« 高校英語教育から見えるもの | トップページ | どうなるんだろう?ガザ地区問題 »

2008.12.27

脳について 〜〜遺伝子と今の脳科学から〜〜

チャールズ・ダーウィン生誕200年を前にして,今あちこちでチャールズ・ダーウィン展が催されたりとダーウィンが熱く語られています。
私もダーウィンや、以前ここでも書いた木村資生の中立説などをもう一度読み直したりしています。
数々の本の中や情報の中でも極めて興味深かったのは「ヒト脳遺伝子」の分子進化についての論考でした。
ヒトとチンパンジーの共通祖先から分岐して700万年。
最古の人類と言われるサヘラントロプス・チャデンシスの脳容積は350cc。
そして今から180万年前のホモ・ハビリスは750ccの脳容積。
20〜15万年前のホモ・サピエンスは1200〜1500ccに増大しました。
地質学的時間では極めて短い700万年の間に約4倍も増えたヒト脳容積。
さらに大きさだけでなく神経細胞ネットワークも複雑の高度化を遂げました。
そして最近、ヒト脳に正の淘汰を受けた4つの遺伝子が明らかになりました。
ASPM,FOXP2,AHI1,HARIFがそれです。
(ある研究では正の淘汰を受けた遺伝子の数はチンパンジーの方が多いそうです)
脳の大きさを決定するASPM遺伝子。
言語に関するFOXP2遺伝子。
体位を調整するAHI1遺伝子。
なお、これらは調節遺伝子で、脳の物質そのものを作っているものではありません。
非コードRNA遺伝子であるHARIF。
700万年という短い時間で既存の遺伝子の点突然変異によって進化上の「進歩」がなされたのです。
興味のある方はNatureやScienceなどのJournalをご覧下さい。
年、巻頁についてはご要望があればお知らせいたします。
この研究は今後さらに調節遺伝子の探索を含め進化について明確な証拠が出てくるものと期待されています。
さて、
ここで近代科学の獲得した最大の成果は自然現象の説明に目的論を排したことである、という極めて当然の事に思いを馳せる必要があります。
それは生物進化理論も例外ではありません。
まず自然現象に対して合目的性を排除していく姿勢が研究者に問われるものと考えます。

と,言う事で、脳遺伝子についてツラツラと見ていた矢先のこと。
いつも鋭い切り口でエントリーを挙げていらっしゃるTAKESANさんの記事。
さらに経由して[生命哲学]2008年10月20日放送の『あいのり』での茂木健一郎さんの発言と言うエントリーを挙げられたspiklenci-slasti さん。
凄いですよ、この時の茂木さんのノリノリ発言。
頭が痛くなりました。
またliber studiorumと言うブログではブログ主のa-gemini さんが詳細に茂木健一郎さんについて分析(?)なさっています。

私は今まで茂木さんはあまり知らなかったのですが、
これらの方のブログを拝見して、ビックリ。
それではと、いろいろ当たってみました。茂木さんを。
そしてクオリアを。
クオリア、、、、

ううううううう〜〜〜〜〜ん。

「心的生活のうち、内観によって知られうる意識の現象的側面(現象的意識)のこと、またはそれを構成する個々の質感のこと。感覚質(かんかくしつ)とも訳される。」
これがクオリア。
なるほど、医学、心理学と哲学との境界学問ですね。
内観ですかぁ、、、
ふと白隠の禅やら気功を思い出します。
難しいところに挑戦なさっているんですね、茂木さん。
未だ明らかにされていない事があまりに多くて、学問そのものについては、ちょっとやそっとでは評価出来ません。
ただ、
ただ、
先のブログ主の方々が疑問を呈されているのは、研究者としての茂木さんの研究アレコレについてではなく、
テレビ・マスコミへの露出の有り様、述べている事についてです。
私もそれは「やむなし」と思います。
未だ明らかではない事を,ある時は事実のように述べ、また相手が変われば同じ事を「今、研究中です」と言い、そしてまたまたある時はあろうことか「編集したメディアが悪い」といいのけるそのあり方が小賢しいと思います。あっ、この辺りで内田さんと三砂さんが彷彿と思い出されますね、、、
この手の切り口は常套手段なのか?彼らのと思ってしまうくらい似ています。

さてさて茂木さん。
あざといそのあり方には,研究そのものさえ疑わしくなる事を茂木さんは果たして認識しているのか???
脳科学者という肩書きでアレコレと説明をし,判断を下すのですが、その影響は大です。
大体、脳科学ってどんな学問なのか???なぁ。
しかし、視聴者は、
「あっ、茂木さんが言った事だから」
「そうか、茂木さんが言った事ってこれだったのね」
とかとか納得する人は少なからずいると思います。

