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2008.11.30

京都の紅葉 その2

紅葉の名所、曼殊院
朝一番に夫と二人で空を見上げ、
「そうだ、紅葉を撮りに行こう」とカメラを持って、自転車に乗って曼殊院にむかいました。
途中から上り坂。
ひぃひぃ〜〜。
へぇへぇと言いながら自転車を引っ張り、
それでも紅葉みたさにお寺へと向かいます。
大勢の観光客が上から下からとやってきて、何となくこちらもウキウキ。

さて、曼殊院。
途中の道から既に赤く染まります。
凄いですよ。
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落ちた葉にも豊かな表情があります。
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水に浮かぶ葉っぱも優しい。
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そして、寺の中に入れば、もう小堀遠州の世界です。
お出迎えの手水の水かめに落ち葉が一枚。
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枯山水と借景の彼方の山に、近く遠くの紅葉が燃えるように迫ります。

ただ、魅入るばかりの庭です。
しずかに深くため息。
木と石の声に耳をすすましてください。
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瞬く間に紅葉が風に揺られ、石のまにまに散ります。

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来た時は一枚の葉っぱが帰るときは2〜3枚になりました。
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京都の紅葉

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京都の紅葉です。
この写真は京都洛北の圓光寺です。
今日は午前中は天気に恵まれて、紅葉日和でした。
徳川家康ゆかりのお寺と言う事です。
まずは水琴窟が観光客をお出迎え。
水に写る紅葉から澄んだ調べが流れてきそうです。
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庭の紅葉はちょっと散りはじめたのか、
空高く映え上がる紅葉と言うよりは、木々の形が個性豊かに伸びている様がとても面白く、
ついパチリと撮りました。
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苔むす緑の庭に赤や朱や桃色のちり紅葉の風情を楽しむ事が出来ました。
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上村選手。おつかれさま

上村健一選手が今日で引退。
相手は広島。
そう、サンフレッチェ広島です。

私は試合そのものは広島を応援していたのですが、
後半から入った上村選手の活躍には心から拍手を送りました。
結果は2−1で広島が勝ちました。

上村選手を含めて4人、引退する選手がいた熊本は、
今日は2万人以上のサポーターやファンがつめかけて、
選手たちの功績を拍手でたたえ、
これからの門出に、やはり拍手で声援をおくっていました、、、
その光景を見ながら、清々しい気持ちになったのは多くの広島ファン、上村ファンも同じだと思います。

上村選手について以前記事にした事があります。
あのときより、さらにさらに、
苦労を重ね、大きくなり、広くなり深くなったウエミを今日は彼の涙で新たに思いいたったものです、、、

本当にありがとうございました。
ウエミさん>

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2008.11.28

インドのテロ

犯行声明出した過激派にナゾ多く、ムンバイの同時多発テロ
続々とニュースが伝えられますが、、、
それにしても謎が多い今回のテロ。
一体、どうなるのかとテレビを観ています。

それにしても、
多くの無関係の人々を無差別に殺害するようなやり方は許す訳にはいきません。
亡くなった方のご冥福を祈り、
負傷された方々の傷が早く癒える事をお祈り致します。

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麻生放言出るわ、でるわのこの頃です

首相の「放言」 患者の気持ちを逆なでした
麻生発言、今や発言なんて志の高いものではなく「放言」「暴言」です。
多くの方が既に言及なさっていますが、
何と言うかぁ〜〜〜
あまりのお粗末さに言葉もありません。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
今度は社会保障費の抑制を議論した20日の経済財政諮問会議で「たらたら飲んで、食べて、何もしない人の分の金(医療費)を何で私が払うんだ」などと発言したことが分かった。同諮問会議の少し前、全国都道府県知事会議で行った「医師は社会的な常識がない人が多い」との発言の撤回を求めた日本医師会に対し麻生首相は「言葉が不適切だった」と陳謝したばかりだった。日々闘病を続ける患者の気持ちを考えれば、このような放言は到底できないはずだ。

中略

麻生発言の問題点を二つ指摘したい。第一は先天的に病気を抱えている人や摂生していても病気になるケースもあるということだ。難病や重い病と闘っている患者の立場になって考えれば、不摂生によって病気になった人の医療費を「何で私が払うんだ」などという発言はできないはずだ。患者に気を配り、救済するために医療を充実させることが本来、政治が目指すものであるはずだ。

中略

問題の2点目は、首相発言が医療保険制度の根幹を揺るがしかねないという点だ。日本は国民皆保険制度を取っている。国民がかけた保険料と税金で、手術や治療などに必要な費用を国民全体で支える共生の仕組みになっている。首相が主張するように、元気で健康な人が「なぜ自分が金を払うんだ」と言い出したら、皆保険制度は崩壊してしまう。
皆保険制度の仕組みを知りながら、なぜこんな不適切な発言をしたのか。患者だけでなく、多くの国民が理解に苦しんでいる。こうした放言が続けば、首相としての資質を問う声が強まることは避けられまい。
(上記社説より)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

ううううう〜〜〜〜ん。
麻生さんって、その場での「リップサービス」のつもりで、軽口を叩くようですが、
なにしろ「事の本質」が分かっていらっしゃらないので、
ドドド〜〜ンと放言するようです。


まぁ、そんな麻生さんの「その場限り」の思いやりの無い発言はともかく、
上記社説が指摘するように、国民皆保険の制度そのものへの「挑戦」かともとれる内容については、
今後、矛先にぶる事無く追求、確認をして行く必要を感じます。

それにしても、「やれやれ」ですねぇ、、、

きっこさんが相変わらず舌鋒鋭く書かれていますが、、、、、

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2008.11.27

小学校学習指導要領解説 理科編

小学校学習指導要領解説 理科編 と言うタイトルでapjさんが今年の10月末にエントリーを挙げていらっしゃいます。
私は以前の解説以降、今までに変わった経緯は、寡聞にして知らなかったのですが、apjさんから前の記事にコメントを頂き、教えていただきました。
と言う事で、apjさんに感謝しつつ、変更部分を読ませていただき、
私も早速「小学校学習指導要領解説」をネットで読み直しました。(2008年7月分)
pdfですが全文を読む事が可能です。
興味のある方は是非、ご覧下さい。

と言う事で、縷々みていきます。
まず第1章第1節で「改訂の経緯」が掲げられています。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「21世紀は,新しい知識・情報・技術が政治・経済・文化をはじめ社会のあらゆる
領域での活動の基盤として飛躍的に重要性を増す,いわゆる「知識基盤社会」の時
代であると言われている。このような知識基盤社会化やグローバル化は,アイディ
アなど知識そのものや人材をめぐる国際競争を加速させる一方で,異なる文化や文
明との共存や国際協力の必要性を増大させている。このような状況において,確か
な学力,豊かな心,健やかな体の調和を重視する「生きる力」をはぐくむことがま
すます重要になっている。
他方,OECD(経済協力開発機構)のPISA調査など各種の調査からは,我
が国の児童生徒については,例えば,
① 思考力・判断力・表現力等を問う読解力や記述式問題,知識・技能を活用す
る問題に課題,
② 読解力で成績分布の分散が拡大しており,その背景には家庭での学習時間な
どの学習意欲,学習習慣・生活習慣に課題,
③ 自分への自信の欠如や自らの将来への不安,体力の低下といった課題,
が見られるところである。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
そして、以下の観点に留意して改訂したと述べています。
2006年12月の教育基本法「改悪」が彷彿と思い出される様な文言が並んでいます、、、
科学教育と教育基本法
科学教育と教育基本法 その2
科学教育と教育基本法 その3
と、言うタイトルで当時2006年の4月に教育基本改正(私は改正と言うより改悪と思うのですが、、、、)について理科教育との関連で書き込みました。
今回の指導要領にも反映しているのは「科学技術立国」の思想かなぁ、と思いながら、
先に読み進みます。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
この答申においては,上記のような児童生徒の課題を踏まえ,
① 改正教育基本法等を踏まえた学習指導要領改訂
② 「生きる力」という理念の共有
③ 基礎的・基本的な知識・技能の習得
④ 思考力・判断力・表現力等の育成
⑤ 確かな学力を確立するために必要な授業時数の確保
⑥ 学習意欲の向上や学習習慣の確立
⑦ 豊かな心や健やかな体の育成のための指導の充実
を基本的な考え方として,各学校段階や各教科等にわたる学習指導要領の改善の方
向性が示された。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ここでも、相変わらず「生きる力や豊かな心」が鏤めれていますね、、、

そして理科教育の定義を始めとしてその実際へと解説は進みます。
この部分に関してはapjさんのご指摘とおり、定義や捉え方は、
以前のものからみて格段の進歩というか前進だと思います。

ただ、第4章指導計画の作成と内容の取扱い
と言う具体的なあり方、とくに(4)の道徳教育との関わりに付いては、今後とも注意が必要かと思いながら解説を読みました。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
(4) 第1章総則の第1の2及び第3章道徳の第1に示す道徳教育の目標に基づ
き,道徳の時間などとの関連を考慮しながら,第3章道徳の第2に示す内容に
ついて,理科の特質に応じて適切な指導をすること。
学習指導要領の第1章総則の第1の2においては,「学校における道徳教育は,道
徳の時間を要として学校の教育活動全体を通じて行うものであり,道徳の時間はもと
かなめ
より,各教科,外国語活動,総合的な学習の時間及び特別活動のそれぞれの特質に応
じて,児童の発達の段階を考慮して,適切な指導を行わなければならない」と規定さ
れている。
これを受けて,理科の指導においては,その特質に応じて,道徳について適切に指
導する必要があることを示すものである。
理科における道徳教育の指導においては,学習活動や学習態度への配慮,教師の態
度や行動による感化とともに,以下に示すような理科の目標と道徳教育との関連を明
確に意識しながら,適切な指導を行う必要がある。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
理科の目標と道徳の目標との関連ってナァ〜〜〜〜ニ???
これはかなり「教師への縛り」になるかと思いながら読み込んでいます。

いずれにしても、現場で如何に運用されるかが最も大事なことゆえ、
今後の成り行きを見守りたいと思います。

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2008.11.26

不安を呼ぶ社会が到来するのか?

自由の学風ですが…京大、防犯カメラ大増設 盗難相次ぎと言うニュース。
ふっ〜〜〜
ため息ですね、、、
ううううう〜〜〜〜ん。

防犯カメラが大学に。
ねぇ、、、
これで盗難が無くなればいいが、果たしてどうなんだろう???

そういえば先日、ある大学に行った時、正門でガードマンに誰何されました。
その事を担当教官に述べたら「そうなのよ、警備がきつくなったの。
私たち職員もみんな身分証を見せるのよ。でもそのおかげで、盗難が少なくなったの」と言われていました、、、
ううう====ん。
と、思いながら、なんとも言えない気持ちで聞いていたのですが、
ついに防犯カメラ設置ですか、、、

またまたココログニュースで恐縮ですが、
こんなトピックがありました。

宅配便が届いたら、そのときあなたは?

