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2009.10.20

内田樹 配偶者の条件と言うエントリーを読んで

配偶者の条件と言う内田さんのエントリーを読んで、
相変わらずの内田節全開に「笑う」やら「ため息」やら、、、
ふっ〜〜〜〜

内田さんのエントリーを論じるには小倉千賀子さんの結婚の条件くらいをもってきたらいいのかな???
と、思いつつ、
取りあえず当該エントリーについての感想をツラツラと。

まず内田さんが「配偶者の条件」と言うテーマを書いたきっかけは、基礎ゼミで「友人と恋人はどう違うか?」と言うテーマを取り上げたことから、恋人を取り越して配偶者へと話が進んだのがこのエントリー。
と、言うことで、内田さんの論旨に沿って見ていきます。
1 友を選ぶ基準は、
与謝野鉄幹曰く「友を選ばば書を読みて、六分の侠気、四分の熱」のように、
「知性、気づかい、向上心」というようなものが友人を選ぶときの条件である、客観的、価値中立的ということである。
2 一方、配偶者は「「妻をめとらば才たけて、みめうるわしく、情けある」のように「才能」「美貌」「情愛」と言うようなもので、「主観的価値」である。
と、して縷々説明。
3 ここからが凄い。
内田節絶好調、全開。
内田さんは配偶者の条件は、極めて私的なものであると、言います。
つまり内田さんの言葉で言うなら「配偶者の条件」はすべて私的、主観的だ」
とのこと。
そして、これでは「はなぁしぃはオワリィ♪」なので、さらに話題を掘り下げようと、
「私的、主観的ということは、言い換えれば「一般的な仕方では存在しない」ということである。」
とか、
あるいは、
「もし、異性の配偶者適性の基準が客観的に存在したとすると、当然のことながら、「誰が見ても配偶者に適する個体」に求愛者が殺到し、そうではない個体は生涯を性的孤立のうちに過ごさねばならないことになる。これでは種の保存が危ぶまれる。」
と、「もし」の世界、仮の世界へ読者を導入。

「もしの世界」は続きます。ちょっと長いのですが引用。
================
「もし、あなたの配偶者が誰が見てもすばらしい人間であり、周囲の人々がそれをほめそやすとしたら、そのことは「人が羨望するような財を手に入れた」という満足感はもたらすかもしれないけれど、「だから、どんなことがあっても私は生きなければならない」という使命感はもたらさない。
もし、あなたが真に人間的な人であったとしたら、「人が羨望するような配偶者を独占していること」について、無意識的な「疚しさ」が生じるはずである。
「誰から見てもすばらしい人間」を私的に占有することについての「罪の意識」は、人間が共同的な生き物である限り、必ず生ぜずにはいない。
その行動は、どこかで「この人は他者たちと共有されるべきである」という不条理な結論にあなたを導いてゆく。そして、あなたは配偶者を、気づかないうちに、「なかなか家に居着かない」方向に押し出すようになる。
つまり、「誰が見てもすばらしい、みんなが羨む配偶者」を得た人間は、その代償として、「私がいなくても、この人の才能や美質は引き続き高く評価されるであろう」という確信を埋め込まれる。
===============
そして、
最後に、
これは「もし」の世界だから、
古来から配偶者は「できることなら、誰も羨まない人間を選ぶ方が無難である」ということがひそかな人類学的ルールとなっているのである。」と人類的ルールだと断定。
あらあら、、、
そうだったのですか???
知らなかったぁ、、、

いやいや、それにしても、いつもながら内田さんの仮想世界の中での論理の積み上げには脱帽です。

「もし、誰もが認める公的な(?)くらい素晴らしい相手を射止めたら????」
と、言うことで、「もしも論理」を進めて、いきつくさきの結論は
「人類的ルール」ですかぁ。
ふっ===

さてさて、、、、
それにしても、いつもながらの論理の構築が牽強付会。
つい、
これってルール違反ではないだろうか???と思う次第。
「おいおい、、、最初に決めた配偶者選択基準私的なものはなんなんだい」と思うわけです。
仮の話から、ドンドン膨らませて、仮の上に仮の話題を乗せていくのは、内田流の話の展開。

それにしても、
「あわわっ〜〜〜〜」
です。
素直に面白いのですが、これはやはり男性側の見方、ということかしらん。
女性の場合、仮に配偶者が「才能、美貌、情け」全てに優れた相手であったとして、
夫に対して、あるいは世間に対して、内田さんが書かれたような発想をするだろうか?
つまり、
「誰から見てもすばらしい人間」を私的に占有することについての「罪の意識」は、人間が共同的な生き物である限り、必ず生ぜずにはいない。」ということだが、
何故「罪の意識をもたねばならないの?」と思うだろうし、
そもそも私的に占有しているなんて思いもしないでしょう。
何故なら、未だ、社会は「男性は外で働く」と言う意識が多数だから。
さらに、
さらに、、、
こうした素晴らしい女性を射止めた男性は、女性の才能を活かすべく、女性を社会へと押し出し、結果、何も自分でなくてもいいんだ、、、とイジイジして、生きることへの意欲さえも失われる。
と、言うのですが、
これって、そうなんだろうか???
結婚って、いったいなんだろう???


