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2008.05.27

マルクスがブームらしい

甦るマルクスと言うタイトルで内田さんがエントリーを挙げていらっしゃいます。
まずは「マルクスが「プチ・ブーム」らしい。」と言う書き出しでつかみを得ます。
読んでいる私は「ふむふむ」。
そうかぁ、、、
ブームなのか。

とむ丸さんも小林多喜二やマルクスを求める時代と言うエントリーをあげていらっしゃいます。
とむ丸さんらしい優しい切り口でマルクスからさらに新自由主義へと私たちを誘ってくれます。

と、言うことで私も早速、本棚の「資本論」を取り出します。
手にとって、
横からみたり、裏を見たり、
見たり、、、
と、しつつ結局本文へはなかなか進むことが出来そうにありません。
昔、読んだ時の棒線なんかを眺めながら、
「へぇ〜〜〜こんなこと書いてあったんだ」と安直に納得。

内田さんが上のエントリーの締めで、ズバリ、マルクスの魅力を語ってくれています。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
マルクスは私たちの思考に「キックを入れる」。
多くの読者たちはおそらくそのような効果を期待してこれまでマルクスを読んできたはずである。
私はそれでよいと思う。
マルクスを読んで「マルクスは何が言いたいのか?」というふうに訓詁学的な問いを立てるのは、あまり効率のよい頭の使い方ではない。
それよりはむしろ、「マルクスを読んでいるうちに、急に・・・がしたくなった」というふうに話が横滑りをし始めることの方がずっと楽しいことだと思う。
「知性とは何か」について、私の知る最高の定義は(繰り返しご紹介した)グレゴリー・ベイトソンのそれである。
ベイトソンによれば、知性とは何か?という問いに、知性はこう回答した。
That reminds me of a story.
「そういえば、こんな話を思い出した」
マルクスを読んでいるうちに、私たちはいろいろな話を思い出す。
それを読んだことがきっかけになって、私たちが「生まれてはじめて思い出した話」を思い出すような書物は繰り返し読まれるに値する。
マルクスはそのような稀有のテクストの書き手である。
(内田樹の研究室より)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

うわっ〜〜〜〜
それ、それ。
凄くよく分かる。
そうなんだよね。
マルクスを読みながら、と言うか眺めながら私は何故か「チボー家」を思い出していたのです、、、

何というか、別にマルクスにキッチリとからめ取られることなく、
マルクスを子守歌のように慣れ親しむ、
きばらなくていい、、、
そんな読み方でいいんだよ。
と、書いてくれた内田さんに、何故か凄く器の大きさを今日は感じました。
(ほっ〜〜〜私にしては珍しいことだ)と、
自分で突っ込みつつ。

いずれにしても、
そんな感じで肩肘張らずに、もう一度読んでみようか、、、なぁ。

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コメント

こんにちは、せとさん。自分なりの言葉で書いても良いのだけど、少し疲れているのでwikipediaから引用すると

>資本主義はカール・マルクスが著書『資本論』の中で定義した。一般に誤解されているが、マルクスは資本主義の矛盾・問題点に目をむけて研究を進めていたが、資本主義そのものは社会の生産性が高まる必要な時期と捉えており、資本主義が成熟し、やがて共産主義へと移行すると考えていた。

となっているみたいに、マルクスは資本主義経済を共産主義への過渡期現象として位置づけているわけです。むしろレーニンなんかが、「そんなまだろっこしい過渡期なんてすっとばしてしまえ」とロシアみたいに専制君主制の束縛型の経済から一気に社会主義経済へと移行しようとしたことで「マルクスは資本主義経済を否定した」みたいな誤解があるのね。

なんていうか、真の共産主義・社会主義経済を行うためには資本主義経済が十分に成熟して「もう、これ以上の成長はたくさんだ」にならないとできないわけです。でもって、現在の先進国の資本主義経済は十分な成長を遂げているかという話になるわけね。私自身はもう一段過渡期減少として「量的競争型から質的競争型への移行」がないと十分な成長とはいえないと考えているけどね。質的競争ってのはね、たとえば田舎の老人世帯というのは、家電量販店からはTVを買わないんですよ、安くてもね。近所の個人家電品店から買うのね、高いけど。その代わりに運んできたら、アンテナ線のビデオ接続から、リモコンのチャンネルあわせまで全部やるわけ。でもって、何かの機会にアンテナ線が抜けただけでも、「はい、はい」とやってきて線をつなぐわけ、そのきめ細さと腰の軽さが、初期の費用より重視される社会があるわけです。なんていうか、量的競争から質的競争に移行すると、サザエさんに出てくるような「御用聞きのサブちゃん」みたいなものも復活するのかも知れないと思うんですね。実はこの質的な競争社会というのは、半分共産主義的要素を含むのね。というのは「幸福でない労働者は、人の幸福を願うような形の質的競争に負ける」ということが成り立つからなのね。私は「忙しくて奥さんの家電品への不満を聞く暇のない家電品設計者は質的競争では負ける」なんていうんだけどね。

まあ私の「質的競争資本主義」を経由するかどうかは別として、資本主義経済(私に言わせると量的資本主義経済だけど)が成熟というよりもむしろ爛熟に近い状態にあるというのは、多くの人が感じ始めていることではあるわけね。でもって、もしもマルクスの考え方が正しかったら、そろそろ共産主義経済に向けての流れがやっとこさ動き初めてもいいころではあるんです(私はまだだと思うけどね)。

投稿: 技術開発者 | 2008.05.27 18:20

技術開発者 さん。
こんにちは。
コメントありがとうございます。
何回も読みました(^.^)

「まあ私の「質的競争資本主義」を経由するかどうかは別として、資本主義経済(私に言わせると量的資本主義経済だけど)が成熟というよりもむしろ爛熟に近い状態にあるというのは、多くの人が感じ始めていることではあるわけね。でもって、もしもマルクスの考え方が正しかったら、そろそろ共産主義経済に向けての流れがやっとこさ動き初めてもいいころではあるんです(私はまだだと思うけどね)。」

そうですね。
私も「まだまだ」だと思いますが、
この閉塞した資本主義を打開するために、
どのようにしたらいいのか???
と、思うと使い古した雑巾のように絞っても何も出てこない自分の頭がうらめしいいい〜〜〜

肌ではわかっているんでしょうが、
向こうが見えないのでしょうね。
マルクスの時代と今は違うから、そう単純に物事が進まないのでしょうが、なんとか「格差」がこれ以上広がることのないように階層としての闘争はしていく必要はあるんでしょうね。
どうなんでしょうか???
またお時間があるときでもお教え頂けると嬉しく思います(^.^)

投稿: せとともこ | 2008.05.28 16:36

こんにちは、せとさん。少し運命論と紛らわしい話になってしまいます。

 歴史を経済という視点で見るとき「どうしようもない流れ」というのはあります。陸稲や栗を栽培し半農半猟で暮らしていた縄文人の一部が水稲栽培を始め、灌漑工事に必要な労働力を求めて周囲の村を侵略し始める。そこにはさまざまな争いがあり、そして不幸もある。原始共産制だった縄文の村に貧富の格差も生まれ、そして拡大していく。なんかあたかも「見てきたような」書き方をしますが、私には見えてしまうのですよ、そういう流れの詳細まで知りたいと思い、そして得た知識を身体にしみこませるようにしてその時代を観想していると、まるで、その時代の中の一人として沢山の不幸もまた感じでしまうのです。でありながら、弥生・古墳時代の中の人間を観想したときには、ちょっとした気候変動で飢えと戦った縄文時代よりも村に蓄えがある弥生・古墳時代の方に幸福を感じたりもするんです。

