衆議院解散について ツラツラと
いよいよですね。
総選挙。
昨日はマスコミは、ガンガン放送していました。
私も、つい見てしまったのですが、同じ映像を。ははは。
「天下為公」を座右の銘とした麻生さんでしたが、
そんな麻生さんのこの間の総理としての働きを思い出しながら、ふと高田保の「ブラリひょうたん」の一説が頭に浮かびました。
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ある金持、何かのことで大勢の人夫を使つた。その人夫たちを眺めていると、休みの時間中も落着かぬ風體の一人があつた。怪しんでわけをたずねると、
旦那、私はこうしている時間が勿體ないのでございます。
この返事を聞いてその金持は、よろしい。ではあそこに積んである石を、殘らずこつちへ運びなさい、と命じたのだそうだ。喜んでその人夫はそれを運びはじめた。
旦那、仰せの通りに運んでしまいました。
まだ働きたいか?
はい。
ではその石を元の所へ運びなさい。
外の人夫たちはとつくの昔に歸つてしまつても、この人夫だけは、殘つてそれをその通りにした。そこで金持が、
今日の働き賃、どれだけ欲しいか?
あたり前の一人分で結構でございます。
明日も働きたいか?
はい。
では來いといわれてその人夫、翌日の朝早くにやつて來て、今日は何をすればよいかと金持にいつたのだそうだ。金持は答えて、
昨日やつた通りに、あの石を運び直しなさい。
はい、と驚きながら人夫は答えたが、しかし默つてその通りにやつた。終つて新しい指圖をしてもらいに行くと、
では又、元へ戻しなさい。
はい。
人夫はいよいよ驚いた顏はしたのだが、何故そんなことをしなければならぬのかとは、ついに最後まで口に出さなかつたのだそうだ。
おまえは實に感心な男だ。
と金持は最後にその人夫を賞めて、改めてその家の召使にすることにしたというのである。人間はえてして、碌な仕事もできぬうちに、あゝだこうだといいたがるものだ。それをお前は默々として、いわれた通りに働いている。だから感心だというのだそうだが、これを『美談』といつたら、誰だつて馬鹿々々しいというだろう。
右は西洋の話、西洋にもこれが美談で通つた時代があつたのである。
(高田保 ブラリひょうたん 美談より一部引用)
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麻生さんにしたら、
「国民のため」と言う思いで(?)
一生懸命、石をあっちに動かし、こっちに戻し、
そしてまた次の日も「経済対策」と言って同じことをあっちに動かし、こっちに動かし、、、
と、
愚直なまでにやっていたのだろうが、、、
が、、、
結局、何も変わらなかった。
と、言うことでしょうか???
いや、本当はもっと悪くなったか???
視点を変えれば、中川さん。
「顔を変えろ」「変えろ」と石をあっちこっちと動かしてはみたものの、
結局、動かしただけで、
旦那に褒められもせず、、、
いずれにしても、
愚直であるということは美談ではないのですね、、、
馬鹿馬鹿しいだけなのでしょうね。
フゥム。
それにしても、
どうなるのか???
なぁ。
テレビで「ザ・ニュースペーパー」が今回の解散を風刺している一場面が映りました。
鳩山さんらしき人物が言うには、
「みなさん、民主党が政権をとったらどうなるかと心配なさっているようですが、
心配はいりません。
自民党と同じことをやりますから、、、」
だって。
あああああ〜〜〜
笑っちゃイケナイ。
笑えないよね。
明日はどっちの方向を向いているのやら???
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コメント
平和憲法を墨守すれば平和が守れるとか、福祉を厚くすれば豊かな社会がつくれるとかいう議論も、愚直の美談だと思いませんか?
投稿: 罵愚 | 2009.07.22 17:00
おおおお、、、罵愚さん。
あなたなら、そう書かれると思いました(o^-^o)
実にあなたらしくて、
思わずニコッリしました。
愚直の美談。
尤も、私のエントリーは美談ではないのだが、、、
いずれにしても、
私は平和と福祉を中心にこれからも書いていきますね。
投稿: せとともこ | 2009.07.22 17:19
こんにちは、せとさん。
>愚直であるということは美談ではないのですね、、、
前にシシュフォスのことを書かれた時に、同じ様な話を書きましたね。そして、「修証一如」なんて事も書いた訳です。自らの行動全てを修行ととらえ、その修行により悟るのではなく、修行に打ち込む時の心そのものを悟りとするなら、或る意味、どれほど無成果な行為であっても悟りである訳ですよ。ただね、これは禅の修行についての言葉だからね。禅寺の坊主が石運びを修行として、そこに悟りを見いだすということなら美談でもありえるけど、一国の首相が無成果な石運びをしても美談には成りようが無いわけです。
>尤も、私のエントリーは美談ではないのだが、、、
>いずれにしても、
>私は平和と福祉を中心にこれからも書いていきますね。
禅では「大愚」という事を尊ぶ面がありましてね(良寛和尚の道号もまた大愚ですね)。「小賢は大愚に及ばず」なんて言葉もあるけど、小賢しく右往左往するくらいならむしろ愚直である方が良いと考えたりするんですね。ただ、この言葉の前には「大賢は小愚をかねる」なんてついていましてね、本当に賢いなら、人から「愚かな」と思われるような愚直さもまた発揮出来るんですね。
投稿: 技術開発者 | 2009.07.23 16:41
『私は平和と福祉を中心にこれからも書いていきます』という瀬戸先生に対しては『本当に賢いなら、人から「愚かな」と思われるような愚直さもまた発揮出来る』ともちあげておいて、その直前では『一国の首相が無成果な石運びをしても美談には成りようが無いわけです』というのは、あからさまなダブルスタンダードに思える。
それともこれこそ平和念仏教の悟りの境地なんだろうか(笑)?
投稿: 罵愚 | 2009.07.24 04:47