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2009.06.19

臓器移植法改正法案はA案に

ずっとずっと、、、
考え続けていますが、分かりません。
そう、臓器移植法改正についてです。
昨日18日、衆議院で「脳死は人の死」と言うことになりました、、、
参議院では、これからですが、
いずれにしても、注目の法案の一つが、ある結論を出したのです。
が、
が、
が、、、、
本当にそうだろうか?
本当にこれでいいのだろうか????
と、思いは駆け巡ります。
巡るだけで、なんら結論なんて、ましてや正解なんて出てくる筈もない私なのですが。

待つものの身を思えば、早急な判断はやむなし。
だが、与える側の家族からすれば、本当に死んでいるのなだろうか、脳死は、、これで良かったのか?と言う疑問や思いにその後の人生はさいなまれるかもしれません。
その選択は、本当に良かったのか???と。

こうした巡る思いは「終末医療の在り方」を問うときにも直面します。

「人の死」。

本当に難しい、、、
難しい、、、、
むずかしい。

さて、脳死とは、
ヒトの脳幹を含めた脳すべての機能が不可逆的に(回復不可能な段階まで)廃絶した状態のこと。
そして、
判定にあたり、日本では、臓器移植法に基づき、臓器提供の場合に限って、脳死が法律上の死とみなされ、
脳死と判定するためには、以下の手続きを行います。
1深昏睡(JCS300またはGCS3)である。
2瞳孔固定 両側4mm以上。
3脳幹反射(対光反射、角膜反射、網様体脊髄反射、眼球頭反射、前庭反射、咽頭反射、咳嗽反射)の消失。→よって失明、鼓膜損傷などでこれらが施行できない場合は脳死判定はできない。
4平坦脳波。(刺激を加えても最低4導出で30分以上平坦)
5自発呼吸の消失。(100%酸素で飽和したのち呼吸器を外し、動脈血中二酸化炭素分圧が60mmHg以上に上昇することを確認。脳に影響を与えるため、必ず最後に実施する。)

だそうです。

ただ、本当に回復不可能、廃絶なのか、、、、と言われれば、過去に復活した例などもあるとのこと。
と、言うことで、ますます混迷は深まるばかり。

が、
一つだけではっきり言えることは、
この法案成立にあたって、国会議員の方々が、
もっと、真剣に考量、熟慮していただきたいと言うことです。

先日もテレビ番組で、臓器移植の審議をしている会議での、居眠り、いねむり、イネムリの議員や、
オシャベリ、お喋り、おしゃべりの議員の姿が映し出されていました。
十分な審議もなされないままの法案成立には、疑問を感じるものです。
せめて、参議院では、慎重に、丁寧に、ゆっくりと審議を図っていただきたいです。
なにしろ、
「人の死」に関することなのですから、、、

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コメント

ある元議員の方の説明。
国会はショーです。(つまりプロレス?)答えはすでに事前にでています。議論も事前にしています。

なるほど~。
できあがったものをみせているようです。だから居眠りしても問題ないのかも。
党議拘束きびしいから個性は軽視だから採決のためにいるから・・?

この際裁判員制度応用で法廷(国会)での直接主義にしましょう(笑い)
影で調書もむのから国会の議論から明るみにさらけだしましょう。

そうだ~思いつきました!国会に裁判員制度(国会員制度?)で市民の国会参加(爆)

投稿: あゆ | 2009.06.19 12:32

あゆさん。
こんにちは。

なるほど。
ショウーですか。
フムフム、、、
ですね。
で、
そんな茶番を見せつけられ、高い高い木戸銭を払うのは国民ですかぁ、、、
ため息と共に、
(`ε´)
プンプンですね、、、

投稿: せとともこ | 2009.06.19 12:41

私は、脳死を人の死とすることは、私は極めて妥当で、当然だと思っています。その人の人格が死を迎えるのは、その人の脳が機能を完全に失い、回復不能に至った時に他ならないと考えるからです。むしろ、心臓死を人の死とする事の方にこそ、なんら根拠がありません。

