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2009.12.18

さらに考察を深めています、、、

「臨機応変の平和主義」の是非についてツラツラとと言う記事を昨日挙げました。
この記事は、「為政者の言うところの戦争する理由」の恣意性について再考しようというものでした。
この記事にLooperさんからトラックバックを頂き、早速拝読致しました、、、
(なぜか、私からはトラックバックを送ることができない、、、)
と、言うことで、今日はLooperさんの記事に触発され、
ちょっと日本国憲法と9条を考えていきます。
まず、Looperさんがご自分の記事で「オバマさんの演説と日本国憲法の精神との一致」としているとの主張箇所を以下に引用します。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
その具体的方策として3つあげている。
まず最初に、規則や法を破る国と立ち向かう際に、態度を改めさせるのに十分なほどに強い、暴力に代わる選択肢を持たなければならないと私は信じている。なぜなら、永続的な平和を望むなら、国際社会の言葉は何らかの意味を持たなければならないからだ。規則を破るような政治体制には責任を負わせねばならない。制裁は実質的な効果がなければならない。非協力的な態度には圧力を強めなければならない。そうした圧力は世界が一つになって立ち上がったときにのみ、成り立つのだ。
つまり、武力の代替となる強い仕組みの必要性だ。とりわけ、国連などを中心とした一致した非暴力的な手段での圧力の必要性を強調している。これは、日本国憲法前文と憲法九条の考えと一致している。
これは第2の点につながる。われわれが求める平和の本質についてだ。平和は目に見える紛争状態がないということだけではない。すべての人々が生まれながらに持つ人権と尊厳に基づく平和だけが、真に永続することができる。
第3に、市民の権利や政治的な権利があるだけでは公正な平和とはいえない。経済的な安定と機会が保障されなければならない。なぜなら真の平和は恐怖からだけではなく、貧困からの解放でもあるからだ。
これらは、基本的に日本国憲法前文の平和的生存権と同じ内容である。
(Looperさんの記事の改行をして掲載)

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
そして、Looperさんはこれらの文言から導かれて、以下のようにオバマさんの演説を評価します。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
アメリカ合衆国大統領からこの言葉が聞ける時代が来るとは、正直想像していなかった。
どうでしょう?
少し見方が変わって来ませんか?
私には、オバマ氏がイラク戦争のような「覇権主義的戦争」を肯定しているとは、とても読めない。
むしろ、
我々人類は、武力に頼らないと「平和」を維持できない現実を持つレベルにある。
戦争を完全に防げない未熟な段階にある。
それを、私たちはまず直視しないといけない。
その上で、そこから人類が前に進む現実的な道は何なのか?
を示そうとした演説だったように思うのです。
(Looperさんの記事 改行をして掲載)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

なるほど。
それは一つの見方なのでしょう、、、

さて、
私はと、問われれば、、、
この間、ずっと拘り続けているのは「正義の戦争」「やむなき戦争」についてです。

この間、いろいろエントリーを挙げ、考えています。
現実をみろ、とか、
紛争解決の手段なのだ、とか、
人道的介入とかとか、、、ご意見をいただきます。
尤もなご意見です。
大いに参考にさせて頂きながら、
今日は、
憲法9条と国連憲章についての比較を試みます。
まず憲法9条から。
「 第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」

この憲法の何が画期的、先駆的かと言えば、
勿論
第2項です。
第1項の精神はイタリア共和国憲法第11条でも同じように謳っています。
「第11条(戦争の制限および国際平和の促進)
イタリアは、他人民の自由に対する攻撃の手段としての戦争及び国際紛争を解決する手段としての戦争を放棄する。国家間の平和と正義を保障する体制に必要ならば、他の国々と同等の条件の下で、主権の制限に同意する。この目的を持つ国際組織を促進し支援する。」