私はマルクスの将来予想というのは基本的に正しいと思っています。資本主義経済は「消費が飽和する」ことで量的に行き詰まるしかない宿命を負っています。私は卑近なたとえを良く使いますが「家族が4人部屋数が5部屋、6台目のTVはどこまで値段を下げたら買ってもらえるでしょう」なんてね。値段を下げても必要がないんですよ、5台のTVのどれかが壊れない限りはね。量的資本主義経済では生産規模の拡大再生産により生産性を上げて価格を下げて消費を喚起してきたんです。こういう飽和型の行き詰まりにはもともと対応できないシステムなんです。

マルクスが見た将来の風景と私が見ている風景は、詳細では異なりながらも基本的には同じものだろうと思います。でも、簡単には人は社会を変えようとはしません。時にはレーニンのように時がいたっていないのに無理やり未来を呼び込もうととして禍根を残すこともあります。

私にできることは何でしょうね。ずっと考えてはいるのですよ。私の様なものはカサンドラの呪いを持っている様に感じることもあるんですよ。女神ヘラから「お前に予言の力を与えよう。同時に誰もお前の予言を信じないようにしてあげよう」と言われた呪いです。私に歴史はたぶん変えられない、でも身近な小さな不幸を軽くすることくらいならできるのかも知れないんですね。私は、それを考えることくらいしかできないんですよ。

投稿: 技術開発者 | 2008.05.29 09:02

せとともこさん
技術開発者さん
こんにちは~^^

せとさんのところは、いつもなぜかコメントを入れたくなるエントリーが多くて困っています。話題が私の琴線に触れるからなのでしょうが、だからといって自分の心の赴くまま行動してよいというわけのものでもないので自制しています。(笑)

私は、技術開発者さんのファンなのでしょうね、迷惑を顧みずに言うならですが・・・。(^^;

このエントリーもマルクスや小林多喜二や共産主義から話が広がって、ついには「カサンドラの呪い」にまできたところでググルことになってしまいました。(爆)
カサンドラはどこかで聞いた覚えもあったのですが、この際と思って検索しましたら、トップに表示されてるページが何か違う・・・。で読んでみると「カツサンドの呪い」と読み違えたブログ主さんのページがトップに表示されていたというわけで、ここで少し笑わせていただいたあとwikipediaのほうで見てみたらカサンドラはカッサンドラであって、これでカツサンドとが全く無縁のものでないことがわかりました。いえ等号で結ぼうなどとは考えていませんので誤解なきように。orz

ここでマルクスや小林多喜二や共産主義から全くはなれたエントリー違いの話になりますが、昔の話は日本であれ外国であれ呪いの話がよく出てきます。「カサンドラの呪い」もそうですが特に神話とされるものには多いですね。菅原道真も今は学問の神様になっていますが当時は「祟り」が怖くて天神に祀られたとか。で人間社会は科学だけでは説明できない、治められない(統治の)一面を感じるのです。

結局はこうして水伝がらみの話に持っていってしまうのが私の悪いところですが、ここのせとさんのところで技術開発者さんに出会ってから「ばっかじゃないの」には本当に感心したから水伝ビリーバーに対しては軽く「ばっかじゃないの」との態度が必要と思うようになりました。ですがそれ以上の相手への執拗な宗旨替えを迫ることはこれまた罪の世界ではないかと考えています。
私は疑似科学批判で真面目に取り組んでいるかたがたを尊敬しています。また批判派が抱いている危機感にも共感しているつもりです。「つもり」ぐらいではグレーなので敵認定もありうるかとも感じていますが・・・。ま、私としてはやり過ぎないように祈る気持ちが強いのです。

で、「呪い」の話に戻りますが、現在の日本の表面的な感じとしては「呪い」だとか「祟り」だとかは一般的に現れません。が、今回のことでも「論理が大事」と攻め立てられると、私のように(せとさんからお褒めいただいたw^^)「シッチャカメッチャカ」の方法で戦うことも出てきます。稚拙な論であろうがなかろうが「呪い」も「怨み」も「丑の刻参り」も何でもありとなってしまいます。(笑)
特に「言霊」を重要視する私にとっては相手への罵倒がどのように作用するのか?と観察しながら応戦することになります。最終的に決着がどのようなものになるのかわかりませんけど、人間というものは正しいことを主張すれば良いというものではないと考えていて、常に妥協するための一定の譲歩も持っていてほしいと願っています。
島国に住む日本人は逃げるところを海に阻まれています。そのためどうしても徹底的な追い詰め方はしなかったのではないか?曖昧に物事を収め問題の種は何時までも残るけれど「和をもって尊し」になっているのではないかと思っています。

いや、それで良いとは言いません。自分の勝手な解釈による日本人像を披露させていただきました。

人間の歴史には「呪い」も重要な位置を占めていたのだと感じることから駄文を書かせていただきました。
あまり来ないようにしますのでよろしくお願いいたします。
では~~~^^

投稿: ニケ | 2008.05.29 18:07

技術開発者さん。
ニケさん。
こんにちは。
コメントありがとうございます。

技術開発者さん>
ニケさんは貴方の大ファンだと言われています(^.^)
私も、お二人の大ファンです(^.^)
技術開発者さんは、私の所に来ていただく方々で、お話された方は皆さん、大ファンになられるようですよ(^.^)
さて、本来は頂いたコメントにお答えしようと思ったのですが、ニケさんからもコメントを頂いたので、
まずはニケさんからお返事いたしたいと思いますので、今回は失礼いたしますね(^.^)


ニケさん。
私はニケさんの大ファンですよ(^.^)
いつも楽しく拝見していますよ。

日本人の言霊信仰のお話、とても興味深く拝見いたしました。
愚樵さんの世界ですね。

呪いに関しては今すぐに返答できない(と言うかあんまり考えたことがないので、、、)のですが、
言葉にはエネルギーはあると思います。
何度も言うように巷で流布されている水伝は「水が判断する」と言うもので、噴飯物です。
が、
言霊は「言葉を判断するのは人間自身」なのだから、
絶対、そこには「思いというエネルギー」は伝わると考えますよ。


昨今、ブログで取り沙汰された水伝騒動。
私もROMしていたのですが、お正月の頃と論争の主題が変ってきましたね。
一連の流れをずっと見てきた者としては、
そもそもの発話が、
疑似科学そのものの告発ではなかったと言う事があぶり出されて実に残念です。
直近のやり取りは、
ニケさんには、また違った思いでご覧になっていたと存じます。
が、、、
どちらの陣営にも与するものではない私にとっても
二点ばかり疑問がありました。
つまり、
言葉の解釈(つまり私闘の意味云々)に突入した時点で、「もし、ランキーさんがそのような言葉を使った場合は、どのような論が展開されるのか」と言うこと。
次に、
「行間を読むことの大切さを訴えられるなら、
そもそものランキーさんの記事にも適用すべきでは???」
と、言うことです。
水伝そのもの・疑似科学そのものの告発ではなかったことが、明らかになった今、発話者の「正当性」を保障するものは、
「ランキーさんが初期の段階で誤りを侵したことは紛れもない事実」だけです。
それを理由にして、先の二つの疑問を解消していくだろうと考えます。

際限なく続けても、行き着くところは初歩の誤りに言及していくと思います。

と、言う事で、
ニケさんも、この問題を、そろそろ手放しては如何ですか?
生産的なものが何もないとしたら、エネルギーの消耗だと考えます。
「放てば満てり」だと私は思います。
いかがでしょうか???
またご意見お聞かせくださいね。

