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2009.08.18

ガルトゥング平和学

昨日核のない世界言うエントリーを挙げたところ、いつもコメントを下さる技術開発者さんから、これまたいつものように考えさせられる内容のコメントを頂きました。
何回読んでも飽きないというか、ますます深みが増すコメントです。
さて、昨日は「「法治国家は自力救済を禁止し代わりに民事裁判制度をつくることで争いを回避した」という話について教えてくださり、法律の公平性について書いてくださいました。
開発者さん曰く「絶対的な正しさではなく、立場逆転の時に同じ解決になる正しさ」についてです。
こうした保障が「「逆でも不変」という事の持つ「正しさ」が理解できるようにならないと「争いの回避」は難しいのね。なんていうかな「言い分の正しさ」を押さえつけて「逆でも不変」を正しいとするのが法であったりもするんですね。」と開発者さんをして言わしめます。

と、言うことで私もちょいと紛争について思いを馳せたら、以前チラリと読んだガルトゥング平和学入門を思ったりします。
ヨハン・ガルトゥングが提唱した平和学。
「平和=戦争のない状態と捉える「消極的平和」に加えて、貧困、抑圧、差別などの構造的暴力がない「積極的平和」を提起し、平和の理解に画期的な転換をもたらした。」とのことで、日本でもトランセンドの活動をなさっている方が沢山います。
また、いろんな大学でも「平和学」の講座が設けられ、平和について積極的に関わっていこうとしているようです。

さて、このヨハン・ガルトゥングの功績は暴力概念を緻密、綿密に分析したことです。
pdfですが「構造的暴力理論」の批判的考察と平和学の課題」などを参考に進むと、
直接暴力(DV)と構造的暴力(SV)、文化的暴力(CV)の3つの形態があり、ある暴力(V)は、この3つの 複合概念として捉えることができるそうです。
V=DV+SV+CV

直接暴力とは、その物ズバリ。
意図的で迅速な暴力の行使で戦争やイジメなどです。
そして、意図的ではないが間接的に暴力となるものが構造的暴力。
とくに構造的暴力について分析。
何をもって[構造的]暴力とするか、と言うことで個人的暴力と構造的暴力 を以下のように挙げています。
1 物理的暴力 と 精神(心理)的暴力
2影響力の積極的行使と 影響力の消極的行使
3 傷つけられる客体が存在と 傷つけられる客体は不存在
4 行為主体(人間)が存在 と 行為主体(人間)は不存在
5意図された暴力 と 意図されない暴力
6 観察可能な顕在的暴力と 観察可能な潜在的暴力

最後の文化的暴力とは「神や祖国のため」と言う発想で直接的、構造的な暴力を正当化、合法化する役割を担うものです。
そして、この理論は次に平和(P)に向かうために如何にすべきかとなります。
P=DP+SP+CP
そして時間で微分して次の式を立てます。
dV/Dt=Fv-Fp<0
Fvは当該暴力を助長させる社会的な力。
Fpはそれを食い止める力。
この式をさらに詳細に分析して暴力回避、さらに積極的な平和を目指そうとするものです。
暴力とは複合汚染であり、ただ一つの要因で成り立つものではないことを、改めて分析。
その原因を科学することで、紛争の平和的転換を目指そうとするガルトゥング平和学。
平和を目指すことは決して祈りや念仏ではなく、
行動であり知性であると改めて思うものです!!!