それに対して
「まった!!!!」
それは違うよ、まだ分からないんだよ。
まだ発表の段階ではないし、ましてや決定なんてトンデモナイ。
と、呼びかけているのが伊勢田さんや先の方々。
フムフム。
TAKESANさんのブログのコメント欄が面白い。

来年4月の応用哲学の学会で伊勢田さんと茂木さんを招いてのシンポジュウムがあるそうです。

個人的にはチョイトチョイトの茂木さんをもっと知りたいので、行ってみたいと今から思っているのですが、、、

いずれにしても、
私たちの周りには未だ分からない事が満ちあふれているにも関わらず、判断や決定を望む雰囲気が出来上がろうとしている事。
すぐに白黒をつけたがる。
二分法でバサリバサリと切り捨てる。
このような事態を招く手助けをしているのが茂木さんでは???と危惧を表明します。


先に書いた言葉をもう一度。
「近代科学の獲得した最大の成果は自然現象の説明に目的論を排したことである、という極めて当然の事に思いを馳せる必要があります。
それは生物進化理論も例外ではありません。
まず自然現象に対して合目的性を排除していく姿勢が研究者に問われるものと考えます。」

|

« 高校英語教育から見えるもの | トップページ | どうなるんだろう?ガザ地区問題 »

コメント

ご無沙汰しています。

ぼくのところの茂木健一郎に触れたエントリを時系列で読むと、彼への期待が失望へと変わっていく様子がリアルタイムで読めてけっこう笑えたりしますよ。
いや、たくさんあって大変ですけど、サイドバーの検索窓に「茂木健一郎」と入力していただければ。

投稿: pooh | 2008.12.28 05:47

pooh さん。
こんにちは。
お久しぶりです。
お元気でいらっしゃいますか?
年末でバタバタしていて返事が遅くなりなり失礼いたしました。
今、ようやくパソコン前に座ることができたので、早速pooh さんのブログを拝見。
うわっ〜〜〜〜って感じでした。
そうだったんですか、茂木さんって。
あまり知らなかったのですが、、、
こうした形でメディアに出ることで、それに曝露される視聴者が次第しだいに入り込んでいく怪しい領域を思うと、これは声を大にすることが緊急と思いました。
またあなたのブログも紹介させていただ来たいと思います。

それはそれとして、実はこっそりスケートのエントリー楽しみにしているのですよ。
私自身はまだ記事に挙げるほどは書けないのですが、テレビで写されるときは観ているのです。
pooh さんの記事を楽しみにしているのです。

と、言うことで。
また。

投稿: せとともこ | 2008.12.28 16:08

せとさん、おはようございます。申し訳ありませんが、また前の話の続きを。科学と信仰の話ね。(^-^;

「近代科学の獲得した最大の成果は自然現象の説明に目的論を排したことである」

すっきりまとまった良い言葉ですね。全くその通りだと思います。こういった良い言葉があると話が続けやすい。助かります。

私の視点は常に「人間そのもの」にあります。そこから見ますとね、科学が目的論を排するものだと言うことには同意できても、科学という営為を為す人間(科学者)からは目的論を排することが出来ないのではないのか? そういう疑問が生まれるわけです。当たり前ですよね。

科学によって明らかにされる法則は、自ずから明かなのではありませんね。人間の行為によって解明されていかなければならない。現在、まだその営為は途上で、それ故、科学を追究するという「目的」が生まれる。科学者とはその目的に奉じる人間たちのことでしょう。

ここで明らかなことが一つあります。人間には「目的」は必要だと言うことです。目的論を排する科学者といえども、それは同じはず。

科学者は、自分たちは自分たちの「目的」に奉じていながら、それ以外の者たちの「目的」を解体してしまう。

たとえば神や霊魂といった言葉がありますね。こうしたものが存在するのかどうかは、わかりません。科学的な視点からは、存在しないと言えるのかもしれません。科学的にそうした結論が出たとして、私はそれはそれでよいと考えます。

ですが、そこにはあくまで“科学的に存在しない”という限定が必要だと考えています。いえ、「存在しない」という言葉も良くないですね。“科学では感知できない”くらいに表現するのが適当でしょう。

現在の社会常識では、“科学的に存在しない”ということと「存在しない」ということは、ほとんど同義です。となると、科学的な断定は、神や霊魂といった存在を信じ、それらを生きる支えとしている人たちの「目的」を解体してしまうことになってしまいます。

