« 最高裁判官の国民審査もしっかりと見ていきましょう | トップページ | これから出かけます »

2009.08.27

茨木のり子さんの詩から、、、

なんでんかんでんと言うタイトルのブログに行くと、管理人のよんじゃるさんが温かく迎えてくださいます。
よんじゃるさんは、いつもコメントを下さる「よさん」です。

時々の話題が簡潔に明快に書かれていて、なんとなく「ひだまり」にいるようなホンワカなブログです。
さて、そんなよさん。
先日、頂いたコメントに茨木のり子さんの詩について書かれていたので、
私も、もう一度パラパラとめくっていました。
何度よんでも新鮮で迫力のある詩にタジタジになるばかり。
どうして、こんなにも的確にズバリと書けるんだろう?????
芥川龍之介は「風呂に入るのは簡単だが、その情景をイキイキと書くのは難しい」と言うような内容のことを言っているが、
確かに「イキイキ」と書くって本当に難しいです。
尤も芥川は目指すところが違っていたのでしょうが、、、、、


さて、茨木さんの詩。
読んでいたら「よさん」のコメントとピッタリあう詩に出会いました♪
以前ここでも紹介した「汲む—Y・Yに— 」と「歳月」を今日はもう一度載せます。
大人になるとは、、、どういうことなのだろうか???
捨てる物と、残る物。
別れた物と残った物。
失った物と獲得した物。
そんなあれやこれやが、、、思い出されます。

=================

汲む—Y・Yに—   茨木のり子

大人になるというのは
すれっからしになるということだと
思い込んでいた少女の頃
立居振舞の美しい
発音の正確な
素敵な女の人と会いました
そのひとは私の背のびを見すかしたように
なにげない話に言いました

初々しさが大切なの
人に対しても世の中に対しても
人を人とも思わなくなったとき
堕落が始まるのね 堕ちてゆくのを
隠そうとしても 隠せなくなった人を何人も見ました

私はどきんとし
そして深く悟りました

大人になってもどぎまぎしたっていいんだな
ぎこちない挨拶 醜く赤くなる
失語症 なめらかでないしぐさ
子どもの悪態にさえ傷ついてしまう
頼りない生牡蠣のような感受性
それらを鍛える必要は少しもなかったのだな
年老いても咲きたての薔薇 柔らかく
外にむかってひらかれるのこそ難しい
あらゆる仕事
すべてのいい仕事の核には
震える弱いアンテナが隠されている きっと……
わたくしもかつてのあの人と同じぐらいの年になりました
たちかえり
今もときどきその意味を
ひっそり汲むことがあるのです

===============

歳月

 真実を見きわめるのに
 二十五年という歳月は短かったでしょうか
 九十歳のあなたを想定してみる
 八十歳のわたしを想定してみる
 どちらかがぼけて
 どちらかが疲れはて
 あるいは二人ともそうなって
 わけもわからず憎みあっている姿が
 ちらっとよぎる
 あるいはまた
 ふんわりとした翁と媼になって
 もう行きましょう と
 互いに首を締めようとして
 その力さえなく尻餅なんかついている姿
 けれど
 歳月だけではないでしょう
 たった一日っきりの
 稲妻のような真実を
 抱きしめて生き抜いている人もいますもの 

|

« 最高裁判官の国民審査もしっかりと見ていきましょう | トップページ | これから出かけます »

コメント

トラックバック及び紹介戴きありがとうございます。持ち上げ過ぎです‥coldsweats01
>芥川龍之介は「風呂に入るのは簡単だが、その情景をイキイキと書くのは難しい」と言うような内容のことを言っているが、<
確かに「書く」という難しさはブログを始めて1年チョッとですが、痛切に感じます。思った事の10分の1も表現出来なくて情けなく、投げやりな文章になったりします。読書好きで何気なく読んでいた本もこの頃では、作者の発想と表現の上手さに再度着目するようになり面白さも倍増しました。
茨木のり子さんの詩‥本当にいいですね。
>汲む—Y・Yに—  
[抜粋]
大人になってもどぎまぎしたっていいんだな
ぎこちない挨拶 醜く赤くなる
失語症 なめらかでないしぐさ
子どもの悪態にさえ傷ついてしまう
頼りない生牡蠣のような感受性
それらを鍛える必要は少しもなかったのだな
年老いても咲きたての薔薇 柔らかく
外にむかってひらかれるのこそ難しい<
考えてみると年齢を重ねても肉体は衰えを魅せますが、心は子供のまま、若者のままだったりします。
しかし、大人気ない?の理性?が背伸びさせるのか‥円くなり個性のない好好爺(まだ早い)を演じている自分に気付き苦笑いするときがありますが、これが大人と言い聞かせる言い訳に反抗する自分を見つけたとき「まだまだ、若い!」と喜びを感じたりします…もっと自分を出すように心掛けようと思いますね。
>歳月
[抜粋]
たった一日っきりの
稲妻のような真実を
抱きしめて生き抜いている人もいますもの<
呆けても忘れない真実…私に稲妻のような真実があっただろうか…?それを思ったとき‥日々を正直に生きる事の大切さを実感します。

『倚(よ)りかからず ※73歳の作品

もはや
できあいの思想には倚りかかりたくない
もはや
できあいの宗教には倚りかかりたくない
もはや
できあいの学問には倚りかかりたくない
もはや
いかなる権威にも倚りかかりたくはない
ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある
倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ』

私が73歳になったとき、ここまで達観出来るかどうか…
また、お邪魔します。
   

投稿: よ | 2009.08.27 10:59

瀬戸さま お元気そうで何よりです。


「選挙のお祭り」が終わりました。
政権交代ということになりそうで一安心ですね。 
実質1年半の選挙運動でした・・・少々疲れました。


「憎憎しい政治の言葉」がまだ少しの間 
世間に溢れるのでしょう・・・
もっと静かな言葉の中で暮らせるようになりたいですね。


茨木さんの詩を友人にメールしました。
今まで以上に元気を出して下さると思います。


これからも茨木さんの詩をご紹介ください


ではでは。
にふぇでびる~。

投稿: こば☆ふみ | 2009.09.02 23:19

こば☆ふみさん。
ご無沙汰していますo(*^▽^*)o

お元気でいらっしゃいましたか?
そりゃ、お元気ですよね(*^-^)
本当に良かったですね。
おめでとうございます。
また、お疲れさまでした。
それにしても凄かったです!!!
欲を言えば、とくらさんが残念でしたが、、、

これからが正念場ですね。
私たちもウウウウ===ンと注目しています。
期待もしています!!!


さて。
茨木のり子さん。
いいですね、、、、
いつも茨木さんと石垣さんの詩を書くと、あなたからコメントを頂くので、今回もよさんとあなたのことを思い出していたのですが、
こうしてコメントを頂けると改めて嬉しくなります!!!

またご近況などお聞かせくださいね。
楽しみにしています。

ではまたね!!!

投稿: せとともこ | 2009.09.03 14:28

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/15797/46041844

この記事へのトラックバック一覧です: 茨木のり子さんの詩から、、、:

« 最高裁判官の国民審査もしっかりと見ていきましょう | トップページ | これから出かけます »