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2009.03.09

企業献金の是非

ますます混迷、西松献金問題。
『自民に捜査及ばない』発言 漆間氏を厳重注意 官房長官公表なんて報道が出てきたり、、、
もうワヤクチャ。
特捜、二階氏側も聴取へ 「西松資金」の認識が焦点なんてニュースと共に、いまや西松問題が「政治の花」ですぅ。
ふっ〜〜〜〜
困ったものだ。

小沢さんは小沢さんで、調べれば調べるほど黒に近くなってくるし、
それは、モチロン、二階さんとて同じなのだろうが、、、


こうしてなんのかんの、みていくと、結局、企業献金の在り方見直しへと私は行き着くのだが、、、
3月6日時点では麻生さんは、
「問題ない」 二階派パーティー券購入と言うことで、企業献金に対しても「悪」とは考えていないと参院予算委員会では述べたそうですが、
こうしてゾロゾロと怪しいものが出てきた今でもそう思っていらっしゃるのかな???
麻生さん>


企業献金ねぇ、、、
そもそも、これって献金なんてつつましく、ヒッソリとした言葉を使うことさえ訝しく思うのだが。
献金。
献げるってこと、見返りは求めないということ。なのだが、、、

企業は献金するとき、なんの見返りももとめず営利に効果がなくてもするのだろうか???
もらう方は、何も便宜をはからなくて「もらいっぱなし」という感覚で受け取るのだろうか???

フゥム。
どっちの立場にもなったことがないので分からないが、、、

先の西松問題、ゾクゾクと明らかになるが、、、と言うエントリーに、技術開発者さんから、実に示唆に富むコメントを頂きましたので、ここにも掲載させていただきます。全文が鋭い指摘に満ちているので全文ママです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
なんていうかな、皆さんが西松建設が迂回献金をするために行った方法について、皆さんが「違和感」をお持ちで無いということに、この国の病巣の深さがあると思うんですね。

どういう方向かというと、まず政治団体を作った訳ですね。そして西松建設の社員がその政治団体に寄付した形をとることで政治団体に金を集めてその金を政治家の後援組織に寄付した訳です。そして社員が寄付した金はボーナスに上乗せする形で西松建設から社員に支払われています。少し考えて見て欲しいんです。ここにおいて、社員というのは「政治的な意志を持たない、なんであれ、会社の言うとおりになる存在」として扱われているということなんです。そして、今の日本では「社員」というのは、そういう者であることに、皆さんもマスコミも何一つ違和感は無いのだろうと思うんですね。社員たるものは「国の行く末」など考える必要のない奴隷階級であって、「後から補填するから、金をこの団体に寄付しろ」と言われれば、なんの反発もすることなくお金を納め、後からボーナスで補填されることを待つ存在として描かれ、そして、国民の皆さんも「自分も社員として、そういう奴隷だから、なんの違和感も無い」訳です。
政治と金の問題を考えるときに、皆さん自身がもはや、「政治的意図は持つことのない存在」となっており、またそう見なされているとことを、皆さんご自身が理解する事が大事じゃないでしょうか?
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

フムム。
ため息。
なんだか冴えない気持になるくらい私たちって「自分も社員として、そういう奴隷だから、なんの違和感も無い」ことに無感覚になっている、ならされているということか、、、、

フゥ。

ふぅ〜〜〜〜〜

いやぁ、
そうだからこそ。

誰がどうした、誰がどれくらいもらった、、、とかとかの一つひとつをみていくことも勿論大切です。
が、
本質は企業献金そのものでは、と私は思います。

今後の成り行きをみていくこととともに、
抜本的な改正を強く求めるものです。

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コメント

こんにちは、せとさん。

>本質は企業献金そのものでは、と私は思います。

なんだか混乱させてしまったみたいで申し訳ないのだけどね。私は、現実がどうなっていようと、とりあえず「原理原則」に立ち戻って考える癖があるんですよ(笑)。原理原則に立ち戻らないで、目の前の事象への対応だけ考えていると、大きな間違いをしそうなんですね。