これまた、ウウウウウ〜〜〜ン。
なんだか言葉がないので、
ウウウウ〜〜〜〜ンで誤摩化しているような気がしますね。
すみません。


以前体感治安と言うエントリーを挙げた事があります。
この記事を書いた時は共謀罪導入か否かと言う切羽詰まった状況の時でした。
ちょっと長いのですが引用。
===============
「安全神話崩壊のパラドックス—治安の法社会学 」によれば、
〜〜“近年、凶悪犯罪が急増し、日本の治安は急激に悪化している”と、多くの日本人が思い込んでいる。実際、刑法犯の認知件数は戦後の最多記録を7年連続で更新している。
一方、警察による検挙率はここ数年低下が著しい(平成15年度版『犯罪白書』による)。
しかし、これは「統計のトリック」による見かけ上のものにすぎず、日本の治安は悪化していない。
統計資料の徹底分析から、
「最近五年での認知件数の急増は、実は統計の取り方の変化などが原因で実数の急増ではない」こと、検挙率の急落も、余罪追及を減らしたことなどによる見かけ上のものにすぎないのだ。〜〜
と言うのです。
これは平成15年版の白書でしたが、17年版も実は同じことが言えます。

では何故?
何故、国民を不安に陥れるような統計分析を流布するのでしょうか?
この疑問に対して、著者は、
かつての日本社会では、夜間の外出、危険な場所への外出を控えれば、基本的に安全だった。
しかし、一般人が深夜も気軽に出歩く生活が定着し、危険な場所などなくなったいま、犯罪が起きる非日常世界と起きない日常世界の「境界」は崩壊し、「至る所、いつでも、薄く広く危険がある」状況が生まれた。それが不安につながっているのだと……。
言います。
つまり一般市民の私たちの生活の場の拡大が「犯罪」に出くわす確立を高くしている、あるいは不安が高まっているというのです。
中略
「安全神話崩壊」後の日本社会と司法制度のあるべき姿について、真摯な考察を重ねていく。治安維持を警察にのみ頼るのではなく、かつての地域社会が豊かにもっていた“住民を守る力”の再生こそが肝要、と言うのです。
つまり、このところ書いている「刑事立法」強化の路線ではなく、地域社会の健全な底力の発揮こそが大切と言うことです。
===================
あの時、監視社会への一歩が始まったのかと、危惧を表明したものです。
廃案へと言うエントリーで、
罪刑法定 主義の祖として知られるチェーザレ・ベッカリーアを引用しました、
「犯罪と刑罰」と言う本の中で、
〜〜処罰より教育、美徳の重視こそが求めるべきものである〜〜と述べていますが、
今、罪を憎む以前の問題として、人、そのものへの不信が高まりつつあるようで、
本当に心が痛みます。

最後はやっぱり、
うううううう〜〜〜ん。
です。

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GMは破綻するのだろうか???

昨日のニュースで報道していましたが、
GM(ゼネラル・モーターズ)が、経営破たんの危機に瀕しているとのこと。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
深刻な経営危機に陥っている米自動車最大手ゼネラル・モーターズ(GM)の経営破綻(はたん)が現実味を帯び始めた。GMなど米自動車大手3社(ビッグ3)は米政府・議会に緊急支援を要請しているが、議会側が設定した12月2日の期限までに、大規模なリストラを盛り込んだ再建策を提示しなければ支援実現は難しい。同社取締役会が議論したとされる米連邦破産法の適用申請も、現実的な選択肢として急浮上する可能性もある。
(上記ニュースより)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
公的資金投入するにしても、しないにしても、いずれも大きな波紋を呼ぶとニュースは伝えています。

なにしろGMの株価は、一時は1ドル台にまで急落。
1ドルですよ。
信じられない。
が、現実にそんな値の時があったのです。

それにしても、どう立て直すのか>
救済策は如何に。
アメリカの抱える問題は大きい。
救済するか、破綻させるか、それが問題だ、
なんて言ってはいられません。
一つの自動車会社の経営不信の背景は勿論、アメリカが今まで行って来た経済政策の破綻です。
住宅販売のサブプライムローンと同様、車産業も消費者ローンに深く依拠していました。
そこへ以前も書きましたが、ガソリン高騰、環境重視による低燃費志向が加わり、急激な信用収縮によって、大型車よりは環境にやさしいエコカーの方に人気が高まりました。
またGM独自の原因として、医療保険などの企業負担の債務が経営を圧迫している事も挙げられていますが、
これは米国政府の社会保障制度の不備がそうした事態を招いたのは明らかです。
映画シッコを思い出します。

それにしても、あのGMが破産するようなことがあるなんて、つい十年前には思いもしませんでした。
アメリカはどうするんだろう???
GMを救済する為には公的資金を導入。
それでも経営のルーチンに乗せる為には、「保護政策」をするのだろうか???
WTOの貿易交渉では他国にはヤンヤと「保護主義」を批判、そして「市場原理主義」を押しつけてきた貿易政策を是としてきたアメリカ。
しかし、こうした事態が降り掛かると自分には「まぁまぁ、このさい保護主義」とニッコリ。
しかし、他国には「市場原理主義」を強要と言う手腕(?)を発揮するのだろうか?
いや、
それも、今や通用したいくらいアメリカの国際的地位は低下したかもしれません。
いずれにしても、
この問題は日本にとっても大きな影響のあることゆえ、しっかりと今後に注目していく必要があります。

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2008.11.25

撮影旅行

IMGP0036
連休は夫の友人夫婦と私たちと4人で撮影旅行に東北の松島と気仙沼に行ってきました。
夫と友人夫婦はベテランですが、私は初めてのカメラです。
先のエントリーでも挙げたようにPENTAX K100Dsuper
手ぶれ補正機構が内蔵されていることと、オートフォーカスなので、問題は「何を写すか」だけです。
そもそもが絶景の松島と気仙沼だから、被写体も申し分無し。
と、言う事で、
初心者の私でも、なんとかサマになります(そう、思っているのは自分だけですが)。
今までは夫が趣味でパチリパチリと写しているのを、見ていただけですが、
自分でもやってみると、これがオモシロイ。
ファインダーを覗いて、あ〜〜〜でもない。こ===でもないと構図を決めてパチり。
それから家に帰って現像して、Flikr!に挙げてと。
そして改めて見ると、
ファインダーから覗いていた景色とかなり違います。
光の具合や、切り取った範囲が想像とは別の仕上がり。
「へぇ、、、私、こんな所、どうして撮ったんだろう?」とか、
「あっ、うまい!!!」と自画自賛したりと。
IMGP0066

こうした作業の途中にパソコンから目を離して窓を見ると、
思わず心の目でパチり。
今までとは違った景色の見方をしています。


以前、アートフラワーを習った時も、お花屋さんで花の花弁を一生懸命見ていた事があります。
ある事をやり始めたら、今までは気がつかなかった事や物が、見えたり分かったりしてくるんでしょうか、、、
と、言う事で、何気なく見ていた日常の景色が、なんだか新鮮に見えてきます。
光のあたり具合。
影の出来る場所。
揺れる風や合間の空が、イキイキと語りかけてくれるようです。
IMGP0065

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カメラデビューです

IMGP0089

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これは気仙沼です。
カメラはPENTAX k100Dsuperです。

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2008.11.21

ブロガーの間で「科学論争」がブーム!?

ブロガーの間で「科学論争」がブーム!?と言う記事を見つけました。
あらあら、、、と思って読んでいたら、
なんとお馴染みのTAKESANさん発信の近頃の討論・議論ではないですか。
今、私は毎日が大忙しで、ニセ科学関連の記事はROM状態。
今回の件もザザッとは見ていたのですが、
いつのまにか、アチコチで話題になり、もう追いかける事をギブアップしていた矢先の、このニュース。
なるほど、なるほどと、
もう一度、中心ブログをいろいろ拝見させていただきました。
やはりニセ科学では私もいつも啓発されるお馴染みの黒猫さんがコメント欄で言われている事に私も同意。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
新規参入者による議論の活性化よりも、寧ろそれをきっかけとしてより多くの方々に前提となる知識を共有して戴くことのほうに、「ブーム」が周期的に起こることの総体的な意義はあるでしょう。
外側から視れば、たしかにネット界隈では定期的に科学論の議論が沸騰しているように見えますが、よく議論の内容を視ると、前提となる積み重ねられた知見を共有しないままに為された放言が波紋を呼んでいるだけ、と謂うことが多いわけで。
(黒猫さんのコメント原文ママ)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
この討論・議論が発端の一つとなり、多くの方に、今一度「ニセ科学とはナァ〜〜〜ニ?」とか、
「科学とは?」とかとか生産的な討論が出来るといいなぁと思います。
まず、その前提として論者の共通の認識と言うか出発点の共有が担保されていないと、
徒に労するだけで益がないことは、この間、多くの経験が語っています。
ニセ科学批判まとめ %作成中というFAQなどをまずは読んでから、討論参加していくと、確かに効率的に議論が構築されていくかもしれません。
とくに私個人は何故ニセ科学を批判するのかと言う事が最大の関心です。
FAQには以下の5つの点について説明があります。
1. 「ウソはいけない」という動機
2. 「結局損をするからやめよう」という動機
3. 「科学の発展を妨げる」という動機
4. 「社会が住み難くなるのは嫌だ」という動機
5. 「(初等的なレベルの)間違いが広まっているので,間違いを指摘しましたが何か?」

とくに3の 「科学の発展を妨げる」は重大です。

私は、今「ゲノムからタンパク質をよみとる」と言うテーマについて勉強しなおしています。
学んでいる内容はチンプンカンプン。
やっとやっと付いていっている(いや、付いていけないかも?)のですが、、、
さて、
講義では「未来の遺伝子工学への予測・展望」するにあたり、
かならず古典遺伝学の礎を学びます。
ダーウィンやメンデル、シュレジンガー、ポーリング。
そしてワトソンとクリック、、、、、です。
こうした先人たちの努力と、それを支えた多くの科学者(研究者や技術者)の業績の上に過去があり、
今があり、これからがあるのだと、
改めて思うのです。
科学は「連続の点」ということでしょうか。
連続はあるときは絡まり、あるときは後戻りするかもしれません。
が、
それでも続いているのです。
いきなり、ポォオオオオ====ンと出て来る「説」も例外なく「連続の検証」を必要とされるものだと考えます。

と言う事で、ここで元に戻るならニセ科学。
例として何時も挙るのは「水からの伝言」。
水に美しい言葉をなげかけると美しい結晶が出来ると言うアレです。
それで、
「おいおい、水に言葉がわかるかい?」と連続、構築してきた科学が提唱者に問う。
すると提唱者は答える。
「ポエムだよ、ポエム」と。
検証不能のポエムの部分に逃げ込まれては、あらあら科学じゃなかったの、となります。
これは科学の連続に加える事はできません。
提唱者自らも認めているのだから。
だがしかし、
したたかに科学の分野から飛び立ち、科学の連続をズダズダに切断することに逡巡しません。
また、こうしたニセ科学が今まで積み上げて来たものをバラバラにしようとさえしています、、、
これを、野放しにしていることや、その野放しを認めたり、譲ったりすることは、
科学そのもの後退であると言うことを、しっかりと認識することが肝要だと考えます。
その危惧を表明しているのが大阪大学の菊池さんを中心とした方々です。
社会に警鐘を鳴らすと言う意味で、とても意義深い事と、敬意を表しています。

さてさて、
上のFAQには書かれていませんが、ニセ科学を糾弾する必要がある理由に、
「自分で考える事を放棄するようになる、と言う害悪」があろうかと思います。

水に善悪を判断してもらう、
これは、自分で考える事を「水」に譲るということです。
相対主義的な理科教育と言うタイトルのエントリーを以前挙げた事があります。
初等中等教育に関する提言と言う物理学会の提言を中心に論評を加えました。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「自然の特性は人間と無関係に自然の中に存在するのではなく、人間がそれを見通して発想し、観察、実験などによって検討し承認したものであり、自然の特性は人間の創造の産物である。」と言うのです。
そしてこの指導は2002年度から教育の現場に取り入れられました。
「科学の理論や法則は科学者という人間が創造した物」であると言う相対主義的な科学観に立脚した理科教育は、絶対的な真理や知識をを教えることを放棄。子どもの生活体験や経験、概念を重視する方向へと進みました。
「自然の規則性や法則性はア・プリオリに自然の中に埋め込まれているのではなく、人間が働きかけることにより創り出していくものである」と強調するのは「改訂小学校学習指導要領の展開理科編」を作成した日置光久さん。
これは自然科学を自分の都合のいいように解釈していくものです。
ある予想(仮説)をたて、それに基づき実験・観察してその結果から仮説が正しいか否かを判断していく方法は普通、科学では取り入れられているやり方です。
結果が違えば仮説をもう一度考察しなおし、
また新たに実験・観察をしていく、、、
そうした過程の中で自然の規則や仕組みが解明されて来ます。
しかし、今、学校教育の中での理科教育は、
「観察・実験の結果が違ってもいいんだよ。
自分が最初に立てた仮説こそが正しい」とするものです。
つまり結論は先にあるのです。
この結論に結びつく物だけが正しく、そうでない物は捨て去られていくという論理の展開はまさにニセ科学への道に繋がるものだと思います。
もちろん科学は全てを網羅することはできません。
ある条件で正であっても別の条件では成り立たないことはよくあります。
白か黒か二者択一という単純なものではありません。
しかし、先にあげた相対的理科教育ではあらゆる物事を単純にラベル貼りしてそれ以上考察を深める作業は捨て去られます。
これは論理学で本質を導くためと称して捨象・抽象を安易に行う場合に似ています。
では、今私たちが出来ることは何か?
それは身近な現場での「相対主義的な構成主義理科教育」の存在に気づき、警鐘を鳴らしていくことです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

