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2009.09.11

コメント欄からさらに進めて書いてみました、、、

社会学とデータと言う先に挙げたエントリーのコメントが盛り上がっています。
よさんからは実感としての格差。
きっかけを頂いた黒猫亭さんからは、統計数字の分析について分析者の立場を考慮することを。
また技術開発者さんとJohannes Chrysostomos さんは、先のエントリーの続きも兼ねて新自由主義について考察を加えていただきました。
さらにあゆさんからは真摯な疑問が寄せられと、、、、、
私もコメントを拝見しながら学ぶことばかりです。
新自由主義については、私もこだわり続け、その都度エントリーを挙げています。
階級と階層と言う記事では、「何故格差は進んだのか」と言う背景や原因を探るため5つの論点で考えていきました。
1、雇用格差
2、賃金・所得格差
3、消費格差
4、能力格差(広義)
5、人格的自由の格差
の5つです。

本当はコメント欄に書こうと思ったのですが、
チョット長くなるので、新しくエントリーを挙げました。
さらに競争社会と言うエントリーを挙げたときは、
1970年前半のスタグフレーション、ケインズ経済の衰退以降の流れを時系列で追ってみました。
そこでは小泉内閣以前の動きを主に調べました。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ミルトン・フリードマンを中心としたシカゴ学派のマネタリズムは、
ケインズ経済学の有効需要論を批判。
通貨の供給管理を重視する金融政策を経済の中心に据えることで、
政府は経済成長のために財政を使うことは無い、いわゆる「小さい政府」を提唱。
経済成長は市場での自由な競争の合理的結果としてもたらされるとする考えです。
これを支えたのが新自由主義と呼ばれるもので、現実には政府は企業に対して様々な規制を緩和・撤廃、同時に社会福祉などを見直し労働者の権利を縮小していく政策をとっていきます。
最初に実行したのはイギリスのサッチャー首相(1978年就任)。
続いてアメリカのレーガン大統領、日本の中曽根総理、ドイツのコール首相などがこの政策を展開していきます。
では日本では具体的にどの様に展開されたを見ます。
国鉄、電電公社、専売公社の民営化がなされました。
また90年代には金融市場での緩和、撤廃が相次いで行われグローバリゼーションは浸透していきます。
アメリカの対日要求もこの時期は強まります。
アメリカ流の市場原理を日本も適用するように要請。
96年、橋本政権の日本版ビッグバンは日本の金融の再編を促進。
しかし同時にこの時期は80年代後半からのバブル崩壊やそれに続く銀行の不良債権などが相次ぎました。
そしてついに7つの住宅金融専門会社の破綻。
山一証券、北海道拓殖銀行、日本長期信用銀行、日本債券信用銀行の破綻と続きます。
この収拾をはかるため政府は公的資金(60兆円)を導入。
こうして金融機関の破綻処理に政府の全面介入が行われることで、
新たに市場経済に政府が介入、、、、
(以前の記事)
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そして、今日はアジアのを中心にグローバリゼーションを見ていきます。
日本初の「グローバル白書」と言われているのは「経済審議会21世紀世界経済委員会報告書」です。
そこでは、1980年代以降、新しい段階に入ったグローバリゼーションについて分析しています。
貿易の拡大を目指し、新たに新興経済地域や旧社会主義国、さらに企業、個人へと進出していきます。
その理由は1つは技術革新。
もう1つは、そう新自由主義で、市場至上主義とも言うものです。
アメリカ主導の新自由主義についてはさきに書いたのでここでは割愛しますが、
このグローバルな監視役、ならびに推進役がIMFなどの国際機関でした。
これは「ワシントン・コンセンサス」と呼ばれ、元はラテンアメリカ債務危機への対応として生まれたのです。
対して東アジアにはNICsが台頭。
これに関しては投機的金融活動の見直しを図るときでは、、、と言うエントリーを挙げ、デリバティブとヘッジファンドについて考察を加えました。
1997年のタイでの金融危機などが思い出されます。
そして2000年11月には中国がASEANに対してFTAを提案。
それに反発した日本は2002年11月シンガポールとEPAを発行。
などなど多くの国々思惑が交錯するアジア。