まず、本来の政治家が政治に参画するために掛かる費用というのは「その政治家に活躍して欲しい者が負担する」なんです。オバマさんに大統領になって欲しい国民が5ドル10ドルを振り込むことで何億円にもなるみたいにね。「そんなもの絵空事だ」と言われるかも知れないけど、昭和の30年代には実際に或る程度は動いていたのね。今よりずいぶんと貧しい労働者でも労組を結成し、そして労組は「労働者代表になり得る政治家」をその組合費の中から献金する事で支援して国会に送り込んだりとかね。まあ、こういう流れは早い時期で途切れていったけど、中小企業が労使一体になって「中小企業の事を代言してくれる政治家」を支援するなんてのは、昭和の50年代の初めくらいまではあつたと思うのね。今は、労組も中小企業も「そんな余裕はないよ」と言うけどね。私の労組だって今は特定の政党や政治家の応援はとてもできない状況です。お金も無いけど「そんなことをやるなら俺は労組を辞める」という人が沢山居るからね。その人が自分の求める政治のために別な政党や政治家に個人献金したという話もないけどね(笑)。

でもね、本来はこれが基本なのね。1万人の労働者が1万円ずつ負担すれば1億円の政治活動費ができる訳です。なんていうか、原理原則としては「国民の政治参加は身銭を切るもの」なんです。一票を行使することも大事だけど、自分の一票を託したい政治家を自分たちの手で作り上げるために「身銭を切る」覚悟が必要なものなんですね。

なんていうか、いつのまにか、「政治に身銭を切るなんで馬鹿のやることだ」というのが、国民のうちの貧しい層の常識になっているよね。でもって、「一票は行使したいけど、どこにも自分たちの事を考えてくれる候補者はいないから棄権する」とか「面白い政治劇場を見せてくれる人に投票する」が当たり前になっているよね。それじゃあ、自分たちの代言人が国会に居ないのも当然なんです。でもって、国民のうちの富裕層は、「自分たちの代言人」をどんどん送り込むよね。本来は、会社の金はその富裕層のものでは無いので、「そんな献金に使う金があるなら、自分たちの給料に回せ」なんて話が労使交渉で出なくては成らないのだけど、「会社が儲かったなら、給料も良くなるだろう」と誰も反対しないのが普通になっているよね。

なんていうかな、政治資金規正法という法律が、どうにも「原理原則と当てはまらない法律なんですね。その違反問題を考えても、なんとも話がなりたたない面があるんですよ。

投稿: 技術開発者 | 2009.03.09 14:12

企業献金自体は法律上問題ないとしか現在は言えません。

 何でそうなるかと言えば・・・企業は憲法上できる限り「人」として扱わなければならないという見解が最高裁判例で現在まで変更されていないからです。

 上のように考えると、企業にも「憲法で保障された人権の一つ」である政治活動の自由が認められるし、その一環として企業が政治団体に寄付等行うことも認められると考えられています。

 また、企業の政治活動の自由と個人のそれとの関係は、企業が個人に特定政党への投票を強制するような場合を除き、相互に無関係と解されています。個人は自ら自由に政治活動や投票を行うことができますし、企業の政治献金に特有の不正は政治資金規正法によって取り締まられます。(この部分はあくまで最高裁の主張する根拠です。実態が・・・といった批判はまた別の問題です)

 ですから、現在のところ企業の政治献金の性質は「大家が自分の支払った家賃を大家の支持政党に献金している、しかもその政党は大家が入れ込んでる占い師の支持政党。これっておかしくない?」としか言わざるを得ないです。

 「占い師がどうとか言っても結局大家が自分の収入でやってるので他人には止める方法が基本ないです。気になるなら家を出るか自分の支持政党に身銭を切って対抗してください」が私としての回答ですね・・・

投稿: まれに見てる人 | 2009.03.10 04:50

せとさん、おはようございます。

私は企業献金は、褒められたものでないと思うけど、それを悪としてしまうのはどうかと思っています。淘汰さされていくべきだとは思いますけど、法で規制するのはどうか。

企業献金は、広告のビジネスモデルと同じだと思うのですよね。消費者から企業が広く集めた資金を、自社の有利になるように使う。そして、メディアも政治業界も、そのモデルに頼り切ってしまっている。この構造が本質であって、企業献金はその本質の一部分でしかないのではないでしょうか?