これは、仮に、医学が進んで、脳の移植(脳細胞と脳幹全部)すらも可能となった場合を考えると分りやすいと思います。

Aさんの脳をBさんに移植したら、その人は誰なのでしょうか?
私は、見かけはBさんでも、その人は紛れもなくAさんであると思います。
Aさんの心臓をBさんに移植した場合はBさんとして皆さん扱います。Aさんの顔をBさんに移植しても同じくBさんです。これは、脳=人格がBさんだからに他なりません。
このように、脳死を人=その人格の死とすることは、実は当然のこととして皆さんは既に受け入れ済みなのです。

ただ、臓器移植とからんで難しいのは、その判定がまだ完全でない、もしくは、過去に間違った判定や恣意的な判定の疑いがあるという点でしょう。

この、脳死判定をどう確実に行うか?という議論と、「脳死は人の死か?」という議論をごっちゃにすると、問題の本質がずれると思っていますが、そうした議論がどうやら多いらしいのには驚いています。

地動説が正しいと実は知っていながら、天動説を捨てきれない人が多いのだな~という感想を正直持っています。

投稿: Looper | 2009.06.20 23:22

Looperさん。
こんにちは。
コメントありがとうございます。
実は、夫もまさにあなたと同じ意見です。
「脳死」と「臓器移植」をゴチャゴチャにして論議してはいけない、、、
まさにおっしゃる通り。
ハッと気がつきました、、、
そうですね。
言われてみれば。
確かに「脳死は人の死」と判定すること自体は、なんら問題ではありませんよね。
問題なのは、それが臓器移植と関わるときのスピード、つまり一刻でも早臓器を移植する方が、予後が良い、と言う意味で、脳死の患者さんから臓器を取ることなのでしょうが、
これは、医者がその場、その場での判断をしていくしかないのでしょうね。
どんな場合だって、例外はあるわけだから。
ここで、私たちが、アレコレと考え込んでも、
最善策はないと思います。

と、言うことで、
議論をゴチャゴチャにするのではなく、スッキリとみていけば、存外、簡単なことだったのですね。
臓器云々に関わらず、脳が機能を停止して、再生不可能であるときは「人の死」である。
臓器云々は臨床の判断次第。
そもそも法律は、最低限のことを決めることが法律なのだから、関わる多くのかたにとっては一つの指針でしかないのでしょうね。
今回の法案では、人の死と臓器移植があまりにタイアップしすぎて、こんがらがった私だったのでしょう。
ただ、
それはそれとして、
法律を通す国会は、もう少し真剣に考えて欲しいというのは、今でも思っています。
次に参議院での審議になりますが、注目です!!!

投稿: せとともこ | 2009.06.22 13:15

そういえば体がいれかわったというドラマがありましたね。脳がいれかわったとはとれませんねえ~。
おれは娘なんだと娘の友達とお風呂にはいろうとしたけど、興奮してきゃ~て感じだからやめたというのです。あくまで外見は娘でも自分だから。

冗談はこれくらいで・・・。

臓器移植待っている人は提供者ふえてほしいし、基準ゆるくなると、提供の数ふえてたすかりやすいでしょうね。
自分が脳死で(明確にどういう状態になれば)提供しようとしっかり意思のある人ならいいんですが、そうでない人の臓器が提供されちゃったら・・・?可能性はたかくないでしょうけど、ひょっとしたらおこりうるかも?

 

投稿: あゆ | 2009.06.22 21:41

日本では100万人以毎年死ぬが、『脳死』はこれまでの死の三兆候の心臓死に至るプロセスで、ごく稀(年間数千例)に起こる現象で、誰にでも必ず起こる話では有りません。
(心臓死なら全ての人が最期にはそうなる)
この話には何とも違和感を感じざるを得ない。

