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2009.01.08

著作権

読者と書籍購入者と言うタイトルの内田さんのエントリーを読んで考え込みました。
ううううう〜〜〜〜ん(考え込み中)。


内容は著作権に関しての日本文藝家協会の趣旨に「果たしてそうか?」と疑問を呈している内田さんの思いが書かれています。
私も内田さんの「思い」には賛成です。
「思い」と括弧をつけたのは、つまり一人の著作者としての内田さんの書く姿勢に対して是としているからです。
〜〜もの書く人間は「購入者」に用があるのか、「読者」に用があるのか。〜〜
と問いかけ、読まれてこそナンボだと内田さんは言う。
私もそうだと思います。
本を読む手段が立ち読みでも図書館でも借りても良い。
とにかく読んでくれることで作者と読者が共通の世界に入り込み、時には共有、ときには批判しながらも、
読んだ後、何かを(たとえマイナスであっても)得ることができる。
そんな経験の第一歩、そして二歩、三歩、、、、と続くなかでいつのまにか、読者は買う人になり、
何回もその本を読む人になる。
それこそが、書き手の真骨頂ではないかと、内田さんは言う。
私もそう思います。
広く、ひろく、どこまでひろく裾野を開発することが、いずれ大きな山になることは、
読書もそうだし、スポーツもそうだし、芸術もそうだし、、、
あるいは学業や産業もそうだと思います。
「そんな一文にもならない無駄だ」って事は実はないのではと思います。
ちょっと閑話ですが、
私は【300文字小説】が大好きです。
日常のさりげない風景を切り出す中に、作者の豊かな経験や深い思い、鋭い感性が描かれていて、私は毎回ワクワク、ドキドキしながら読んでいます。
この【300文字小説】なんかは絶対、ネット社会の産物であろうと思います。
こうした敷居の低さが「書き手の裾野」を広くしているものだと思うのです。
あああ、私も書いてみようかな?
と、手軽に書くことが出来る。
書くことを志すと、物の見方や捉え方が、以前とは違ってくる。
そして調べる。
調べれば面白くて、もっと世界が広く深まる。
こんな良き循環が用意されているのではと、思うくらい、「書くこと」が手に近くなることは嬉しい限です。


さて閑話休題。
私も以前著作権改定法案の時は、チョットこの法案について記事にしました。
また盗作事件雑感と言うエントリーで画家の盗作疑惑についても書いたことがあります。

さてさて、ここからが内田さんの考えと袂を別つところです。
著作権って、書くこと以外に音楽や映画、絵画や彫刻、また舞踊、、、、などなど芸術全般に関わってくるものです。
そして、著作権に関わるその第一は「新しく生み出す」という事だと思うのです。
今まで世界になかったものを、
生み出す。
それは音楽でも、映画でも、絵画でも、、、、
そして言葉を紡ぐことでも。
とにかく「生み出した」そのことへの敬意と言うか、そのことへの保障はなされるべきではと思うのです。
先の内田さんの言われる協会も、
作品の是非をお金に換算して著作権に「物申し」ている事半分、後の半分は生み出すことへの保障であることは言うまでもないのではと考えます、、、
ところで内田さん>
もし、あなたが大学の職を解かれ、書くことが本職になったとして、先のような気概でもって、著書を書かれるのですか???
内田さんが本職の作家なり著述家になったとき、初めて先の協会に「物申す」ことが出来るのではと思います。
大学教員という身分とお金が保障されている中で、著作の権利を述べても、それは「半分の真実」でしかないと思うのです。

またまた話は変るのですが、研究者にとって論文はまさに著作権です。
お金に即関わりませんが、世界で誰よりも早く、そのことを見つけたか、考えたかは研究者の命です。
そのために日々、血のにじむ思いで研究しているのだから。
作家も、そうだと思います。
芸術家も勿論そうです。
血のにじむ思い、地べたを這いずり回るようにして「産みの苦しみ」にのたうち回っている人々に、
その敬意と保障は然るかたちでなされることが望ましいと、私は思います。


いずれにしても、
著作権。
ネット社会になり、ますます希薄になってくる意識の中で改めて考え見直す問題と思いました。

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コメント

著作権のあり方は、私たちの社会のあり方に大きく関わってくる問題だと思っています。いつもの私の感覚的予測(笑)ですが、「権利」という概念そのものが検討されていくきっかけになろうだろうと感じています。

