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2009.03.10

企業献金の歴史

企業献金の是非を問う時期、見直す時期がきていると思う私ですが、
いろいろコメントを頂く中で考えを深めさせていただいています。
と、言う事で今日は考察の手がかりとして企業献金の歴史を調べてみました。
まず企業献金に関する考え方と言う主張を経団連 会長・副会長会議で報告されたのは1993年9月。
その中身は、以下の通り。
============
経団連としては、こうした動きを歓迎し、企業献金に依存しない仕組み作りに積極的に協力していくべきであると考え、以下の見解を明らかにすることとしたい。
(1)
今後は、政治資金を公的助成と個人献金で賄い、企業献金に過度に依存しない仕組みを確立していく必要があり、政府は、そのための環境整備を早急に行うべきである。
(2)
企業献金については、公的助成や個人献金の定着を促進しつつ、一定期間の後、廃止を含めて見直すべきである。
(3)
その間は、各企業・団体が、独自の判断で献金を行うこととし、経団連は、来年以降、その斡旋は行わない。
なお、1993年分については、既定方針に従い処理する。
(4)
新しい時代における議会制民主主義のあり方、その中での経営者、企業人の役割について検討を深めるため、特別委員会を設置する。
==============
リクルート・佐川急便事件など相次ぐ金権スキャンダルで「政治とカネ」に世論の批判が集中したなかでの発表でした。
が、2004年、日本経団連は
「与野党双方の政策と実績を評価した上で、企業・団体が判断する際の参考となるガイドラインを作成する」と発表。
方向転換をはかりました。
背景には2003年の活力と魅力あふれる日本をめざして」いわゆる奥田ビジョンがあります。「改革を実現するために」と言う謳い文句で、政治にバンバンのりだしてきました。
「企業は生産拠点を世界中どこへでも自由に移動することができる」。
「日本の企業のみならず、海外の企業が国内で事業を行うことを選択するよう、日本が二十一世紀の国際制度間競争に勝利することが何よりも必要である」と強調したうえで、政策を実現する政党への助成を描きます。10項目の政党評価の優先政策事項には、この考え方が貫かれています。実際2002年には奥田会長の「「カネも出すが、口も出す」と発言が物議を醸しましたが根底にあるのはこの考えです、つまり、「カネも出すが、口も出す」ということ。

さて、日本経団連。
各政党の政策評価にもとづく企業の政治献金について、
(1)政策本位の政治の実現への貢献
(2)議会制民主主義の健全な発展への貢献
(3)政治資金の透明性向上への貢献と謳います。

ふっ〜〜〜

「政策本位」ねぇ、、、
誰の為のどんな政策???
勿論、財界・大企業本位の政策であったことは、その後の政治をみれば明らかです。

が、
現実はこのように動いているだろうか???
一年後には日本経団連が、役員企業の献金総額(子会社含む)を自民、民主両党で総計約5億800円と前年より47%も増やしました。(政治資金収支報告書より)。
その後も毎年、此の額は増えます。
さらに外資系企業にも適用されたのは2006年。
勿論、その背景はキャノン、御手洗さん。
外国人等(株式の過半数を外国人や外国法人が保有している企業=外資企業を含む)からの献金が禁止されいたのは、外国の勢力によって政治が影響を受けることを未然に防止するためと言う事で、国家主権というものでしたが、外国株主比率が過半数を超えるキヤノンは献金できませんでした。
〜〜政治資金規正法、第二二条の五のは「主たる構成員が外国人もしくは外国法人である団体その他の組織から政治活動に関する寄付を受けてはならない」とあります。〜〜