そして、
どうぞ、これからもドンドン来てくださいね。
意見交換を楽しみにしています(^.^)

投稿: せとともこ | 2008.05.29 19:19

せとさん、お久しぶりです。

マルクスがプチ・ブームですってね。実を申しますと、私も今、マルクスを少し読み返しているところです。

でもねぇ、わからなくなってしまったんです、マルクスが。むか~しマルクスを読んだ頃は、わかったような気がした。私は私の世代では珍しく(?)、近経より先にマル経に触れた口なんですが、その頃はマルクスはマスターしなきゃならない、といったような強迫観念に近いものがあったんでしょうかね。疑いもせずに、吸収すべきものとして接していました。

で、時間を経て今になって読み返すと、さっぱりわからん。第一篇第一章の商品なんか、まったく腑に落ちない。なんでそんなことがいえるの? 疑問点ばかり浮かんでちっとも先に進まない。自分でも不思議です。

資本主義の成熟を経て共産主義へ至るというマルクスの見通しには、期待を込めた共感はあるんです。「能力に応じて働き、必要に応じて取る」という社会。でも、こうした社会になるのに、限界効用説が要らないのもそうだけど、労働価値説だって別に要らないんじゃないか、と思ってしまうんですよね。

まあ、しかし、マルクスを読むと「キックを入れられる」のは間違いないですね。

投稿: 愚樵 | 2008.05.29 19:25

愚樵さん。
こんばんは。
いつも楽しく、なおかつハラハラしながら拝見しています。
愚樵さんって本当に面白いね、、、
時々、この人の鋭利な頭にからかわれているんだろうか???
と、私は思いますよ、ホント。

今、よっぱらげの私には、愚樵さんの難しい質問分からないのですが、明日、考えます。
では、、、またね(^.^)

投稿: せとともこ | 2008.05.29 20:27

こんにちは、ニケさん、そしてせとさん。

>水伝ビリーバーに対しては軽く「ばっかじゃないの」との態度が必要と思うようになりました。ですがそれ以上の相手への執拗な宗旨替えを迫ることはこれまた罪の世界ではないかと考えています。

 私の見ている社会観というのは少し違うんですね。kikulogの方に社会心理学の実験の話なんかも書いたんだけど、間違えそうも無い簡単な問題でも、自分より前に何人もの人が嘘の答えを連続して答えると1/3くらいの人がその嘘回答に引きずられて間違いの回答をするのが人間なんですね。ところがその嘘回答に一人で良いから正しい答えをするものを混ぜると引きずられる傾向は大きく減少するんですね。
 もともと人間は不合理な話をもてあそぶのが大好きな性質を持っていると思います。そのなかで「それは不合理だよ」なんて言うのは野暮であり、あまり好かれはしないものです。ただ、かっては、その「不合理だよ」を「そうやって止めてくれる人も必要だよね」みたいな、気分的には良くなくても価値は認める部分があったように思うんですね。その部分がすごく弱体化してしまっている感じをうけるわけです。
 たとえ話をすると10人くらいで幽霊話をしているときに、9人までは幽霊なんていないと思っていて、8人は「話として面白いから」と楽しんでいる。でも9人の中の一人は面白いとは思えなくて、話が「あるよね~」なんて真実味を帯び始めると我慢しきれなくなって、「馬鹿なことをいうな幽霊なんている訳けないじゃないか」なんて水を差すわけです。盛り上がっていた8人は面白くは無いけど「確かにあまり盛り上がるのも危ないよね」とそれなりに盛り上がりを止める文化が必要だと思うんですね。そうすることで、実は残りの一人「幽霊が居るかも」なんてフラフラしそうな人を引き留める事ができていたんじゃないかな。これが「楽しんでいるのに水を差すなんて鬼か悪魔か」と皆で排斥されるようになると、盛り上がりを止める事はできなくなるのね。それでも8人はしばらくは「楽しんでいるだけ」なんだけど、1人は「幽霊は居るんだ」と確信する様になるのね。でもって確信する人1人を含めた9人で盛り上がると、今度は8人の中の一番弱い人から「やはり幽霊はいる」になり、その次には3人目が・・・。なんてね、これが集団心理というものなんですね。

話をマルクス主義とかに少し戻すと、私なんかの時代変化のスケールは皆さんのスケールより、たぶん、かなり長いのね。そのため、私はパラダイムから自由である面があるんです。なんていうかな、一つの流れの時代が2世代くらい続くとどうしても「その流れに沿ったパラダイム」というのができて、そのパラダイムは金科玉条化されてしまうのね。なかなか良い例えが浮かばないけど、例えば「効率的」とかね。なんていうか経済成長をする上では「効率」というのはとても重要な概念なのね。そのため「こうした方が効率的」なことはとても良くて「それは非効率」なら排除するのが当然と思うようになるわけです。でもね、「人生は効率的に生きなきゃならない」という話をちょっと真面目に考えてみて欲しいのね。効率というのは目的を果たすための手段や行為が目的を達するのに適合している事を意味するのね。じゃあ人生を効率的にすごそうとしたら「人間は何のために生きるか」という人間の存在理由という目的が無ければ効率ウンヌンはできないよね。そう考えると「効率的であることは良いことだ」というパラダイムひとつとっても実は時代の申し子にすぎないと分かるのね。

投稿: 技術開発者 | 2008.05.30 08:21

技術開発者さん。
こんにちは。
コメントありがとうございます。

幽霊の話。
とてもよく分かりました。
そうした意味ではお正月の騒動も、積極的な意味があったと思います。
本来ならスッキリといくところがグチャグチャになったのは、私も含めて周りがそれこそ「騒動」したことですねぇ、、、
私自身は、とても学びました。
(ニケさん>
あんまり、これにいつまでも拘らない方が絶対いいよ〜〜〜と、もう一度言わせてね(^.^)


さて、「効率」の話。
拝見しながら、以前読んだ本を思い出していました。
インド人と日本人。
働いてばかりの日本人に、インド人が聞く。
「どうしてそんなに働くのか?」と。
日本人答えて曰く。
「年をとって楽するため」と。
インド人、更に言う。
「なら、今、楽したら?」と。

〜〜〜「人間は何のために生きるか」という人間の存在理由という目的が無ければ効率ウンヌンはできないよね。〜〜〜〜
と、言われる技術開発者の思い、如何ほどに理解しているか危うい私ですが(^^;
しかし、「「効率的であることは良いことだ」というパラダイムひとつとっても実は時代の申し子にすぎないと分かるのね。」と言うことは本当に分かります!!!

