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2008.12.23

大学の経営破綻から(内田樹さんの記事より)

大学は市場に選別されるのか?と言うタイトルの内田さんの記事は面白かった、、、
内田さんの経済に関しての提言(?)や政治への箴言(ご本人は箴言なんて思ってはいないだろうが)には、疑問を呈すること大の私ですが,教育に関しては是とすることも大です。
と,言う事で元ネタの内田さんの記事。
「構造改革特区制度を利用して、株式会社が設立したLCA大学院大学(大阪市、学長・山崎正和中央教育審議会会長)が平成21年度の学生募集を停止することが17日、分かった。
学生数が定員を大幅に割り込み、経営難に陥っていた。」と言う新聞記事をもとに、素朴な疑問を2つ挙げています。
その2つが面白い。
まず1つ目は、
「一つは「企業経営を教える大学」が企業経営に失敗した場合、その大学で教えていた教育「商品」は無価値であったと推論することを防ぐことができるかどうか、防げるとすればどのようなロジックによってか、という問いである。」
と言う些か(本当は全部)皮肉を入れての自問自答形式で話を始めています。
そして、結論は
「企業経営を教えていた当の大学が経営破綻したという事実から私たちが引き出しうるのは、「教育にビジネスのロジックは適用できない」という言明である。」
と,言うとても納得いくものでした。
私も「そうだそうだ,,,」と思いながら読みました。
確かに教育に資本の論理は無用です。
儲けから無縁であるところに教育の有意性であると思います。

さて、次に第二。
「この破綻した大学の学長が「中央教育審議会会長」であるという事実にかかわるものである。
教育にかかわる国策の根本を議する審議会の長が経営破綻した大学にかかわっていた。
この事実から私たち大学人が引き出しうる実践的な(「にべもない」)教訓は「中教審の答申を真に受けて大学の制度改革に走ると危ないかも・・・」ということである。」

ふむふむ。
まさにここに教育の荒廃があると私も思います。
中教審の言う事をまともに受けて大学制度改革をしても、結局,競争原理ですべてが疲弊して何も残らないと言う事でしょうか???

大学も競争化と言うエントリーを挙げたのは一年前です。
そのとき,私は以下のように書いています。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「聖域なき財政改革」のもと、国立大学が法人化、そして予算削減、大学の差別化と突き進んでいったわけです。
当然、大学のそもそもの研究、とくに基礎研究は日があたらなくなりました。
基礎研究がないがしろにされれば、またまた理の当然で、積み上げられる研究も底の浅いものになります。
教育は長い時間をかけて花が咲き、実が残ります。
今、その教育が小学校から大学に至るまで、
競争原理に貫かれ、促成栽培のようにすぐに結果が出るものだけが重視されるような流れが出来ています。
大切なものがドンドン失われていくようです。
この国の未来を思うとき、
本来の教育のあり得るべき姿に早く経ち戻すことが急務と感じます。
つまり、
教育の独立と財政の保障です!!!

教育はすべからく深く、広く、豊かに
です。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

教育の成果が出る前に自らの論理が破綻してしまった教育再生会議のあり方。
ここから導く教訓は重大です!!!

結局、
教育に資本の論理はなじまない!!!
ことの見直しを図る時期ではないでしょうか?

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コメント

こんにちは、せとさん。

前に「キンベン村物語」というおとぎ話をしたのを覚えておられますか。村人が一所懸命に働くとちょうど村人が生きていけるだけの作物が手に入る村に2倍の収穫がもたらされる種が普及するというおとぎ話です。キンベン村の人は余って腐る食べ物に心を痛めて、「つくる人間が多すぎるからいけないんだ」と半分の村人を村から追い出して、デフレスパイラルを引き起こすなんて話です。

なんて言いますか、実はこの「2倍収穫出来る種」にあたるのが、「競争原理」でもあるわけです。もともと、共同体の中に機能体ができるのは、その方が「効率が良い」からです。その効率によってもたらされる今までよりも多い収穫は「共同体に生きやすさをもたらす」事につながる訳です。機能体を複数作って競争させるのは、「効率を上げる」ためです。その効率の上昇によって共同体が「より生き延びやすく」なるので無ければ意味は無いわけですね。

現代人の目には、「機能体」とその機能体の「行動規範」のみが見えていて、「機能体を使いこなす共同体」というのが見えていないということを感じている訳です。

投稿: 技術開発者 | 2008.12.24 08:40

技術開発者さん。
前にいただいたコメントを書いている間にコチラにもコメントを頂きありがとうございます(゚▽゚*)

>現代人の目には、「機能体」とその機能体の「行動規範」のみが見えていて、「機能体を使いこなす共同体」というのが見えていないということを感じている訳です。

本当にそうですね。
俯瞰的にみることとか、長期の展望と言うのが見えにくくなっていますね、、、
これってやはり教育の成果(?)でしょうか????
偏差値で輪切りにされ、
テストの一点一点で評価される教育に暴露され続けると、いつのまにか刹那的になるんでしょうか???
どう思われます???
またご意見お聞かせくださいね(*^-^)

投稿: せとともこ | 2008.12.24 09:58

こんにちは、せとさん。

>これってやはり教育の成果(?)でしょうか????
>偏差値で輪切りにされ、
>テストの一点一点で評価される教育に暴露され続けると、いつ>のまにか刹那的になるんでしょうか???
>どう思われます???