>その敬意と保障は然るかたちでなされることが望ましいと、私は思います

それは当然のことです。しかし、それにしても著作権は問題が多すぎる。これはTBさせていただいた拙エントリーにも書きましたが、そもそも情報は共有が基本。“読まれてナンボ”ですね。でも、著作権概念は、専有が基礎になっている。矛盾しないはずがないんです。

とくにWeb上では、情報=共有の原理が露わになる。それを支えているのはコピー技術ですが、著作権に従ってコピー技術の使用権を著作者に専有させてしまうと、経済学の基礎である〔需要-供給〕の均衡すら破壊してしまいます。供給側は、需要に応じて無限に情報を供給できますから、モノが有限であることを前提にしている市場原理ですら成り立ちません。

ですから、著作権は主に新自由主義陣営から批判が加えられていますね。行きすぎた権利がかえって、情報の普及を妨げ、それが結局は著作権者の不利益になっているという批判。この批判は内田樹のそれと同じものだと思います。

また、米アップルが有料配信のコピーガードを外すと報道されているように、現実の経済の場面では、著作権の権利は縮小される方向へ進むと思います。

投稿: 愚樵 | 2009.01.09 04:03

ところで、三〇〇字小説。リンク先をたどって見てきました。いいですね。自分にも出来そう、と思ってしまいますね。

志村さんが主催している「ブログ連歌」のような形で出来たら面白いかも、と、ふと思いました。

思っただけ、ですが...。

三連投、申し訳ありませんでした~m(_ _)m

投稿: 愚樵 | 2009.01.09 04:10

こんにちは、せとさん。少し無駄話をしましょう(笑)。

私は7年くらいネットの悪徳商法啓発系掲示板の常連だったんですが、長い間やっていると、書くことも多少は上手くなるものなんですね。なにせ、悪徳商法というのは同じようなパターンで人を騙すので、その被害者の相談も似た様なものになるから、アドバイスは反復練習の積み重ねみたいになって洗練されてくる面があるんですね。いろんなたとえ話で説明したり、法律の詳しいところをできるだけ易しく説明したりもだんだんと上手くはなるのね。

だから、終わりの頃は良く言われたのね「本か何か出したら」なんてね、「掲示板を読む人しか読めないのはもったいないんじゃない」なんて言われてね。でもって、私は「本だって、買った人しか読みませんよ、掲示板の方が本を買うより読みやすいんじゃないですか、幸いこの掲示板は過去ログもしっかり残るタイプだからね」なんて答えていた訳です。「転載したいんだけど良いですか」なんて聞かれたら、「コピーレフトですから、営利目的利用でなきゃどう使っても良いですよ」なんてね言うのね。

なにせ、私ときたら、ネットでの情報発信だって自分のホームページやブログを持たずに、こうやってあちこちのブログや掲示板に投稿だけで情報発信しているモノグサ人間なのね。本なんて出す気になる訳がないでしょ(笑)。それでも、あちこちから「あいつの書く物はそれなりに良い」みたいに言われ、時には「集めています」なんて人まで居てね、こんな雑文集めてどうするのと思うけどね(笑)。そういう意味では、だんだんと「読者に読ませたいだけの書き手」はネット中心に成っていくのかも知れないと思ったりするんですよ。物書きで糧を得たい人は本を出すみたいにね。

著作権の話で面白いことを経験しましたよ。著作物と言っても「編集著作権」だけどね。悪徳商法批判をしていて、公的機関のホームページの事例というのが結構役に立つことに気が付いたのね。「一人暮らしのお婆ちゃんが粗品をくれる健康説明会に呼び込まれて、高級布団を契約しちゃった」なんて相談に、どこかの消費者センターのホームページに載っている「催眠商法」の事例を紹介すると消センに相談に行ってもらいやすくなるなんてね。ただね、消センのホームページの相談事例の中から、ドンピシャのものを探すのが結構大変なのね。

だから、何をしたかというと全国の消センのホームページの相談事例のURLを集めて、商法・商材別分類をして「リンク集」というのを作ったのね。「催眠商法」「布団」の項目を見ると6箇所くらいの消センのホームページの相談に飛べるURLが並んでる様な7やつね。でもって「うちのホームページに載せたい」なんて言う人が居たら「どうぞどうぞ」なんてね。結構、手間はかかったのですよ、なにせ全国の消センのホームページを全部覗いて歩いてURLを拾ったんだからね(笑)。一応、電話帳の著作権なんかで説明される編集著作権というのが私にはあることになるのね。

