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2008.11.12

戦争とは正義と不正義なのか?

今日は正しい戦争について考えてみようかと思いました。
いつも深い洞察でコメントを下さる技術開発者さんから改めてシビリアンコントロールと言うエントリーに頂いたコメントを拝見して、考え続けていました。
「野生の解決手段」という戦争論について事細かに説明をいただきましたので、まずはコメントそのものを読んで頂ければ幸いです。
技術開発者さんは最後を以下のように纏められています。
「戦争の結果の紛争解決というのは「正しい・正しくない」の入る余地は無いんです。なぜなら「正しい・正しくない」で解決するのは文明の解決であって野生の解決の求める解決ではないからです。正しさというのが有るとすれば、「いかに再燃しないか」だけです。再燃を防ぐ上で一番良いのは「皆殺し」でそれに次ぐのが「解体・同化」です。ただ現実にそれができないというかあまりにしんどいときに「考え方(価値観)の押し付け」で解決します。現実にそうやったという事実があるだけのことなんです。
(原文ママ)」

私はこの纏めを読みながら、「戦争正当化」を「道徳」と「法」に読み替えながら、
過去の歴史を追うため本棚を漁っていました。
まず「正義戦」正戦論の始まりは、3世紀、初期キリスト教の最高権威、教父アウグスティヌスから始まりまったそうです。
「モーゼ七書問題集」で正戦について「不正を罰するもの」と定義しました。
そして、、、
中世神学の確立とともに、トマス・アクィナスの「神学大全」では、この精神を受け、異教徒に対する戦争を「聖戦」と名を付けました」。
その定義は以下の通り。
1:君主の命令による事
2:正当な理由(不正の処罰)を持つこと
3:正しい意図に基づくものであること

その後カノン法に「正しい戦争とは不正な者への報復である」と言おう意味で「正当な権威」「正当な理由」「正義の意思」「勝利の展望」「均衡性」「最後の手段」と言う条件がそろっている場合のみ戦争の開始を承認するという原則ができあがりました。

しかし、近世スコラ哲学者の登場によって戦争は宗教から「自然法」へと移りました。
時はスペイン植民地時代。
野蛮と未開には自然法は適用されないと言う主張でインカ帝国や北米の先住民が虐殺されました。
野蛮・未開に対して文明の戦いは正義であると言う時代でした。
こうして1648年のウェストファリア条約に至るのです。
国家主権の独立性が ここに認められました。
そして、そこには戦争を起こす外交決定権も含まれていたのです。
戦争は対等な国家間の紛争になりました。
これ以降、主権国家を超える上 位の権威は認められず、一元的権威を前提とする正戦論を適用することは困難になり、戦争の合 法性・違法性を問うことのない戦争合違無差別論(無差別戦争論)が支配的になっていくというのが過去の歴史でした。


戦争への正義(jus ad bellum)
1正当な理由
2正当な権威
3比例性(結果として得られる善が戦争という手段の悪にまさる)
4最終手段
5成功への合理的見込み
6動機の正しさ

戦争における正義(jus in bello)
1区別の原則(戦闘員と非戦闘員を区別する)
2比例性の原則(なされた不正を正すのに必要以上の力を行使しない)

jus ad bellumよりjus in belloが関心・重大になってきます。
やがて陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約 (ハーグ陸戦法規 1907)などで戦争は合法化していきます。

しかし、
しかし、
人類は漸く戦争違法化への道を歩みだします。
それは第一次世界大戦後のパリ不戦条約
国際連合憲章
こうして、丸く収まるかに見えた正義の戦争論は、その後も二転三転します。
まず「侵略戦争か自衛戦争」というテーマで正しいか否かが争われました。
またマイケル・ウォルツァーの「正義と不正義の戦争」では1977年版では「戦争が地球上から消えるのは夢物語」と述べました。
が、1997年の第3版では「人道的な介入」と言う言葉で「他国での人権侵害されている人々の擁護」のための外交圧力や経済制裁もろもろを認め武力の介入も是としました。
しかし、このウォルツァーさえ、現実のイラク戦争に「正義」を当てはめる事は至難の業のようです。
こうして、人類は幾度となく戦争を行い、
その都度、正しいか、正しくないかの判断をある時は宗教に、またある時は法律に求めてきました。
戦う者の心理として、それは自分に取って都合がいいかもしれないが、とにかく「道徳」に基準を求めて来たように思います。

と、言う事で、技術開発者さんから頂いたコメントをきっかけに、
自分なりに歴史を追ってみました。
調べながら、技術開発者さんが言われた最後の纏めがイキイキとよみがえります。
戦争とは「現実にそうやったという事実があるだけのこと」である。
なるほど。
本当に。
アレコレの理由や原因や言い分は資料としては必要ではあるが、
結局、歴史とは事実なのですね!

