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2008.05.13

友人のブログ紹介

life---生まれてきて良かったと感じられる社会にと言うブログは、いつもコメントを下さるネット友人のayuさんのブログです。
副題が、
--苦悩の狭間-- ☆  一人一人を大切にして見捨てない社会に。みんなが自分らしく生きれますように♪
なんてついています。

私も訪問するたびに
目からウロコを一枚、二枚と落としています。
昨日は医療の現状を書いた記事を紹介していただきました。

21世紀の文明国・日本にあって、
その貧困な医療行政を詳しく説明した記事は、思わず唸りました。
私も、参考にさせていただき、また医療に、それこそメスをいれたいものです。

ayuさん、これからもいろいろ書いてくださいね。
私にとっても励みになります。

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コメント

こんにちは、せとさん。昔、労働組合の機関誌に書いた話なんかをモディファイして書いてみましょうかね。少し難しい言葉を使ったりもしてしまいますけどね。

 相変わらずの「原始の村」なんですけど、「機能体が共同体を組み敷く話」なんて題名がついています。

 もともと人の群れには明確な目的といえるものはありません。寄り集まって暮らせば単独で暮らすより「生きやすい」から群れて暮らすだけのものなんです。そのため、目的に照らしての善悪というのも曖昧でして「群れ全体が生きやすい」方向のことはなんとなく善で、「群れがうまく行かなくなる」様な事はなんとなく悪ではあるんだけど、そうそうハッキリはしていないんです。こういう曖昧な形でなんとなく集まってる原始の村というのが共同体と言われるものです。

 でも、原始の村で「たまには猪の肉が食いたいな」とかで巻き狩りのチームができたりします。その巻き狩りのチームは明確な目的を持ちますね、「猪を仕留めること」です。目的が明確になると目的に照らした善悪も明確になってきます。見張りがきちんと見張って猪の居場所を皆に教えるのは善で、居眠りをして見落とすのは悪です。待ち伏せしている方向に勢子が猪を追い込むのは善で、違う方向に追ってしまえば悪です。こういうチームが機能体です。

 ここでは、機能体というのは共同体の下部組織であって本来臨時のものであるということができます。猪を仕留める過程においては、「良くやった」と褒められたり「何をしている」と叱られたりしますが、その猪の肉を持って村に帰ると、巻き狩りチームは解散し元の共同体の規範に戻る訳です。皆で仲良く公平に猪の肉を食べる訳ですね。

 ところがですね、この機能体の臨時性が失われて長期間機能体が存在すると、「共同体の曖昧な善悪よりも明確な機能体の善悪の方が分かりやすい」と共同体の善悪が機能体の善悪観に支配されるという現象が起こるわけです。すなわち「共同体意識の喪失」が起こります。巻き狩りチームで例えると変な話になるんですが、「我々の村は猪の巻き狩りをするためにある村である」みたいになって、「狩りに貢献出来ない者は村にとって不要な者である」なんて感覚に成っていくわけです。

 実際に起こった例としてスパルタのことなんかを挙げたりします。スパルタは軍事国家として、周りの都市や集落を襲って財や奴隷を自国に持ち帰って居たわけですが、「軍隊に貢献出来ない者は我が市民ではない」と奴隷階級に落としたりした訳ですね。なもので子供は厳しく軍人として鍛えられる訳でこれが「スパルタ教育」なんて言葉の元に成っているわけです。この国を見るとき、そこにはもはや「共同体規範」は見受けられず、共同体の意識もまた消滅している訳です。スパルタはギリシャ全土を支配した段階で、その富により内部崩壊してしまうのですけどね。

 なんていうか、現代の極東のどこかの国にも共同体の意識が見受けられなく成ってきている気がするのですよ。

投稿: 技術開発者 | 2008.05.14 10:11

コチラにおいでの方々のように、言葉を縦横無尽に組み立てて
論理的にお話を展開することが、
私は、どちらかというと不得手なので

なかなか、皆様のお話の中に入っていけませんが・・・
私は私なりの直感と感性を駆使して、ナントカ読ませていただいております。

なんだかとっても、勉強になります。

育ってきた年代のせいか、元来の楽天性のせいか
この先の世の中の方向性を、出来れば明るくあれ~!と思いつつ

ぜひ、そんなこともお話いただけるとうれしいです!!