この思いは今も同じです。

ニセ科学を批判する事は、とりもなおさず科学そのものの健全であろう姿を守る事であり、
また教育、つまり自分の頭で考え、判断することを守っていく事では、と強く思うものです。


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新型インフルエンザ対策関連情報

新型インフルエンザ対策関連情報が今年も出ました。
子どもや高齢者の方、また受験生の皆さんは、早めのワクチン接種をなさってください。
さて、
予防については以下の通りです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
外出後の手洗い、
マスクの着用、流行地への渡航、人混みや繁華街への外出を控えること(不要不急の外出の自粛)。
また、十分に休養をとり、体力や抵抗力を高め、日頃からバランスよく栄養をとることも大切。
インフルエンザは容易に人から人に感染するため、他人にうつさないことも重要です。インフルエンザに感染して症状のある人は、病気の悪化や周囲への感染を防ぐために、自宅で休養することが重要。
他人に接しなければならない場合は、咳やくしゃみをする際にはティシュで口元を覆うか、マスクを着用することが重要。
新型インフルエンザが流行して、外出を避けるべき事態となり、物資の流通が停滞することを想定して、普段から食料品や日用品を備蓄。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

と言う事で、
まずは手荒いとうがい励行から始めていきましょう。

それにしても、ウイルスとの戦いは続きます。

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あゆさんの「リア王」から

いつもコメントを下さるあゆさんがとても素敵なエントリーを挙げられたのでご紹介!
その名もリア王
リア王と言えばシェークスピア。
タイトルを見て、初めは文学論かと思ったのですが、
内容は社会問題でした。
全体は7章にわたり、戦争と平和について書かれています。
まず東京裁判。
次に当時の軍について。
続いて当時の庶民の感覚をポピュリズム、マスコミと分析。
最後の6と7は政治家と天皇についてです。
こうして分析を試みたあと、あゆさんの感想が縷々書かれています。
私は歴史は事細かに分析・検討をしたことがないので、
あゆさんのように縦横にわたり書いて下さると、とても分かりやすく、刺激になりました。
そして、
最後のあゆさんの思いには共感をよせるものです。
〜〜〜誰もが自分らしく生きられますように〜〜〜

本当に。そのとおりですね。

さて、タイトルのリア王が、ここにきていきいきと蘇ります。
本当の敵は何か?だれか?
甘い言葉の裏にある真意は何か?
そして、
いつか、狂気へと誘っていくかもしれない時代の意思があるとしたら、
今、
天才シェークスピアを改めて読む直す事も、また必要かと、、、、、

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2008.11.20

篤姫の命日だそうです

新聞で知ったのですが、今日11月20日って篤姫の命日だそうですね。
宮崎あおいが号泣! - 大河ドラマ『篤姫』がクランクアップと言うことで、大河の篤姫は9月末にクランクアップしたそうですが、、、

それにしても、今年の大河ドラマ(大河とは言えないかも?)。
面白いですね、、、

激動の時代を生き抜いた徳川の女たちが、
イキイキと描かれています。
ダイナミックであり、繊細で、
緻密であり果敢である篤姫が、大奥の表に裏にいる安心感がズズッと伝わってきます。

実は、年の初めには、
「今年は外れかな?」と思いながら見たのです。
歴史の中で文字の裏に閉じ込められていた女性たちが主人公の場合は、
どうしても物語が嘘臭くなるじゃないですか。
篤姫も、そうなるかと、、、心配したのですが。
始まってみれば、なんのなんの。
すごく面白い!!!
人物が刻銘に描かれているから、感情移入ができるんですよね。
あの人物、この人。
みんな、まっすぐな思いでありながら、
表れ方が皆違う。
そのもどかしさが、グゥィツと見ているものに迫ってくるのです。
もう、はまりました。
毎週の日曜日が待ち遠しく感じれたものです、、、

そうかぁ、、、
もう11月もあとわずか。
篤姫も残り少なくなりました。
淋しいなぁ、、、

と、言うことで、今日は天璋院篤姫の命日だそうです。
宮尾登美子: 天璋院篤姫によると、
天璋院は慶喜の後に徳川宗家を継いだ徳川家達にも慕われ、その子たちは天璋院を「二十日さま」と呼んで敬っていたということです。

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困ったちゃんの麻生さん?

いつもながらのお騒がせ麻生さん。
今度は医師不足に言及。
物議を醸しています。
いいまつがいと言うタイトルで内田さんが、
エントリーを早速挙げていらっしゃいます。
これを読みながら、
「こうした問題に関しては内田節は冴えているな、、、」と言うこと。
内田さんって、そもそもが曖昧な書き方をする人だから、
その曖昧さゆえに、感情的、感覚的な訝しさを書き連ねるときの筆力は素晴らしいものがあります。
感覚的にスゥ〜〜イスゥ〜〜イと頭に入りますね。
厳密、緻密が要請されるときはその限りでないところが内田さんなのだが、、、
と、言うことで今回の内田さんのエントリーには首を縦にふって読みました。
特に言い得て妙だと思ったのは以下の文。
おなかを抱えて笑いました。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
たとえて言えば、前日学校を早退した友人に「昨日はなんで帰ったの?」と質問したときに「電車で」と答えられたような違和感が麻生首相の発言にはつねにつきまとう。
たしかに「昨日はなんで帰ったの?」という質問を「帰宅の手段」についての問いと解することは可能であるから、この問答には何ら論理的瑕疵がないと言い立てることは可能である。
でも、ふつうは「そんなことを訊いているんじゃない」ということは誰にでもわかる。
前後の「文脈」というものがあるからだ。
だから私たちは問いに答える前に「この人はこのことを問うことによって、何を問おうとしているのか?」と自問する。
問う人がどういう口調で、どういう表情で、どういう姿勢で、どういう立場から、どういう利益を求めて(あるいはどういう不利益を回避するために)それを問うのかを考える。
手がかりは文言それ自体のうちにはない。
文言の外に遊弋する無数の「非言語的なシグナル」を熟視して、「そう問うことを通じて問いたいこと」を言い当てる。
麻生太郎というひとはこの「非言語的シグナル」を読み当てる能力にどうやら致命的な欠陥があるようだ。
(原文ママ)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
先日の国会討論の時もそうでした。
尤も、これは自民党の山本一太議員にも当て嵌まるかも、と意地悪く思う私がここにいます。
同じようにイライラさせながら見ていた小泉さんの国会中継ですが、
小泉さんの場合は「わかっていてやっていた」感がします。
ノラリクラリ、、、ひょいひょいと。
麻生さんは、
う〜〜〜〜ん。
本当にお分かりではないのだと麻生さん以外のみんなが分かっているようです。
内田さんは、その後、
麻生さんの漢字の読み間違いは「他を分かろうとしない」気質に原因があると言及。
なるほど。
先の医師不足も、記者に聞きただされたとき、
「自分の周りの医師たちは、、、、」と言われていました。
つまり、自分の知っていること、経験したこと、興味あることが彼の世界であり、
その他は想像さえできないのでしょうね、、、
ふぅううう〜〜〜む。


困ったものだ、、、
と、額にしわ寄せながら、もっとコマって頭を抱えているのは自民党だろうが。

最後の内田さんの〆ではないが、
「このようなコミュニケーション感度の低い政治家をあとどれくらいの期間私たちは宰相としていただかねばならぬのであろう。」
まったく、同感。
あとどのくらい、こうした政治家が順番を待っているのだろうか???
小池さん?
与謝野さん?
石破さん?
舛添さん?
????????????

ふっ〜〜〜〜
最後はため息です。

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2008.11.19

吉井勇と小林一茶

〜〜〜句を讀みて泣かむか世をば怒らむか 一茶はまこと寒く生きたり〜〜
吉井勇の歌です。
今日11月19日は歌人吉井勇と俳人小林一茶の命日です。

吉井勇と言えば祗園。
「かにかくに 祇園はこひし 寝るときも 枕のしたを 水のなかるる」

以前の記事にも書いたように、
この歌、音に出すほどに風情があります。
「かにかくに」とは「とにかく」と言う意味です。
とにかく、祗園は良い。
祗園は恋し。
と詠っています。
表の喧噪をはずれて、ちょっと小路に入ると、時間がクルクルと逆戻りするような感覚になるのが京都です。
白川沿いの家並みと流れる川のそそとした音が思い出されます。
川と同じように時間はゆっくりと豊かに流れます。

吉井勇は祗園とお酒とそして文学を愛しました。
鴨川のほとりを歩き、あるき、、、
ちょっと足を伸ばして先人の縁の神社や仏閣を訪れ、
さらに懐ふかい京都人の人情にふれて、
彼の作品は出来上がったのでしょうか、、、

読むほどに、あの景色、この情景と思いが飛びかう京。
そして、祗園の人々もまた吉井勇を愛し続けています。

一方、一茶の方は吉井勇のような華やかさはありません。
その生涯も悲しいし辛い。
と、私は思うのだが、
本人一茶は己の運命に対して敢然と闘い、受け入れ、そして超えたと思います。
〜〜露の世は 露の世ながら さりながら〜〜
辞世の句と言われています。

この世は露のようなものである。
が、露なら露のように、露らしく、、、
そんな生き方を徹した一茶。
一茶を思うと、ちょっ思いが沈みがちになる私ですが、
それは、半分の一茶なのだろうと自分で思っています。
ユーモアがあって、お茶目で、豊かな感性をもってして家族を愛し、
生き抜けた一茶というのも、また真の姿の一つだから、、、

今日11月19日。
吉井勇と小林一茶の命日です。

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2008.11.18

科学の進歩アレコレと

ブログも書くロボットが話題(?)。
凄いものだ、、、
ついにロボットが執筆活動する時代到来ですかぁ。
ロボットと言えば私の中ではアシモフですが、
今日は「文を書く」という事に焦点をあてて無限の猿定理
つまり、〜〜猿がタイプライターの鍵盤を無限の長さの期間ランダムに叩きつづければ、「ほとんど確実に」所望のテクストを打ち出すことになる。たとえそれがウィリアム・シェイクスピアの全作品であろうとも〜〜。というアレです。

これは進化の問題として方々で議論されているようです。
ヒトとチンパンジーのゲノムは殆ど同じと言う事が分かって、大きな波紋を呼んだ時代もありました。
が、
今や、ゲノム解析からさらに一歩踏み込み、
オミック・スペースと言う概念が確立されようとしています。
そこでは、
機能から、さらに病気の治療や予防、そしてネットビジネスにまで進んでいます。
まさに「情報の時代」です。

「従来から研究者達は,オミックスの各 階層(ゲノム,プロテオームなど)の 各研究分野に自分の専門領域を見つけ て個別に成果を出そうとする傾向にあ るが,まとまった体系として全体を理 解しないかぎり本質は見えてこない。」 と述べるのはオミック・スペース提唱者の和田昭允さん

実は先日、和田先生の講義をじかに聞くことが出来ました。
内容の殆どは『宝は学際にあり~生命王国/物質帝国では~』 と言う昨年、第1回日本物理学会キャリア支援センターシンポジウムでの講義と同じでした。
視野を広く、視点を高くと、、、初めに聴いている私たちにご自分の経験とともに、
先人たちの偉業や苦労、それを乗り越えてきた話などを、とても分かりやすく、また迫力をもって話してくださいました。

