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2008.11.21

ブロガーの間で「科学論争」がブーム!?

ブロガーの間で「科学論争」がブーム!?と言う記事を見つけました。
あらあら、、、と思って読んでいたら、
なんとお馴染みのTAKESANさん発信の近頃の討論・議論ではないですか。
今、私は毎日が大忙しで、ニセ科学関連の記事はROM状態。
今回の件もザザッとは見ていたのですが、
いつのまにか、アチコチで話題になり、もう追いかける事をギブアップしていた矢先の、このニュース。
なるほど、なるほどと、
もう一度、中心ブログをいろいろ拝見させていただきました。
やはりニセ科学では私もいつも啓発されるお馴染みの黒猫さんがコメント欄で言われている事に私も同意。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
新規参入者による議論の活性化よりも、寧ろそれをきっかけとしてより多くの方々に前提となる知識を共有して戴くことのほうに、「ブーム」が周期的に起こることの総体的な意義はあるでしょう。
外側から視れば、たしかにネット界隈では定期的に科学論の議論が沸騰しているように見えますが、よく議論の内容を視ると、前提となる積み重ねられた知見を共有しないままに為された放言が波紋を呼んでいるだけ、と謂うことが多いわけで。
(黒猫さんのコメント原文ママ)
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この討論・議論が発端の一つとなり、多くの方に、今一度「ニセ科学とはナァ〜〜〜ニ?」とか、
「科学とは?」とかとか生産的な討論が出来るといいなぁと思います。
まず、その前提として論者の共通の認識と言うか出発点の共有が担保されていないと、
徒に労するだけで益がないことは、この間、多くの経験が語っています。
ニセ科学批判まとめ %作成中というFAQなどをまずは読んでから、討論参加していくと、確かに効率的に議論が構築されていくかもしれません。
とくに私個人は何故ニセ科学を批判するのかと言う事が最大の関心です。
FAQには以下の5つの点について説明があります。
1. 「ウソはいけない」という動機
2. 「結局損をするからやめよう」という動機
3. 「科学の発展を妨げる」という動機
4. 「社会が住み難くなるのは嫌だ」という動機
5. 「(初等的なレベルの)間違いが広まっているので,間違いを指摘しましたが何か?」

とくに3の 「科学の発展を妨げる」は重大です。

私は、今「ゲノムからタンパク質をよみとる」と言うテーマについて勉強しなおしています。
学んでいる内容はチンプンカンプン。
やっとやっと付いていっている(いや、付いていけないかも?)のですが、、、
さて、
講義では「未来の遺伝子工学への予測・展望」するにあたり、
かならず古典遺伝学の礎を学びます。
ダーウィンやメンデル、シュレジンガー、ポーリング。
そしてワトソンとクリック、、、、、です。
こうした先人たちの努力と、それを支えた多くの科学者(研究者や技術者)の業績の上に過去があり、
今があり、これからがあるのだと、
改めて思うのです。
科学は「連続の点」ということでしょうか。
連続はあるときは絡まり、あるときは後戻りするかもしれません。
が、
それでも続いているのです。
いきなり、ポォオオオオ====ンと出て来る「説」も例外なく「連続の検証」を必要とされるものだと考えます。

と言う事で、ここで元に戻るならニセ科学。
例として何時も挙るのは「水からの伝言」。
水に美しい言葉をなげかけると美しい結晶が出来ると言うアレです。
それで、
「おいおい、水に言葉がわかるかい?」と連続、構築してきた科学が提唱者に問う。
すると提唱者は答える。
「ポエムだよ、ポエム」と。
検証不能のポエムの部分に逃げ込まれては、あらあら科学じゃなかったの、となります。
これは科学の連続に加える事はできません。
提唱者自らも認めているのだから。
だがしかし、
したたかに科学の分野から飛び立ち、科学の連続をズダズダに切断することに逡巡しません。
また、こうしたニセ科学が今まで積み上げて来たものをバラバラにしようとさえしています、、、
これを、野放しにしていることや、その野放しを認めたり、譲ったりすることは、
科学そのもの後退であると言うことを、しっかりと認識することが肝要だと考えます。
その危惧を表明しているのが大阪大学の菊池さんを中心とした方々です。
社会に警鐘を鳴らすと言う意味で、とても意義深い事と、敬意を表しています。

さてさて、
上のFAQには書かれていませんが、ニセ科学を糾弾する必要がある理由に、
「自分で考える事を放棄するようになる、と言う害悪」があろうかと思います。

水に善悪を判断してもらう、
これは、自分で考える事を「水」に譲るということです。
相対主義的な理科教育と言うタイトルのエントリーを以前挙げた事があります。
初等中等教育に関する提言と言う物理学会の提言を中心に論評を加えました。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「自然の特性は人間と無関係に自然の中に存在するのではなく、人間がそれを見通して発想し、観察、実験などによって検討し承認したものであり、自然の特性は人間の創造の産物である。」と言うのです。
そしてこの指導は2002年度から教育の現場に取り入れられました。
「科学の理論や法則は科学者という人間が創造した物」であると言う相対主義的な科学観に立脚した理科教育は、絶対的な真理や知識をを教えることを放棄。子どもの生活体験や経験、概念を重視する方向へと進みました。
「自然の規則性や法則性はア・プリオリに自然の中に埋め込まれているのではなく、人間が働きかけることにより創り出していくものである」と強調するのは「改訂小学校学習指導要領の展開理科編」を作成した日置光久さん。
これは自然科学を自分の都合のいいように解釈していくものです。
ある予想(仮説)をたて、それに基づき実験・観察してその結果から仮説が正しいか否かを判断していく方法は普通、科学では取り入れられているやり方です。
結果が違えば仮説をもう一度考察しなおし、
また新たに実験・観察をしていく、、、
そうした過程の中で自然の規則や仕組みが解明されて来ます。
しかし、今、学校教育の中での理科教育は、
「観察・実験の結果が違ってもいいんだよ。
自分が最初に立てた仮説こそが正しい」とするものです。
つまり結論は先にあるのです。
この結論に結びつく物だけが正しく、そうでない物は捨て去られていくという論理の展開はまさにニセ科学への道に繋がるものだと思います。
もちろん科学は全てを網羅することはできません。
ある条件で正であっても別の条件では成り立たないことはよくあります。
白か黒か二者択一という単純なものではありません。
しかし、先にあげた相対的理科教育ではあらゆる物事を単純にラベル貼りしてそれ以上考察を深める作業は捨て去られます。
これは論理学で本質を導くためと称して捨象・抽象を安易に行う場合に似ています。
では、今私たちが出来ることは何か?
それは身近な現場での「相対主義的な構成主義理科教育」の存在に気づき、警鐘を鳴らしていくことです。
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この思いは今も同じです。