その時の科学の機能、その断定を行う科学者の役割は、世界は唯一神によって創造されたと布教する宣教師のそれと同一ではないのか? これが私の視点です。

目的論を排する「目的」に帰依せよ、と。

しかも、科学は誰にでもコミット出来るものではありません。現代社会には科学技術によって開発された製品に溢れていますが、多くの者はそれらの製品を科学的に理解出ません。理解するには特別の「技能」が必要で、しかも社会的に科学者という「称号」を得るためにはさらに特別の努力が必要となり、また一旦認められると、その「称号」は権威となります。科学者と聖職者のあいだには、信仰という一面においては差異はないように思われます。

投稿: 愚樵 | 2008.12.30 07:19

愚樵さん。
コメントありがとうございます。

来年もよろしくお願いいたします。

投稿: せとともこ | 2008.12.31 22:09

皆さん、新年おめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

>科学が目的論を排するものだと言うことには同意できても、科学という営為を為す人間(科学者)からは目的論を排することが出来ないのではないのか? そういう疑問が生まれるわけです。当たり前ですよね。

順番から言うと逆なんですね。もともと自然科学も哲学の中にあって、目的論を排するということをしなかったんです。ところが、他の人文的な学問との違いとして対象物の違いが有ったわけです。人文学が「人間そのもの」であったり「人間の作り上げる文化」をより詳しく知ろうとしたのに対して、自然科学は人間以外の部分もまた詳しく知ろうとした訳です。「物は何からできているのか」「燃えるという現象は何なのか」みたいにね。でもって、その人間以外の物、つまり自然物や自然現象をつまびらかに知ろうとする営みにおいて、人間の持つ「目的論」が邪魔になってしまったので捨てたというだけなんですね。そのことにより、自然科学という学問は人文学という学問の範囲のなかに留まるということができずに外に飛び出した訳です。

なんていうかな、私は現代人の「人文学的未発達さ」というのが問題だと考えている訳です。

>現在の社会常識では、“科学的に存在しない”ということと「存在しない」ということは、ほとんど同義です。

そのような社会常識になるのは、自然科学は発達したせいではなくて、人文学的な哲学的な「人間認識」が未発達なせいでは無いかと思うんですね。もともとこれは同義であるはずは無いことですからね。

もちろんバランスが悪いときに、出過ぎた部分を削り落とすという方法があることは事実なんです。人類の文化の一つにすぎない自然科学概念を削り落とせば文化としてのバランスはとれます。そうですね、14世紀くらいの社会に戻せば、自然科学概念のみが飛び出ている様に見える現代のアンバランスは解決出来る面があります。ただ、それで良いのかという気もするんです。それを「人文学的な発達のために時間を稼ぐ」という目的で自然科学的な文化を削り落とすのか、「人類には人文学的な発達能力が無い」と諦めて、バランスをとるために自然科学的な概念を削り落とせというのか、どっちなんだろうと思ったりします。

投稿: 技術開発者 | 2009.01.05 10:14

技術開発者さん。
おめでとうございます。
昨年はいろいろありがとうございました。
今年も宜しくお願いいたします。
また素敵なコメントが頂けると楽しみにしています。


さて、頂いたコメント拝見しながら、
愚樵さんと開発者さんは似ていらっしゃると改めて思いました、、、つまり深いところで、、、という意味です。

いつか開発者さんと愚樵さんとご一緒にオフでお会いできていろんなお話ができたらとどんなに楽しいだろうと思います。
ところで、
愚樵さんって、どんな樵さんなんだろう???
金の斧と銀の斧とどちらを落とした?と女神様に聞かれたら、どう答えるのか???
ふと疑問に思いました。
開発者さんだったらどうなさいます???
私は業欲深い者ゆえ、、、両方ですね、、、
そして、虻蜂取らずかぁ、、、
ああああ〜〜〜
こりゃいかんな。
今年はサッパリとを銘にしよう♪

あっ、新年早々ごめんなさい。

と、言うことでこんな私ですが今年も宜しくお願いいたします♪
o(*^▽^*)o

投稿: せとともこ | 2009.01.06 20:07

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/15797/43544345

この記事へのトラックバック一覧です: 脳について 〜〜遺伝子と今の脳科学から〜〜:

» 【閑話休題】脳遺伝子の進化 [Science and Communication]
瀬戸智子の枕草子のブログ記事を読んで気づく. [続きを読む]

受信: 2008.12.31 09:41

« 高校英語教育から見えるもの | トップページ | どうなるんだろう?ガザ地区問題 »