して、真理と虚偽との対立を決めるというような妙な形の興味を有つものではないと同じに、何が善で何が悪かというような設問の内を堂々巡りしていることは、道徳の探究の道ではなく、従って又道徳の本義ではないのである。
 道徳が自分一身上の鏡に反映された科学的真理であるという意味に於て、道徳は吾々の生活意識そのものでもなければならぬ。そういう生活意識こそ偉大な真の常識というものだろう。そしてこの道徳を探究するものこそ、本当のそして云わば含蓄的な意味に於ける文学の仕事なのだ。モラル乃至道徳は、「自分」が無かったように、無だ。それは領域的には無だ。それは恰も鏡が凡ての物体を自分の上にあらしめるように、みずからは無で而も一切の領域をその内に成り立たせる。」
と。
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宇宙基本法成立?

ミサイル監視・偵察衛星…宇宙の防衛利用、解禁 基本法案成立へと言うことで、
いよいよ舞台は宇宙へ。
スターウォーズならぬミサイルウォーズ。
宇宙から監視されるのでしょうか???


この重要な審議が、昨日8日、衆院内閣委員会理事会において行われたのですが、
わずか2時間の審議です。
ニュース記事にもあるように、
宇宙の軍事利用の拡大・推進や内閣に宇宙開発戦略本部を設置するという中身なのです。
さらに見るならば、
「宇宙基本法案骨子」には、
「我が国の安全保障に資する宇宙開発利用の推進」
「宇宙開発利用に関する情報の管理」
と書かれています。
繙くならば、
「安全保障」の名で日本も宇宙の軍事利用に参加できる。
そして、宇宙開発技術を「情報の管理」の名で、軍事機密のベールに包み隠そうというものです。

1969年の国会決議では、宇宙開発は、平和の目的に限るとしていましたが、
この平和原則が根元から揺るがされることになりました。

この問題、あまりマスコミには上りませんが、
実は大きなおおきな問題なのです。
今後の成り行きに注目と、多くの方に語りかける必要を感じています。

6日の記事もお時間がありましたらご覧下さい。

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2008.05.08

ミャンマーのサイクロン

サイクロンのニュース。
胸が痛みます。
心よりお見舞い申し上げます。

被害が日一日と明らかにされ、被災者の方の数がドンドン増え、本当に胸が痛みます。
食糧不足深刻化と言うことで、
緊急支援活動のよびかけと救援物資についての不足のニュースが出ました。
日本政府も、
ミャンマーに対して、5日に表明した約2800万円相当の緊急援助に続いて、毛布や簡易水槽など約3600万円相当の追加援助をすると発表しました。
また、世界各国もそれぞれ緊急支援を行いましたが、
軍事政権のためか、国連スタッフが入国限定など、もどかしい状況もあるそうです。
と、言うことで
まだまだ現地では足りないようで心配されます。

なお、各銀行などは義援金口座などを開設して、
個人の善意を募るそうです。
心ある方は是非、お願いいたします。

被災にあわれた地方の一日も早い復旧をお祈りいたします。

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日中首脳会談

昨日7日、福田総理と中国の胡錦濤国家主席の会談が首相官邸で行われました。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
両国は00年1月以来中断している「日中人権対話」を約8年ぶりに再開することで合意した。チベット問題などをめぐり日中間に常設対話ルートが確保される。懸案の東シナ海ガス田の開発問題についても「解決のめどが立った」(福田首相)ことが確認され、7月の北海道洞爺湖サミット(主要国首脳会議)の日中首脳会談の機会にも合意を目指す。
(上記ニュースより)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
両首脳は、
日中両国が「歴史を直視」し、「戦略的互恵関係」を包括的に推進するとした共同声明を発表。
中身を見ると、
(1)首脳相互訪問の定期化など政治的相互信頼の増進
(2)人的交流と国民の友好感情の増進
(3)互恵協力の強化
(4)アジア太平洋への貢献
(5)世界的課題への貢献
この分野での協力を謳っています。


会談後の共同記者会見で福田さんは、
中国が4日にチベット仏教最高指導者ダライ・ラマ十四世側との話し合いを行ったことを「本格的対話に向けた第一歩」と評価。
胡主席はダライ・ラマ側が暴力扇動の停止など「次のステップの話し合いの条件をつくりあげることを望む」と述べました。