人類が今、到達している所、
そして、これから目指すところ。
思いを新たにしたものです。

猿はひょとっしたら素晴らしい文学を生み出すことができるかもしれない。
だがしかし、
今は、その膨大な確率の1を待つよりは、
ゲノムの文章を読み、そして、それが何を意味し、何に役に立つか?
を、学ぶことができたらと思いました。

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2008.11.17

金融サミット終了

オバマ氏、金融サミットの陰の主役 行動計画に主張反映と言うことで、世界の二十カ国・地域(G20)首脳が会したワシントンでの金融サミットも終了。
来年4月末までに第二回会合を持つことで一致しました。
誰でもが思ったf事は、
もうブッシュの時代ではない。と、言うことです。
各国はオバマさんの代理人と交渉を進めたということですが、それは当然でしょう。
それにしても、アメリカの責任(ブッシュ時代)の大きさを改めて思うものです。

このサミットでは、
銀行など金融市場参加者が高い利益を求めてリスクを軽視してきたことが危機につながったと分析。
そして金融への規制強化に合意。

「宣言」では、
「すべての金融市場、商品、参加者が適切に規制され、監督の対象となる」と述べています。
さらに、
「成長を回復し、新興国や途上国の経済への悪影響を防ぐ」ためには「さらに幅広い政策的対応が必要だ」と強調。
各国が財政・金融政策を動員すること。
貧困国への融資などでの国際通貨基金(IMF)の役割などを見直し、実効することを強調しています。
また、
危機の再発防止に向けても提案。
「規制の枠組みを強化する改革を実行」すること。
透明性と説明責任の強化。
健全な規制の拡大。
金融市場における公正性の促進。
国際連携の強化。
国際金融機関の改革。
です。
どれも大切なことばかりです。


もうアメリカ一国支配ではない。
欧州諸国や中国やインド、ブラジルなどの新興国が発言権をもつG20へと世界は動いているのです。
従来の先進7カ国(G7)メンバー(日本、米国、英国、ドイツ、フランス、イタリア、カナダ)に加えて、
アルゼンチン、オーストラリア、ブラジル、中国、インド、インドネシア、メキシコ、韓国、ロシア、サウジアラビア、南アフリカ、トルコ、欧州連合(EU)を加えた20カ国です。
G20の国内総生産(GDP)の合計はなんと世界経済全体の8割強、人口で3分の2を占めています。
こうした地域や国の代表が集まり、この世界大恐慌について話し合いました。
先にも書いたように、
アメリカの責任とアメリカの一国支配の終焉を告げるものでした。
そして、
日本もこうした動きには抵抗しがたいものがあるようです。
アメリカべったり路線の変換が求められています。麻生さん>


 
 


 

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2008.11.15

天皇杯5回戦

サンフレッチェ広島。
勝ちましたね。
お見事!!!
でした。
2−0。
天皇杯5回戦。
相手は川崎です。
会場の長崎は雨。
決して良いとは言えないグランドコンデションでしたが、
広島の選手は走りに走っていました。
解説の早野さんも絶賛していました。
そうそう、相変わらずの早野節でしたが、、、
「長崎は今日も雨だった」なぁんて〜〜〜
フッと笑ってしまいます。
高萩くん、試合が始まってから、もう走りに走って、はしって、、、
何回も惜しい場面を作っていました。
「いや、、、雨ですべるんですね、、、」とアナウンサーの残念がる放送に、
思わず出たのが先の言葉。
「長崎は今日も雨だった、、、」
??????????
わらっちゃうね。

と、言うことで試合開始から広島が攻めていたのですが、
なかなかゴールをわれませんでした。
が、
ついに青山選手が前半のうちに美しいゴールを決めて、
やった!!!!
やった!
と、我が家は嬉しさで大爆発。

そして、後半は、
かなり川崎に押しこまれ、うわっ====やばいかな、、、
なんて思ったりもしたのですが、
そんなことは杞憂でした。
森崎浩司くんが美しいゴールを決めて追加点。
勿論、
我が家はうわっ〜〜〜〜〜
カンパイ。
でした。
今日はお酒がすすみました、、、
勿論、夫ですよ。
私はたしなむ程度です。


と、言う事で、
広島。
順調に進みベスト8。
次は柏です。
楽しみです。
応援しています!!!

そういえば、鳥栖も凄かったですね。
よかった。
とても嬉しい。

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2008.11.14

そしてウチュウはどうなるのか???

もう一つ、宇宙の話題です。
山崎直子宇宙飛行士、宇宙へなんて素敵なニュースを見ていて感激。
がんばれ!!!山崎さん。

山形の板垣さん、コップ座の銀河に超新星を発見なんてニュースもついこの前見つけて、なんだかワクワク。
宇宙が広がり、なおかつ身近に感じられ嬉しくなります。
そんな宇宙。
だが、
だが、
ここに無粋な話があったりします。
宇宙開発戦略本部(本部長・麻生太郎首相)の専門調査会が、宇宙航空研究開発機構(JAXA)を動員した軍事開発研究の推進を検討していることがこの12日、衆院内閣委員会の質疑で明らかになったのです。
ううううう〜〜〜〜〜んですねぇ。

JAXAは、勿論、今回の山崎んも所属している日本の宇宙科学研究や開発利用を実施する独立行政法人で、JAXA法第四条は、研究開発を「平和の目的に限り」行うと定めています。

戦略本部事務局が四日の専門調査会で、今後の人工衛星利用の課題として「防衛利用にかかる今後の研究開発活動において、宇宙機関との連携について検討」すると述べたのですが、この「宇宙機関」が「主としてJAXA」と説明しました。
そうかぁ、、、
やはり宇宙基本法がネックだったのだと改めて思いました。
「専守防衛の中で、JAXAのあり方の見直しを検討している」とのこと。
ふっ〜〜〜〜
ここでも専守防衛ですかぁ。
なんだか田母神さんの顔が彷彿と思い出されます。
表向きは専守防衛と言いながらその実「攻撃は最大の防御」と部下に教えていたのは誰でしたかね???
麻生さん>

バラマキ、ばらまきととかく評判の悪い給付金ですが、
税金が足りないと言う事でその後、バッチリ消費税率をあげて取りまくる算段をしているようですが、
宇宙にもばらまいているようですね。無駄を。
軍事衛星の保有・利用の具体化に向けた政府・防衛省の動きが、本格化している。政府の宇宙開発戦略本部は
09年度の宇宙関係予算の概算要求は、11府省庁の合計で約4086億円が計上。
08年度予算比で約926億円増(29%増)とのことですが、これは宇宙基本法が成立した今年の5月から言われ続けて来ている「米軍の下請け」のためにバァ〜〜〜〜ンと予算をつけたのでしょうか。

なにしろ、今や宇宙は市場なのです、、、
そして、
ウチュウはどうなるのでしょうか???

もうすぐ流れ星が出現する夜を迎えるにあたり、
願わずにはおれない。
平和がつづくことを、、、
と、思ったものです。

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流星の季節

今年もまたしし座流星群の季節です。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
11月17日の18時ごろ、しし座流星群の活動がピークになる。月齢19の大きな月が一晩中あるため条件は良くないが、月のない方向を眺めるなど工夫して観測してみよう。2001年の流星雨ほどの活動が見られる可能性は低いが、明るく痕を残す流星もあるので、念のために注目しておきたい。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
とのことです。
今年は天気はどうなのでしょう?
予報ではあまりよくないのですが、、、
尤も17日以降も見る事ができるので、まぁ、機会を見つけて是非ご覧下さい。

毎年、この季節にはしし座流星群で胸躍らせ、
ちりばめれた宝石の様なすばるに胸轟かせていたのです。
が、
が、
今年はやっぱりコレですね。
そう、流星の絆です。
毎週、ワクワク・ハラハラ・ドキドキ・げらげら、、、見ています。
2回目か3回目のとき、家でハヤシライスを作ったくらいハマッテいます。
初めは本格的に作ろうと、夫と生協に買い物にいったのですが、
いつのまにか、市販のハッシュドビーフの箱を購入。
はっはっは。

家に帰ってから、
二宮オニィのつもり(?)で夫がのりながら(?)作ってくれました。
「あっ、これおいしいよね!!!」
と、満足げに食べる私に夫は複雑な顔。
ハヤシライスと言えば、独身の時、料理学校で作った事を思い出します。
ルーから時間をかけて、かけて、丁寧に作ったのです。
そう、オニィくらい情熱をかけて(?)。
学校でみんなで作ったノリで家でもやってみました。
マニュアル片手に、一生懸命に。
で、
やっと出来上がり、家族に食べてもらいました。
感想は「あんなに時間かけていたのに出来たのはハヤシライス?」。
ガック。
そうなんですよね、、、
なぜか、ハヤシライスって豪華にならない。
手が込んでいる割には。
と、思っていたのですが、ドラマのおかげで、今、ハヤシライスが旬の味とか???


と、いうところで閑話休題。
これからは星空が美しい季節になります。
昔の人は長い夜、明かりもないままに輝く星空を見続けていたのでしょうか???
頭の真上で輝く秋の四辺形
うお座の1等星フォーマルハウト。カシオペヤ座。そしてアンドロメダ座。
さらに
あのプレアデス星団(すばる)。
木星に金星。
一晩中、星々のおしゃべりがきこえそうです、、、
ね。

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2008.11.13

国会中継雑感

今日は午前中は国会中継を見ていました。
前空幕長発言、首相「極めて不適切」 参院外交防衛委と言う事で、
麻生さんも浜田さんも、ひたすら嵐の過ぎ去るのを待つのみ。
ここで、何を言っても、言い訳無用の田母神さんの過去の発言アレコレ。
私も今日、改めて知ったのですが、ウワッ〜〜〜〜オイオイですね。
これじゃ、内閣も防衛省も一言もない。
と思いました。
こんなに跳ねていた人物を掌握できていなかったのは「不明」としか言いようがないと、
麻生さんも自覚。
こうなりゃ、
とにかく、「もう民間人」ですませよう、、、と腹を決めていたのでしょう。

さて、田母神さんの件については私も検討を後日に譲るとして、
今日、見ていて面白かったのは、自民党の山本議員と公明党の浜田議員。
そして、その後に続いた共産党の井上議員。
この3人の「ちがい」が強烈に印象に残りました。
山本議員と浜田議員。
核心にふれないように、
それでも国民の代弁者のように、
グルリグルリ、ノラリノラリと質疑。
山本さんはひたすら金融について聞く事で総理の援護射撃と思っているのに、
つれない麻生さん。
「金融だけが経済じゃありません」なんて、、、
山本いっちゃんは顔がこおばり。
さらに笑ったのはオバマさんの件。
「総理と大統領は10分間、通訳無しでお話しされましたが、、、」と一太議員。
「どんな印象でしたか?」と聞く。
「「そんな電話で分かるわけない」とつれない総理。
「大統領が変わって日本との関係はどうなるのでしょうか?」とめげずに山本くん。
「日本だって次々と総理がかわっているのだから」と麻生さん。
これには大笑いの私。
うけた!!!
麻生さんと山本一太さん。
ともにキャラがたっているというのでしょうね。こういうのを。
お二人ともえらい!!!
と、言うことで、ボケる山本議員に、
答える麻生さんの方が突っ込みをいれていました。

公明党の浜田議員は、良く趣旨がわからなかったのですが、
何遍も麻生さんにお礼を述べていました。
「総理。お礼を申し上げます」と。
お礼を言われた麻生さんは憮然。
お礼に無言の圧力を感じたか、麻生さん>