それでは困ったのでしょうか?御手洗さん。
外資企業であっても証券取引所に上場していればよいとすることで、ここにも規制緩和(?)。
投資部門別の外国法人・個人の株式保有は金融機関に次いで多く、1996年の11・9%から2005年に26・7%と、10年間で2.24倍に急増という実態から、こうした要求がでてきました。
その後も政治とカネの問題はいろいろ、いろいろ姿を変え、形を変えて続出。
そのたびに、見直そう、改めようという声はあがるのだが、
企業献金にドップリと浸かっている与党から、また民主党からも積極的な声は挙りません。
2007年。
政治資金規正法の改正に関する与野党の実務担当者会合が12月に行われ、協議内容を集約した「合意事項」を報告。
「政治資金適正化委員会」設置。
「登録監査人制度」導入の枠組みなどが討議、合意となりました。
「適正化委員会」や「登録監査人制度」????
これはなんだろう?
政治活動への介入ということか、と訝しくもありました。
さらに、もともとは、私たち国民の税金である政党助成金問題も、ウヤムヤのまま、政治は動きます。

企業献金のこれまでの歴史を見ていく中で、
私個人は改めて「見直すべき」「廃止すべき」と言う感を強くするものです。
なぜなら、今回は企業献金歴史を見たのですが、それと平行して行われて来た数々の政策、政治。そして不正を考量していくと、とてもじゃないが「是」とは言えません。

いずれにしても此の問題、今後ますます注目です!!!

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コメント

せとさん。今晩は。
>「政策本位」ねぇ、、、
誰の為のどんな政策???
勿論、財界・大企業本位の政策であったことは、その後の政治をみれば明らかです。

そうです。そうです。参政権の無い企業が、「これをやったらおしめぇよ」です。冥土から寅さんが緊急メールを送信して来ました。民主政治はドンドン壊されて行きます。この企業献金による政治の買収、財・政・官の癒着、金権腐敗政治には、永年国民は怒り狂って来ております。豊かな感性に裏打ちされた主権者国民の理性に敬服します。それに応えて、国会では政治家、政党が「政治家個人」への企業献金を禁止せざるを得なくなりました。そして、「政党」への企業献金の禁止を約束したのです。今、政治家、政党が国会で緊急にやらなければならない事は「企業献金の全面禁止」をして、主権者国民への約束を果たすことです。これ無くして、政治が民主政治にとっては必須である「政治と金の問題」を解決する事は出来ません。

投稿: hamham | 2009.03.10 20:24

こんにちは、皆さん。少し説明しますね。

「参政権」つまり「政治に参画する権利」という場合には選挙権、被選挙権などが思い浮かぶわけです。狭義に言うとそれでよいのですが、広義での参政権というのはそれのみに限ったものでもはないんです。「政治に対して意見を述べる権利」とか「特定の政治勢力に対して支持または忌避を表明する権利」とかがあり、それらは憲法の「国民の権利」条項の中に形を変えて示されている訳です。でもって、自然人ではない法人がそれらの権利を有するかというと有する事になっているわけですね。これが別のところで話題になった、「八幡製鉄政治献金事件」の最高裁判決です。

法学的にはいろいろと考え方のある所ですが、もともと参政権に関して「税を課すなら、政治に参加させろ」という考え方から出てきた面がありまして、その考え方の延長線で考えるなら、法人に対して納税義務を課すなら政治に対して自然人とは区別しながらも或る程度の権利を有して当然とする考え方が成り立つわけですね。

前にせとさんに「国の財政というのは歳入と歳出を区分し、歳出の際に『誰が納めた』はわざと考えないようにしているものなんです」なんて説明をしました。別な人に「税金なんだから皆のためになるように使え」というのは良いけど「自分たちが納めたんだから、自分たちのために使え」という言い方は危険だよということを説明したこともあります。実際のところ個人が納めている税金より少し多いくらい法人税がありますからね。誰が納めたを気にしていたら、累進課税で金持ちから沢山税金を取って、生活保護費にまわすなんて政策はとれなくなるんですね(笑)。