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コメント

こんにちは、せとさん。単なる無駄話と思ってください。

私は裁判の記録なんかもずいぶん読むのね。でもって、裁判の中で、とても沢山の「心の事実」がぶつかり合っている事も感じるのね。形としての事実は一つでも、それをとりまく人の心の中の事実はバラバラに沢山ある訳です。でもって、判決というのはその多くの心の中のバラバラな事実の中から、形の事実に合う「心の事実」も一つに決めないと成らないものなのね。

青森の武富士の放火事件なんてのを例に出したりするけどね。「武富士の職員を焼き殺したかったんじゃない、逃げる時間が稼ぎたくて油を撒いて火を付けたんだ」なんて弁護を「心の事実」として否定出来る訳じゃないんです。でもね、「殺意」と「殺意に準ずる未必の故意」を認めるかどうかで死刑なのか懲役なのか分かれるんですよ。だから、心の事実もどっちかに決めなきゃならないのです。現実は「殺意に準ずる未必の故意」として死刑が判決されたのだけどね。その時に裁判官は沢山の「心の事実」と向き合うと思うんです。被告人の心の事実は上の通りだけと、焼き殺された人の「心の事実」もあるし、その遺族の心の事実もある。この判決が社会に及ぼす影響という社会の人たちが判決でどのように思うかという「心の事実」もあるわけです。

裁判員制度が始まれば、今まで裁判官に押し付けていた「心の事実も一つに決める」もまた、私も含めて普通の庶民の皆さんが決めなきゃならないわけです。でね、判決が確定したら、その心の事実も「事実」として決定すると言うことなんです。

投稿: 技術開発者 | 2008.11.12 18:05

こんにちは、せとさん。

ついでですから、自虐論についても少し説明しますね。自虐論というと「日本人は偽りの歴史を押し付けられた事で自虐的になっている。今の世の中が悪いのはその自虐性のせいだ」なんていう「自虐けしからん論」なのですが、私に言わせると「やったことに向き合っていないからだ」となってしまい、それが、「戦争による解決は勝者が価値観を押し付けるものであり、それを正しいとしなければ再度戦争することにしかならない」私自身の論と矛盾しながらも「一部の軍国主義者に国民が騙されて戦争を為した」という戦後処理に対する割り切れない思いとなっている面があります。なんていうか、ポツダム宣言で「日本」という国とその時日本を率いていた「軍国主義政権」を切り分け、「悪いのは軍国主義政権」として、国民の責任を免責したのは「戦後処理を飲み込み易く」する上では有効であったのは確かなんです。でも、そのことによりその当時の国民がきちんと「自分たちはズルズルと軍国主義政権を支持してしまった」という事に向き合うのを妨げてしまった面があると思うんですね。

なんていうか、例えば犯罪者の更正の話なんかでですね、きちんと自分のやったことを「こういうことをやった、これは自分のこう言うところが弱かったためだ。そのために被害者にこういう不幸な目に合わせた。確かに悪かった。」と向き合う受刑者は比較的うまく出所後の世間の厳しさにも堪えて更正するんだけど、そこが曖昧な「悪いことしたんだよ、そんなことはわかってら」なんて人は、結局、うまく更正出来ずに舞い戻ってきてしまうなんて話があるのね。でね、どっちが自虐的かというと後者なのね。なんていうか、きちんとやったことに向き合う事のできる人は「自分はこういう部分があって犯罪に走った」を明確にすることで「でもそれ以外の他の部分では人並みの事ができる」と思うことができるのに対して、「俺が悪かったんだよ」の人は全体が曖昧で自分に自信を持つことができない訳ね。