ニセ科学を批判する事は、とりもなおさず科学そのものの健全であろう姿を守る事であり、
また教育、つまり自分の頭で考え、判断することを守っていく事では、と強く思うものです。


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コメント

せとさん。今日は。

>「自然の規則性や法則性はア・プリオリに自然の中に埋め込ま>れているのではなく、人間が働きかけることにより創り出してい>くものである」と強調するのは「改訂小学校学習指導要領の展
>開理科編」を作成した日置光久さん。
>これは自然科学を自分の都合のいいように解釈していくもので>す。

これでは「国定哲学」を、戦前のように、権力で学校教育に押し付けようとしているようなものではないでしょうか。

人類の歴史を後に戻すようなことを文部省がやったら学校教育は退廃の一途をたどるだけです。

子供達の思考力、人間としてのモラル等を荒廃させている元にはこのような教育行政があるのではないだろうかと思ってしまいます。

木鐸を乱打したい心境です。


投稿: hamham | 2008.11.21 15:17

こんにちは、せとさん。

ニセ科学にかぎらず私の議論は常に「リアリティ」になってしまいます。人間がどう考えようと、人間は自然法則に支配されたこの宇宙の中で生きているという現実ですね。その現実から遊離するとき、それは「生きる」という事の否定につながりかねない訳です。

前に蒸気機関の話を労働運動のたとえとして出しましたが、どんなに「動くはずだ」と思っても蒸気がピントンを動かすようにできていない機関は動きませんし、「爆発なんかするものか」と思っていても、蒸気の逃げ道を作らないボイラーを炊き続ければ爆発するだけのことです。それらは全て自然法則に従って動いたり爆発したりするんです。

私の「弓矢の工夫と狩りの祈り」のたとえ話をある人は気に入らないみたいだけど、別に気に入ろうが気に入るまいがかまいはしないんです。人は「生き延びよう」として、「生き延びるにはこの方が良い」と合理的思考を大事にしてきたという現実があるだけです。もちろん、現実に影響がない範囲、つまり工夫をきちんとして、その上で狩りに出かける前には祈ったはずです。でも「工夫する時間があったら祈ろう」と工夫を放り出したりはしなかった。そうしても良いのだけど、そうしたら飢えるから、しなかっただけね。そういう現実です。

その現実を見据えた上で、私たちは常に選択をしなくてはならないのです。「これは、自分たちが生き延びていくのに不都合を引き起こしたりしないか」ってね。その選択を誤れば、何らかの苦労をするし、最悪は滅び去るかも知れない。

そういう覚悟を決めて選択するなら、ニセ科学は消えるだろうけど、そんな覚悟もない選択がニセ科学につきまとう訳です。だから私は「最悪」の結果を提示する。「自分が『面白いから』でもてはやした血液型性格診断で、あなたのお子さんは希望の職業に根拠もなく付けないかも知れませんね」なんてね。「言葉遣いを良くさせるのに有効と取り入れた水伝教育で、お子さんが大人に成った時代は公害への対策は水に言葉を書けて祈るだけになるかも知れませんね」とね。

kikulogで私は「我が身かわいさ、我が子かわいさにきちんと立脚して考えろ」なんて言います。そこから離れた思考は、どうしても現実離れしてしまう気がするんですよ。

投稿: 技術開発者 | 2008.11.21 18:09

せとさん。今日は。
基本的にこの記事とか其れに対するコメントとかの意見に対して誰も反対していないだろうと思いますよ。
たぶん今現実にニセ科学にどっぷり首まで浸かっている人でも、意見を聞けば『ニセ科学には反対』の立場でしょうね。
ニセ科学は自分ではニセ科学とは言わないので、ニセ科学反対なら全員一致する可能性さえ有るでしょう。
ですから意見の不一致はニセ科学に対する態度ではなくニセ科学の定義の方なんですよ。
此れがそれぞれ別々なので意見が一致せず話が噛み合わない。
『ニセ科学を信じることを許してはならないか? 』見たいな一般人を攻撃する話になると普通の人は付いていけなくなる。
しかもニセ科学の方向が被害(影響)の大きさと関心の大きさとの相関関係が一致しているように見えない。
教育関係者以外は水からの伝言にそんなに関心は有りません。

今、普通の日本人が一番引っかかりやすいニセ科学の一つにマルチ商法が有るが、国会でも問題になったマルチはニセ科学の宝庫で、日本で2000万人が被害をうけているらしいですよ。
Shimさんの記事にも出てきた『特に厄介なのが「一時的に悪化はしますが、続ければ必ず治ります」って類のやつ』

典型的なマルチ商法で扱う健康商品の手口ですね。、マルチというのはニセ科学でも有るがニセ宗教(カルト)にも良く似ています。
まあ色々と揃えてうっかりするとたちまち数十万円を巻き上げられてる仕掛けになっていますが、何しろ参加者(会員)は自分しか知らない真理を見つけたと信じていて、心配して『止めた方が良い』という周りの者はアホ扱いするか、悪の手先と看做す。
価値観が全く狂わされていて、自分が騙されているなどとは思いたくない。そういう意味でエラク宗教(破壊的カルト)臭い。

熱心に何かをしていると対象物に似てくる話が有りますね。
ニセ科学と宗教(カルト)には関連性が有るのですが、ニセ科学批判を熱心にしている人の主張もエラク宗教臭いんですよ。
ニセ科学とニセ科学批判とは対になっているのでしょう。実に面白い現象です。
別に宗教臭いから悪いとはいっていません。apjさんのようにニセ科学に対して裁判まで起こそう何てのには誰にでも出来る事ではなく頭が下がりますが、ニセ科学にピンからキリまで有る様にニセ科学批判にも同じ事が言える。
となれば、私のようなニセ科学批判・批判が当然に必要になってくるわけです。
其の中でも菊池誠氏は最悪で、ニセ科学批判は客寄せの只で配る100円の餅焼き網か笊程度、本当に売りたいモノは数十万円の羽毛布団は9・11陰謀論退治ですね。あれは単なるペテン師ですよ。


