« 宇宙基本計画の「基本的な方向性」 | トップページ | ネットってアゴラですね »

2008.12.03

裁判員制度前に

昨日のきっこさんの日記人を裁くということと言うエントリーを読んでずっと考え込んでいました。
内容はきたる裁判員制度にたいしての疑問と危惧を表明してのもので、
私もおおいに頷くところ大でした。
が、
死刑制度については、チョイトチョイトそうかな???
と、考え込んだのです。
死刑制度についてはネットでは以前から大きなテーマの一つとして討論・議論されています。
来春から導入される裁判員制度を前にして、また多くの意見や考えが噴出するものと思います。
私自身の今の立場は「死刑廃止」です。
理由は以前も書きましたが、刑事立法の厳格化はいずれ国民を縛っていくものであると言う原則に依っています。
先に書いた記事をもう一度ここに掲載します。
なお、この記事は2006年、共謀罪について討論されていた頃のものですが、
基本的な考えは変わりません。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
今、時代は「立法動乱の時代」を迎えています。
1945年、天皇制治安立法廃止。
1947年、不敬罪、姦通罪廃止。地方分権的警察法制定。
1948年、現行刑事訴訟法制定。

その後、90年代に至まで、刑事立法の大がかりな動きはありませんでした。
しかし、90年代に入ると、激震が法曹界にも走っているということです。
1999年、通信傍受法。
2000年、少年法改正。
2004年、裁判員制。
そして今、問題になっている共謀罪。

一連の動きの中で、犯罪が凶悪かつ増大したという理由が一番大きいものでありました。
被害者の状況は極めて悲惨で、同情に値するもであることは言うまでもありません。
犯罪者への憎しみは人として当然の感情であります。
これ自体にはなんら問題はありません。
また、犯罪により乱された秩序を取り戻すべく、犯罪者への刑罰を必要とすることも当然です。
しかし、刑罰が重くなり厳しくなるということが、即犯罪を無くすことには繋がらない現実の前に、
人は動揺します。
そして、次第に徐々に刑事立法化が一つ、二つと増えてくるという一方の現実があります。
いつの間にか、処罰や警察への権限拡大について鈍感とも言えるような状態が作り出されたのかもしれません。
権力の濫用・弊害への警鐘があまりになされなかったのでしょうか。
市民の安全を守るために信託した権力は、決して市民を侵害してはなりません。
自由・独立・平等の理性人として本来あるべき権力の担い手となり、
市民生活を自らの手で守ることこそが近代民主主義が標榜してやまない「国家と市民との関係」だと思います。
刑罰は重くなるほど一方に権力が集中するという事実に対して、
私たちは必要性と危険性、双方を視野に入れて考える事の大切さを改めて思いました。
この問題、さらに考えていきたいものです。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

まず、法が国民を管理統制していく流れを歴史に見て、
そうした流れのもとは「国家とは権力である」という確認をしました。
そして、犯罪罰則の名の下に次第に厳罰化していくことへの危惧を表明しました。
そして最後の結びとしてもう一度ここに書きます。
「権力の濫用・弊害への警鐘があまりになされなかったのでしょうか。
市民の安全を守るために信託した権力は、決して市民を侵害してはなりません。
自由・独立・平等の理性人として本来あるべき権力の担い手となり、
市民生活を自らの手で守ることこそが近代民主主義が標榜してやまない「国家と市民との関係」だと思います。
刑罰は重くなるほど一方に権力が集中するという事実に対して、
私たちは必要性と危険性、双方を視野に入れて考える事の大切さを改めて思いました。
この問題、さらに考えていきたいものです。」

勿論、凶悪な犯罪は罰してしかるべきです。
決して許してはなりません。
絶対に、許さない。
被害者の気持ちを思えば、むべなるかなとは思います。
さらに憎しみの連鎖がつらないために如何にすべき、、、とは思うものです。
だが、
だが、、、
こうした凶悪な犯罪を言質にとって、国民を厳罰化することが可能な法律を成立させる、制度かすることには危惧を表明するものでもあります。
今はまだ私の中では、
国家と言う権力集中の一つのかたちが現死刑制度であるのです。

きっこさんではないが、
裁判員制度導入もさることながら、
今一度、制度そのものの見直しと更に加えて「死刑制度」についても真剣に討論や議論をする時期なのかと思っています。
この問題、あまりに深いの今後も考えていきます。

|

« 宇宙基本計画の「基本的な方向性」 | トップページ | ネットってアゴラですね »

コメント

 法律を少しでもかじった者の一人として、「死刑制度」について申し述べますと、結論から言って、「死刑制度」廃止には無理があると思います。
 まず、世界中にはこの制度を廃止した国の方が多いと言うことです。何故か、刑を重くしても凶悪犯は無くならないと言うことです。因果応報の論理でいくと、究極は死刑と言うことになります。
 次に、多くの国には「終身刑」が設けられています。アメリカのある州には、何百年の刑があり、当然死ぬまで監獄にいるわけで、それを狙った犯罪が増えて、刑務所が何時も満員です。
 まあ、人が人を裁き、殺した者は殺されると言うことにしておかないと、一生シャバで暮らすものが多くなると言うことなのでしょうね。
 後は、水掛け論になるのでこの辺で止めときますが、この狭い日本列島に多くの囚人を置いておくのもむさ苦るしいものだと思うのですが、どんなものでしょうか?