まあ今、「自虐けしからん」論の人たちが言っているのは、そんな部分じゃあなくて、戦後の国民が「自由の使い方をもてあましている」部分でおきている現象を自虐のせいにしているだけにも見えるんだけどね。

なんていうかな、もしも仮に自虐的で悪いことが起きているとするなら、その対策というのは「自分の為したことと向き合う」という事と、「積極的に再発を防ぐ活動に参加すること」であつたりするんですね。例えば暴走族の抗争で人に怪我させて刑務所に入った若者が、出所後に「暴走族に入っても良い事なんてないよ、止めようよ」みたいな広報活動に参加したりすることで、とてもまともに更正するのね。なんていうかな、戦後の日本というのは、「向き合い」も足りないんだけど、そういう自分たちの経験を活かした国際平和活動みたいな事への取り組みも少なかった気がするのね。

投稿: 技術開発者 | 2008.11.13 10:31

瀬戸さんと技術開発さんの対話、とても参考になりました。よく読み込んで、よく考えていらっしゃいますね。過去と向き合うのが、自虐とは別のことであるのが、よくわかります。田母神さんも読んでくれるといいのですが。

投稿: 志村建世 | 2008.11.13 15:15

こんにちは、 志村建世さん。

私は変な論者でして、今も別なところで「我が身かわいさ、我が子かわいさを根底において考えろ」なんて変な事を書いています。私に言わせると「社会正義」とかに関して人が感じる「義憤」とかが、実のところきちんと長くて広い視点で見た「我が身かわいさ、我が子かわいさ」からの見解と一致すると考えている訳です。

>田母神さんも読んでくれるといいのですが。

田母神論文の多くの部分に「陰謀史観」が取り入れられています。中には私が子供の時からあり、真面目な現代史家がきちんと否定しているものもあります。陰謀史観というのは否定されても、なかなか消えないものなんです。その消えないという事の奥に、「我が身かわいさ、我が子かわいさ」と切り離された、義憤というのがあるように思うのです。「なに、巷説のコレコレは権力者が流した嘘なのか、それは暴かねば」なんて意識ですね。

 上で刑事裁判における「多様な心の事実」という事を書いて居ますが、私は武富士放火犯が、「逃げる時間を稼ごうとしただけ」は言い訳ではなく事実だろうと思います。想像を羽ばたかせるなら「火を付ければ人が死ぬかも」とすら頭に浮かばなかったかも知れないと思います。でも、私が裁判官でも「未必の故意があった」として死刑を判決するだろうとも思うわけです。それは、そういう事実を決定する方が、社会にとって良く、「我が身、我が子かわいさ」にとって良いからです。そういう形での事実決定に「なに、武富士の犯人は殺意はなかったのか、裁判官の誤審だな、これは応援せねば」という義憤のはいる余地は無いのです。

歴史には「形の真実」の詳細が見えない部分も多くあり、そこに沢山の「心の真実」があります。多くの「心の事実」を整理し、何か一つの「心の事実」を決定しなくては成らないとき、そこには「将来のために」を考えるべき面もあるというより、それを根幹に据えるしかないのでは無いかと思ったりする訳です。

投稿: 技術開発者 | 2008.11.13 16:41

技術開発者さん。
志村建世 さん。
こんにちは。
コメントありがとうございます。

世の中、なんと言うのかチョットづつきな臭い方向に向かっているのでしょうか?
先日の不当逮捕といい、
今回の田母神発言といい、
いろんなことがリークしてきたり、あるいは白昼堂々と行われたりと。
また、政府の答弁を聞いていると鈍感(あるいは振りか?)ですね。
だからこそ、
今、しっかりと見ていく時代と痛感しています。


技術開発者さん。
実は裁判員制度も、今度記事にしようと思っていた所なのですよ♪
参考にさせていただきます。
それから、自虐観。
とてもわかります。
仏教でも後悔はするな、反省しろといいます。
後悔は執着であり、いつまで経っても「あのとき、こうすれば、、、あのとき、こうしたから、、、」と思い、同じ過ちを繰り返すそうです。
一方、反省は「認める事、受け止める事」。そしてその後はキレイサッパリ。さようなら。
だそうです。
なんとなく、そんな仏教の教えを思い出しました。
さて、
技術開発者さん。
染色体の話。
ありがとうございます。
私は専攻は生物だったのです。
が、
花は枯らす、ゴキブリは苦手。カマキリさえ怖い。
と、いう代物。夫にいつも笑われているんですぅ、、、、
こんな私も、今、ちょっと楽しく勉強中♪
今度、またエントリーを挙げるのでご意見お聞かせくださいね。
じゃ〜〜〜〜ね。


