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2008.09.08

ビジテリアン大祭から賢治をちょっとだけ見ると、、、

9月の初めともなるとベジタリアンウィーク(9月2日から18日まで)。
「私は昨年九月四日、ニュウファウンドランド島の小さな山村、ヒルテイで行われた、ビジテリアン大祭に、日本の信者一同を代表して列席して参りました」で始まるビジテリアン大祭(宮沢賢治)の本がその発祥です。
温暖化防止へ肉食減らして IPCC議長が提言なんて記事もありますが、
畜産業から発生する温室効果ガスの削減については以前から論じられています。
果たしてどうなのでしょう?
さて、それはそれとして、本について。

ビジテリアンと言う事で勿論テーマは菜食主義について、
菜食主義者と、そうでない人との考え、主張をディベート方式で書き連ねている本です。
縦糸は菜食主義。
横糸は宗教観。
なかなか読ませます。
まだご覧になっていない方は、青空文庫ですぐに読む事ができるのでお薦めします♪
最後にどんでん返しなんかもあって、ちょっとお茶目な作品です。
さて、賢治。
よだかの星と しあわせ切符という記事を以前、書いたことがあります。
戦う者の内的心情と言うエントリーでは「烏の北斗七星」と言う本について触れました。
賢治の作品の多くがどこが切ないと思う私ですが、
このビジテリアン大祭は明るくて陽気で笑える作品。
ついうっかり最後の罠にはまって、
「ははは〜〜〜」
で終わってしまいそうですが、
だがしかし、
そこはやはり賢治。
彼が対峙していた「自己」、それもあくまで透明で自己犠牲を是とし、罪多い自分が人間で生まれた事を恥じ、
それでもなお人間を愛した賢治が脈々と流れているのです。
「討論や議論なんてそんなものさ」と、ディベートを揶揄する中に討論や議論で分析して積み上げていかなければおれない己の性をも揶揄しているのでしょうか???
「そんなものなりたい」と詩では絞り出すように書き連ねたが、
そんなものになりきれない自分を見つめ、喘ぐ作家(詩人)賢治。
烏の北斗七星あたりには、賢治の焦燥が映し出されています。
「注文の多い料理店」でも、自らが「食べるもの」ではなく「食べられるもの」として描かれつつも、最後は紙くずの顔になりつつも「生きる」人間を描いています。
「よだか」では星になりました。
一連の作品を読むにつけ、賢治の「救いを求める声」がしてなりません。
さて、彼は春と修羅と言う詩の中で心象スケッチという詩を残しています。
いかにも賢治らしい「序」だけ以下に紹介しておきます。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
心象スケツチ
 春と修羅


わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといつしよに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)

これらは二十二箇月の
過去とかんずる方角から
紙と鉱質インクをつらね
(すべてわたくしと明滅し
 みんなが同時に感ずるもの)
ここまでたもちつゞけられた
かげとひかりのひとくさりづつ
そのとほりの心象スケツチです

これらについて人や銀河や修羅や海胆は
宇宙塵をたべ または空気や塩水を呼吸しながら
それぞれ新鮮な本体論もかんがへませうが
それらも畢竟こゝろのひとつの風物です
たゞたしかに記録されたこれらのけしきは
記録されたそのとほりのこのけしきで
それが虚無ならば虚無自身がこのとほりで
ある程度まではみんなに共通いたします
(すべてがわたくしの中のみんなであるやうに
 みんなのおのおののなかのすべてですから)

けれどもこれら新生代沖積世の
巨大に明るい時間の集積のなかで
正しくうつされた筈のこれらのことばが
わづかその一点にも均しい明暗のうちに
  (あるいは修羅の十億年)
すでにはやくもその組立や質を変じ
しかもわたくしも印刷者も
それを変らないとして感ずることは
傾向としてはあり得ます
けだしわれわれがわれわれの感官や
風景や人物をかんずるやうに
そしてたゞ共通に感ずるだけであるやうに
記録や歴史 あるいは地史といふものも
それのいろいろの論料(データ)といつしよに
(因果の時空的制約のもとに)
われわれがかんじてゐるのに過ぎません
おそらくこれから二千年もたつたころは
それ相当のちがつた地質学が流用され
相当した証拠もまた次次過去から現出し
みんなは二千年ぐらゐ前には
青ぞらいつぱいの無色な孔雀が居たとおもひ
新進の大学士たちは気圏のいちばんの上層
きらびやかな氷窒素のあたりから
すてきな化石を発掘したり
あるいは白堊紀砂岩の層面に
透明な人類の巨大な足跡を
発見するかもしれません

すべてこれらの命題は
心象や時間それ自身の性質として
第四次延長のなかで主張されます

大正十三年一月廿日
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

夜空が美しくなる秋。
宇宙を愛した賢治は、その中に虚無をみたのでしょうか?
未来への憧憬と今、生きる事の責任がシンシンと伝わり、
そして思いは、たわわに実っています。
そんな賢治を、今日はちょっと偲んでみました。

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