そうしたらね、数年してから内閣府のホームページに似たようなものができていたの、商法・商材別の分類の先に「何々消費生活センターの相談事例」なんてのがいくつも並んでいるスタイルでね。「ああ、内閣府もやってくれたんだ」なんて思って、中を見ると、私が並べた通りの順番なのね。さらには、実は数カ所間違っているというか、後で「こつちに分類した方が良かったかも」なんて思っていたけど面倒だから放っておいた部分も有ったんだけど、それも私の最初の分類通りなのね。つまり、私のやったのがそのまま内閣府のホームページに使われていた訳。吃驚しましたねぇ。

もちろん、文句なんて言う気はないのね。役に立てば良い話だからね。ただ、私も悪徳商法啓発系サイトの開設者も「悪ふざけ」は好きだから、「内閣府にコンテンツをパクられたぞ」なんて騒いでホームページの玄関口に「政府御用達」なんて文字を入れたりして遊んだのね。

今は内閣府のページもリニューアルされて消えてしまっているけどね。なかなか面白い話でしょ(笑)。

投稿: 技術開発者 | 2009.01.09 08:52

愚樵さん。
技術開発者さん。
こんにちは。
コメントありがとうございます。
アチコチでお二人に関わるのですがo(*^▽^*)o
ここでは著作権についてだけ書きますね。


愚樵さん。
私も内田さんの「言わんとしていること」は分かるのですが、
「行きすぎた権利がかえって、情報の普及を妨げ、それが結局は著作権者の不利益になっているという批判」については、
私はここで言う「著作」って情報ではないと思うのです。
実際,私もネットで検索をかけていろんな情報を引き出し、それはそれは便利に情報を活用しています。
しかし文芸協会や音楽関係者やその他著作に関わる多くの方々は「情報」ではなく「作品」を生み出しているのではないでしょうか?
私がここで言及したのは、そうした創造についての敬意と保障だったのですが、、、
なお、愚樵さんのエントリー、興味深く拝見しました。
もうちょっと考えてみますね。

いずれにしても、此の問題、大きな関わりをもって私たちにのしかかってくるのでしょうね。
今後にも注目です。

技術開発者さん。
なんだか、すごくリアルにわかります。
開発者さんの情報収集力と熱意、それを纏めようとしたなさったことと、使わせていただいた立場。
とくに内閣府の話は笑っちゃいました。

いつも書いていますが、
私は開発者さんから情報や考え方をアドバイスしていただいているのですが、
もっと本質的な「信頼」を頂いているんですよね、、、
開発者さんとは育った環境も今、立っているところも違うのですが、なんと言うか「人間」に対しての捉え方に大きく感じ入る所があるのです。
多分、開発者さんに「本を出せ」と言われた方々もそうしたものを感じたのでしょうね。

愚樵さんにも(多分、愚樵さんはまだお若くハツラツとした木を感じるのですが)
開発者さん(成熟した木)にも刺激される事ばかりです!!!

投稿: せとともこ | 2009.01.09 13:57

こんにちは、せとさん、愚樵さん。

考えを深めるのに参考になるかも知れない事を書きますね。

今もかも知れないけど、10年くらい前から「成果主義」というのがいろいろな会社に入り込んだんですね。それに対して、東大の高橋さんという人が「虚妄の成果主義」なんて本を書いている訳です。高橋さんというのは、「人間の動機付け」ということを研究されている人なんだけどね。高橋さんに言わせると、「金銭による動機付けはインパクトが大きすぎて、動機付けの麻痺を起こす」ので、長期的には金銭による動機付けは、悪い結果を生むというわけです。

実のところ、これは会社による社員の仕事の評価の表し方だけじゃ無くて、社会全体に言えることなのね。評価を金銭に結びつけることで、いろんな動機付けが失われる面があるのね。まあ、じゃあ、優れた作品を作った人に賞賛みたいな評価だけで「飢え死しても放っておく」という訳にはいかないんだけどね。生活の保障と多少の金銭的報酬のアップくらいは用意しないとならない訳です。ただ、作品の評価を一義的に金銭に結びつけるだけで「社会はあなたに報いたよ」みたいな意識の普及は、賞賛みたいな事の次の作品を生み出す動機付けの価値を見えなくする面があるということね。つまりは程度問題なんです。

