poohさんのエントリーで知ったのですが、
発信箱:むなしい科学=元村有希子(科学環境部)と言う毎日新聞の企画コラムを読みました、、、、
ううううう〜〜〜〜ん。
これは、元村さん>
批判すべき相手、告発すべき相手、疑問を呈する相手が違うのではないでしょうか、、、
湯川秀樹 生誕100年と言う記事を2007年に書きました。
京都大学はこの時「湯川秀樹・朝永振一郎博士 生誕百年記念事業}と言うことで記念講演会では、湯川の業績を讃え、湯川の求めたものを伝えていきました。
さて、先の元村さんの記事に話を戻しますが、主張を明らかにするため、まず記事を流れのまま追います。
元村さんは冒頭、湯川の短歌を紹介。
「雨降れば雨に放射能雪積めば雪にもありといふ世をいかに」。
そして、
「湯川秀樹はこの歌を、米国の水爆実験(1954年3月1日)の後に詠んだ。ノーベル賞受賞後は核兵器廃絶運動に取り組み、激しさを増す核開発競争を批判した。」と続きます。
次に、北朝鮮の先頃の核実験において以下のように述べます。
「そして今月、北朝鮮が地下核実験を実施した。「成功」を伝える発表文は「科学者、技術者らの要求に従い」と始まる。作っては試し、改良してまた試す。こうした試行錯誤なしに科学の発展はない。だが、科学者たちは結果の深刻さについて一度でも想像したことがあるだろうか。そう考えたらむなしくなった。」と。
次に、時は戦時中に逆戻りさせながら北朝鮮の核実験とシンクロ。
「巨額の金を使って刺激的な先端研究ができる喜びと、世界初の核実験を成功させた興奮がつづられている。」
と、述べた当時の研究者の言を引用。
そして、
「日本でも陸軍と海軍が原爆開発を計画し、湯川ら多くの科学者がかかわった。未完に終わったから「加害者」にならずに済んだ。」
と、書きます。
最後の結びは、
「人間はこの60年間、同じことを繰り返してきた。政治家が科学者を利用し、科学者は無邪気に目標を追いかけ、多くの命を奪い、地球を汚し、誰ひとり幸せにしなかった。どう考えても、これ以上むなしい営みはない。」となり、終わります。
これが元村さんの記事全部です。
さて、湯川さん個人に言及するならば、
元村さんが書かれたように、湯川は無邪気に目標を追いかけ、原爆開発の計画に加わったのだろうか???
「ユカワは原爆研究に関与せず」などのサイトによれば、湯川は無関係ということになるのだが、本当のところは私は分かりません。
が、
加害者であったかどうかに関わらず、湯川は自己撞着のすえ、
「今後、科学がこのような利用のされ方がないこと」を強く願ったのは確かです。
実際、元村さんもご自分の記事の冒頭に紹介しているように、
パグウォッシュ会議やラッセル=アインシュタイン宣言の精神は科学者の「今」に引き継がれています。
さて、
湯川が関わったかどうかと言うことが本記事のテーマではなく、
元村さんの主張は「むなしい科学」と言うタイトルにもあるように、
科学が政治に利用され、その先にあるものへの理解のないままひたすら研究していくことは空しく愚である、と言うことです。
果たして、そうだろうか???