それにひきかえ、井上議員。
ジャンジャン、ジャカスカやっていました。
うわっ=====
この人にもっと質疑時間をあげたい。
山本いっちゃんや浜田さんの分も。
と、思うくらいビシビシやっていました。
今日の質疑で知ったのですが、田母神さんの招聘した会議・勉強会の講師の名前が黒塗りで隠されていたとのことを井上さんが麻生さんに質疑。
「何かやましいことをしていたのですか?」
麻生さんは、「うごうご」と答えました。
井上議員が「議長!この黒塗りの氏名を明らかにするように委員会にはかってください」
と言うと、
議長も、
「こうして黒塗りにするのは、なにかやましい事をしているのではないかと国民が不信に思うから、
早速明らかにするように」と麻生さんに申し添えていました。
国民の一人の私は、大いにウンウンと頷いていました。
ううううう〜〜〜〜ん。
これでこそ、質疑応答というもの。
と、関心。

次の社民党の山内さんはおだやかに、丁寧にそしてキッチリと田母神さんの逸脱について質疑されていました。
専守防衛をかなぐりすてる論について、
何事も言えない内閣では、ちょいと情けないですね、、、麻生さん。
と言う内容を、やんわりと言われていました。


マスコミは民主党議員の質問しか流さないので、
それ以外の議員についてチョットした感想をここで述べてみました。

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木村資生さんの日です

中立進化説で有名な木村資生さんの誕生日でもあり忌日でもある11月13日。

実は今、タンパク質についてチョイト勉強をする機会に恵まれ、カチカチの頭に無理矢理ねじり込んでいます。
遺伝子工学が長足の発展を遂げた時には、もう学窓から巣立っていた私には、
聴く事、みることが新しい。
へぇ〜〜〜〜。
そうなんだ、、、
ええええっ。今のナァ===ニィ。
とかとか。
さっぱり分からないのですが、、、
友人と帰る道すがら「私たちって古生物だね」と言っています。

先日も「生命情報学の歴史」を講義で聴いたのですが、メンデルからポーリング、シュレジンガー、とずっと進化の歴史を辿りました。
お馴染みの名前が出て来ると嬉しくなって分かった気になるのですが、実はチンプンカンプンですぅ。
そして、
こうしたとき、必ず出てくるのが、
木村資生さんの中立説。

「大部分の変異は中立である」と言う事から来た名前です。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
分子レベルの進化はダーウィン的な「サバイバル・オブ・ザ・フィッテスト」(適者生存)だけではなく、生存に有利でも不利でもない中立的な変化で「サバイバル・オブ・ザ・ラッキエスト」、すなわち、たまたま幸運に恵まれたものも残っていくという学説である。中立説は発表当初多くの批判を浴び世界的な論争を引き起こした。その後、この説は広く認められるようになり、現代進化論の一部となっている。
wikipediaより
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

私も学生時代、集団遺伝学の授業は木村先生の教科書で学んだのです。
キイロショウジョウバエの実験もしたのですが、
今から思えばあの時もサッパリでした、、、ははは。
結局、いつでも分かっていないんだね、わたし。
やれやれ。
と、自分にため息。

講義から帰った夜は待ち構えて夫にしゃべりまくります。
「今日はね、、、これとね。これとね聴いたんよ、、、」
と。
「ふぅ〜〜〜ん。
で、ここはナァ〜〜〜ニ?」
とツッコミがくると、全然答えられないのです。
「うっうっう====」

あああああ〜〜〜
まだまだです。
ただ、まだまだではあるが、
知らない事をする事は楽しいものですね。
この歳になっても、楽しいことだと実感。

まぁ、それはともかく。
生命情報は今やコンピュータの導入で、生体を構成する莫大な数の分子が持つそれぞれの情報を再構築する局面を迎えています。
木村先生の時代にはまだ到達していなかった様々の技術を駆使して、
中立説の正しさが立証され、
そして、
さらに時代は進んでいくようです、、、

これから先、人類は「生命」に対して何を求め、どうしていくのか?
一つひとつの課程を大切にしていく必要を改めて思うと同時に、
やはり先人の歩んだ道を敬意をもって学ぶ事の大事さも思っています。

今日は木村資生さんの命日です。

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2008.11.12

戦争とは正義と不正義なのか?

今日は正しい戦争について考えてみようかと思いました。
いつも深い洞察でコメントを下さる技術開発者さんから改めてシビリアンコントロールと言うエントリーに頂いたコメントを拝見して、考え続けていました。
「野生の解決手段」という戦争論について事細かに説明をいただきましたので、まずはコメントそのものを読んで頂ければ幸いです。
技術開発者さんは最後を以下のように纏められています。
「戦争の結果の紛争解決というのは「正しい・正しくない」の入る余地は無いんです。なぜなら「正しい・正しくない」で解決するのは文明の解決であって野生の解決の求める解決ではないからです。正しさというのが有るとすれば、「いかに再燃しないか」だけです。再燃を防ぐ上で一番良いのは「皆殺し」でそれに次ぐのが「解体・同化」です。ただ現実にそれができないというかあまりにしんどいときに「考え方(価値観)の押し付け」で解決します。現実にそうやったという事実があるだけのことなんです。
(原文ママ)」

私はこの纏めを読みながら、「戦争正当化」を「道徳」と「法」に読み替えながら、
過去の歴史を追うため本棚を漁っていました。
まず「正義戦」正戦論の始まりは、3世紀、初期キリスト教の最高権威、教父アウグスティヌスから始まりまったそうです。
「モーゼ七書問題集」で正戦について「不正を罰するもの」と定義しました。
そして、、、
中世神学の確立とともに、トマス・アクィナスの「神学大全」では、この精神を受け、異教徒に対する戦争を「聖戦」と名を付けました」。
その定義は以下の通り。
1:君主の命令による事
2:正当な理由(不正の処罰)を持つこと
3:正しい意図に基づくものであること

その後カノン法に「正しい戦争とは不正な者への報復である」と言おう意味で「正当な権威」「正当な理由」「正義の意思」「勝利の展望」「均衡性」「最後の手段」と言う条件がそろっている場合のみ戦争の開始を承認するという原則ができあがりました。

しかし、近世スコラ哲学者の登場によって戦争は宗教から「自然法」へと移りました。
時はスペイン植民地時代。
野蛮と未開には自然法は適用されないと言う主張でインカ帝国や北米の先住民が虐殺されました。
野蛮・未開に対して文明の戦いは正義であると言う時代でした。
こうして1648年のウェストファリア条約に至るのです。
国家主権の独立性が ここに認められました。
そして、そこには戦争を起こす外交決定権も含まれていたのです。
戦争は対等な国家間の紛争になりました。
これ以降、主権国家を超える上 位の権威は認められず、一元的権威を前提とする正戦論を適用することは困難になり、戦争の合 法性・違法性を問うことのない戦争合違無差別論(無差別戦争論)が支配的になっていくというのが過去の歴史でした。


戦争への正義(jus ad bellum)
1正当な理由
2正当な権威
3比例性(結果として得られる善が戦争という手段の悪にまさる)
4最終手段
5成功への合理的見込み
6動機の正しさ

戦争における正義(jus in bello)
1区別の原則(戦闘員と非戦闘員を区別する)
2比例性の原則(なされた不正を正すのに必要以上の力を行使しない)

jus ad bellumよりjus in belloが関心・重大になってきます。
やがて陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約 (ハーグ陸戦法規 1907)などで戦争は合法化していきます。

しかし、
しかし、
人類は漸く戦争違法化への道を歩みだします。
それは第一次世界大戦後のパリ不戦条約
国際連合憲章
こうして、丸く収まるかに見えた正義の戦争論は、その後も二転三転します。
まず「侵略戦争か自衛戦争」というテーマで正しいか否かが争われました。
またマイケル・ウォルツァーの「正義と不正義の戦争」では1977年版では「戦争が地球上から消えるのは夢物語」と述べました。
が、1997年の第3版では「人道的な介入」と言う言葉で「他国での人権侵害されている人々の擁護」のための外交圧力や経済制裁もろもろを認め武力の介入も是としました。
しかし、このウォルツァーさえ、現実のイラク戦争に「正義」を当てはめる事は至難の業のようです。
こうして、人類は幾度となく戦争を行い、
その都度、正しいか、正しくないかの判断をある時は宗教に、またある時は法律に求めてきました。
戦う者の心理として、それは自分に取って都合がいいかもしれないが、とにかく「道徳」に基準を求めて来たように思います。

と、言う事で、技術開発者さんから頂いたコメントをきっかけに、
自分なりに歴史を追ってみました。
調べながら、技術開発者さんが言われた最後の纏めがイキイキとよみがえります。
戦争とは「現実にそうやったという事実があるだけのこと」である。
なるほど。
本当に。
アレコレの理由や原因や言い分は資料としては必要ではあるが、
結局、歴史とは事実なのですね!

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2008.11.11

世界平和記念日

今日は世界平和記念日です。
1914年にはじまった第一次世界大戦が1918年11月11日に、 ドイツが連合国軍に無条件降伏して大戦が終結した事を受けて、このような戦争を再び起こさないようにと祈りを込めて、11月11日を世界平和記念日に制定したそうです。
wikipediaを見ると、今日は欧米諸国で、第一次世界大戦終結にちなんだ祝祭日が多く見られます。
=======================
戦没将兵追悼記念日 (Remembrance Day)、ポピー・デー (Poppy Day) - イギリス
退役軍人の日 (Veteran's Day) - アメリカ
休戦記念日 (Armistice Day) - フランス、ベルギー。英米での旧称。
独立記念日 (Narodowe Święto Niepodległości) - ポーランド
世界平和記念日
1918年11月11日に第一次世界大戦が停戦したことに由来。
なお、世界平和記念日 (International Peace Day, International Day of Peace) は9月21日を意味することが多い。
ポーランド独立記念日はかつてはソ連がポーランド国民解放委員会を設立した(1944年)7月22日だったが、民主化後に変更された。
=======================
私たちの先輩は、先の戦争、さらにもう一つ先の戦争への反省から、
再びこの様な愚を於かす事がないように、との思いで、折りに触れ「記念日」を設けて、自戒と祈りを新たにしています。
そんな記念日の一つの今日。

さて、
同じ今日は田母神前幕僚長が改憲主張 参院委で参考人招致がありました。
テレビ放送はなかったので、私はお昼のニュースで断片的に発言内容を知っただけです。
が、
が、
なかなかだったようですね〜〜〜
フゥ〜〜〜〜ム。

持論の一つ、憲法改正も述べたようで、
ちょいと「跳ねっ返り」がすぎるようですね。

今後、さらに波紋を呼びそうな発言ゆえ、
私も、もう少し調べてから、また記事に挙げたいと思います。

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2008.11.10

麻生邸ツアー、釈放されましたね

麻生邸のツアーで逮捕された3人の方、
釈放されたそうです。
まずはよかった。
実際、拘留する理由がなかったのでしょう、、、

この事件はいろんなブログでも紹介され、話題になりました。

権力の濫用。
私はそう思いましたが、
いつもコメントを下さる技術開発者さんから、冷静で示唆にとむ内容のコメントをいただき、
一考したものでもあります。
麻生邸見学ツアー逮捕劇  さらに感じた事と言うエントリーに対して技術開発者さんから、丁寧にお教え頂いた内容の一つを以下に挙げます。
(ご本人には了承を得ています)。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「なんていうかな、もともと労働運動の集まりなんてのは、不満のある人が集まるものなんですよ。円満に満足している人は集まらない(笑)。そして、運動のエネルギー源というのがその不満であることも確かなんです。でもね、例えば蒸気機関のエネルギー源が石炭火力だからといって、ピストンがうまく動くようにしてから火を焚かずに、ただどんどんと石炭をくべるだけなら蒸気機関が動かないだけじゃなくて、圧力だけが上がってボイラーが爆発しかねないのです。公安はいつだって、「お前らのボイラーは何時爆発するかわからない」と思っているだけね(笑)。でもって、実際にそのエネルギーを使って何かを成し遂げようとしている方だって必死になって統制しないと制御しきれなくなりかねない思いはあるのね。」
(原文ママ)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

なるほど、、、
なるほど。
確かに、いきなりの逮捕に出た今回の公安のやり方には、正当性は認められませんが、
権力に向かって、自分たちの要求を掲げる側には、相手とは何か、、、をしっかりと見極めていく慎重さが必要とされるのでしょうね。
技術開発者さん曰く。
「そもそも労働運動、デモは円満解決、話し合で解決出来ると思っている人は集まらない。
ならば、一触即発の危険を内包していると、取り締まりが思う」ことも、至極当然なのですね、、、