例えば、新聞業界。もし、広告モデルを強制的に廃止したとすれば、生き残れるのは聖教新聞と赤旗くらじゃないですか? いろいろと批判の多い新聞各紙ですが、でも、この2社だけという状況は恐ろしくありませんか? 

政治業界も広告モデルを廃止したら、おそらく新聞業界と酷似した状況になると思います。私はそうなるくらいだったら、まだ広告モデルを存続させる方がマシだと思う。広告モデルを廃止するなら、それに変わりうるモデルが必要だと考えます。

投稿: 愚樵 | 2009.03.10 05:23

こんにちは、皆さん。

>企業は憲法上できる限り「人」として扱わなければならないという見解が最高裁判例で現在まで変更されていないからです。

八幡製鉄所政治献金事件(1970年)ですね。少し言葉を補足すると、「法人の設置目的に含まれる限りの活動において」とでも入れておいた方が良いですね。その後に行われた、南九州税理士会事件(1996年)などでの政治献金がらみの判決では、「法人の設立目的を逸脱している」ということで、献金目的の特別会費を払わなかった会員への不利益待遇を違法としていますよね。

自然人と法人の一番の違いというのは、自然人には生存する理由というものは必要とされないのに対し、法によって人格を付与される法人という人格については「設立の目的」というのがつきまとうということです。多くの人が営利企業の目的について「儲ける」のみを見てしまうのですが、必ず事業内容というのを明示し、その事業内容において社会に何らかの貢献をすることを謳っているものであるわけです。例えば土木・建築を事業として法人を設立するなら「土木・建築事業の社会への提供」という提供内容を明示することで法は「法人格を与える」とする訳です。問題は、政治活動を行うことで、例えば社会における土木・建築工事が盛んになる情勢を作ろうとすることが、法人の設立目的である「土木・建築事業の社会への提供」に含まれるかどうかの議論であり、1970の社会状況では最高裁は「含まれる」と判断した訳です(その当時でも法学界を2分するくらいの議論があつたようです。さらに言うと、この裁判が政治献金を主導した会社の幹部の忠実義務違反を問う形の裁判であつたことも影響していると思います)。

問題は、現代における法人が政治献金に関して同じように「設立目的の範囲内」という判決が貰えるかどうかなのですが、ずいぶんと、状況は違ってきている感じを受けます。一つは、他の先進国で「個人献金を主体とする」という流れが起こってきているなかで、日本だけが、個人献金が衰退して、営利法人による政治献金が幅を利かせている状況にあるということですね。

もう一つは、経済全体が成長している過程では国民間の相互利害がどちらかというと成長の中で埋もれていたものが、経済成長の鈍化により、国民間の相互利害がより鮮明になってきているという事があります。成長期だと、ある土建企業が「土木・建築が盛んになる政治勢力」に資金応援をして状況を現出させた場合に、土木・建築全体のパイが広がり、献金していない企業、およびその社員や株主まで利益が生じることで利害対立が見えなくなるわけです。ところが、成長が鈍化し、パイの広がりがそれほど大きくないと、企業間でパイの奪い合いが起こるわけです。献金した企業は「パイの増加」ではなく「パイのうち自分に有利な部分の増加」が現出する政治情勢の出現を目指して献金をする傾向が強まります(例えばダム工事の受注を得意とする企業がダムをつくる公約を上げる政治勢力に献金するなど)。そうなると、企業の設置目的としての社会貢献と、その献金によってもたらされる状況に不一致が生じやすくなり、「設置目的に反する」といった判決も出やすい状況が予想されるわけです。