投稿: 風待人 | 2008.05.15 10:58

技術開発者さん。
風待人さん。
こんにちは。
コメントありがとうございます。


技術開発者さん。
そうですね。
>この機能体の臨時性が失われて長期間機能体が存在すると、「共同体の曖昧な善悪よりも明確な機能体の善悪の方が分かりやすい」と共同体の善悪が機能体の善悪観に支配されるという現象が起こるわけです。


本当によくわかります。
過去の歴史を繙くと実に祖の通りだと思います。
それが技術開発者さんのいつも言われている人の本性なのでしょうね。
また、だからこそ人類は発達していきたのでもあろうと思います。
そして、こうした本性を必然として抱えているからこそ「過去」を正しく分析・判断して、その誤りをできるだけ少なくする「知恵」をも併せ持っているのだと考えます。
それが自然発生的に産み出された「場の倫理・道徳・宗教」なのでしょうか???
とても興味深いですね。

風待人さん。
お久しぶりです。
お元気ですか???
五月の爽やかな風は、待人さんにも心よく吹いていることと思います(^.^)

その後、お子様はいかがでしょう???
子育ては親育てと言いますが、
私もおかげさまで巨人のように大きく育ちました(^^;
いえいえ、まだ育ち盛りです(^^;
はぁっ〜〜ためいき。
お互い、楽しくやっていきましょうね。
ところで、風待人さんは、大学で勉強なさっているのですか???
素敵ですね(^.^)
また、機会がありましたら、いろいろご近況、お知らせくださいね。楽しみにしています。
それから、明るいニュース、エントリーも書きたいと思っていますので、またその折はご意見頂けると嬉しく思います。
では、、、またね。

投稿: せとともこ | 2008.05.15 14:20

こんにちは、 風待人 さん。

>私は私なりの直感と感性を駆使して、ナントカ読ませていただいております。

ニセ科学批判とかやっていると、論理的な批判に対して「もっと直感とか感性を大事に」なんて人が居て、それが論理的に考えることの面倒さからの「逃げ」だったりする場合もあって、げんなりすることもあるんですね。でありながら、私は社会の事に関しては「感じること」を大事にして欲しいと思ったりします。なんていうか、単に感じるで留まらず、その先まで考えていくと実は長期的な視点では正しかったりするものですからね。目先の論理で納得できないとき、その「何か納得出来ない」感じる面を大事にして欲しい訳です。

相変わらず、変な話をしましょう。今、地球上で暮らしている狩猟民族に比較的共通する生活の態様に「獲物の分け合い」というのがあるんですね。つまり狩りの獲物は、狩りに貢献したかどうかにあまり関係なく村全体で食べるという風習を持っている部族がとても多いんです。「貯蔵ができないからだ」という人も居るんですが、きちんと薫製技術を持っている部族なんかでも食べるときは皆で分け隔て無く食べますし、肉が凍って腐らないイヌイットなども、「腹が減ったらどの家に入ってその家の肉を食ってもかまわない」なんて風習を最近まで持っていたんです。

実は、これってとても合理的なんですね。狩りというのは農耕に比べると危険性が大きくて下手に足の骨など折ろうものなら、1ヶ月以上狩りに参加できないんですね。さらには個人の技量のさも大きく出るから、狩りのうまいものと下手なものの差が出やすいんです。でもね、たとえ骨を折って狩りに参加できない狩人でも怪我が治ればまた狩りに出て村に獲物をもたらす訳です。狩りの下手な者の子供でも狩りの名人になるかも知れないわけです。狩猟民族が目先の信賞必罰なんてやったら、狩人をどんどんと失って村が滅びてしまう危険性があるんですね。