以前護憲派のブログで、光市事件に関して死刑問題を真剣に論じられていたのと同じ様な違和感ですね。
今では二桁の死刑が行われているが当時は年間数件ですよ。

年間3万人を超える自殺者や、過労死するまでに緊迫している労災死、家庭の階段から墜落死する人に比べて、其の数値の余りの少なさに一般市民にとっては『死刑は例外的事項』では無いのか。?
そのために、死刑論議では『人の死の実感』のリアリティがまったく感じさせないものが多かった。
曰く、
『人を殺したものは、死刑が当然』と何とも単純。明快。
(日本で起こる年間千件程の殺人事件の殆んどが、友人知人が酒を飲んで喧嘩になり弾みで殺人になったような類いです)
貴方が殺したらどうするの質問に対しても、
『当然死刑である』
(迷いがまったくない)
今度の脳死臓器移植でも賛成派はまったく迷いが見られない。自分の正義をまったく疑っていない。
まさか『自分が人殺しの手伝いをしているかも知れない』なんてことは考えた事も無い筈です。

自分が必ず関係するなら、これほど明確に賛成できるでしょうか。?
定年まで勤めれば必ず貰える退職金で、社会や友人に大判振る舞いする人はいません。
当たる心配が余り無いので、三億円当たったら社会に役立てるとか友人知人に奢るとか考えるのと、どれ程の違いがあるのか。?
人は自分に関係ない一般論では、明確な判断が出来る。

今の人は殆んどが病院で産まれ病院で死ぬが、其のお陰で『死の実感』を感じなくて済ましている。
自分お目で耳で、皮膚で死を実感していないので、『死』を観念的にしか理解する事が出来ないでいる。
死とは、『ここまでは生きていて、ここからは死んでいます』と専門家に言われて納得しているが、死の実態はそんなものではなりません。
生と死はデジタル的に捉えられるものではなく、あくまでもアナログ的な連続した変化のプロセスです。
脳死から生還して社会復帰したものはいない、不可逆的に死に向かいつつある状態で有る。
だから要らなくなった臓器を速やかに摘出して利用するとの考え方はおぞましい。
脳死賛成者でも『脳死者は死につつある』との認識ですが、『死につつある』が正しいとするなら、其の時点で脳死者は間違いなく生きていますよ。
そして今生きている全ての者は例外なく死ぬので、多少の時間的な差があるだけで全ての人は『死につつある』状態であるとも解釈できます。


脳死を人の死とする欧米の死生観は、キリスト教的な一神教の独特の、肉体は「塵から生まれて塵に帰る」ものにすぎず一段劣る存在でしかなく、(宗教的に)必ず滅びる肉体ではなく不滅の霊魂(変わらない自我)だけが大事であると考える霊肉二元論的な宗教観が根底に有る。
それで欧米では、変わらない自我が無くなった(脳死した)肉体は無価値で、脳死移植のように廃品利用しても何ら道徳的な問題は発生しない。
しかし。この考えは、霊魂の存在を認めていない仏教の世界観と相容れない。
仏教的な、体と心は一体と考える日本人の道徳観・宗教観・世界観には馴染まない。

投稿: 逝きし世の面影 | 2009.06.23 14:16

あゆさん。
逝きし世の面影さん。
こんにちは。
コメントありがとうございます。

この問題、本当に難しいですね。
難しい、、、

ただ、先にLooperさんが書かれたように「脳死と臓器移植」の問題は別の時点で考えていくことが正しいのだろうと、私は思います。
脳死は、上に書いたように条件の場合、
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
1深昏睡(JCS300またはGCS3)である。
2瞳孔固定 両側4mm以上。
3脳幹反射(対光反射、角膜反射、網様体脊髄反射、眼球頭反射、前庭反射、咽頭反射、咳嗽反射)の消失。→よって失明、鼓膜損傷などでこれらが施行できない場合は脳死判定はできない。
4平坦脳波。(刺激を加えても最低4導出で30分以上平坦)
5自発呼吸の消失。(100%酸素で飽和したのち呼吸器を外し、動脈血中二酸化炭素分圧が60mmHg以上に上昇することを確認。脳に影響を与えるため、必ず最後に実施する。)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
は、
やはり人の死であろうかと、思います。
再生する可能性があるというのは、
先の条件のいずれかに当てはまらない場合でしょう。
この条件が満たされる、つまり再起しないと判断されたら、それは死と結びつくのかと思うのですが、、、
が、
ただ、
だから臓器移植を急いで、というのは、私も思案中です。
あゆさんが言われるように「本人の意思」というのは、
どうこへいくのかと、言う問題になりますよね。
難しい、、、