元村さんの記事を読むと、
科学全般が
「先の見通しもなく目の前の成果に無邪気に飛びつく」ものとも読み取れるが、
科学とは元村さんが書かれたような「そうしたもの」ではありません。
むなしいのは科学者や科学ではなく、
それを「空しく」「愚か」に利用するものたち(ある時は権力とも言い、またある時は政治とも言う)であり、
そうした利用をこそ、告発すべきであり、糾弾すべきではないかと私は思います。
最後に、何回もここで紹介していますが、改めてラッセル=アインシュタイン宣言を紹介します。
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私たちは、人類が直面する悲劇的な情勢の中で、科学者たちが会議に集まって、大量破壊兵器の発達の結果として生じてきた危険を評価し、ここに添えられた草案の精神において決議を討論すべきであると感じている。
私たちが今この機会に発言しているのは、あれこれの国民や大陸や信条の一員としてではなく、その存続が疑問視されている人類、人という種の一員としてである。世界は紛争に満ち満ちている。そしてすべての小さな紛争の上にかぶさっているのは、共産主義と反共産主義との巨大な闘いである。
政治的な意識を持つ者はほとんど皆、これらの問題のいくつかに強い感情を抱いている。しかし、もしできるならば、皆さんにそのような感情をしばらく脇に置いて、ただ、すばらしい歴史を持ち、私たちの誰一人としてその消滅を望むはずがない生物学上の種の成員として反省してもらいたい。
私たちは、1つの集団に対し、他の集団に対するより強く訴えるような言葉は、一言も使わないように心がけよう。すべての人が等しく危機にさらされており、もしこの危機が理解されれば、皆さんがいっしょになってそれを避ける望みがある。
私たちは新たな仕方で考えるようにならなくてはならない。私たちは、どちらの集団をより好むにせよ、その集団に軍事上の勝利を与えるためにどんな処置がとられうるかを考えてはならない。私たちが考えなくてはならないのは、そんな処置をとればすべての側に悲惨な結末をもたらすに違いない軍事的な争いを防止できるかという問題である。
一般大衆は、そしてまた権威ある地位にある多くに人々でさえ、まだ核爆弾による戦争によって起こる事態を自覚していない。一般大衆は今でも都市が抹殺されるくらいに考えている。新爆弾が旧爆弾よりも強力だということ、原子爆弾1発で広島を抹殺できたのに対して水素爆弾なら1発でロンドンやニューヨークやモスクワのような最大都市を抹殺できるだろうということは理解されている。
疑いもなく、水爆戦争では大都市が抹殺されてしまうだろう。しかしこれは、私たちの直面しなければならない小さな悲惨事の1つである。たとえロンドンやニューヨークやモスクワのすべての市民が絶滅したとしても2、3世紀の間には世界は打撃から回復するかもしれない。しかしながら今や私たちは、特にビキニの実験以来、核爆弾は想像されていたよりもはるかに広い地域にわたって徐々に破壊力を広げることができることを知っている。
信頼できるある筋から、今では広島を破壊した爆弾の2500倍も強力な爆弾を作ることができるということが述べられている。
もしそのような爆弾が地上近くまたは水中で爆発すれば、放射能を持った粒子が上空へ吹き上げられる。そしてこれらの粒子は死の灰または雨の形で徐々に落下してきて、地球の表面に降下する。日本の漁夫たちをその漁獲を汚染したのは、この灰であった。
そのような致死的な放射能を持った粒子がどれほど広く拡散するのか、誰も知らない。しかし最も権威ある人々は一致して水素爆弾による戦争は実際に人類に終末をもたらす可能性が十分にあることを指摘している。もし多数の水素爆弾が使用されるならば、全面的な死滅が起こる心配がある。
――瞬間的に死ぬのはほんのわずかだが、多数の者はじりじりと病気の苦しみをなめ、肉体は崩壊していく。
多くの警告が著名な科学者や権威者によって軍事戦略上から発せられている。しかし、最悪の結果が必ず来るとは、彼らのうちの誰も言おうとしていない。実際彼らが言っているのは、このような結果が起こる可能性があるということ、誰もそういう結果が実際起こらぬとは断言できないということである。この問題についての専門家の見解が少しでも彼らの政治上の立場や偏見に左右されたということは今まで見たことがない。私たちの調査で明らかになった限りでは、それらの見解はただ専門家のそれぞれの知識の範囲に基づいているだけである。一番よく知っている人が一番暗い見通しを持っていることがわかった。