投稿: 技術開発者 | 2009.03.10 10:28

技術開発者さん。
まれに見てる人さん。
愚樵さん。
こんにちは。
コメントありがとうございました。
何回も読ませていただきました。
一つひとつが示唆に富み、私は考え込んでしまいました。

フゥ===ム。
と、いうことで、まずは
技術開発者さん。
いつも丁寧に教えていただきありがとうございます。
初めのコメントでいただいた「そもそもの原理原則」は了解です。
「政治資金規正法という法律が、どうにも「原理原則と当てはまらない法律なんですね。その違反問題を考えても、なんとも話がなりたたない面があるんですよ。」と言われる開発者さん。

私も全く賛成。
と、言うことで今日のエントリーは「企業献金の歴史」から繙いてみました。
調べればしらべるほど、そこに横たわると言うか潜む物は、国民の権利、参政権とかあるいは公正に政治を行う議会制民主主義とか、あるべき姿が形骸化していく様子をみていきました、、、

ふっ〜〜〜〜とため息ばかりです。


まれに見てる人さん。
初めまして。
頂いたコメント、何回も読ませていただきました。
さて、まれに見てる人さんにとって、回答となさる「「占い師がどうとか言っても結局大家が自分の収入でやってるので他人には止める方法が基本ないです。気になるなら家を出るか自分の支持政党に身銭を切って対抗してください」ですが、
こうした先に、何が待っているのか?
今、生きている私たちが、未来にどのような形で責任をとることができると思われますか???

私はこの譬えの中で、大家さんと占い師の関係が、無関係な店子に波及することへの危惧を表明することは、店子の権利ではないかと、、、考えるのですが如何でしょうか???
またご意見お聞かせくださいね。
楽しみにしています。

愚樵さん。
「企業献金は、広告のビジネスモデルと同じだと思うのですよね。消費者から企業が広く集めた資金を、自社の有利になるように使う。そして、メディアも政治業界も、そのモデルに頼り切ってしまっている。この構造が本質であって、企業献金はその本質の一部分でしかないのではないでしょうか?」

ウウウウウ〜〜〜〜ム。
まさにこれが企業献金の構図です。
消費者というより株主といったほうがいいかもしれません。
企業は株主から集めたお金を、企業の利益(ゆくゆくは株主の利益)のために運用するわけですが、
その一つに企業献金があると思います。
鳴んの利益も生み出さない、見返りはない、ところに大事なお金を運用して株主は黙っているのでしょうか???
そうではないと思うのですが、、、
企業とは見返りのあるところに資金を運用すると思います。
つまり、今のところ、企業献金と見返りは一体だと思うのです。
また政党も企業からお金を握られることで政治の方向も握られることになると思います。
実際、今日挙げたエントリーでは企業献金の歴史の中で、その法律が作られてきた背景に経済界がチラリホラリと見え隠れしました、、、


個人的には、
そもそもの法律から見直す時期ではと考えます。


投稿: せとともこ | 2009.03.10 14:29

企業献金が悪だと思うなら、法で規制するしか現実的な規制の方法はないでしょう。善だと思うなら別ですが・・・

そもそも、団体献金も含め、金で政策・政治を買うという構図が、国民主権の議会制民主主義として健全なのか?
という問題だと思います。

企業には参政権はありません。日本国憲法が守っているのは、基本的に個々の国民の権利であり、国民のみに参政権がある。この多様な国民の意見が、その代表者である議員や政党の政策としてなるだけ鏡の様に政治に反映されることが、この制度のそもそものあるべき姿なんだろうと思います。

そうしたあるべき姿を、企業・団体献金は歪めることになりませんか?と問うてみます。

投稿: Looper | 2009.03.10 17:35

せとさん、おはようございます。

私は企業献金は、規制するのではなくて、むしろ全面的に解禁した方がいいと思ってます。悪は規制するより、明白にせよ。そう思っているんです。

個人的な話をしますと、私は衆院では和歌山三区になります。話題の二階氏の選挙区ですね。この人、都市部あたりでは田中金権政治の後継者ということで評判は良くないのでしょうが、地元にすれば待望の人なわけ。待ち望んで、やっと現れた期待の星。そうした側面もあるのです。