投稿: 逝きし世の面影 | 2008.11.24 17:12

 にせ科学批判の方々は、もう救いようがありませんなぁ。
 ここには前にも書き込みをした記憶が・・・。

 科学とは何かを言うまえに、この世界の成り立ちと仕組みを造っている根本原理を究明する哲学の正しいあり方から説明が必要です。
 一般法則論内の哲学の新常識。
  一般法則論

投稿: 一般法則論者 | 2008.11.25 03:30

hamham さん。
技術開発者 さん。
逝きし世の面影 さん。
一般法則論者 さん。


コメントありがとうございました。
連休は如何お過ごしでしたか?
私は東北に撮影旅行にいってきました。
初めて持つカメラに奥の深さを感じています、、、、
と、言う事でお返事遅くなり申し訳ありませんでした。


hamham さん。
本当に教育が今、狙われているのでしょうか???
安倍さんが総理のときに教育基本法が変えられたのですが、あのおりも随分と国家と教育に付いて議論がアチコチでなされました。
これからは、基本法が、実践の面で学校現場に登場していきます。
hamham さんのお得意、警世の木鐸を乱打ですね、、、

技術開発者 さん。
>人は「生き延びよう」として、「生き延びるには
>この方が良い」と合理的思考を大事にしてきた
>という現実があるだけです。
中略
>その現実を見据えた上で、私たちは常に選択を
>しなくてはならないのです。


はい。
生物の持って生まれた宿命と言うか、本能と言うか、
私もまったく、その考えます。
以前、何故学ぶか、と言うエントリーを挙げた事がありますが、その折「生き延びるため」が答えだと書きました。


>kikulogで私は「我が身かわいさ、我が子かわい
>さにきちんと立脚して考えろ」なんて言います。
>そこから離れた思考は、どうしても現実離れして
>しまう気がするんですよ。

技術開発者 さんのご活躍、いつも拝見しています。
私も「まず自分」と言うのは自然だと思います。
釈迦も自灯明と言っていますが、それは自分を信じる事と、自分を愛する事、全てを含んでいると思います。
上座仏教は、まず「私が幸せになりますように」から始まります。そして「私」から自分に関わるもの、そして生きているもの全てへと思いをよせていきます。
「うそ」や「無理」や「すべき」では自分を最後まで支えきれませんよね。
やはりまずは「自分が幸せになること」の追求が一歩だと思います、、、


と、言う事で、私も、これからもドンドンと自分自身のテーマを追求していきたいです。
またご教示頂けると嬉しく思います。

逝きし世の面影 さん。
私もニセ科学批判をするにあたり、その批判の仕方については、かねてより考えています。
内容自体は正しくても、相手に受け入れてもらえない、最悪の場合は決裂、ということをこの間、沢山みてきました。
とくにネットでは相手を知らないわけですから、
いきなり「おまえ、そりゃ違うよ」と言われれば、
分かっても、ムカッとくるのも人情だと思うのです。
批判する側は、批判する事で、
何を獲得するか、を良く考えてから批判する事が肝要かもしれませんね。
「答え、解決方法、何かの提案」を持っているか、批判は解決策に導くか、ということは大事なポイントです。これが理性というものです。答えがあっても、実行出来ない答えなら、単なる観念ですね。」
とテーラーワーダは教えます。

さて、それはさておき、
逝きし世の面影 さん。
どうか、私のブログで他人の悪口と思われる様なコメントは控えていただけると嬉しく思います。

一般法則論者さん。
そうですね、、、、
哲学も大切ですね。
いろんな学問の総体系というかバランスの大切さをしみじみと思うものです。
私自身はこれからも、ドンドン学んでいきたいと思っています。
では。

投稿: せとともこ | 2008.11.25 11:28

こんにちは、せとさん。

私は「ニセ科学批判は充分に出遅れた」と考えています。その部分を考えていて、変なたとえ話ができてしまいましたのでご紹介です。

ある原始人の村が寒い地方に移住したんですね。でもって冬は何ヶ月も蓄えた食料やら薪でしのがなくちゃ成らないとしましょう。当然ですが、「食料は一日このくらい、薪はこのくらいで冬を乗りきろう」なんて、思う存分食べることもできないし、大きなたき火で暖まることもできなくて冬を乗りきった頃もあるだろうと思います。

その炉端でね「今年は春が早く来るんじゃないかという気がする」「そうだと良いね」なんて話が出ることもあったと思うんですね。別にそんな話題があってもかまいはしないのね。それがいつの間にか「今年は春が早く来る」になって、「食料と薪をもっと沢山使っても良いよね」にならなければね。そんな雰囲気に村がなって、食料も沢山食べ、薪も沢山使って、そろそろ尽きる頃にその冬の終わりの大寒波がドンと襲ってきて、村人は飢えて凍え死ぬなんてね。だから、実際、炉端で「春が早ければ良いね」「そうだね」のレベルなら、村の老人たちも止めたりはしなかったと思うけど、「今年の春は早く来るんだ、もっと食べよう、薪も燃やそう」だったら、村の年寄りたちは止めたんじゃないかな。

なんていうか、「世の中にマイナスイオンという健康に良い未知の気体物質がある」「血液型は性格と関係する」「水は人間の言葉を解する」なんてのは、今、どのレベルの話なんでしょうね。冬をしのいでる村人が炉端で「春が早く来れば良いね」「そうだね」と言っているだけのレベルなんでしょうかね。それとも、「春は早く来るに違いないんだから、蓄えをもっと食べよう、薪をもっと燃やそう」のレベルなんでしょうかね。

ニセ科学批判は「出遅れた」と思っていますが、或る意味では「必要な出遅れ」もあつたと思っています。原始人が炉端で「春が早いと良いね」「早いかも知れないよ」と話しているだけの時に、「そういう話をしていると今に蓄えをもっと早く使っても大丈夫と思うようになるから止めようよ」とはなかなか言えないのが人間です。村人が「春が早い」と思うようになって「もっと蓄えを沢山使おう」と言い始めて、やっとこさ「そういう話は怖いことになるから止めようよ」と言い出さなくては成らなくなった感じを受けている訳です。