本当に触ってきただけで、実はいっぱい書くことが満載なのですが、
そもそものこのエントリーのきっかけは、黒猫さんと私の疑問にからです。
「日本で小泉構造改革が始まるかなり以前から、英米の新自由主義政策は躓いていたはずなんですが、それでも当時の日本で新自由主義的な改革を行うことに何らかの合理性はあったのか、と謂う疑問です。」

そこで開発者さん登場。
=========
一番の要素としては、「新自由主義の導入目的に本音と建前の乖離があった」という事が大きいです。黒猫亭さんのところに書きましたが、日本の新自由主義政策というのは中途半端で折衷的で米国や南米などの事例を元に批判が行いにくかったという事もあります。
まず「本音と建て前」で言いますと、新自由主義政策というのは「経済を放任する事で経済成長を促進する」のが基本です。そのための手段として政府による規制を無くしていきますから、付録の様に「政府は小さくなって金がかからなくなる」訳です。ところが、中曽根政権は「政府を小さくして金がかからなくなること」を目的に新自由主義政策を取り入れた形になっていて、経済成長の方が付録的になっている訳です。さらに、その政府を小さくすると言うことに関して「古い体制にしがみついている既得権益亡者の追放」というスローガンが加わります。
(開発者さんのコメントより)
=============

相変わらず分かりやすい。
さて、先にも書いたように「ワシントン・コンセンサス」で、財政を均衡化、公共支出を行政費から、医療や教育、インフラに転換。課税ベースの拡大、累進税率緩和、などなどから金融自由化、民営化、規制緩和と進みました。
東アジアは輸出主導で、思うように進みませんでした。
日本という先進国と中国という競争力がある大国。そして発展途上国。
多様な中で模索を続けながら日本は、
今、新しい地域協力を求めているのですが、、、、、

さて、コメントに戻るならば、
その後、さらにお二人のやりとりが続きます。

そして私は以前書いたエントリー、
世界の政治経済の変動その2や、
分岐点にも書いたように、この問題を考えるとき、またしても、
日本のアジアに於ける位置、役割と不可分と思うのです。

以前の記事ですが抜粋を載せておきます。
================

確かに第一次・第二次大戦は帝国主義間の植民地争奪の戦いでした。
しかし、第二次大戦後から70年代までは世界の枠組みはまず東西対決。次に西側世界間のIMF=GATT体制によるアメリカ盟主型の形成。そして第三に植民地体制の崩壊という三つによって特徴づけられています。
ここで見るべきはこの3点はすべてアメリカの戦後構想の賜物であることです。
そもそもアメリカ自身が第二次大戦で武器輸出などで1930年代以来の大不況を回復、目を見張る経済成長を達成。
IMF=GATT体制を盤石の物にするために、旧ブロック圏解体、旧植民地体制解体を目指し世界史上に一大ドル圏を構築することでした。
イギリスやフランスはIMF=GATT体制に抵抗するも、戦後の復興にアメリカの力が必要であったであったであったことから譲歩をよぎなくされました。
敗戦国である日本、ドイツは言うまでもありません。
こうして各国の利権が解体、アメリカに吸収されていくのです。
また対ソ連問題も戦後構想への挑戦ということで積極的に取り組みます。
植民地も東側同盟への参加を表明しない限り積極的に支援、こうしてアメリカ中心の体制を作っていきます。
しかし、1971年の金・ドル交換停止、74年の変動相場制への移行により事実上のIMF体制の崩壊、73年と79年のドルショック。
日本、ヨーロッパ諸国の成長によりアメリカの国際競争力の相対的低下などアメリカは徐々に転落、ついに1985年には債務国になります。
一方、80年代はアジアNIEsなどが目覚ましい発展をとげ、帝国主義と言う言葉さえ消えていきます。
では次に80年代以降今日までの経済の特徴も見てみましょう。
大企業の多国籍的展開と統合された国際金融市場、いわゆるグローバリゼーションと呼ばれる事態が進展したことが顕著な特徴です。
一方、91年の冷戦体制の崩壊でアメリカの軍事面での一極覇権構造ができあがりました。
軍事ではアメリカの一極、経済では資本の海外展開と言う構造が同時に展開されたことがこの間の特徴です。
こうして80年代以今日までアメリカは常に国際市場、軍事の主役になってきました。
「資本が自由に活動できる世界規模の創出」のため、あるときは平和的・友好的に、またあるときはアフガン戦争・イラク戦争などのように、あらゆる手段を講じています。