また、
東シナ海ガス田共同開発問題については
「長年の懸案に解決のめどが立った」と表明。
胡主席も「突っ込んだ協議で重要な進展を遂げた」と語りました。

微妙でデリケートな問題をいっぱい抱えている両国ゆえに、
これからオリンピックやサミットを控え、
両国が協力をして、国際社会に貢献していくことを祈っています。
今後の成り行きに注目です。

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2008.05.07

仙台戦

勝ったり負けたり、、、
GWのサンフレッチェ広島。

ああああ〜〜〜
昨日は仙台に負けました。
0−1。
惜しかったぁ。
後半ロスタイム、あと30秒と言うところで、
仙台の選手にゴールを許してしまいました。
あああ〜〜〜
がっく。
この間、11日、4試合という過密なスケジュールで、
選手がヘタヘタ、ヨレヨレになっているのはテレビを通して伝わってきます。
それでも、
選手は良いプレーをしました。
頑張っている姿、一生懸命に走っている姿は見ている私にも胸がジィ===ンとなり、
あああ、、、早く終わればと思っていた矢先。
やられましたねぇ。
うううう〜〜〜ん。
なんとも
残念。
残念。
残念。


あああああ〜〜〜


まぁ、まだまだ長丁場。
一つ一つの試合の結果に一喜一憂をしながらも、最終的にはJ1に復帰することを願いつつ、、、
つつ、、、

でも、
もう一回。

残念。


次節はこの悔しさをバネに頑張るであろう選手の姿を楽しみにして、
また、応援します!!!

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2008.05.06

宇宙基本法修正案

連休も今日でおしまい。
アッという間に時間は過ぎると、改めて思っています。
みなさんは、この連休、如何お過ごしでしたか?

さて、連休が開けると、いよいよ国会が嘩しくなります。
目が離せません。
その一つに宇宙基本があります。
以前この記事と、この記事で、宇宙基本法について書いたことがあります。
その宇宙基本法修正案。
いよいよ連休明けに国会に登場か???
注目です。

このニュース、必要に応じてまた書いていきます。

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2008.05.02

恒久派兵法と憲法

明日5月3日は憲法記念日です。
日本国憲法。
その三原則「国民主権、戦争放棄、基本的人権の尊重」が、
今日ほど重みを持って感じられる事はないのではと、思う事しきりのこのごろです。

さて、戦争放棄、憲法9条をもつ平和国家日本に、
自衛隊をいつでも海外に派兵できる海外派兵恒久法をつくろうではないかという動きがあります。


この3月下旬、福田さんが、
恒久法制定を「早くしたほうがいい」と述べました。
それを受けて、早速、自民党は恒久法制定をめざすプロジェクトチームを立ち上げました。
座長も兼ねる山崎拓さんは、今後のスケジュールを発表。
それによると、今通常国会の会期末(六月十五日)までに恒久法の要綱をまとめる。
夏に法案化。
秋の臨時国会で成立というものです。
また、自民、民主、公明の「新世紀の安全保障体制を確立する若手議員の会」も総会を開きました。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
週1回勉強会を開き、 インド洋に海上自衛隊を派遣するための新テロ対策特別措置法の期限が来年1月に期限切れとなることを踏まえ、 自衛隊海外派遣の要件を定める恒久法や、集団的自衛権行使の問題について議論を深める方向で一致した。
(毎日新聞 2008.4.23)
上記サイトより
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


恒久法ですかぁ〜〜〜〜
恒久法になるということは、従来のように、海外派兵のたびに特別措置法案をつくり、国会の承認を得るやり方をやめ、制定後は政府の判断でいつでもどこにでも派兵できるようにするというものです。
つまり国会の判断を仰がないということです。
これは「ねじれ国会」と言われる現国会の政治模様が衆参で勢力が違うため、
審議に時間がかかることと、国民の前にいつも明らかにされるためです。
迅速、かつ秘密(?)にコッソリと海外派兵したいと言う事でしょうか???
ねぇ、福田さん>