投稿: 技術開発者 | 2008.11.25 12:44

技術開発者さん。
こんにちは。
コメントありがとうございます。
そうですね、、、
確かにニセ科学批判は出遅れた感がしないでもないですね。
ただ、遅きに失したと言うほどでもないから、
開発者さんが言われるように「必要な出遅れ」と言うのが当たっていると私も思います。
こうしたニセ科学が形を変えて出回るのは、
やはり社会が不安だったり、見えにくかったりするからなのでしょうか?
また、教育の問題も大きいのでしょうね、、、
教育は一朝一夕には成果が出ないから、
因果関係は難しいのですが、やはり理科教育の後退が、原因の一つではと思うのですか、如何でしょうか???

投稿: せとともこ | 2008.11.25 14:31

こんにちは、せとさん。

>こうしたニセ科学が形を変えて出回るのは、
>やはり社会が不安だったり、見えにくかったりするからなのでしょうか?

う~ん。むしろ、「社会は自分が何をしたって変わらずうまく行く」みたいな気分の方をニセ科学には感じるし、「カウチポテトのニセ科学批判批判」なんて私は言っているけど、実際に自分たちの将来とは切り離した間隔で「ニセ科学なんて問題にするなよ」と言っている感じも受けたりしています。これが私の言う「リアリティの欠如」みたいな言い方なんですけどね。

なんていうかな、「その時代の空気を呼吸する」なんて変な話を書いたことがあるけど、例えば江戸の庶民になりきってその時代の空気を呼吸すると、まず常に頭にあるのが「火の始末」なんです。もう四六時中「火はちゃんとしたか」を気にして生きる感じですね。こういう意識になるのは当然で、江戸市民であれば、一生に1度や2度は火事で焼け出されるし、数年に一回は「どこかで大きな火事で人が焼け出された」と話題にもなる訳ですね。火の始末を心がけるのが、なんていうか「お題目」じゃあない、まさにとてもリアルなモラルである訳です。

なんていうか「社会のモラル」つていうのは、この江戸時代の「火の始末」くらい現実味があると良く守られる訳です。そこまでモラルを守っても防ぎきれないのが江戸の火事ですけどね。なんていうかな、自分たちが炉端で「春が早いかも知れないね」と話す事と、「春は早いはずだから、もっと沢山食っても良いよね」との間にあるバリアーってなんだろうなと思うんです。それはやはり、蓄えを早く食い過ぎちゃって飢えながら春を待った経験であり、あるいは経験の伝承なんだろうと思うんですね。

とまあ、ここまで考えたら、いままで人類はそういう経験、つまり「こう考える方が自分の気分に合うからこう考えよう」に社会全体でのめり込んで、将来痛い目に遭った経験がどのくらいあって、その経験がどのくらい伝承されてきたかと思うと、あまり無いかも知れないんですね。案外、今経験しているのが始めてなのかも知れませんね。うまく痛い目を生き延びて、経験を伝承出来ると良いのですが・・・。

投稿: 技術開発者 | 2008.11.25 16:13

瀬戸さん、こんにちは。
科学万能のこの世の中で何故これ程までにニセ科学が蔓延るのか不思議に思われまませんか。?
ニセ科学を道徳的に判断するのではなく科学的に理解しないと物事の本質は見えてきません。
今の一部のニセ科学批判は限りなくニセ科学に近づいてニセ科学に似たものになっていますよ。

ニセ科学の基本は『各自の持っている正常な価値判断の基準を狂わせる』事なんですよ。
此の世には所謂ニセ科学だけでなく間違ったものや好くないもの、迷惑になるものは数知れない。
其の中でも何が一番大事で、何が大事でないか。?
社会にとって、自分にとって何が大事で何が大事ではないか。?この事を正確に判断する事が出来ればニセ科学を含め物事の問題点のあらかたは解決します。
例えば、田母神俊雄前航空幕僚長は日本の過去の栄光が一番大事だと主張する。中山成彬前国土交通相は全ての原因は日教組たと主張する。竹中平蔵は金持ちがもっと大金持ちになったらみんなが金持ちになると主張する。

歴史も教育も経済もみんな科学の一分野で、我々みんなに大きく影響する。この連中の主張こそ最大のニセ科学だとは思われませんか。
この人たちの主張する愛国心も過去の栄光の歴史も日教組問題も、この人たちだけが関心が有る問題で教育や軍事では枝葉末節な瑣末な事例の一つにすぎません。
其の下らない些細な事柄をさも重大事のように大騒ぎして肝心の一番大事な事柄からは目を逸らす。
ニセ科学がどうのこうのと水騒動に関心が有るのは一部の教育関係者だけです。美しい結晶が出来ようが出来まいが世の中の大勢に影響は有りません。
今の世の中で一番影響が有るのは新自由主義と其の行き着いた先の世界最終戦争(対テロ戦争)の行く末で、全ての結束点は9・11事件です。
瀕死の重体の患者の頭の薄毛とか足の水虫を心配しても仕方が無いでしょう。
確かに気にしている人は気に成るでしょうが、しかし何が一番大事かの価値観の基準が一番大事です。
過去の栄光の歴史が一番大事だと田母神を支持する中西輝政京都大学教授が危険で有る様に9・11事件政府報告書を信奉する菊池誠大阪大学教授の危険性に気が付くべきです。

正に政治的な事件である9・11に対する菊池氏の主張や行動を批判しているので菊池氏のニセ科学批判事態には何も言っていません。
『他人の悪口と思われる様なコメントは控えていただけると嬉しく思います』などは政治批判の禁止に近い暴言ですよ。
自分のブログ記事を読み返してみると5割がたは安倍や麻生やブッシュの言動に対する悪口(批判)になっています。
政治問題で麻生太郎の言動の悪口が出来ないでは政治問題はほとんど何も書けませんね。