さて我が国が日米安保同盟の下、アメリカの経済政策に組み込まれて久しくなります。
その間、アメリカは日本に対して経済だけでなく軍事面でもアメリカの肩代わりできる部分はさせようという動きのもと、憲法9条の揺さぶりもきて何年もたちます。
====================================


さらに、
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
現実、アメリカ主導の市場原理は資本主義的帝国主義とも言え、それがレーニンの指摘した成長・増長した姿であることを知る必要があるのです。
これは帝国主義自体が一極覇権に向かう性質を内蔵しているからです。
社会主義体制が崩壊しても、植民地が解体してもなお覇権主義は必要だったのです。
アメリカの中心の国際的枠組みを考えるためにギャラハー=ロビンソンによる自由貿易帝国主義(Imperialism of free trade)があります。
非公式帝国という概念を用い、自国の植民地以外への投資を説明している。彼らの論によれば、自由貿易の堅持や権益の保護、情勢の安定化といった条件さえ満たされるのならば、植民地の獲得は必ずしも必要ではなく、上記の条件が守られなくなった場合のみ植民地化が行われたとされる。(wikipediaより)
アメリカ帝国主義とはなにかの著者であるレオ・パニッチ やサム・ギンディン も次のように言う。
「帝国主義とは国家間の領域を媒介してはじめて確定できる問題である」と。
植民地支配は階級的力関係や文化、軍事行政能力など国家固有の要因によって多様でもあると述べています。
市場原理を公式の秩序としてアメリカはヨーロッパ・日本、発展途上国へと軍事をもちらつかせながら進出の歩をとめることなく止めることなく進めます。
アメリカにとっては理想は日本で成功したように他国も従属させることです。
そのために突出した軍事力を備えることは理の当然です。
つまり今日の世界経済の構造は帝国主義の発展・成長した姿なのです。
「アメリカ一極覇権の下での外交・軍事を使い資本の自由な活動交換の世界」「アメリカのもとでの各国の資本の相互浸透」。
この二点に集約されます。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
こうしてみると、
新自由主義とはなにも経済だけではありません。
むしろ、その根幹はアメリカの「一極支配」を担う翼の一つではと考えます。


先のエントリーでのコメントを何回も見返しながら、過去の記事と共に、
改めて考えたことをツラツラと書きました。
本当なアジアについては通貨も含め、もっと書きたいのですが、それはまた別の機会に。
と、言うことで、
また、貴重なご意見頂けると嬉しく思います。