私の居着いていた悪徳商法啓発系サイトの開設者がね、「電車の中で自分のサイトが話題になっている会話を聞いて興奮した」なんて事をどこかで書いていたと思うんだけどね。その頃は、彼も「匿名の開設者」なのね、今は色々事情があって正体が暴かれてしまったんだけどね。だから、「そのホームページは自分が開いてます」なんて言うこともなく、その電車の会話に聞き耳を立てて、心の中で「話題になっている、なってる」と興奮している訳です。

私も「落首作家の悦び」なんて事を時々は言っていたのね。なんていうか、もともと、政治批判が命に関わる時代に批判を狂歌にして人目にさらすのが落首だからね。でもって、できの良い落首は風呂屋とか床屋で話題になるわけですよ「聞いたかえ、******なんて、上手いこと言うじゃねぇか」なんてね。そうすると、たぶん、風呂桶の隅とかで「作ったのは俺だよ」と心の中で思ってニンマリしていた奴が居たんだろうな、なんてね。私は一応今でも匿名の人だけど、そういう動機付けは充分にあるのね。

投稿: 技術開発者 | 2009.01.09 17:33

著作権・・・う~んわかんないです。
某国みたいに海賊版だらけもこまるけど、がんじがらめで訴訟だらけもねえ・・・。

図書館て著作権の認可料上乗せで、うっかり破損さすと、高額の賠償金とられるそうですよ。市販の新品の数倍もとられるとか。

投稿: あゆ | 2009.01.10 20:14

技術開発者さん。
あゆさん。
こんにちは。
コメントありがとうございます。
連休はお天気はいかがでしょうか???
此方は北風ビュービューです。


さて、技術開発者さん。
とてもわかりやすいお話、ありがとうございます。
「「金銭による動機付けはインパクトが大きすぎて、動機付けの麻痺を起こす」ので、長期的には金銭による動機付けは、悪い結果を生むというわけです。」
と書かれた開発者さん。
確かにそうであるとは思うのですが、
私が今回エントリーで挙げたのは著作権で、それはなにも金銭による動機付けだけが著作のモチベーションではないと思うのですが、、、、
内田さんは、先のエントリーで、まるで著作権を訴えることが、即金銭に結びつき、酷い話、お金さえもらえばトイレの落とし紙にでもなっても文句がないのか、、、とばかりに権利を主張している協会のことを書いていましたが、
私は「それは違う」と考えています。
協会の人たちは金銭は結果であり原因は「自分のものを残したい」と言う動機だと思います。
金銭だけが成果を悪しき方向にやるものではないことは賞をとった人がその後の作品にめぐまれないこともあったりと、様々ではないでしょうか???

私は何回も書いているように協会の人たちが主張している権利は尤もと言う立場です。

あゆさん。
図書館のこと、知りませんでした。
情報、ありがとうございます。
確かに権利ばかりのがんじがらめも大変ですね、、、
この問題、本当に難しいですね。

投稿: せとともこ | 2009.01.11 16:48

技術開発者さんの面白いですねえ。

感心しちゃいました。

引用・転載・コピー・編集・・・よくわかんないです。

ある学者曰く、「自分の解説を部分的削除(編集)されて意図したものと違う意味になってしまった。まるまるコピーして利用してくれたらよかった!」

う~~ん・・・。
あちこちの学者?の発言や文引っ張ってくる時これでいいのか考えちゃいます。

うちの場合
取り上げる時一人の人に焦点あてて当てた人の「オリジナル」の論評から、とんでもないものにならないようにしてる・・・つもり・・

投稿: あゆ | 2009.01.13 10:52

こんにちは、あゆさん。いちおう法学的な考え方ね。

>あちこちの学者?の発言や文引っ張ってくる時これでいいのか考えちゃいます。

引用というのは「原著が明記されていること」と「必要最小限であること」を要素とします。これが守られていると著作権法上の問題は生じない訳ですね。まあ、日常的な話で「誰々の何という本の何頁に」とはできないから、「誰々の何という本に」くらいで済ますしか無いし、本の題名が思い出せないときは「誰々の本にこんな話が有ったと思う」とかあまり断定的にしないようにするしか無いんだけどね。

