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2009.02.13

脳は「他人の不幸喜ぶ」「ねたむ」

「他人の不幸喜ぶ」「ねたむ」脳の場所特定 放射線医研と言うニュースが出て、読みました。
面白い実験ですね。
「人をねたむ感情と人の不幸を喜ぶ感情をつかさどる脳の場所がそれぞれ特定」されたそうです。
まぁ、特定場所はともかく実験方法が面白い。
報道によれば、
「物語には、被験者に加え、ABCという3人の学生が登場する。被験者と同性のAは、進路や人生の目標がほぼ一緒のライバルだが、成績優秀で裕福、異性にもてる。Bは異性で優秀だが、進路や目標は重なっていない。Cは異性で普通の成績で進路は関係ないという設定だ。」
と言うこと。
そして、そのシナリオを読んで感情移入した被験者がどのように反応したかで、
先の実験結果となるのだそうです。


フゥ====ム。

「幸福であるだけでは十分ではない。 他人が不幸でなければならない。」
「人は自分が幸福であるだけでは満足しない。 他人が不幸でなければ気がすまないのだ」
「幸福――他人の不幸を眺める事から生ずる快適な感覚。」
とかとか、、、
昔から他人の不幸は蜜の味と言う感覚はあったのでしょう。
その感覚を司る部位が特定できたというのが今回の実験です。

さて、それならば、小説やマンガ、映画やテレビのシナリオをつくる時は、こうした「脳」を喜ばせるようなものを作ればいいのだろうか???
フムフムと納得。
実は私、
これぞ少女マンガっていうのが大好きです。
少女マンガの王道。
健気でかわいくて、優しい主人公に、
もうイケメンの王子様。
そして意地悪な仲間達。
苛められて、いじめられても負けない主人公。
そして最後は大団円。
これぞ、王道。

と、いうことで今は「メイちゃんの執事」にはまっています。
ハハハ。

ところで、
ところで、
茂木さんはこの研究、どのように評価なさるか楽しみですね。

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コメント

(o^-^o) 私もこの記事を読みましたが、科学の世界はいろんな現象を解明していくのですね。
 「漫画」ですかあ。小学生の頃友達に見せてもらったのが、今考えて見ると手塚治虫さんの宇宙ものでした。彼は1930年代からロケットで宇宙へ行き、月や惑星への憧れを描いていたのですね。
 私は今では新聞の四こま漫画を見るだけとなってしまいました。ふ~む。

投稿: hitoriyogari | 2009.02.13 17:39

こんにちは、せとさん。ここのところ少しばかり忙しくて、なかなかコメントできなくてすみません。

>昔から他人の不幸は蜜の味と言う感覚はあったのでしょう。
>その感覚を司る部位が特定できたというのが今回の実験です。

なんていうか、脳のどこで感じているかは分からなくても、人の心の中に人をねたむ心、人の不幸に快を感じてしまう心があるというのは、昔から分かっていた事ではあるんです。そして、その心が大きな不幸を招かない様にしようとしてきた文化というのもまた目を向けて欲しいんですね。

私は「人間の基本仕様」と「取り扱いマニアルとしての文化」なんて変な話をするんですね。例として「自動車の制動距離」と「見通しの悪いところでは速度を落とす」という運転マニアルを説明したりするわけです。自動車に速度に応じた制動距離があるのは基本的仕様です。変えようったって簡単に変えることはできない訳ですね。でも人間は「じゃあ飛び出して来た子供を跳ねても仕方ないね」と諦めたりしない訳です。「見通しの悪いところでは速度を落として運転する」という運転作法を作り上げることで、どうにも変えようがない基本仕様が良くないことを引き起こすのをできるだけ遠ざけようとしてきた訳です。