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コメント

TBありがとうございます。
ちょうど最近お邪魔しているブログ先に社会学について私的には納得している記事がありましたので抜粋的に紹介したいと思います。
本人様の意向もあり名前は伏せさせていただきます。
【「自由(市場)主義」と「(国民)国家主義」、そこに「共産(前衛)主義」も加えれば、それは、“近代パラダイム”におけるclassic(古典近代)段階において、やがて完成を見るはずだった/既に理念上ほぼ完成しているはずだった理想的調和がいつまでも世俗的に完成しない事に焦慮する分化分裂した急進主義の三つの形と見る事が出来るのではないか。
これら急進主義は、内部の不調和を普遍化によって解消しようとして、拡張運動(規範強要運動)として現象する。
すなわち、「今この地(現状)は、理想的調和性を実現するに相応しくない不完全要素が充満しているため、今この地を刷新するか、或いは『新世界』において理想郷を建設し、その拠点から理想的調和を世界にあまねく行き渡らせよう」という動機に基づく社会的運動が開始される。
ここで、だが、早くも一つの「限界」が露呈している。
彼らが“発見”したはずの『新世界』とは、既に十分歴史的実態として存在する地球世界の一部だったのであり、すなわち人類は、彼らが“新世界”を“発見”する以前から地球上に十分あまねく移り住んでいたのだ。
彼らは彼らの無知を逆手にとって、手前勝手な非対称性を打ち出す事により、「(既にその地に太古より移り住んでいた)他者」の歴史性を圧倒的暴力によって台無しにする事によって『新世界があった』事にするわけだが、もし、中国の歴史書のような世界視線からの『人類誌』を記述しようとする者が現れるとするなら、この事態を「一地方の人々の恥ずべき限界を露呈した強弁」として記述するだろう。】
コレに対して『新しきと思った事が既に存在する古きもの、表層が色を変えようとも深層は既にその色を内包していた…云々』とコメントしたのですが、結局は新しきを求めながらも古きから脱け出せないイデオロギーのジレンマが社会の歪みとして表れているのが現代社会の実情ではなかろうかと思います。
他人の記事を引用して申し訳ありませんが、私的に余りにも的を射た記事でしたので引用させて頂きました。
この後、宗教も関係する世界社会へと移りますが、とりあえず引用はここまでで
私は面倒臭がり屋で論戦は苦手です。

投稿: | 2009.09.11 18:55

せとさん。今晩は。
丹念に経済を縦軸と横軸を交差させながら整理していただきましたので大変理解し易いです。それにしても現代の経済は人間が汗を流して働き、物を生産するよりも、印刷した紙をつくり、それを手品のように使って運営した方が儲かるというのですからビックリ仰天です。皆人間は、羊のように紙を食べて生きて行くことになるのですね? 霞を食って生きていける仙人には敵わないでしょうが。それとも、経済的に人類は壁に打っかったままで当分うろうろしているのでしょうか? 現行の安保条約第二条(経済的協力)により日本はアメリカの経済にしっかりと従属的に結び付けられてしまっているから、更に難しい、困難な状況にもあると思います。【註: せとさんの本文・・・「さて我が国が日米安保同盟の下、アメリカの経済政策に組み込まれて久しくなります。」】
啄木が天才的に直感的に認識したあの歌、「働けど働けどわが暮らし楽にならざりじっと手を見る」に応えられる経済学、経済政策をどのように構築するか、現代人にいよいよ差し迫って来ている課題のように思えてたまりません。
解答は、先入観、タブーに囚われず、本格的に学び、実証し、実践するところにあるのでしょうか。(^O^;


投稿: hamham | 2009.09.11 22:36

こちらでも言及戴いて有り難うございます。

新自由主義についてですが、「社会学とデータ」で技術開発者さんが仰っていたケインズとフリードマンの研究対象の違いから、その魅力がどの辺りにあるのかがわかると思います。つまり、新自由主義理論と謂うのは、経済成長と謂う都合の好い事態が十分に発達した市場自体の持つ原理の合理的帰結としてもたらされると謂う、物凄く美味しい想定に根拠を持っていると謂うことですね。

不況や恐慌が起こるのは市場が未成熟だからで、本来成熟した市場には抛っておいても活発化し自律的に成長する原理が内在しているんだ、と謂う想定を正当化する理論なんだから、経済成長と謂う美味しい果実が何もしないでも得られる、寧ろ何かしちゃダメ、と謂う夢のような性格があるわけですね。元手要らずで最適な成果が得られると謂う、どうにも胡散臭い側面があるわけです。

で、その想定においては、強者が弱者より多くの利益を得ることは効率的なことなんだから、極端な格差の発生を原理的に許容する部分がある、と謂うか、格差が存在することで経済的な投機のモチベーションが発生する、と謂うような、積極的に格差を肯定する性格があるんではないかと。市場を中心とした経済活動に対する関与度で財が分配されるのが効率的なんですから、市場からの距離が遠い社会的弱者を国策で救済することで格差を埋めると謂う発想自体が非効率なわけです。

これは歴史的に成熟した国家にはあまりそぐわない理論で、能力や実績に伴う格差や社会的身分が存在するのは当然だが、その振れ幅があまり極端であればその社会は安定的に存続出来ない、と謂うようなコンセンサスがあるんじゃないかと思います。