地元では、氏が、利権を私していることは周知の事実。でも、そのことで見返りもある。企業と結びついているということは、もとからそうした企業との関わりが薄い地域にしてみれば、心強いということにもなります。

これを地域エゴという言葉で片付けるのは簡単でしょうが、では、地域に他に選択肢があったのかというと、これはなかったわけです。それが現実だったし、その現実は今もさして変らない。ただ時代は推移して、企業献金は悪とみなされるようになった。かつて右肩上がりの成長を誇った時代には、企業献金を含む構図を日本国民全体で共有していたところはあったはずなのですが、そのときに取り残され、そして今も取り残される。そうした者たちにしてみれば、地域エゴを剥き出しにするくらいしか、現状では方法がないと言えなくもないのです。

私も企業献金は悪だという意見に与するものです。ですが、それは絶対的な意見ではなくて、せいぜい多数意見でしかない。民主主義においては、最終的に全体の意志を決定するのは多数意見でしょうが、そのことは少数意見を無視していいというものではない。少数意見の封殺は、民主主義そのものを脅かします。

企業献金の法規制は、私はその封殺に当たると考えます。封殺してはならないのは言論の自由ばかりではない。それぞれの思想・価値観に基づく行動も封殺してはいけません。私たちは国歌・国旗に関する問題ではそのように主張しているはずです。

一番の問題は、選択肢がないことです。形式的には誰でも立候補して誰にでも自由に投票できますが、現実問題としては選択肢は限られている。この現実の選択肢が限られているという構造は、非正規労働者の問題とも似通っています。非正規労働を禁止せよという主張もありますが、その通りの主張が通ると出現する現象は、さらなる失業者の増加。これは、新たな現実的選択肢を与えずして、たとえ苦渋のものであっても、現実的な選択肢を奪うことによって出現する。同じことは、政治の世界にも起こると思います。

ですので私は企業献金を全面的に解禁して、有権者、政治家には企業献金以外の現実に選択可能な選択肢を与えるべきだと考えます。

投稿: 愚樵 | 2009.03.11 05:53

愚樵さん。
こんばんは。
コメントありがとうございます。
このところ、アレヤこれやと、慌ただしくしています。

愚樵さんも、いろんなところでご活躍。
ユニークなご意見、拝見していますよ♪
また、ニセ科学のエントリーは興味深く、また楽しみでもあります。


さてさてさて、、、
「私は企業献金を全面的に解禁して、有権者、政治家には企業献金以外の現実に選択可能な選択肢を与えるべきだと考えます。」と言われる愚樵さん。

意見の分かれるところですね、、、

フゥ〜〜〜ム。

次の記事、「企業献金の歴史」の方にも
蘊蓄深いコメントを頂いています。
私もこの問題、さらに調べ、考えて意見表明をと、思っています。
ちょっと考えてみますね。
お時間を下さい。

では、、、またね!!!

投稿: せとともこ | 2009.03.11 19:50

こんにちは、せとさん、愚樵さん。

理解して欲しいのは、現在の状況が過去の「稚拙な社会主義政策」から生じているということなんです。ざっと説明しますね。

1950年代半ばから1970年代にかけて、日本は高度成長した訳ですが、高度成長は必然的に格差をもたらします。日本の場合は、まず農村部と都市部の格差であり、第一次産業と第二次、第三次産業の格差でした。その次には第二次産業内の格差も生じました。政治としてはこの格差を何らかの形で是正しなくてはなりません。そのために行われたのが、食管法の堅持政策であり、国鉄による地方路線の整備であり、地方への公共投資であるわけです。ただ、問題はこれらの政策が全て「殖産興業」政策の建前で行われた事にあります。おおざっぱすぎる分類を承知で分けるなら、国の施策というのは「殖産興業施策」と「社会保障施策」に分けられ、それぞれ「効率」の意味が違うわけです。「殖産興業施策」は或る意味で投資であり回収がともないます。つまりある施策に支出された費用がその地域や業界の発展を促す事で経済活動が活発化し税収が上がる訳です。この投資-回収効率の良い施策が「効率の良い施策」となります。一方、「社会保障施策」というのは回収は期待出来ません。どれほど貧富格差の是正がうまく行くか、それがどれだけ長期的に働くかが効率であり、その結果として得られるのは税収ではなく「社会の安定」です。