志村建世 さん。
コメントを頂けて、とても嬉しく思います。
ありがとうございました。
技術開発者さんからは、いつもアドバイスやご意見を頂き、私は本当に教えられているのです。
ネットは、こうして今まで存じ上げていなかった方々と親しく接する事ができる、とても便利で素敵なものですね、、、
実は、志村さんのページも折りに触れ、拝見しています。
私も俳句が好きなので楽しく読ませていただいているのです、、、
折々の事柄に感性こめて表すことができる。
こんな時代をずっとずっと子どもたちにも贈りたいと願うばかりのこの頃です。
本当に、どうなるのか。
目がはなせませんね、、、

投稿: せとともこ | 2008.11.13 16:54

せとさん。今晩は。
「世界平和記念日」のエントリーとともに、この記事も、人類が取り組んできた戦争と平和の問題を改めて考えてみるのに大変教えられました。

>それは第一次世界大戦後のパリ不戦条約。
国際連合憲章。

ちょっと調べているうちに、哲学者カントには「永遠の平和のために」という著作があり、それが国際連盟の成立、ひいては現在の国際連合の成立に大きく貢献しているということを知りました。
平和の理念を形成し、実現するために人類は、様々な辛酸を舐めながら、今国際的な組織をも形成するまでに来ていることに感動しております。それらは、まだ、端緒かも知れませんが、人間の感性、理性、意志の強靭さに励まされます。

投稿: hamham | 2008.11.13 18:49

こんにちは、皆さん。

国際的な平和という事を考えるたびに私は「法治」という事を考えてしまうんですね。皆さんは、法治国家の中に住んでいるからそれが当然のことになっているから、気が付かないことがいっぱいあると思うんですが、法律があり、裁判所があり、そこに紛争事が持ち込まれれば、法の下では平等に扱われ、法の定めた事の上で「どちらがどれだけ正しいか」が決められ、それに基づいて紛争の解決が図られる。もちろん、現実には金持ちが弁の立つ弁護士をやとい、貧乏人が弁護士を頼めずに拙く対応することで不利になったりすることがないとは言えないのだけどね。そういう不合理が多少はあっても、法もなく裁判所もない世界に暮らすより、ある世界に暮らす方がよっぽど良いんですよ。

少し法学的な話をすると、法の重層性と言うことがあるのね。なんていうか、法というのは皆さんを直接従わせるんじゃなくて、裁判になったときの裁判官を従わせて居るんだという話なんです。私は「遺族みんなが合意した遺産分配は民法の定めと全く異なっていても問題ないでしょ」なんて説明するんだけどね。でも、人は「もし、訴訟事になったらどうなるんだろう」なんて調べて「なんだ、これだと自分が負けちゃうじゃないか」となったら、当事者同士の話し合いでもそう無理は言わなくなりますよね。こうやって「裁判になったら」みたいな結果予想ができるようにするということが法や裁判所の役割の一つなのね。そのことで争い事は少なくなるのね。こうやって、間接的に法が人を従わせる部分を法の重層性なんて言うわけです。

前にも書いたんだけど、国際平和を願うなら国際的な法治に向けて努力するしか無いのですよ。今の国際連合を「町内会の集まり」と言った人がいるけど、やれるのは確かに「こうやりましょう」という強制力のあまりない申し合わせを決めたり、申し合わせに反した人にみんなで「良くないよ」と非難したりできる程度に過ぎないのね。でもね、そんな町内会みたいなものでも、何も無いよりだいぶんましだし、そこが発展して法治に結びつく元でもあると思うんですね。

投稿: 技術開発者 | 2008.11.14 08:12

こんにちは、せとさん。

>世の中、なんと言うのかチョットづつきな臭い方向に向かっているのでしょうか?