投稿: 逝きし世の面影 | 2008.11.26 11:39

技術開発者さん。
逝きし世の面影 さん。
こんにちは。
コメントありがとうございます。


技術開発者さん。
なるほど。
「社会は自分が何をしたって変わらずうまく行く」みたいな気分の方をニセ科学には感じる」。
あっ、これ分かります。
そうですね。
「なんちゃって気分」なんでしょうね。
これはこれで、良い事と言うか、先人たちの苦労の賜物、モラルの構築、その延長での「なんちゃって」なのでしょうね。

「いままで人類はそういう経験、つまり「こう考える方が自分の気分に合うからこう考えよう」に社会全体でのめり込んで、将来痛い目に遭った経験がどのくらいあって、その経験がどのくらい伝承されてきたかと思うと、あまり無いかも知れないんですね。案外、今経験しているのが始めてなのかも知れませんね。うまく痛い目を生き延びて、経験を伝承出来ると良いのですが・・・。」

はい、まさに、そう思います。
こうした経験の一つひとつが卑近な言葉で言えばDNAに刻み込まれていくことも、また必然なのかもしれません、、、
ただ、その方向については、しっかりと見定めていく事が歴史と経験を学んできた今の時代の私たちの責任なのでしょうね、、、
身がひきしまります。

逝きし世の面影さん。
私は「科学は万能」とは思っていません。
また、科学者の方々もそうでないことは、ここにいつもコメントを下さる技術開発者さんの発言でも容易に察しがつきます。
それはさておき、ニセ科学批判についてですが、限りなくニセ科学に近づいて来ていると面影さんは言われますが、
それは『各自の持っている正常な価値判断の基準を狂わせる』ようなやり方で批判をしていると言う意味でしょうか???
つまり「頭ごなし」「決めつけ」「教条主義」と言う様な感がすると言う事でしょうか???
確かに、
恒常的にニセ科学批判をしている論者の方々は、新しく参入していくる論者に対して「おいおい、、、まだこんな事いってるのか」と言う事もあるかもしれいませんが、
それでも、なお粘り強く討論や議論を重ねていると思います。
尤も、物別れってことも多々あるのですが、それこそ「各自の価値観」の違い故だと思うのですが如何でしょうか???


さてさてさて、、、それはそれとして。
面影さんの菊池さんに対しての言及ですが、
これは面影さんご自身が「菊池さんのニセ科学告発に対しては何ももの申すことはない」と書かれています。

私が今、ここで話題に取り上げたのはニセ科学なのですよね、、、
決して911や政治を話題にしたのではないのです。
が、
いきなり菊池さんの911発言への批判を書かれたら、私としては戸惑います。
そんなに大切で絶対に譲れない事、警鐘を鳴らすべき事と面影さんがお考えなら、菊池さんご本人のブログに書かれることが筋では、と私は考えます。
菊池さんはブログでコメント欄を開放されています。
その方が、より生産的な意見のやり取りができるものと思うのですが如何でしょうか?
911に関しては無関係のこのエントリーに突然書かれたので畢竟「悪口」と取ってしまいました。
なお、政治家についてのアレコレを述べる事は悪口ではありません。
批判です。
麻生さんや安倍さん、またまた小泉さんなど時の総理を批判するのは、私たちの生活を委ねているのだから当然です。
が、
911のことで菊池さんを糾弾するのは、それこそ違うのではないでしょうか?菊池さんは911問題の急先鋒と言う訳ではありません。
たんに物理学者としての論陣をはっているだけではないでしょうか???
いずれにしても、私は911に言及するつもりは無いので、
ここでは911と菊池さんとの問題はこれまでとさせてください。
宜しくお願いいたします。
なお、今後とも貴重なご意見、頂けると嬉しく思います。

投稿: せとともこ | 2008.11.26 14:23

ニセ科学での騙しの基本的な手口が『各自の持っている正常な価値判断の基準を狂わせる』様なやり方なんですよ。
具体的に言うと、マルチ商法でよく使われる手口は『石油由来の成分は危険』だから『天然由来の成分を使っている』ので安全である、何てのが有ります。
普通の庶民が何と無く信じている『天然がよくて科学物質は危ないかもしれない』を拡大解釈して『化学物質は危険』と信じ込ませ化粧品や洗剤などを高額で買い取らせるわけです。
化粧品に限らず全ての商品の判断基準は色々な要素を組み合わせたもので簡単には判断できないのに、『天然だから』とか『石油由来だから』好い悪いが簡単に判断できると信じ込ませる。
『石油由来』見たいな簡単で単純な指針だけが全てに優先されると『各自の持っている正常な価値判断の基準を狂わせ』間違った結論に誘導する訳です。
被害者は何が自分にとって大事で、何がそうでないかの基準が狂わされる。

一部の『ニセ科学批判』が限りなくニセ科学に近づいて来ているといっている理由は、社会全体にとっては関心のない(極一部の関係者だけが関係が有る)水からの伝言のような問題を、さも社会全体が其の為に悪くなるかのような誤った主張はマルチ商法の常用する典型的な『各自の持っている正常な価値判断の基準を狂わせる』手法だということです。
「頭ごなし」「決めつけ」「教条主義」と言う様な表現方法の事では有りません。
価値観の基準とは文字どうり『それぞれ個人が持っている価値感』のことです。
何が一番世界や自分にとって価値が有るのか、無いのかの判断基準のことで、此れが狂っているとどれ程の知識があってもどうしようも有りません。
ニセ科学にもピンからきりまで。
ニセ科学批判もそれに対応しておりピンからきりまで。
何が大事かの判断が狂っていては幾等目的が崇高でも何の役にも立ちません。
今の日本が日教組のせいで悪くなっていると思っている中山成彬と同じ様に、まさか瀬戸さんは今の日本が『水からの伝言』のせいで悪くなって来ている何て思っていないでしょうね。
今の日本や世界を悪くしているのは『ニセ科学』はグローバルスタンダードや規制緩和万能の新自由主義という名のニセ科学ですよ。
これにみんなが苦しめられている。
ニセ科学『水からの伝言』に苦しめられている人がこの社会に全くいないとは言いませんが、世間全体にとっては枝葉末節な些細な悪い事例の一つにすぎません。
瀕死の重体の患者の頭の薄毛とか足の水虫を心配しても仕方が無いと思いませんか。?
『各自の持っている正常な価値判断の基準を狂わせる』とは其の事を指しています。
菊池誠氏を批判しているのもその様な意味からで氏個人に対しては何ら含むものは有りません。
それから911に対して氏は討論を回避して何ら答える気はさらさらないようですよ。
誰かと議論したいからグログを開設している瀬戸さんや私とは正反対の立場の様です。
答えられない、答えたくない不味い質問に対しては『既に答えています最初からブログ記事を読みなさい』と突っぱねる。
しかし其の答えとは『その問題に対しては議論が収束シテイマセン』なんですよ。
余り真面目とは言えない態度ですね。