さて、ここに私たちがあなたがたに提出する問題、厳しく、恐しく、そして避けることのできない問題がある――私たちは人類に絶滅をもたらすか、それとも人類が戦争を放棄するか? 人々はこの二者択一という問題を面と向かって取り上げようとしないであろう。というのは、戦争を廃絶することはあまりにも難しいからである。
戦争の廃絶は国家主権に不快な制限を要求するであろう。しかしおそらく他の何にも増して事態の理解を妨げているのは、「人類」という言葉が漠然としており、抽象的だと感じられる点にあろう。人々は、危険は自分自身や子どもや孫たちに対して存在し、単にぼんやり感知される人類に対してではないということを、はっきりと心に描くことがほとんどできない。人々は個人としての自分たちめいめいと自分の愛する者たちが、苦しみながら死滅しようとする切迫した危険状態にあるということがほとんどつかめていない。そこで人々は、近代兵器さえ禁止されるなら、おそらく戦争は続けてもかまわないと思っている。
この希望は幻想である。たとえ水素爆弾を使用しないというどんな協定が平時に結ばれていたとしても、戦時にはそんな協定はもはや拘束とは考えられず、戦争が起こるや否や双方とも水素爆弾の製造に取りかかるであろう。なぜなら、もし一方がそれを製造して他方が製造しないとすれば、それを製造した側は必ず勝利するに違いないからである。
軍備の全面的削減に一部として核兵器を放棄する協定は、最終的な解決を与えはしないけれども、一定の重要な目的には役立つであろう。
第一に、およそ東西間の協定は、これが緊張の緩和を目指す限り、どんなものでも有益である。第二に、熱核兵器の廃棄は、もし相手がこれを誠実に実行していることが双方に信じたれるとすれば、現在双方を神経的な不安状態におとしいれている真珠湾式の奇襲への恐怖を減らすことになるであろう。それゆえ私たちは、そのような協定を歓迎すべきである。
私たちの大部分は感情的には中立ではない。しかし人類として、私たちは次のことを銘記しなければならない。すなわち、もし東西間の問題が誰にでも――共産主義者であろうと反共産主義者であろうと、アジア人であろうとヨーロッパ人であろうと、または、アメリカ人であろうとも、また白人であろうと黒人であろうと――可能な満足を与えうるような何らかの仕方で解決されなくてはならないとすれば、これらの問題は戦争によって解決されてはならない。私たちは東側においても西側においても、このことが理解されることを望む。
私たちの前には、もし私たちがそれを選ぶならば、幸福と知識と知恵の絶えない進歩がある。私たちの争いを忘れることができぬからといって、その代わりに、私たちは死を選ぶのであろうか? 私たちは、人類として、人類に向かって訴える――あなたがたの人間性を心にとどめ、そしてその他のことを忘れよ、と。もしそれができるならば、道は新しい楽園へ向かって開けている。もしできないならば、あなたがたの前には全面的な死の危険が横たわっている。
決議
私たちは、この会議を招請し、それを通じて世界の科学者たちおよび一般大衆に、次の決議に署名するよう勧める。
「およそ将来の世界戦争においては必ず核兵器が使用されるであろうし、そしてそのような兵器が人類の存続を脅かしているという事実から見て、私たちは世界の諸政府に、彼らの目的が世界戦争によっては促進されないことを自覚し、このことを公然と認めるよう勧告する。従ってまた、私たちは彼らに、彼らの間のあらゆる紛争問題の解決のための平和的な手段を見出すよう勧告する。」
マックス・ボルン教授(ノーベル物理学賞)
P・W・ブリッジマン教授(ノーベル物理学賞)
アルバート・アインシュタイン教授(ノーベル物理学賞)
L・インフェルト教授(ノーベル物理学賞)
F・J・ジョリオ・キュリー教授(ノーベル化学賞)
H・J・ムラー教授(ノーベル生理学・医学賞)
ライナス・ボーリング教授(ノーベル物理学賞)
C・F・パウェル教授(ノーベル物理学賞)
J・ロートブラット教授
バートランド・ラッセル卿(ノーベル文学賞)
湯川秀樹教授(ノーベル物理学賞)
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