時代の申し子。
まさに、そうですね。
時代を作るのは確かに人ですが、
人は時代によって制約をうけるものだから、
だからこそ、長い目で、見ていくことが必要なのでしょうね。
むずかしい〜〜〜
つい、夕飯のおかずを考える私です(^^;


投稿: せとともこ | 2008.05.30 16:05

愚樵さん。
こんにちは。

私も今、資本論を手にして、書いています。
でね。
確かに、私も第一章の「商品」、?ばかりでした。
昔の私も分かっていなかったようです。
どれどれ、、、と見るといっぱい?です(^^;
「商品のこの性格は、、、、」
「交換価値は、、、」
と?????
です。
もう一回、根性いれて読んでみます。
できればご一緒に(^.^)
また、お返事下さいね!!!
じゃ〜〜〜ね。

投稿: せとともこ | 2008.05.30 16:32

こんにちは、せとさん、愚樵さん。

>で、時間を経て今になって読み返すと、さっぱりわからん。第一篇第一章の商品なんか、まったく腑に落ちない。なんでそんなことがいえるの? 疑問点ばかり浮かんでちっとも先に進まない。自分でも不思議です。

>確かに、私も第一章の「商品」、?ばかりでした。
>昔の私も分かっていなかったようです。

役に立つかどうかは分からないけど、少し時代背景を説明したら理解して貰えるかも知れないので説明してみますね。皆さんは、欲しい物があればそれを売っているお店に行って買うよね。それがあまりに当たり前で、それ以外の手段なんて思いつきもしないと思うのね。マルクスが資本論を書いた時代というのは、それが当たり前になり始めた時代で、それ以前の「お店で物を買う」という事とは違う取引の記憶がまだあった時代なのね。どんな取引かというと、鎌が欲しいと思ったお百姓さんが鍛冶屋さんに行って「鎌を一丁作ってくれ」と頼む取引ね。綿つむぎの上手い人のところで糸を買って、機織りの上手い人の所にいって布にして貰って、仕立ての上手い人の所で「娘の晴れ着をこさえてくれ」という取引なのね。もちろん代金を払うから、鎌も糸も布も晴れ着も皆「商品」ではあるよね。でも皆さんが思っている商品とは少し違うんじゃないかな(笑)。もちろん、その時代でも誰かが使うだろうとりあえず商品を作って、そのできあい品を人が買うと言うことはあるんだけどね。マルクスの時代というのは産業革命が起こって、そういう家内制手工業が工場型の労働集約産業に吸収された後の時代なのね。工場型の産業では全てが「できあい品」だよね。そういうものが普通になって始めて、皆さんが意識する商品という概念ができて来たわけです。そういう時代背景で経済学を考えるときには「商品」というものをきちんと考察しないとならなくなってマルクスはそれを行い、そして労働価値説を生み出す訳です。役に立たないかも知れないけど説明してみました。

投稿: 技術開発者 | 2008.05.30 17:06

せとさん、
技術開発者さん、
こんにちは~^^

せとさん、いやはや、少し書きすぎたと思って反省しています。
コメントが「デラックストイレ」のエントリのようにはいきませんね。当然か?(笑)
どうにもうれしい対応していただくものですからつい甘えてしまってコメントの下書き(長文)を書いたのですが思いとどまりました。(爆)

お立場もあると思いますし場が荒れても嫌なので一部分だけにしました。

>二点ばかり疑問がありました。

ま、私個人の受け取り方ですが、

>言葉の解釈(つまり私闘の意味云々)に突入した時点で、「もし、ランキーさんがそのような言葉を使った場合は、どのような論が展開されるのか」と言うこと。

私の想像でしかないのですが、ぶいっちゃんは「私闘」など先ず使わないと思います。ただ同じ効果が出る言葉を捜すでしょうね、彼なら。この答えでは答えにならないので「使った場合」を想定して考えますと、使った限りは解釈についての抗弁をしないと思います。「あ、済みませんでした。そういう受け取り方で当然です。そのときはそう思ってました。」と言うかな? それで終わりのような気が・・・。(^^;

二番目の
>「行間を読むことの大切さを訴えられるなら、
>そもそものランキーさんの記事にも適用すべきでは???」
と、言うことです。

この点もせとさんと同じ思いなのですが、適用されることはないだろうと諦めています。ぶいっちゃんへの対応と自分たちの仲間内ルールは別だというように感じていました。

>「ランキーさんが初期の段階で誤りを侵したことは紛れもない事実」だけです。

こちらは「初期」のどの部分を見るかで難しく思っています。

水からの伝言(たんぽぽのなみだ~運営日誌2007年12月29日)
http://taraxacum.seesaa.net/article/75373760.html

明けましておめでとうございます(らんきーブログ2008.01.01 13:37 )
http://rankeyblog.blog68.fc2.com/blog-entry-766.html

この二つのエントリを何度も読み返しても客観的に自分を置けないので偏ります。そんなことしかいえませんがもっと良く考えて見ます。

>ニケさんも、この問題を、そろそろ手放しては如何ですか?

私がやめることはせとさんが言われるように私個人の「エネルギーの消耗」を避けるものではあるものの、逆に今までの時間が無駄となるジレンマがあるわけです。
もう終わるのかなあ~? 
私がここを離れても他は「競馬」だからなあ~(爆)
結局はまた書き過ぎちゃった、すみませんでした。

技術開発者さん、
なにか呼び出しちゃったみたいで申し訳ないです。すみません。

いつもたとえ話がわかりやすいです。「もともと人間は不合理な話をもてあそぶのが大好きな性質を持っていると思います。」この認識も同じように感じています。本当に人間とは不思議(不合理)なものに興味を持つ好奇心の強い生き物ですね。だから科学も発達したのでしょう。馬に人参といいますが人間には不思議(不合理)なものを与えれば集まってくるのかもしれません。すぐわかるものは駄目で「どんなに考えてもわからない手品」みたいなものや「事前に結果がわからない賭け事やスポーツの勝敗」もそうなのかと思っています。また最初に「乱数」に取り組んだ学者は何を言われたのでしょうか?でも、およそ意味もないと思われてたかもしれない「乱数」が今では本当に役立っているのだから驚きです。予測が出来ないことに興味津々なのですね。(笑)
もうひとつ、「そんな、バカな」というのも広まるのではないでしょうか。「水伝」もそんなひとつに思えて仕方がないです。w

で、私は過去に掲示板で徒党を組んでトンデモ叩きをやっていた経験から、今回は逆の立場のような、トンデモ叩きに抵抗するような、変な立場で動いているわけですが、基本的にはトンデモ叩きを楽しむ(悪い?)性格の持ち主です。(笑)
今回はトンデモ叩きの根拠が「口実」に見えてしまったから、ぶいっちゃん側にいるわけですが本来なら違っていたかも知れません。でもぶいっちゃんの間違いというのは叩くほどのものだったのか?と思うのです。だから私が叩く側であっても早々に手を引いていたでしょう。こんなに陰湿で執拗なことには手を貸しません。

「水伝批判」を結論的に言うと両方が危機感を感じていてお互いのリアリティがぶつかり合っているというように見えます。そんなことから「ばっかじゃないの」程度で済ませることは一般には有効なことかもしれないと思ったのでした。
でもまだまだ、私の主張は変化するのでしょうね。何時の日にか自分の主張の全否定があるのかもしれません。まだほんの入り口であり半分もわからないのが本当に悩ましいのです。(笑)

>「確かにあまり盛り上がるのも危ないよね」とそれなりに盛り上がりを止める文化が必要だと思うんですね。
これがどちらの側にも必要な感じがして兼ね合いが難しいと思っています。

ありがとうございました。これにて、では~~~^^

投稿: ニケ | 2008.05.30 17:37

ニケさん。
こんにちは。
コメントを拝見いたしました。

まず、私の文章が分かりにくかったので、一点だけ誤解されたようなので訂正させてください。

ぶいっちゃんが「私闘」と言う言葉を使ったとき、どんな論が提示されるのか?
と、言うのは、発話者がどんな論を提示するか疑問に思ったということです。
あの折の辞書論争を読んでいて、発話者の解釈は後付けというか、かなり牽強付会を感じた私です。
もしランキーさんが、そのような言葉を使ったとしたとしても、あの様に鷹揚(?)に対応なさるのかなぁ????と素朴に思ったのです。
決して、ランキーさんが、それについてアレコレと抗弁すると言うつもりで書いたのではありません。


また初期段階の対応も、
確かに、提示いただいたエントリーを確認して、
経時変化を見ると必ずしもランキーさんだけに非があるとも言えませんね、、、
なるほど。
お気持ちはわかります。
ただ、今それを持ち出しても、あまり生産的とは思えません。
泥沼になると思うのですが、、、