そういう意味では、今回の事件は、
教えられる事大でした。
庶民が庶民である事は、本来は些かの瑕疵もあってはならないのだが、
だからといって、ただその立場に安住してはいけない。
本来の要求を通す為には、
エネルギーの使い方を十分に検討することが肝要ということなのでしょう。

「どうしても「公安に捕まった」といったことでショックを感じられると思うんだけど、そういう見通しの無い不満を吐き出すだけのデモそのものが、実際に社会を動かす上ではエネルギーの無駄遣いであり、暴発の危険性を生むだけの面があるんです。つまり貴重なエネルギーなんだから無駄遣いするな、うまく使えという思いがあるわけです。」と纏められた技術開発者さんの言葉を刻みながら、、、、


最後に、
なにはともあれ、釈放された3人の方々には、「身をもって」権力の不合理をお教え頂きました。
お身体・心のお疲れを思い、
心から敬意とお喜びを申し添えさせてください。

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筑紫哲也さん

今日は朝から筑紫哲也さんの追悼特集を見続けていました。
筑紫さんの足跡をたどり、
願ったものを語り、
遺したものを伝える番組をみながら、
今更ながら「大きなジャーナリストを失った」という思いです。
筑紫さんの歩んだ道には敬意を表し、
平和への思い、平和を守る事、
そして言論を守る事を改めて思います。
その目指したものの尊さと、続くことが私たちの責任と強く思います。

いつもコメントやトラックバックを下さるhamhamさんは、
ジャーナリズムの使命を「社会の木鐸」「警世の木鐸であれ」と言われます。
今、
木鐸の一つ、木鐸として在った方が消えた、、、
亡くなった、
と、言う事をしみじみと実感しています。


時代は動き、揺れ、そしてその合い間でひしめく庶民。
そんな私たちが、
これからするべきことは何か。
時代は何を求めているのか、
そして、
どうする事が次代に受け渡たすに足ることか、、、
思いを駆け巡らせながら、番組をみていました。

最後に筑紫さん。
本当におつかれさまでした。
そしてありがとうございました。
静かに、しずかにおやすみください。
と、思いながら、、、
ご冥福を祈っています。

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2008.11.07

高村光太郎と智恵子

今日は
いよいよ冬です。
冬と言えば思い出すのは高村光太郎。

茨木のり子さんの本を以前、読んで、
改めて光太郎と智恵子の美しく儚く、そして凄まじい夫婦愛を思った事があります。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
あの頃

人を信ずることは人を救ふ。
かなり不良性のあつたわたくしを
智恵子は頭から信じてかかつた。
いきなり内懐(うちふところ)に飛びこまれて
わたくしは自分の不良性を失つた。
わたくし自身も知らない何ものかが
こんな自分の中にあることを知らされて
わたくしはたじろいだ。
少しめんくらつて立ちなほり、
智恵子のまじめな純粋な
息をもつかない肉薄に
或日はつと気がついた。
わたくしの眼から珍しい涙がながれ、
わたくしはあらためて智恵子に向つた。
智恵子はにこやかにわたくしを迎へ、
その清浄な甘い香りでわたくしを包んだ。
わたくしはその甘美に酔つて一切を忘れた。
わたくしの猛獣性をさへ物ともしない
この天の族なる一女性の不可思議力に
無頼のわたくしは初めて自己の位置を知つた。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

光太郎と智恵子。
詩人茨城のり子は,時代に翻弄されながら揺れ動いた夫婦を、
冷徹に、そして限りない敬愛をこめて描いています。
戦争賛美に走った光太郎の思いを描き、
戦後、自分を責めにせめた詩人の姿を書き、
心の底にも表面にも、襞にも、あらゆるところに智恵子が生きずいている彫刻家であり詩人の光太郎を、
羨望で表しました。
私も、この本を何度も読みながら、
あの阿武隈川や安達太良山に思いをはせたものです。

心の深い、ふかいところで結ばれた、こんな夫婦があったことは、
本当に嬉しい限りです。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜元素智恵子

智恵子はすでに元素にかへつた。
わたくしは心霊独存の理を信じない。
智恵子はしかも実存する。
智恵子はわたくしの肉に居る。
智恵子はわたくしに密着し、
わたくしの細胞に燐火を燃やし、
わたくしと戯れ、
わたくしをたたき、
わたくしを老いぼれの餌食(ゑじき)にさせない。
精神とは肉体の別の名だ。
わたくしの肉に居る智恵子は、
そのままわたくしの精神の極北。
智恵子はこよなき審判者であり、
うちに智恵子の睡る時わたくしは過(あやま)ち、
耳に智恵子の声をきく時わたくしは正しい。
智恵子はただ々(きき)としてとびはね、
わたくしの全存在をかけめぐる。
元素智恵子は今でもなほ
わたくしの肉に居てわたくしに笑ふ。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

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改めてシビリアンコントロール

小松基地、同テーマで論文指導 田母神氏は応募薦めると言うニュースを読みました。
ううううう〜〜〜〜ん。
ですね。
これは怖い。
感覚的に怖い。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
田母神氏は98〜99年に小松基地トップの司令を務め、今回の懸賞論文では空自内で応募を勧めていた。懸賞論文には田母神氏以外にも航空自衛官78人が応募。62人は第6航空団の所属で、大半は尉官クラスの若手幹部だった。防衛省は同基地で指導のテーマになった経緯を調べている。
(上記ニュースより)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
そうか、田母神さんだけでなかったのですか。

応募総数235五通のうち三分の一ということですか
さらに、防衛省自身も、空自の教育課が、懸賞論文募集があることを全国の各部隊などに紹介していたことが明らかになりました。

参院外交防衛委員会は昨日、田母神俊雄前航空幕僚長を11日の同委員会に参考人として招致することを全会一致で議決。
この場で何が語られるか。
興味があります。
また、関心もあり、
今後にも影響を及ぼしそうですね。

MAMORが「国民とともに防衛を考える情報誌」として一般の本屋さんに出て、かれこれ二年ちかくなるのですよね、、、
「防人たちの女神」が話題になりました、、、
軍事組織とジェンダー 自衛隊の女性たちの著者佐藤文香さんが明らかにしたように、こうした女神現象はこれまでのジェンダー秩序を維持し続ける事を、女性自衛官のインタビューなどを通して発信。
若者は非軍事的装いをした一般雑誌のようなMAMORから、どのような影響を受けるのか?
はたまた今回の論文のように、エキセントリックな内容に、如何に反応するのか???

そうした事をアレコレと考えると、
今一度シビリアンコントロールの意義を思う者です。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
文民統制・シビリアンコントロール(Civilian Control Over the Military)とは民主主義国における軍事に対する政治優先または軍事力に対する民主主義的統制をいう。すなわち、主権者である国民が、選挙により選出された国民の代表を通じ、軍事に対して、最終的判断・決定権を持つ、という国家安全保障政策における民主主義の基本原則である。 軍については、一般的に最高指揮官は首相・大統領とされるが、これは、あくまでも、軍に対する関係であって、シビリアン・コントロールの主体は、立法府(国会・議会)そして究極的には、国民である。
wikipediaより
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


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猫の目内閣

一体、アレはどうなるんですかね?
アレ。
給付金、引換券方式を検討…高額所得者には辞退要請と言うニュース。
はぁっ〜〜〜〜
ですね。

目玉商品なんて鳴り物入りで登場した給付金ですが、こう変われば「猫の目」商品と言う事かぁ???
そして、内閣も「ころころ変わる猫の目」です。
ふっ〜〜〜〜
ため息です。

全世帯とするのか、所得制限を設けるのか?
全世帯では、そもそもの生活援護の意味は無い。
では所得制限かとなると、これまた現実には困難。
と、言う事で大揺れに揺れているのです。
が、
もともとが
思いつき、それもアカラサマな選挙対策だったわけで、
今、目の前から、たちまちの選挙が消えると同時に、
給付金も尻すぼみということですかね???

その後にやってくる消費税率アップの方が私としては関心ありますね。
社会保障国民会議の最終報告では、「社会保障の機能強化」の財源として2015年に最大で消費税率11%、25年に13%分の負担増が必要だと主張。

3年後とは断言していない、とかとか今頃になって躍起に否定。
はぁツ====
と言いつつ、チャッカリと会議では上げる計画か。
?????
この先、この内閣は何をやるのやら???
昨日、言った事と今日のやる事がチグハグ・メチャクチャ内閣。
何も無い閣だから、
本当に目が離せません。

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2008.11.06

オワンクラゲの蛍光物質のタンパク構造

昨日、タンパク質のフォールディングについての講義を聴く機会に恵まれて、行ってきました。
例によって「さっぱり????」でしたが。
ははは〜〜〜〜

講義の中で、
ノーベル賞のオワンクラゲの蛍光物質のタンパク構造を教えてもらいました。
構造の拡大図を見ながら、
発光する構造を学びました。
Gfp1ema

この図から分かるように、籠構造の中央部を通るスレッドの中央部のグリシン‐チロシン‐スレオニン(又はセリン)に一箇所新しい結合が出来て、CとOで5員環を作る珍しい構造と言う事です。
これが青色の蛍光を発するようになるそうです。

家に帰ってから
The molecular structure of green fluorescent proteinや、
タンパク質構造データーなどで確認しましたが、
やっぱり、難しいぃいいいい。

それにしても、
調べれば調べるほど、
知れば知るほど、
学べば学ぶほど、「生命」の奥の深さに驚かされています。

そういえば今日、こんなニュースがありました。
ヒトの大脳組織 ES細胞で作製…理研グループ
これって、
なんと言うか、、、
凄い、すごすぎです。
医療に光明が射す予感もしながら、どこかで、不安であったりと。
このニュース、もうちょっと調べてみようかな???

と、言うことで、
この話の結論は、何かと言う、当たり前すぎなのですが、
「生命は不思議でそして逞しい」。
と、言う事。

生きていることの不思議を顕微鏡を通して実感しています。

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オバマ氏になりましたね

アメリカ大統領、決まりましたね。
オバマ氏。
おめでとうございます。
昨日から今日にかけてニュースで持ち切り。
私もいろんな局や、ネットの記事などあたりました。

今後、どうなるか、どのように変わるか。
専門家のアレコレを聞きながら、
とにかく良い方向、つまり平和に向けてアメリカが発進してくれる事を願うばかりです。
なにしろ、ブッシュさんはひどかった。
つくづく、
ひどかった。
と、8年を振り返りため息ばかりです。
つられた小泉さん、竹中さんもひどかった、、、と新たに思いを巡らしています。

これからが本当の力量が試されるオバマ氏。
今日の段階では、何も書けませんが、、、
今後にしっかりと注目しているのは世界中です。
そして、
隅のすみで私も注目しています!