さてさて、
こんな恒久法。
もちろん、背景にはアメリカの要求があります。
アーミテージ元国務副長官などアメリカの超党派アジア研究グループは昨年、恒久法議論を「励まされる動き」とのべ、米軍が必要とするとき「短い予告期間で部隊を配備」するよう求めています。

アメリカの意向をくんで、出来上がる恒久法。
その内容は、ズバリ、アメリカの為の戦争への道をひた走るものなのでしょうか?
戦闘に発展しかねない治安維持や警護活動などを含み、アフガニスタン国際治安支援部隊(ISAF)への参加も検討対象にと盛り込まれる恒久法。

さらに特筆すべきは、
外国軍を受け入れている政権が外国軍の活動を治安維持活動として認めるのであれば、無差別爆撃も治安活動となり、国連憲章が禁止する武力行使にあたらないとの新見解を示していることです。自動参戦に道を開くということか???
今まで精一杯歯止めの役をしていた国連憲章さえ取っ払って、自衛隊は行く。
海外へ。
戦争のある国へ。
アメリカを守る為に。

と、いうことかぁ〜〜〜

ふっ〜〜〜〜
と、またまたため息がでます。
が、
ため息なんてついていられません。
明日5月3日は憲法記念日。
恒久平和をうたった日本国憲法の意義を今一度確認しながら、
少しでも多くの人々に伝えていきたい。
平和の尊さを。

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2008.05.01

メーデー

今日は5月1日。
メーデー

そもそもの始まりは、
約120年前、八時間労働制の確立を求める国際統一行動として始まりました。
日本では1920年に第一回が開催。
今年は第79回メーデー。
おめでとうございます。
79歳の誕生日!!!

今年のスローガンは、
貧困と格差の広がりが、大きな社会問題になっていることを受け、
差別的待遇を受けている非正規社員の正社員化や、だれでも千円以上の時間給・全国一律最低賃金制の確立、男女の賃金差別と「サービス残業」をなくすことを前面に打ち出しています。

また、後期高齢者の医療問題や学費問題など、
生活に密着した課題と、
憲法を守る地道な課題。
などなど。
多種で多様な課題を掲げて労働者の祭典は開かれます。

私の住んでいる所は、
五月晴れ。
おめでとうございます。
メーデー、79年。

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ガソリン値上げ

ふっ〜〜〜〜ため息です。
予想の範囲とはいえ、やっぱりため息です。
ふっ〜〜〜〜

この国は一体、どうなっていくんだろう???

ガソリン暫定税率復活と言う事で今日5月1日からまたガソリンは上がります。

ふっ〜〜〜〜

ゴールデンウィークを前に遠出を考えていらした方々は、
昨日のうちに長蛇の列をついて給油した事と思います。
仕事や生活で車を離すことのできない方々は、もっと切実につかの間の値下げの間に給油。
ため息つきながら、、、
ふつ=====

しっかし、昨日の国会の模様をみながら、
「本当にこの国はどうなるのか」と暗澹たる気持ちになりました。

「みなし否決」に強行採決。
与党のこのやり方はどうなんだろう???
みなし否決って言うけれど、
これじゃ参議院は一体なに???
衆議院が一方的に参議院の権利を奪って、勝手に数をたのみに強行採決。
それも、その内容は国民に直接関わる税金の問題、生活の問題を。
ガソリンがあがると言う事は、
それ以外の物価も上がると言う事を意味します。
5月以降、値上げを予定されている電力など諸々に加え、今後、いろんなものが上がるのでしょうね。

ちりも積もれば山。
一つひとつはほんのチョットでも、積もれば家計に大きな負担になることは明らかです。

福田さんは「国民の生活が苦しい事は分かっている」そうですが、
「かわいそうな自分」のために、もっと、もっと苦しんでくれ、、、と言うような内容の答弁(これは私の要約です)を昨日、夕方なさいましたが、
説得力はないよね〜〜〜


テレビのニュースでどなたかが言われていた言葉
「道路ができても、その頃は車は走っていませんよ、
みんなへたれてしまって、だれも車に乗る余裕なんてなくなっている」
が、妙にリアルに感じられます。

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