4 まとめ。
これは、内田さんの言いたいことは分かります。
ちょっと以下に掲載。
================
いまなかなか結婚できない方々が30代40代に多いが、その理由は彼らが「適切な配偶者についての一般的基準」というものがありうると考えているからである。
これはたいへんに問題の多い性イデオロギーである。
上で述べたように、「適切な配偶者についての一般的基準」というものがあるということは、この基準に照らしてランキングが高い異性は、すでにその条件によって、「あなたがその人の配偶者である必然性はない」ということになるからである。
多くの人の羨望の対象であるということは、あなたの「替え」はいくらでもいる、ということである。
誰でも自分と「代替可能」であるという自己認識がひとを幸福にすることはありえない。
しかし、私たちの社会は挙げてこの「人間的価値の数値的・外形的表示」に狂乱している。
それがどれほど致命的に私たちの自尊感情と自己愛を損なっているか、それについて私たちはもう少し真剣に考慮した方がよい。
(内田さんのブログより引用)
===================

結論としての
「私たちの社会は挙げてこの「人間的価値の数値的・外形的表示」に狂乱している。
それがどれほど致命的に私たちの自尊感情と自己愛を損なっているか、それについて私たちはもう少し真剣に考慮した方がよい。」
には同意。
その通りだと私も思います。

結論は良しとするものの、
導く過程は些か疑問に思った次第です。
結論としてまことしやかに「人間的価値の数値的・外形的表示」に狂乱している」と書かれても、
このエントリーでは、人間的価値に数値や外形的表示に狂乱している実際の例は一つも取り上げられていないのだから、説得力に欠けるわけです。

と、言うことで、
ツラツラと見てきた「配偶者の条件」。
個人的には、
配偶者の条件というごくごく私的な話題よりも、
なぜ結婚がしにくいか?
と言う社会的な条件や課題を考えていくことが大切ではと思うのです。
どんな時代でも結婚しない人はいたのですが、
現代は、「結婚しにくい環境」におかれていることを、
私たちは真剣に考えていくべきと思うのですが、、、、

さてさて、、、、
どうなんでしょうね???


Today's theme is the necessary conditions for the spouse.
Professor Utida says it is a matter of private.
I think so.
There is no accounting for taste.
What is most important in getting married is putting trust each other.
Thank you.

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コメント

せとさん、お久しぶりです。内田ネタということで、やって参りました(笑)

それはそうと、お元気そうですね。なによりです。
私の方は相変わらず...です( ^ω^ )

さて。私が思うに、せとさんご批判の内田節の下敷きには、レヴィ=ストロースが主張した「親族の構造」「「女性の交換」があるのではないか、と。これらの学知は、「人類的ルール」ということで、世間一般はとにかく、学問の世界では認知されているのではないのでしょうか。また内田氏が話をした場所も、世間一般が対象というわけではなくて、学究的なところであったようですし。

つまり、内田氏が論を展開した文脈と、せとさんが読み解いた文脈とは異なるということですね。

私にしても、内田氏が下敷きにしている(と勝手に推測した)「女性の交換」なんて概念そのものが、私自身の実生活の感覚からすれば、???なわけです。私にもご存知の通り配偶者はいるわけですが、それを「女性の交換」とか言われても、まったくピンとこないんですね。ただ、だからといって、「女性の交換」が間違っているのかというと、そうとも思わない。そこは、私たちの暮らす現代社会の文脈と「人類的ルール」といったような時との文脈とが大きく異なってしまっているんだろうな、と考える方向へ行くわけです。

もっとも、内田氏が「人類的ルール」の文脈を下敷きにしているからといって、その推論が正しいとは限りません。が、そこは、結論では内田氏とせとさんとの見解は一致するというところから、正しいと考えても良かろう、と。だとすれば問題は、私たちの文脈と「人類的ルール」の文脈の差異というところになってくるのではないか。その差異が「結婚しづらい社会的条件」ということになっていると思うのですが。

投稿: 愚樵 | 2009.10.21 06:28

愚樵さん。
こんにちは。
お久しぶりですね。
お元気でいらっしゃいますか?
エントリーを書きながら、「あっ、これって愚樵さんのテーマ」と思うことが何回もありました。
たとえば、死刑制度、また臓器移植、あるいは宗教と科学、言葉、、、などなど。

お忙しいようで、お声を聞くことができなく残念に思っていたのですが、
内田さんで出てきたのですねo(*^▽^*)o
愚樵さん。
ははは〜〜
今度から「これ」ですね。
愚樵さんを呼ぶときは内田さん、、、、


さて、
頂いたコメント、
私も内田さんの下地としては「そうであろう」と愚樵さんのご意見に賛成です。
賛成ですが、
それはそれとして、
私は、今回はその背景を読むことはしないで、
「書かれている字面」だけに拘り、感想を書きました。
なぜなら、
実はこのあと憲法24条について、もう一度私自身の考察を加えていこうと思っていたので、
家庭のあり方、男女の家庭での役割などを見て行く上で、内田さんの「配偶者の条件」がかなり問題を含んでいる「言い分」なのです。
いつもの内田節であることを重々承知しながらも、、、、
看過できず、エントリーを挙げた次第。


なお、最後の文言↓については、もう少しお時間を下さいね。
「問題は、私たちの文脈と「人類的ルール」の文脈の差異というところになってくるのではないか。その差異が「結婚しづらい社会的条件」ということになっていると思うのですが。」


では、またいろいろ感想やらご意見をいただけると、とても嬉しく思います。

これから、寒い季節になりますので、
お体くれぐれもお大切にしてくださいね。
では、、、また。

投稿: せとともこ | 2009.10.21 14:23

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受信: 2009.10.20 13:37

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