投稿: 逝きし世の面影 | 2008.11.26 16:48

せとさん、お久しぶりです。

 私のところでも取り上げたのですが、
http://www.cml-office.org/archive/1225299055163.html
直近の改訂で、指導要領から、一番問題のあった記述は無くなったようです。

 先日、サイエンスアゴラに行ってきました。毛利衛さんの企画した「ニセ科学とメディア」というシンポジウムを見てきました。そこで、興味深い研究結果の紹介がありました。論文の出典をメモしそこねたのですが、海外での実験結果です。「妥当な内容」「妥当でない内容」それぞれについて「脳科学の用語無しの一般的な用語で説明」「脳科学の用語を使って説明」という文書を作って提示し、説明への満足度を調べたというものです。
 一般的な用語を使った場合、非専門家は妥当な内容の満足度が高く、妥当でない内容の満足度が低い結果になりましたが、脳科学の用語を使うと、妥当な内容も妥当でない内容も説明の満足度が上がりました。
 一方、脳科学の専門家では、一般用語の説明の結果は非専門家と同じになりましたが、脳科学の用語を使った説明の満足度は、妥当な内容とそうでない内容の両方で低くなり、妥当でない内容の方がより低い結果になりました。これは、専門用語を使う必要のないところに使ったことについて,厳しい評価が出たものと解釈されました。
 次に、半期の脳科学の講義を受講した学生に対して同じ調査をしたら、一般の人と同じ結果になりました。
 つまり、大学で半期程度の講義を受けても、科学用語の不適切な使用に敏感にはなれないということなんです。大学は、イェールだったかスタンフォードだったか、まあそのクラスの大学でしたので、大学生の中でも優秀な層に対する調査といえるでしょう。

 全ての分野で同じかどうかはわかりませんが、科学を装った説明のまずさを見抜くのは、多くの人達にとっては、単純に科学の知識を増やすだけでは必ずしも可能にならない、ということを前提にして、対策を考えなければならないのだろうと思いました。

投稿: apj | 2008.11.27 02:44

逝きし世の面影さん。
apj さん。
おはようございます。
コメントありがとうございました。

逝きし世の面影さん。
何回もコメントを読ませていただきました。
勿論、私個人は「水伝」が今の教育を悪くしたなんて思っていませんよ。
と、言う自分の位置を明らかにして。
「価値観の基準とは文字どうり『それぞれ個人が持っている価値感』のことです。
何が一番世界や自分にとって価値が有るのか、無いのかの判断基準のことで、此れが狂っているとどれ程の知識があってもどうしようも有りません。」
と言われる面影さん。
まさにその通りだと私は思います。
またこの言葉に異を唱える方は少ないと思います。
この意味を咀嚼するならば、
だからこそ菊池さんは偉いと私は思うのですが、、、、
そもそも菊池さんやapjさんはたんに(つまり職業と言う意味)物理学者なのです。
ご自分の研究をずっとずっとずっと、、、なさっていて、それは昨日、今日の知識ではなく、多分ご自分の中での哲学や世界観まで昇華したと思われる(ちょっと褒め過ぎかな?)知識で、ニセ科学について警鐘をならしているのです。
幾重にも重なった知識や経験から、現実には蔓延しているニセ科学を糾弾していくのは、
科学者の社会的役割として重要であると私は考えます。
別にご自分のなんの「得」にもならないことなのに、、、
科学者としては見過ごせない義憤だと思うのですが。
また、菊池さんはご自分の価値観を決して人に押し付けないと思いますよ。
911に関しては物理的な面で陰謀論に対して危惧を表明されているので、それ以上でも以下でもないと思います。
が、
これ以上、菊池さんでない私が代弁する必要はないので、何回も申しますが、菊池さんへの言及はここまでとさせて下さい。
ここにコメントされない方のことを、とやかく書くのは想像以外のなにものでもないので、今後とも宜しくお願いいたします。

apjさん。
お久しぶりです。
実は先日のフォーラムに参加しようと申し込んだのですが、なにしろ9月だったので、その後用事がバンバンと入って残念ながら行く事が出来ませんでした。
夫も楽しみにしていたのですよ!
今度、また聞きたいと申しています。
さて、今、私が参加しているのはhttp://www.ocha.ac.jp/information/20061101.html
これとは違いますが
この一環で、今年度バージョンです。
もう学窓を離れて随分になるので、さっぱりです。
落ちこぼれて泣いています(;ω;)
それはそれとして。
ニセ科学問題。
ますます裾野が広がり、混迷の社会の一つの現象かと思ったりしています。
いろんな面から分析、考量していく必要を感じながら、自分も鍛えられていることを実感しています。
またいろいろご教示ください。
ではまた。

投稿: せとともこ | 2008.11.27 11:32

apj さん、其の節はお世話になりました。
ムペンバ効果に対しての連載記事は、考える上で大変参考になり助かっています。
NHKの放送当時はgooで検索すると十数件しか有りません。日本中でムペンバ効果なんて知っているのは相当な暇人、多分NHKのスタッフ位のものだったのでしょう。