この戦争否認は、
パリ不戦条約以来、国際連合憲章へと受け継がれ、多くの国ではこの精神は憲法に活かされています。

さて、
ここで、最も悩ましく難しい問題で、私もこれについては、未だ明らかな答えを持っていず、探し続けているのがズバリ、
「自衛」
についてです。

先のパリ不戦条約は自衛を認めています。
また国連憲章は、武力を原則としては禁止しつつ、安保理を置き、以下のように制定しています。
「第51条〔自衛権〕
この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当って加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持又は回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基く権能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない。」

こうして国連が主権国家による武力救済を許容することになるのです。

この武力救済こそがある意味、戦争や紛争が起こる原因ではないかと私は考えます。


日刊ベリタの記事にはカントの常備軍廃止についての考えが掲載されています。
「(1)「常備軍は、いずれ、いっさい全廃されるべきである」
 なぜなら常備軍はつねに武装して出撃する準備をととのえており、それによって、たえず他国を戦争の脅威にさらしている。おのずと、どの国もかぎりなく軍事力を競って軍事費が増大の一途をたどり、ついには平和を維持するのが短期の戦争以上に重荷となり、常備軍そのものが先制攻撃をしかける原因となってしまう。
(上記ニュースより引用)」

カント以外にも絶対平和を説く思想家や文学者、哲学者は多いのですが、
が、
日本国憲法の優れていることは、
実定憲法として第二項に「絶対平和」と言える戦力不保持を明記していることです。
そして、この戦力不保持と交戦権否認をこそ、
拘り、守り、発展させていきたいと思う私には、
私には、
どうしても、オバマさんのアフガニスタン派兵を「是」とすることはできないのです。

現実に今、私たちはこの国にあって、
自衛権解釈の転換を迫られようとしています。
そして、
憲法9条が空洞化していこうとしています、、、
こうした矢先、
オバマさんの「やむなき手段」としての武力介入を認めることは、
一歩、後退することではないのだろうか???

確かに日本国憲法は日本のものであり、
国際社会がこの憲法の精神を遵守する必要はありません。
だがしかし、
昨年の5月に行われた9条世界会議が各国の大きな関心事であり、
盛大な成果を収めたことを考えると、、、
世界の流れは紛争解決に武力ではなく対話へと進む力が大きくなっていると思います。
この時は、
ノーベル平和賞受賞のマグワイアさんが、憲法9条の精神を強調しました、、、

こうしてツラツラと見て行くと、
やはり、私はオバマさんのノーベル賞受賞が正しかったのか?
と、言うそもそも論から始まり、
ノーベル平和賞受賞後、如何にアメリカが平和のために行動するのか、、、
と、思いは募ります。
勿論、過去、ノーベル平和賞受賞者の全てがその資質を満たしていたか、、、と言えば否かもしれません。


いずれにしても、今後の動きに注目です。
この問題、さらに考察を深めていきます。


Article 9 of the constitution of Japan states a lasting peace.
I think it’s very nice and keep article 9 of the constitution for peace.
If we will allow armed intervention for settling a dispute,
little by little we will approve of military power.
I hope not power diplomacy but peaceful coexistence.
Thank you.

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コメント

ともやんとは、すれ違いばかりですが。。ここで、日本の窮状もとい九条をもちだすと混乱しませんか?九条を評価する団体はいるだろうけど、国家間紛争に武力を用いない=交戦権をもたない、というのは圧倒的にマイナーです。日本は1952年国連加入に当たって現憲法を遵守という条件だったのだから世界=他の国連加盟国も日本が日本国憲法を遵守するのを尊重する義務がある、と終始一貫主張していればよかったのだが、全然そんなことをやってこなかった。対米追従。個人に良心的兵役拒否、があるように、国家にも良心的兵役拒否権をみとめよ、と、たとえば鳩が国連で演説する勇気と構えがあるか、の問題。かつそれを国民が支持するか、の問題。鳩山は以前、自衛隊じゃなく自衛軍と呼称すべきである、と主張していた男です。

ともやんが、何を議論したいのか?がわたしにはわかりません。
世界各国が現在の憲法を変えて、日本国憲法を採用しろ、と?