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コメント

《最後の文化的暴力とは「神や祖国のため」と言う発想で直接的、構造的な暴力を正当化、合法化する役割を担うものです。》
日刊ベリタにヘイトスピーチに関して記事がありました。国際紛争の大きな要因として差別というものが存在していると思います。難しい事は分かりませんが人を救う為の宗教も紛争の原因に為っている事に矛盾と悲愴を感じます。
無茶苦茶な半生を送って来て、今、新たに色々と勉強出来る事を感謝してます。

投稿: よ | 2009.08.18 12:45

よさん。
いつもコメントを頂き、本当にありがとうございます。
こうして書いている一番の励みになります。
この記事も書きながら、
よさんなら、どのように思われるか?
とか、
開発者さんだったら、どんな風に斬って下さるか、、、とかとか思いながら読んだ本を纏めました。


「日刊ベリタにヘイトスピーチに関して記事がありました。国際紛争の大きな要因として差別というものが存在していると思います。難しい事は分かりませんが人を救う為の宗教も紛争の原因に為っている事に矛盾と悲愴を感じます。」


はい。
著書には、差別と貧困について詳しく述べてあります。
自分では気がつかないうちに、加担している差別。
意識的に参加している慈善活動が、実は知らず知らず戦争加担になるかもしれないということ、、、
などなど思えば、山ほどあるんでしょうね。
原因が。

矛盾だらけですが、これはこれとして、
自らを見ていく上でも、こうして、よさんや開発者さんを始めとして多くの方々から学ぶことばかりです。
これからも、いろいろとご意見や感想、アドバイスを頂けると嬉しく思います!!!
ではまたね!!

投稿: せとともこ | 2009.08.18 16:11

 瀬戸先生、それはあまりにも身勝手が過ぎませんか?アメリカのイラク進攻がはじまったとき、それをとがめだてしたあなたに、フセインの侵略戦争と人道犯罪、なかんずく自国女性に対する虐待に関して、その直前の女性の権利に関する先生の記事との整合性を問いただしました。今回の「逆でも不変」原理を適用したら、先生の主張は、まったくのご都合主義になってしまいます。おなじ趣旨の質問をさしあげた記憶がございます。
 あのとき先生は「後日、記事にします」と約束して、その後その約束は忘れてしまったものか、果たされませんでしたね。おなじように、レスを約束したままの話題は、いくつかあります。

投稿: 罵愚 | 2009.08.18 17:50

おおおおお、、、罵愚さん。
そうでした、そうでした。
イラクの時、女性の権利云々でそのようなやり取りがありましたね。
ごめん。すっかり忘れていた。
本当にごめん。
あと、約束をしたのはどれだっけ???
年末にもなにかあったよね〜〜〜
なんでしったっけ???
多分、センター試験に追われて忘れたような気がします、、、
あっ、歳だと言わないでください。

いずれにしても、待たせていたのですね。
これについては一切言い訳できません。
心からごめんなさい。
悪気ではなく、アレコレと他の内容を書いていたり、
あるいは自分自身の勉強やら仕事で、失念していました。
失念と言えば、
外来生物についても書くつもりだったり、
本の感想やら、
進化の問題やら、なんだか沢山、書きたいことがあって、
「書くつもり」と言いながら、まだ書けないエントリーが山ほどあるんです、、、
ありゃ、これは大変。

とにかく古い記事なので、もう一度掘り起こして、それからですが、、、
いずれにしても、ご指摘のようにイラクの女性の権利については大切なことです。
また調べて書くね。
もし忘れていたら催促してください。

なお、今回頂いたコメントの「逆も不変」が、なぜ、罵愚さんの言われるような論理と結論に結びつくのか道筋がわかりません???
そもそもこの記事で私が述べた本質との関係が不可解です???
これに関してはお返事しようがないので詳しくお書きください。

これから私用なので、今日はここまでにしますが。
ではまた。

投稿: せとともこ | 2009.08.18 18:06

こんにちは、せとさん。

>また、いろんな大学でも「平和学」の講座が設けられ、平和について積極的に関わっていこうとしているようです。

実のところ、私が「戦争を無くしたかったら戦争について詳しく知らなくてはならない」という言い方をするのと全く同じなんですね。「戦争」というのを解析すると「閉塞の打破の方法」という事に行き当たる訳です。争いの元になる事象に他の解決が見いだせない閉塞があるとき戦争が起こると考える訳です。この考え方をさらに進めると「閉塞しやすい争いの元に成る事象」というのを排除する事を考えなくてはならなくなり、平和学に近づいていく訳です。

