麻生さんと書くのは恥ずかしい事なのだろうか???
「今は昔、阿蘇の□と云ふ史(さかん)ありけり。長(たけ)ぞ短(ひき)也けれども、魂はいみじき盗人にてぞありける。」
教科書にも出てくる有名な「阿蘇の史、盗人にあひてのがるること」、出典は今昔物語です。
なお、ここで言う盗人とは「人を簡単に騙せるほど肝っ玉の太い奴」と言う意味です。
口語訳では「むかしむかし、阿蘇の某という史(さかん)がいた。背丈は低かったが、根性はしたたかで、抜け目のない者であった」くらいでしょうか、、、
この話はさらに続き、
ある夜、遅くなり帰路についた史は、とある手前で衣服や冠をすべて取り、裸になり
牛車に乗っていたところ、案の定、盗賊がやってきた。
が、
裸の史をみて盗賊が「衣服はどうした、、、」と尋ねられたら、「すでに身ぐるみはがれてこの始末」と答え、
盗賊は仕方なく史を見逃した、、、
と、言う話です。
結びは以下のとおり。
「さて、妻(め)にこのよしを語りければ、妻の云はく、「そこぞ、盗人にもまさりたりける心にておはしける。」と云ひてぞ、わらひける。まことに、いと怖しき心也。装束を皆解きて隠し置きて、しか云はむと思ひける心ばせ、更に人の思ひ寄るべき事にあらず。
この史は、極めたる物云ひにてなむありければ、かくも云ふ也けり、となむ語り伝へたるとや。」
現代訳では、
「妻にこの話をしたところ、なんと、豪胆な!!!盗人以上ですね」と言われた。
このように企むなんて余人の思いを遥かに超えている。
これもこの史がとても話し上手ゆえ、こうして伝わったものでしょうが、、、、」
ということです。
さてさて。
阿蘇のなにがし。
たいしたものです。
ところで、こちらの麻生さん。
なかなか大変ですね。
自民、首相指名に“麻生”は「恥ずかしい」なぁんてニュースがありますが。
なぁんていうのか、
首相指名に麻生と書くことが恥ずかしい、、、ということも、これまた恥ずかしいな、と私は思うのです。
丁度一年前ですよね。
第23代、自民党総裁、そして第92代首相に麻生さんが選ばれたのは。
それも「選挙の顔」としてだったのですが、
大敗した今、その顔は今は身内からズタズタにされ、
放り投げられる、
と、いうことですか、、、、
ううううう=====ん。
なんだか、、、なぁ。
身内にさえ、こうした冷たい仕打ちをする自民党。
こりゃ、国民に冷たいわけですね。
フムフム。
麻生太郎さんも、先の物語の阿蘇の某のように、
前もって危機を関知して、身を守る術をもつべきでしたね。
「国民を戦争にやること」や「国民のサイフからガッパガッパと税金をとる」ことには吝かではなかったが、
守は薄かったのかな?麻生さん>
と、言うことでこのお話。
なかなか含蓄がありますね。
「今は昔、永田の界隈に阿蘇の某といふ史ありけり。」と言うよりは、
何故か杜子春に似ていますが、、、、、
〜〜〜〜
或る秋の日暮です。
都の西の門の下に、ぼんやり空を仰いでゐる、一人の男がありました。
男は今も金持ですが、すっかり信用と権力をなくし、憐な身分になつてゐるのです。
思えば、おもうほど、
あの栄華はなんだったのでしょうか?
1日にしてこの国の頂点に辿り着き、
辿り着けば、これまた多くの朋輩、官僚、金持ち、などなどが集まり、
毎日、毎夜、
飲めや歌えの大騒ぎ。
金の杯にワインをドクドクと汲んで、美しい芸人が素晴らしい演技を舞い、
そのまはりにはさらに美しい女の人が集まりという景色が毎夜、毎夜続きます、、、、
しかしいくら頂点に立っても、人気には際限がありますから、さすがに贅沢ばかりしていては民の心は去ります。
1日、2日と経つ内には、だんだん支持率は下がりこうなると人間とは薄情なもので、昨日までは毎日来た友だちも、今日は門の前を通つてさへ、挨拶一つして行きません。
それどころか、名前さえ呼ぶことが「恥ずかしい」と言うのです、、、、、、、、」
芥川描くところの杜子春は、
最後は格調高く結ばれるのですが。
「何になつても、人間らしい、正直な暮しをするつもりです。」
杜子春の声には今までにない晴れ晴れした調子が罩(こも)つてゐました。、、、、」
と。
さてさて。
現代の杜子春ならぬ麻生さん。
その思いは今如何に????
と、思うものです。
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コメント
これもこの前うちも書きました。
麻生さんから鳩山さんへに注目の朝日
鳩山さんに注目の日経
鳩山さん批判だらけのサンケイビジネス・・・。
3誌読み比べでした。
投稿: あゆ | 2009.09.05 23:03