なんていうか、人間の歴史の中の様々な文化の中に「ねたみ、そねみに心をゆだねる事を避けようとする社会規範(道徳)」は様々に見受けることができる訳です。

先週、私が忙しかった中には労働組合の関係の仕事もあるんですが、労働組合とかをやっていると良く感じるんですよ、「引きずり下げ」なんて呼んでいますけど、きちんと機能する労組があって、私みたいなのががんばって労働条件を守っている職場を、労組も作らず誰からも労働法も教えられることのない人が「あそこは恵まれているよね」と、あたかも世間の常識以上の無茶をしているかのように言われてしまったりするんです。がんばっているといってもこのご時世ですから、労働関連の法律が守られるギリギリのところで踏ん張っているに過ぎないんですけどね。

投稿: 技術開発者 | 2009.02.16 18:10

hitoriyogari さん。
技術開発者さん。
こんにちは。
コメントありがとうございます。

hitoriyogari さん。
私も手塚治虫さん、大好きです!!!
初期の作品もいいですが、晩年の作品もいいですね〜〜〜
実はマンガ、今でも良く読みます。
ハハハ(^-^;
新聞の四コママンガも風刺が利いていて面白いですね。
時々悩むときもありますが、、、

そうそう、
今、山田太一さんのドラマ「ありふれた奇跡」を放送していますが、奥様はご覧になっていらっしゃるかなぁ???と思いながら私は観ているんですよ。


技術開発者さん。
お久しぶりです。
お忙しい時期だから、お時間がないのだろうとは思いつつも、なんとなく淋しく思っていました。
コメントを頂けてとても嬉しく思います。
「なんていうか、人間の歴史の中の様々な文化の中に「ねたみ、そねみに心をゆだねる事を避けようとする社会規範(道徳)」は様々に見受けることができる訳です。」

はい。
本当に言われる通りだと思います。
理性という表現がいいのかどうかは分かりませんが、人はその歴史の中で、獲得していった知恵なのでしょうね。
人が幸せになることが結局は自分のためになる、という「情けはひとのためならず」と言うことを、経験で知り得たのでしょうか。

開発者さんが、多くの方に慕われ信頼され尊敬されている由縁。
私にはとてもよく分かります(*^-^)

投稿: せとともこ | 2009.02.17 11:28

こんにちは、せとさん。もう少し「人間の文化」というものについて説明させてください。

>理性という表現がいいのかどうかは分かりませんが、人はその歴史の中で、獲得していった知恵なのでしょうね。

そう、人はその歴史の中で、自らの心の中に「ねたみ易い心」があり「人の不幸に快を感じる心」があることに気が付いたわけです。そして、それに心をゆだねることが良くない結果を招くことも何度も経験してきたのだろうと思います。ただ、文化というのはその心を「押さえ込む」という形では発達しなかったのです。理由は簡単で、基本仕様がそうなっているものを単に押さえ込み発露しないようにするなんてできないからです。では、どうしたのかというと、「逃がし」「いなし」してきたのだと思うわけです。そういう心が発露するのは避け得ない訳だから、それが大きな不幸につながらない方向に発露される様にし向ける訳です。

そういう文化の一つが「勧善懲悪」型の物語なんかですね。悪人がその悪により良い思いをする場面の話では、聞く人は「怒り」を覚えるけど、その怒りの中には「良い思いをしやがって」みたいな「ねたみ心」の部分は含まれる訳です。そして、悪人が懲らしめられる場面の話では、聞く人は「爽快感」を覚えるけど、その爽快感の中に「人の不幸に快を感じる心」も常に幾分含まれているわけですね。こうやって、人間の文化はどうにも変えることのできない「ねたみ心」「人の不幸に快を感じる心」などを、「悪は良くない」「悪は罰せられる」などの倫理観の中に埋め込んでしまうことで、そのままの形で暴走しないようにしてきた訳です。

実のところ、人間の作り上げた文化にはこういう感じで人間の基本仕様がもつマイナスの面を「そのままの形で発露しない様に逃がす、できるなら良い方向に利用するように逃がす」という事で成り立っているのですが、その逃がし方が全く問題が無いというものでは無いのです。どちらかというと「暴走の危険性はあるけど、そのまま暴走させるよりもこの道を走り抜けさせた方がましだ」にすぎないのです。