本来、社会保障施策としてなすべき格差是正を殖産興業施策としてなせば、「効率」概念のギャップに直面します。例えば公共投資で鉄道を通す場合にできるだけ安く作りその結果としてその周辺で産業が活発化して税収が上がるのが「殖産興業」の効率ですが、できるだけ沢山の人の利便性が上がりその利便性が永つづきするのが社会保障の効率です。例えば100億円の鉄道をつくるのに200億円出して、100億円を安定化基金として財源化して、その運用益で鉄道の経営安定をはかったりするのが社会保障施策であるわけです。

この効率のギャップを誤魔化しながら行われた行われた各種施策は何を引き起こしたかというと巨額の赤字(3K赤字という言葉がありましたね、米、国鉄、健康保険です)を引き起こすばかりでなく、社会保障施策としての長期的効率を大きく損なう訳です。そのため、公共投資をずっと続けないと格差が是正出来ないというか、続けても是正しきれない状態に落ちこんだ訳です。

現在の日本の落ちこんでいる現状というのは、社会保障施策としての格差是正というのを正面から議論することなく、場当たり的に行ってきた結果という事を理解して欲しいわけです。

投稿: 技術開発者 | 2009.03.12 08:41

技術開発者さん。
コメントありがとうございます。

「現在の日本の落ちこんでいる現状というのは、社会保障施策としての格差是正というのを正面から議論することなく、場当たり的に行ってきた結果という事を理解して欲しいわけです。」

はい。
本当にそうだと思います。
だからこそ、
そうだからこそ、
抜本的解決をしていく必要を感じます。
企業献金も、そうした意味では「古い政治」の一つと私は捉えています。

以前、開発者さんは、「ひとは放っておくと悪いことをすることをする習性があるから、道徳や規律、規範は必要」と言われたことがあります。
企業献金の本来の目的が、国民の政治意識の高揚であるとしても、現実には悪(賄賂)の土壌になる可能性があるとしたら、
やはり廃止すべきものだと私は思います。

政治にお金がいる、お金が関わることの是非、見ていく時と強く思います。

投稿: せとともこ | 2009.03.12 10:36

こんにちは、せとさん。

>抜本的解決をしていく必要を感じます。
>企業献金も、そうした意味では「古い政治」の一つと私は捉えています。

私は、企業献金を禁止することに反対する気は無いんです。ただ、そのことで満足して欲しくないのね。

なんていうかな、「闇市での盗品の売買のみを気にする」みたいな感じをうけるんですね。闇市といっても分からないかも知れないけど、ちょうど昭和20年の一昨日ですね、東京が大空襲で焼け野原になったのは・・・。でもって終戦。経済は統制されていて、いろんなものが配給制だったけど、終戦で流通が混乱して何も手に入らなく成った人たちが、御徒町から秋葉原のあたりで必要品の交換をはじめたのね、これが戦後の「青空市場」こと闇市です。家の土蔵のものを持ってきて交換したり、田舎から運んできた食料を交換する人もいたけど、当然、どこかから盗み出したものを交換する人もいたのね。でもって警察も時々は手入れをして盗品売買らしいのは片っ端からしょっ引くけど、直ぐに闇市は再開されて、そこには盗品も並ぶ・・・。流通の混乱が収まるにつれて、闇市は無くなってきて、あのあたりは普通の(といっても雑然としているけどね)商店街に変わっていったのね。