しかし、
ニケさんにはニケさんのお立場がおありだろうし、
ランキーさんとの人間関係もおありだろうから、この問題の徹底追求をなさる義憤にかられているのかもしれませんね、、、
私が余計な差し出口を申し上げて、本当にごめんなさい。
私としたら、ニケさんが疲れない事だけを念じています。

私個人の感想が許されるなら、
この問題、双方が傷ついたと思います。
誰も得した人、あるいは勝った人(こんな括りは好きではないが)は、いません。
発話者とて同じです。
相当に疲れていると思いますよ。
「相手変れど主変らず。」
アチコチから、しかも立場の違う方々から異論を挟まれたのですから、、、
その異論が対極からなされたので、ややもすると矛盾が出たりと、
大変だったと思います。
時々、お気の毒になりました。

本当は手を結ぶ事が出来る方々だと私は思っているのですが、、、

と、言うことで、ニケさん。
また、競馬やご家族のエントリーをジャカスカ挙げてくださいね。
待っています!!!
それから、コメントもドンドン下さいね。
技術開発者さん共々待っていますよ(^.^)

投稿: せとともこ | 2008.05.30 18:09

とっても、とっても突っ込みを入れたいのですが…。

今回はやめておきます(笑;体力温存です。せとさんもあまり望まれないだろうという予測もあります。たぶん、せとさんから見ると、不毛と感じられるのでしょう;爆笑)。
まあ、人それぞれです。

とりあえず、
今回の騒動、当事者の一人として言わせてもらえれば、収穫は大です。
この問題は、いわば氷山の一角…、その下にはわたしにとってもっとも興味のある巨大な問題が潜んでいます。
ですから、議論の広がりも、望むところ、価値あるものだと感じています。
ちょっと討ち死にしそうではありますが(汗)。

ニケさんもがんばっておられるようですね。
わたしと立ち位置はだいぶ違うとは思いますが…。
わたしはやはり、「ばっかじゃないの」には、ちょっぴり‘?’です。
「馬鹿といっている貴方(ニケさんのことではありませんよ!)の方が、実は馬鹿かもしれない…」
そんな疑惑がどうしても頭をはなれない…。
(あ、それについての議論は望みません!まだ、うまく論を展開できそうにない…。)

それでも、ニケさんは
少なくとも、わたしにとって『対話』の可能な範囲内にいらっしゃる方の一人です(これは、勝手な思い込みか…?)。
わたしは一方的に、わたしには窺い知れない『大切な何か』のために、「身を削って吼える方には、親しみを感じています」。

せとさん、勝手なコメント(横レス)、どうか平にお許しください!
今度、よければファンタジーの話でも、ゆっくり致しましょう。
では。

投稿: naoko | 2008.05.31 07:41

naoko さん。
こんにちは。
コメントありがとうございます。

突っ込み、大歓迎です。
ただお正月の水伝騒動に関しては、私個人としては、これ以上何も出てこないので、ここらで着地していもいいかぁ〜〜〜と思っているだけです。
私も実に多くのものを学び、見ました。

と、言うことでリセットして、
一般的な擬似科学、ニセ科学に関しては大いに議論・討論していただけたらと願っています。
どうぞ、またご意見お聞かせくださいね。
楽しみにしています(^.^)

なお、ファンタジー、是非お話いたしましょうね♪

投稿: せとともこ | 2008.05.31 14:13

技術開発者さん。
こんにちは。
コメントありがとうございました。

そうですね。
マルクスが資本論を書いた時代の商品と今のそれとは違うのですよね。
「マルクスの時代というのは産業革命が起こって、そういう家内制手工業が工場型の労働集約産業に吸収された後の時代なのね。工場型の産業では全てが「できあい品」だよね。そういうものが普通になって始めて、皆さんが意識する商品という概念ができて来たわけです。そういう時代背景で経済学を考えるときには「商品」というものをきちんと考察しないとならなくなってマルクスはそれを行い、そして労働価値説を生み出す訳です。」
技術開発者さんのご指摘の通りですね。
改めてマルクスの先人として偉業を思います。
今に極めて新しいマルクスと、
既に超えられたマルクス。
私たちの時代はその両方がブヨブヨとひしめいているのかもしれませんね。
マルクスの説が、その通りに進むとは(ファンデーションのハリーセルダンのように)思いませんが、
やはり、きっちりと押さえておくことは肝要ですね。

投稿: せとともこ | 2008.05.31 14:37

せとさん、こんにちは。
何度もすみません。

「辞書論争から感じられた質問」だったということを踏まえてもう一度考えてみました。
まだ質問されているのと違うかもしれませんが

>もしランキーさんが、そのような言葉を使ったとしたとしても、あの様に鷹揚(?)に対応なさるのかなぁ????と素朴に思ったのです。

私は基本的にあのような論争からはすぐ身を引きます。自分ではないぶいっちゃんのことなので正直わからないのです。ただわからないけれど、私の想像できることはおそらくぶいっちゃんは心の中では「私闘」のつもりがあってもそれを表さないでしょうね。ま、見る人が見れば表れてるという人もいるかもしれませんけど、彼は今回の騒動で彼が「自分が悪い」などとは思っていないと思います。私はそのように感じています。ですからぶいっちゃんに批判してきたり謝罪を求められてきたとしても相手と直接議論するつもりがないでしょう。議論に勝とうが負けようが意味がないと考えるでしょうね。結果あの辞書論争ような態度を取るそもそもの始まりがないのではと思います。自分から発した言葉の解釈を弁明したりしないように前もって考えて行動すると考えますがね。
ぶいっちゃんから見て「不当な批判・非難」と見ていれば相手は単に「嫌いな人物」となり、「私闘」の気持ちも持つかもしれませんがそれ以前に対話を拒むと思います。対話をして欲しい、しなければならないと思っている人には不満でしょうが、はっきり言いますが対話を要求する権利も権限も彼らには無いということです。この部分に批判側の勘違いと驕りがあるのです。

そもそも非難されること自体が(私もそうですが)根拠のないことであります。ここが一番大事なところですが、なぜ擬似科学批判する側が正義でありビリーバー(予備軍?)に考えを正させる権利があるのか?という問題です。これは簡単は話ではありません。疑似科学批判者に法的にお墨付きを与えているわけではないのです。また常識だといわれてもそれは擬似批判者が持っている一部の常識というだけではないのでしょうか?
疑似科学批判をすることは、何の権利があってするのか明らかにしていただきたい!と私は思っていますし、ひょっとしたらぶいっちゃんも同じように思っているのかな?と。
結局は「水からの伝言」は「科学的に検証できないニセ科学である」というだけのことでしょう。それはその通りでありその部分は正しい。が、それを「そうかもしれないけど面白い話だ」とかいう人までを叩くこと自体に行きすぎがあると私は主張します。
私は精々「ばっかじゃないの」程度でいいのではないかと思っているのですが、現状はそれ以上のことをしています。これは今まで何年もそのことに取り組んできた方々には不満でしょう。実際に「水商売」の被害者が出ていて道徳の教材にも使われていることへの危機感から「そんな生ぬるいことではどんどん社会に広がり害が出るのを防げない」というのでしょう。
しかし考えていただきたいのはそれを防ぎたいとの使命感は大事なことだし尊重しますが、そのための方法がそれらの方々が思いついたりした方法で勝手にやってていいものでしょうか?もう一度言いますが「そのような人を非難することを社会で認められたという実際の根拠を知りたいです。どう考えても一部の人たちのものの見方でしかないのではないでしょうか。

apjさんのコメントのところを読んでいてつくづく「これは話にならないな」と思いました。論議をして溝が埋まる可能性が感じられない。
http://www.cm.kj.yamagata-u.ac.jp/blog/index.php?logid=9848#com9880