あるいは、

国家間紛争、を武力によって解決してはならない、

という規定を国連が採用するようにしろ?これは理想としてはそうかもしれないが、現在は明らかにそうなっていません。くわえて、米国は国連主義を採っていない。米軍が国連軍を指揮する、という立場です。

私の理想は、各国は国境警備など最小限の軍備をもつ(核などトンデモハップン)、国境を越えて攻撃できるのは国連軍だけ。国連軍は日本国憲法の規定範囲外。したがって、日本からも国連軍参加の自由はある、という解釈です(この限りは民主・小澤の解釈に似ているかも知れない。問題は、現状、国連軍=米軍のなっていること。したがって、参加はケースバイケースになる。良心的拒否国、を認める)。 良心的兵役参加拒否国となる自由は各国が有する。とすれば、国連軍とか、国際警察なるものが存在しない場合もある、ということです。日本国内に警察や消防員は今たくさんいるが、危険すぎてなり手がなくなった、という場合。国民ひとりひとりが、徒手空拳で暴漢に立ち向かい、火事を消す。

国際テロ、と、内乱(ルワンダで起こったような)にはどうやって立ち向かうか。どう考えますか?やりたほうだいやらせる、というのもあり、でしょう。

投稿: 古井戸 | 2009.12.18 13:42

古井戸さん。
コメントありがとうございます。

今日のエントリーで日本国憲法、とくに9条を持ち出したのは、Looperさんから刺激されたためと、ここで改めてその意義を検討、確認するためです。
何回も書いているように、
私自身は、武力が紛争の解決になるとは思っていないのです。
それが、如何に現実に合わせよ、、、といわれても、
直面の問題を見よ、と指摘されても、、、
あるいは、
国際社会が協力して武力で制裁を加えようと、、、言われても。
まだまだ疑問が残るわけです。
古井戸さんの言われること、
勿論、よく分かるのですよ、、、
分かるのですが、
まだ拘っているんですよね。
私は。


と、言うことで、
今回は、
カントを例に挙げて、軍事力を撤廃する考えなども紹介しながら、再び、武力についての紛争解決手段の是非に考察を加えようと考えました。(エントリーに書いてあるのですが、、、)
まず、
ここでは、
日本国憲法と国連憲章の「交戦権」について、
書きました。
私自身は、いつも書いているように、
武力介入は新たな火種を投入するのでは、と危惧するわけです、、、


エントリーにもあるように、
日本国憲法を世界に、とか、
あるいは、
日本国憲法の基準で、世界を評価しようとは思いません。
ただ、
憲法9条を守っていきたいと考えている私は、
武力行使について、
憲法に探ってみようと、今日は思ったのです、、、
今後もいろいろの面からこの問題を考えていきますので、
また忌憚のないご意見、お待ちしています。
では。

投稿: せとともこ | 2009.12.18 13:49

せとさん。今日は。
>日本国憲法の優れていることは、
実定憲法として第二項に「絶対平和」と言える戦力不保持を明記していることです。
そして、この戦力不保持と交戦権否認をこそ、
拘り、守り、発展させていきたいと思う私


国連憲章をも超えた先駆的な内容だと思っております。
この条項を力として、私達日本国民は、アメリカの侵略戦争(ベトナム、イラク、アフガン戦争等)で、土壇場で他国の人たちを直接撃ち殺すような理不尽な行為を避けることが出来ました。
人類史的な豊かな感性に裏打ちされた理性の叡智の力を実証しているのです。だから、日本国憲法第九条の理念と条項は、刻一刻と世界中の人たちから注目され、世界に広まりつつあります。この条項と共に、私達日本国民も、国連、国連憲章、平和を求め実現すべく努力している世界の人たちを背景にしながら重大な世界史的役割も担うようになって来ていると思います。
現在、アメリカ軍がバキスタンやアフガニスタンで無人機によるピンポイントの攻撃を行っており、それは遠く離れたアメリカ本土でゲーム感覚で操作しているそうです。何と非人間的な、理不尽な、不条理な戦争でしょう!! 核攻撃といえ、このような現代の戦争を考えた場合、人類を救えるのはいまや日本国憲法第九条のような平和理念と条項の実現以外にはないのではないでしょうか。先駆的な役割を担う人類として、今日本の主権者の役割の大きさは計り知れないものがあると思います。