なんていうかな、「盗品売買があるから闇市があった」訳ではないよね。機能しない配給制がまずあって、そこで闇市が発生してそこに盗品売買がある訳ね。だから、流通が機能を取り戻すにつれて闇市は消えていったし、そこでの盗品売買も無くなった訳です。

全然、違う話をしているみたいだけどね。不完全な格差是正政策としての公共投資があって、その使い方じゃ格差是正の実があがらないから、費用の分配システムとしての地方ボスが生まれ、そこに不透明な政治献金が生じている訳です。政治献金を禁止することにそんなに反対する気はないよ、それは闇市だろうが普通の市場だろうが盗品売買が良くないのと同じだからね。では盗品売買を時々捕まえたら、闇市は無くなったのかな?ってことなのね。

闇市は、流通が正常化するにつれて消えていったし、当然、そこでの盗品売買も消えていったのね。それは、流通を正常化することを皆が望んだからだよね。闇市で訳の分からない物どうしを交換するより、きちんとした商店でものを買う方が良いからね。でもね、きちんとした社会保障政策としての「格差是正」ということに関して言うと、この国の国民は望んでいない様にしか見えないんです。ちょうど闇市に慣れきってしまって闇市以外の正常な売買のことなんか忘れてしまっている人を見ている感じです。正常な流通が起こったら闇市がなくなってしまうから、闇市を続けたがっている感じなんです。

その部分が気になっているだけですよ。

投稿: 技術開発者 | 2009.03.12 12:50

 こんばんは
 せとともこさまの疑問に関しての個人的見解と補足について考えてみます。

 個人的見解としては、上で挙げられていた疑問3つについて
1.わかりません。
2.答えられません(責任の意味が不明確です)
3.表現の自由で保障される範囲について保障されます。
 以上のように述べさせてもらいます。
 後、立法によって政治資金を規制することは可能です。ここにコメントした理由は政治資金という行為が例外的に許容されているかのような論調を見たので、政治資金は「現在の」判例、法律上「原則として」許容されていることを指摘すべきではないかと考えたからです。

 技術開発者さま、判例の文言についての補足ありがとうございます。補足として、触れられている話題に関する個人的見解を述べさせてもらいます。
 
 南九州税理士会事件については、同じ法人であっても公益法人と営利法人においては、「法人の目的の範囲」について異なった基準で判断すべきとした判例だと考えます。したがって、南九州税理士会事件で政治献金が、「法人の目的の範囲」にあたらないことと、一般企業の政治献金が、「法人の目的の範囲」にあたることとは相互に矛盾しないと考えます。
 なお、判例でも(会社が政治献金を行うことが原則的に認められるとした判例を指摘した後)「しかしながら、税理士会は、会社とはその法的性格を異にする法人であって、その目的の範囲については会社と同一に論ずることはできない」と述べています。

 「目的の範囲内」といえるかについてですが、書かれている状況から判断した場合、政治資金が目的の範囲内とされる可能性はむしろ高まっていると感じました。
 会社が行う活動が「目的の範囲内」であるかという問題は会社法の領域のため、その判断基準は「会社にとっての利益が抽象的にでもあること」と言われています。
 そして、政治献金は「少なくとも、会社の存続・発展が阻害されるという事態が政治献金をしないということによって生ずることを、それをすることによって回避することができるという意味で定款所定の目的の遂行に有益なものといえる」(弥永真生 リーガルマインド会社法第9版14P)と解されています。
 現在のような不況下においては、政治献金の額については厳しい制限が働くと思います(政治献金自体が直接経営に貢献することはないでしょう)。しかし、政治献金を行うこと自体について、行わない場合の不利益の回避が認められる余地はむしろ増えているのではないでしょうか。
 後、会社の設置目的について社会的貢献を論ずる学説・判例などは寡聞にして存じません(営利自体が社会的貢献とされているかと思います)が、文献等教えていただけると幸いです。

投稿: まれに見てる人 | 2009.03.14 05:16

まれに見てる人 さん。
こんにちは。
ご丁寧なお返事、本当にありがとうございます(*^-^)