たんぽぽさんの発言
「彼らは、自分たちが、なにかの正義であり、批判されない
特権があるかのような、うぬぼれがあるみたいです。」
「それで「とんでも」を批判されたことが、なかなか受け入れられず、批判したほうが悪いと、責任転嫁をしようとするのでしょう...」
こんな言葉を吐いてそれが正当なものだという感覚の方がおかしい。水伝批判にはどんな権限が与えられているのかを先ず証明すべきです。それこそ一部の者だけの理屈であり日本で正当なものと認められたわけではないでしょうから、私に言わせれば「盗人猛々しい」といわざるを得ないわけです。以下に続く発言は全て勝手な思い込みによるものであり、勝手に十字軍を気取ってもらってもこちらには迷惑以外の何ものでもないと言っておきます。

またapjさんは、
> その後、相手方がごたごた言ったところで、理が無いのは誰が見たって明らかですから、相手にしないで放っておいても、たんぽぽさんの評価が変わることはおそらく無いでしょう。たんぽぽさんに対する評価を変えた、と思い込んでいるのは、ごねてる人達だけの主観であって、その他の第三者が見れば、何を理のない主張をしてるんだか」で終わりです。相手をしないで放っておくだけで、ごねている人達の評価は自然に下がるわけで、わざわざ反論しなくても済むので楽だと思うんですけど……。

また
> 瀬戸智子さんの認識が甘いのは、対話で何とかなる、収拾できると思っていることだと私は考えます。
 私の場合ですと、水伝だけじゃなくて、水商売(蛇口産業の方ね)の非科学説明にツッコミをいれてますが、批判の相手には何も知らせませんし、相手が議論に乗ってきて何らかの改善がなされることなどほとんど期待していません(逆ギレ訴訟は覚悟していますが)。じゃあ、何故やっているのかというと、そこで書かれた間違った説明をつい信じてしまうかもしれない他の大勢の人達に向けてやっているわけです。最初から対話が不可能な相手に言及しなければならない場合というのもあるわけです。そういう場合は、理のみで書いて、相手の個性には意識的に言及しませんし、推測もしません。それで、相手がとんでもないことを言い出せば、第三者が見ればその相手は対話不可能で主張に理のかけらも無いことがわかるわけで、そういう議論が広く受け入れられることはありませんから、放置しても問題ありません。

「その後、相手方がごたごた言ったところで、理が無いのは誰が見たって明らかですから」
何が明らかなのでしょうか?私たちは一般人です。そういう場所へ水伝の危険性を説明するという使命感に燃えているかもしれませんが「理が無い」とは何を基準にして言えるのでしょうか?
「ごねてる人達」には正直あきれました。どうして「ごねている」といえるのか?馬鹿馬鹿しいから反論をしないでいるか、反論も通じない奴らだとこちらは思っているだけで、それを「ごねている」というのはapjさんもたんぽぽさんも同じ感覚なのだなあ~とさびしくなりました。

そして、「瀬戸智子さんの認識が甘いのは」ってせとさんとapjさんのことですからどうでもいいのですが、ひとつ聞きたいのは「認識が甘い」といわれて「ごもっとも」とするなら、これは第三者から見て、せとさんもなにかのグループに属していてその約束事があったりするのかな?と思ってしまうのです。そういう権利がapjさんにはおありなのですか?、確認しておきたいところです。

「第三者が見ればその相手は対話不可能で主張に理のかけらも無いことがわかるわけで、そういう議論が広く受け入れられることはありませんから、放置しても問題ありません。」
これは逆にこちらが言いたいことです。本来放置していたいのです。それをあくまで対話を求め議論を吹っかけ罵倒し中傷してきたのはたんぽぽさん側の方なのです。社会的な礼儀もわきまえず「水伝を信じている方ですよ~」とやったのはどこのどなたでしょうか?水伝批判をたくさんの人たちに知ってもらおうと思うならもっと謙虚であるべきではないでしょうか?

私には「私闘」の辞書論争も謝罪の発言は誰がしたか?などには実のところ興味はありません。そもそもの動機が正義といえないものだったと考えています。

水伝批判者側には一般の人に対して批判のための何の権利も権限も付与されていない。
にもかかわらず錦の御旗を掲げるように見下し批判するのです。だから根本から間違った批判がなされたと思っています。

実際大きな迷惑だったと思っているのです。

長くなりました。失礼いたします。


追伸:naokoさんへ

>わたしはやはり、「ばっかじゃないの」には、ちょっぴり‘?’です。

申し訳ない。この程度は許されるのではないかと考えるところがあって、であっても‘?’のお方がいるのは十二分に承知しています。
基本的に人を馬鹿にすることが許されないのは当然です。わたしもまだ試行錯誤の最中です。今のところということなのですが、ご気分を損ねられて申し訳なく思っています。済みませんでした。

>今回の騒動、当事者の一人として言わせてもらえれば、収穫は大です。
>この問題は、いわば氷山の一角…、その下にはわたしにとってもっとも興味のある巨大な問題が潜んでいます。
>ですから、議論の広がりも、望むところ、価値あるものだと感じています。

そうですね、私は本当に自由民主主義の危機を感じています。これが疑似科学批判の方たちも同じ危機感を持っていると思えるから難しいのです。正しい批判ならどんな邪魔も受けないというものはありませんね。この点を私は考えていきたいと思っています。

ではせとさん、naokoさん、これで終わります。長文失礼いたしました。では~~~^^

投稿: ニケ | 2008.06.01 15:06

ニケさんへ、横レスです。

ニケさんの吼えているお気持ち、(前より)理解できるようになった気がします。
同時に、たぶん、求めている方向は、かなり近いのではないかという気がしました。
後は方法論の違いです。

実は、わたしもapjさん、黒猫亭さんに突っ込みを入れたい気もあるのですが、今の段階では軽く一蹴されそうで…(汗)。
まだまだこれから、今は助走段階です(って、いつまでつづく、この助走?笑)。

ニケさん、気分を害してなどいません。
でも、お心遣い、すなおに嬉しかったです。ありがとう。

せとさん、またまた横レスですみません!

投稿: naoko | 2008.06.02 04:48

こんにちは、皆さん。

ニセ科学批判をしていて、あるファンタジーの最後の部分を紹介したりした事もあるんです。そうそう珍しいファンタジーじゃないんですけどね。宇宙の最初から存在する神みたいなのが2体で争うんだけど、あまりに力が強いのでそのまま争うと宇宙が壊れるので、代理戦争をする訳ですね、そのファンタージーの舞台となる世界でね。でもって、主人公は一方の代理人なんですね。代理人同士が争って、主人公の方が勝つ訳です。その時の会話が、

「お前が、この世界を支配するのだな」
「私は、世界の支配など望まない。この世界の一画の平和が欲しいだけだ」
「では、なぜ私と戦ったのだ」
「お前の支配する世界では、私の望む一画の平和が守られないからだ」

 なんて会話なんです。なんていうかな、ニセ科学批判をしていて時々寄せられる批判に「社会を自然科学の合理性で染めようとしているのか」みたいな科学主義批判があります。我々はたぶんひとりとして、そのような社会を望んではいないし、まだできる事でも無いでしょう。むしろ、人間というのはオカルト的な超自然現象に心惹かれるものであり、その結果として社会がオカルト的である方が普通になるなら、その社会の一画で平和に自然科学を探究している者たちにとってその平和が守られないのです。

 理解して欲しいのは、社会が目に見えて変わると言う変革では無くて、気が付かないうちにジワリジワリと変わっていく動きなのだろうと思うんですね。例えば、「血液型は性格に影響力を持つ」なんて話は、多くの人が真剣に「このくらい影響する」と思いこんでいる話では無いはずです。多くの人が「天気の話みたいな、罪のない話題」として取り上げているだけではあるのです。でもそれが人の口に昇り続けて何十年も経っているうちに、逆に「そんな関係は証明されていないよ」ときちんと言うことすら、何だか、気後れがする社会になりつつ有るんじゃないでしょうか?そして、気後れするのが当然の社会の中では、どこかの会社が「人事配置に血液型を参考にしよう」としても違和感が少なくなっているのじゃないでしょうか?縁談を断るのに「うちの家族は何々型との人とは性格が合わないから」なんて言われても違和感が少なくなって居るんじゃないでしょうか?