面影さんの言われることもよぉく分かります。
ただ、
仏教の死生観は、私が抱くものと面影さんのそれとは違うようですが。
仏教では、輪廻の思想で霊魂は再びこの世に戻るのではないのでしょうか???
仏教では、肉体、体には執着しない、ひたすら心、精神を高めることに重きをおいているのではないのでしょうか?
仏教の教えでは、
死んだあと、自分の臓器がどなたかのお役に立つことには、いささかの逡巡もないと思っていたのですが、、、
それが本来の布施の真髄なのでは、と思っています。
尤も、私は、なかなかそ境地には達しませんが、、、

投稿: せとともこ | 2009.06.23 14:53

せとさん。
『脳死と臓器移植」の問題は別』は話のすり替えか、何かの誤解ですよ。
脳死者が『不可逆的に死につつある』との認識は法案に賛成反対にかかわらず皆さんの意見は一致している。

一致していないのは脳死者の臓器移植問題です。
今回。、脳死者の臓器移植問題が無ければ、何ら問題は起きていません。
別問題ではなく話の根幹部分です。
脳死者の臓器移植を考えないなら、今までの心臓死でまったく不便は感じませんし、皆さん全員が納得するはずです。
自民党の中山太郎はその辺の事情を明け透けに語っているが、臓器移植なくして脳死=死の判断も起こりません。
『脳死=死』とは、死の前倒しですね。

医学が進歩して脳死移植も可能になったが、まだまだ未熟なので、
完全に死んだ臓器ではなく生きている臓器が必要なので『体が生きている脳死者』の存在が必要になってくる。
脳死者の臓器は間違いなく生きています。
しかし体(臓器)は生きているが『脳は生きていない』ので、『北斗の拳のケンシロウの台詞のように『もう死んでいる』と断定する必要が生まれるのです。
そう判断しないと医療行為ではなく極端な場合には傷害致死や殺人罪になりかねません。現に日本最初の北大の和田教授による心臓移植に対しては(検察に受理されませんでしたが)殺人罪の告発もなされている。

脳死移植は医学の進歩と、其の限界の狭間で生まれた未完成の医療行為です。
その意味では、原子力発電の色々な問題点や論争と似ている。
『本当に死んでいるのか?まだ生きているのか?』
脳死問題は判断の分かれるが、時間さえかければ可也な部分正確に判断できるのではないかと考えています。
だから日本では12年の間で81件程度の少なさだったのではないでしょうか。?
時間をかけて誰にも文句を言われないように注意して慎重にしているのでしょう。
ただ問題は、システム化すれば、当然効率化や迅速化が進むのはある意味当たり前で、特に臓器が痛まないうちの移植が望ましい。
年間4千件の脳死臓器移植を行っているアメリカの60%は銃器に因るものらし。
銃で頭部を撃たれると臓器移植に理想的な脳死者が生まれるらしいが、何ともアメリカらしい話ですね。

輪廻転生は言ったらしいが、ブッダは霊魂の存在については何も語っていません。(霊魂不説)
輪廻の思想ですが、『霊魂が再びこの世に戻る』と解釈するよりも、生き物が死んだら土に返りそれが植物を育て、それが動物を育むというような科学的な『生命の循環』の事ではないでしょうか。?
それなら科学的な知見とも一致してまったく矛盾が有りません。

投稿: 逝きし世の面影 | 2009.06.23 17:06

せとさん、

「脳死」と、「脳死判定」の問題を分けるべきと言っています。
「脳死」とは、完全に脳が回復が100%不能で機能を完全に失った状態。これは、明らかに人の死です。

一方、心臓死が人の死でないことは既に皆さんよくご存じです。
なぜなら、心臓移植したり人工心臓を取り付けた方の心臓は当然死んでいますが、その方は紛れもなく生きていることを皆さんはご存じなのです。