教育ってのは総合的なものですからね。学校教育だけを取り上げる事もできないんだろうとは思います。なんていうか、鶏と卵みたいな面というか変異と進化(特殊化)の関係みたいな面があるんですよ。卵に生じたわずかな変異が違いのある成鳥を生み、その成鳥が、たまたまその時の時代てわずかに「生き延びやすい」というだけで、子孫が増え、いつの間にか一つの島の鶏が特殊化したものばかりになってしまうような変化ですね。環境が変わったときに、その変異を捨てて元に戻ることも難しくなるような特殊化が子供の教育とそれを与える大人の間にも生じてしまう訳です。

受験の一番の問題として、良く上げられるのが「入試の問題は一問ずつ独立だけど、現実の問題に独立した問題は少ない」なんて事が言われますね。入試では例えば10問の問題が出て、一番簡単な問題から解いていって良いわけです。1問目が簡単だからそれをある解き方をしたからといつて他の問題の解き方が変わるわけではありません。でも現実に会社の経営とかをやって「人件費が経営を圧迫している」「製品不良が多い」「社員の欠勤や遅刻が増えている」「労災事故が多くなっている」なんて問題があるとしますよね。実際のところこれらの問題は独立ではなくて、例えば、「人件費を減らすために給料を下げよう、派遣職員を増やそう」とやると他の問題の深刻さは増す可能性があるのね。つまり1問目の解き方で、他の問題の解き方が変わってしまう可能性があるんです。そういう総合力みたいな面を入試画は介しているなんてのは、もう20年以上前から言われていたりします。

投稿: 技術開発者 | 2008.12.24 11:19

技術開発者さん。
こんにちは。
コメントありがとうございます。

「環境が変わったときに、その変異を捨てて元に戻ることも難しくなるような特殊化が子供の教育とそれを与える大人の間にも生じてしまう訳です。」

あっ。
わかります。コレ。

そうなんでしょうね。言われてみれば教育もそうした側面はありますね。
なにしろ、成果がでるのは20年後だったりするから。
しかも対照実験はないから。
近頃のゆとり変更をみていても、なんだかその場かぎりのやっつけの気がしてなりませんが、
開発者さんの言われる通りかもしれないな、、、とコメントを読みながら思っています。

ううううう======ん。
さてさて、どうしたものか。

だからこそ、先人の経験って大切なんでしょうね。

投稿: せとともこ | 2008.12.25 12:07

こんにちは、せとさん。

この前、人と話をしていて、「もしも、あなたが江戸時代の若者と話をしたら『もっと夢を見ろ!』とけしかけたくなるかも知れないね」なんて事を行ったんですね。別にその人はそんなに野心的な人でもない、普通の人なんですが、なにせ現代人なのでね。なんていうか安定性成長期には安定成長期の「心のもちよう」というのがあるわけです。おそらく普通の現代人から見ても「そんな考え方で良いのかよ」と思ってしまうくらい野心を持たない人生観があるのです。でもって、その若者の親も「そういう考え方で良いよ」と思っているし、その若者が親になって子供にもそういう感じで教える訳です、人生観をね。その人生観を言い表すなら「死ぬまでおまんま食えて、着物があって家があって、死ぬときに看取ってくれる家族がいれば、他に何を望むことがある」なんて事になるのかも知れませんね。

江戸から明治に成ったときに、明治政府は国民を野心的にするためにいろいろと苦労したわけですよ。「立身出世」を良いこととして、「平民でも偉くなれるんだぞ、それはとても良いことなんだぞ」ってね。そういう人生観の変更で、明治以降現代に至るまで「経済成長」はできている訳です。長いですよ、ずいぶん。たぶん5世代から6世代は「偉くなるのは良いことだ」みたいな人生観が続いている訳です。意識の固定も当然です。

経済が無限に成長出来るなら、別に意識改革の必要は無いんですけどね。少なくとも国内経済は飽和がかなり顕著だし、国際経済ももう何サイクルかの成長をすれば飽和する。でも意識は明治政府が苦労して作り上げた「偉くなれ」のまま、あまり変わっていないのです。だから無理した経済成長をしようとしてバブルを膨らませてははじけさせる事になるんです。

投稿: 技術開発者 | 2008.12.25 13:07

技術開発者 さん。
こんにちは。
コメントありがとうございます。
意識の変遷と経済。
本当にわかります、、、
そうなんでしょうね。

こうしてその流れを見たとき、
ではどうするか?
と、考えたら、暴力的な政治家(?)なんかが出て来て、
また「歴史に血を求める」なんてことが無いように、と願うばかりです。
ふっ〜〜〜〜

この頃、ため息が多いなぁ
┐( ̄ヘ ̄)┌ フゥゥ~

投稿: せとともこ | 2008.12.26 13:26

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