#オバマは確かにならずものブッシュとは違います、しかし、腐敗した米資本主義、米世界戦略、同覇権主義、独特のアメリカ哲学(プラグマチズム)等の呪縛のもとに、自己矛盾を抱え、それを克服しようと躓きながら努力しているのではないでしょうか。それが、現実には彼の矛盾した政策、考えとして我々の前に提示されて来るものと思います。

投稿: hamham | 2009.12.18 14:20

すべての国家の、すべての個人から武力を取り上げれば(刀狩り)、おっしゃるとおり、戦争は起こらないでしょうね。カントをまつまでもなく自明です。

すべての国家が核を廃棄すれば(オバマはそう言ったが、言葉だけ、でしょう)、核戦争の危険はなくなります。

↑これは議論するまでもなく自明です。

もっと現実的な、考えるに足りる問題としては、

「あるていどの武力保持を国家に認め、国家間武力紛争は国連のみが武力によって解決することを認める」

↑これで平和は絶対に訪れない、いや、訪れる。どういう条件を各国に課せば解決がたやすいか。

こういうことを論じた方が現実的だと思います。

たとえば、NPTにより核戦争の危険がなくなるか?

わたしは、核使用については、つぎのように厳しい条件をつけるべきだとおもいます。

1 核を使用した国は、それにより破壊された物的人的被害について時効無く、賠償の責任を負う。先制攻撃、報復、の区別を儲けなく適用する。

2 他国領土、領海に核をもちこんではならない。

。。たとえば、このような条件を付けるべきでしょう。鳩がアナウンスしてくれれば、一気に核不保持の国から大喝采だと思います。ニッポンの外務省は大反対でしょうが。インドやパキスタンはどうなんだろう?

核以外の兵器についてもこれに準じた条件をつけるか。

投稿: 古井戸 | 2009.12.18 14:46

hamhamさん。
古井戸さん。
コメントありがとうございます。


hamhamさん>
「#オバマは確かにならずものブッシュとは違います、しかし、腐敗した米資本主義、米世界戦略、同覇権主義、独特のアメリカ哲学(プラグマチズム)等の呪縛のもとに、自己矛盾を抱え、それを克服しようと躓きながら努力しているのではないでしょうか。それが、現実には彼の矛盾した政策、考えとして我々の前に提示されて来るものと思います。」
と、書かれているhamhamさん。

まさにそうだと思います。
オバマKさんの苦悩、分からないではない。
が、
だからこそ、私は言いたいのです。
現実に理念を合わせるのではなく、
理念、標榜するものにあわせるべでは、、、と。
現実に理念を譲ると、
それは際限なく泥沼であることを、
私たちは過去、なんども見ています。
アフガニスタンで、アメリカが何を行っているか、
あるいは彼のプラグマティズムについては、
また考察していいきますので、
その折はご教示、お待ちしています。

古井戸さん>
現民主党政権については、私もかなり危惧しています、、、
これについては、また時間をみつけ、書いていくつもりです。
また、
核の問題については、
今回は触りませんでした。
なぜなら、
私が今、考察しているのは、
世界観、戦争観、思想と、
実定憲法についてなのです。
そこが明らかになることで、
自ずと、今後の核の問題の対応が見えてくると思います。
と、言うことでまた!!!