> この条件が満たされる、つまり再起しないと判断されたら、それは死と結びつくのかと思うのですが、、、

この「脳死判定」がこれが十分か?これで100%間違わずに確実に判定できるか?は、また別の議論なのです。そして、この基準は常にブラッシュアップして行くべきですよね。

で、よく、「脳死から蘇った人がいる」という言い方をされる方をみますが、本当の「脳死」からは、絶対に蘇れません。脳が回復不能なのが「脳死」なのですから、回復したと言うことは「脳死」ではなかったという事です。
つまり、その場合は、「脳死判定」が間違っていた=脳死だと思ったが違っていた。という事です。

このように、
「脳死」は紛れもなく人の死だと私は思いますし、実は皆さん承諾済みだと思いますが、まず、これをどう考えるか?という問題。

そして、「脳死判定」は間違えずに確実に行えるのか?今の基準で十分なのか?実際、なかなか難しい(特に少児の場合)という問題。

この2つの問題の議論は、全く別なのできちんと分けるべきなのです。

投稿: Looper | 2009.06.24 09:18

脱線なので流してくださいね。人道的なお話でもないです。


ある科学者のコメント。科学の進歩で寿命が延びた。でも寿命が縮められた。
つまり生死の前後は科学では美味しい分野だそうです。

投稿: あゆ | 2009.06.24 09:41

>自分が脳死で(明確にどういう状態になれば)提供しようとしっかり意思のある人ならいいんですが、そうでない人の臓器が提供されちゃったら・・・?可能性はたかくないでしょうけど、ひょっとしたらおこりうるかも?

現行法の不備は、仮にどんなに本人や家族が臓器を提供したいと望んでも、その希望が叶えられない制度であるということです。

これを、本人が拒否せず、本人や家族が承諾した場合に、提供できるようにしようよというのがA案です。

ましてや、ヨーロッパの多くの国のように、本人の拒否の意志がなければ同意したとみなすという「推定同意」制度にしようというのではありません。

国会では議論不足かもしれないが、私は10年以上も放っておいた国会の責任として、1時間でも早い法案の成立を望んでいます。

その上で、より厳格で間違う可能性のない、小児用の脳死判定基準を作るなどの作業をすべしと思っています。

投稿: Looper | 2009.06.24 09:42

逝きし世の面影さん。
あゆさん。
Looperさん。
こんにちは。
コメントありがとうございます。
思えば思うほど、難しい問題だと実感しています。


逝きし世の面影さん。
「一致していないのは脳死者の臓器移植問題です。
今回。、脳死者の臓器移植問題が無ければ、何ら問題は起きていません。」

はい。
だからこそ、議論の中心は「脳死は人の死」か、だったのですよね???
そこで、私は、脳死は人の死ではなかろうか、、、と思ったのです。
まず、その立ち位置を述べて、
その後での臓器移植についての実際を考えていきたいと思ったのです。
Looperさんから頂いたコメントで、まずは、自分自身の確認作業を行いました。
脳死は人の死であることを認め、
では、臓器移植について、迅速に、安全に行うにはどうすればいいか?
提供者の家族への配慮やその他もろもろのことは如何にあるべきか、については、
私も拙速に解答を求めることなく、丁寧に見ていきたいと思っています。


あゆさん。
そうですね。確かに生まれること、死ぬこと、謎だらけです。
科学、自然科学にとっても人文科学にとっても、「極めたい、知りたい」と思う分野ではありますね、、、

Looperさん。
はい、おっしゃることわかります。
「この「脳死判定」がこれが十分か?これで100%間違わずに確実に判定できるか?は、また別の議論なのです。そして、この基準は常にブラッシュアップして行くべきですよね。」

了解です。
言われる通りですね。
ますます医療技術が進歩する必要を感じます。
ずっと、この間、店晒しというかお蔵入りしていたこの法案ですが、
こうして、国民の関心、耳目を集めている今、
しっかり、きっちりと勉強、検討することを願っています。
この問題、もう少し考えていきますが、
いずれにしても、
私たちをおいてけぼりにして見切り発車するような審議だけはごめんです。

