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2008.10.30

秋は夕暮れ

さびしさはその色としもなかりけりまき立つ山の秋の夕暮(寂蓮法師)
心なき身にもあはれは知られけりしぎたつ澤の秋の夕ぐれ(西行法師)
見わたせば花も紅葉もなかりけり浦のとまやの秋の夕ぐれ(藤原定家朝臣)

有名な秋の三夕です。
つまり、寂蓮の槙立山、西行の鴫立沢、定家の裏苫屋、
とくに定家の歌は利休が好んだそうです。
茶の世界の侘び、さびに通じたのでしょうか?
さて、
「秋と言えば夕暮れ」と言ったのは清少納言ですが、
良暹法師の「さびしさに宿を立ち出でてながむれば いづこも同じ秋の夕暮れ」が「秋と淋しさ」を結びつけて詠んだ初めの頃の作と言われています。

同じ百人一首には「村雨の 露もまだひぬ まきの葉に 霧たちのぼる 秋の夕ぐれ」と言う 先に登場の寂連法師の歌があるのですが、やはりこの歌も寂しい。
なにしろ作者の名前まで寂しい。

秋の寂しさ、
探せばゴソリとあります。
が、
秋は寂しいのか???
そうだろうか?
いや、実りの秋、黄金の秋、成熟の秋も、またその季節のイメージを膨らませるのは十分な要素です。

そもそも秋とは、
あき(秋)であって、
[aki]の[a]は主体を表し、[k]は食[ku]う行為を表すそうです。
つまり[ak]は人が食べる事に関するさまざまの言葉の根幹をなすと言う事。
また、[i]は「いる」、あるいはその状態になることを意味するそうです。
また、
[ak]は、赤、明け、空き、商い、などに通づるものだそうです。

いろいろと本にあたったのですが、秋を寂しいと感じる感傷は古今集以降とのこと。
つまり「奥山に 紅葉ふみわけ 鳴く鹿の 声きく時ぞ 秋はかなしき」などの登場を待つ訳です。

実際、百人一首にも、
「山里は 冬ぞさびしさ まさりける 人目も草も かれぬと思へば」と言うように冬もこれまた寂しかったのです。
あるいは視点を変えて、秋は月、と言う事で、そこから夜。
そして恋。
と言う事で、秋と恋の歌もこれまたゴッソリとあります。
まぁ、たわわに実る田圃に、真っ青な空に、流れる雲。
そして儚い虫の声に、
ハラハラと散る葉っぱ。
これだけ、あれば、もうそこはロマンの世界ってものでしょうか。

さて、こんな物思いに耽る季節。
ですが、、、
ですが、こんな都々逸、ご存知ですか?
「欄干(てすり)にもたれて化粧の水を何処に捨てうか虫の声」
と言う有名な都々逸があるのですが、これは今、人気の大河ドラマ篤姫に出てくる小松帯刀の作と言われています(確かではないのですが)。
私はこの都々逸を初めて見たとき、ナンと言っていいかわからず、
何回も詠んでいたものです。
ううううう〜〜〜〜ん。
なんとロマンチックもへったくれもない歌。
かろうじて言えば、何処に捨てようかと迷っている姿に、ふんわりと読み手の優しさが伝わるかな、、、と思ったのですが。
そこはそれ。
まぁ、もともと都々逸だから洒落ているのでしょう。

いずれにしても、先人はそれぞれの思いを、この季節に感じて、
詠ったのでしょうね。

一年中で一番、自然を感じるこの季節。
都会は都会の、
田舎は田舎の、、、それぞれの秋を、
どうぞ、こころゆくまでお楽しみください。

おっと、、、と。
と言う事で最後に私の秋。
それは、虫との戦い。
それも、例の虫(カメムシ)とか、カマキリ(これは別にかまわないのですが、、、、)
まったくロマンチックではありません。
なかなかに良寛さまの境地には達しそうにも無いなぁ〜〜〜
ヤレやれ。
それでも、やはり
秋はいい。

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