私は前にも少し話したかもしれないけど、歴史を学ぶと「その時代で呼吸する」みたいなことがしたくなるんです。変な話だけどね。例えば江戸なら江戸時代で、その時代の一庶民になって、その社会観とか人生観みたいなものを持ちながら、その生活を頭の中でなぞってみたいのね。もちろんどうしても想像力の部分が大きくなって、どこまで正しいかはわからないんだけどね。でも時々だけど、「こうだったんだろうな~」なんて思えるときがあるんですよ。それが私の「時代を呼吸する」という一種のタイムトラベル遊びなんです。

でね、私が呼吸してみたいというか、やってみなくてはいけないと思っている時代の一つが昭和元年から第2次世界大戦までの間の時期ね(志村建世 さんがお生まれに成った頃ですね)。江戸時代とか違ってけっこういろんな話が残っているのでやりやすそうに思えるんだけど、なんかあまりうまく行かないんですね。

大正デモクラシーとデカダンの時代に続いて、昭和維新運動なんて事を声高に言う人たちが出てきて、だんだんとその声が大きくなり、庶民も「そうなのかな、その方が良いのかな」と加速度的に思うように成っていった時代。軍部が何度もクーデターの未遂をやって、そのたびに「彼らは日本国を真剣に考えて居るんだから、認めてやれ」みたいな雰囲気が強くなっていった時代。天皇機関説がその名前だけで批判され、だんだんと批判の声が大きくなり、最後には大審院が「日本は天皇親政国家にして法治国家にあらず」と判決するにいたる時代。いろんな状況を頭にインプットして、その時代の一庶民として何をどう感じたのかを想像しようとするんだけど、ついていけないのですよ。

投稿: 技術開発者 | 2008.11.14 09:06

hamham さん。
技術開発者さん。
こんにちは。
コメントありがとうございます。


hamham さん。
「哲学者カントには「永遠の平和のために」という著作があり、それが国際連盟の成立、ひいては現在の国際連合の成立に大きく貢献しているということを知りました。」

はい。
凄いですね!
軍備の廃止をつよく謳ったのでしょうね、カントは。
軍備を持っていると、田母神さんのように「先制攻撃こそ最大の防御」というような逸脱した考えが出てくるのは、ある意味自然なのかもしえません。
そういう視点からも、
今一度、軍隊のあり方について、しっかりと見直す時期なのでしょうね、、、


技術開発者さん。
開発者さんのコメント
「我が身かわいさ、我が子かわいさ」と切り離された、義憤というのがあるように思うのです。」
を拝見しながら、今巷間ではやっているという「トロッコ問題」をふと思い出しました。
5人を助けるために1人は犠牲にしてもいいのか、、、云々というアレです。

なんというかその場にならなければならない事に、
アレコレと解釈をつけて、
その揚げ句、義憤にからめとられていく有り様が、
なんともハヤハヤの今回の田母神発言なのでしょうか???
開発者さんの言われる「その場での呼吸」は、
想像であり共感ですが、
今、こうした考えがドンドンと振り落とされて、
先に書いたように二者択一を迫る問題が多くなったように感じるのです、、、

きくちさんのところで、開発者さんと「姫」とのやり取りを見て、開発者さんの深い思いが伝わりきらないもどかしさを感じています。
ここでなくきくちさんちに書けば良いのでしょうが、、、
なんとなくもつれすぎていて。
感想を書かせていただきました。

と、言う事で、今回は頂いたコメントとはずれてゴメン。
では、、、またね!!!

投稿: せとともこ | 2008.11.14 15:20

こんにちは、せとさん。私のコメントは時々陽明学にかぶれたものとしての危険性を持つから、そのつもりで読んでくださいね。

>なんというかその場にならなければならない事に、
>アレコレと解釈をつけて、
>その揚げ句、義憤にからめとられていく有り様が、
>なんともハヤハヤの今回の田母神発言なのでしょうか???