「地獄への道は善意により舗装されている」という言葉がありますが、人は「これは善だ」と確信した時におそろしく残酷になり得ます。実のところ、「善は勧められ、悪は懲らしめられる」という事の中に、「ねたみ心」やら「人の不幸に快を感じる心」などの逃がし場所を求めた事が大きく関係します。

以前、中国の文化大革命で儒教的知識人を中心に7000万人もの人が迫害されたという話をした事があったと思います。彼らは文盲率の高い中国の田舎で儒教的秩序とモラルではありますが秩序とモラルが保たれることで周りの人が幸福であることを願っていた人たちです。当然、わすかの権威ではあるけど権威も持っていました。生活もそれなりに豊かではあったのです。「儒教的知識人は悪だ」という決めつけが力を持ったとき、多くの人が迫害に加わった訳です。

投稿: 技術開発者 | 2009.02.18 08:29

技術開発者 さん。
頂いたコメント、とてもよく分かります。
なんというか壮大な歴史の一幕を見いているようにさえ思いました、、、

いつも言われる「人間の基本仕様」。
なんというか、
いじらしくさえなります。

2メートルに満たない小さなちいさな人間たちが、
いっぱい集まって自然に挑み、自然を利用しようとし、知恵を絞り体力を使い、
そして、そんな集まりの中で、いつのまにか小さなちいさな仕来りができて、、、
そして、
本当は生き凌ぐはずのルールが、他を排除するものになったり、、、
或いはもう一回、知恵を出したり、、、
と、
グルグル周りながら、成長していく様を見させていただいたようです、、、
「個体発生は系統発生を繰り返す」と言いますが、
人類の歴史と個人の成長も、ちょっと似ていますね。

さて、先の研究に戻るなら、
私はあの研究は結局「あたりまえ」のことを調べただけなのかと思います。
嫉妬や妬みの感情を司る部位はここですよ、
と、いうことだったのでしょうね、、、
むしろ、試されるのは、それをどう活かすかなのでしょうね、、、
今後に注目です。

投稿: せとともこ | 2009.02.18 11:09

こんにちは、せとさん。

>なんというか、
>いじらしくさえなります。

そうですね。私も上のような文化論を考えるたびに「いじらしい」とか「愛おしい」と感じます。素晴らしい条件を与えられたから素晴らしい文化ができる訳ではないんです。限られた、時にはマイナスにしか見えない様な条件さえ必死になって使いこなして生き延びていくそのプロセスこそが素晴らしいのだと思うんです。

私は良く「棚田」の話をするんです。できあがった「棚田」は確かに素晴らしい景色です。でもできあがった景色が素晴らしい以上に、あの傾斜地に石垣を積み一枚一枚あの田んぼを作り上げた事が素晴らしいと思って欲しいんです。大きな川の側の平坦な土地を与えられたら、あの棚田全部の面積よりも大きな田んぼをもっと簡単につくることができるんです。傾斜地しか目の前に無かった農民が「この田んぼをつくることで、もう一人子供が育てられる」「この田んぼをつくることで次男に分家させてやれる」と石を積み土地をならして田んぼにしてきたんです。そのプロセスを思うとき、「人間って素晴らしい」とも思い、同時に「いじらしく」そして「愛おしい」のですよ。

>嫉妬や妬みの感情を司る部位はここですよ、
>と、いうことだったのでしょうね、、、

そうですね、あまり文化論に走ってもいけないから、そっち方面の話を書きますね。私は脳科学や精神医学はきちんと発達して欲しいし、その成果を社会が正しく使って欲しいと思っています。

誰だったか忘れましたが脳腫瘍を患ったお母さんの介護をされた芸能人の方が話されていました。優しかったお母さんが「人が変わった」様になり、疑い深く意地悪に成ったとき、傷つき憎む所まで行ったけど、「脳の病気です」という診断を受けた途端に、「ああ、そうだったんだ」とそれまで憎しみさえ感じていたのが消え、その後も死ぬまで介護できたなんて話です。お母さんの病状が変わったわけではないんですよね。「病気である。性格の変化もそのせいである」という診断を聞くことで娘さんの受け取り方が変わったわけです。