ためしてガッテンを偶然見てしまい余りの非科学性に愕然と。
100度の沸騰水の方が20度の常温水より早く凍る。
だから早く氷が欲しい時は一度沸かしてから冷凍庫に入れるほうが早いなど、余りに馬鹿馬鹿しすぎて怒る気も失せる代物。
此れは、実際に自分で再現すれば沸騰水の方がNHK主張とは逆に2倍の熱量が必要で、時間もそれなりにかかります。
冷蔵庫さえあればNHKの話の正誤は簡単に結論が出ますが、それ以前にムペンバ効果は物理学の法則に明確に反している
、反科学的は話でオウムの空中浮遊の話のNHK版であることに気付いていないのでしょうか?。
NHK番組自体はお笑いですが、この事で、日本の学校の科学教育の致命的欠陥があらわになった大事件ですね。
あのNHK「ためしてガッテン」は、名前のとおり普段であれば、試して(実際に再現して見せて)合点(視聴者が納得)する、番組です。
レベルは低いが、一応は(これまでは)実用的な科学番組だった。
『NHKの裏技は再現できないのでインチキ』と私のブログに書いたら、『説明しろ』『嘘を付くな』と抗議のコメントが山のように送られてくる。
昔から、色々な迷信は有りましたし、其れを信じている人も大勢居ました。
お馬鹿な人は昔から居ましたが、自分の無知を威張る人はいませんでしたよ。情けなさに涙が出そうです。
テレビ放送に、完全に洗脳されているようで自分の頭で考える習慣がすっかりなくなっているようです。


検索してみると、明確にNHK番組の非科学性を批判しているものは極少数。
態度を鮮明にしているのは大槻義彦さんところと私のところう位で、あとは沢山有るがみんな不思議な話がある程度の内容です。
みんなは天下のNHKが間違いやインチキをする筈がないと信じているらしい。

特に科学関係の学生のブログが特にイケナイ。

3つほどの科学系のブログにコメントを送ったのですが、『ムペンバ効果は有る』の立場でした。
この人たちは自分のブログで『水からの伝言』をニセ科学と批判する記事を書いているんですよ。
美しい言葉が美しい結晶を作る話がインチキだと見破れても権威のある公共放送局の結晶を作る話は見破れない。
理由が、海外の科学詩に載っていたからとか、日本の滝川客員教授の話があるとか、の話で理論的と言うよりも単に権威に弱いだけですね。
自分の先輩や先生が言っていれば、其れが自動的に理論になるらしい。
日本考古学の『神の手』の話は、物理学やその他の科学でも当てはまりそうで、なんともはや信じられない現状です。

この人たちは、科学する心で一番大事なのは『健全な懐疑心』だと言う事がまるで判っていない。
科学が、語学のように単なる『暗記する学問』に成り下がっているようです。
若者の科学離れが言われて久しいが、『暗記するだけの学問』では科学は少しも面白く無いはずです。


日本の科学教育には、根本的な問題点(致命的な問題点)があるようです。

投稿: 逝きし世の面影 | 2008.11.27 11:44

こんにちは、せとさん。少し「教育」ということから、「知識と関係」ということをを考えてみますね。

私は良く歴史を例に出します。前に鎌倉幕府なんかを例に出したので、それを題材にしてみましょう。平安時代の終わりの頃に、平将門の乱とか藤原純友の乱があった。その後保元の乱を経て平清盛が政治の実権を握った。伊豆に流された源頼朝が関東武士段を率いて平家を追い落として政治の実権を握り鎌倉に幕府を開いた。なんてね、これらは全て「知識」であるわけです。これらの知識が時代順にスラスラと出てくる私なんかを人は「博識だね」と言います。実際にはこれらの事件の間にあった様々な事件までスラスラ出るのですけどね(笑)。なんとなく「頭がよい」とか「よく勉強している」という事について、この知識の豊富さをイメージしてしまい、子供に「勉強しろ」と言うときに「豊富な知識を持て」と言ってしまっている感じを受けるわけです。

ですが、実際、これらの知識を「丸暗記」するなんてあまり意味が無いのだろうと私は考えています。上に出したほんのわずかな歴史的な出来事でも、時代順に並べてよく考えると「地方で武家が勢力を増していろいろな紛争がおきていたが、朝廷はそれを裁く力がなくなっていた。むしろ地方の武家の力を借りて朝廷内の権力争いを行おうとすることで武家の勢力が政治の中心になった。しかし、武家でも地方の争いを裁けなけない武家では意味が無くて、裁ける武家政権に変わった」なんて、それぞれの出来事の「関係」がわかる訳です。

でもって、一旦、関係づけができると、上に書いた出来事の間に起こった出来事なども「関係づけ」ができるのですんなり頭に入ります。例えば木曽義仲が一度は京都の実権を握りながら短い時間しか実権を握れなかったことなんかも、とてもよくわかる訳です。同時にそうやって増えた知識は「関係付け」の理解をさらに深めるという相乗作用が働いて、博識であり同時にその知識の間の関係も詳しく話せるようになる訳ですね。どうもこのあたりの「知識と関係」の相乗効果というのが理解されずに教育されている気がする訳です。

話を陽明学に振ってしまいますと「聖人は博識であるのは確かだが、博識のみを求めても聖人とはなれない」なんて言葉もあります。「皆は日々(知識を)増やそうとし、私は日々減らそうとしている」なんて言葉もあります。「聖人の心というのは精錬した金のようなものである。夾雑物を取り除けば量は少なくなるが輝きは増す。いたずらに量を求めて混ぜ物をすれば輝きは失われる」なんてのは、私が好きな言葉なんですけどね。

大學という中国の昔の教科書に「格物致知」という言葉があります。その解釈を巡って儒教の本流である朱子学と傍流である陽明学には違いがあり、それが「朱子学と陽明学は対立した」みたいに言われるのですが、実はあまり違いは無いと思っています。或る程度の知識を持ち、その知識を良く考えないと「関係づけ」には思い至りません。そのため「しっかりと考えながら知識をまず身につけなさい、知識一つ一つを良く考えながら身につけたら、そのうち関係がわかりますよ」というのが朱子学の格物致知でして「物にいたりて知に到る(物事を知って関係づけに思いあたる)」と読み下したりします。ただ、いつの間にか「良く考えながら知識を身につけなさい」の「良く考えながら」が軽く見られ「知識を沢山身につければ関係は見える」みたいに成ってしまいやすいのです。そういう時代に王陽明は「よく考えろ、そうすれば知識はそんなに沢山で無くても良い」みたいな事を言い出して、「物をただして知に到る(物事の本質を極めようとして関係づけに思い至る)」と読み下す解釈をだしたという事なんです。