投稿: hitoriyogari | 2008.12.03 17:21

こんにちは、せとさん。

 私は別な所にも書いているけど、法律適用に関してたぶん普通の人より少し「厳しめ」の人だし、死刑廃止論者でも無いんですね。でも前に書いたように「報復としての刑罰」という概念は持っていない訳です。あくまで「社会において再発抑止に必要な刑罰の適用」という概念なんです。

 現代の刑罰論というのは基本的に「隔離・矯正・抑止」の3つの考え方からなっています。一部に「社会的報復」という概念を入れようとする考え方もありますが、大勢ではありません。刑法を犯すという事は社会に害を為すことですから、とりあえず社会から隔離し、刑法を犯すようになった性格とか社会的能力の部分を矯正するという考え方ですね。執行猶予がついたりするのは「隔離せずに矯正可能」という意味になります。ただ、これだけでは刑罰の持つ「辛さ」の説明になりません。やはり「抑止」という概念も必要ではあるわけです。「人は自由に気ままに生きたい」という欲求を持っていますから懲役などの「自由ではない状態」というを避けようとし、それゆえ例えば「盗んでしまおうか」というでき心がおきても「刑務所は辛いから」と犯罪を犯す事を抑制する面があるんです。そういう意味では刑罰に「辛さ」が必要な面があるんです。正確に言うと社会に「刑罰は辛いものだ」という概念を根付かせておく必要があるから、実際に辛い部分も必要になります。

死刑というのは或る意味で「矯正」の否定なんです。矯正不可能という判断と最も「辛い」事である「死」を結びつける事で、最大限の抑止力を発揮させようとするのが死刑であるわけです。光市の母子殺人事件の上告審を巡る議論をある掲示板をしていたときに、私は何度も「これは矯正可能かどうかを巡る上告審です」と書いた記憶があります。実際、地裁・高裁の裁判官は「矯正不可能とまでは言えない」と無期懲役の判決を出したのに対して検察が「矯正可能性を巡って事実誤認がある」と上告していますからね。

私は裁判員制度を巡っても悩んでしまう面があるんです。私は沢山の判決を読み過ぎて「量刑の相場観」が身に付き過ぎてしまっている面を自分に感じるんです。そして、「レジ打ち判決」みたいなことに成りやすくなっている自分を感じます。レジ打ちというのは「ダイコンが100円、白菜が150円・・・しめて1000円、お得意様割引5%ですから950円です」みたいな判決のことです。「悪質性から懲役5年、再犯可能性から懲役2年、しめて懲役7年のところ、加害者若年による矯正可能性から2年減の、生育歴による情状酌量で1年減じて、懲役4年」なんてね。こんな判決って嫌じゃないですか(笑)。でもね、私みたいになると、やりかねないんですよ、このレジ打ちをね。たぶんね、裁判官も沢山の判決を下していると、少しずつそれに近くなってしまうと思うんですね。だから、きちんとそういう事に悩んでくれる裁判員が裁判官の側で考えることの価値を感じてしまいます。

そういう意味では、私みたいな判決文マニアというのが一番裁判員に向かないのかも知れませんね。

投稿: 技術開発者 | 2008.12.03 18:00

hitoriyogari さん。
開発者さん。
コメントありがとうございます。
お二人のコメント、何回も読ませていただきました。

そうなんですよね、、、
お二人の言われる事、よく分かるんですが。
が、
が、、、、
なんですね。私には。


hitoriyogari さん。
そうですよね。
お詳しいのだから、よく実体はご存知ですよね。
おっしゃる通りと言うか、この問題を論じる時、必ず出てくる考えです。
また犯罪者を税金で養うのか、、、ということも論議されます。
私としたら、そうした具体的な提起に対しては、
正直、そうだな、、、と思うのです。
が、
が、(やたら多い)
犯罪を身近、自分に引きつけることではなく、
国家という枠組みで市民を縛る。拘束する刑法について論じていかなければ、いずれ私たちに跳ね返ってくると思うのです。
個人の犯罪ではなく国家と言う大きな組織が。
それへの危惧を表明しています、、、
さてさて。
どうなんでしょう????