話をマルクスに戻すと、私なんかが仕事についた時には「好む好まない」は別にして、それなりの教養としてマルクス経済学のことなんかは知っていました。だから「資本主義経済が充分に成長した後には共産主義的な社会に変化する」なんてマルクスの予言も「信じる信じない」は別にして「そういう話もある」と知っていた訳です。いつの間にかそういう話が世の中で取りざたされることも無くなり、上で述べたみたいに「マルクスは資本主義経済を過渡期として認めていましたよ」なんて事を言うと「えっ!、否定して居たんじゃないの」なんて言われる様になってきている訳です。私が気にするのはその部分なんですね。

投稿: 技術開発者 | 2008.06.02 10:35

ニケさん。
naokoさん。
こんにちは。
コメントありがとうございます。


ニケさん。
「そして、「瀬戸智子さんの認識が甘いのは」ってせとさんとapjさんのことですからどうでもいいのですが、ひとつ聞きたいのは「認識が甘い」といわれて「ごもっとも」とするなら、これは第三者から見て、せとさんもなにかのグループに属していてその約束事があったりするのかな?と思ってしまうのです。そういう権利がapjさんにはおありなのですか?、確認しておきたいところです。」

と、書かれたapjさんのコメントについて、ニケさんが今回、ここで提示なされた事のみお返事いたします。

私はなにかのグループに属していません。
少なくともapjさんとリアルでお会いしたことはありませんし、ネットでもTAKESANさんの所で何度か会話しただけです。
したがって、apjさんが私に云々かんぬんと言われる権利はお持ちではありません。

ただ、今回のコメントの流れでは、apjさんが「せとの認識が甘い」と言われたことについては、私自身は、ちっとも気にしていません。
私は実際の所、あの下りを読んで苦笑していました。
「そうだよなぁ、、、認識が甘いと言うより詰めが甘かった。もっと鍛えなきゃ、、、」と思っていたのですよ。お正月の時は、本当に見通しが甘かった私なのです。
今更、言っても詮ないのですが、「ニセ科学批判問題」なのかと単純に思って、検体の新鮮や手続きに関して発話者の方に「もっと別のやりようがあったのでは?」と疑問を呈しました(あと、きまぐれさんが後ろにいる、、なんて当時ウワサがあったので、直に聞きたかったのです、おせっかいにも)
そして、発話者と直接、お話をして、私自身はあの当時、自分の誤解だったと分かったのです。
と、言うことで納まりかけていたところをかき混ぜて、本当に悪かったな、、、と反省しているんですよ。
その後、新たに3月に噴出した事態や今に至る展開に関しては、私の知るところでもないのですが、静観しながらも興味深く拝見しています。
したがって、apjさんのところのコメント押収に関して、私関連の部分があっても、全然、気にしていません。
本当のところ、私にとって私自身がどの様な評価であっても「どうでもいい」のです。
誰がどう言った、こう言った、、、
と、言う段階は私の中では、もう随分以前に卒業しています。
(掲示板で以前は教育についてバンバン意見を戦わせていたのです)

問題の本質(水伝騒動ではありませんよ)は、そんな事ではないと思うのです。
「ニセ科学が入り込む隙間」は今や「道徳」とか「精神」とか「根性」とかとか、、、
計り知れない「人の気持」であるところに留意して啓発していかなければと考えるのです。
そうした意味でapjさんの日常には敬意を表しています。
また私自身も「伸びたい」のですよね。
もっと、もっと学びたいと思っています。
そう言った意味で、今回の事は本当に勉強になりました。

そうそう、ニケさん。
私の経験上、本当に賢こい人たちは頭が低いものです。
随分、ずいぶん前ですが、某東大の某医学部で、ほんのちょっとだけ縁あって、ご一緒に勉強した某先生方は、本当に頭が低かったのです。素人の私にも敬意を持って対応して下さいました。
アレ以来、私は「下がるほど人の見あぐる藤の花」って本当だと思いました。
何というか、自分の限界を知る、、、と言うことでしょうか。だからこそ王道に向かって謙虚に学ぶことができるものと存じます。

ニケさんへの疑問へのお答えにはならないかもしれませんが、いずれにしてもニケさんの温かいお気持ちは嬉しく思いました。
ありがとうございます。

naokoさん。
横レス、OKですよ(^.^)
naokoさんの疑問は私にもストレートに響き、
啓発され、考えさせられます。
と、言うことでお待ちしています。

投稿: せとともこ | 2008.06.02 11:04

技術開発者さん。
こんにちは。
いつもながら示唆に富むコメント、本当にありがとうございます。
とてもよく分かりました。

そうなんですよね、、、
ニセ科学批判は別に杓子定規に「科学万能」なんて言っているわけではないのですよね。
ファンタジーだって、妖怪だって幽霊話だって、好きですよね。
人間が求める豊かさと言う部分において、
人が考えつく「物語」について大いに認めていますよね。

ただ、問題は、
知らず知らずのうちに人から考える力を奪うようなニセ科学に関しては警戒を怠ってはいけないということでしょうか。
以前、歴史問題である方と討論したとき、
一つひとつを丁寧に押さえていかなければ、
いつの間にか歴史は違った解釈が横行していく、、、と言われたことがあります。
まさにニセ科学もそうなのでしょうね。
宮本百合子の「平和は眠りを許さない」を新たにしています!

投稿: せとともこ | 2008.06.02 11:23

こんにちは、せとさん。

>知らず知らずのうちに人から考える力を奪うようなニセ科学に関しては警戒を怠ってはいけないということでしょうか。

我々はこの社会で生き、そして何らかの情報を発することで、社会風潮の何万分の1かでも社会風潮を形作っているという事なんですね。そして社会風潮というのは、常に何らかの形で人の思考力を阻害する面はあるんです。

社会風潮が大きく変わって、それにより現実が変わったと実感する事例としては「飲酒運転」なんかがありますね。私なんかが仕事に就いた頃でも「飲酒運転は罪悪である」という事は言われてはいたのです。でも仕事場で飲み会でも始まったりしたときに、「車か、でもまあ乾杯に口つけるくらいはしろよ」なんて雰囲気が有ったんです。最近は「車か、一滴も飲むんじゃないぞ」でしょ(笑)。この風潮の違いはとても大きくて、現実にかなりの効果が上がっている訳です。今、「乾杯に口付けるくらいは」なんて言う者がいたら、周りが「よしなさい」なんて止められるけど、昔はそういう人を止めようとするのは、なんか「和を乱す」みたいで言うに任せていた面がありますからね。