投稿: せとともこ | 2009.12.18 15:13

こんにちは、せとさん。

少し意に染まない話をするかも知れないけどね。人類の歴史において小さな部族の集団が小さな国になり、小さな国の集団が中規模の国なり、やがて中規模の国が今の大きさの国(といってもかなり大きさはバラバラだけどね)になってきたのね。でね、とても悲しいことだけど、うまく話し合いで今の国の大きさになった国というのが見つけられないのね、ほとんどといって良いと思う(さすがに全てを網羅して歴史検索出来るだけの容量は私の歴史知識スペースにない)んだけど、武力でとか武力威圧で併合されることで今の国の大きさになってきたのね。

だから武力が必要とかいう気はないのね。ただね、歴史の中には大きな国が分裂して小さな国の集合体に戻るという事も有るけど、全体的に見ると小さな集団から大きな集団になっていくという方が圧倒的に多い訳です。理由は、秩序が保たれた範囲が大きい方がやはり生きやすかったからだと思うのね。どの段階でも国の中では争いを裁くルールがあったと思うのね。でも小国が割拠していると、その国境でおきた争いはどちらのルールも適用出来なくてうまく文化的に解決出来ないのね。結局武力で争いを解決するんだけど、小国が武力で併合されて大国になれば、その中の争いはルールで裁けるから、武力で解決しなくても済む訳ね。

なんだか、侵略戦争を容認している様な話に成ってしまうけどね。でも人類がやってきたことというのは武力で一つの秩序が及ぶ範囲を大きくすることで、武力による解決ではなくルールで解決できる範囲を大きくして、武力による衝突の悲劇を回避するという事をやってきたわけです。本当は話し合いでそうできたら良かったんだけど、現実にはそうは成らなかったって事ね。

でね、歴史の中には武力でルールの及ぶ範囲を大きくしながら、その秩序を保つことができずにまた小国割拠に戻る場合と、そのまま維持して、いつの間にか住民が「自分たちの国は**だ」と元は小国割拠した時代があることなんて忘れてしまう場合があるのね(今の日本人で自分の先祖が古墳時代にどういう国にいたかを知っている人はたぶん居ないし、戦国時代にどの国に属していたにこだわる人もいないんじゃないかな)。その差というのは武力の差ではなくて、大国ができたときの統治能力の差みたいに見えるのね。

まあ、私自身武力容認するのも腹だたしいし、侵略戦争に意味を見いだすのも嫌でしょうがないんだけどね。なんていうかな、武力衝突とまではいかなくても、武力威圧程度で世界政府ができて、そこがきちんとした統治能力があったら、それも一つの安定への形かも知れないと思ったりするのね。歴史の流れはそういう可能性を示しているからね。

投稿: 技術開発者 | 2009.12.18 16:57

技術開発者さん。
こんにちは。


「まあ、私自身武力容認するのも腹だたしいし、侵略戦争に意味を見いだすのも嫌でしょうがないんだけどね。なんていうかな、武力衝突とまではいかなくても、武力威圧程度で世界政府ができて、そこがきちんとした統治能力があったら、それも一つの安定への形かも知れないと思ったりするのね。歴史の流れはそういう可能性を示しているからね。」と開発者さん。

あああ、、
分かります。
意にそわない、、なんてとんでもない。
私も、そう考えます。

現実のアレコレをみると、
力の制裁に走ることも是か、、、と思う人々が多い中で、
私が踏みとどまる思いは、まさにそれに似たものです。
結局、一つの例外を許すことは、
全体のバランスというか、綱引きの中で、次第に後退を意味すると私は思うのです。

代替案としては、
やはり国連主導の粘り強い対応と、
あとは、貧困や宗教、民族の問題について、
私たち自身がもっと学ぶ事なのか、、、と今は考えています。
どうなんでしょうね???