技術開発者さん。
「死刑というのは或る意味で「矯正」の否定なんです。矯正不可能という判断と最も「辛い」事である「死」を結びつける事で、最大限の抑止力を発揮させようとするのが死刑であるわけです。」

はい。
そうですね。
この矯正。
これがまた実際に判断するのは「人」なんですね。
何をもって矯正とみ、如何に矯正不可能と判断するか???
それは個々の場合によって様々であろうと思います。
私は、
私たち自身(裁判官も含めて)が未だ人を判断できるほど人権意識を獲得してもいなければ、成熟もしていないと思うのです。
そんな私たちが人を裁くことができるのか???
をも含めて、死刑制度には反対しています。

投稿: せとともこ | 2008.12.04 17:13

こんにちは、せとさん。

>私たち自身(裁判官も含めて)が未だ人を判断できるほど人権意識を獲得してもいなければ、成熟もしていないと思うのです。
>そんな私たちが人を裁くことができるのか???
>をも含めて、死刑制度には反対しています。

私は「死刑存続論者」ではあるけど、死刑廃止論が世の中で検討されることそのものは歓迎している訳です。ただ、どうせ議論するなら、今の「報復感情論」みたいな部分をクリアして、おっしゃっているみたいな矯正可能性の判断の難しさとか、抑止力としての効果とかいうことをきちんと考えて欲しいんです。

裁判官の中には、死刑を待つ受刑者をずっと訪問して調査したりした裁判官も居るんですよね。その裁判官の書いた物を見ると、かなりの死刑囚が本当の意味で「悔い改めている」のがわかります。自分が死後の検体登録をして、写経をして過ごしていたりとかね。でもね、同時にその裁判官は「死刑判決だったから、ここまで悔い改めて、人間的になったとも考えられる」なんてね。その裁判官にも「死刑判決でなくとも悔い改める事ができたのか、それとも死刑判決だったから悔い改めることができたのか」とずいぶん悩んだことを書いている訳です。なんていうかな、廊下に足音を聞くたびに「自分の執行かも」と思う生活の中で、自分が「生きたい」と思っている事をきちんと見つめる生活。そして自分が命を奪った相手も「生きたかった」のだという事を見つめる生活が、そういう「悔い改め」を生んでいるとすれば、どう考えれば良いのだろう、なんてね、私にだって答えなんかありゃしませんよ。

実際、人の矯正可能性なんて判断出来ません。でも裁判員になってしまって凶悪事件の裁判に判決しなくては成らない人のために判決文マニアとして言うなら、こういうことなんです。実際の所、死刑判決を考慮し無くてはならない事件というのは凶悪な事件です。凶悪な事件というのは、その犯罪の記録を丹念に読むと「ここで踏みとどまっていてくれれば」という時点が何箇所か必ずあるんですね。そこで踏みとどまれなかった事をどう考えるか?そして今後似たような事を人がやりかけた時に踏みとどまれる様にするために「死刑」と宣告する方が良いかどうか?こういう事を考えながら裁判官はこれまで「極刑を持って望むしかない」と判決してきたのだと思います。判決に示される判決理由というのは、まさに「人である裁判官がこう考える」が結構現れているものなんですね(だから私みたいなマニアが居る)。

死刑廃止論でも存続論でも、多くの人があまり見てくれない部分として、この「なぜ、そこで踏みとどまってくれなかった」という裁判官の無念の思いが書きつづられた判決理由というのがあるんです。普通の人は丹念に読まないけどね、そんな部分はね。

投稿: 技術開発者 | 2008.12.04 18:04

技術開発者さん。
こんにちは。
「死刑廃止論でも存続論でも、多くの人があまり見てくれない部分として、この「なぜ、そこで踏みとどまってくれなかった」という裁判官の無念の思いが書きつづられた判決理由というのがあるんです。」

はい。
そうですね、、、
なぜ、そこで踏みとどまれなかったか???
本当にそうですよね。
ここまで追いつめられ、追いつめたもの。
そもそも人が犯罪に走るかどうかというのは「縁」なんだと思うんです。
誰でも、どこでも、そういう場に遭遇することはあるんでしょうね、、、
何故、この人が。
どうしてここで、、、
と、思えば際限がない。
一つひとつの場が違うんだから。

だからこそ、私は社会の責任として犯罪を個人のものにとどめない事が肝要だと思います。
そうしたとき、死刑という刑罰を加える事が果たして成熟した社会としてあり得る姿だとは思いません、、、
どうでしょう???

投稿: せとともこ | 2008.12.05 16:40

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/15797/43308007

この記事へのトラックバック一覧です: 裁判員制度前に:

« 宇宙基本計画の「基本的な方向性」 | トップページ | ネットってアゴラですね »