なんていうかな、その時代でも「車なので飲めません」って人に対してコップを持たせて「乾杯に口付けるくらいは」なんて言う者は10人のうちの1人くらいです。後の9人は「またあの人が」と思って見て居るんだけど、それが「まあ好きにやらせておくか」と放っておくのか、「よしなさい、飲酒運転はいけない」と止めに入る人が出てくるのかは、実は残りの9人の人のそれなりに表している雰囲気というのが大きいわけです。自分たちは何もしていないように見えて「雰囲気を作る」という事は行っているという事ですね。

なんか、多くの人たちが自分が行っていることとして「社会の雰囲気を作る」があることを忘れている気がするんですよ。少し労働問題とかにも言及すると、「あの会社の労働者は恵まれているよね」なんて言葉ね。この言葉だけ取り出すとどうにでも転ぶわけです。その後ろに「他の会社もあのくらいの遵法精神はもって欲しいよね」と続くのか、「あそこの社員も他の会社みたいにサービス残業をしたって良いじゃないか」みたいな話が続くのかね。せとさんは、今の日本はどっちが続きやすくなっていると思いますか?どっちが続き易くなっているかというところに「風潮」というものがあるわけです。

私は今、パートタイムで来てくれて、私の研究を手伝ってくれている人の出勤管理もしているのだけど、「年次休暇を貰って良いですか」みたいに遠慮がちに言われるので、「労基法では、自分の好きな日にとれるのが年次休暇です。使用者は『どうしても困る事由がある時』に別な日にとって貰うようにお願い出来るだけです」なんて言うんですね。そうすると「普通じゃないです」なんて言われるんだけど、本来の原則はそうなんです。そして私はその原則を大事にする風潮ができて欲しいと思ったりします。

投稿: 技術開発者 | 2008.06.02 17:28

せとさん、こんにちは~^^

御礼のコメントを入れに来ました。やんちゃ坊主を諭すような温かい包容力で対応していただいたことに感謝いたします。ありがとうございました。
ここへ訪問される方たちが皆大人であることを再確認できました。これからもファンであり続けますのでよろしくお願いいたします。

物事に対する見方はそれぞれで、まったく反対の立場になっていることがありますが、やむをえないことだと思っています。でもこの世の中を少しでもよくしたいと思っている人同士の対立と考えているのでご理解ください。せとさんや皆様の主張もあれば私の主張もある。それだけのことです。
危機感も同じなのでしょうがどんな世の中にしたいかが少し違うのでしょうね。

本当に勉強になりました。こんな程度でお礼の言葉としているのは自分でも言い足りないのですがこれでやめておきます。
ではこれで失礼いたします。

投稿: ニケ | 2008.06.03 11:38

せとさん、すみません。
naokoさんへの追記をしてませんでしたのでもう一度場を借ります。

>ニケさん、気分を害してなどいません。

ありがとうございました。
他のご発言にはここでは感想を述べるのを自粛させていただきますが、またお暇な折にでもお立ち寄りください。
ちょっと私は偏っているので思考の助けにならないと思いますが・・・(自嘲)^^

ではこれにて~^^

投稿: ニケ | 2008.06.03 11:49

技術開発者さん。
こんにちは。
コメントありがとうございます。

「なんか、多くの人たちが自分が行っていることとして「社会の雰囲気を作る」があることを忘れている気がするんですよ。少し労働問題とかにも言及すると、「あの会社の労働者は恵まれているよね」なんて言葉ね。この言葉だけ取り出すとどうにでも転ぶわけです。その後ろに「他の会社もあのくらいの遵法精神はもって欲しいよね」と続くのか、「あそこの社員も他の会社みたいにサービス残業をしたって良いじゃないか」みたいな話が続くのかね。せとさんは、今の日本はどっちが続きやすくなっていると思いますか?どっちが続き易くなっているかというところに「風潮」というものがあるわけです。」

頂いたご質問。
そりゃ、後者だと思います。
内心は羨ましい、、、あの会社みたいになりたいと思いながらも、
自分たちを上げるより、他を貶めることの方が「楽」だから、、、
確かに風潮ってありますよね。
さからいがたいものが。
それが今は「空気よめ」になっているんでしょうか???
私はどうも読めないKYなのです(^^;

一人ひとりの意識改革って本当に難しいですね、、、
考えてしまいます、、、

いずれにしても「本物」が残っていくように努力していきたいと願っている今の私です。
これからも、アドバイス、宜しくお願いいたします。
では、、、またね(^.^)

投稿: せとともこ | 2008.06.03 18:01

ニケさん。
こんにちは。
コメントありがとうございます。
こちらこそ、本当に温かい心の籠もったコメントを頂けて嬉しく思っています。

「ダイヤモンドは傷つかない」で行きましょう♪
自ら、あっちにぶつかり、こっちに転がりながらも、
ダイヤモンドは傷つかないの精神を、
と願いながら私は細々とブログを書いています。

と、言うことで、どうぞこれからも宜しくお願いいたします(^.^)

また、ユニークなコメントお待ちしてますよ!

投稿: せとともこ | 2008.06.03 18:07

記事とコメント、読ましてもらった感想は、みなさん難しく考えすぎですよ。
『知識として暗記しなければ』なんて強迫観念が有ると、とんでもなく難しく感じるんじゃあないでしょうか。?
マルクスを知識として覚えるのではなく、マルクスを科学として理解しさえすれば、後は簡単に頭の中へすらすら入っていきます。
マルクスはそんなに難しい事は書いてありませんし、マルクス独自の学説もみなさんが思っているほどには多くなく、実は少ない。
其れまでの人類が積み上げてきた個々の科学(歴史学や哲学、経済学)の蓄積を、関連付けて集大成したものだと考えてください。
難解と感じるのは先人の翻訳にも原因が有るのでしょう。技術開発者さんみたいな人が訳してくれればもっと理解しやすい本が出来上がるのに残念です。
えらく昔の話、私の父親が青年の頃は、マルクスなんかは誰も知らないし何処にも無かった。
友人仲間から極秘に渡されて、隠れて初めて読んだのが海軍砲兵工廠のトイレの中だったらしい。

その時、今までどうしても理解できなかった事柄やいろんな不思議な出来事、自分を取り巻く理不尽な世界が、世界の成り立ちを含めて目の前のすべての秘密が全て理解でき、目からぼろぼろ鱗が落ちていく心境だったらしい。
今と違い、生き神様がすべての世界を束ねていた時代ですからね~え。今では考えられない社会です。
映画でのマトリックスの錠剤を飲んだ後のようだったんでしょう。
昔の日本の情報操作は、できる限り都合の悪いものは一般市民には見せないでようにしていた。
今は、都合の悪い情報は禁止できないので、その代わりに『都合の良い情報』を山ほど溢れさせて、ヤッパリ一般市民には見せないようにしている。
今のインターネット世代の若者達は、昔とは逆で、情報が有りすぎて、有りすぎて、選択に困っているのでしょうね。

投稿: 逝きし世の面影 | 2008.06.05 11:30

逝きし世の面影 さん。
コメントありがとうございます。

そうですね、、、
確かに科学としてのマルクスを、生活の中で実感できるような、そんな感じだといいですね、、、
技術開発者さんのように分かりやすく、
面影さんのように経験に即してお話いただける機会があることを、とても嬉しく思います。

「今のインターネット世代の若者達は、昔とは逆で、情報が有りすぎて、有りすぎて、選択に困っているのでしょうね。」


御意。
まさに、そうだと思います。
その選択の中で、小さな、小さな分岐点に遭遇しているのかもしれません。
そうした意味でも私たち大人の責任大を感じるこの頃です。

また、いろいろお話お聞かせくださいね(^.^)

では、、、また。

投稿: せとともこ | 2008.06.05 16:35

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