投稿: せとともこ | 2009.12.18 17:05

こんにちは、せとさん。

私は馬鹿と思われようと「世界政府」という夢を見る人間なんですよ。そしてそのでき方ではなく、その世界政府が「どういう統治をするか」ばかり考えている。

なんていうかな、私の頭の中に中国史があるのね。中国史には春秋戦国とか五胡十六国とか五代十国みたいに群雄割拠の時代と秦漢とか随唐みたいな統一時代があるんだけどね。なんていうかな、例えば五胡十六国の時代には国同士が争いながらも「漢の時代のような平和」を求めていたりするのね。それは、五代十国の時にもある、「唐の時代の平和」を望んでいたりするのね。なんていうかな、自分たちが争っているくせに「統一国家の平和」がとても良かったという記憶がある訳です。それくらいなら話し合いで統一国家を作れば良いのにと思うけど、そうも行かないのが人間でしてね。ただ、そういう思いが、次の統一を生み出すのを加速はしているのね、残念なことに話し合いでは無くて武力であるいは武力威圧でだけどね。

なんていうかな、世界はまだ統一された事が無くて、世界が統一された時の「平和のおいしさ」みたいなものを誰も味わったことが無いのね。私は、その味を知った人類を見てみたいという思いはあるのね(まあ無理だけど)。ただね、それは統一だけでは無理なのね、おいしくない。統一の後の唐で言えば「貞観の治」みたいな時代がきてはじめてその味を知ることができるのね。

たぶんね、もし世界政府ができても、その後に何度も何度も壊れて群雄割拠みたいになるんだろうと思っている。でも、もし人が統一後の平和の味を知っていれば、たぶん今とは違うんだろうと思ったりするんです。

馬鹿な夢を語ってしまったけどね。じゃあどうやってその味を作るのかを、結構本気で考えたりするんですよ。

投稿: 技術開発者 | 2009.12.18 17:43

> 代替案としては、
やはり国連主導の粘り強い対応と、
あとは、貧困や宗教、民族の問題について、
私たち自身がもっと学ぶ事なのか、、、と今は考えています。
どうなんでしょうね???

これが「臨機応変の平和主義」にタイする解、でしょうか?
ちょっと肩すかし、の気がしますが。
問題設定を明確にしないと議論が無駄になると思います。

オバマの政策を論じているのか、それとも、
臨機応変の平和主義=原則のない戦争参入/肯定(と言い換えていいですね?)を肯定するか否か。

原則論、を述べても(たとえばカント)現実に人を説得する力は薄い。たとえば、核について述べるなら広島、長崎に触れないで論じることはまったく無意味です。(ウォルツァーもそう論じている)

人道的介入(humanitarian intervention/war)を認める、といっても、具体的にこの状況は、人道的介入をあてはめることはできない、できる、という議論になります。

イラク、アフガン、であっても911に至るまで、やるべきことはいくらでもあったろう?。。と言い出すときりがありません。911のあと高まる戦争突入肯定論にタイして国連や各国世論では懸念する声が強かった。

ところで。。WalzerのJust and Unjust Warを私は数ヶ月前に購入していました(いま、気がついた)。目次を見るとなかなか刺激的な内容。最近訳本(新訳?)が出ており、図書館にも入っていますので即、予約しました。政治哲学者ロールズは、原爆投下は正しかったか、という論文を発表しており、雑誌世界の1996.2に和訳が載っています。わたしは、ブログの記事にしました。ここの議論と直接関連するかどうかは?ですが。ウォルツァーを読んでまた考えたいと思います。

「原爆投下はなぜ不正なのか?」 ロールズ、ウォルツァー論文を読む
http://furuido.blog.so-net.ne.jp/2009-08-03

ウォルツァーは広島に限っては原爆投下が無条件に悪とはいえない、といいます。わたしは、やむを得なかった、と考えています。理由はブログで何度も何度も書いています。朝鮮戦争やベトナムで米軍は何度も原爆投下を諮問しましたが最終的に拒否されたのは、広島があったからだ、と。一回も使用されていなければ朝鮮戦争で使用されたでしょう。