陽明学が危険思想と言われるのは「事上磨練」という心の鍛錬法を勧めるからなんですね。伝習録の話を紹介すると、王陽明の所へ通っていた地方役人の弟子が「仕事が忙しくて勉強にくる暇がありません」なんて言ったの対して「私の学問の勉強は仕事をしながらでもできるんだよ」と諭すのね。その当時の地方役人というのは今の地裁の裁判官みたいな事もやるので、そういう仕事がだったんでしょうか、「裁判にあたって予断はないか」「裁判にあたって情に流されることはないか」とか、とても沢山の注意を並べて、「これを、裁判の時に全て心しなさい。それが私の学問の鍛錬法だ」なんて言うわけですね。それ以外にも、「静かに沈思黙考して心が澄み切ったからと言って学が成ったわけではない、心を乱す環境でも心を澄み切らせて考えることができてはじめて学が成るのだ」とかね。いろいろと活動しながら心を鍛える事を勧めるのが陽明学なんですね。

>きくちさんのところで、開発者さんと「姫」とのやり取りを見て、開発者さんの深い思いが伝わりきらないもどかしさを感じています。

う~ん。私は或る意味で「姫」に同情しながら書いている面もあるんですよ、私の「人が悪すぎる」ってね。私はすごく多面的だから、冷たい側面も充分に持っていて、「お読みの皆さんに分かり易くする」のに必要なら、ああいう方にああいう反応させるように書いて、話をつないだりするからね。

投稿: 技術開発者 | 2008.11.14 15:53

う~ん・・・ほとんどの人は戦争なんて嫌だと思ってるはずと思います。でも戦争は世界中で起きてます。戦争に関わる人の中には、自分達を守るためにしかたなく・・という人が相当数いるでしょう?正義の味方がいっぱいいるのに・・・。

天使の赤紙をあらためて思い出します。

投稿: あゆ | 2008.11.16 10:42

技術開発者さん。
あゆさん。
こんにちは。
コメントありがとうございます。
今日は此方は天気がよくて、流れ星を見ることができるかもと期待しています。
技術開発者さんやあゆさんのお住まいの地はいかがでしょうか???

さて、技術開発者さん。
陽明学。
とてもわかりました。
本当に。


「静かに沈思黙考して心が澄み切ったからと言って学が成ったわけではない、心を乱す環境でも心を澄み切らせて考えることができてはじめて学が成るのだ」とかね。いろいろと活動しながら心を鍛える事を勧めるのが陽明学なんですね。」

はい。
何もないときは誰だっていい顔をしてニコニコ笑っていることができますよね。
本当にその人が問われるのは何かあったとき、逆境のときということでしょうか?
そのためにも普段から心を鍛える必要があるんでしょうね、、、
頭ではわかっているが、なかなかの私です。
ははは。
笑ってごまかす。
まぁ、ごまかしながらも、
自分という者を冷静に見る訓練はしたいものです。
これからも、いろいろ教えてくださいね。
楽しみにしています。

あゆさん。
本当だね。
みんな戦争はいやというか死ぬのはいやなはずなのに、自分は大丈夫と思っているんでしょうかね???
昔ならともかく、現代でもそうなんでしょうかね???
なかなか人の思いというのは複雑なのでしょね???

いずれにしても、
私たちは戦争はイヤだと声をあげていきたいですね。

投稿: せとともこ | 2008.11.17 11:30

こんにちは、せとさん。

>本当にその人が問われるのは何かあったとき、逆境のときということでしょうか?

米国の9.11テロの遺族団体の一つに「ピースフル・トゥモロウ」という団体があります。ブッシュ政権が「テロとの戦い」を掲げアフガンに侵攻しようとしたときも、その後イラクに侵攻しようとした時も、「報復の連鎖は駄目」と反対した団体です。米国中が遺族以下の人も「テロ許すまじ」と燃え上がった時期ですから、いろいろ迫害や弾圧みたいな事も起こったと言われています。その様な状況のなかでも、この遺族団体は反戦活動を止めなかった訳ですね。

なんていうかな、平和ムードの中で「戦争なんて嫌だよね」というのはできるし、だから戦争に突入するのを止めるのは簡単そうに見える訳です。でも、9.11直後のアメリカで反戦活動をするのは、とても大変なことです。真の反戦というのはそれほどの事であるわけです。

投稿: 技術開発者 | 2008.11.17 12:28

技術開発者 さん。
コメントありがとうございます。
本当に、私もそう思います。
今、ベストセラーと言われる蟹工船、そして戦前の共産党の反戦活動を、ちらりと思い出しました。