なんていうかな、別に企業献金に賛成する気も無いのだけど、国民の多くが「政治参加」する気が無い国で、企業献金だけ取り上げて規制を強化しても何も良くはならない気がするんですね。参政権とは投票権のことのみである見たいに思って、「投票したいけど、どの政党も政治家もクズばかりだ」というのは、参政権のうちの一部しか行使していない面があるんですね。「こんな政治家にでてきて欲しい」みたいな意見表明をきちんと行い、わずかでもそれに近い政治家を支援するという事も参政権の行使であるわけです。個人がそういう政治参加意識で行う個人献金とかがきちんと機能する国であれば、企業献金というのは禁止までしなくても「透明化」を進めることで、その意味を減じていくはずなんですね。

投稿: 技術開発者 | 2009.03.11 08:47

一般に「参政権」といえば、憲法15条で保護される、主権者たる国民が政治に参加する権利のことですよね。

「八幡製鉄政治献金事件」の最高裁判決は、「政治的表現活動の一環として政治献金を行う自由が保障される」という判例であり、憲法15条で保護される権利をも認めたとは言いがたいでしょう。

つまり、「政治的表現活動をする自由」として認めたもので、政治的なデモや集会、意見広告などと同じ扱いですね。

確かに、これらも広義の「参政権」と言えなくもありませんが、いわゆる政治活動と、国民主権の議会制民主主義における「参政権」とは、意味合いが全く違なります。

また、あの判例自体にも批判が多いですね。
その批判をコピペしておきます。

>企業も個人と同じように税金を払っているのであるから、政治的な自由があり、政治献金することも会社の自由として保障されるべきであるとの反論が行われます。同じような論法を1970年の八幡製鉄政治献金最高裁判決も展開しており、企業も個人と同じく「社会的実在」であり、納税の義務を果たしている企業も政治的表現活動の一環として政治献金を行う自由が保障されるなどと述べています(1970年6月24日最高裁判所大法廷判決:『最高裁民事判例集』24巻6号625頁以下)。 しかし、税金を支払っていることだけを根拠にするのであれば、会社にも個人と同じように参政権(選挙権や被選挙権)を保障しなければならないということになってしまいますし、消費税などを支払っている未成年者も保障されなければならないことになってしまいます。でも現実にはいずれにも参政権は保障されていません。 また、企業にも表現の自由があるとの論法で政治献金を認めることになれば、企業献金を法律で制約することは、表現の自由を法律で制限することになるという不可解な結論に至ります。 ですから、最高裁判所の論法はあまりにもお粗末なのです。

特に、憲法3章の権利を企業にも適用すべきだという判決は、稀代の悪判決でしょう。

実際、南九州税理士会事件では、全く違った判決が出ています。以下、これに関するコピペです。
ソースは、http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/law/lex/00-34/nakajima.htmです。

> 最高裁は、一九九六年の南九州税理士会政治献金事件において、政治献金という行為自体がいかなる性質ものであるかにかんし、次のような画期的な判示を行った。すなわち、「政党など規正法上の政治団体に対して金員の寄付をするかどうかは、選挙における投票の自由と表裏を成すものとして、……市民としての個人的な政治思想、見解、判断等に基づいて自主的に決定すべき事柄である」とし、なんとなれば、政党など政治資金規正法上の政治団体に「金員の寄付をすることは、選挙においてどの政党叉はどの候補者を支持するかに密接につながる問題」であるから、このような事柄を税理士会が「多数決原理によって団体の意思として決定し、構成員にその協力を義務付けることはできない」と。
>  むろん、本判決において、政党等の政治団体への政治献金が税理士会の目的の範囲外の行為であって、この寄附を目的とする本件決議も無効であると判断するに際して、最高裁が重視したのは、「会社とはその法的性質を異にする法人」である税理士会の強制加入団体としての性格であった。しかし、そこで争点として争われていたのが、税理士会による政治献金目的の特別会費の徴収が構成員の思想の自由を侵害しないか、という問題であった限りで、最高裁にとっても政治献金という行為自体の性質をどのように見るか、ということは避けてとおることのできない論点であった。まさしく、この問題の核心において、最高裁が、政治献金という行為自体の性質につき、①「選挙における投票の自由」という市民の参政権的権利と一体的な関係にあること、②市民が自らの個人的な政治思想に基づいて自主的に決定すべき事柄であること、③個人の政党支持の自由に密接に関係する事柄であること、④団体の名において代表機関が多数決原理によって決定するのにまかせることのできない問題であること、を確認したと見ることができるとすれば、そこから導くことのできる結論はただひとつ、営利団体であろうと、非営利団体であろうと、強制加入団体であろうと、任意加入団体であろうと、さらに団体構成員の全員の同意が得られたり、「株主全員がOK」というとしても、政治資金規正法上の政治団体でない限り、傾向企業も含めて、政治献金という行為自体の有する事柄の性質からして、およそいっさいの団体がその団体たる資格においては政治献金をなしえないものといわなければならない。