15~16世紀の中国の教育論のような物だとお考えください(笑)。

投稿: 技術開発者 | 2008.11.28 08:38

技術開発者さん。
いつもながら該博で尚かつ、活きている知識を教えていただいたように思います。

「同時にそうやって増えた知識は「関係付け」の理解をさらに深めるという相乗作用が働いて、博識であり同時にその知識の間の関係も詳しく話せるようになる訳ですね。どうもこのあたりの「知識と関係」の相乗効果というのが理解されずに教育されている気がする訳です。」

はい。
開発者さんは、まさにそうです。
いつも的確な譬えで解りやすく丁寧にそして極めて辛辣に(ははは〜〜〜)コメントを下さるので、
私は教えられる事ばかり。
とても楽しみにしてコメントを拝見しています。
本当の物事に通暁なさっているのですね、、、

さて、それはそれとして、
「皆は日々(知識を)増やそうとし、私は日々減らそうとしている」
あああ、、、
かくありたい。
と、私はタンジュンに憧れています。
本当にそんな風にスパッと生き抜きたいなぁ〜〜〜
また、
陽明学の「格物致知」。
面白いですね、、、

現代の様々な事柄に当てはまりそうです、、、
フゥ〜〜〜〜ム。

投稿: せとともこ | 2008.11.28 14:32

せとさん、こんにちは。
ブログに何か書けば当然賛成意見も反対意見も両方でるのは当たり前です。
菊池誠氏に対しては何か誤解か勘違いがあるのではないでしょうか。?
氏に言及しているのは私ではなく瀬戸さんですよ。
瀬戸さんが言及した範囲においてのみ必要上コメントに書いただけで其れ以上でもそれ以下でも有りません。
世の中には批判しなければならない悪い人物は沢山おり、ブログ記事にもコメントにも無い人物を唐突に批判する程暇では有りません。
ブログ記事に『その危惧を表明しているのが大阪大学の菊池さんを中心とした方々です。』とわざわざ幾等でもいる真面目な学者をさて置いて、菊池誠氏を名指しして書いたのは瀬戸さんで私では有りません。
私の『・・菊池誠氏は最悪で、ニセ科学批判は客寄せの只で配る100円の餅焼き網か笊程度、本当に売りたいモノは数十万円の羽毛布団は9・11陰謀論退治ですね。あれは単なるペテン師ですよ。』のコメントは氏のブログ記事kikulogを精細に読めば当然の感想です。
せとさんも自分にとって興味ある部分だけではなく全体のブログ記事と其のコメントを読めば私の意見に納得するはずです。

また瀬戸さんの、『・・私のブログで他人の悪口と思われる様なコメントは控えていただけると嬉しく思います』

9・11事件政府報告書を信奉する菊池誠大阪大学教授の危険性に気が付くべきです。
正に政治的な事件である9・11に対する菊池氏の主張や行動を批判しているので菊池氏のニセ科学批判には何も言っていません。
『他人の悪口と思われる様なコメントは控えていただけると嬉しく思います』などは政治批判の禁止に近い暴言ですよ。
と単なる道徳的な批判や礼儀の問題ではなくと政治的な発言である事を説明。

しかし瀬戸さんは、『・・話題に取り上げたのはニセ科学なの政治ではない。
菊池さんご本人のブログに書かれることが筋・・菊池さんはブログでコメント欄を開放されています』


せとさん。
何か大きな勘違いをしています。
ニセ科学のネタは其れこそ浜の真砂以上にあり完全に絶滅させる事は出来ませんし、
流行るには流行る理由があるのです。
ニセ科学には其々何かの客(被害者)を引きつける利点を必ず持っているんですよ。
だから流行る。悪い事だけなら流行らず其のうちには勝手に廃れます。
菊池氏の其れは『ニセ科学批判』ですね。だから二重に欺瞞的で悪質です。
菊池氏の『ニセ科学批判』は客寄せの安い餅網焼きで、網は偽者ではないかもしれないがやっている商売そのものがインチキです。
極簡単なトリック何ですが善良な人は、善良であればあるほど大概は引っかかります。
もう少し疑り深い方が騙されなくて済む可能性があるでしょう。
菊池氏が自分の都合の悪いコメントにもマトモに返事していると思っている時点で、この世の中には悪人は居ないとでも思っているかのごとき警戒感の無さです。
トンデモナイ悪党は此の世には沢山いますよ。菊池氏が其の一人だとは言いませんが。
菊池氏は単なる道化役者ですよ。
実名でアメリカ政府公式報告書を全面支持している人物は世界広しと言えど菊池氏一人です。
幾等なんでも、そんな恥ずかしい事が出来る者はいないし、本人に余程の勇気が無いと出来ませんよ。
もちろん日本では只一人。菊池氏以外には誰もいないんですよ。
何事であれ、ただ一人の人物なので多少は叩かれるのは仕方が無いでしょうね。
科学者でNHKのムペンバ効果はインチキ(ニセ科学)と明確に批判したのは大槻義彦ぐらいだった。
もちろん大槻氏もよってたかってみんなに叩かれていたし、ただ一人ならある程度は仕方が有りませんね。

投稿: 逝きし世の面影 | 2008.12.01 16:18

逝きし世の面影 さん。
こんにちは。
コメントありがとうございました。

「ブログに何か書けば当然賛成意見も反対意見も両方でるのは当たり前です。」

はい。
本当にそうそうですね。
いろんな意見や考えをお聞きして、参考になり、刺激にもなります。

「菊池誠氏に対しては何か誤解か勘違いがあるのではないでしょうか。?
氏に言及しているのは私ではなく瀬戸さんですよ。
瀬戸さんが言及した範囲においてのみ必要上コメントに書いただけで其れ以上でもそれ以下でも有りません。」

あああ〜〜〜
そうだったのですか。
そもそものエントリーにニセ科学批判の代表として菊池さん個人のお名前を出したので、混乱が生じたのですね。
わかりました。
それはどうも失礼を致しました。
発話者である私の責任として、この間のやりとりは、
了解いたしました。
OKです。
なお、何度も書いているように911に関しては、
私自身はコメントを用意していませんので、
この話題についての私の見解はこれ以上申し上げようが無いとさせてください。
よろしくお願い致します。

ではまた。


では、これにて失礼を致します。

投稿: せとともこ | 2008.12.01 18:05

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