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2008.11.05

衛星より星が夜空には似合う

早期警戒衛星の導入検討へ 宇宙開発戦略本部なんてニュースが出ました。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
政府の宇宙開発戦略本部(本部長・麻生首相)の専門調査会は4日、弾道ミサイルの発射を宇宙からいち早く探知する「早期警戒衛星」の導入など、宇宙の防衛利用を検討していくことを決めた。来年5月ごろに策定予定の宇宙基本計画に向けて、今後議論を本格化させる。
(上記ニュースより)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

うううう〜〜〜〜ん。
ですね。

事務局は、軍事利用に関係する今後の研究開発で「宇宙機関との連携の方策について検討する必要がある」と指摘しています。
今後の人工衛星需要については、
あの宇宙基本法成立により「専守防衛の範囲内での防衛目的での宇宙開発利用が可能になったことから、情報収集衛星以外にも防衛分野などでの宇宙利用の拡大の可能性が考えられる」とのことです。

うううう======ん。
ですね。

このニュース、控えめながら、とても大変というか、危険な内容と私は思います。
空からの軍事がドンドン進み、
管理が強まりそうです。

見上げた空には、星ではなく衛星が飛んでいる。
なんて未来がくるのだろうか???
今、すばるが美しい時期なのですが。

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クローンマウス

クローズアップ2008:凍結死骸からクローン 絶滅種、復活近い?と言うニュース。
凄いですね、、、
何回読んでも凄い。
技術面もさることながら、倫理面でも話題を呼びそうな研究ですね。

それはそうと、先日郷通子さんの講義を聴きました。
学業を離れて随分になるので、授業内容は殆ど分からないという情けない私でしたが、
郷先生の迫力ある講義に、刺激を受けてきました。
内容は、タンパク質の構造と進化というものです。
ヒトゲノムが解読され、さらに弾みがついた遺伝子工学。
それを支えている研究者の研究実績とアレコレの悩みや壁を話して下さいました。
今更ながら、
「いきもの」の不思議を思ったものです。
本当は講義内容をもっと書こうと思ったのですが、
まだ勉強不足で書けません、、、残念。
いつか、このブログにも、タンパク質の構造やゲノムについて、書きたいものですが、、、

いずれにしても、日進月歩の科学。
先のクローンマウスもそうですが、さてさて、どうなることか?
一つ、ひとつを丁寧に見て、考えていきたいと思います。

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2008.11.04

ユネスコの日

今日はユネスコの日
と、言う事で
「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。」で始まる有名なユネスコ憲章前文をまず紹介します。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
前文

この憲章の当事国政府は、その国民に代わって次のとおり宣言する。

戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。相互の風習と生活を知らないことは、人類の歴史を通じて世界の諸人民の間に疑惑と不信をおこした共通の原因であり、この疑惑と不信のために、諸人民の不一致があまりにもしばしば戦争となった。ここに終りを告げた恐るべき大戦争は、人間の尊厳・平等・相互の尊重という民主主義の原理を否認し、これらの原理の代わりに、無知と偏見を通じて人間と人種の不平等という教義をひろめることによって可能にされた戦争であった。文化の広い普及と正義・自由・平和のための人類の教育とは、人間の尊厳に欠くことのできないものであり、且つすべての国民が相互の援助及び相互の関心の精神をもって果さなければならない神聖な義務である。政府の政治的及び経済的取極のみに基づく平和は、世界の諸人民の、一致した、しかも永続する誠実な支持を確保できる平和ではない。よって平和は、失われないためには、人類の知的及び精神的連帯の上に築かなければならない。これらの理由によって、この憲章の当事国は、すべての人に教育の充分で平等な機会が与えられ、客観的真理が拘束を受けずに探究され、且つ、思想と知識が自由に交換されるべきことを信じて、その国民の間における伝達の方法を発展させ及び増加させること並びに相互に理解し及び相互の生活を一層真実に一層完全に知るためにこの伝達の方法を用いることに一致し及び決意している。その結果、当事国は、世界の諸人民の教育、科学及び文化上の関係を通じて、国際連合の設立の目的であり、且つその憲章が宣言している国際平和と人類の共通の福祉という目的を促進するために、ここに国際連合教育科学文化機関を創設する。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
1945年に作られたもので、第二次世界大戦終了後、日を待たずしての作成。
冒頭に見られるように、平和への思いが息づいています。
戦争とは、お互いに相手を知らないために不信を抱き、かかる故の不幸である事を謳い、教育を通して、お互いを理解する事の大切さを拡張高く述べています。
昨日も書いた日本国憲法と同様に、
当時の先輩たちが如何に平和を願い、次代にその精神を伝えようとしたかと感慨に耽りながら、
今一度前文を読んでいます。

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内田さぁ〜〜〜ん、何が言いたいのですか?

このところ訪問していなかった内田さんのブログ、
またまた内田節、全開、ブイブイ言わせています。
人を見る目と言う直近のエントリーがソレ。
読んでの感想は「あらあら、、、内田さん」と、いつものソレでした。
が、
が、
このところ、学校道徳に水伝や、あるいは以前、ちょっと取りざたされた江原さん大学講義やらやら、
教育の現場に「見えないもの」を有り難がたがろうと言う流れがある中での、
今回の内田さんのエントリーはチョイト危惧を覚えます。
と、言う事で、
久しぶりに内田さんにお付きあいさせていただきましょう。

まずつかみとして、山形浩生さんが毎日新聞に書いた文章を引用。

「ノーベル賞に比肩するような世界的な賞を作ってみてはどうだろうか?」と提案しつつも日本では賞が絡むと政治(ロビイング)が絡むから無理だろうし、それ日本の抱える問題である」と言っているようです(原文をまだ読んでいないので内田さんの引用文から要約)。

さて、ここからが内田節の展開となるのです。
山形さんを受けて、すぐに内田さんは以下のように書く。

「私たちの社会のたいへん深刻な問題のひとつは「人を見る目」を私たちが失ってしまったということである。」と。

ううううううう====ん。
山形さんは「人を見る目について云々」しようと思ったのだろうか?
百歩譲って、山形さんが「人を見る目」を話題にしようと思ったとしても、
それは、内田さんが後から展開するソレとは違うでしょう。

山形さんは、
科学の功績に対して、評価を下す立場の人間は、科学に通じていなければならない事はもとより、水面下のロビイングにも確固とした態度を保つ事が必要であると言われているのではないでしょうか?
決して、内田さんのように、「個人の力量や能力を計る為の「人を見る目」(内田さんの言葉を借りて)が養われていない事を憂いている」のではありません。
と、言う事で、
まず引用の山形さんの文に関して、内田さんと袂を分ちながら、、、(保留として)
では、次に進みましょう。

内田さんは、
人が以前は持っていたであろう「人を見る目」がアメリカン・グローバリズムの到来とともに消失したと述べます。
ここで、内田さんはまず「グローバリズムとは何か」を説明。
その定義は、
「誰にでもわかるもの」を基準にして、すべての価値を考量することであるそうです。
そして、
〜〜「わかる人にはわかるが、わからない人にはわからない」ようなものは、グローバリズムの風土では「存在しないし、存在してはならない」のである。〜〜と断言。

うううう〜〜〜〜ん。
アメリカン・グローバリズムとは、
「わかる人にはわかるが、わからない人にはわからない」ようなものは、グローバリズムの風土では「存在しないし、存在してはならない」ものであるとのこと。
初めて知りました。
ええええ???
本当かよ???
いえいえ。違うでしょう。
ただ、本エントリーはここはサラリと流してあるので、私もこれにはあまり拘らずに次へと進みます。

内田さんの説によれば「グローバリズムの到来で、存在しないものを感知する能力が欠落。形あるもの、数字で表されるもののみが意味を持つようになった」と述べています。
そして、
「evidence で基礎づけられないものは「存在しない」と信じ込むのは典型的な無知のかたちである。」と述べ、
顕微鏡のミクロの世界へと私たちを誘っていきます。
「見えないものでもあるんだよ、、、と言う態度が科学的態度であり、そこから現代科学は開けた」とも言います。
そして、
そして、、、
この後に続く文が、ダンダンと怪しくなってきます。

「私たちの現在の自然科学では、「未来はわからない」ということになっている。」
↓(順接)
「「人がなしたこと」については評価は可能だが、「人がこれからなすこと」についての評価は不可能であるということになっている。」
↓(逆接)
「「人がこれからなすこと」については現に高い確率でそれを言い当てている人が存在する。
「人を見る目がある人」というのは、まさにそのような人のことである。」
↓(順接)
「「『超能力』や『霊能力』のようなものは現に存在する」
とここで閑話が入ります。
この閑話がまたスゴイ。
頭クラクラします。
内田さんって大学教員だったよね???
と、思わず確認している私。

閑話休題後、
内田さんは、
「超能力や霊能力」を「推理する力」と言い、
それは何も超自然ではないと述べます。
そして、あろうことかホームズを例に挙げています。

あらあら、、、
内田さん。
分かっているんですね。と思う私。
つまり、
人を見る目とは、未来を見ることが出来る力ではなく、
与えられた材料から押しはかる力であることを内田さんご自身が言われています。

と、言う事でツラツラとここまで見ていくと、
これだけを言う為に何も大仰にノーベル賞や自然科学を持ち出す必要はない。
にも関わらず、
そうせざるを得ない所が内田さん。

内田さんにかかっては、未知の領域はすべて「存在するもの」「仮定」としてありうるものになるのですね、、、
思い出します「おむつ論争」
あの折りも、未だ確立していない三砂さんのおむつ論から始まり、フェミニズムにまで走りましたねぇ〜〜〜〜
唖然・呆然でした、、、
まぁ、
ここまでくるとやはり「内田節」。
本気でアレコレ言う事も無いのかもしれません。

が、

やはり、最後の結論にはもの申す必要ありかな、、と感じます。
内田さんの結論をそのまま引用。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「「見えないはずのもの」が私たちには現に見えている、ということである。
その「直観」の構造を解明しようとして、先人たちはたいへんなご苦労をされてきた。
私はその先哲の偉業を多とし、せめて「人を見る目」の涵養プログラムくらいは学校教育に取り入れたいと念じているのである。」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


うううううう〜〜〜〜〜ん。
これは、ちょっと、ちょっとですね、内田さん。
ここで言う涵養プログラムとは具体的にどのようなものをイメージしているのでしょう?
少なくとも先に「人を見る目」とは推理であると言いながら、
直感に逃げ込み、さらにその直感を鍛えよ、と言う内田さん。

あらっ〜〜〜〜〜
一体、この文の流れはどうなっているんだろう?????
と、結論のあまりの唐突さに「今までのアレコレはなんだったのか?」と思いながら首を傾げます。
ガック。
ご自分で、ご自分の考えて来た論理の流れをメチャクチャに壊して、
最後の結論が、
「山形さんの悲観的見通しに与するならば、これもまた不可能な企てのようである。」とは。

山形さんもダシに使われたようですね。
山形さんが仰りたかったことは、
先にも書いたように「評価・判断する側の能力向上」であり、それは、科学にも通じていくものです。
山形さんが言われると言う「みえざるもの」を判断する力は「あるもの」なのですよね。(本当に山形さんがそのような意向をお持ちかは引用文を何回読んでも未だ分からないのですが、、、)
つまり、
人を判断する材料として、それまでの経験とか、それまでの考えとか、あるいはその人の将来に対しての考え方とかとか、、、評価するものはちゃんと存在しているのです。
一方、
内田さんの結論は一見、学問の装いをしながら直感に逃げ込み、神秘に場を譲るもの、
つまり「科学」を閉ざすものであり、180度違うものではないかと危惧を表明します。


とは言え、
内田さんの雑で乱暴な意見から離れて、
私は個人的には、人の潜在能力に関しては一考するべきものとは考えています。
ヒトから人間へと高度に精神を鍛え発達して来た私たちは、
複雑で巧妙な「暗示と被暗示」の構造を作り出し、社会空間を作ってきました。
宗教(宗教は教えであると私は思うのです)や哲学、倫理学など社会科学が、学校教育の中で丁寧に重層的に接する事ができるならば、それはそれで是と考えます。
未知のものを神秘や霊に置き換えることではなく、
人の潜在力としての「未知を感じる力」に対しては否定する者ではありません。
だがしかし、教育の現場で殊更に取り扱うものでは無いだろうと思います。

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2008.11.03

大阪橋下知事の言説アレコレ

憲法公布の今日と言う事で、憲法を中心に見ています。
憲法を勉強すればするほど、、色々調べるほどに、
大阪府知事の発言が如何にメチャクチャかと浮き彫りにされてきます。

「国旗・国歌意識すべき」橋下知事、高校生に訴えと言うニニュースは11月2日、工業高校生ら約900人を前にあいさつし、「社会を意識しようと思えば、国旗とか国歌も意識せねばならない」と述べたと伝えています。