投稿: Looper | 2009.03.11 12:33

こんにちは、Looper さん。

誤解があるといけないから書いておくと、私は企業の政治献金の禁止そのものに反対している訳ではないのね。むしろ賛成してはいる。

ただね、自分たちの個人献金により自分たちが望む政治家を見つけ育て議会に送り込む権利を「使う気の無い、政治に無関心である事が当然となっている国民」が、政治献金というものの意味も考えることなく、「じゃあ、禁止」と走ることに一種の危惧を感じている面があるわけです。

例えば、「政治団体でない限り全ての団体献金の禁止」なんて考え方は、或る意味怖いのね。例えばイギリスなんかは、労働党と保守党という2大政党になっているけど、このうちの労働党というのは名前のように労働者によって支えられていた(今は昔ほどではないけどね)訳ね。でもって支えるにあたっては、労働組合は候補者の選抜も含めて大きな機能を果たしていた訳です。労働組合は政治団体では無いから、政治団体以外の団体献金の禁止なんてやると日本には労働党のような政党はまず成立できなく成るわけです。まあ、禁止しなくたって成立しようは無いんだから同じという考え方もあるかも知れないけどね。なんていうかな、現実に多くの人の考え方を調整して要求をまとめるような立場をやっているとね、組織があるという事の恩恵を感じるのね。その組織は政治団体に限らない訳です。もちろん、それぞれの要求を持つ人がそれぞれの要求を実現するための政治団体を作ればよいという話は理屈上なりたつけどね。それくらいなら、国民がみんな自分が支持する政党の党員になって党費を納めれば良いとも言えるからね。そうなれば個人献金さえ要らない事になると思うのね。

なんていうかな、最近の立法とか法改正を見ていて、とても場当たり的な感じがして仕方ない訳です。本当なら、いまある法律を運用強化して、その存在の周知徹底をはかることで対処出来そうな事柄でも、「時代に即した法律が無いんだ」という意見に押し切られて立法や改正がされている感じですかね。その背景に「ご機嫌取り」みたいな雰囲気を感じるわけです、「どうせ国民は深く考えやしない。でも、放っておくとうるさいから『法律つくりました』『法律改正しました』としてなだめておこう」なんて感じを受けている訳です。そういうのに「乗るな」という気はないけど、「良く考えて欲しい」訳です。

投稿: 技術開発者 | 2009.03.11 17:06

hamham さん。
Looperさん。
技術開発者さん。
こんにちは。
今日も相変わらずバタバタしています。
3月の受験発表前後はいつもそうですが、、、
そんなわけで、お返事遅くなりました。

頂いたコメント、何回も読ませていただきました。
正直言って、
hamham さんとLooperさんのご意見には同意、というかスンナリと入るのですが、、、
開発者さんのご意見、今回はウウウウ〜〜〜〜〜ンです。
もう少し考えさせてください。
もし宜しければ、
どうぞ、これからもドンドン、討論、議論なさってください。
私は交換されるご意見を読ませていただき、さらに考えを深めていきたいと思います、、、