なんていうか、どこからの引用かを明記するように心がけるというのは、現著者への礼儀であるとともに、我が身を守ることにもつながるのね。例えば、私がせとさんの話の引用をして話を書いたときに、何かミスをして話が逆になっていたとしますね。でもって、あゆさんが、私の話を誰かに伝えるときに「開発者が言うには、せとさんがこう言っていた」とやっていると、誰かが、「おいおい話があべこべだ」と気が付いた時に、私の書いたもの、せとさんが書いたものとたぐっていって「開発者の馬鹿めがあべこべの引用をしたな」とわかるから、せとさんやあゆさんが間違えた訳じゃないとわかる訳ね。その時に、中抜きで「せとさんがこう言っていた」とやっちゃうと、あゆさんがあべこべをやったことにされちゃうでしょ(笑)。

必要最小限というのはね、例えば「私はこれから何々という小説の批評をする」からはじめて、本を一冊分まるまる引用して、最後に「面白かったよ」なんて批評本を原著よりも安く出版されると、その小説を買うより安い批評本を買う方が安く上がることになるからなのね。そういうのは出典が明記してあっても引用とは呼ばない訳ですね。批評するに充分でかつ最小の部分を引用する事ね。

投稿: 技術開発者 | 2009.01.14 12:49

こんにちは、あゆさん、せとさん。もう一つ変なたとえ話をしましょう。

なんていうか、「それは著作権法に違反しているだろ」なんてのを著者では無い人が喚き散らすのを見て作った話なんですけどね。名付けて「老夫婦と梅の枝」なんて話です。

 ある家に、老夫婦が住んでいましてね。その家の庭には隣の家の梅が枝を伸ばして居たんですね。でもって、老夫婦は毎年春になると「また、梅が咲きましたねぇ~」「春になったんだね」とその梅を眺めるのを楽しみにしていたわけです。ところが世の中には野暮な人がいるものでして、隣の家の人に言ったんですね。「庭の持ち主には、その庭の上の空間を自由に使う地上権という権利があるんだ。あなたの家の梅の枝は隣の老夫婦の持っている庭の地上権を侵害しているよ。法律違反はするべきじゃないから切りなさい」なんてね。でもって、隣の家の人も「法律違反か、それは大変だ」とその枝を敷地の境で切り落として仕舞ったわけです。老夫婦は、「春の楽しみが無くなったね」と悲しみましたが、「もともと梅は隣のうちのものだから、切れとも言えないね」と諦めましたとさ。

実のところ「地上権」にしろ「著作権」にしろ民事の権利です。でもって民事には「非当事者不介入の原則」というのがあります。相続などで説明するんですけどね。たとえ民法で「子の均等相続」という規定があっても、相続者が話し合って「長男が全部継げよ」なんて決めたら、他の人が「法律違反だ」なんて言っても意味がないし、モラルとして言うべきでもないのです。当事者間に争いが生じて、それを解決したいときに持ち出すのが民事ルールというものだからです。

なんていうか、老夫婦に「もしあの枝が邪魔なら、あなたには『切ってくれ』という権利がありますよ」とお教えする程度のことは「親切」と言えるでしょうね。でも、老夫婦の意向を無視して「違法だ」とか隣の家の人を非難するのは、言っている人が「民事の非当事者不介入の原則」に反している訳です。

実際に悪徳商法啓発系のサイトではあるんですね。ある良くできた啓発サイトが事情があって閉鎖した時に、別な啓発系サイトがコンテンツが失われるのを惜しんで自分の所に「転載」したわけですね。そうすると「そんな転載は著作権法違反だろ」と著者でも無い人からクレームが付いたなんて話ね。上の話はそう言うときに作ったものなのね。

ただ、著作者と著作権協会の関係というのはもう少し複雑ではあるんです。老夫婦が家のことができなくなって、庭の整備とかも「お任せ」で誰かに頼んでいて、その人が「この枝は邪魔だな」と思って隣の家の人に「切ってくれ」と言ったような話に近いんですね。この場合、「お任せ」の範囲の問題とか依頼者の意向の確認をどの程度すべきかとかの問題になるわけです。

投稿: 技術開発者 | 2009.01.15 16:20

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