うううう====ん。
個人的には日の丸にも君が代にもアレコレは思いませんが、
教育現場での日の丸や君が代、そして先へとつながるものには危惧を表明します。

そもそも、
学校教育現場に「日の丸・君が代」が入り込んで来たのは昭和天皇逝去直後のことです。
国民統合の象徴としての機能を今上天皇プラス日の丸・君が代とすることで、国への帰属意識を強めようと計りました。
愛国心教育とセットで導入する事で、「こころ」を統合しようとしつつ、一方では、
学校選択制や副校長設置など管理体制増強、教員免許更新制、学校評価など一つ一つを分断孤立の政策も使い分けながら教育の現場に国がもの申す時代になってきました。

ただ、
これを見て、政府が即、戦前への復古主義を計ろうとしているのかと言うとそうではありません。
錯覚しやすいのですが、むしろ背景は新自由主義です。
実はこの愛国主義は国民を労働者として企業への忠誠を強いる為の手っ取り早い方法と見られています。
また、文化や伝統と言う言葉をちりばめる事で国民の心を纏めていく狙いです。

深刻な社会の分裂と解体。
このとき、必要なのは新自由主義的な構造改革を教育の現場からまず行う事でした。

またまた橋下知事登場ですが、橋下知事vs高校生「私学助成金削減」に賛否両論などテレビやネットでも話題になりました。
私学助成の問題から公立と私立の学校間格差は授業料だけでなく成績・偏差値の格差でもあることが映し出されていました。
そして、成績の格差の背景には少なからず保護者の経済力によることは周知の事実です。
私もこの間、大学の授業の値上がりを何回も話題にしましたが、折りに触れて、教育の格差と親の経済力に付いて触れてきました。
学校選択制や公立・私立の問題が、子ども自らが選択していったように語り、子どもにその選択を諦め、受け入れることを強いいる事は、擬制ではないでしょうか?
弁護士である橋下知事が、それを知らない訳はない。
にもかかわらず、高校生に向かって、あのように大雑把で乱暴な論理を展開するのは確信犯とも言えようかと思います。
学校評価や教員評価、全国テスト成績開陳などなど、をふんだんに現場に組み込む事で、大阪はいよいよ日本国憲法の精神からはずれていくのでしょうか?
新教育基本法でさえ前文に「日本国憲法の精神にのっとり」と謳い、現憲法との順接を示しています。(憲法学者は、この文言は同法全体の違憲性隠蔽の免罪符と見ているようですが、それでもこの文言を加えなければならないほど、現憲法は優れているということです)
ここで言う日本国憲法の精神とは、
勿論、教育を受ける権利のことです。
と、言う事で、今後の大阪から目が離せません。

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憲法公布日にあたり改めて日本国憲法を

とかく平和憲法に論が進みがちな憲法談義ですが、
今日は自由論と絡ませて考察を加えていきたいと考えています。
ここ近年、とみに高まって来た改憲構想。
その背景には「日本の大国主義化による多国籍企業の利益追求」を基盤として、
「世界の日米同盟」にコミットメントがあります。
私がSOS日本国憲法と銘うってエントリーを挙げたのは2004年の11月です。
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17日、自民党憲法調査会がまとめた改憲案大綱の原案が明らかになりました。
これを読むと、自衛軍の明記、海外武力行使が際立っています。
また、国民は国家の独立途安全を守る責務を有するなど「国防の責務」が明記されています。
さらに、総理は「国家緊急事態」を布告、戒厳令を敷く権利が与えられています。
私たちの生活に直結することでは、
「新しい人権」として肖像権などが述べられ、
「納税」の責務の他、「社会保障その他の社会費用を負担する責務」も盛りこまれています。
そして、
一番問題なのは、
改憲手続きの方法です。
国民投票抜きにして、国会の2/3の賛成で可能にする方向へと導いています。
この原案は起草委員会の論議を経て来月初めには総会で「大綱」を決定する予定です。
(上記エントリーより)
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自民党憲法起草委員会はこの時の原案を受けてドンドン改正案草稿を出していきます。
「21世紀における現代憲法は国家と国民を対峙させて権力規範にと止まらず、国民の利益ひいては国益を護り、増進させるために公私の役割分担を定め、国家と地域社会・国民がそれぞれに供ど恊働しながら共生する社会を作っていく」という精神を前面に出しています。

強調、特徴は国家と国民の恊働、共生と言う言葉です。

そして個々の改正案から抽出される思想は「同一性」ではないかと思われます。
国家と国民、国民相互の関係を、伝統と文化の共同体から家族・地域へと同心円上につながっていきます。
従来にはなかった伝統や文化と言う言葉で独自の価値を憲法に織り込もうとしています。
国民主権・平和主義・基本的人権の尊重に加えて「品格ある国家」「歴史・文化・伝統に根ざした我が国固有の価値観」が見え隠れするようになりました。
国民の利益、国家の利益、国家と国民の恊働、統治の客体から統治の主体へなどなどと強調しているのが特徴です。
さて、
その具体的な例として家族条項が挙げられ、当時批判の矢面に立たされました。
ネット界でも多くの方々の議論の的になり、
私も青い鳥コンプレックスと言うタイトルでエントリーを挙げました。
ちなみに憲法24条がその時のテーマの中心でした。
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憲法24条

婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
2 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない
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これに関して
プロジェクトは以下の通りでした。
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この分野における本プロジェクトチーム内の議論の根底にある考え方は、
近代憲法が立脚する「個人主義」が戦後のわが国においては正確に理解されず、
「利己主義」に変質させられた結果、
家族や共同体の破壊につながってしまったのではないか、ということへの懸念である。
権利が義務を伴い、自由が責任を伴うことは自明の理であり、
われわれとしては、家族・共同体における責務を明確にする方向で、
新憲法における規定ぶりを考えていくべきではないか。
同時に、科学技術の進歩、少子化・高齢化の進展等の新たな状況に対応した、
「新しい人権」についても、積極的に取り込んでいく必要があろう。
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家族や共同体が公共の基本単位であると述べています。
そして一番小さな公共体である家族が「児童養育」「老親扶養」などを憲法に書き込む事にしようとしています。
家族が国家との連続・延長の上に在り、国家の下支えをするというものです。
また、
「国および地方自治体は家族の社会的、経済的および法的保護を保障しなければならない」「国の責務として家族を保護する規定を設けるべきである」「家族は社会の基盤として保護されなければならない」と言う改正案の言い分はワイマール憲法と比較検討が専門家の間でなされたものです。
西欧立憲主義思想とは違って、日本のそれは、
国家が指向する価値と利益に貢献する限り認め保障しますよ、という官治的な考えである事は当時、憲法学者の間から指摘されたことです。
つまり、
国民に家族と言う精神論で、欠落する社会保障さえ担わせる構図に対して批判の対象になったのです。


憲法24条。
法的性格と保障は学説でも様々なのです。

14条の平等原則(すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。)の家族関係特定規定と考えるのが一般的な見解のようです。
が、
13条の幸福追求権の家族関係に関する保障内容とする見方も近年多くなりました。
( すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。)


少子化問題、
同性カップル問題、
シングルマザー問題、、
などなど様々な現実において、婚姻当時者以以外の介入が認められる改憲案はそれだけでも非現実的である事は論をまちません。
非現実的どころか、
「女性は子どもを産む機械」発言や「子どもを産まない女性に年金は支給しない」発言など近頃の大臣の発言をみると、
国が女性の リプロダクティブライツにまで踏み込む内容で憲法24条に抵触することは勿論です。

家族条項だけでなく財産権についても改正案は財産権は保護されるが、将来の国民の為に公益が重視と謳い、公益、公序に適合するように法律で定めるとしています、、、
この場合の財産は土地が主です。
この法律とは「武力攻撃事態法」
「改正自衛隊法」です。
こうして、
家族、個人財産などを国家に吸収させていく改正案。
安倍さんが総理になったときは、随分と憲法改正に対して議論を呼んだのですが、福田さんが総理になったおりは、頓挫していました。
しかし、麻生さんが今また、改憲に熱心な総理である事を考えれば、しっかりと憲法を見つめていきたいものです。
何故、現憲法を変える必要があるのか、、、私にはわかりません。
それどころか、その理念には頷くばかりです。
今後、ますます現日本国憲法の優位性を論じていく必要をヒシヒシと思う者です。
これからも、折りに触れ論じていきたいと思います。

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盛田選手おすすめラーメンを食べました

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盛田選手と言えばラーメン、
ラーメンと言えば盛田選手(これはちょっと言い過ぎかな?)
と、言うくらいラーメン蘊蓄の盛田選手おすすめのラーメンを昨日、食べました。
天皇杯4回戦のスタジアムは都営三田線沿い。
と、云う事で、巣鴨や西巣鴨を通るではありませんか。
それならば、
盛田選手お薦めの千石ラーメンを食べにいこう、、、と夫と前日から計画。
そして、昨日、西巣鴨店に試合前に行って食べてきました。
おいしかった!!!
本当においしかった!!!
ギトギトでギラギラのスープにもかかわらず、
臭みがなくて、まろやかでこくがありました。
お薦めのわけ、十分に理解したものです。
ラーメンと言えば、京都では天一に代表される様なコッテリを思うのですが、
昨日のラーメンはコッテリと言うよりは、シットリ・ギットリでした。
それから、いつも思うのですが「所変われば品変わる」ですね。
私はネギが大好きなので、ネギをトッピングで注文。
京都のように九条ネギが山盛りにくることを想像していたのですが、
出されたラーメンは白ネギがとても謙虚(?)につつましやかに隅にコソリとのかっかっていました、、、
「あらっ〜〜〜〜〜、これがトッピング?」
と、思いつつ、夫から関西と関東の食の違いを聞かされて納得。
フムフム。
とは言え、
とても、おいしいラーメンを頂いてきました!!!
盛田選手、情報ありがとうございます。
(山形の龍上海もとてもおいしかったと思い出しています)

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天皇杯4回戦

天皇杯4回戦東京ヴェルディ戦。
西が丘まで云って観てきました!
初めて行った西が丘。
小さなスタジアムで、すぐそこに、目の前に、声の届く所に、選手たちがいます。
選手の息づかいが聞こえる、、と言う表現がピッタリ。
ゴールと観客席が近いので、
選手の蹴ったボールがバァ〜〜〜ンとコチラにめがけて飛んでくるという、ハアラ・ハラ、ドッキドキのスタジアムです。
昨日は、広島も関東サポの皆さん中心に沢山のサポーター・ファンが集まり、半分以上の紫が占めていたように思います。
待ち合わせの友人と談笑したり、夫が売店で買って来たビールを飲んだりとキックオフを待っていました。
すると、向かい側のメイン席が急にザワザワ。
座っていた人が立ち上がります。
なんだろう、、、と、夫が双眼鏡で見て、
「あっ、オシムさんが来ている」と言います。
ドレドレと私も覗いてみると、本当だ、オシムさんのお元気な姿がありました。
近くの方はオシムさんと握手しています。
うっらやましぃ〜〜〜〜。

そのオシムさん。
試合後の感想を語った記事がありました。
オシム氏、広島を絶賛=天皇杯サッカーがソレ。
嬉しいですね、、、
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「広島のような、人もボールも動くサッカーが勝ち進むのは、日本サッカーの良い手本になる。みんなが走っていた」と、攻撃サッカーで快勝したJ2の雄を絶賛した。
(上記ニュースより)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
と、言う事で結果は
1−0で広島が一歩、駒を進めました!!!
それにしても、
前半から後半とずっとずっと攻めていた広島。
相手の守りがきつくて、なかなかゴールを割る事が出来なかったのですが、
ついに、終了間際にイッセイ君が値千金の一点を上げました。
スタジアムはその一瞬、
ドドドドドっ=====
うあっ〜〜〜〜〜〜〜
ジャジャジャァ〜〜〜〜〜ン。
バンバンバン。
でした。
私も夫や友人たちと共に喜びを分ちました!!!

今度は、川崎と山形の勝者が相手です。
しっかり、応援していきましょう!!!
そうそう、リーグ戦も大切です。
次は仙台戦。
気合いが入ります!!!
と、言う事で、
いつもサンフレッチェ広島、応援しています!!!

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