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2009.05.27

百人一首の日

今日は百人一首の日

由来は以下の通り。
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1235(文暦2)年、藤原定家によって小倉百人一首が完成されました。
藤原定家の「明月記」の文暦2年5月27日の項に、定家が親友の宇都宮入道蓮生
(頼綱)の求めに応じて書写した和歌百首が嵯峨の小倉山荘(嵯峨中院山荘)の障子に
貼られたとの記述があり、この記事が小倉百人一首の初出ではないかと考えられています。
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以前、白桃忌について記事を挙げたとき、コメントを頂いた方から「百人一首の日」を教えていただきました。
その折も、お返事で書いたのですが、
実は私は「カルタ部」でした。
と、言うことで百人一首については、かなりエントリーを挙げているのですが、
今日は先の白桃忌の縁で与謝野晶子と百人一首についてツラツラと。
与謝野晶子の「みだれ髪」。
手元の歌集を繙けば、一番目の歌は、
「夜の帳(ちやう)にささめき尽きし星の今を下界(げかい)の人の鬢のほつれよ」
あるいは、
「黒髪の 千すじの髪の みだれ髪 かつおもひ みだれ おもひみだるる」
などを詠むと、
百人一首の、
「長からむ 心も知らず 黒髪の 乱れて今朝は ものをこそ思へ」と詠んだ待賢門院堀河に重なります。

待賢門院堀河。
〜〜神祇伯(じんぎはく)・源顕仲(みなもとのあきなか)の娘で崇徳院の生母、待賢門院(鳥羽院の中宮・璋子(しょうし))に仕えて「堀河」と呼ばれました。息子の崇徳院は天皇在位後政略で退位させられますが、その時に待賢門院も追放され、堀河も一緒に出家。〜〜〜
と、人物像にはあります。

当時は男性が女性のもとに通った時代。
「後朝」、きぬぎぬと読み、男と女が一晩を明かした翌朝と言う意味。
この歌は、「後朝の歌」と言われ、作者の女性らしい繊細で、ゆれるような思いを、
長い黒髪に託して詠っています。
官能的であり、美しいこの歌には、壊れるような儚げなものがあり、
同じく黒髪を詠んだ晶子のそれとは、かなり違ったものがあります。
時代ということでしょうか?
あるいは、
詠み手の個性ということか???
なおこの待賢門院堀川は歌人としての評価は高く才女として有名であったらしく、西行とも親交があったとされています。

待賢門院堀川に与謝野晶子。
そんな熱き歌人のことを思いながら、
今日、5月27日は「百人一首の日」。


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コメント

百人一首やりたいです。
でも一緒にやってくれる友達いないからず~~~~~~~~~と実現しません。いっぱいしたいなあ~。

投稿: あゆ | 2009.05.27 21:15

あゆさん。
こんにちは。
お近くだったら、いつでもお相手できるのに、、、

全国、どこでもカルタ部、そんなきついのでなくユル〜〜〜イサークルのようなものはあると思うので、
私も今度探してみようかしらん♪
あゆさんとどこかで出来る日があるといいな、、、と願いながら。

投稿: せとともこ | 2009.05.28 18:06

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橋田信介 1942年8月22日生まれ。 2004年5月27日、イラク戦争取材中にバグダッド付近マハムディヤでアメリカ軍の検問の直後に殺害される。享年61歳。 小川功太郎 NHKでディレクターを勤めた後、2003年7月退社、フリーとなる。以後、戦場取材のベテラン記者である伯父・橋田信介氏と行動をともにする。2004年3月、イラク入り。2004年5月27日、バグダッド近郊で橋田氏とともに攻撃され襲撃者たちに拉致され、別の場所で全裸にされ殺害された後投棄される。享年33歳。 『レジスタンスをテ... [続きを読む]

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