私は、不屈の精神の持ち主ではない。
と、言うことを十二分に知っています。
だからこそ、
そうだからこそ、
こんな私が声を出すことができる平和の中での戦争反対の大切さを、いつまでも保障してくれるような時代であらんと、今、声を出しています、、、、、
出せるときまで。

投稿: せとともこ | 2008.11.18 14:55

この前話題(書き題かしら?)で今書いてますと、伝えていたのがやっと書けました。1ヶ月もかかった長編大作?です。意味ありげなタイトルついています。さあ誰がこのタイトルに気が付くでしょう^_^

投稿: あゆ | 2008.11.20 12:01

あゆさん。
こんにちは。
凄い!!!
すごい。
すばらしい。
今度、紹介していよろしいでしょうか???

私もすごく刺激になり、勉強になりました。
ありがとうございます。
タイトル、いいですよ〜〜〜
センスありぃ(^.^)
あゆさんらしい。
キラリと光っていると思いました。

投稿: せとともこ | 2008.11.20 15:52

こんにちは、せとさん、あゆさん。

たぶん、皆さんが米国なんかの司法システムで違和感を感じられるのは、「司法取引」というものだろうと思います。例えば、麻薬組織を壊滅させるために、末端の売人なんかに「どういうルートだったかをきちんと教えたらお前の罪は無しにしてやる」と持ちかけて、上にいる准幹部にたどりつく、准幹部にも「幹部の関与を明らかにして、裁判で証人になるならお前の罪を軽くしてやる」と持ちかけて、幹部とか親分の逮捕と裁判に持っていくわけですね。こういう場合、実のところ、個々の構成員の罪よりも組織の壊滅を目的にするので、構成員や准幹部の実際に為したことも全て幹部や親分に押し付けられちゃう事も多いんです。そういう不合理性はありながら、「個々の罪を明確化するよりも反社会的組織を壊滅させることの方がメリットが大きい」ということで、米国なんかでは良く使われる訳です。

実のところ、前の大戦の戦後処理というのは、大規模な司法取引をやったような感じを受けている訳です。たとえ話をしますとね。例えば1万人の暴徒がどこかのショッピングセンターを占拠して立てこもっているとしましようか。10万人の機動隊がそれを取り囲んで突入出来る様に既になっている。でもね、できれば突入しないで済ませたい訳です。だから「暴徒とされいる皆さんは首謀者に騙されて暴動をしたんだと私たちは思っていますよ。このままだと皆さん大怪我をするから解散してください。皆さんを騙した首謀者は罰しますが、皆さんは罰しませんから」と約束をしたようなものだと思うんですね。こういう司法取引をしたら、数十人の首謀者は嫌でも罰さないとならない。時には暴徒の人が支持なしでやったことも皆首謀者にかこつけないと司法取引そのものが成立しなくなってしまうんです。

なんていうか、社会の善悪観というのは、ゆらいでは困る場合と、時には見方を変えないとうまく行かない場合が有るんですね。個別の小さな善悪に関してはゆらがずに「こういうのは悪い」「こういうのは仕方ない」と分けなくてはならない。でもね、社会全体に大きく関わる問題の時には「個別の善悪に囚われず、社会全体にとってハッピーとなる解決が善だ」みたいな観点もあり得るわけです。

投稿: 技術開発者 | 2008.11.21 09:45

苦悩だらけで、こうしよう~!なんてほとんどなく、問題の羅列だらけですけど;


どうぞ♪

投稿: あゆ | 2008.11.21 11:00

技術開発者さん。
あゆさん。
こんにちは。
コメントありがとうございます。


技術開発者さん。
「、社会の善悪観というのは、ゆらいでは困る場合と、時には見方を変えないとうまく行かない場合が有るんですね。個別の小さな善悪に関してはゆらがずに「こういうのは悪い」「こういうのは仕方ない」と分けなくてはならない。でもね、社会全体に大きく関わる問題の時には「個別の善悪に囚われず、社会全体にとってハッピーとなる解決が善だ」みたいな観点もあり得るわけです。」