あとは技術開発者さんとの部分なので失礼いたしますね。

これからもどうぞ、きたんのないご意見や深いアドバイス、お願いいたします。
楽しみに待っています。
ではまたね。

投稿: せとともこ | 2009.03.15 16:21

こんにちは、まれに見てる人さん。

>会社の設置目的について社会的貢献を論ずる学説・判例などは寡聞にして存じません(営利自体が社会的貢献とされているかと思います)

そうですね、このあたりは、学説・判例というよりも、法人が法人格を得る段階で明示すべき定款の要素から必然的にしみ出る部分になってしまいます。というのは、定款は「営利性」と同時に「適法性」を示さなくてはならないわけです。例えば「社員を集めて振り込め詐欺をします」という事業は営利性は存在しながら適法性が存在しないために定款として認められず、そのような定款では法人格が認められない訳です。適法性を有した営利性には必然的に事業により他の人に適法な利得を与え、その見返りとして利益を得るという事を含むので、社会貢献的部分が必要とそれる訳です。

>判断基準は「会社にとっての利益が抽象的にでもあること」と言われています。

「禍福はあざなえる縄の如し」などという言葉がありますが、実のところ企業活動の利害というのも「あざなえる縄の如く」に利と害が交錯する面がある訳です。例えば、フォードは一時期部品調達を短期的な契約による入札制にしていました。ブレーキ部品ならブレーキ部品を納める企業を1年単位程度の短期契約で「とっかえひっかえ」することで、下請け企業間の競争が加速して「良い部品がより安く」入手可能と思っていた訳ですね。ところが、その入札制を10年ほど続けると、その下請け企業群は全て世界的にみて「品質が悪くて高い」ものに成っていきました。理由は簡単でして、そういう短期契約では銀行から融資を受けて製造装置を最新化することもできず、工員さんを安定した雇用で熟練工化することもできなかったからです。

会社の利益のために政治を利用するというのは、実のところこの「あざなえる縄のごとき」利害を度のタイムスパンで切るかという話になる面があります。最も近視眼的な「目の前のダム工事を受注するために、社会的威勢のある政治家を利用する」となるとこれは贈収賄罪などと関連して害が見えてきますね。もう少し長期視点で「国内の工事が隆盛する政策を推進する政治勢力の支援」となると、害が見えず益としか思えなく成ってしまうわけです。しかし、政治というのは「二つ良いことさてないものよ」という世界ですから、国内工事が隆盛した分、社会のどこかでひずみが生ずることもある訳ですね。例えば工事を隆盛にする分、国内のセーフティーネットを弱くする政策をするなら、国内の治安は悪化する訳です。まあ、現実には起きていませんが、資材置き場の資材がいつかっぱらわれるか分からない中で工事が隆盛しても、必ずしも益は上がらない訳です。

なんていうか、日本全体がそういう利害も視点を移すたびに「あざなえる縄のごとき」状態にあるという見方を失っている面を気にしている訳です。

投稿: 技術開発者 | 2009.03.16 13:15

何処かの記事に検察OBの方のコメントがありました。

1従来なら取り締まりしてないケースだそうです。思うに政界の「常識」「慣行」みたいかも。だから「なんで逮捕?」て感じかも?

2検察の価値観の変化でこのケースも取り締まり対象にすることにしたというものです。したがって小沢さん秘書だけですんではよくなくてこれからずるずると同様ケースで逮捕者が出る事になります。


う~ん・・・。
ルールの変更政治関係の方に充分伝えたんかしら??

投稿: あゆ | 2009.03.26 09:48

あゆさん。
こんにちは。
コメントありがとうございます。
あゆさんは花粉症は大丈夫なのですか???
私は、もう大変。
グショングションです(;ω;)(。>0<。)

そうですか、、、
ルールの変更ですかぁ、、、
ウウウウウ〜〜〜〜ム。
知らないうちに、いろんな事が決まるんですね、この国は。
尤も今回の件は、ちょっと国民よりでしょうか??

投稿: せとともこ | 2009.03.27 14:23

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