では、また。

投稿: せとともこ | 2009.03.11 19:44

技術開発者さん、

私は、基本的に政治的共通目的で集まっている政党などの政治団体以外が、団体献金をする事も、企業献金と同じぐらい反対しています。

なぜなら、その構成員である組合員には多様な考えがあるにもかかわらず、その組合費を原資とするお金を、特定の政党に献金をするというのは、組合員の政治的自由に対する背任行為にあたると考えるからです。

もちろん、組合などの非政治団体が、その構成員の話し合いで決めた共通の要求を掲げて政治活動する事は、なんら問題ないと思いますが、その政策を組織的にお金で買収するという行為を許せば、お金の多寡が政治を決めることになってしまいます。しかし本来の民主主義とは、その政策に対する国民の支持の多寡で決まるべきものだと考えます。ですから、自分たちはこの政策を支持している、要求している、と非政治団体が政治表現活動し、その支持の多寡を競うことは全くの自由であろうと思います。しかし、企業・団体による献金は、その公正な競争を妨げるものと考えるのです。

あと、現状については、私は企業・団体献金が残っているからこそ、政党が努力せず、国民一人一人からの献金という文化も育たない面もあると思います。政党助成金も、元々は、そうした文化が育つまでのつなぎとして設けられたはずです。

実際、共産党のように、政党助成金を拒否しつつも、支持者からの個人献金をかなり集めている政党があるわけですから、他の政党は努力が足りないと言われても仕方がないと思います。どんな文化も、最初からあったわけではなく、みんなの努力で築き上げられてきたものと思います。個人献金も同じではないでしょうか?

投稿: Looper | 2009.03.13 09:17

小沢一郎への企業献金は『贈収賄の為の献金とよく似た性格を持っている』とテレビでみのもんたや古舘一郎なんかが盛んに喋っている。
確かに全ての企業献金は『贈収賄の献金』の性格を持っているるが、何となく見覚えのある風景ではある。
これはいつか見た小泉郵政選挙の時と良く似た光景で、今の検察やマスコミが行っているのは(総選挙の為の)印象操作ですね。
今の法律では企業献金は合法で、今問題になっているのは虚偽記載にも当たらない形式犯(微罪)にしかならない。
しかし本来営利事業を行っている株式会社の経営者が、自社の儲けにならないことに無駄金(政治献金)を浪費すれば業務上背任罪ですよ。
無駄金でないなら『贈収賄』で、どちらにしても犯罪行為になるはずです。
企業による政治献金は、一律禁止にするのが正道で、此れにより自民党と企業との腐れ縁が断ち切れ、無駄な公共工事もなくなる。
また労働組合の一律政党支持が、日本の政党(旧社会党)や労働組合の正常な発展を阻害していたのも事実で、企業献金だけではなく団体献金も原則禁止するべきです。
日本で企業献金が禁止できなかった背景には自民党の反対だけではなく労組の団体献金の維持に拘った社民政党の責任も大きい。

投稿: 逝きし世の面影 | 2009.03.16 17:32

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『新聞時評』毎日新聞3月10日朝刊  浅井基文広島市立大学広島平和研究所長 私は、全国紙の社説に関心を持っている。 特に毎日、朝日は、他の全国紙に比べ公正性、中立性が高いと見れれている。 したがって、読者にとっては物事の判断の指標として受け止められる確率が格段に大きいと思う。 それだけに社説を書く際の責任は重いはずだ。 したがって、2月29日付毎日社説『人工衛星でも容認できない』及び翌日付朝日社説『北朝鮮ミサイル「ロケット」は通らない』には唖然とした。 両社説には北朝鮮に対する嫌悪感が溢れ、北... [続きを読む]

受信: 2009.03.11 08:50

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