ううううん。うん。
凄くわかります。
そうなんですよね。
そこが、とても痛し痒しです。
斬られる方の権利は???って話になるし、
やはりそうした少数にも配慮が必要だし、、、
だがしかし、現実には「時代の意思、社会の意思】と言う言葉で、ドンドンと切り捨てられていっているんでしょうね。
こうした上に今の現実があることを、しっかりと見ていきたいものです。

あゆさん。
早速、エントリーに挙げましたよ(◎´∀`)ノ
ご覧下さいね。
また、ご意見など頂けると嬉しく思います。

投稿: せとともこ | 2008.11.21 14:50

こんにちは、せとさん。

>そこが、とても痛し痒しです。
>斬られる方の権利は???って話になるし、
>やはりそうした少数にも配慮が必要だし、、、

この話というのは難しいんですね。実は正しさの多重構造なんです。ゆるがせにできない善悪と、大きな見地からの善悪に違いがあるという話は理解できるとしても、「その区別の判断が正しいかどうか」という善悪判断がその上にありますからね。

ただね、私が感じているのは、社会が大きく狂うときというのは、皆さんが「その区別の判断は正しいか」という自問性を失っているときだという感じがするということなんです。テロど沢山の自国民が死に、繁栄のシンボルのような建物が崩壊した時に、「戦争は嫌だけど、今は戦わなければならない」と判断してしまう。そして。戦争に反対する平和主義者をそれなりに弾圧したりすることも「正義」と感じてしまう様な面ですね。

私は判決文マニアの面があって、裁判員精度の前から裁判員の訓練をしていた様な気がするんですね。判決文に書かれた事実を自分なりに頭に入れて、「自分ならどう判決するだろうか」なんてね。その時に必要なのは多くの善悪の正しい秤量なんですよ。「悪質性はどうだろう」「再犯可能性はどうだろう」「この判決が社会に与える影響はどうだろう」なんてね。いつも、幾つものモノサシで一つの事件を測らないとならないものなんですね。

本来、人間の判断というのはそういう多様性を持たなくては成らないのだけど、それが失われるとき、社会が狂ったように一つの(たいてい良くない)方向に向かって動き始める気がするわけですよ。

投稿: 技術開発者 | 2008.11.21 17:12

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» 続、陰謀論の嫌いな人の心理 [逝きし世の面影]
「陰謀論」という言葉の胡散臭さ、不正確さ。 困ったことに若者では、『陰謀論』が「援助交際」なんかと同じような極最近に作られた「流行語」だと言う事を知らない人が多い。 最初「援助交際」の言葉を「足長おじさん」の話かと思っていたんですが単なる少女売春じゃあないですか。 「家庭内暴力」は最近の親父は昔のように先祖がえりして暴力的になってきているのかと勘違いしていた。 ところが何と「家庭内暴力」は親父が子供を殴る話ではなく、引きこもりの子供がストレスから親を殴る話で『引きこもり暴力』あるいは『引きこもり... [続きを読む]

受信: 2008.11.13 11:05

» あなたとは違うんです [志村建世のブログ]
田母神・前航空幕僚長の国会への参考人招致は、テレビニュースと新聞で見た程度ですが、どうやらすれ違いに終ったようです。「間違ったことを言っているとは思いません」「退職金を返納するつもりはありません」と、田母神氏は一貫して少しも信念が変っていないことを...... [続きを読む]

受信: 2008.11.13 15:16

» クーデター危ぶむ声も 前空幕長問題で自民幹部 [逝きし世の面影]
田母神俊雄前航空幕僚長が歴史認識に関する政府見解を否定する論文を公表した問題をめぐり13日、自民党の各派総会で、青年将校らがクーデターを企てた2・26事件などを引き合いに「シビリアンコントロール(文民統制)をしっかりしないといけない」と危ぶむ声が相次いだ。 山崎派では、防衛庁長官も務めた山崎拓会長が「最高指揮官の麻生太郎首相が村山談話を踏襲すると言っている以上、現職自衛官が論難することは許されない。 憲法秩序の中の自衛隊とわきまえてもらいたい」と批判。 石原伸晃幹事長代理は「かつて世界恐慌が起き... [続きを読む]

受信: 2008.11.14 17:56

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