この話で言いたいのは、こういう狩猟民族の分け合いの話とかすると、かなりの人が「良い話だね」なんて感想をもつという事なんです。私みたいに理屈っぽいのが、「こういう原始共産制は狩猟民族が生き延びるのに必要なんです」なんて理屈を付けることも実のところ必要なく、多くの人が「なんだか、そういうのって良い話だね」なんて言うわけですよ。私は皆さんの一人一人に「文化の記憶」みたいなものがあるのではと思うんですね。原始時代に分け合いをすることで生き延び、分け合いを忘れたことで滅びた試行錯誤の記憶が文化の根底に根付いていて、それが皆さんに「なんだか、そういうのって良い話だね」なんて感想をもたらしているのかも知れないと思うんです。だから、そういう部分はたとえ理屈が自分では上手く付けられなくても、大事にして欲しいと思うわけです。

この話は国立大学の学費の話の所に書こうかどうか迷ったんだけど、こっちに書いて見ました。

投稿: 技術開発者 | 2008.05.20 17:17

技術開発者さん。
こんにちは。
コメントありがとうございます。


『ニセ科学批判とかやっていると、論理的な批判に対して「もっと直感とか感性を大事に」なんて人が居て、それが論理的に考えることの面倒さからの「逃げ」だったりする場合もあって、げんなりすることもあるんですね。でありながら、私は社会の事に関しては「感じること」を大事にして欲しいと思ったりします。なんていうか、単に感じるで留まらず、その先まで考えていくと実は長期的な視点では正しかったりするものですからね。目先の論理で納得できないとき、その「何か納得出来ない」感じる面を大事にして欲しい訳です」


あああ、、、、
すごく分かります。
そうですよね。
論と言っても直感に頼るところは大。
しかし、感情だけだと、危うい。
いつも思い出すのは昔の論語。
「学びて思わざれば則ち罔(くら)し、思いて學ばざれば則ち殆(あやう) し」
やはりバランスでしょうか。

投稿: せとともこ | 2008.05.21 15:54

こんにちは、せとさん。もう少し説明させてください。

>論と言っても直感に頼るところは大。
>しかし、感情だけだと、危うい。

実のところ基本は「論」ではあるんですよ。ただ論には「近い論」と「遠い論」があるという事なんですね。上で述べた様に共同体の善悪観というのは常に曖昧であり、機能体の善悪観は多くの場合明確なんですね。そのため、共同体の善悪と機能体の善悪が相反して見えるとき(実際には近視眼的に相反するだけであって長期視点では相反しないのですけどね)に、人間は機能体の善悪観に引きずられて、機能体の善悪を見失いがちであるということなんです。そういう時に、共同体の善悪観は「理屈では上手く言えないけど、なんだかそうするのは良くない気がする」といった一種直感的な印象として作用する訳です。

巻き狩りのチームは機能体ですから明確な目的「獲物を獲ること」があり、目的に照らした善悪があるわけですね。例えば、勢子が一人サボったために、猪がその部分から逃げてしまえば、そのサボリは明確に悪なんです。でも、サボった者を叱責して、再度巻き狩りをやって猪を仕留め村に戻って「さあ食おう」となったときには、村は共同体ですから、要はみんなで仲良く生きていければ良いのですから、「ぉまえは一度サボったから、分け前無し」なんてことにはならなくて、仲良く食うわけですよ。つまり、共同体の善であるところの「皆で生きていく」の方が優先される訳ですね。誰かが「狩りでサボったものには食わせないようにしよう」と言い出した時に「それはなんか良くないよ」と村人が感じるのは、共同体の善悪観が表に出ている訳です。

現代の社会では、自分たちがそういう「皆で生きていく集まり」という社会観が非常に薄くなっている訳です。それゆえ、「効率を挙げるために、貧富の差は仕方ない」とかいう話に対して「それはなんだか良くないよ」がなかなか「論」になりにくくなっている訳です。

だからこそ、「それはなんだか良くないよ」の感覚は大事にして欲しいわけですね。

投稿: 技術開発者 | 2008.05.22 08:28

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