アメリカは若い国家なので、ダイナミックな投機やチャレンジに積極的で、新自由主義理論に基づく経済発展に意欲的なんだと思いますが、おそらく欧州諸国は新自由主義的な経済観には反撥があって、欧州大陸諸国とライバル関係にあってアメリカとの連帯で停滞を打破したかったイギリスくらいしか積極的に追随する国家はなかったんだと思いますが、一方では、新興国家が短期間に経済成長を果たし先進国と肩を並べると謂う目的においては魅力的な理論だったのでしょう。

しかしこれは、サッチャーが「社会なんてものはない」と言ったことが象徴的ですが、では何故国家が存在するのか、と謂う疑問を招来するわけです。ウチで挙げた論文では「夜警国家」なんて古い言葉も出てきましたが、近代国家と謂うのは社会を構成員全体にとって公平で最適に維持する為に存在するのだとオレは考えますから、「社会なんてものはない」のであれば、国家権力なんて物騒なものは何の為に存在するんだと謂うことになると思います。

また、この新自由主義的な経済観は、労働の価値的な格差を馬鹿馬鹿しいくらい拡大すると謂う性格があると思います。どなたかが仰っていたように、汗水垂らして畑を耕したり、工場で機械を組み立てる労働と、金融市場のプレイヤーとして活躍する労働の価値が、比較にならない規模で格差がある。一分間で何千万も稼ぐなんて労働が存在するのは、本来おかしな事態であるはずですよね。

畑を耕す人や工場で機械を組み立てる人も存在するから社会が成り立っているわけで、人間の社会が存在し安定的に営まれていることに、個々の労働の種類によってそこまで価値的な格差が存在すること自体がおかしな話でしょう。相対的な貢献度の違いと謂うのは勿論存在するわけですが、それは数億対一くらいの天文学的な違いになるのが当然なのか、と謂う疑問は在り得るわけです。

>>むしろ、その根幹はアメリカの「一極支配」を担う翼の一つではと考えます。

いろいろ総合して考えると、少なくとも現状においては、新自由主義理論と謂うのは便利なドグマとして利用されていて、アメリカが自国の国益を自己中心的に確保する為の方便にすぎないように思います。EU辺りは共同経済圏を確立することでそれに対抗しようと謂う構想だったと思うんですが、本来日本が見習うべきは、どう考えてもアメリカではなくEU諸国のはずなんですよね。

その意味で、アジア経済圏構想と謂うのは魅力的ではあるんですが、中国と半島と謂うネックが存在するのでどうも痛し痒しではあります。中でもやはり半島問題が難しいですね。歴史的な問題が重層しているので、半島を介してアメリカとの強固な関係がどうしても切れない。韓国の李明博政権もどうも信頼性に欠ける部分がありますし、在日出身であることが対日姿勢に複雑な屈折をもたらしていますしね。

投稿: 黒猫亭 | 2009.09.12 02:05

よさん。
hamhamさん。
黒猫亭さん。
こんにちは。
コメントありがとうございます。

よさん>
興味深い、記事の引用ありがとうございました。

「結局は新しきを求めながらも古きから脱け出せないイデオロギーのジレンマが社会の歪みとして表れているのが現代社会の実情ではなかろうかと思います。」

ううううう===む。
開発者さんがいつも言われる「壊した後の建設」でしょうか、、、、、
私たちって目の前の現実には敏感ですが、将来の展望に対しては腰がひけるところがあります。
それって、ある意味、教育の後退だと私は思っているんです。
「科学的」に分析する力を養うことが次第に薄れているのでは、、、と考えています。
これについては、また後日あらためて記事を挙げることができたらいいな、、、、と。

またいろいろお教えくださいね。楽しみにしています。

hamhamさん>
いつも温かい励ましありがとうございます。
なんだかホンワリと沁みてきます。
そして「また、、、書こう」と意欲が出てきますo(*^▽^*)o

啄木ですか、、、
折しも面影さんからもトラックバック頂きました。
「されど、誰一人、握りしめたる拳に卓をたたきて、 ・ 'V NAROD !'と叫び出づるものなし。 」