少し「差別」について書きましょう。なんていうかな「差別」っていうのは制度だけ見ていても分からない部分があるんですね。例えば、江戸時代の武士と町人は身分上の違いというのはあるんだけど、町人に「武士に生まれたかったか?」と聞いたら、「あんな、堅苦しい生き方は嫌だよ」という町人がかなり居たんじゃないかな、なんて想像するのね。徳川家康という人はその当たりの制度設計が結構うまくてね。身分が上に行くほどいろんなしきたりでがんじがらめにする様に設計しているのね。

「逆にしても不変」なんて変な事を書いたけど、例えば、ある社会で「立場が逆に成りたいですか」という問いかけをしたときに、一方が「そりゃあ成りたい」と言い他方が「そりゃあ嫌だ」という社会は差別のある社会ね(笑)。まあ、見てくれだけじゃなくて、その生活を良く知っているとしてだけどね。

投稿: 技術開発者 | 2009.08.21 16:58

技術開発者さん。
こんにちは。
コメントありがとうございます。

「「戦争を無くしたかったら戦争について詳しく知らなくてはならない」という言い方をするのと全く同じなんですね。「戦争」というのを解析すると「閉塞の打破の方法」という事に行き当たる訳です。争いの元になる事象に他の解決が見いだせない閉塞があるとき戦争が起こると考える訳です。この考え方をさらに進めると「閉塞しやすい争いの元に成る事象」というのを排除する事を考えなくてはならなくなり、平和学に近づいていく訳です。」

と、言うこと、とてもよく分かります。
戦争にかぎらず、「正しく分かること、分けること」の重要さを思うことしきりです。
ニセ科学しかり、宗教問題しかり、、、
結局、「分かっていること、いないこと」が自分の中でも曖昧であるとき、その隙間に入りこんで来るのでしょうか???如何でしょうか?

投稿: せとともこ | 2009.08.22 13:46

こんにちは、せとさん。

>ニセ科学しかり、宗教問題しかり、、、
>結局、「分かっていること、いないこと」が自分の中でも曖昧であるとき、その隙間に入りこんで来るのでしょうか???如何でしょうか?

すこしピンボケの部分から話をはじめると、「人間の持つ文化・文明の根元って何だろう」と考えるんですね。でもって、「我が身から離れた想像ができる」という事に行き当たったりするんですね。別なところで、「人間というのは群れの中の競争を弱めることで群れ全体を自然に対して著しく強くした生き物」という事を書いたりしましたが、この「群れの中の競争を弱める事で群れを強くする」という事が起こるために、「我が身から離れた想像ができる」ということの価値を考えたりするわけです。

人と人が暴力によらず話し合いとかで問題を解決するためには「我が身から離れた思考」というのが必要なんです。私は交渉事の多い人間ですが、私の論理は「私(たち)はこうして欲しい。そしてこうする方があなた(がた)にとっても結局は良い」とか「私(たち)はそれを止めて欲しい。そして止める方があなた(がた)にとっても結局は良い」という言い方になります。双方の自分の得だけがぶつかったって解決なんてしませんからね(笑)。

なんていうか、そういう論理的な解決の基本というのが「我が身を離れて相手の立場に立った状態を意識の中に構築する」である訳です。それができないと、解決はできない。でもって、この想像力というのは、幾つもの障害があるわけですね。同じ文化の中で育つ者同士でさえ、なかなか相手の立場に立った想像を駆使するのはできにくかったりする訳です。ましてや、民族が異なり文化が異なったり、信じる宗教が異なったりする時に、それを超えて相手の立場状態を想像するのはかなり難しいことではある訳です。でも、それを乗り越えないと論理的な解決はてきない訳です。

投稿: 技術開発者 | 2009.08.26 09:10

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