核、についてはたとば、中国、ロシア、米国が相互間で使用した場合、その時点で、世の中終わり、とおもいます。中国が使えば、その時点からは経済は破綻するだろうし、ニッポンも巻き添えを食らいます。どういう世界になるのか予測も付きません。イラク以上に世界から排除されるでしょう。この理由から核は使った国が滅びる。逆に言えば、核の傘など意味がない、核を打ち込まれても防ぎようがない、のだから、甘んじて受ける。報復はしない(喜んで死ぬ、こういう世界に生きていても仕方がない)と、態度表明をするべきじゃないでしょうか。ニッポンは。

投稿: 古井戸 | 2009.12.18 18:07

技術開発者さん。
古井戸さん。
度々のコメントありがとうございます。


技術開発者さん>
「馬鹿な夢を語ってしまったけどね。じゃあどうやってその味を作るのかを、結構本気で考えたりするんですよ。」

ああああ、、、、
とても素敵な夢ですね。
またお聞かせください。
おつき合いいたしますよ(*^-^)


古井戸さん>
「問題設定を明確にしないと議論が無駄になると思います。」

????????????
うううう===ん。
困りましたね、、、
あなたの意向に、それこそ沿わないで。
何回も私はエントリーに書き、
あなたへのコメントにも書いているのですが、
どうも、おわかり頂けないようで、、、
これは、
私の中では一貫した問題です。
拘り続け、
問題の答えをすぐに出す愚をしないようにと、自戒して、
テーマの側面をアレコレと、傍証しつつ、、、
私の中で論理構築を行っています。
記事に書くことで、皆さんからのご指摘を受け、
さらに、
アレコレと、考えて新しい記事にすると、いう作業の繰り返しです。
古井戸さんのように、頭脳明晰でないから、
すぐに結論へとジャンプはできないのです、、、
議論する意味がない。
と、言われたら、それは、仕方がありません。
私の中では十分に整合性があり、
積み重ねている道筋、論理の組立です。
しかし、
人によって、その積み重ねのプロセスは違うのだから、
古井戸さんと私が同じであるはずはないし、、、
勿論、開発者さんや、Looperさん、hamhamさん、罵愚さん、
皆さん、違います。
と、言うことで、
あなたにとって、ここの議論や、
問題の主題が見えないことでも、
私にはしっかりみえているのです。
(エントリーにいつも書いているのだが、、、)
さて、さてさて、、、
いつもご教示えをお願いしたりと、ご好意に甘え、
厚かましくしていたのですが、
おつき合い頂くことが、ご迷惑なら、本当に申し訳ありませんでした、、
これ以上のアドバイスや情報が負担と思われたり、
あるいは意味がない、時間の無駄とお考えでしたら、
どうぞ、これ以上のお願いはいたしません。

今まで、
いろいろありがとうございました。
また、今回も示唆に富むコメントをいただき、
それは、とても嬉しく思っています。
参考にします。
が、
私は、私のペースで、
積み重ねて、納得していく所存です。

では。
お元気で。

投稿: せとともこ | 2009.12.18 18:40

 う~んん、非武装平和かぁ!!その良心と生真面目さは理解しているから、茶化すつもりはありませんがねぇ、PKFもいけませんか?というのがつきなみな疑問。
 非武装平和で武力侵略はふせげたとしても、経済侵略や思想侵略、宗教対立や人種的偏見は、残りますよねぇ…平和構築の方向性をまちがえているんじゃぁないのかなぁ?の疑問。

投稿: 罵愚 | 2009.12.20 05:39

 机上の空論を避けて現実を提供すれば、たとえば台湾です。米軍のフィリピンからの撤退が西沙諸島におよぼした影響に比較して、台湾は直接的な軍事的圧力にさらされるようなことはなかった。むしろ、穏やかな干渉の結果、台湾独立派は危機に瀕していると思うのですが…

投稿: 罵愚 | 2009.12.21 10:59

今、いろいろ現地のことなど調べています、、、
論考中。
では。

投稿: せとともこ | 2009.12.21 15:45

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受信: 2009.12.18 12:33

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