ですか。

今の時代、なんだか言えそうでいて、言えない。
啄木の時代よりも「いい」はずなのに。
百合子が叫んでいた時代よりも新しいはずなのに、、、、、
トンネルは抜けていませんねぇ、、、
まだまだですね、、、
お互いにまた、はげましあって書くことが出来るうちは書きましょうね♪

黒猫亭さん>
アジア、、、、、
難しいです。
私もいろいろ資料を見ながら、なんとか纏めていこうと思うのですが、難しい。
日本がアメリカの対日支配に唯々諾々である一つはアジアにおける日本の役割だとうと思うのですが、、、
が、、、
一筋縄ではいきませんね。
仰るように朝鮮半島。
難しいです。
多分、他の国も隣国や近隣とは、いろんな歴史を絡めているのでしょうね、、、
こうした民族や歴史の問題も考量にいれつつ、
「あるべき」姿を模索していきたいものです。
また、貴重なご意見、お聞かせくださいね。
待っています。
では、、、、、

そうそう。
こりゃ、なかなかニセ科学のまで到達できません、、、
ははは(^-^;

投稿: せとともこ | 2009.09.12 11:10

こんにちは、皆さん。少し休養させて貰いました。

>「結局は新しきを求めながらも古きから脱け出せないイデオロギーのジレンマが社会の歪みとして表れているのが現代社会の実情ではなかろうかと思います。」

>ううううう===む。
>開発者さんがいつも言われる「壊した後の建設」でしょうか、、、、、
>私たちって目の前の現実には敏感ですが、将来の展望に対しては腰がひけるところがあります。

なんていうか、「繰り返される小変化」と「元に戻ることの無い大変化」という考え方を少ししてみたいと思います。或る土地で農業をしていたとします。長雨が続く年もあれば、干ばつになる年もありますが、それが数年以上続くということはなく、長雨の年や干ばつの年を乗り越えれば、また、豊作の年もやってくる訳です。こういう時に頼りになるのは「過去を乗りきった経験」ですね。ところが、その土地で「砂漠化」が進行していたとします。そうすると、「また豊作の年もあるだろう」とその土地での従来型の耕作にしがみつくと、その土地を捨てるときには蓄えも何も使い果たした難民として出て行く事になります。あまり良い例えではないのですが、我々が直面している「消費意欲の鈍化」という現象は、「繰り返される小変化」なのか「元に戻ることの無い大変化」なのかを考えてみて欲しいという気もしています。

私は「人類はずっと物に飢えていた」なんて言い方をします。中世の世界はたいていどこも階級社会ですが、階級が上でもそれほど物に満ちあふれていた訳ではないんですね。ところが、産業革命以降の世の中は、すさまじい勢いで「物が供給される」時代を迎えた訳です。最初は物は偏在しました。前に、せとさんに給料の安い会社の新人を引き留めることを頼まれた私の知人が「上も給料は安いんだぞ」と、全然引き留めにならないことを言ったという笑い話を紹介しましたが、或る意味で階級闘争という事が表面化する背景には、物の増産という事が背景に在るんです。家内制工業で作られるわずかな物が多少偏在したって大きな不満になるほどの格差には成らないけど、集約型の工場で作られる膨大な物が偏在すると大きな不満となるだけの格差にもなります。第一、増大する物の消費者に事欠いてしまいます。否応なしに、「みんなで消費する」社会を作る必要があったのです。そして、その変化は起きた訳です。物の生産は増大し、その増大分は生産者・販売者でもある労働者により主として消費されていくという循環が成り立っていた訳です。そして、今、人類は初めての経験をしようとしているのだろうと思います。それは、「自分たちが、もはや物に飢えていない」という事実に直面するという初めての経験です。

ケインズ経済学も、新自由主義経済学も或る意味で「人類が物に飢えていた」時代の経験から発生したものです。そういう意味では、どっちに頼ってもうまくいかない面はあると思います(ケインズの方がまだ出口へのヒントが隠されている気がしますけどね)。