もちろん、脳科学や精神医学の成果が、病気を治す方向に行くのが一番良いんだけど、たとえ治せなくても「これは脳のこの部分が障害された結果ですよ」といった事が明らかに示せるだけでも「憎しみ」を「愛」に変えることもできるのかも知れないと思ったりするんです。

投稿: 技術開発者 | 2009.02.18 16:48

技術開発者 さん。
おはようございます、、、、、

今日頂いたコメントの後半。
本当に辛いですね、、、
誰でもが起こりうること、遭遇することなんでしょうね、、、
私もこれからは自分の体もそうだし、
親の介護もあるだろうし、
そうした現実に向き合い、如何にあるか、、、
と、考えさせられます。

多分、そう言う意味で先の実験研究も成果を挙げて欲しいですよねぇ、、、

投稿: せとともこ | 2009.02.19 11:04

瀬戸さん、技術開発者さん こんにちは
技術開発者さんのたとえ話にはいつもうならされています。
直接言い及ぶことのできないものを様々な「~のようなもの」として表現して伝えてくださる。
もちろん一つ一つのお話はたとえ話としての具体例なので「突っ込み所」はあるのだとは思うのですが、読めば読むほどに全体に行き渡る芯のようなものが明らかになってくる。そんな気にさせられます。


私も、母の介護を通して「憎しみ」から「愛」(というよりも「いらだち」から「平穏」)を実感とともに経験したのでその芸能人の方の気持ちが手に取るように分かります。
私の場合は医者から「脳梗塞で脳細胞がダメージを受け脳の収縮によって認知症のような症状が現れる」といったような説明を受けたような覚えがあります。
そして、その芸能人の方のように苛立ちを覚えるたびにそのことを自分に言い聞かせていたように思います。
と同時にその経験から思うのは(ちょっと本題から外れるかもしれませんが)
「憎しみ」というものも当人への「思い入れ」(愛というとこっぱずかしいので)があるからこそ増幅されるのであって、たとえ「憎しみ」のように現れていてもそれもまた「思い入れ」の変形でしかないのだろうとも思います。
この理由のわからない「感情」がもとからあり、その「感情」の表現の仕方が「しくみを知ること」を契機として変わったのではないかなと、いま振り返るとそう思います。
その「思い入れ」というものは本質的には一貫して変わっていない(つまり前提のようなもの)のではなかろうかと。

投稿: NairFess | 2009.02.19 16:19

こんにちは、NairFessさん。

私はもともと悪徳商法批判者でしてね。悪徳商法の中には被害者が「人が変わったようになる」というのもあるんですね。マルチ商法とか自己啓発セミナーとかにね。商業カルト系なんて呼んでいましたけど、いわゆるマインドコントロール状態でして、カルト宗教にのめり込んだのと同じように、「人が変わった様になる」例が結構あるのです。

>この理由のわからない「感情」がもとからあり、その「感情」の表現の仕方が「しくみを知ること」を契機として変わったのではないかなと、いま振り返るとそう思います。

私がやっていたのは、その「人が変わったように成った」人のご家族とかへのマインドコントロール状態の説明ね。私はカウンセラーですらないから、ご本人をどうこうすることはできないけど、その説明をきちんとすることで、ぶつかって傷つき嘆かれている家族の方を少しでも癒せたらという思いがあったのね。なんていうか、おっしゃっている通りなんですよ。誰かが「人が変わったように」なったって、普通のご友人なら「あいつおかしくなりやがった」で一度か二度衝突して「絶交だ!」とかで済むのね。でも、ご家族はそうはいかない、いろんな思いがそれまでに築かれているからね。何度も何度もぶつかっては傷つき、嘆かれ、それでもなんとかしたいなんて、ボロボロの状態で掲示板とかで相談されるわけです。放ってはおけなかったのですよ。必死になってマインドコントロールの勉強をして「こういう状態なんですよ」なんて説明することでお役にたてればと思っていたのね。愛があるから苦しまれていると言う点は同じなんですよ。

投稿: 技術開発者 | 2009.02.19 18:13

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