投稿: せとともこ | 2009.06.24 12:00

話が微妙に擦れ違っていますが、瀬戸さんの意見(判定)は脳死者の脳死状態の判定ですよ。

この判定方法では確かに脳の死の判定は出来ます。
だから『脳死者』が生まれた。
それは何も意見は別れていない。
この問題では誰も異議を唱えていないのですよ。

意見が分かれるのは、やっぱり最初に返って『脳が死んでいる者は、死んでいるのか』なのですよ。
そして、『脳死は人の死』は未だ日本人の間では定着していない。
12年間で81件だった脳死移植の少なさは、何よりの其の証拠ですよ。
まだ其の合意は日本人の間で決定されていない。

この問題に関して『脳が死んでいるのに生かされるのは嫌』だから自分の場合には『とっとと殺して臓器移植してもらいたい』という意見をお玉さんのブログのコメント欄で読みましたが、実は若い時の私の意見と同じです。
今でも、何も判らない痴呆状態で『腹減った、メシをくれ~』と一日24時間中言って家族に迷惑かけながらなら長生きしたくはないな~あ、とは考えていますよ。

若者とはある意味傲慢で『○○が無ければ死んでいる状態である』と考えるのでしょう。
生きる事の意味や価値観は其々違います。

今回、脳が死んでいるなら『即死体』であると考える人も出て来たが、ある意味当然であるとも思えます。

『人は、何の為に生きるの』と、人生の目的を聞かれた私の母(86歳)は、当時中学生だった孫娘に『人は食べる為に生きるのじゃ』と答えた。
このあまりの答えに、我が娘はしばらく立ち直れなかったらしい。

そういえば明治生まれの老母は生前よく『金が無いのは首(いのち)が無いのと同じ』と言っていた。
金が無いのは死人の同じとは、金が無ければ食料を確保できず餓死を覚悟しなければならない。
本物の飢餓体験を経験した世代は、今の世代とは考え方(価値観)が大きく違っています。


生きていくことと、何かを考える事の間には何の関係も有りません。
『生きている』と言う事は、何かの機械の様ではなく、『絶え間ない変化のバランス』であり、代謝の動的均衡状態です。
一部分(脳)が死んでいても大部分(体)が生きていれば其れは生きていると呼ぶべきでしょう。

投稿: 逝きし世の面影 | 2009.06.26 17:08

逝きし世の面影 さん。
こんにちは。
コメントありがとうございます。
ちょっと出かけていたので、お返事おそくなりました、、、


さて、いただいたコメント何回も拝見いたしました。
そんなに、面影さんとはずれていないと感じているのですが、、、
が、、、、
とても貴重なお話をいただき、私も考え込みました。
お母様の言われること、
グッときます。
なんていうか、地に足がついているというか確かな重みがあると感じます、、、
さてさてさて、、、
この間、いろいろと私なりにこの問題を考えています。

本質からずれるのか、と思いつつも、、
つつも、、、
私は
結局、この問題は当事者の捉え方にいきくしかないと思うのです。
つまり受け入れることも拒否することも出来るのは当事者いがいないのだから。
(与える側ではご家族になるでしょうか?)

そして、今回の法律案は、
今まで禁じられていたことで限界があった医療への「一つの選択」が開かれたと、とっています。
この法律が出来たから、即、臓器移植とかとかではなく、
最終の医療行為として幅が広くなったということではないでしょうか???

もちろん、現実にその場面に直面したとき、
どのような判断を下すかはプロの医師や当事者、ご家族の方々の選択です。
自分に引き当てた場合、どうするかはいまだ分かりません。そして、
法律はそこまでは立ち入ることはできないのではないでしょうか?

なんというか、私は国会での審議と、
「人の死生観」とをあまりに結びつけることなく、つまり個人のそれぞれの人生観や宗教観には立ち入らず、
あくまで「法律」として粛々となおかつ丁寧にみていくことを希望しているのです。
脳死判定後のアレコレについては、
臨床での経験をもっと聞きたいと思っています。
また医療技術の実際についてももっと考えていく必要を感じています。
そういう手続きなしの法律通過には危惧を感じる、というのがこのエントリーの趣旨です。

投稿: せとともこ | 2009.06.26 17:59

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