投稿: 技術開発者 | 2009.09.14 08:43

技術開発者さん。
こんばんは。
お返事遅くなりました。
今、ゆっくりとコメントを見直していたところです。


「ケインズ経済学も、新自由主義経済学も或る意味で「人類が物に飢えていた」時代の経験から発生したものです。そういう意味では、どっちに頼ってもうまくいかない面はあると思います(ケインズの方がまだ出口へのヒントが隠されている気がしますけどね)。」

あああ、、、、、
なるほど。
そうですね。
潤沢とまでいかなくても、それなりに生産と消費のバランスがとれていた時代の経済学を、
今もひきずっていては先が見えなくなるのは当然ですね。
新しい経済の理論を構築する時代がきているのでしょうね、、、、、
また、いろいろ調べてみますので、
アドバイス、よろしくお願いいたします。

では、、、、またね!!!

投稿: せとともこ | 2009.09.16 22:42

ユニチャームの社長は人材には新自由主義(成果主義)でなくそこあげといってました。http://life-ayu.blog.so-net.ne.jp/2009-09-16

投稿: あゆ | 2009.09.17 08:29

こんにちは、せとさん。別の所で、理神論なんてことを書いて居ますけどね。

なんていうか、創造主というのをおいて、その創造主が自然法則を今のように定め、その自然法則に基づいて、宇宙ができ、惑星ができ、その惑星に生命が発生して進化し、やがて生命の中に知性を持つものが生まれ、その知性もまた進歩し続ける、なんて頭の中に描くわけですね。

でね、そういう事を考えていると、「生命の進化」と「知性の進歩」の違いというのを感じるんですね。生命の進化はなんていうか変異を起こしては適したものが残るみたいな、すごく捨てる部分が多いやり方になっているのね。それに対して知性の進歩って言うのは失敗を役立てるというか、何度か失敗して、やがて「こうやると良くない」みたいな部分をきちんとため込んで次ぎに行くみたいな面もあるし、他の人が失敗するのを見たりその経験を知ることで「それはまずいんだな」と回避する面もあって、なんとなく「知性」というのは生命よりも大事に発達させられている様な感じをうけるんですよ、変な言い方だけどね。創造主をおいて考えると、「生命の進化は沢山無駄をしたってかまわないけど、知性となるとちょっと惜しいから大事に進歩させよう」としている様なイメージね。

人類の知性的な面の発達は生存環境そのものを変えていくから、人類はいつだって「はじめてのこと」にぶつかってきたと思うのね。そこでいろんな失敗をしてはその変化に対処する知恵を作り上げてきたんだと思うんですよ。そして、それが創造主の定めた「知性の進歩のさせかた」の様な気がするんです。

投稿: 技術開発者 | 2009.09.17 09:45

あゆさん。
技術開発者さん。
こんにちは。


あゆさん>
フゥウウウム。

ですね。
なんだか、そんなことを言う経営者、他にもいましたが、誰だっけ???
また教えてください。

技術開発者さん。

「「生命の進化」と「知性の進歩」の違いというのを感じるんですね。生命の進化はなんていうか変異を起こしては適したものが残るみたいな、すごく捨てる部分が多いやり方になっているのね。それに対して知性の進歩って言うのは失敗を役立てるというか、何度か失敗して、やがて「こうやると良くない」みたいな部分をきちんとため込んで次ぎに行くみたいな面もあるし、他の人が失敗するのを見たりその経験を知ることで「それはまずいんだな」と回避する面もあって、なんとなく「知性」というのは生命よりも大事に発達させられている様な感じをうけるんですよ、変な言い方だけどね。創造主をおいて考えると、「生命の進化は沢山無駄をしたってかまわないけど、知性となるとちょっと惜しいから大事に進歩させよう」としている様なイメージね。」


ああああ、、、、、
そのイメージ。
凄く分かります。

中立説はまさにそんな感じですね。

進化そのものがそうであったように、
私たちが直面するいろんなことも、また然りですね。
ふむふむ。
教えられました。

投稿: せとともこ | 2009.09.17 10:44

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